オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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〜前回のあらすじ〜
王都にて開かれる剣闘大会への招待を受けたモモン。
寒空の下、ぶくぶく茶釜の所在を思う。


第62話 新たなる旅路

 王国での騒動から十日ほどのち、すっかり慣れた玉座に腰を下ろしたアインズはアルベドからの報告を聞いていた。

 

 アウラによるダミーのナザリック建設、ピニスンが管理している第六階層の野菜畑、コキュートスによる蜥蜴人(リザードマン)の支配。

 どれも順調に進んでいる。

 唯一アルベドがわずかに苦い顔をしたのは、ブレインをサンプルにした武技の研究だった。

 習得の条件も現状不明であり、どういった体系なのかも不明。書き出したいくつかの武技の内容は全てブレインの口述によるものばかりだ。アインズが耳にしたものを足しても余りにも少ない。

 

 アルベドの顔色が優れない理由はもう一つあった。コキュートスから上がってくる報告を見る限り、ブレインの強さがまるで変わっていないということだ。

 アインズの手元のレポートにはブレインに使わせた武器と、どういう戦法を選択したかが書かれており、最終的にコキュートスの一撃で瀕死になりペストーニャが回復させる。その一連のパターンが一日あたり十数回繰り返された様子が記載されている。ペラペラとめくってみても毎回同じだ。

 これはコキュートスから上がってきた報告書をアルベドが他の報告と合わせて分かりやすく簡潔にまとめ直してくれたものだが、いっそのこと瀕死になった回数だけ書いておけばいいんじゃないかとアインズが思ってしまうくらいなのだから原本全てに目を通したアルベドはより強く思っているだろう。

 

 緊張した面持ちのアルベドに対してアインズは平静そのものだ。武技については完全に未知の能力であり、予想を立てるための比較対象も無い。研究が難航するのはある程度覚悟していた。まず手探りながらも色々やってみて見えてくるものもある。

 

「ブレインは本当に成長していないのか?」

「手強くなってきたという報告は受けたことがございません」

「そうか。ところでアルベド、私はお前もコキュートスも非常に優れた戦士だと知っている。その審美眼もまた、信じるに足るものだろう」

 

 突如として飛び出してきた称賛に、アルベドは金色の目を丸くする。バサリと揺れた腰の黒翼は漏れた感情。無意識に浮かんだ笑顔に潜んでいるのは困惑だ。主人の言葉の真意が掴めず、手放しに喜んでいいのか判断しかねた。

 

「だが、ブレインとお前たちの強さはあまりにもかけ離れている。仮にわずかな変化があったとしても誤差にしか感じられないという可能性はあるのではないか?」

「それは……」

 

 否定の言葉は返ってこない。戦闘メイド(プレアデス)にすら劣るであろうブレインがいかな装備をして策を練ろうとも、守護者クラスにとって何一つ脅威にはなり得ない。沈黙はアインズの推察が大当たりではないにしろ的外れでもないことを示していた。

 

「まあいい、そちらの件はまた考えるとしよう」

 

 アドバイス程度ならいいとしても、メインの指導を任せているコキュートスを抜きにあれやこれやと語ることでもない。

 

「アインズさんいる? ああいたいた」

 

 開いた正面扉から入ってきたのはぬらぬらした肉塊、至高の四十一人の一人であるぶくぶく茶釜だ。入室にあたって部屋付きのメイドがお伺いを立てにきたりはしない。ぶくぶく茶釜もまたアインズと同等の仕えるべき主人だからだ。

 それは守護者統括であるアルベドからしても同じことである。報告を中断される形になったが嫌な顔ひとつせず、生来の優雅さを思わせる立ち居振る舞いで(うやうや)しく頭を下げる。

 

「アルベドもいるならちょうどいいね。これ見てくれるかな」

「拝見します」

 

 渡された二本の羊皮紙ロール。封がされていないため魔法の巻物(スクロール)ではないと分かるそれらを広げる。

 

「地図……載っている内容が少し違うようですが」

「そう。片方はアインズさん見覚えあるでしょ」

「ああ、これは……」

 

 見覚えも何も、アルベドが右手に持っているのは他ならぬアインズがカルネ村で入手した地図だった。

 ではもう一つはどう違うのか。差し出された二つの地図を視線が何度か往復する。

 

 アルベドが左手に持った地図は街道や大きな都市の情報も載っており、カルネ村のものと比較して質・量ともに上等に見えた。所々に赤いバツ印が付いていたり、何かと細かい書き込みがされていたりする。

 

 ナザリック地下大墳墓の近隣国は領内となるリ・エスティーゼ王国、南方のスレイン法国、アゼルリシア山脈とその麓に広がるトブの大森林に遮られたバハルス帝国。他には離れた位置になんたらという聖王国、だったはずだ。

 他にも国名と思しき文字があちらこちらに書き込まれている。それらはカルネ村で入手した地図には無かった。

 

「こっちの方が情報量が多いですね」

「これはセバスたちが手に入れたやつなんですよ」

 

 セバスたちが王都へ潜入していたときの身分は何だったか。大商人の令嬢とその執事として、商人たちとの繋がりを作っていた。そのネットワーク経由で入手した品というわけだ。

 売る物と買う者を求める商人は常にあちらこちらと動き回り、儲け話にアンテナを張っている。その足は国境さえも越えて、経済という渦を回している。

 

 街の外ではモンスターや野盗も出る。しかしできることなら支出を抑えるため冒険者を護衛に雇うのはギリギリ最低限にしたいはずだ。

 そのために彼らは知らなければならなかった。どのルートが安全で、もし危険な道でも通る必要が出たときにどういうリスクが予想されるのか。それが分かっていれば過度に高ランクの冒険者を雇わずに済み、費用をけちって低ランクの冒険者を雇った結果仲良く全滅などといった悲劇も避けられる。

 

 理由はそれだけではないだろうが、細かな書き込みはいわば商人たちが安全に活動するための諸注意だ。

 

(でもそれって結構大事なものなんじゃないか? そう簡単に他人に渡すとは思えないけど)

 

 売り買いが成り立つくらい情報は価値のあるものだ。命に関わりかねない内容であれば尚のこと。特に人から人へ際限なく広がる情報は独占しておかなければあっという間に二束三文の価値に暴落してしまうはずだ。

 だがそんな話はモモンとして依頼を受けていたときにも聞いたことが無い。

 残された可能性は一つだ。

 

「もしかしてカルネ村で入手したのは偽物(にせもの)ですか?」

 

 アインズの言葉を受けてアルベドの表情が歪む。驚き、不快、怒り、そんなところだ。

 

「下等生物ごときが至高の御方を(あざむ)こうとは……!」

 

 溢れる感情を隠そうともしない。ざわざわと彼女から吹き出す圧力に、長い黒曜の髪さえもが揺らいで見えた。

 

「うーん、半分正解半分ハズレかな」

「どういうことです?」

「他にも持ち帰ってきた地図があるんですけど、どれも微妙に違うんです。書き込まれた内容が違うのは時と場合にもよるから分かるけど、地図自体の記載にバラつきがあるのは意図を感じますね」

 

 複数の情報を流すことで真実をはぐらかす。情報操作としてはベタな手だが有効だ。恐らく似たようなモノを他の貴族などにも渡しているのだろう。仮にデタラメな書き込みがあったとしてもその情報が常に最新であるはずがない。商人たちは裏のネットワークで最新の本命地図を別に持っているといったところか。

 

 そこでアインズは考える。カルネ村の村長たちがあの時点でより価値の低い地図を出す理由があるだろうかと。答えはノーだ。村人を蹂躙した兵士たちをフェンリルが蹴散らしたのを彼らは見ている。さらにはアインズがその上位に立つ者であることも。万一にでも機嫌を損ねる可能性のある行動は極力慎むはずだ。

 

「アルベド、気にするな。物流も豊富とは言えない地方の村、確度の高い情報が手に入るとは最初から思っていない」

「はっ。それでセバスたちを情報の集まりやすい人間の都市へ潜入させたのですね。あのときからここまで想定の範囲内とは……」

「う、うむ。だがたまたま上手くいっているということもある。今後も注意は必要だな」

 

 紅潮した頬を手で隠すようにしたアルベドの目は潤み、うっとりとしている。

 

 ナザリック内にあの地図を持ち込み司書長に複製を作らせたのはアインズだが、本音を言えば当時はあまり深く考えておらずとにかく情報を集めることに必死だった。

 しかしこうも全幅の信頼と感服を込めた視線を向けてくる部下に対して冷や水を掛けるようなことはとても言えなかった。

 

「……それで、その地図がどうかしたんですか?」

 

 気まずい空気が流れる前に話題を戻す。まさかぶくぶく茶釜が地図の違いを伝えに来ただけとは考えにくい。

 

「いいですか? ここよく見てください」

 

 触手がナザリックの位置から地図の上を滑る。ほぼまっすぐ東の方向へ。ピタリと止まったのは山岳地帯。北にバハルス帝国領、南にはカッツェ平野が広がっている。

 そこにあった書き込みは短い単語が三つほどと、デフォルメされたライオンの顔のようなもの。

 

(…………やっぱり読めない)

 

 一瞬躊躇(ためら)うが、インベントリからルーペ状のアイテムを取り出す。レンズ越しに見た単語は理解できる言葉に置き換えられている。

 

「竜王国、ビーストマン」

 

 なんじゃこりゃ。辛うじて分かるのは描かれていた獣の頭は恐らくビーストマンを指しているのだろうということくらいだ。

 目を引く単語としては、竜。ドラゴン種といえばユグドラシルでも何かと優遇されていた種族であり、同じレベル帯のモンスターと比較しても頭一つ抜きん出たスペックを有していた。

 

「そう、これはもう名前からして亜人種の国でしょ!」

「あー……うーん?」

 

 残念ながら地図には平野と山岳地帯の途中までしか記載されていない。だとしたら描かれている外側────大陸としては内側というべきか────に竜王国とビーストマンの国があってもおかしくはない。

 地図に(いつわ)りが無ければの話だが。

 

 こちらの腑に落ちなさそうな雰囲気を察したぶくぶく茶釜が何本もの触手を盛大にわさわさと揺らす。

 

「いままでの話からするとどうだろ? って思いますよね。私は割とこれ期待できると思ってるんですけど」

 

 ぶくぶく茶釜の推論はこうだ。

 

 王国、帝国、法国という人間による国家がこの辺りに集まっていること。

 トブの大森林を中心に三国の支配が及んでいないのがカッツェ平野方面しか無いこと。

 カッツェ平野は人間にも亜人種にも区別無く仇をなすアンデッドが発生しやすい地域であること。

 

 比較的規模の小さい集団である蜥蜴人(リザードマン)やトードマンなどは森に守られていたが、三国に匹敵するほど規模が大きくなった亜人種が国を構えられる場所などこの周辺には無い。となれば必然的にもっと離れた場所、さらには死人の彷徨(さまよ)うカッツェ平野が人間種と亜人種を(へだ)てるフタのような役割を果たしているのではないか。

 

 話を聞きながら思い出したのは冒険者組合から受けた薬草採取の依頼だ。過去にザイトルクワエを封印したという多種族混成パーティ。彼らの存在が三十年ほど前だったと仮定したら、亜人種の国家とは言わずとも町や集落程度の集合体は現存している可能性が非常に高い。ナザリック周辺にそれらが見当たらない事実は、図らずもぶくぶく茶釜の推論を後押しする。

 

「そうでしょう。でね、調査に行こうと思って」

「反対です! 危険かもしれません。わざわざ至高の御方が行かれずとも、シモベを送り込めばよろしいではないですか」

 

 アルベドの反発は至極当然であった。なにしろエ・ランテルに潜入するときにアインズ自身が同じことを言われたからだ。

 そして彼女の主張は実に正しい。情報を集めるなら各地へアンテナになるシモベを飛ばしていくのがローリスクかつ効率的な手段であることは間違いない。

 

(でも、そうじゃないんだよなぁ)

 

 理屈で分かっていても、そのやり方をぶくぶく茶釜が受け入れることはない。アインズも同様だ。

 ちっちっち、と指に見立てた触手が左右に振られる。語られた言葉は予想通りのものだった。

 

「それじゃダメなんだよ。『私が』行きたいんだから」

 

 未知を既知に変えていく、そんな世界に魅せられた仲間の思考はやはりどこか似ている。

 

「ふふふ、ははは…………ちっ」

 

 嬉しかった。大切に感じていたものが何も変わっていないことが。一方で沸き立った喜びが急速に(しぼ)む感覚に苛立ちを覚える。

 

 ギルドは持ちつ持たれつ。アインズにぶくぶく茶釜を止める理由は無かった。アルベドには可哀想だが、今回はぶくぶく茶釜に肩入れさせてもらう。

 

「人間社会は私、亜人などの異形種社会に対してはぶくぶく茶釜さんが主導で動く約束だったしな。モモンと同じように護衛を連れていけば問題あるまい」

 

 アインズの考えが提示されたことでアルベドは反論をやめた。止めるのは不可能と判断して護衛の人選に思考を巡らせているのだろう。こういう切り替えの早さも彼女が有能たる所以(ゆえん)の一つだ。

 

「そうそう。で、これが連れていくメンバーの候補なんだけど」

 

 どこからともなく出した一枚のメモ。アインズとアルベドが注視したそこには見知った名前が連ねられていた。

 

「アルベド、どう思う?」

 

 正直このメンバーが正解なのかどうかアインズも分からなかった。一つ気になるところがあるが、先に自分が意見を出すと立場上アルベドの発言が制限されてしまう可能性がある。それでは困るのだ。

 

 メモを見つめるアルベドの目は真剣そのものだ。

 

「戦力としての不安はありませんが、斥候を兼ねて八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を五体ほど、それと影の悪魔(シャドウデーモン)を追加してはいかがでしょうか」

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)は二体くらいでいいよ。影の悪魔(シャドウデーモン)は一人一体付けようか」

「かしこまりました。手配致します。一体は八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に潜ませておきますので、合流次第移動させます」

 

 打てば響くと評するのが的確な手際の良さで話を進めていく。普段ナザリックの運営を一手に担っていることもあり、その表情には自信が満ち満ちていた。

 

 小一時間ほどで話し合いは終了した。早ければ明日にでもぶくぶく茶釜率いるパーティはナザリックを()つ。

 

 退室するぶくぶく茶釜を見送り、シモベの手配などの連絡が一通り落ち着いたアルベドを見る。その様子はとても落ち着いている。

てっきり止めると思ったが、意外だった。

 

 これからはぶくぶく茶釜の不在が不安に繋がらないようにもナザリックにいる時間を増やすべきだろうか。

 そうするとモモンの姿があまり見えないことの理由付けを考える必要が出てくる。ヤルダバオトとの戦いの傷はその場で回復してもらったということになっているし、王都でも名が売れているいま突然雲隠れをするのは望ましくない。

 

 解決する方法をひとつ思い付いてはいる。ただアインズが個人的な理由でその手段を選びたくないだけだった。

 ナザリックのシモベたちそれぞれの能力を思い浮かべてみるが、より良い手段は閃かなかった。

 

(だめだ。仕方ないけど、あー、気が進まない)

 

 

 課題を棚上げにしてしまいたい気持ちを押し込めて、立ち上がる。こればっかりはぶくぶく茶釜含め他の誰かに任せるわけにはいかない。

 

「どちらへ?」

 

 当然の質問が飛んでくる。肩越しに返した言葉はアインズ自身でさえ驚くほど(いかめ)しい雰囲気を纏っていた。

 

「宝物殿だ。────(とも)はいらん」

 

 アルベドの返答を待たず、指輪の力を発動した。意見を差し挟む隙を与えれば色々呑み込んで固めた決意が容易(たやす)く崩れ去ってしまいそうだったからだ。

 

 

 

 黒く無機質な床と壁に囲まれた空間に、ぽつんと配置された場違いなテーブルとソファーのセット。積まれた巻物(スクロール)は小高い山を成し、それらに込められた魔法の内容などが一枚の羊皮紙に記されている。第一位階の魔法名の行にカウント用の線を一つ足す。手に持っていたものが追加された山は少し形を崩した。

 

 やたらスペースの余った室内は静寂に満たされていた。黙々と、緩慢とも言える動作で作業は続けられる。

 

 黄色の軍服と細く長い指がディティールを失い、全く異質なものへと変じる。

 白磁のごとき骨の指、闇を纏ったかのようなローブ。その姿はついさっきまでこの場にいた至高の四十一人の一人にして創造者たる死の支配者(オーバーロード)と寸分違わぬものだった。

 おもむろに立ち上がると≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫を使用、骨の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はたちどころに漆黒の戦士に装いを変えた。

 

 全身の曲げ伸ばしを軽く行い、少し歩いて、走って、跳んで。広いスペースを有効活用しているとも言えるが、傍から見れば異様な行動だった。ガシャガシャと鎧がぶつかり擦れる音が反響する。

 背に担いだグレートソードを一旦降ろして構える。数度振り回したときに巻き起こった風が巻物(スクロール)の山を揺らした。

 

 再びソファーへ腰を下ろしたときには元の軍服と細い指、三つの穴を空けただけのような卵顔に戻っていた。

 

 一連の奇妙な行動は、さっき主人に告げられた代役の務めが理由だった。

 

 人物が入れ替わるということはそう簡単な話ではない。加えて常に互いが側にいない状況なのであれば入れ替わる(たび)に情報の共有をしなければならない。もし伝達に齟齬や漏れがあれば、余計なトラブルや失敗を招く要因になる。そのため少なくともアインズは向こうから接触してきそうな相手とのやりとりを初回の入れ替わりまでに済ませておく必要がある。他にも入れ替わっているあいだにボロを出さないための仕込みは無数にあるだろうが、手間を削れるところは削って少しでも工作活動をしておきたいところだ。

 

 一方でパンドラズ・アクターも冒険者モモンを完璧に演じ切るためにはぶっつけ本番というわけにはいかない。

 少なくとも戦士として振る舞える程度には武器の扱いや鎧姿での運動を体感して、知っておかなければならない。いざ戦闘となったときに自分の得物も碌に取り回せないというのは問題だろう。

 何らかの理由で記憶喪失になったとかなら無理矢理説明は付けられなくもないが、そもそもそれをしたらモモンという偶像を作り上げた意味が薄れる。

 

 近々パンドラズ・アクターは宝物殿を留守にする頻度が増えるはずだ。だが留守を任せる相手に連絡を取ろうとはしない。

 それもそのはず、()り人の代役は置かないからだ。これはアインズから伝えられた決定事項だった。

 

 ナザリックにおいて深層まで誰にも気取られず侵入し、さらには管理下にある特別な指輪が無ければ、独立した領域である宝物殿へ辿り着くことはできない。そして数多の罠を潜り抜けてアイテムを奪取して深層部から脱出。仮にあの弐式炎雷であっても不可能であろうとアインズは判断した。

 

 パンドラズ・アクターは軽く息を吐くといつにもまして上機嫌に作業へと戻った。自らの創造主こそ至上であるとするナザリックに属する者たちの基本原理は、たとえこの奇妙で奇矯な軍服卵顔も例外ではないのだった。

 

 

 

 

 

 

 (ひら)けた平原は視界を遮るものが無く、一望すると周囲に街や村が無いということが分かる。

 向かって一時の方向に薄っすら見える連山が平原を二分し、ちょうどいい目印の役割を果たしている。

 

 大きな街道から外れ、道無き道を闊歩する(たくま)しい脚。大きく頑強な蹄は多少の荒れ道など意にも介さず、一定のペースを保ち続けている。

 その馬車は一見すると実にアンバランスであった。

 

 二頭立ての馬の立派なことといったら、戦場を駆る貴族であれば思わず感嘆の吐息を漏らしたかもしれない。精強でありながら長時間の走行をも苦にしない長距離移動に適した馬であり、特に広い国土を何かと馬車で移動することの多い貴族にとって優れた馬を選別し所有することは実利であると同時に対外的な力の主張という意味もある。

 それほどの馬が引いている幌車はお世辞にも立派とは言えない。穴こそ空いてはいないものの、使い込まれた年期というより単に碌な手入れをされていない薄汚れた色味をしている。木組みされた荷台にあたる部分も、木の表面がささくれ立たないように最低限の処理がされているくらいで、貴族の馬車によくある煌びやかな装飾とは無縁だ。

 要するに一言で表すなら、ボロい。それも馬が可哀想に見えてくるくらいにみすぼらしいとさえ思えるほどに。

 

「うわぁ、またギシギシいってるよ。大丈夫かなぁ」

「だーいじょうぶだって。アウラは心配性だねぇ」

 

 馬車に乗って何度聞いたか分からない軋む音。苦いものでも食べたような表情を作った闇妖精(ダークエルフ)の少女は耳を塞ぐジェスチャーをする。隣では似た容姿ながらまるで違っておどおどとした様子のこれまた闇妖精(ダークエルフ)の子供が不安そうな顔をしていた。

 

「セバス様とともに会った人間から入手致しましたが、本当にこれでよかったのですか? 馬は多少マシなのを選び……それでもタカが知れてはいますが、荷車自体がこれではあまりにも……」

 

 批難する訳ではなく、至高の御方の乗り物として相応しくない。当然過ぎる言葉を呑み込んだのは長い金髪の先をカールさせたメイド、ソリュシャン・イプシロン。

 王都においてセバスとコンビを組んで潜入していた。その際の設定は大商人の令嬢、性格は我儘にして世間知らずというものだ。

 

 だがいまの彼女にその面影は(ごう)ほども無い。遠慮がちながらも上げた声には心底からの思いやりと敬意が込められていたからだ。王都での彼女を知る者が見れば、他人の空似と思うくらいの別人ぶりだ。

 服装による印象も大きい。王都では基本的に地味なワンピース、外に出るときにはスタンダードなドレスを着用していた。

 それが胸元の大きく開いた改造メイド服、マイクロミニスカートの下から伸びるガーターベルトが惜しげも無く晒され、膝から下には全身鎧(フルプレート)から()いで持ってきたような銀灰色の反射を返す金属製の脚甲。

 何よりまるで光の無い、死んだ魚を彷彿させる黒々とした目には一切の希望と呼べるものが無く、およそ正気を保った人間ができるものではなかった。

 

「いいのいいの。アイテムの馬車だと悪目立ちするでしょ」

 

 魔法道具のひとつである動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)はゴーレムの馬車に変化させて乗ることができる。冠した名称のくせに高い戦闘力を誇るわけではないのだが、ゴーレム馬は長距離を移動するのに最適と言える。

 

 何しろ動力の疲弊を全く気にする必要が無いので、その気になれば常にトップスピードを維持して走ることが可能だ。さらに馬自体の食料や水といった補給を抱える必要が無い。

 

 

「もうしばらくで見えるかな」

「そろそろかと。ツアレ、地図を」

「はい、セバス様」

 

 水を向けたぶくぶく茶釜に応えるように、セバスは王国で入手した地図を広げる。置いた指はナザリックを起点にやや南下し、東にある山岳地帯を回り込む。

 右手には山が(そび)え立ち、小高い丘を進んだ先には視界を横切る水平線。地図によれば、これは巨大な湖だ。同じ湖と言っても、蜥蜴人(リザードマン)の集落付近にあったひょうたん型のものとは規模が段違いだ。面積にしてリ・エスティーゼ王国のおよそ半分程。深さについては判然としないが、あまりの大きさのため容易に調べることはできないだろう。地図に記載されているのが表面積の平均と考えれば、雨量が多いときにはさらに大きくなるはずだ。

 

「湖が見えたら、ある程度距離を維持したまま東に進むよ」

「かしこまりました」

 

 これだけの規模の湖であれば、隣接するほどの周辺に街を作るとは考えにくい。地震や地下水の浸食によって地盤が緩めばまるごと飲み込まれるリスクが出てくる。

 最悪左手に広がる山脈を越えるという手もあるが、馬車で進める山道(さんどう)は期待できそうにない。馬車は最悪馬ごと放棄することもできるが、ロッククライミング同然の山登りはただの人間には(つら)いだろう。魔法で飛んでいくならばその問題は解決できるが、術者の負担が(かたよ)り過ぎるのはよろしくない。

 

「ぶくぶく茶釜様、何かお気になることでも?」

「ああ、いや大したことじゃないよ。まあのんびり行こう」

「のんびり……あ。ぶ、ぶくぶく茶釜様。あの、もし良かったら、えと……ひぃ!」

 

 もじもじとした態度に痺れを切らした姉がパシンと尻をはたく。いつものこととはいえ、責めるようなジト目には怒り半分呆れ半分の感情が揺れている。

 

「はきはき喋りなさいよ!」

「わ、分かったよぉ……。その、のんびりでいいなら『みずうみ』に行ってみたいなって。ダメ……ですか?」

 

 (うる)んだ上目遣いはもはや凶器だ。特にこれを狙ってないあたりが末恐ろしい。

 

「セバス、やっぱりそのまま直進で」

「かしこまりました。往路も中頃でしょうから、そこで御者を交代致しましょう」

 

 わずかに笑みを浮かべてそう告げると、セバスは幌から身を乗り出して御者へ進路を伝えた。




資料感覚で原作読むとそのまま没入してしまって困りもの。

2018/11/10 行間を調整しました。

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