オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第7章 悲運の竜王
第61話 立ち上がる者たち


 空は晴天。陽の上がった日中はまだ陽気を感じさせるが、夜には冷え込みが厳しくなり体調を崩す者も珍しくはない。

 

 季節は秋から冬へ向かおうとしていた。

 

 夜闇に煌々とした火柱が立った日。数々の悪魔を引き連れた魔皇ヤルダバオトによる襲撃事件はまだ人々の記憶に新しい。

 撃退作戦に直接関わった者たち、主に第三王女ラナーと貴族レエブン候の手配で集められた冒険者たちだが、彼らはあの戦いが絶望から始まったことを知っている。この平和をいつまたあの悪魔が現れてめちゃくちゃにしてもおかしくないことを知っている。

 同時に、心のどこかでヤルダバオトはもう現れないのではないかという気持ちがあった。

 

 危険な敵に近付きたくはない。それは悪魔であっても、恐らく似た考えを抱くだろうから。

 

 残された爪痕は大きくはないが、決して浅いものでもなかった。

 誘導がうまくいったお陰で、民間人に死者が出なかったことは大きい。反王派の貴族もこれでは追及できず、落命した者はすべてラナーとレエブン候が手配をかけた冒険者だ。命の危険があることも事前に説明していたことは王都冒険者組合長の証言があるため覆す余地も無い。

 そして救助活動の先頭を切ったのはクライムだ。彼がラナーに仕える者という情報とともに、民のラナーに対する評価と人気は元々高かったものがさらに高まることとなった。

 

 決戦の場となった広場を中心に、建物や舗装路は撤去作業と再建が進んでいた。多少の炎にさらされても煉瓦に決定的な傷みは無い。だが柱や壁の一部が破壊された建物は多かれ少なかれ倒壊の危険がある。恐怖を呼び起こす痕跡を残すよりは、いっそ綺麗に建て替えてしまおうという案が出たのだ。

 

 資金については復興支援を募ったところ、貴族を中心にあれよあれよと集まった。非協力的な態度を取れば反王派であることが浮き彫りになるうえ、王都における評判が地に落ちるのは疑いようがなかったからだ。疑惑の眼を向けさせないためには金を出すしかない。

 

 潤沢な資金は建物だけではなく、避難した者たちの生活費にも充てられた。

 失った家は建て直されるということもあり、実質的な損害の無い民から不満の声が上がろうはずもなかった。

 

 街の巡回を兼ねて目にした復興の様子を報告し終わると、クライムはいつもと同じように無言で主人の言葉を待った。

 開いた窓べりに佇む黄金姫ラナーの長い髪が揺れる。景色の奥の方では灰をなすりつけたような暗雲が渦を巻いている。

 

「順調であれば良いのですが、まだ油断はできません」

 

 警戒を強める比喩のようにラナーは窓を閉めると振り返った。微かな憂いを帯びた目は彼女の純粋さを映したような澄んだ青。

 いつになく凛とした表情のせいだろうか、クライムは自身の内に熱いものを感じる。跳ねた鼓動を覆い隠してくれているような気がして、強固な全身鎧(フルプレート)の慣れた重みがありがたかった。

 

「どうしたの? クライム」

「はっ! い、いえっ!」

 

 今度はさっきと違う理由で心臓が跳ねた。気が逸れた瞬間に質問されたため慌てて変な返事をしてしまった。

 ラナーの側にいるときに他のことを夢想するなど以ての外だが、考え事がラナーに関する内容となれば別だ。

 というのもラナー自身は誰に相談するでもないのだが、長年近くにいるクライムからすると少し引っ掛かる雰囲気があった。

 何か悩みがあるような様子だったのだ。

 

 自分があまり差し出がましいことを言ってよい立場ではないと理解している。詳しくはないがもし聞いてみて女性特有の問題だったら気不味いなどというものではない。故に、立場としても男としても静観が無難な選択だろう。そのくらいはクライムにも分かる。

 だが己が主人が思い悩むことに、本当に何一つ力になれないのだろうか。夢見がちな可能性を徹底的に潰して、現実に残された選択肢を堅実に取る修行方法を続けてきたクライムだからこその思考論理。

 可能性が存在する限り、とことん諦めない。諦められる訳が無い。なぜなら自分はこの黄金たるラナーの臣下なのだから。

 

 とはいえ大胆に切り込むのも気後れする。震えそうになる声を慎重に張った。

 

「ラナー様、ここのところ何かお悩みではないですか?」

「悩み?」

 

 第三王女とはいえ、王族に悩みの一つや二つ無いはずがない。ラナーもまた例に漏れず、それを口にするべきか否かを思案するように視線を滑らせる。止まった視線の先には化粧台。ラナーが日頃から愛用しているものだ。大きな三面鏡は曇りひとつ無く磨き上げられている。

 

「さすが、クライムね。気が付いたのはあなただけだわ」

 

 今度は面頬が欲しくなってきた。クライムにとってはラナーから発される全てが黄金にも等しく価値のあるものだ。側で過ごしてきた時が築いた信頼を感じられることは幸福だ。たとえそれが永遠に主従の関係であったとしても。

 

 そして長年弛まず凝縮してきた忠誠心は、悩みがあるという主人の言葉を聞き流せるはずもない。

 

「いえ、正確に言うとね、答えは決まっているの。でも踏ん切りがつかないだけ」

 

 決まりが悪そうに、儚げに浮かべた微笑みには自嘲が含まれている。

 

「わ、私に出来ることがあるなら」

 

 笑顔の裏側ではどれだけの心労を抱えていることか。力の伴わない言葉が虚しいことは理解しているが、主人のために何かせずにはいられない。そんな思いからほとんど反射的に口が出ていた。

 ラナーはキョトンとした目をこちらに向けている。慌てたせいで妙に早口になってしまったのがまずかっただろうか。

 

「ありがとう、クライム」

「わたしは何もしておりません」

「いいえ、貴方にはどれだけ感謝してもし足りないわ。私が本当に欲するものをくれるのは、いつも貴方だもの」

 

 ときにラナーは不可思議な言い回しをする。謎めいた言葉の裏に張り巡らされた真意は常人には紐解けないか、できたとしても長大な時間を必要とする。天才が凡才に理解されないのはよくあることであり、秀才には理解を拒まれるのだ。

 ラナーから見れば兄にあたるザナックに言われた言葉が頭をよぎる。

 

『あれは化け物だ────』

 

 

 何をバカな。立場上声を荒らげることはできなかったが、それでもささやかな反論をしてしまった。兄妹ゆえの蔑視、従者ゆえの贔屓目と言われれば否定はできない。それでも、化け物などとはラナーの対局にある存在、先日王都を襲撃した()の悪魔にこそ相応しい呼びだろう。

 

「これから忙しくなります。クライムにも手伝ってもらうから、覚悟しておいてね?」

「はっ」

 

 覚悟ならとうにできている。どんな手伝いであれ、ひとたび主人から発されればそれは至上の下命なのだ。たとえ戦士が普段決してやらないような仕事であっても、全力で完遂するまでだ。

 意気込みを伝えるべきかクライムが逡巡していると、扉をノックする音が聞こえた。

 

「失礼致します。ラナー様、レエブン候がお見えです。いまは別室に」

 

 レエブン候といえば先の魔皇事件の際、冒険者集めを中心に尽力した六大貴族の一人だ。貴族が王派と反王派の二極化しつつある中、どっち付かずな態度と良くも悪くも広い交友関係は影でコウモリと揶揄されることもあるが、ラナーの力になってくれたという点においてクライムは感謝していた。

 その彼が今日は何の用件だろうか。

 

「分かりました。すぐに向かうからお茶をお持ちして。それじゃクライム、引き続きお願いね」

「はっ。では、失礼致します」

 

 外から集めた冒険者たちはそれぞれのホームタウンへと足早に戻る者が多かった。それを見計らっていたのか、ラナーからは市街の見回りと、孤児がいないかの確認を命じられている。

 

 レエブン候の来訪を伝えにきたメイドにも頭を下げ、迷うことなくクライムは歩を進める。

 民間人の死者がいなかったとはいえ、一連の騒ぎに恐怖感を植え付けられた人々がいないわけではない。王都から逃げ、地方都市へ移住する家もあるだろう。ひどいケースではどさくさに紛れて親だけが行方をくらますこともある。残されるのは大抵自活能力の乏しい子供たちであり、ストリートチルドレンになったり奴隷商に連れていかれたり、あるいはそのか細い生命(いのち)を削り果たしてゴミのごとく路傍の屍となる。

 彼らのことをクライムは他人事と思えない。それこそ、ラナーに出会わなければ自分がそうなっていたのだから。見付けた場合は保護するのだが、いまは神殿へ連れていくくらいしか対応方法が無いのが実情だ。

 

 受け入れ先の孤児院設立を検討中とラナーは言っていたが、対ヤルダバオトのために決して少なくない額を使ったいま、子供たちを受け入れるに足る施設立ち上げの余裕があるかは疑問が残る。

 ヤルダバオトのために冒険者を集めたのは悪手ではなかった。その結果民間人に被害が及ばなかったのだから、むしろ打てる中では最善手だったはずだ。それでもクライムは胸中にかかる暗雲を払えなかった。

 即物的な考えだが、王族も戦士も子供も生きていくにはお金がいるのだ。

 

 ラナーの名誉を傷付けず、金銭的な問題を解決する都合の良い方法など、あるはずがない。

 クライムにできるのは情に溢れるラナーの行いを地道に広めることくらいだ。話を聞いた貴族の中には、ひょっとすると感銘を受けて協力や援助を申し出てくれる家があるかもしれない。

 ラナーとて無策にクライムを動かしているだけということは無いはずだ。ならば従者たる自分は主人を信じて動くより他に無い。

 

 誰に急き立てられたわけでもないのに、足は自然と早くなった。

 

 

 

(やれやれ、まったく余計なことをしてくれたものだ)

 

 内心のイラつきはおくびにも出さず、城内を歩く男がいた。整ったといえる顔立ちに、正装ではあるのだがやや華美な服装は内面の(いか)しさを映している。

 悪魔の襲撃を受けたというものだから、うまく立ち回れば発言力をさらに高めることができるかと期待していたのに。

 普段は愚かな民衆の相手をしているばかりの小娘が、よりにもよって六大貴族であるレエブン候を抱きこんで解決の采配を振るったという。

 

 色白痩躯に薄い唇、切れ長の目は蛇を思わせる男。無策で手を伸ばせばたっぷりと猛毒を滴らせた牙に噛み付かれる。

 

 特に得るものも無いというのに王からは復興支援の供出を求められた。今日の宮廷会議も表向きは悪魔ヤルダバオトに対する警戒と復興支援案が議題だったが、要するに一にも二にも資金ありきの話であり、人道上必要となれば誰でも異を唱え辛いのは当たり前だ。

 

 もっとも、水面下で貴族の派閥が割れているのはよほどの地方貴族でもない限り誰もが知っている。『無い袖は振れないが、血を絞る思いでどうにかこれだけ』とでも言えば王も無理強いはできまい。

 

 ひとまず返答は持ち帰りとなったが、貴族同士で談合したうえで供出額を決めることになる。

 全員の負担なのでパワーバランスを欠くことは無いだろうが、見返りを期待できないのはあまり気分のいい支出ではない。

 

 早く宿に戻って他の貴族へ打診をしなければならない。こうなったらせめて値決めをして主導権を取らなければ。

 

 一分一秒でも惜しい状況だが、その歩みはむしろ緩やかでさえあった。

 余裕の無い態度を晒すことはのちに傷となる。そしてもうひとつの理由は、正面に見える角から現れた二人の人物だった。

 

「ではその未発掘の────あら」

「これは、ラナー様。本日もご機嫌麗しゅう」

「ようこそおいでくださいました、ブルムラシュー候。連日のお呼び立てでお疲れでしょう」

「王国の危機に奔走するは貴族の本懐。何の疲れがありましょう。会議が終わってすぐに飛び出していかれたレエブン候には誰もが感嘆しておりましたが……こういうことでしたか」

 

 軽い皮肉をこめた言葉と視線を投げてみるが、微笑を浮かべながら眉ひとつ動かさない表情はその心に何の波風も立たなかったことを示している。やはり六大貴族、駆け引きの経験値は伊達ではない。

 

「はは、ラナー様のお呼びとあらば(けい)を含め私を責められる者はおらぬでしょう」

「違いない。ではラナー様、私は復興支援の手配をしなければなりませんので、失礼させていただきます」

「ええ、ご機嫌よう」

 

 すれ違い、背を向けたままでもブルムラシューの意識は耳に集中していた。

 今回の影の立役者二人の会話から得られる情報は貴重だ。特にさっき挨拶をする前に確かに言った。「未発掘の」と。

 

 

『エ・ランテルの北北東ですか……』

『いま兵を動かすと民の不安を煽るだけです』

『ヤルダバオトと関係があるのかしら』

『やはり、いまは置いておきましょう。時間を掛けて調査を────』

 

 

 間違い無い。二人が話していたのは遺跡の類いだ。未発掘の遺跡といえば、埋蔵された金貨銀貨やアイテムが見付かることも多くあり、当たりを引けば一攫千金も夢ではない。

 それはレエブン候も知っているはずだ。だが目先の得を取らないのは、王国内に回せる手が無いからなのだろう。私兵を使おうにも王国はヤルダバオトという脅威を結果として逃している。一人でも多く自領の防備に回したいと考えても何ら不思議ではない。

 

(手が無いのは他の貴族とて同じか。だが私は違う!)

 

 手順を組み立て、掛かる時間と日数を見積もる。そして空振りだったときの次善策も。それらを踏まえて出した結論は、ローリスクハイリターン。

 そんなうまい話が無いのは貴族に限らず庶民ですら知っている。

 

 だが今回は違う。魔皇ヤルダバオトという最大級のイレギュラーがいるからだ。

 もっとも手をこまねいていればリターンの見込みが目減りするのは間違いない。どの勢力も保身寄りの警戒で亀のように閉じこもっているが、ひと月ふた月ほど何事もなく過ぎれば日常へと回帰する。誰もが嵐を恐れているいまだからこそ、自由に動くことができるのだ。

 拍動の高まり、沸き立つ気持ちは表情に出さない。賭けの配当を手にしたときこそ笑うべきだからだ。

 

 

 

「あれでよかったのですか?」

 

 窓ガラス越しの眼下には四頭立ての立派な馬車が王宮を離れていく。

 

「ええ。ご協力ありがとうございます」

 

 いつもと変わらぬ微笑を浮かべるラナー。そこには計略に対する不安や期待といった感情を何一つ見出すことができない。修羅場をくぐったのは一度や二度ではないと自負していたが、冷や汗が浮いて背中を痺れが走る。この女の笑顔は仮面のようなもの、固定化された表面上だけの偽りだ。かつて見た、断絶した世界に何の期待もしていない目。あれこそが彼女の本質にもっとも近い。

 一見すると世間知らずで人懐っこい印象さえ受けるが、彼女にとってはそれさえも『その方が都合が良い』という合理的かつ自然的選択でしかないのだ。真実を知ってしまった以上どんな表情と態度を作っていても、それが感情豊かで人間味に溢れるものであればあるほどに、本質と乖離した不自然で歪なものにレエブンの目には映る。

 

 自身と第二王子であるザナックしか知り得なかったはずの六大貴族ブルムラシュー候の裏切りを、どういう訳か籠の中の鳥は当然のように知っていた。それも当てずっぽうではない確信を持って。そうでなければ遺跡をネタに使った罠など意味を成さない。

 これは獲物が利己的な欲に走ってこそ肝へ届く刃になる。

 

 ラナーの言っていた通りの地理なら自領ではないうえ、仮に遺跡の発見を王家に報告したところで得られるのは忠臣と言う名の名誉だけだ。金貨一枚さえ惜しいこの財政難では国が主導で探索を行い、おいしいところは全部持っていってしまうだろう。

 六大貴族として、王の臣下としてはそれが正しい。ヤルダバオトの一件で人同士の不和が解消されないかと淡い期待を(いだ)いていたが、愚かな連中は国が割れるまで小競り合いを続けるつもりらしい。あるいはどちらかがいなくなるまでか。

 

「手回しが早ければ二十日余りといったところでしょうか」

「問題ありません。触れを出しておけばそこに合わせてくるでしょうから、二ヶ月といったところかしら」

「かしこまりました。ところで、それまでに(くだん)の遺跡に何者かが入る可能性は無いのでしょうか。よろしければ私の私兵を警備に回しますが」

 

 アウトロー組織を筆頭に、遺跡の盗掘は後を絶たない。古い金貨や武器防具、中には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に代表される高い知能をもったモンスターが保有している魔法道具(マジックアイテム)など、相応の危険は伴うがそれでもなお大当たりを引いたときは垂涎もののリターンが見込める。

 ハメる相手はあのブルムラシュー候だ。金に汚いという噂もあるが、盗掘に遭って財宝の枯れた遺跡と分かれば入り口周りの調査程度で終わり、などということにもなりかねない。

 

「その必要はありません」

「では、偽装ですか」

 

 考えていたもう一つの可能性をレエブン候は口にする。完全にゼロからダンジョンを作るのはコスト的にも時間的にも不可能だが、すでに主のいなくなった洞窟などがあれば再利用はできる。トブの大森林に近いロケーションということもあり、使えそうな場所があってもおかしくはない。

 そこそこの手練れを雇う可能性は高いため、ダンジョン攻略経験のある者の目を欺くにはガラス玉では難しい。本物か、精巧に作られたイミテーションでなければ罠であることを易々と看破されてしまうだろう。

 

 それらを用意するには腕の立つ、それでいて口の堅い職人の確保が必要不可欠だ。本物を使うよりはマシかもしれないが、決して安くない金が掛かる。さらには現場への配置といった人手も必要だ。いくら王族といえど、実権も握っていない第三王女に工面できる額とは思えなかった。

 

「遺跡については何も準備はいりません。それよりむしろ配下の方々を決して近付けないでください。巻き添えでレエブン候にいなくなられると困ってしまいます」

 

 何の冗談だと思いつつも、レエブン候の笑顔は引き攣っていた。ラナーの話し振りは極めて自然体であり、いまの言葉をこの女は脅しでも冗談でもなくただの事実として言い放ったのだ。

 

「……かしこまりました。では、私は領内外への知らせも必要ですので失礼致します」

 

 何故、という言葉を飲み込んで(うやうや)しく頭を下げる。

 ラナーは常人の理解を超えている。彼女が必要無いと判断して情報を伏せているのであれば、下手に手を出すことはできない。それがレエブン候の判断だった。

 

 

 

 

 

 

 各地方都市には周辺の領民がそれぞれの村から主に物の売り買いを目的として訪れる。村では手に入らない品々をまとめ買いすることも多いため、共同所有している馬車で往来する者は珍しくない。

 

 思いがけず騒ぎになりかけた検問を抜けてやっと一息つくことのできたエンリ・エモットもその一人だ。

 

(はあ、やっぱり持ってくるんじゃなかった……かな?)

 

 騒動の発端はポケットに入れていた魔法の角笛。村を救ってくれた偉大な魔法詠唱者(マジックキャスター)、アインズ・ウール・ゴウンから与えられたものだ。これで呼び出されたゴブリン部隊はエンリを主人として、その身を危険から守る。そのお陰で村からエ・ランテルまでの道程を他の護衛を付けずに往き来できるのだ。村の人手不足やコストの面でこれは非常にありがたい。王都方面と違って同道させてもらえそうな商団が近くを通ることはカルネ村ではまず期待できない。

 

 手を離すと失くしてしまいそうで、ポケットの中の角笛をいじる。

 魔法によるチェックにこれが引っ掛かったところまではまだよかった。問題はその値打ちだった。

 

 金貨数千枚。途方もなさ過ぎて想像すらできない値を検問所付きのしわがれた声の魔法詠唱者(マジックキャスター)は口にしたのだ。当然、他の警備の者たちも一気に緊張が高まる。こんな普通の村娘が何故、と。

 その思いはエンリとて同じだ。いや、その目玉が飛び出るほど貴重な品を自分が使用してしまった事実の分だけエンリの方が困惑の度合いは強かった。数千枚などエモット家の収入源である薬草をどれだけ集めようとも到底届く金額とは思えない。

 調べれば調べるほどエンリはただの村娘だ。顔も不細工ではないが傾国の美女というわけではない。身の丈にあっていないアイテムを所持している理由を問われ、もらったと訴えても普通は嘘を吐いていてどこかから盗んだのではないかと考えるのが自然だろう。

 しかも都合の悪いことにその場で真実を証明する手段が無い。

 

 村に滞在していたナーベがアインズの弟子とは聞いているが、彼女に証言してもらうにしても角笛をエンリに渡したことを聞いているのかは未確認だ。最悪、師匠の持ち物であるはずの角笛を何故エンリが持っているのかと泥沼になりかねない。そもそも彼女はもう村にはいないのだ。

 かといって我が身の潔白を証明したいがためにわざわざアインズに来てもらうなども論外だ。恩人にさらに迷惑を、それももらったアイテムが原因でトラブっているので助けてくださいなどと口が裂けても言えるはずがない。たかが村娘一人のために来てくれるとも思えないが。

 

 絶望の淵に立たされていたエンリに一条の光が差した。それは検問の順番を待っていた冒険者、漆黒の全身鎧(フルプレート)と背に交差させたグレートソードが特徴的な男だった。以前ンフィーレアの護衛としてカルネ村に来たことがあり、エンリは知らなかったがとても影響力のある人物らしい。一緒に席を外した検問官が戻ってくるなり都市内へ入れてくれたのだ。

 

 礼を言おうとしたが辺りに人影は見付からなかった。道行く人々が多いわけではないのに。

 闇雲に人探しをするわけにもいかない。お礼の言葉を伝えられなかったのは残念だが、エンリもここへ遊びに来たのではないからだ。

 次会ったときには必ず言おうと決めて馬車を進めた。

 

(……あれ?)

 

 エ・ランテルには何度も足を運んでいるが、いままでにない違和感があった。往来の人々がなんだか少ない。

 人影が無いわけではないが、いつものざわざわした賑わいが無いように感じられた。

 少し気になったとはいえ、そういう日もあるのだろうと結論付けるとエンリは通り慣れた道を進んだ。

 

 幅の広い道を活用して、様々なジャンルの露店が並んでいた。野菜や果物、編み籠などの日用品から精緻に作られたアクセサリーといったものまで、カルネ村では見かけない品々を目にすることができるのは役得と言えるだろう。

 そんな中で、エンリはごくりと生唾を呑み込む。原因はさっきから鼻孔をくすぐっていた匂いが鮮烈さを増して、嗅覚だけでなく視覚と聴覚からも彼女を攻めたててきたからだ。

 

 串焼き肉の食欲を誘う匂い、鉄板でジュウジュウと新鮮な野菜が焼ける音、ここから通るゾーンは飲食系の屋台が集中しているのだ。

 

 気持ちが緩んでしまわないように口を引き結び、いまにも鳴りだしそうなお腹を押さえる。何かあったときのために最低限必要なお金は持ってきているが、商品を積んだままの馬車を停めて買い食いなんて真似はさすがにできない。道が広いとは言え迷惑だろう。いやそういう問題でもないのだが、何かしら止まらない理由付けをしておかなければフラフラと引き寄せられてしまうだけの誘惑がそこにはあった。

 何しろ日帰りするためにカルネ村を出たのは陽が昇るのと同時で、もう結構な時間が経過している。どっちみちエ・ランテルで昼食は確保する必要があったため、普段口にすることの無い料理に目が行くのは仕方が無い。人間、誰でも腹は減るのだから。毎日乗る訳ではない、それも村から借りている馬車に何かあってはいけないと緊張していたことも地味にストレスが掛かっていた。腹に沿えた手から狼の唸り声のような振動が伝わる。もはやストレスの代償行為なのか単に空腹なのかはエンリ自身にも分からなくなっていた。

 

 

 

「こんにちはー。カルネ村から来ましたー」

「はいはい。ちょっと待っとくれ……ああ、エンリちゃんかい」

 

 戸口からの声に少し遅れて、奥から小柄な老婆が姿を現わす。リイジー・バレアレ。エ・ランテルの冒険者で知らぬ者はいないとまで言われるポーションの名店バレアレ商店の店主であり、先日カルネ村に移住してきたンフィーレア・バレアレの祖母にあたる。

 

「荷下ろしするので裏に回しますね」

「済まないね。鍵開けとくよ」

 

 

 裏手には先回りしたリイジーが待っていた。馬車を停めて、荷台に置いてあった木箱を先に運び込む。

 

「これはそっちの机でいいですか?」

「ああ、空いてるところへ置いておくれ。その木箱、またンフィーが新しいのを作ったのかえ?」

「そうです。それと、この前持ってきた分の鑑定結果をもらってきてほしいって」

「持ってくるから待っててくれるかの」

 

 リイジーを待っているあいだに荷を下ろすことにした。今回運んできた薬草はニュクリが二壺とアジーナが三壺。最近の収穫量からすると比較的少ないが、これには理由がある。採れた薬草の半分以上はカルネ村のンフィーレアが新薬開発のために買い取っているのだ。少量ながら従来の品も作っており、瓶詰めしたポーションは薬草壺よりスペースを取らないため一緒にリイジーの店に運び入れている。そして帰りは(から)のガラス瓶を積んでいく予定だ。

 

「よ……っと」

 

 合計五壺と従来のポーションが詰まった木箱二つを運び終わる。腕に疲れを感じなかったことはエンリを複雑な気持ちにさせた。随分と力が付いたものだと思う。

 薬草採取だけではなく畑での農作業や井戸からの水汲みもする以上、必然的に身体はそれなりに鍛えられる。肉体的な疲労感が減ること自体はいいのだが、うら若き女として筋力が増強されてもあまり嬉しいものではない。

 

「あったあった。待たせたの。おや、もう運び終わったのかい。重かっただろうにご苦労様」

 

 いえ、割と軽かったです。とは言いたくない。凹むことを言わないでほしい。

 

「これが前回の分じゃ。向こうで買い取った薬草の詳細はこれかの」

 

 机の上に置いた羊皮紙とは別のものを二枚、木箱から取り出す。一枚はンフィーレアへ卸した薬草の種類と壺数の詳細が書かれている。リイジーから受け取る代金は薬草壺の分に加えてンフィーレアの作ったポーションの原料費と輸送費が足されたものになる。薬草の原価はともかく輸送費の相場などエンリには分からないため、その辺りは長年の付き合いということもあり信頼して任せている。

 

 もう一枚の羊皮紙には新しく作ったポーションの説明が書かれているのだろう、リイジーが木箱から取り出し並べた小瓶と見比べている。

 隙間に乾草を詰めておいたお陰で割れたりはしていない。最初は緩衝材無しでもびっちり詰めておけば大丈夫だと思っていたのだが、店での売価をンフィーレアに聞いて血の気が引いた。値幅はあるものの金貨一枚以上の品が珍しくないと言う。もし運搬途中に割ってしまったら、謝って済む問題ではない。

 

 いくら見知った間柄であっても、検品まで手伝うことはできない。職人の顔で小瓶を()めつ(すが)めつチェックしているリイジーの邪魔にならないよう、嗅ぎ慣れた薬草の匂いを感じながら室内をぐるりと見渡す。

 棚の中には分量を計るための器具やビーカーが並んでおり、いかにも錬金術師の工房という雰囲気だ。整頓されてはいるが隅々まで掃除をしているという様子でもない。埃っぽくないのは何かと作業のときにこの部屋を使っているからだろう。

 

「むう……」

 

 よほど念入りに調べているのかリイジーの額にはいつの間にか玉のような汗が浮かんでいる。

 ンフィーレアがカルネ村に移住したことで、この店の従業員はリイジーだけのはずだ。そこそこの時間が経過したが、そのあいだ表は無人ということになる。大丈夫なのだろうか。カウンターから声を掛ければ聞こえそうではあるが、中には誰もいないと思って帰ってしまうお客さんもいるのではないだろうか。

 だとすると儲けを逃す遠因が自分のような気がしてきて、そわそわしてしまう。

 

「よし。代金を持ってくるからちょっと待ってておくれ」

「あっ、あの、表はいいんですか? お客さんが来ても帰っちゃいませんか?」

「治癒のポーションが売り切れと知れたらぱったり閑古鳥さね。他のを買いに来た客なんて片手で数えるほどしかおらんかったわ」

 

 からからと笑うリイジーに切羽詰まった空気は無い。客が来ないというのは商店としてマズい気がする。売り切れたのであればトータルの収支は黒字ということなのかも知れないが、流石にそこまで踏み入った質問は憚られる。

 

 受け取ったお金を革袋へ入れ、しっかりと口を縛る。これはエモット家だけではなく、一部は村のお金でもあるのだ。特にンフィーレアのポーション運搬料によっていままでよりも多くなっている。万にひとつも落とす訳にはいかない。

 

「さて、支払いも済んだことじゃし、ンフィーにひとつ言伝を頼まれてくれんか?」

「はい? それはいいですけど……その荷物は?」

 

 担いできたのは大きな背負い箱だ。留め具を外して開いた中は頑丈そうな木で格子状の骨が組まれている。

 リイジーは木箱から取り出したポーションを次々と収納していく。格子は瓶を固定するためのものでもあった。

 

「ああ、伝言というのがこのことでな。店を開けていても暇じゃし、しばらく休業にして観光がてらに売り込みに行こうかと思っての」

 

 リイジーによると、今日エンリから仕入れた薬草で作るポーションのほとんどは冒険者組合に納品するらしい。休業中にどうしてもポーションが欲しいという顧客のための救済措置とも言える。予定では二週間ほど留守にするそうだ。

 

「もし薬草が充分採れるなら、冒険者組合にでも持っていってみるとええ。あそこなら仲買もしとる。ウチとの取引実績があることを出せば安く買い叩かれることも無かろうて」

「ありがとうございます。ンフィーが持て余すようならそうしますね」

 

 バレアレ商店の看板を笠に着るようで気後れするが、エンリも生活がかかっている以上選べる手段はなるべく多く確保しておきたい。

 

「ところで、売り込みにってどこへ行くんですか?」

「なんじゃ、てっきり知っておると思っておったよ。ちょうどいい、冒険者組合へ行ってみたらどうじゃ? あそこなら掲示があるじゃろう」

「分かりました」

 

 元々カルネ村への移住者募集のため冒険者組合へは立ち寄るつもりでいた。恐らくリイジーはこの後薬草の加工などで忙しくなるだろうから、説明を頼むのも心苦しい。

 空瓶の詰まった木箱を入れ替わりで荷台に積み込み、バレアレ商店をあとにした。

 

 信用のおける宿に荷馬車を預け、貴重品は持ち出した。お金と例の笛くらいしかないので嵩張りはしないが、どちらも冷静に考えると目が眩むような価値がある。特に魔法の角笛は文字通り桁違いの値打ちに加えて命の恩人から与えられた物だ。検問所でのやり取りを誰が聞いていたとも限らない状況では迂闊に手元から離すこともできない。

 

 冒険者組合への道は大通りを進むためさほど迷うことはない。遠目に目当ての建物が見えてきた。同時に、以前来たときには無かった立て札の前に数人の冒険者らしき者たちが集まっていた。ちょうどタイミングよく彼らは冒険者組合の中へ入っていった。誰もいないなら邪魔にもならないかと思い、エンリも何となく立て札を眺めてみる。

 

「もしかしてリイジーさんの言ってたのって、これ?」

 

 右下には発起人兼主催として第三王女の印が押されていた。

 

 

 

 

 

 

「剣闘大会ですか」

 

 ゆったりと座れる長ソファーに腰を下ろしたアダマンタイト級冒険者モモンの言葉に、冒険者組合長プルトン・アインザックはいつにもまして重みを感じさせる雰囲気で首肯した。

 出された茶菓子を我関せずといった雰囲気で頬張っているレジーナの反応は待たずに話を続ける。

 

「ああ。もうあちこちで話題になっているので聞いているとは思うがね」

 

 国が主催する剣闘大会。それが最近世間をにわかに騒がせている。かつて行われた御前試合の優勝者ガゼフ・ストロノーフが王国戦士長の地位を得たことは有名な話だ。腕に覚えのある者は彼のような出世を夢見ていたり、あるいは自分の実力を試す場として、様々な思惑の元に注目が集まっていた。

 

「ええ、もちろん耳に入っていますよ」

「うちに登録されている冒険者の多くも出場のために王都への移動を開始しているが、モモン君は行かないのかね」

「依頼がありますので」

 

 凄腕の剣士と聞いて『漆黒』のモモンを連想しない者など、このエ・ランテル界隈ではまずいないだろう。だが当の本人はただ粛々と依頼を遂行するという。きっちりとひとつひとつの仕事を完了させてくれるのは組合としては歓迎するべきことなのだが、反してアインザックの表情には微かな躊躇と、憂いとも言うべきものが含まれていた。

 

「アインザック」

「む……いや、言うさ。すまんな」

 

 話し出す踏ん切りがつかない様子を見るに見かねたのか、水を向けたのは魔術師組合長のテオ・ラケシルだ。組合長という似た立場からこの二人は仕事上の付き合いが多く、プライベートにおいて気の置けない友人同士でもある。

 

「モモン君に……いや、『漆黒』に指名の依頼が入っている」

 

 アダマンタイト級ともなれば指名の依頼は珍しくない。なにしろエ・ランテルでは唯一、王国でもたった三チームしかいない最高峰の実力者なのだから。依頼料が高額であろうとも、それに見合うだけの信用を置いている者は多い。

 

 アインザックの眉間に深く刻まれた皺は、単なる指名の依頼ではないことが明白だった。言いたくはない、だが伝えないわけにはいかない。組合は所属者に対して、依頼に関することで嘘偽りを言うのはご法度だ。誤った情報は対策の漏れや失策に繋がり、冒険者の命を(おびや)かす。難度や依頼の詳細について、組合を通す情報に一定の信頼があるからこそいまの運営システムが成立しているのだ。

 信頼を裏切れば人心は離れ、組合は自然崩壊するだろう。

 

「依頼主は、第三王女。ラナー殿下だ」

 

 冒険者組合の理念を知る者であれば、アインザックの葛藤もやむなしと感じるはずだ。

 

 高い戦闘能力を保有する冒険者。それを擁する冒険者組合は彼らの力が人に向けられることを恐れている。

 そのため人同士の争い事に関する依頼や政治の絡む依頼は基本的に受け付けていない。もし個人的にそういった案件に手を出しているなら、たとえ最高位たるアダマンタイト級冒険者でさえ訓戒では済まない。

 

 本来であれば剣闘大会への招待は『お願い』であって依頼ではない。

 

 それをあえて依頼と称して組合を通してきたのは色々な見方ができる。

 

 アダマンタイト級冒険者であるモモンの所属する組織に筋を通したと見るか。

 それとも政治に対する不干渉を貫いてきた組合に対する牽制、あるいはなし崩し的に組合の態度が軟化するのを狙っていると見るか。

 

 相手の意図が明確でなければ、リスクを警戒するのは当たり前のことだ。

 組合としてはこの依頼を通したくない。冒険者は組合に所属すれども永続的な契約を結んでいる訳ではないのだ。仮に『漆黒』が冒険者を廃業したとしても、元アダマンタイト級冒険者というだけで依頼は寄せられるだろうし専属のボディーガードとして雇いたいという声も上がるはずだ。

 そして彼らを力尽くで引き止めることのできそうな人物はエ・ランテルどころか王国全土を探しても見付かるかどうか。

 

 アインザックの選択は、シンプルだった。

 

「どうするかね、モモン君。私は本人の意思を尊重したい」

「おいプルトン」

「いいんだ、テオ。参加の返答をすれば足の手配はあちらでやってくれるそうだ。不参加というなら適当に理由を付けて拒否しておくさ」

 

 戻ってからも依頼をバリバリこなしているから激戦の傷を癒やすためとは言えないがね、とアインザックはほのかな笑みを浮かべた。

 

「分かりました。受けましょう」

「そうか。では王都側へはこちらで伝えておこう。一週間以内には移動の日程などが来るはずだ」

 

 

 

「良かったのか、あれで」

「仕方ないだろう。こっちとしては最悪籍さえ無くならなければ問題はない。吸血鬼(ヴァンパイア)の一件のときのように心臓に悪い思いをしたいか?」

「やめてくれ。あのときの彼の気迫はいま思い返してもゾッとするよ」

 

 ずっと追っていると言っていた吸血鬼との壮絶な戦い。『漆黒』をアダマンタイト級に押し上げる決定打となった依頼だが、相手への執着はあの紳士的な人物には異様と思えるほどに他者の介在を許さない強いものだった。アインザックもラケシルもその片鱗を垣間見ただけだが、かつて冒険者として培った勘が言っていた。軽々しく踏み込めば取り返しのつかないことになると。

 結果としてその判断は正しく、当時は自分たちも『漆黒』の真の実力を見誤っていた。

 

 木々がへし折れて一部が砂漠化した現場を思い出し、アインザックは背筋を震わせる。あれほどの破壊が都市部で行われたらどうなっていたか。過去に『国堕とし』と呼ばれる吸血鬼がいたらしいが、あわやその再現となるところをモモンは救っていたのではないか。そう考えれば都市に潜られる前に決着をつけなければならないのは当然の帰結であり、あの気迫の正体は決死の覚悟だったのではないか。

 

「無理に引き止めても(いと)わしく思われるだけだろう」

「力で引き止めることは不可能なのは分かるが……それで情に訴えてみたのか? お前との付き合いも長いが意外にロマンチストだったんだな」

「茶化すなよ。魔術師組合長のお前としても『漆黒』には留まってもらえた方が都合がいいだろう?」

「そりゃ、間違っちゃいないが」

 

 剣士であるモモンは魔法を使わない。忘れてはいけないのは『漆黒』は二人のチームであり、モモンの相方を務める太陽の二つ名を持つレジーナは極めて優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)だということだ。

 組合同士の摩擦を避けるため冒険者である彼らに魔術師組合側から積極的にコンタクトを取ることは無いが、有能な魔法詠唱者(マジック・キャスター)とのパイプを持つのは極めて重要だ。

 

「彼が律儀な男であることはよく知っている。実際、戻ってきてくれた訳だしな」

「まあ……な」

 

 いまいち腑に落ちないという顔でラケシルは曖昧な同意を返す。大方、『漆黒』をなりふり構わず引き止めようとしないこちらの様子が解せないといったところだ。

 自嘲めいた笑みをアインザックは浮かべる。いっときは女衒(ぜげん)(まが)いのことをしてまで引き止めようとしていたのだから、ラケシルが不思議に思うのも無理は無い。

 一介の冒険者であった『漆黒』はいまや掛け値無し比類無しの英雄だ。後の世に英雄譚として名が残るであろう、まさに大きな歴史の中でも輝くスポットと言える。

 そこでアインザックは思う。果たして、所詮はいち都市にある冒険者組合の長でしかない自分が彼に干渉してよいものだろうかと。モモンの人格者ぶりは市井(しせい)でも評判だ。律儀であり、決して(おご)らず礼節を知る人物。だからこそ、力では縛り付けられずとも人情で縛ることはできる。

 冒険者組合の利だけを考えれば、それは必ずしも間違いではない。

 

 だが心の奥、泉の底に沈んでいたはずの何かが胸の内を叩くのだ。

 

 冒険者の最高位であるアダマンタイト級へ昇り詰めた『漆黒』が、これで終わるはずがないと。誰もが想像し、妄想だと振り払ったもの。彼らならばアダマンタイト級のさらなる先にある、いまだかつて誰一人として見たことも到達したことも無いステージへ上がっていくのではないか。それは人類の可能性であり、希望であり、同時にアインザックの冒険者としての心を打ち震えさせる「夢」だ。

 

 過ぎ去ったいつかに見切りを付けたはずの(くすぶ)った火種が形を成し、冒険者組合長という現実の立場と静かにせめぎ合っている。

 決めるのは自分自身。いつだってそうだった。

 

 アインザックは机の引き出しから一通の封筒を取り出す。(ふち)に金色の精緻な装飾が施されており、その美しさは一目で送り主が並の相手ではないと直感させるだけの存在感があった。

 

「なんだそれは。手紙か?」

「ああ。例の通達と一緒に届いた」

「なんだと……! うちには届いていなかったぞ」

 

 ギリギリと歯噛みするラケシル。アインザックとは仕事の立場上もプライベートでも対等だと思っているからこそ、違いがあったことへの悔しさもひとしおに強いのだろう。

 

「『漆黒』は冒険者組合の所属だからな。少しでも心証を良くするためだろう」

 

 対等であるという思いはアインザックとて同じだ。それにフォローの言葉は同時に本心でもある。組合が取る姿勢は『漆黒』が招致に応じるか否かに大きく関わってくるのだから、他の組織には無かったアプローチがあっても不思議ではない。

 

「……レジーナ嬢に魔術師協会も籍だけでも置いてもらえないものだろうか」

「おいおい、勘弁してくれ。このタイミングでちょっかいを出したらお前相手でも本気で怒るぞ」

 

 元より戯言(ざれごと)、「はーぁ」と普段の神経質そうな人物像からは想像もできないような気の抜けた息を吐きつつラケシルは天井を仰ぐ。

 

「テオ、お前ヒマはあるか?」

「なんだ、突然。ヒマな訳あるか。例の悪魔の件で魔術師組合もてんやわんやしてるのはお前も知ってるだろう」

 

 その中でも『漆黒』に関する案件は重要度が高い。だからこそ合間を縫ってラケシルはさっきの場に同席していた。

 

「枠がもう一人分ある。都合さえ付けられるのならお前を連れていってもいいぞ」

 

 封筒からアインザックが取り出したのは検問所のパスとチケット。表面には剣闘大会への招待を示す文言と、外の立て札と同じ印が押されていた。

 

 

 

 

 

 

 (剣闘大会か……。確かユグドラシルでは武術大会イベントがあった気がするけど)

 

 興味が無かったことも手伝って、記憶は非常に曖昧だ。魔法詠唱者が近接戦闘系の集まる武術大会に参加するはずもなく、いまでこそ剣士の真似事をしているが、所詮は付け焼き刃。たとえ≪パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士≫を使用して強引に参加したところで瞬殺されてバカを晒すのがオチだ。

 

 モモンの名声を高めるにあたって、国からの招待はうってつけだ。ただし権力に(なび)く男ではないというイメージも維持しなければならないため、このあたりのバランス取りが難しいところだ。ここしばらくの平常運転によってエ・ランテル周辺では権力への無関心を印象付けられたと思うが、拠点にしている都市だからこそとも考えられる。王都の人々からどういう目で見られているのかは正直蓋を開けてみなければ分からない。

 

「モモンさん、気を付けてください……っす」

「うん?」

 

 不意に掛けられた声は鋭く冷ややかな緊張に包まれていた。言葉の意味を問う前に視界の端から揺れる赤髪が数歩前へ出る。何事かと周囲を見渡しても、目に入るのは広い道の左右にズラリと並んだ屋台とその客くらいのものだ。子供連れもいるようだから、確かにぶつかってしまわないよう注意はしておいた方がいい。どうして子供っていうのは前を見ないで走り回るのだろう。

 レジーナはというとこちらの位置に合わせてポジションを調整している。自分と彼女の延長上に視線を向けると、串焼き肉の屋台がいかにも食欲を誘うであろう焼き音をたてながら『肉!』としか形容できない匂いを放っていた。ちょうど女性客が買うところだったようだが、それを見ているレジーナといい、『ダイエットや体型維持のために食事制限』みたいな考えはあまり一般的ではないのかもしれない。

 それにしても、ついさっき組合で出された二人分のお茶請けをペロリと片付けておいてもう肉に目移りとは健啖な奴だ。

 

 何気なく空を見上げる。まるで自分の心境を映したような灰色の曇り空を。しばらく忘れていた、寂寥(せきりょう)とした感覚。埋まることの無い心の空洞。一時的なものだと信じてはいても、流れる隙間風はとても(こた)える。

 

(茶釜さん、いま頃どこで何やってるんだろう)

 

 ぶくぶく茶釜がナザリックを()ってから、ひと月が経過しようとしていた。




今章はストーリー的な原作の下地ほぼ無しです。

2018/11/10 行間を調整しました。

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