魔皇ヤルダバオトの前に、なすすべなく翻弄される蒼の薔薇。
彼女たちのピンチに乱入してきたのは先刻イビルアイたちが邂逅した謎の仮面少女だった。
(よし、これでいいか)
物陰からデミウルゴスに補助魔法を掛けたアインズはその場を立ち去る。
完全不可知化を使用しているためこそこそする必要は無いのだが、この時点では自分は舞台の脇役なのだという気持ちがどこかにあった。
何かの間違いで大怪我をしていないかなどとやたら増大していた心配は、対峙するシャルティアとデミウルゴスや冒険者レジーナの仮面をうまく被っているルプスレギナを見た途端に消え失せた。
守護者も
(でもあのくらいはいいよな? ボスがパワーアップするのはある意味お約束みたいなものだしさ)
本気ではないにしても、戦闘スタイルの得意不得意の影響はある。強大な敵という認知がブレないよう、デミウルゴスが一方的にやられるシーンは望ましくない。ざっと思い付いたバフを掛けておいたので、あれならもう少し楽にシャルティアと接戦を演じられるはずだ。
「……俺は何をしているんだ? さっきの場所なら≪テレポーテーション/転移≫で戻った方が早いよな」
この先そう多くMPを消費する予定は無い。なら魔法で戻って時間に余裕を持った方がいいに決まっている。一定以上は抑制されるものの、感情の揺れによる判断力の低下は注意が必要だ。アインズは気を引き締める。この作戦に関与する一人として、そして多くの部下を抱える上司として、土壇場で醜態を晒すわけにはいかない。
「ぬぅっぐ! ハァ、ハァ」
着地地点付近へ転移で戻ったアインズは妙な声に気付く。押し込めた苦痛と、荒く乱れた息遣いは周囲が墓地ということも手伝って不穏極まりない雰囲気を醸し出していた。姿を消したままそろりそろりと覗いてみると、声の主はアインズをここまで運んできた
無数の刀傷から流れる血が全身を染め、大鎌がたくましい大腿に深々と突き刺さり貫通していた。
(え、ちょっと、何やってるんだ)
鮮血を吹かせて引き抜いた大鎌を次は翼の中ほどへとあてがった。自傷行為というにはアグレッシブ過ぎる。
「何をしている」
≪
「も、申し訳ございません! ただちに致します!」
(いや何をただちにやるつもりなんだよ! ていうかその高々と掲げていかにも大鎌をこれから自分に突き刺しますみたいな体勢は何なの!?)
純粋な疑問から生じた質問は「何をちんたらやっているんだ」という意味で誤認されてしまったらしい。どうやら深読みスキルは上司であるデミウルゴスに似ているといったところか。
「待て、私が聞きたいのは何故そのような……いや、自分の身体を傷付けているのかということだ。この後の予定は伝えていたはずだろう」
「はっ。人間どもに真実の姿を隠しておられるとはいえ、奴らが不敬にも至高の御方を侮らぬようにと愚考した次第にございます」
魔将の強さを直接目にしたのはガゼフと国王ランポッサⅢ世、それと王の周囲にいた親衛隊などだ。魔将の強さは彼らを起点に広がるだろう。ならばその魔将に深手を負わせていたという話が他からも流れれば、モモンの強さをより確たるものとして知らしめることができるかもしれない。
「ふむ……。悪くない。が、その程度でよかろう。それとこれを渡しておこう」
インベントリから取り出したポーション瓶を渡す。中には赤い液体が入っており、HP回復効果を持つものだ。
「もう少しで今回の仕事もおしまいだ。ナザリックへ帰還する前にはこれを使用して傷を癒せ」
「こ、このような! 身に余る光栄にございます!」
ンフィーレアに様々な方法で精製させているが、ユグドラシル製と同じポーションの完成にはいまだ至っていない。補給の目処が立っていないという意味ではいま渡したアイテムもほんのちょっぴりだけ稀少価値が上がったと言えなくもないが、所詮は手持ちの中で下から数えた方が早い程度の品だ。
とりあえず死なずにナザリックへ帰還さえすれば、拠点機能で回復ができる。魔将などの高レベルモンスターが死亡した場合に一日当たりにつき決められている補填枠で復活可能なのか、それとも別途にギルド保有の資金を消費するのか、その個体は死亡前と同じものなのか。答えは分からない。前例が無いため予想をしぼることができないのだ。かといってその確認のためだけに部下に死ねと命じるつもりにはなれない。ポーションひとつでここまでありがたがられるのもむず痒いものがあるが、無為に死なせるよりはよほどいい。
「あー、まあ、大したことではない。そうしゃちほこばるな。いよいよ大詰めだ、いくぞ。≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫、≪パーフェクト・ウォリアー/完全なる戦士≫」
「御心のままに」
「こっちは要らないな」
再び漆黒の
人が集まるところには当然、宿や食料品といった生存のために必要な商売が必ず存在する。そのためにあちこちから商人が集まり、彼らは同時に各地の情報を仕入れてくる。それに特化した者たちが情報屋だ。王都にもエ・ランテルと同じく冒険者組合が存在するが、依頼報酬の相場はエ・ランテルよりも高い。その分依頼人に貴族の割合がやや高く、多少なりとも格式ばった礼儀の知識が必要になるケースもある。正直、ジャパニーズビジネスマン的な礼儀の多少は知っていても貴族業界のしきたりだのはアインズが知りようもないことであり、比類無い強さでのし上がってきたらしいが礼儀のひとつも知らない男という烙印をモモンに押されるのは非常に恐ろしい想像だ。
(難しいよな……。どうしてこう、貴族ってやつは面倒なのばかりなんだ? 皇帝の支配力が強いと聞く帝国ならもう少し気楽なんだろうか)
モモンの地位を高めていく以上、貴族や王族との接触は避けられない。どうしたら面倒事に巻き込まれずに済むのか、何か言われたときの対処はどうするか。英雄の姿からは想像し得ない、とりとめのない想像と悩みに内心ああでもないこうでもないと頭を
◆
前衛とサポートは戦闘不能。魔法による攻撃は一切が通らず体力も魔力残量も限界に近付き、足に受けたダメージのために移動すら満足にできない状態。
チームはこの時点で全滅一歩手前の半壊と言っていい。
これだけの状況で、全員の胸中にあったのは絶望ではなかった。
突如現れた少女。ある者は話に聞いており、ある者は二度目の遭遇。やはりその真意は分からないままだが、目の前の事実として少女は恐ろしい悪魔を圧倒していた。
それは打開策の見えない闇に差した一条の光だ。
信じたい。だが信じ難い光景を前に、目を離すことができない。介入はもちろん、声を上げることすらも咎められる緊張感に誰もが息を飲んでいた。
徐々にではあるが少女の拳と蹴りがヤルダバオトを捉え始めた。
ヤルダバオトは近接戦闘が苦手なのではないかという予想は当たっていた。しかし、その基礎能力については見誤っていたと言わざるを得ない。拳打の応酬は目で追うことすら困難であり、尻尾を使っていたとはいえタフネスには自信のあるガガーランの意識を一撃で飛ばしたパワーが込められていると思うと、背筋にぞっとしたものが走る。
それでも、致命の暴風域に身を置いているとは思えないほど少女の動きは見事だった。決して技術的に洗練されたものではないが、小柄さを活かしてうまく回避している。それでいて一瞬の隙を逃さず攻めに掛かるため、ヤルダバオトは魔法を使うための距離が取れないでいた。あの悪魔は攻めたくて拳を振るっているのではない。そうするしか選択肢が無いだけなのだ。
ついに分が悪いと判断したか防御に回ったヤルダバオトだが、ただでさえ小さな少女の拳をガードしきるのはほぼ不可能だ。案の上、腕の隙間からすり抜けた連打は面白いように全身を痛めつける。足を踏みつけられてバランスを崩し、ガードが下がった一瞬を少女は見逃さない。
胸に目掛けて一発。圧力に耐えられずヤルダバオトの口から空気が漏れる。仮面の少女はすかさず連撃を繋ぐ。密着するほど一際大きく踏み込んで、繰り出した電光石火の横蹴りが鳩尾へ突き刺さった。
メリメリと骨の軋む音が聞こえて、吹っ飛んだヤルダバオトは破壊された建物の瓦礫へと叩き込まれる。
「な、何なの。あの
「さっきも、言っただろ。まるで分から……くうっ」
「イビルアイ! 傷が痛むのね。ティナ、イビルアイを連れて行って」
「おい、ふざけるな。こんな状況で自分だけ休んでいられるか!」
仮面に表情は隠れているが、まともに立ち上がることもできない姿は弱々しい。食って掛かられたラキュースはスリットの奥にあるであろうイビルアイの眼をまっすぐに見る。逸らさない視線は決して譲ることの無い強固な意思の表明だ。
「こんな状況だからこそよ。貴女含めて誰も、何もできやしないわ。なら、必要なときに動けるための行動をいまやっておくべきだわ」
「く……」
正論だ。事実イビルアイの魔力にもそう余裕は無い。魔力の尽きた
沈黙を肯定と取ったラキュースはリーダーに相応しい手際で指示を出していく。
「レジーナさん、私が攻撃手に回るせいで回復役はほとんど貴女にやってもらうことになるわ。ごめんなさい」
「いやぁ、いつものことっすよ。なんならイビちゃん、足の傷だけでも治して……」
「ダ、ダメ! あ、えーっと……そう、貴女の貴重な回復魔法は温存しておかなくちゃいけないわ。イビルアイは私の仲間が連れていくから大丈夫よ。ありがとう」
「そーっすか。そりゃ残念、っす」
呟く表情には影が落ちる。太陽と評される明るい彼女も、さすがに参ってきているのか。無理もない、とラキュースは思う。
レジーナには驚かされてばかりだ。王城を出てからこっち第二位階の回復魔法を両手で数え切れないくらい使用しているのに、レジーナは平然としている。考えられることは保有する魔力の量が常人では考えられない程に多いのだ。
そして
この奇跡ともいうべき二つの素養が噛み合ったことで、彼女は将来間違いなく英雄クラスの神官になる。ラキュースも神官の
第三位階魔法である≪ファイヤーボール/火球≫はアダマンタイト級冒険者としても優れた攻撃手段だ。チームとしての主戦力は戦士のモモンだろうから、その補助に使うには充分な威力を発揮する。だが攻撃魔法ならばイビルアイに軍配があがる。彼女の魔法が有効打になっていない時点で、この赤髪の神官ができることは味方に回復魔法をかけることだけなのだ。
パートナーであるモモンとも分断され、不安と無力感に苛まれていることだろう。これが平時であれば励ましの言葉のひとつでも掛けてやりたいところだが、状況がそれを許さない。
(無力なのは私も同じ、か)
いまならイビルアイとガガーランが近接の総力戦を提案した理由が全身の実感をもって理解できる。確かに、あの悪魔にはそれ以外で対抗できそうにもない。
では、王国でも五指に入るアダマンタイト級冒険者をもってあたるしかないと思わせる相手と正面切ってまともにやり合っている少女は何なのか。敵の敵が味方とは限らないのはよく知っている。それでもあの少女が友好的な存在であると祈るしかない状況に、ラキュースは歯痒さを感じていた。
まずい。やり過ぎたかもしれない。祈る者はここにもう一人いた。ついさっきデミウルゴスを瓦礫に向けて蹴り飛ばしたシャルティアだ。<血の狂乱>の発動する心配が無いから、至高の御方々のためにという気持ちが先行してついつい手加減が甘くなってしまっていた。
仮面を被っていて良かった。血の気の引いた不安な顔を晒さずに済む。
目撃者がいるので≪メッセージ/伝言≫でのやり取りもできないし、
(うう、出てくるのが遅いでありんす。やっぱり……あっ!?)
細かな破片を押しのけて、二枚の黒翼が現れた。瓦礫の隙間からチロチロと蛇の舌にも似た炎が漏れている。
熱風というよりも小規模な爆発に近い波動を撒き散らして大きな火柱が上がる。高熱を帯びて吹っ飛ばされた瓦礫の欠片は即席の飛び道具と化して被害を拡大させる。建物が延焼する程ではないにせよ、人に直撃すれば火傷は免れず子供なら致命傷にもなり得る。周囲のガラス窓が多少割れただけで済んだのは、クライムたちの避難誘導の手柄だ。
渦巻き上がる炎はその場に留まり続けていて、明らかに自然のものではない。魔力によって引き起こされ、維持されている。誰が術者かは疑う余地も無い。
「いや本当にお強い。ですが、天恵を得た私には勝てませんよ」
およそ生者が触れれば数秒で死んでもおかしくない程の猛火をまったく意に介することなく、炎柱の中からヤルダバオトはゆっくりと歩み出る。言葉の調子には嬉しくてたまらないという雰囲気がにじみ出ており、大したダメージを負っているようにも見えない。
「わたしの方が強いでありんす!」
「やれやれ……ここは恐れおののくシーンですよ」
一瞬で掻き消えた炎柱。その熱気が消え失せるよりも早く、シャルティアは殴り掛かった。空気を切り裂き、洗練された鋭い風切り音がその場にいる者の耳を打つ。
小さな拳は空を切った。
鈍い音が二段、ボディーブローと蹴り上げを受けて純白のドレスが空中にふわりと舞う。重さを全く感じさせない軽やかさで、銀のハイヒールが石畳に着地する。ヤルダバオトの二連撃はガードされていた。
間髪入れずに着地後の距離を詰めて放った連打はヤルダバオトの真正面を捉える。一呼吸で胸に三発、腹に二発、計五発がそれぞれ必殺の威力をもって叩き込まれた。戦闘不能か、そうでなくとも激痛のあまりのたうち回る。そういうシーンしか連想できない強烈なコンビネーションだった。
だがヤルダバオトの反応はそのどちらでもない。肩を竦めた姿は何の痛痒も感じていない。
「無駄です。今度はこちらの番ですよ」
「ま、まずいでありんすー」
迫るヤルダバオトに合わせてバックステップを踏みながら、打倒の意思がこもっていないただ拒絶の殴打。手打ちの拳は足止めにもならない。スルリと伸びた腕は絡め取る蛇。白亜の仮面の下に覗く華奢な首を容赦無く掴み絞める。
「かはっ……!」
「そろそろ幕引きですが、折角ならこのままもう少し楽しませていただきましょう」
身長差もあって少女の身体は完全に宙に浮いている。いくら小柄といえどもあれでは首が絞まって窒息してしまう。
窒息は数ある中でも非常に苦痛な死に方だという。そんな残酷なことを嬉々として女子供へ押し付ける精神構造は悪魔以外に形容する言葉が無い。
「何をするつもりだ、ラキュース」
「っ!」
魔剣キリネイラムを握り、中腰になったリーダーに絶妙なタイミングで声を掛ける。そろそろだろうとは思っていた。きれいごとだけで世の中は回らないと知っている彼女だが、我慢にも限度がある。
「あの
「どうやって? 私の魔法も効かず、ガガーランが近付けないような奴だぞ」
「それでも、このまま殺されるのを黙って見ていられないわ」
感情論だ。そう言葉で切り捨てるのは容易い。それでもラキュースはあの少女を助けるために飛び出すだろう。
迷っている暇は無い。ヤルダバオトの気が変われば、小枝を
いまのイビルアイには少女を助け出す力も無ければ、大切な仲間を止める力も無い。ただ事実を口にしたところで止められないと、分かったうえでなお連ねる言葉は虚しく流れていくだけだ。
「待ちな」
「聞いていたのか、ガガーラン」
≪ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒≫を受けたお陰で腕と腹はひとまず緊急の治療を必要としない程度にはなっていたが、万全の状態ではない。言葉だけでも平然を装えているのはひとえに戦士ガガーランの根性によるものだ。
先端の歪んだ
「俺もいくぜ。あいつの気を散らす
「っこの……バカどもが……」
このリーダーにしてこの仲間ありだ。愚かしい。だが誰よりも愚かなのはそんな奴らを憎からず思っている自分ではないか。彼女たちと過ごした日々はいまの身体になってからの百分の一程度の時間でしかないというのに。
「筋肉オバケ運んでもうヘバッた?」
「よゆー」
軽装の二人も囮になるつもりだ。印を結んだ手は水の気を集めている。
もう迷っている時間は無い。逃げ出すことが大局的に正しい選択だったとしても、救えたかも知れない命に背を向けたなら居並ぶ彼女たちの仲間とは言えなくなる。そして、ここで逃げ出す奴はアダマンタイト級冒険者たる蒼の薔薇ではない。
体力も気力も限界が見えているだろうに、やたら雄々しく頼もしい背中はイビルアイに覚悟を決めさせた。腹が決まった途端に湧いてきたのは、勇気と怒り。たとえ粉砕される未来が待っていようとも、目にもの見せてやる。それは、長らく忘れていたひ弱な人間の意地だった。
幸い、この少しのあいだに≪フライ/飛行≫が一度使えるくらいには魔力が戻っている。戦う余力が無いなら、口火を切るのが自分の役目だ。
「よし、いくぞぉぉあ!? なっ、なにっ」
まだ魔法を使っていないのに、妙な浮遊感と腹周りのほんのり暖かい感触。視界には入らないがイビルアイは自分が持ち上げられていることに気付いた。
「なんか盛り上がってるとこ悪いっすけど、邪魔はさせないっすよ」
力をほぼ使い果たしたイビルアイをマスコットのごとく小脇に抱えたまま、腰まで届く赤い二本の三つ編みを揺らし、修道服似のトゥニカに深いスリットを入れた神聖さと淫靡さが同居した女────『太陽のレジーナ』は、凄絶な笑みを浮かべていた。
妖しく濡れる唇が歪な三日月を形作り、見た者の背筋に寒気とも痺れともつかない衝撃を与える。優れた容姿も極まればこの世のものならざる雰囲気を纏うものか。
「は、離せ! 何のつもりだ貴様!」
じたばた足掻いても両手両足が中空を泳ぎ、魔力不足で魔法も使えないとなればレジーナの拘束から逃れる
「余所見してていいんすか? 折角の見所ってやつっすよ」
スッと突き出した指先に誘われるように、全員の視線はその先にいるヤルダバオトといよいよ抵抗する力も無くなってきた少女へと向けられる。幸か不幸かまだ息はあるようだが、それはヤルダバオトが残忍にも生かさず殺さずの力加減をしているということだ。苦しみを長引かせる以外の理由など無い。
それは、流星だった。蒼の薔薇が飛び出すより早く、上空から落ちてきた何かが瓦礫をさらに飛散させて現場は土煙に覆われる。
「なんだ!?」
「誰か戦ってる」
直後から響く金属音を瞬時にティナは判断するが、音で拾える情報は断片的で、視界が晴れるまでは下手に動くこともできない。
数度羽撃く音とともに吹き抜けた風。砂塵とともに悪視界が流されていく。
そこにいたのは見紛うはずもない、漆黒の
「モモンさん!」
「全員無事そうで何よりだ」
◆
上空から乱入したアインズは自信に満ち溢れた力強さを意識して言葉を選んだ。これも強者を演出するためであり、口数を増やし過ぎると重みを損なう。発する言葉は必然的にある程度無駄を削がなければならない。
「ヤルダバオトさま……申し訳ございません」
地を這い
多少心苦しいものがあるが、王やガゼフにも強さを印象付けた魔将を完膚無きまでに痛め付けたと聞けば、モモンの強さはより強固な評判になって広がるはずだ。
人は一方的な噂には懐疑的になっても、違う角度から似た話を聞けば驚くほどすんなり受け入れてしまったりするものなのだ。
(と思うのは俺が日本人気質ってやつだからかな?)
片腕に感じる少しの重みと震え。仮面で表情を隠してはいるが、女の子であるシャルティアはどこか不安を感じていたのかもしれない。だが謎の少女として登場しているシャルティアの名を呼ぶ訳にはいかない。ましていまのアインズは戦士モモンなのだから。
不安を取り去ってやれない申し訳無さと感謝の気持ちを込めて、抱いた腕に軽く力を入れる。
「ひゃん!」
震えがさらに強くなり、全身が麻痺でも受けたようにカチコチになる。これでは下手に離れることもできない。
「待たせたな。そろそろ幕引きといこうじゃないか」
時間稼ぎのためにグレートソードを向けて挑発の言葉を投げかける。頼むから伝わってくれという懇願にも似た気持ちで。
のちにこの光景をクライムはラナーにこう語る。少女を守り、悪魔をまっすぐ見据えた様子はまさに英雄譚の一節を切り出したかのようだったと。
「対峙するとよく分かります。この方のお相手、あなたには荷が重かったようですね。少し離れていてください」
命令を受けた魔将は大人しく後方へ離れる。対峙しているモモンではなく魔将にわざわざ声を掛けたということは、こちらの意図は伝わったと見て良さそうだった。
「意外に部下思いなんだな」
「当然です。使えるものは最大限活用するべきですからね」
そう言うとデミウルゴスは懐から見覚えのある一本の
大した魔法ではないが、デミウルゴスが使用できる魔法の少なさをカバーするための手段として用意していた。
「そっ、それは! おやめください!」
恐怖に震える演技をする
魔将を一瞥することも無いデミウルゴスの姿はまさに冷徹と評するのが相応しい態度だ。ときにはそういった非情な演技も必要になるかもしれない。演劇の観客のような心境でアインズは感想を
「聞けませんね。≪ナパーム/焼夷≫」
眩しいことは眩しいが、アンデッドであるアインズには失明する心配も無い。
光と轟音で周囲の視覚と聴覚を奪った。デミウルゴスが作ってくれた千載一遇のチャンスだ。
素早くシャルティアに耳打ちをする。
「大丈夫か? もう少しの辛抱だ」
「はっ、はい」
天高く噴出した炎の壁は二階建ての建物をも飲み込むほどに大きい。ほどなく消え去った炎の跡に、夜の冷たい空気が流入する。
「さて、次はあなたの番です。……二人掛かりでも構いませんが?」
「離れているんだ」
名残惜しそうにしているシャルティアを離し、庇うように前へ出る。望むのは一対一の舞台だ。
シャルティアは数歩下がると踵を返し、高く跳び上がった。建物の屋根にふわりと着地する。
イビルアイたちが呼び止める暇も無く屋根の上を素早く渡り歩き、あっという間に姿を消した。
「おや、逃げられてしまいましたか」
「好都合だ。では、いくぞ!」
宣言と同時、伸びた鋭い爪がグレートソードに弾かれて鮮やかな火花を散らす。常人では担ぐことすら困難に思えるグレートソードはその大身にあるまじき速度で振り下ろされ、連続した斬撃はさながら荒れ狂う暴風だ。
肉体能力もさることながら、強力な魔法を行使できるヤルダバオトを戦士であるモモンが倒すには、近接戦闘で押し切る以外に無い。そのために重要なことは────。
「くっ! ≪
「させん!」
デミウルゴスがバックステップと同時にはためかせた
そう、モモンが勝利するために絶対必要なことは近接戦闘での優位を確保することだ。
(ここはあくまで戦士モモンとして、不自然じゃない勝ち方をしないとな)
実際のところ、デミウルゴスにはついさっきアインズ自らもっと上位の補助魔法を掛けているので、いまさら低位の魔法を掛ける意味は無い。狙いはモモンの強さに、計算された裏打ちを肉付けすることだ。
単なる力押しではなく、相手と自分を分析して勝てる手段を用いる。そうでなければただパワーだけの脳筋と侮られる要因になってしまう。
蒼の薔薇。ヤルダバオトとの戦闘は彼女たちが目撃者だ。王国でも数少ないアダマンタイト級冒険者がモモンの強さを爆発的に広める鍵になる。
王都をほぼ丸々巻き込んだ事態、収束した後も彼女たちはことあるごとに事件のあらましを訊ねられることだろう。
人の口に戸は立てられないというが、その話には戦士モモンの武勇が必ずついて回る。ただの噂話なら尾ひれがついたものだと信憑性が低いだろうが、アダマンタイト級冒険者である彼女たちの言葉であれば疑いの余地はかなり薄くなる。
名が売れれば面倒事の絶対数も増えるだろうが、情報収集がしやすくなるのは大きな利点だ。
「お見事です。ここまで手を封じられるとは。どうやら距離を取らせてはいただけないようですね」
「どうした、もうタネ切れか!?」
「いいえ、ならば距離を取らなければよいだけです!」
二手連続
「その
「終わりです。≪ナパーム/焼夷≫」
手元を目掛けてグレートソードを振るが、一手遅い。再び強烈な閃光と爆発じみた熱風が吹き荒れる。魔法発動の中心にいたデミウルゴスとアインズは巨大な炎の壁に飲み込まれた。
前回のあらすじをちょっと真面目に書いてみたよ。
長かった王国編もいよいよ次回でおしまいです。
アニメ2期も王国編に突入するので、蒼の薔薇も中の人が発表されていました。
声優さんがついた状態で原作を改めて読み返すと、また一味違った印象があって楽しいですね。
2018/11/10 行間を調整しました。