オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
ヤルダバオトを追い詰めたモモン。一瞬のスキを突かれ魔法の発動を許してしまう。
立ち上る炎に二人は包まれるが……。


第60話 長い夜の終わり

 モモンとヤルダバオトが戦闘に入ってから、ラキュースの判断は早かった。

 ティアとガガーランを包囲戦線の救援に向かわせ、ティナを王城にいるラナーへの報告に向かわせた。敵との戦闘を避けながら移動するならその辺の兵士に頼むより確実で早い。

 イビルアイを回復のために運んでいる余裕は無い。この場でクライムともども守るのがラキュースの役目だ。

 

 レジーナはやることができたと言い残して停める間もなくこの場を離れている。

 

 実際のところ彼女を押し止めたところで大した意味は無い。モモンとヤルダバオトの壮絶な戦闘に介入できる者は誰一人としておらず、自分たちにできることといったら召喚されたモンスターの討伐と負傷者の救出作業くらいのものだ。

 

「戻った」

 

 いつの間にか横にいたのはティアだ。モンスターを片付けてきたにしては早過ぎる。

 疑問に満ちたラキュースとイビルアイの視線を集めて、指で引っ掛けたストールを下げたティアは戻りが早かった理由を説明する。

 

「他のとこは多分大丈夫。ガゼフ・ストロノーフが出張ってる」

「なに? 戦士長は王の警護だったはずだろう」

「うん。だから王が前線に来てる」

 

 思わず罵声を浴びせたくなる言葉に頭がぐらつく。無謀というか、無茶にも程がある。

 

 だが考えてもみると王の側にいなければならないガゼフを戦力として有効化するためにはこの手しか無いのも事実だ。

 

 下手に王の側を離せば警護が手薄になり、批判の矢はガゼフに向けられる。王城に篭っていてもヤルダバオトによる被害が大きくなれば反王派貴族に追及の口実を与えてしまうことになる。

 これなら王は前線に出たことで反王派の強弁を封じ、同時にストロノーフ戦士長をも守りつつ対悪魔の戦力として提供したことになる。

 

「もしかしてもう終わったっすか?」

 

 緊迫感というものが抜け落ちた声に振り向いたイビルアイは思わずぎょっとする。

 常人には持つことさえ難しいオーダーメイドのグレートソード。肩に担いだ状態で平然と歩く様子はまるでその重量を感じさせない。

 

「お、まだやってるっすね」

 

 生死を分ける戦場とはあまりにかけ離れた言葉は観劇に遅れた客がよく口にするそれだ。肝が据わっているといえば聞こえがいいが、危機を感じ取る何かが壊れているのかと思うほど呑気な態度と言わざるを得ない。

 

(いいや、それも強大な力を持つ戦士モモンを信頼してこそか。確かにあれは……)

 

 剣のことは専門外だが、モモンの強さが規格外なのはイビルアイにも分かる。ヤルダバオトと対峙してからも彼はうまく相手の魔法発動を潰してほぼ無傷で立ち回っていた。

 逆にいえば魔法を発動されると一気にピンチに追い込まれるということなのだが、迷いの無い踏み込みから繰り出される剣閃にヤルダバオトは息をつくこともできず翻弄されているように見える。

 

 悪魔はアンデッドと違って体力を消耗すれば疲弊もする。それでも並の人間の比ではないスタミナがあるはずだ。しかし驚くべきことに先に動きが鈍くなってきたのはヤルダバオトだ。攻め続けているモモンは全身鎧(フルプレート)のために顔色を伺い知ることはできないが、斬撃が巻き起こす旋風(せんぷう)や斬り込みの鋭さには微塵の(かげ)りも無い。

 

 ヤルダバオトにとって、モモンという存在は初めて遭遇した自分を超えるかも知れない強者なのだろう。一撃一撃が致命傷となり得る豪剣を間断無くかわし続けることが、計り知れない精神力を削ぐのは間違い無い。

 

 もう何度目か分からないが、互いの顔が擦れるくらいの密接距離でグレートソードと恐ろしく強固な爪がかち合う。一瞬見えた二者の拮抗、決着は一瞬だった。

 

 突如現れた炎の壁が、絡み合う二人を飲み込んだのだ。ついさっきの魔将へのとどめを再現するように、白光の直後の爆発的な熱風と赤が辺り一面に吹き荒れる。

 

(……バカな!)

 

 発火点、つまり魔法の爆心地はヤルダバオトだった。あの距離であればいかな高い身体能力を持っていようとも、回避することは不可能だ。それは戦士モモンについても同じことが言える。

 

「じ、自爆した……?」

 

 予想外の事態にラキュースも判断しかねている。

 

 道連れ狙いの自爆。英雄級の戦士を前に悪あがきをしたと考えれば、あり得ない線ではない。モモンという存在が人間にとって凄まじい戦力になることは誰の目にも明確だからだ。それが分からないヤルダバオトではない。

 

 だからこそ、安易にそんな手段に出るだろうかという疑問がイビルアイの思考に拭えない靄をかけている。

 あの、凶悪で、非道で、卑怯で、狡猾な悪魔ヤルダバオトが、そんな結末を自ら選択するだろうか。

 

 穴だらけになったローブの隙間から入り込む熱気とは対照的に、イビルアイは背筋に寒いものを感じていた。

 悪寒は炎の中で揺れる影を認めてさらに強く(おぞ)ましいものへと変化する。

 

 死の灼熱を抜けて出てきたのは、憎っくき仮面の悪魔。袖に揺れる残り火を払い消すと、細い白煙が数本流れた。

 

「ヤルダ……バオト……ッ!!」

 

 噛み締めた歯が軋みをあげる。何故。いや、やはりと言うべきか。

 

「私は極炎の支配者。炎には耐性があるのですよ」

 

 (わら)いを押し殺すように身を震わせながら悪魔は手中で炎を(もてあそ)び、収束した炎は黒に染まる。

 

「これはオリハルコン程度なら容易く熔融させてしまう、地獄の炎です」

 

 アダマンタイトに次ぐ強度を持つ金属。それを簡単に溶かす火力となれば、熟練の鍛治職人も背筋がそら寒くなる代物だろう。極炎の支配者というのは誇張でもなんでもない、言葉通りの事実なのだ。

 

 またも吐き気を催す嫌な予想がイビルアイの頭をよぎった。どうしてわざわざそんな説明をするのか。

 この悪魔は、意味の無いことはしない。必ず狙いがあり、それこそ操られているのではと錯覚するほど巧みに他人(ひと)の心理を突いてくるのだ。その行動原理が悪意に根差したものばかりなのが手に負えない。

 

 本当にオリハルコンを簡単に溶かしてしまう火力なら、イビルアイを含め耐えられる者は誰一人としていない。皮鎧など可燃性の防具は燃やされ、金属製の防具は蒸し焼きもしくは熱伝導による大火傷は免れない。一定以上の強い炎は、専用の耐火性能特化にした装備でなければシンプルに防御することが困難な脅威となる。

 

「そう怯えなくとも大丈夫ですよ。これは、こうやって使うのですから」

 

 横薙ぎに払った腕から黒炎が飛散し、水に絵の具を垂らしたように炎の壁が黒に染まる。弱りつつあった火勢は一気に膨れ上がり、もはや熱気と呼ぶのさえ正しくない焦熱のフィールドが辺りを汚染していく。

 

 炎に飲まれた戦士モモンは、いまもなお火中にいるはずだ。

 

「そん、な……」

 

 イビルアイのローブが、含んでいたわずかな水分も蒸発して白い水蒸気を上げ、熱波を浴びている皮膚がチリチリと焼ける。

 だがそんなことはもう(にぶ)くしか感じなかった。

 

 ヤルダバオトが姿を現したときから絶望的だったが、ダメ押しの黒炎で戦士モモンの生存は完全に無くなった。人の身であの烈火に耐えられるはずがないからだ。

 そしてラキュースが≪レイズデッド/死者復活≫を使用するには媒介と、魔剣キリネイラムから魔力を引き出す()()が要る。

 

 ヤルダバオトの妨害を受けずにいまの状況から完遂するのはどう考えても不可能だ。よしんば復活できても蘇生直後は生命力を大きく喪失しているため、ベストコンディションでやや優勢だとするなら相手にもならないだろう。

 

(終わり、なのか……? くそっ!)

 

 せめて少しでも逃げられる者が増えるように、状況を王城へ伝えなければならない。

 

 この場にいる中で生還の可能性が最も高いティアに最期の頼みを託そうと振り向いたイビルアイが見たものは、グレートソードを肩に担いで走ってくる赤髪の神官だった。

 

「モモンさん! いま行くっすよ!」

「や、やめろ! 敵う相手じゃない!」

 

 イビルアイの制止も虚しくレジーナは突進する歩を緩めない。そして担いだグレートソードを間合いの遥か外から豪快に横向きに振り抜いた。

 

「うりゃあああーっす!」

 

 すっぽ抜けた凶器は飛び道具というには余りにもお粗末だが、風切り音が聞こえる殺人的な速さで回転しながらまっすぐヤルダバオトへと飛んでいった。

 

 距離が空いていたうえに、投げる前の声で注意を引いてしまっている。案の定、悠々と回避された大剣は黒炎の中へと飲み込まれる。

 

 突飛な行動に虚を突かれたヤルダバオトはしばし固まっていたが、仮面の下の視線を殺意とともにはっきりとレジーナへ向けた。

 

「次のお相手は貴女ですか?」

「いいや、私だよ」

「なに……がはっ! 光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)発動っ……!」

 

 黒炎の中からの一閃。半身を(ひね)ったガードも虚しくヤルダバオトが中空をきりもみ状になって吹っ飛ぶ。

 

「やれやれ……。刃が潰れたか」

 

 黒炎の壁を割って姿を現した漆黒の戦士。本来ならば大木すらも一刀両断する斬撃だったはずだが、グレートソードが高熱にさらされていたために斬りつけた瞬間厚みの無い部分が押し潰されていた。

 刃の無い剣などただの鉄塊と同じだが、旋風(せんぷう)を巻き起こすほどの豪腕をもってすれば恐ろしい破壊力の金棍棒に早変わりだ。

 

「い、生きていたか!」

 

 冷静に考えればあの炎を身に浴びて無事なはずがないのだが、一度見た希望に(すが)りたい心理が常識的な思考回路を覆い隠した。いま大事なのはヤルダバオトをどうにかすることだ。

 ガードされたものの、初めてまともな攻撃が入ったのは光明と言えた。一撃の威力が高ければ高いほど、クリーンヒット一発の価値は非常に重い。

 

 そしてその一撃を入れるために絶妙なアシストをしたパートナー。レジーナは自分の仕事は終わったとばかりに悠然と、英雄と悪魔の戦いを観ていた。その口元には勝利を確信した微笑すら浮かんでいる。

 

 仲間をやられて平静を失ったかと思ったが、あれは敵の注意を引きつつモモンに武器を渡すための演技だったのだ。

 

 既に鎮火した、黒い炎が揺れていた焼け跡を見る。上空から落ちてきたときに元々モモンが持っていたグレートソードは残骸すらも残っていない。オリハルコンすら焼き溶かす炎に包まれていたのなら、消滅してしまっていてもおかしくはない。

 あの黒い炎にはそれだけの威力がある。瞬時に脅威の本質を見抜いたからこそ、己が命を賭してでもこの女は相方に剣を投げ渡したのだ。

 

「お見事……。素晴らしい連携でしたよ」

 

 瓦礫を払って立ち上がる動作に澱みは無い。苦痛に悶えることもなければ刃が潰れていたとはいえ、グレートソードで打たれた胴にも傷らしい傷は見当たらない。健在であった。

 だがさっきまでと違ってヤルダバオトはすぐに反撃に出ることはしない。やはりモモンという規格外の強者を前に不用意な接触はできないと警戒しているのだ。

 

「どうした? こないのならばこちらからいくぞ?」

 

 わざわざする必要も無い宣言。精神的にもモモンは優位に立っていた。仮面の悪魔はお断りだ、とばかりに両手を振った。

 

「いえ、今回はここで退かせていただきましょう。アイテムは惜しいですが、貴方との戦闘が避けられないのであれば、割に合いません」

「今回は、か。言っておくが私がいる限り容易く人間を蹂躙できると思わぬことだ」

「ええ、それはよく分かりました。貴方の寿命が尽きる頃にまたお目にかかりましょう。我々悪魔はあなた方人間よりも長命ですので。気長に待つことにします」

 

 事実上の敗北宣言。悪魔の言葉に果たしてどれだけの信用が置けるかという疑問は横たえているが、これが本心ならば空前絶後の危機は数十年単位の猶予を得たことになる。

 

「それでは、ごきげんよう」

 

 パチンと指を鳴らす。煌々と王都を照らしていた炎の柱がそれを合図に徐々に細くなり、やがていつもの姿を取り戻した。

 避難のために明かりを消している家が多く、広場は月明かりによって青白く染まる。

 

 黒翼の起こした風が地を叩く。ヤルダバオトは一息に飛び上がるとそのまま雲の切れ間へ姿を消した。

 

 

 

 あまりにもあっさりとした幕切れに、思わず近くにいた者同士で顔を突き合わせる。やがて全員の緊張が解けたとき、誰もが自然と漆黒の英雄へ押し寄せた。

 

 ヤルダバオトが逃げたとき、召喚されていた悪魔の群れも同時に送り返されたらしく広場へは敵のいなくなった前線を押し上げた冒険者たちが集結していた。

 

「脅威は去った! 私たちの勝利だ!」

 

 決戦組を代表してモモンがあげた勝利宣言。どよめきは歓声となり、勝ち(どき)となって大きなうねりを生んだ。

 危機的状況からの大逆転劇。そのカタルシスは大事を成した英雄への憧れにそっくりそのまま転化する。

 

「しかしあの炎を受けてよく無事だったな?」

 

 ガガーランはじめ蒼の薔薇とクライムは一部始終を見ていた。並の人間ならひとたまりもなく、そんじょそこらの鎧などあっさり溶かしてしまうほどの火勢だった。

 その疑問はもっともだ。予想の範疇である質問に、アインズはあらかじめ用意しておいた答えを返す。

 

「昔、旅の術師にもらった属性特化の耐性をひとつだけ付与するアイテムがあってな。結界を張るのに炎柱を使うような奴だ、警戒するべき魔法は炎系だと踏んでいた」

「それにしても無傷とはいかないでしょう? いま、治癒魔法を掛けますから」

「ラキュースさ…………うっ!?」

 

 温存されていたラキュースのMPは充分余裕がある。切り札のひとつだったはずが結局見ているしかできなかったのだ。彼女にすればせめてこのくらいのことはやらなければ立つ瀬が無いといったところだろう。

 アインズが言葉に詰まったのは、ラキュースの後ろにいるルプスレギナの怒りを押し込めた表情が見えたからだ。器用にも殺気を漏らしたりはしておらず、人々の注目はすべてアインズに集まっているため他には誰も気付いていない。

 

 にわかに不穏な雰囲気を纏ったルプスレギナだが、考えてもみれば特におかしなことではない。

 いまは魔法や装備で偽装しているが、アインズの実態はアンデッドなのだ。治癒魔法をその身に受けることは攻撃されることと同義だ。

 守るべき対象である主人が傷付こうとしているのを看過できないというのは、シモベとしてごく当たり前の感覚なのだろう。

 

「モモンさん、どうかしましたか?」

「……いえ、何でもありません。そうですね、いくら私でも無傷というわけではありませんから、治癒魔法をお願いできますか?」

「は、はい! ≪ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒≫」

 

 以前依頼を共同で受けた漆黒の剣所属の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、ニニャが使っていた≪ライト・ヒーリング/軽傷治癒≫を思い出す。多少の傷ならあれで充分な回復ができていたのだから、ラキュースが使った魔法はより効果の高いものなのだろう。

 

「む……」

 

 だがアインズが回復効果を実感することはない。じくじくとした気色の悪い感覚を伴って、わずかな痛みが湧いては散る。

 痛覚に(にぶ)過ぎると不自然さが出てしまうため、モモンの姿のときにはなるべく物理・魔法無効化の特殊技術(スキル)は切るようにしていた。

 

 アインズ自身が望んでやらせたのであれば、シモベが口を挟むことではない。ルプスレギナの表情はアインズの身を案じるものに変わっていた。

 

 歓びを分かち合う者たちの鳴動が落ち着いた頃、自然と人垣が割れて浮きでたのは花道だ。決戦組の先頭を行くのは漆黒の英雄モモン。悠然と歩みを進める姿は古今無双の戦士に相応しく、堂々たる振る舞いだった。

 誰が号令を掛けたわけでもなく、自然と揃う足並みは苦難を退けた者たちの自負を主張するように。足音を聞いた人々へ戦いは終わったのだと知らせる鐘の代わりに大きな波となって月夜に包まれた王都に響いた。

 

 

 

 

 

 

 ヤルダバオト襲撃事件の翌日、アインズたちは早々に王都を後にした。最大の功労者ということで王から謁見の要望もあったが、断った。応じれば形式上だけでも臣下の礼を取る流れになるだろう。膝をつくのを拒否してもそれはそれで不敬だのなんだの余計な不興を買うのは目に見えていた。同じ悪印象を与えるのなら最初から断った方が互いの時間も無駄にせず気まずい空間を味わわなくて済むという判断だった。

 断ってもそれはそれで何様だなどと不満の矛先を向けてくる者がいるであろうことは分かっている。だがそんな連中は悪質なクレーマーと同じで、結局こちらがどういう対応に出ようが文句を言わずにはいられないのだ。いちいち気にしていたらキリが無い。

 必死に戦ったのは報酬のため、金のためだと冒険者たちを(おとし)める声もあったと聞くが、まったく的外れと言う外ない。依頼を受けて仕事をこなし報酬を得る。それがこの世界における冒険者そのものなのだ。報酬のために必死に戦ったのは自分の職務に忠実に、依頼主との契約をしっかり守ろうとしただけの話であって、褒められこそすれ批難されることではない。

 

 残念ながら、そんな話が問題視もされないということは貴族社会においてこういった裏での権力争いが日常茶飯事であることを示していた。いち会社員でしかなかった鈴木悟の心境としては面倒事の(にお)いしかしないため、できれば貴族とはあまり関わり合いを持ちたくない。

 それでも一応王からの贈呈品の短剣と、王子たちから連名で関所のフリーパスを受け取ったが、これがいまのアインズにできる最低限の譲歩だった。

 

 王都からエ・ランテルへは行きと同じ方法であるが、環境調査のためと偽って王都に比較的近いトブの大森林へモモンとレジーナの二人は降ろしてもらった。

 

 送迎役の魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは多少戸惑いながらも二人を降ろすとやや心配そうにこちらを振り向いたが、軽く手を振ってやると一直線にエ・ランテル方面へ飛んでいった。

 トブの大森林の環境調査に加えて陸路を使う都合でエ・ランテルへの到着はおおよそ四日後と冒険者組合へ伝えてもらうよう頼んである。

 

 もちろん環境調査などというのは自由に行動できるようにするためについた都合のいい嘘だ。

 王都で大事件を解決したとなれば、他の依頼も受けていないはずなのにエ・ランテルに姿を現さないのは不自然が過ぎる。だが今回は大規模作戦であったこともあり、なるべく早く一旦ナザリックへ帰還しておきたかった。

 

 無造作に森の深い方へと足を踏み入れていく。なるべく人が通りにくそうな藪を分け入るのは、人目に付かないことが目的だからだ。

 

「この辺りでいいか」

 

 やがて下草が少ない場所へ出る。見上げる背の高い木々の葉が広がり重なり、上部は日中と思えないほど冷ややかで暗い。早朝のため地面には浅い角度で木漏れ日が差しているが、太陽が正中に至る頃には地上まで届く日光はそう多くないのだろう。

 

 念のために周囲を見渡すが、アインズが能力で感知できるのはアンデッドだけだ。仮に草むらに潜む誰かがこちらの様子を窺っていたとしても、発見するのは難しい。

 だが心配は要らない。こういうのはもう一人の方が得意なのだ。

 

「どうだ、周りに誰かいるか?」

「確認するっす。ちょっと待っててください」

 

 そう言うとルプスレギナは書状や短剣の入った皮袋を落ち葉の上へ雑に放り落として、先行していたアインズの前へ素早く躍り出た。

 ひょこひょこ揺れる赤く長い二本の三つ編みが目を惹く。短く軽く、数度鼻を鳴らすと頭に両手で耳を作っている。あんなことをせずとも人間離れした嗅覚と聴覚は周囲の様子をレーダーのように認識しているはずなのだが、素朴な疑問を感じたアインズの意識は音に集中する。

 

(なるほど)

 

 アンデッドの聴覚は別に特性として優れているわけではない。言ってしまえば人並みだ。だが、その人並みの聴力も意識を向けるだけで随分と変わるものだ。

 

 木々のそよめき、木漏れ日の中を飛びながら愛を囁き合う鳥の鳴き声、葉に溜まった朝露が溢れ落ちてさらに下の葉を打つ音。

 

 視覚に頼ると何もいないように見える森も、案外朝から騒がしい。感覚をレーダーに変更したら、反応が多過ぎて機能麻痺に陥ってしまいそうだ。

 

 アインズでこれなのだから、より鋭敏な感覚を持つルプスレギナからすると森の中はさながら賑わう繁華街の喧騒といったところか。

 より集音しやすいように耳をそばだてているのは、音を細かく立体的に捉えて分解、すなわち聴き分けるためだ。

 同じ道を通り、枝を踏み折ったとしてもその音は動物によって千変万化。ひとつとして完全に同じ音は無い。鼠には鼠の、猪には猪の音がある。当然、人間にも人間の音がある。息を殺せば殺した息の音がする。

 そこまでいくと屁理屈じみているが、ルプスレギナがやろうとしているのはそういうことなのだ。

 

 脅威的なのは彼女が一箇所あたりに掛ける時間が非常に短いことだ。ちょこちょこと場所を変えてはいるが、ひとつ所に留まっているということがほとんど無い。

 アインズがほぼ凝視にも近い態度で観察していても特にこれといった反応が無いのは、それだけ集中している証拠だ。

 

 集中していたためか、確認作業はあっという間に終わった。

 汗ひとつかかず息ひとつ乱さず走り寄ってきたルプスレギナはわざとらしくひたいを拭う動作をしてから、周囲には誰もいないと報告してきた。

 

 もっとも、誰もいないのは予定通りであり答え合わせの感覚に近い。

 あえて森の深いところへ分け入ったため、道と言えるものは周辺に全く無く、こんなところに人間がいるとしたら、遭難者か自殺志願者のどちらかだろう。

 それでも念のために調べさせたのは、秘密がバレたときに戦士モモンへのダメージが大き過ぎるからだ。それでもやってしまうあたり、利便性を前にしては理屈というのはさほど堅牢なストッパーにはならないらしい。

 

「では、私たちはこれからナザリックへと帰還する。≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫解除」

 

 魔法による統一外装を解除し、ローブ姿の骸骨が姿を現わす。朝日でも照らし通すことのできない眼窩の奥には、赤い光が鬼火のごとく揺れている。

 

 わざわざ労力を割いた理由がこれだった。

 魔法の使用が制限されるモモンの姿から本来の姿に戻れば、長距離でも失敗無く一瞬で移動できる≪ゲート/転移門≫が使える。空中を揺られて無為な時間を過ごす必要も無い。

 

 魔法を発動させればすぐにでもこの場から去ることになるが、時間の長短は関係無いと言わんばかりにルプスレギナは臣下の礼を取っている。

 

 戦士の姿を取っているときはいついかなるときもパートナーとして接するよう伝えていた。アインズが本来の姿に戻った瞬間、彼女もまた冒険者ではなく戦闘メイド(プレアデス)に戻ったということだ。

 

 長い睫毛は目を閉じたことで殊更に印象的だ。濡れたように瑞々しい黒は浅黒い肌の中にあっても埋没しない存在感がある。

 

 膝をついた所作はアインズから見てもそれがごく自然な行為だと思わされるほどに完成されている。これはルプスレギナが特別なのではなく、他の戦闘メイド(プレアデス)や一般メイドも同様だ。

 元々メイドと定義されたうえで生み出されたからなのか、確認する(すべ)は無い。だがこれがナザリックに属するメイドの標準的なレベルであることはアインズの体感においてほぼ事実である。というのも、自分に(ひざまず)く総勢百人を超えるメイドたちの姿を逐一チェックするようなストーカーじみた変態性は持ち合わせていないからだ。

 

 だが今回の件以降、剣士モモンとして貴族だのメイドだのと接する機会はかなりの高確率で訪れる。そのとき最低限普通の応対方法について知っておかなければ、思わぬところで足を掬われることにもなりかねない。

 

「さあ、帰ろう」

「はい」

 

 ゆっくりと薄く開かれた目はさながら琥珀と見紛うほどの燦然とした美しさを放ち、研ぎ澄まされた刃物にも似た鋭さがあった。

 アインズは先の件を心の課題メモに書き加える。

 放っておけば何時間でもこのまま動きそうにないルプスレギナを手招きで立たせ、魔法によって生じた転移門(ゲート)を通らせる。二人が通ったあと魔力の供給が遮断された転移門(ゲート)は煙ひとつ残さず消滅し、軽く吹いた風に巻き上げられた落ち葉が彼らの痕跡を覆い隠した。

 

 

 

 森から転移した先はナザリックの地表部、中央霊廟の真正面だ。周囲へ配置されたドーリア式の列柱の上には霊廟を中心に円状の軌跡を描くエンタブラチュア。しかしそれらは途中で割れた歪な断面を晒しており、かろうじて確認できるパーツは左右に広げた丸括弧のような有り様だ。

 だがこれは永い時の中で本来の姿が失われたのではない。

 後ろを振り返れば見える乱杭歯状の墓石が並ぶ、荒れた地表部。これらはすべて元々こうだったのだ。

 

 霊廟の入り口には誰もいない。特殊技術(スキル)を使用すれば周辺の土中などからいくらでも反応はあるだろうが、あれらには任せられない仕事というものがある。

 

 王都の事件解決後バタバタしていたため、うっかり帰還の旨をナザリックへ伝え忘れていたことに気が付いた。普段なら入り口で拠点内転移を可能にするアイテム、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを渡すために戦闘メイド(プレアデス)の誰かが持ち回りで迎えに出てきていた。

 今日は事前の連絡をしなかったため迎えが無かったのだろう。こうなると最深部である第九階層へ一気に移動することはできない。

 

「あ、あの、アインズ様。少しお待ちいただければ私が取ってきますけど」

 

 帰還連絡をしていなかったことをルプスレギナは知らない。ばつが悪そうに狼狽しているのは姉妹の誰かが迎えの時間を間違えたとでも勘違いしたのだろう。

 

「いや、それには及ばない。いいじゃないか、たまにはのんびり歩いて行くのも新鮮だ」

「そう、ですか。いやぁ、それならちょうど良かったです」

 

 ほっと安堵のため息を漏らす。そんなに心配しなくとも、仮に本当に迎えを忘れていたとしても怒るほどのことではないというのに。

 それともあるいはその程度で怒り散らすような奴だと思われているのだろうか。親しまれるばかりの上司は良くないと何かで見たことがあったが、妙な誤解を受けているのだとしたら心外だ。というより普通に凹む。

 

 朝方ということもあり、荒れた墓場はそうおどろおどろしい雰囲気ではない。死霊(レイス)など非実体系のアンデッドも日中は姿を現さない。

 水笛を転がす音に柱を見上げると、数羽の鳥が(せわ)しなく首を動かしていた。

 

 本来であればあり得ない光景だ。ナザリック地下大墳墓は毒の沼地に囲まれた立地だったため、鳥が寄り付くようなエサは何も無い。それどころか立ち昇る瘴気のために特殊な耐性を持たない個体はあっという間に死んでしまうだろう。

 炭鉱のカナリアを試すまでもなく、鳥は墓場の柔らかい土から顔を出したミミズや虫を狩っては一羽、また一羽と森の方へ消えていった。

 

 

 

 霊廟の奥にある第一階層へと続く階段。それが見えた辺りで足を止めたのは、自分たちとは違う足音が聞こえたからだ。

 足音の主は随分慌てており、硬質な音が連続している。霊廟内はまだ表層領域であるためモンスターの姿もなく、陽が届かず冷ややかな空間だ。遮蔽する物の少ない構造も音が反響してよく聞こえる原因のひとつだ。

 

 下方の階段に見えたのは夜会巻きにした黒髪と銀縁の眼鏡。白黒をベースカラーにしたメイド服と、メイドのイメージから乖離した太い棘が付いた緑色の凶悪なガントレットを装備した戦闘メイド(プレアデス)の長姉であるユリ・アルファだ。

 

「アインズ様っ! 申し訳ございません、如何様にも罰をお与えください!」

 

 目の前に着くなり土下座でもしそうな勢いで頭を下げるユリ。迎えが無いことを謝っているのだとしたらその原因は連絡をしなかったアインズにあるわけで、巡り巡って自分のせいでユリが心を痛め頭を下げているというのはどうにもいたたまれない。

 

「あー、ユリ? お前が気を落とすことはない。戻る時間を伝えるのを私が忘れていたのだ」

「そうでしたか……」

 

 安心したのか、悲痛ささえ帯びていたのが嘘のように笑顔が浮かんだ。差し出された指輪を嵌める動作もすっかりお馴染みだ。

 

「ルプスレギナ」

 

 アインズが指輪を嵌めたのを確認すると、眼鏡の銀縁を怪しい光が走った。端を指先で軽く持ち上げ直すと整った顔立ちの表情が険しくなり、射抜くような目付きに変わる。

 

「それなら貴女がアインズ様のご帰還を連絡しなくちゃダメでしょう。デミウルゴス様からお預かりした定時連絡用の巻物(スクロール)にはまだ余裕があったはずだけど……あら?」

 

 お説教モードに入ったユリ。しかしすぐそばにいたはずのルプスレギナは忽然と姿を消していた。

 陽の光が届かない薄暗闇も、アンデッドであるユリの目には昼日中と変わりない。冷静に周囲を見渡すと、階段を降りようとしている後ろ姿があった。

 

「あちゃ、見付かったっす」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべると、赤い三つ編みが(ひるがえ)る。

 

「待ちなさいルプー! ああもう、不可視化まで使って……!」

 

 ユリは一瞬追いかけようとしたが、やめた。いくらナザリックの領域内とはいえ、至高の御方を置き去りにしていくなど論外だ。出迎え役の自分が来た以上、ルプスレギナが(そば)に付いておく必然性は無い。そう考えればさっきの妹の行動は必ずしも不敬にはあたらないが、半分からかわれた身としてはどうにも釈然としない感覚が残った。

 

 振り回されたユリをそのままにして転移するのも、逃げているようで決まりが悪い。結局、アインズは当初の予定通り歩いて行くことにした。

 

「それにしても、連絡していなかったのによく分かったな?」

「は……お恥ずかしながらオーレオールが教えてくれました」

 

 ユリが口にしたのは桜花領域の領域守護者にして戦闘メイド(プレアデス)の末妹の名だった。階層間の転移施設を含めナザリック全体のセキュリティは彼女の管理下にある。第九階層と第一階層の転移門を直結すれば、地表部に転移してきたアインズたちを確認してからでもあのタイミングでユリが上がってくることは可能だろう。

 

 桜花領域は第八階層内に存在する特殊エリアだ。また、物理的に隔離されている宝物殿とは違った方法で隠されているため外部からの侵入は事実上不可能だ。

 

 全十階層におよぶ長大なダンジョン。入口から心臓部まで一本の糸で繋がなければならないユグドラシル時代の絶対的ルール、システム・アリアドネ。距離や扉の枚数の問題は階層間に転移門を配置することで軽減し、外部干渉によって破綻しないように管理役NPCを設定した。それが戦闘メイド(プレアデス)でありながら領域守護者でもあるオーレオール・オメガ。

 どちらかといえば演出優先の足止めキャラではなく、ナザリック地下大墳墓という場所を拠点でありながらダンジョンとして両立させるために作り出されたと言っても過言ではない。根本的な役割が姉たちとは一線を画する特異な存在だ。

 

「オーレオール……お前たちの末妹は寂しがってはいないか?」

「はい。直接会うことはできませんが、声を聞けば分かります」

 

 他人には分からない姉妹同士だけの機微でもあるのか、ユリの表情はどこか誇らしげに見えた。

 いつもの落ち着いた雰囲気と違って、妹自慢をする子供のようだ。ひどく微笑ましいものを見た気がして、思わずアインズも笑いがこぼれた。

 

「何かおかしかったでしょうか?」

「ふふ……いや、大したことじゃない。ありふれた────そう、ありふれたことなんだ。多分」

「? はあ……」

 

 何故主人が笑ったのか、思い当たる理由も無いユリはただただ首を傾げるしかなかった。




王国編終了! 長かった……。

次回は番外編です。

2018/11/9 行間を調整しました。

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