聖櫃に抱かれた子どもたち   作:佐伯寿和2

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汚れた歌姫 その四

「結局、どうしたいんだ。アンタは。」

「もちろん、護ってもらうわ。……そうね、次のアンタの目的地まででいいわ。」

図々(ずうずう)しい。というか、俺はまだ護衛の依頼を引き受けちゃいない。女の話術に翻弄(ほんろう)されている内に曖昧(あいまい)になっていたが、そうだ。俺はまだ、この女に何かをしてやる義理なんか一つもない。

「俺たちには先に済ませなきゃならない仕事がある。悪いが他を当たってくれ。」

『念のために、リーザはパンディットをどこかこの女の目の届かない場所に隠しておいてくれ。』

()()()はちゃんと届いたらしい。リーザはすぐに頷き、奥へと引っ込んでいった。

しかし女もまた、キッチリとそれを目で追っていた。

 

「まあ、アンタが(しぶ)るのは当然だよね。」

女の声はまた、豹変(ひょうへん)する前のものに戻っていた。

「でもね、アタシだって馬鹿じゃないんだ。それなりの報酬(ほうしゅう)を用意してるんだよ。」

本気で俺を追っ手じゃないと判断したらしい。とことん下に見られている。

だがこの女の言う通り、ドンパチだけがこの世界の力じゃない。それが俺たちの望むものであれば、俺も動かない訳にはいかない。

「報酬?なんだ、裏ルートの一つでも紹介してくれんのか?」

「何気にハードルを上げてくれるじゃないか。でも残念。今回はただの情報提供だよ。でも、今のアンタにとっては(のど)から手が出ちまうくらい欲しい情報のはずさ。」

手頃な岩に腰を下ろし、口許(くちもと)を押さえながら女はハッキリと言った。

「『白い家』、アンタそれに興味があるんでしょ。」

その名前に聞き覚えがあった。だが、どこでだったか。思い出すのに手間取っていると、女は拍子(ひょうし)が抜けたというような顔をした。

「なんだ、違ったのかい?おかしいね。……それとも『特別な人間を集めてる施設』って言った方がいいのかい?」

思い出した。それは2日前、事件の発端(ほったん)になった男が口にした名前だ。

どうしてそのことをこの女が知っている?

「……お前、俺たちのことをどこで聞いたんだ。」

「アハハハハ、そうだね。そういう反応を待ってたんだよ。でもね、言っただろ。アタシは『馬鹿』じゃないんだよ。情報の売り買いは信頼が第一条件さ。」

どうしようもなく怪しい。俺たちとの接触、リーザの能力無効化、そして俺たちの素性を知っている。少し前までマフィアに拘束(こうそく)されていた割りには根回しが良過ぎる。

 

だがどうやら、本当に一人でマフィアから逃げ出したのだろう。スタンガンを手に入れ、俺を酒場で見かけた後、脱出の算段をつけたのだろう。それを極々(ごくごく)、短時間で整えたのだろう。

十数分間言葉を()わしただけだが、この女にはそれができるだけの技量があるように思えた。

しかし、そんな周到(しゅうとう)な奴だからこそ、正体が分からない今の状況が最も危険だった。

協力していたつもりがいつの間にか利用されていたなんて台本(シナリオ)を用意されかねない。だが――――、

「エルク。」

いつの間にかリーザはパンディットを置いて戻ってきていた。(そで)を引っ張り、小声で耳打ちしてくる。

「この人、なんだか危ないわ。」

リーザの顔が不安に(くも)っていた。

「まだよく聞こえないけど、凄く複雑なこと考えてる。それも強い感情に突き動かされて。」

それは直感だが、俺も感じていた。だが、こういう人間だからこそ、持っている情報が正確かつ貴重だということも知っていた。

「今、大事なのはアンタの答えだけさ。欲しいのかい、欲しくないのかい?」

問答を楽しむように女は催促(さいそく)をしてきた。

敵に回せば必ず大きな障害になる。だが、この女のことだ。俺が武器を取った時の台本(シナリオ)を用意していないはずがない。

 

『リーザ、すまねえ。多分、どうやったってこの女からは逃げられねえ。』

それに俺はここまで来るのに5年かかった。これ以上は待てない。

「いくらだ?」

女はことさら分かりやすく唇を吊り上げた。

「そうだね、50万でどうだい?」

「マフィアの情報にしちゃあ安いじゃねえか。」

「だから、護衛代を差し引いてってことだよ。それに、アンタ、お金を持ってそうな(なり)してないからね。」

「まあ、安いに越したことはねえ。」

いちいち構っていられない。それに、この女相手では少しでも理性的である必要があった。

「30点。」

 

何が起きたという訳でもないのに、女が口にしたたった一言が、結末を前倒したかのように場の空気を一変させた。

(まと)まりつつあった話が急速に色を変えていく。

「何の話だ。」

「レクチャーの結果だよ。」

キレイな女が相手であるほど、たった一度の憎しみでさえ深く、深くこびりつく。

「ダメだね。終始アタシのペースじゃないか。まるで才能がないよ。仕事、考え直した方が良いんじゃないかい?」

なんだコイツ、死にたいのか?

「俺の勝手だろう。」

その瞬間、女はまた虎へと豹変(ひょうへん)した。だが、今の俺は女のそれに遅れをとらない。

「それ、本気で言ってるんならアンタ、とんだクソッタレだよ。」

「なんだって?」

理性的に。そう思う程、土壺(どつぼ)()まっていく。得物を(つか)み、俺は女を(にら)み付けた。

リーザが俺の(すそ)を引っ張っている。

女の言葉に嘲笑(ちょうしょう)が混じる。

「女に止められるなんて、本当に仕様のない奴だね。今までどんな仕事をしてきたのか知らないけどね、自分が仕事に向いているかどうかも分かんないじゃ、アンタ、三流だよ。」

奥歯が鳴った。

一丁前(いっちょうまえ)に悔しいのかい?自分の非も認められないのかい?なおさらだね。誰に何て言われたって仕方のないクズ野郎だよ。」

地面を蹴り、飛び掛かった。だが、予想していたのか、リーザは女の前に立ちはだかった。

「エルク、気づいて!」

 

彼女の(うった)える目を見て、急速に熱が冷めていく自分に気付いた。

だが、もしかしたらこれは―――、

「……これは、お前が(あやつ)ってんのか?」

口にしたのか、心を読まれたのか分からない。だが、リーザの血の気が引いた顔を見た瞬間、俺はまた、自分で後悔の芽を一つ作ってしまったことに気づいた。

「あ……」

「……ほらね、クソッタレだ。」

口の減らない、女への怒りは収まらないのに、その拳はもうすでに空っぽになってしまっていることに気づいていた。

「それで、どうするんだい。この子、ここで見捨てるのかい?」

槍は女を差しつつ、目はリーザに向けた。だが彼女の瞳はすでに、真っ白に色()せていた。そこに俺の姿なんか映っちゃいない。そう感じた時には彼女の目が怖くなっていた。

瞳孔を開き、真っ直ぐに向けられた彼女の眼はまるで、冷たい大理石でできているように見えた。

 

「俺は……」

「結構です。」

リーザは俺の声を拒んだ。

貴方(あなた)も私が怖いのでしょう?だったらもう、結構です。ありがとうございました。」

スクリと真っ直ぐに立ち上がり、俺を見下ろした。

「どうしますか?私はお金が払えませんから、ここで殺しますか?彼らに突き出しますか?私は貴方のいう『化け物』ですから。同じように扱ってもらって結構です。」

確かに俺はその言葉を何度も心の中で連呼した。だけどそれは彼女に向けてじゃなかった。

「私はここから動きませんから。」

彼女はパンディットの待つ場所へと(おもむ)き、(うずくま)って動かなくなった。パンディットは全身で彼女を包み込み、周りの目から隠すように抱きしめる。

その全てが俺への非難に見えた。

 

 

 

一番初めに動いたのは女だった。そして、これこそがこの女の用意した台本(シナリオ)とでも言うように、淡々と最後の台詞(セリフ)を連ね始めた。

「あーあ、残念だよ。当てが(はず)れた。」

俺はこの仕事をもう5年も続けてるんだ。

「アタシはこれで失礼するよ。」

全部が完璧でないにしても、そこそこの結果を出している。

「ここにいたって仕方がないからね。」

通り名だってできた。

「取り引きもなしだ。」

だから今回だって問題ない―――

「じゃあ後は仲良く心中でもなんでもやっちまいな。」

―――そう、思ったんだ。

 

何時間過ぎたか分からない。少年は少女に近づかないし、少女は少年に近づかない。二人の姿勢は固まったまま。

時折、少女の忠犬が、子どもの頭を()でる父親のように少女の顔を()めた。

それ以外、誰も動こうとしない。話さない。

ただ、こんな時でも太陽は昇ってくる。


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