「チョンガラ、読み聞かせはその辺で十分だろう?」
今度こそ青年は商人の悪戯けを打ち切り、脱線していた話を元に戻した。
「これでこの三ヶ所に施設がある理由は皆も理解できたと思う。これを踏まえた上で、俺はこれから皆に無理な頼みをすることになる。」
楽士はその嫌な響きに再び顔を強張らせ、赤毛の侍は喉を焼く酒に旨味を覚え始めた。
「いいねぇ、無理難題は大好物だぜ。」
「い、いったい何をするんだい?」
しかし、先の一年で同じ敵を相手にし続けてきた楽士や他の面々にとって、青年の言う無理難題は何とはなしに予想がついていた。
「今分かっているキメラ研究所、三ヶ所を同時攻略してもらいたい。」
「ホゥ、ってえことはこっからは別行動になる訳だな?」
酒に酔ってか、戦いの血が騒いでか。赤毛の口元は今までになく吊り上っていた。
「ほ、本気かい、アーク?!」
楽士もまた、常人にはない『力』を持っている。その気になれば、十や二十の敵をものの数分で薙ぎ払うことができる。
だがそれは、相手がただ戦うだけの「駒」である場合。彼が勇敢な「兵士」である場合の話。
鍋の火を電熱で補うことができるように、「力」もまた「知恵」で補うことができる。
白鯨に乗る兵士の総数はたかだか5人。船員と怪物を足しても11人。
いくら彼らが歴戦の猛者であったとしても、単身で百や千の「知恵」を相手にするのは、楽士にとって無謀な作戦としか思えなかった。
これまででさえ、5人の超人的な『力』が集結することでようやく切り抜けて戦局だった。
支え合い、助け合ってきた。だからこそ生き抜いてこられた。
であるにも拘わらず、青年は敢えてその『力』を分散させる道を選んだ。
楽士にはそれが信じられず、受け入れることができなかった。
「これはあくまで施設の破壊を第一に考えた作戦だ。敵の殲滅は二の次だということを留意して欲しい。もちろん、それでも手に負えないようなら情報収集に止めてもらって構わない。情報収集だけなら今までの『変装』でも問題なくこなせるはずだ。」
「要は好きにしろってことだろ?」
赤毛が確認すると、青年は意味深に首を振り、ハッキリと赤毛の間違いを指摘した。
「違う。できる限り派手にヤレ、ということだ。」
「…クカカッ。」
青年はより赤毛の好む言葉を選び、赤毛もまた満足げな失笑で返した。
「でも…、それでも危険だよ。もしも罠に掛かっちゃったらどうするんだい?!もしも……、もしも二人とも捕まっちゃったら助けも呼べないよ。」
楽士以外は誰も取り乱してはいない。
言い換えれば、ここで一番常識的な反応をしているのはむしろ彼を於いて他にはいなかった。
そんな彼の理性を冒すかのように、青年は内に秘めた熱を言葉に込め、彼に言って聞かせた。
「……ポコ、お前が未だに剣を持つことに抵抗があるのは分かってる。でも、俺たちしかいないんだ。俺たちならできるんだ。この一年がそれを証明してきたじゃないか。」
「……そうだけど。」
「お前の言う通り、俺たちは頭数で致命的な弱点を持ってる。でも、だからこそできる無茶はやっておかなきゃいけないんだ。」
「……」
「もう、子どもでいる訳にはいかないんだ。」
この一味に入る前、少年は兵隊だった。しかし、彼に剣の素質はなく、楽隊としてでしか役に立つことができなかった。
それでも親に勧められた居場所を蹴ることができず、彼は帯刀し続ける。
そんな自分の殻に閉じ籠ることしかできなかった少年の前に、オオルリの青年は現れた。
出会ったばかりの彼は剣以前に戦闘そのものを知らず、少年の目から見てもその戦い方は新兵そのもの。
それでも彼は怯まない。勇気をはき違えた剣筋は粗く、危なっかしい。それでも彼は襲いくるゾンビーを次々に薙ぎ倒した。
敵に向ける彼の眼差しは愚かしくも力強い。恐ろしくも輝かしい。
そんな彼が言ったのだ。
「剣がダメなら楽器を使え!」
そうして少年は剣士ではなく、『楽士』としての新芽を芽吹かせたのだ。
楽器を使って戦う。
前代未聞で前人未到の戦闘員が、彼にとってはまさに「天職」とも言えた。完全無欠には程遠いかもしれないが、「可能性」を感じることができた。自分自身に。
それは少年にとって初めての感覚。初めての喜びだった。
少年の目に、手を差し伸べる天使が映っていた。
「彼の傍に少しでも長くいられたら」
その想いが今の少年を戦場に立たせている。血を浴び、死体に見詰められる恐怖に堪えられている。
最近は、青年の鍛練に付き添い、剣の練習もしている。
「ただ傍にいるだけじゃダメだ」
「彼と同じように強くならなきゃ」
彼の隣で揮う一振り、一振りに楽士は青年との誓いを繰り返し呟いた。
「……そうだよね、ゴメンよ。」
だからこそ恥ずかしかった。ついつい昔の自分を愛でてしまう自分が。
「心配するな、ポコ。お前が捕まったら俺がイの一番で助けに行くよ。」
「……本当かい?」
「ああ。それとも、俺が迎えに行かないほど薄情な奴に見えたか?」
「……そんなことないよ。」
青年は、常々不思議に思っていた。
「ありがとう、アーク。」
「音楽家」という長所を除けば、ポコ・ア・メルヴィルは普段、今一つパッとしないナヨナヨとした男だった。
赤毛の侍のように威勢が良い訳でもなければ、僧兵のように威風堂々としている訳でもない。
それなのに――――。
――――同じ戦場に立っているはずなのに。
――――同じ敵を見て、同じ死体を見てきたはずなのに。
少年の微笑みは未だに洗い立ての羊毛のように白く、柔らかい。
それはまるで、彼らの傷を癒すためだけに舞い降りた天使であるかのような、血に穢れない美しさを湛えている。
それは、美しいと思える一方で、ついさっき商人の話した魔女にもどこか通じるものがあるように思えてならなかった。
「どうだろうな。アークは足が遅えからな。もしかしたら俺の方が先に助けちまうかもしんねえぜ?なあ、ポコ。」
「……?」
唐突な赤毛の横槍は青年だけでなく、その場にいた全員を困惑させた。
「……クク、どうしたトッシュ。柄にもない。ポコ相手に嫉妬か?なんなら、譲ってやろうか?お姫様はお前のものだよ。」
話しがキレイに落ち、意表を突いた異色の漫才に一同は大声で笑わずにはいられなかった。
「そ、そんなんじゃねえ!テメエら、ヤメやがれ!オラ、叩っ斬るぞ!!?」
「ククッ…、悪かった。トッシュ、悪かったよ。」
青年が止めに入らなかったら、酒で真っ赤になった猿は一人ふたり斬ったかもしれない。その様子がまた、仲間たちを喜ばせた。
「当たり前だ。誰が捕まったって、俺たちは死に物狂いで仲間を助ける。だから今もここに立っていられるんだ。そうだろ?」
「……フン。」
乱暴に腰を下ろした猿は仰ぐように徳利を傾け、赤っ恥を忘れようと滝のように酒を流し込んだ。
しかし、幾つかあった脱線が、張り詰めたの緊張を丁度良くほぐしてくれていた。
本心では躊躇っていた青年の「死刑宣告」とも取れる過酷な作戦も、「自分たちならやれる」そう全員に自信を持たせることができた。
「フォーレスをゴーゲン。ロマリアをトッシュ。そして、アルディアを俺が攻め落とす。」
助け合い、支え合う姿は千差万別。
血を流し合う反面、皮肉を言い合い、笑い合うことが、彼らの命を繋ぎ止めていた。
彼らの間にだけ存在する、彼らを結び付ける「命の輪」。
「一人ひとつたぁ、えらく気前がイイじゃねえか。」
それはどんなに遠く、離れていようと切れることのない固い、固い絆で出来ていた。
「……あの、ボクは?」
ここまでお膳立てされていて、自分の名前がないことに楽士は拍子抜けしていた。
しかし、もちろん彼だけが特別扱いを受けているということはなく―――、
「ポコにはまた別の作戦に就いてもらう。」
「ぼ、ボクだけ?」
青年は頷くと、何かの建物の見取り図を彼に渡した。渡されたその図面はどこかで見た覚えがあり、楽士は眉を寄せ、思い出すことに努めた。
そして、はたと思い出すのにそう時間は掛からなかった。
「……これ、もしかして、パレンシア城かい?」
パレンシア城、それは先代スメリア国王が玉座を置いていた城であり、この一味を日陰に追い遣った城。
そして、彼にとってはこの一味に入る前の古巣でもあった。
「さすがだな。図面が頭に入ってるなら話は早い。トウヴィルの女官が攫われた話は知ってるな?」
「……うん。」
トウヴィルはパレンシア城が治める国、スメリアの領土内にある古い村。オオルリの青年の故郷。
そして今は彼らの最重要拠点であり、この世界で唯一の”聖域”とも言える村だった。
精霊の力を借り結界を張ったその場所から、敵はどのようにしてか村の神殿に仕える女官たちを拉致していた。
「どうやら彼女たちもキメラの実験体にされるかもしれないという情報が入ったんだ。」
「……そんな。……もしかして、ボクが彼女たちを助けるのかい?」
「今、トウヴィルにはククルもいる。どんな形であれ、彼女への負担は最小限に抑えなきゃならないんだ。……分かるな?」
自分の肩に十人の若い娘の命は重過ぎる。けれども、顔見知りの彼女たちが醜く歪むかと思うと……。
「ここが正念場だよ」楽士は寄り添う少年を励まし、皆の待つ場所へ一歩踏み出す決意を固めた。
「ボクにできるかな……。ねえ、アーク、ボクにもできるかな?」
そのくぐもった声の先には太陽があった。「弱気」という名の雲に隠れた少年の、小さくも眩しい「勇気」が。
「じゃなきゃお前に頼んだりしないよ。」
青年は、太陽を隠す雲をソッと取り払うように優しく囀った。
「……やれるんだ。ボクにだって……。」
楽士は仲間と比べて随分と小さい自分の手を見詰めた。
小さくてもそこにはオイルの染みがあり、幾つものタコがあった。ただただ赤ん坊のように白く、柔らかだった一年前とは違う。
「……ボク、やるよ。」
誰にも聞こえない小さな声で、けれども決して壊れないよう少年は固く、固く呟いた。