オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
ぶくぶく茶釜、お供を連れて竜王国を目指す。


第63話 それぞれの問題

 貴族、王族。そういった言葉から何を連想するだろうか。

 

 虐げられた経験のある領民は憎しみを抱きつつも恐ろしい上位者と考えるかも知れない。

 冒険者のように権力から少し離れた生活を送る者たちは働かずとも食うに困らないことを羨む声を上げるかも知れない。実情を知らずとも。

 だが彼らの立場が本当のトップと入れ替わったなら、その激務と心労のあまり元に戻してくれと懇願するだろう。

 

 革張りの長ソファーに寝そべった男は午睡を楽しむ猫のようでありながら、切れ長の目の奥に座する紫玉の虹彩は極上の刃物と化して相対(あいたい)する者を刺す。

 この男こそは齢二十二にして奇跡的な手際で帝国の権力を掌握した現皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 己の肉親であろうと容赦なく非情な処断を下し、軍事力を背景に反対勢力の貴族を蹴散らし、自身に忠誠を誓う者だけを残して蟻の入る隙間も無い中央集権体制を作り上げた。生来の圧倒的なカリスマと、単純明快にして冷徹の極みとも言える決断力は部下を心酔させると同時に底知れない畏怖を植え付けている。

 

 その紫の視線の先に悠然と佇んでいる老人は特に緊張するでもなく、長々とたくわえられた白髭を慣れた手付きでしごいている。

 

「どう思う? じい」

「実に興味深いですな」

 

 じい、と呼ばれたローブ姿の老人は即答する。皇帝を畏れてのことではなく、心底から楽しくて仕方ない。そんな雰囲気を隠そうともしていない。

 フールーダ・パラダイン。三重詠唱者(トライアッド)、逸脱者とまで呼ばれる稀代の魔法詠唱者(マジック・キャスター)であり、帝国の主席宮廷魔術師の肩書きを持つ。

 ジルクニフが幼い頃からの腹心でもあり、二人の関係性は単に組織の上下だけでは言い表せないものでもあった。

 

 テーブルの上にはついさっきまでジルクニフが部下に読み上げさせていた報告書が置いてある。内容は先日リ・エスティーゼ王国で発生した悪魔襲撃事件について。

 

 最近新しく認定されたアダマンタイト級冒険者が事件収束の決め手になったというのも含めて王国の情報操作を疑っているが、悪魔が使ったという魔法の記述にフールーダの目が鋭くなったのを見逃すジルクニフではない。

 

 普段は理性的な人物なのだが、こと魔法に関する事柄に対しては執念めいた貪欲さを見せる。

 そのため報告全体にかけた自身の質問が、彼の中では「悪魔の使った魔法について」と限定されている可能性を否定できない。

 

 少し意識を向ければ、頭の中にそっくりそのまま写した報告書が浮かんでくる。実際にいまテーブルの上にあるものと寸分違わない記憶の中だけの文書。実物を手に取ればいいではないかと思う者もいるだろうが、表に出さなくとも済む動きを知られることは相手に付け入る隙を与えるのに等しい。皇帝になるべくしてなったジルクニフの習慣のひとつだ。

 フールーダの琴線に触れそうな単語がやはりいくつかあった。<ファイヤー・ボール/火球>は戦場で目にしたこともあるが、明らかにそれとは異なる炎の魔法。素材は不明だが金属製のグレートソードを融解させるほどの高熱を瞬時に叩き出す魔法というのは聞いたこともない。

 

「悪魔は奪われた魔法道具(マジック・アイテム)を取り返すために現れたそうだが、その理屈でいくとこちらへも現れる可能性はあるわけか」

 

 帝都アーウィンタールの中心に座する皇城。その足下の広場には多種多様な露店が集まり、一つのマーケットを作り上げている。飲食のみならず、武器防具の類もあれば何のためにどう使うのかすらも分からないような品まで玉石混淆としたラインナップが揃っている。

 その中には魔法道具(マジック・アイテム)を取り扱う商人だって紛れているのだ。

 

 帝国はジルクニフの方針に従い、能力がある者は平民であろうが構うことなく登用している。その最たるものが帝国魔法省だ。

 剣士がより切れ味の良い剣を求め、戦士がより強固な盾を求めるのと同じで、魔法詠唱者(マジック・キャスター)がより良い魔法道具を(ほっ)するのはごく自然なことだろう。問題なのは、売り物の出自をひとつひとつ精査することなどできないということだ。

 買い手が多そうな場所に売り手と品が集まるのもまた自然なことで、完全な制御は難しい。商行為の安易な制限は混乱を招き、ジルクニフが弱腰になっているとでも風説が立てば不満を抱えて燻っている貴族連中に無用な火種を与えることにもなりかねない。

 

 仮にどこぞかの貴族から盗み出した品であっても、人手を数度渡れば行方を追うのは困難になる。さらによしんば見つけたところで元は自分の所有物だったのだから返せと言って、はいそうですかとすんなり返してもらえるはずもない。妥当以上の対価を要求されるのがオチだ。

 普通ならそこで泣き寝入りか、金とプライドがある者なら何がなんでも買い戻すことを考えるだろう。

 

 だが元の所有者が人間ではなかったら? 国を相手に何の躊躇も無く強襲を仕掛けてくる奴なら?

 

 それと知らずにとんだリスクを招き入れているかも知れないのだ。

 

 ジルクニフの言葉の意味を理解した兵士の顔から血の気が引いた。報告書によれば襲撃時王都には召喚された悪魔が数多く出現したという。もし同じことが帝都で起きたなら、矢面に立つのは他ならぬ自分たちだ。

 そんな不安が読まれたのか、続くジルクニフの言葉は余裕に満ちていた。

 

「『アダマンタイト級冒険者の剣士によって撃退』とあったが、疑わしいな」

 

 これが王国側の情報操作を疑う理由のひとつでもある。

 

 多彩な攻撃手段を有する魔法詠唱者に対してまず肉迫しなければならない剣士は開幕から不利。距離を詰めたとしても相手が人間よりも強靭な肉体を持つ悪魔であれば一刀のもとに葬るという訳にもいくまい。

 

 ジルクニフの感想に兵士も首肯する。帝国ではモンスターの討伐などを軍が(おこな)っており、相対的に冒険者の社会的地位と需要はさほど高くない。一応冒険者組合はあるし二チームのアダマンタイト級冒険者も所属している。だが強さという点で考えると彼らは帝国の切り札になり得ない。

 

「確か、若い女の魔法詠唱者が王国の二人組アダマンタイト級冒険者にいたはず。その片割れやも知れませんな」

「まったく、魔法のことになると途端に耳聡(みみざと)いな」

「まだまだ、足りませぬ」

 

 魔導を極めんとするフールーダにとって、魔法の知識はまさしく人間の持つ欲そのものだ。一を知れば十を知りたくなり、十を知れば千を知りたくなる。得ても得ても満たされることは無い。

 師となる者もおらず、暗闇を手探りで進むのに人間の一生は(みじか)過ぎる。禁術によって永らえさせた命はすでに二百年を越えるが、術が完全ではないために不老不死にまでは至っていない。緩やかではあっても死に向かっている以上、いつの日か終わりは必ず来る。

 人間であろうがモンスターであろうが、知の源泉を問う価値観をフールーダは持ち合わせていない。そんなものは深淵なる魔法の叡智の前には些細なことだからだ。

 

「王国の調査は続けろ。どの程度の被害が出ているかにもよるが、叩く具合の調整は必要だろう」

 

 例年カッツェ平野で行われる王国との戦争。軍事で優位を持つ帝国がパワーバランス維持のために王国の国力を削ぐのが目的だが、やり過ぎてしまうのはまずい。スレイン法国の目を分散させるためにも王国という存在は必要だ。そして大陸側の亜人種勢力が無闇に噛み付いてこない理由の一つは、人間国家が複合的な生存圏を形成しているためだ。

 

 若作りの女王が治める山向こうの国はビーストマンの脅威に晒されているらしいが、防波堤として機能しているあいだは放っておくつもりだ。破綻しそうになるなら水面下の支援をしてやって恩を売ってもいいが、軍事力でも資源でも自国以下の相手を助けるメリットはさほど無い。

 

 強いて言えば奴隷としての労働力くらいだが、資源として取り込む具体的な案を思い浮かべる前にジルクニフは頭の中でその考えを却下する。

 帝国内の奴隷制度の状況からいって、竜王国の人間を引っ張ってくるのはあまりにもデメリットが大きい。

 

 奴隷の内訳を大別すると、急に大金が必要になったなどの理由で自分自身を文字通り売り払った者、他国から流れてきた者の二種だ。前者は奴隷と言えど契約の期間が決まっていたり、帝国の臣民であることは変わりないため法によって保護されている。一方で後者には捕らえられた亜人種なども多く含まれており、法によって保護されていない。そのため買い手には普通ならば罪に問われるような目的のために亜人種を好んで買い漁る者も一定数いる。

 奴隷という大きな枠の中にいる亜人種ではない者とは、つまりそういう人間であるということだ。そこへ同じ人間種を、しかし法で保護されていない人間を流入させるとどうなるか。混乱の中で取り違えが発生するのは避けられないだろう。ひとたびそうなれば解決は難しい。奴隷の言葉に真摯に耳を貸し、さらには身の証を立てるために奔走する人間などまずいないからだ。

 保護されるべき者が保護されないというのは国の根幹を揺るがす大問題だ。

 

 さらに言えば奴隷資源を引っ張れる状況になったときには竜王国は国家の体を成していないほどに崩壊しているはずだ。防壁の効果を喪失した平地を伝って、どんな亜人種の勢力が支配域を拡大してくるかが予想できない。対策に必要なコストを天秤に掛けると、わざわざ腰を上げるほどの理由にはならなかった。

 

 ジルクニフの思案を余所に、集まった視線が問いかける。そこまで王国を警戒する必要があるのだろうか、と。

 

「問題なのは王国ではない。何をしてくるか読めない奴が問題だ」

 

 ジルクニフがここまでの警戒を(あら)わにする対象は限られる。度合いの(はなは)だしさからしてほとんど名指しと変わらないが。

 第三王女ということで強い権力を手中にしていないのは幸運と思うべきなのか、それさえも策謀の内なのか、ジルクニフをして判然としない事実そのものが彼女の異常性の証明でもあった。

 

「王国が弱ればあれを差し出してくるやも知れませんな」

 

 敗戦国が人質同然の王族を差し出すことなど珍しくもない。力関係を(かんが)みればフールーダの仮定は現実的と言える。

 同じ可能性を頭の片隅には置いていたジルクニフが端正な顔を歪める。眉間に皺を寄せて不快感を隠そうともしない。

 

「冗談ではない。そんなことになるくらいなら戦争の代わりに復興支援でもしてやる方がよっぽどマシだ」

 

 どこまで本気か分からない口振りに兵士は押し黙り、フールーダは我関せずといった様子で長い髭をしごいた。

 

 ジルクニフは間が空き過ぎないように注意して不敵な笑みを浮かべる。気心の知れたフールーダや四騎士だけの前ならまだしも、弱気と取られる態度を一般兵士に印象付けるわけにはいかない。

 軍を掌握し、皇帝としてやれているのは鮮血帝の異名が示すイメージが大きく作用している。当時の手際と、必要とあらば血縁だろうが関係無く手に掛ける非情さ。潜在的には多くの者がジルクニフに対する恐怖を持っていて、ほんの少しの憧れを薄く引き伸ばして包み隠しているだけだ。

 カリスマに綻びを感じれば、生じた亀裂から泥濘のごとき恐れが氾濫した河さながらに(あふ)れ出るだろう。

 

 自己評価という観点であれば、ジルクニフだってひとりの人間なのだ。神の加護がある訳ではなく、普通に怪我や病気にもなるだろうし人並み以上の不幸に見舞われることだってあるだろう。他人なんかいてもいなくても変わらないとも思わない。自身が幼い頃から世話役のように接してきたフールーダには互いの立場を超えた繋がりを感じてもいる。

 だがそれらは全て、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ファーロード・エル=ニクスとしては不要なものだ。

 

「お前たちも妻はよく選んだ方がいいぞ。せっかく皇帝よりも自由なのだからな」

「独り身も選べますからな」

 

 帝国ツートップの飛ばした冗談に兵士の表情から緊張の色が抜ける。兵士たちの笑い声が室内に響いた。

 そのとき部屋の扉がノックされた。最も近い位置にいた兵士にジルクニフは顎をしゃくって開けるように指示をする。

 遠慮無さげに入室してきたのは黒鳶にも似た色合いの全身鎧に身を包んだ"雷光"バジウッド・ペシュメル。帝国最強と名高い四騎士のひとりであり、平民出身だが実力主義のジルクニフ政権下でここまで登り詰めたという経歴は王国戦士長ガゼフ・ストロノーフにも通じるものがある。

 

「丁度いい。家庭円満の秘訣でも聞いたらどうだ?」

「失礼……って、なんです、いきなり」

 

 彼は妻以外に愛人含め一つ屋根の下で六人暮らしだが、女性たちの仲は非常に良好だという。バジウッドの器の大きさを感じさせる話だ。

 前振り無く水を向けられたバジウッド本人は何のことだかまるで分からない。それを皇帝に面と向かって聞き返せるのは帝国広しと言えども彼を入れて片手で数え足りるだろう。

 ジルクニフとしても、バジウッドに求めているのは貴族だのが小煩(こうるさ)く気にする礼式ではない。そこは目に余るほどでない限り大目に見ている。そういうのが得意なのは他にいる。というより四騎士の中だとバジウッド以外は貴族出身のため必要最低限の作法だとかは身に付いているのだ。

 

「いや、気にするな。つまらん戯れ言だ。それで?」

「そうですかい? ならいいんですが」

 

 肩肘張らない言葉遣いを許しているとは言っても、帝国四騎士である彼が用も無く皇帝の執務室を訪ねはしない。回りくどい言い方をはせずに単刀直入な言葉でジルクニフは問い、バジウッドにも気にした様子は無い。

 

「王国からほとんど民は流れてきちゃあいませんね。本当にそんな悪魔が出たのかさえ疑うくらいだ」

 

 バジウッドは両手の平を見せてやれやれとポーズを取る。

 悪魔襲撃の第一報が入ってからジルクニフは四騎士にも情報収集の指示を出している。やり方はあえてそれぞれに任せているため、貴族の繋がりを使う者もいれば直属の部下を使う者もいる。バジウッドの場合は民衆の動きに着目したというわけだ。

 

「ふむ……」

 

 長ソファーに寝そべったまま口元に手をやる。

 これで王国が実は甚大な被害を受けているのを隠そうとしているという線は消えた。

 国に愛着のある人々は数多くいれど、逆の者も決して少なくはない。危険に対して逃げる選択肢を取っても不思議ではない。

 

「やはり誇張された情報の可能性が高そうだな。王国は冒険者とやらが重宝されているのだろう?」

「帝国にも冒険者組合はありますがね」

 

 国家の下に入らないというのが基本理念だそうだが、属する者が帝国民である以上完全な自由活動が行えるはずもない。建前上そうしておいた方が互いに余計な干渉をしなくて済むだけの話だ。もし彼らが邪魔になるというなら、それこそジルクニフの指示一つでどうとでもなる。治安維持には普段通りに軍があたればいい。

 だが冒険者が社会的に必要な役割を担っている王国の場合で考えると、雑に扱うことは難しくなる。

 

 冒険者組合が機能し、信頼に値する力を冒険者が有しているからこそ平民はモンスターなどの脅威に怯える日々を過ごさなくて済むのだ。そのためには冒険者の力が疑われるような風説が流れるのは未然に防がなければならない。

 そう考えれば人の動きが見られないのに悪魔に襲撃された情報だけが入ってきたのも合点がいく。

 王国はそこそこの被害が出たものの、情報統制には成功しており治安の乱れは無い。ジルクニフは一旦そう結論付ける。これ以上は情報不足だ。

 

「一応、そのアダマンタイト級冒険者についても情報を集めておけ」

「はっ」

 

 ビシッと背筋を伸ばした兵士がキレのいい返答をしたのと同時、またも執務室の部屋をノックする者がいた。

 

 室内に増えた一人の兵士を、厳密にいうと兵士の持っていた一巻の羊皮紙を見てジルクニフは渋面を作った。料理に入っていた香草が思いもかけず強烈な苦みを持っていた、そんな感じだ。

 

 兵士の持ってきた羊皮紙の封蝋。それには一度見たら忘れない、ジルクニフが世界で最も嫌いな女の印璽(いんじ)が押されていた。

 

 

 

 

 

 

 一人部屋にしては広いと言える室内、天蓋付きのベッドに配置された枕は一つだけだ。そこに本来あるべき主の頭は無かった。その代わりに、繭状に盛り上がった掛け布団がベッドの中央に鎮座している。もぞもぞと(うごめ)くと少し(かさ)が潰れて、這い出てきたものが側面からズルンと転がり落ちた。やや鈍い音が室内に響く。

 

「った! ……あ? あー、昨日そのまま寝てしまったか」

 

 軽く充血した目の下には薄っすらとクマが浮いており、充分な睡眠が摂れていないことが窺い知れた。逆さまになった天地を元に戻して、一瞬二度寝を検討する。金を払ってでもやる価値があるが、欲望に負ければ昨夜モメた宰相とのやり取りの面倒くささが倍増する未来しか見えないので諦める他無い。金も無いし。

 

「はぁぁぁー……。 ……………………よし」

 

 色々な心労を少しでも引き摺らないため意識的に長い溜息を()く。気休めにしかならない状況だとは理解しているが、それでも無いよりマシなのだから。

 

 立ち上がって向かう先はクローゼット。寝間着のままでは自室から出ることさえできやしない。

 中に吊られている服は控えめに言ってもあまり落ち着いているとは言えない物が多く、ホルタードレス系が特に目立つ。情熱的な赤に彩られたものやギラギラとした紫が見る角度によって眩しい、けばけばしさに思わず眉をひそめてしまいそうなラインナップだ。少し厚手の物は首周りにもこもこしたファーがあしらわれているが、これは対外にアピールと言う名の虚勢を張るときに使うやつだ。近々使うことになるかも知れないが、今日は要らない。

 

「間違えた。こっちじゃないな」

 

 最近ただでさえ出番の少ない服は手に取られることさえ無かった。

 用の無い戸を閉めてぱたぱたと小走りに、四面ほど先のクローゼットを開ける。

 そこにはさっきと同じようなドレスの他に、ワンピースなど比較的落ち着いた服も多い。

 しかし決定的な違いがあった

 

 それはサイズだ。それもウエストがどうとかの次元ではなく、さっきのクローゼットが大人用だとしたらこちらはどう見ても子供用である。

 

 布地の少ないヒラヒラした服に伸びかけた手を止めて忌々(いまいま)しそうな視線を向ける。

 

「どうせ後で着替えさせられるんだろうな。面倒だがちょっと肌寒いな……」

 

 今日の予定がどうだったか、口(うるさ)い宰相が言っていた冒険者との面会は午後からのはずだ。午前中は報告を受けることとその対策案の検討に時間を割くことになる。

 結局、手に取ったのはやや厚めの生地を使ったワンピースだった。

 

 着替えを済ませると慣れた足取りで執務室へ向かう。ノックも名乗りもせず部屋へ入ると、すでに到着していた宰相がいつものように頭を下げた。

 

「おはようございます。昨日は眠れましたかな」

「ああ、よく眠れたよ。夢さえ見ないほどにな」

 

 昨日の衝突が嘘のように、宰相の態度は極めて平穏だ。ケンカをしても後に引き摺らないのは彼の美点と言える。

 

 執務机を回り込んで座った椅子には拳ほどの厚みのあるクッションが二つ重ね敷かれている。

 

「今日の報告はそちらです」

「うー、なんか昨日より増えてないか」

 

 あらかじめ用意されていた冊子をつまみ取り、表紙をめくる。並んだ数字は予算の枠と現時点の支出。とりわけ軍事費の項目は素人が見ても財政を圧迫していることが丸分かりであり、山と積まれた書類は各所から上がってきた人員や物資の補充申請だ。

 

「はん、補充できることならやっとるわ」

「かと言って再配置での対処も限界がありますよ。いたずらに消耗を増やすだけの結果は避けねばなりません」

 

 ビーストマンの侵攻によって、確認できているだけでも二つの都市が落ちた。即座に逃げ出した数えるほどの者たちを除けば、都市にいたはずの市民の生存は絶望視されている。

 人間に比べてビーストマンは強靭で優れた肉体を持つ。成人の強さで言えば単純な身体能力に十倍近い差があるのだ。腕の一振りが致命傷になり、俊敏さも持久力も遥か上の相手に襲われた時点でそれは戦いではない。一方的な狩りだ。狩られる側は自分に標的を絞られないように祈りながら逃走することしかできず、大抵祈りが届くことはない。

 

 だが、人間もやられっぱなしではない。限られはするが、正面からビーストマン(奴ら)に対抗できる力を持つ者はいる。

 

「都市を放棄するなら早いに越したことはないが、それは本当に最後の手段だな。次に連中が主力を差し向けてきそうな都市へ冒険者を回したとして、防衛は可能か?」

「向こうの侵攻速度にもよりますが、防衛戦ができるかは半々といったところでしょう」

「都市内へ侵入を許せば始まる前に終わりだな」

 

 高低差や遮蔽物の多い街中では立体的な機動力と聴覚、敵の動向を肌で察知する鋭い感覚がモノを言う。どれもビーストマンが得意とする分野であり、開けた場所に比べて不意打ちによるリスクは爆発的に上がる。数人掛かりとはいえビーストマンに対抗できる貴重な戦力をそんな博打に出す訳にはいかない。

 

「ところで法国からの部隊派遣はまだ無いのか? 正直一日でも早く手を借りたいんだが」

 

 法国が擁する特殊部隊。六色聖典のうち一部隊をこっそり派遣してもらうのも毎年のことだ。支払っている対価も軍事費圧迫の一要因ではあるのだが、自国でそこまでの戦力を育てて揃えるには金も人も時間も足りない。

 自衛のための戦力を他国に頼っている状況は国として極めて危険な依存だが、背に腹は代えられないのだ。いずれは自国で補いたいと思っていても、ビーストマンの侵攻が落ち着かなければ準備すらままならない。

 

「今日も来ないと踏んでおられたからこそ朝からその形態だったのでは?」

「……形態ゆーな」

「法国には例年より侵攻が早いことと(あわ)せて催促を掛けます」

「そうしてくれ。ああー、本当に頭が痛い。酒に逃げてもいいか?」

 

 頭が起きるにつれてやさぐれた雰囲気を纏いだした少女。絞り出すような弱音は疲れ切った四十代の女が酒場で管を巻いている姿を連想させた。

 

「陛下、分かって言ってますよね? 予定している面会が終わったあとにしてください。何ならついでに前線の指揮官たちに渡す手紙を書いてもらっても構いませんよ。内容はともかく少し酔ってる方が子供らしい筆跡になるでしょう」

「うげー、あれかぁ。本当にあれで士気向上してるのか? うちの国はロリコンばっかりか?」

 

 筆頭戦力であるアダマンタイト級冒険者チーム"クリスタル・ティア"所属の"閃烈"セラブレイト。立場上何度か顔を合わせる機会があったが、彼の粘ついた視線には隠し切れていない情欲が滴るほどに漏れていて、思い出すだけでも寒気が走る。

 

「物資の埋め合わせが手紙ひとつでできるなら安いものです。あっちの形態で面会したときの彼の冷ややかな顔、覚えておいででしょう」

「形態ゆーな。ダメ元でリ・エスティーゼ王国と帝国にも救援の書簡は送れないか?」

「両方に回す余裕はありませんな。どちらか一方なら」

「う、むむむ……」

 

 地理的な理由から、王国と帝国へはどちらであってもアンデッドが跳梁跋扈するカッツェ平野を抜けなければならない。すなわち使者を出すには少なく見積もっても金級以上の冒険者を護衛に付ける必要があるだろう。それだけの戦力が抜けるというのは現状かなり痛い。

 

「軍事力で考えれば帝国なんだがな」

 

 帝国からの救援で送られてくるのは国軍のはずだ。政権と強い結び付きを持つ戦力を自国に招き入れたらどうなるか。仮にビーストマンの脅威を退(しりぞ)けたとしても、その後に控えているであろう交渉は間違い無く不利なものになる。

 事前に取り決めをしない内から助力を求めるにはリスクが高い。まして鮮血帝ともなればどんな小さな隙も見逃さず的確な手を打ってくるに違いない。

 

 不安を抱えながらも睨みつけるような視線を受け流しつつ、宰相はより具体的な未来を提示する。

 

「治安維持のための駐留軍配置、実質的な統治権を奪われて属国化といったところですかな」

「死なないだけマシという感じだな」

「そもそも動かないと思います。帝国にすれば自然の防壁たるカッツェ平野がありますし、私たちのことなどその一部程度にしか思われていないんじゃないですか」

「その理屈だと王国も同じじゃないか」

「いえ、そうとも限りませんよ」

 

 どこまで本気か分からないタチの悪い冗談は口にするが、国全体に関わることで適当なことを言わないのは知っている。

 

 王国は帝国に比べて軍隊が貧弱であり、戦争の際には民間人を徴兵しなければならないほどだと聞く。その分モンスター討伐などには冒険者の起用が多く、社会的地位も決して低くはない。何となく親近感を覚える国だ。

 

「帝国のような粛清をしていないため、王国ではまだまだ貴族の持つ影響力があります。こちらに(えん)を繋ぎたいと考える者が出てくれば一気に流れが傾くかも知れません」

「リーダーシップアピールのダシにでも使われれば御の字か。口達者な奴ならいいんだがな」

 

 人道的支援という方向でまとめてくれたら最高だが、ことのついでに内政干渉などされても困る。世論を味方に付けるためのイメージアップを(はか)るくらいなら問題は無い。権力闘争は王国内で好きなだけやればいい。

 

「ロリコンだったらなおいいですね」

「よくないわ! 何が悲しくて他国からも変態を呼び寄せなきゃならんのだ!」

「分かりやすい相手は扱いも楽ですし、安上がりじゃないですか」

「明日屠殺される豚を見るような目を向けながら言うんじゃない! その分私の精神が削れちびてるんだぞ」

 

 物的なコストで考えれば一見滅茶苦茶そうな宰相の言い分もあながち的外れではない。それは分かっているのだが、その代償が変態に囲まれると言うのは個人的にも嫌だし国民に対してもいい印象は与えないのではないだろうか。百歩、いや千歩譲って国内の人間であるセラブレイトは万人が認める実力者。アダマンタイト級冒険者であればこそ、よほどぶっ飛んだ行動に出ない限り世間の評価が地に落ちることは無い。

 その点国外の人間であれば最初の印象がほぼ全てだ。変態だと露見すれば余計な反発を生みかねない。友好的な姿勢で来るならばリスクのある行動や態度はしないはずだが、それを考える頭さえ無い奴だったらと思うとゾッとする。

 何を考えているのか読めない奴ほど怖いものは無い。

 

「……そう言えば、アダマンタイト級冒険者は実績だけじゃなくて人格やらも審査されるんだろ? あいつよく引っかからなかったな」

「チームとして認定されているからでは?」

「それでもあいつがリーダーじゃないか」

「猫を被っていたか、性的嗜好は審査対象外か、ですね」

「どっちだとしても問題あるだろうが……」

 

 突っ込む気力も(しな)びて、今日いちばんの長い溜め息を漏らしながら取り出した羊皮紙にサラサラと慣れた手付きでペンを走らせる。

 さらに机から取り出したのは封蝋用のシーリングワックスと止め紐だ。羊皮紙の下部にあらかじめ入れてあった切れ目に紐を通すと、その上へ赤い蝋を垂らしていく。

 

 おもむろに引き出しを(まさぐ)った少女の手に握られていたのは、似つかわしくないを通り越して仰々しいとさえ言える装いの印章。猛々しいドラゴンを模した彫刻は精巧を極め、一流の職人の手によるものだと誰にでも分かる。

 ここまでの品を所有しているのは大貴族と呼ばれる者たちでさえそう多くはない。並の者なら手に取ることすら躊躇うほどの芸術品が蝋へ押し付けられる。

 固まった封蝋には竜王国の紋章と女王の名が刻まれている。

 

「よし、と」

「期待はしないでくださいよ? 望んだ目が出ても大逆転ということはないんですから」

「わーっとる。例の陥落都市奪還がいいとこだろ。復旧まで付き合ってくれるかは分からんが」

「やるならそこまで付き合ってもらわないと困ります」

 

 ビーストマンに蹂躙された都市がどんなことになっているのか、想像の域を超えないものの凄惨な状況であることは疑いようがない。

 奪い返しても再び襲ってくる可能性が高く、今度こそ防衛し切れる戦力が常駐していなければいたずらに死者を増やすだけだ。

 

「これで動いてくれるのなら奪還してハイサヨナラとはしないだろうよ。そういう文面にしといた」

「流石、人情に訴える手紙は慣れたものですね」

「絶対褒めてないだろ、お前」

 

 羊皮紙を受け取った宰相が部屋を出ていき、ガランとした部屋はより一層広く感じる。誰も見ていないのをいいことに書面道具を片した机へ突っ伏した。

 

「お先が真っ暗過ぎる……。せめて金が潤沢にあればオプティクスを雇うとか色々打てる手もあるだろうに」

 

 余裕が無いから税金は上げられない。国庫の金が貯まらないからビーストマンを撃退するだけの投資ができない。常に脅威にさらされているから余裕ができない。

 お手本のような負のスパイラルだ。主力の手札を大方出してやっと現状維持ができているが、身体能力で勝るビーストマンが相手だと戦闘が長引けば長引くほど体力的な面で不利になる。少し均衡が崩れたら勢いのままに首都まで蹂躙などという未来も決して杞憂とは言い切れないのだ。

 

 事情を知らない者が見れば小さな体躯に似合わない机でだだをこねている子供。その姿を愛らしい、微笑ましいと思う者は多いだろう。だが吐き出された声は空っぽになった胃の底から絞り出したが如きに重く、(かす)れていた。拭うことのできない疲労感と閉塞感がたっぷりと込められた、呪詛の言葉だと言われれば魔法の知識が乏しい者なら信じてしまいそうなものだった。

 

「ああー……。仕方ない……。今日はいつもよりヒラヒラしたやつでいくか……。頑張ってくれ我が国のロリコンたちよ……。あとまだ見ぬ他国のロリコンたちよ……」

 

 彼女の名はドラウディロン・オーリウクルス。色々と限界が近付いている竜王国現女王であった。




アニメ三期が始まりましたが初回から見どころ満載でした。
エイトエッジアサシンもっとアラクネ的な見た目だと思ってた&意外に小さい。

2018/11/10 行間を調整しました。

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