オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
クライム復活


第53話 闇に光る刃

 暗く広い室内、中央に置かれた楕円のテーブルを囲んで席に着いているのは六人。スポット状のほのかな光に照らされたシルエットは妖艶な踊り子のような者もいれば、ものものしいクローズド・ヘルム付きの全身鎧(フルプレート)に身を包んだ者もいてまるで共通性が無い。

 その中で、肩をすぼませて文字通り小さくなっている男がいる。口元についた古い刀傷と眉間に深く刻まれた皺は彼が過去死線を幾度となく潜っていまここにいることを主張していた。

 流れる玉のような汗は現在進行形で窮地に立たされている表れだ。

 

 幻魔サキュロント。

 

 犯罪組織八本指の警備部門幹部である六腕の一人。奴隷部門責任者コッコドールの警護依頼を受けた矢先に現場へ踏みこまれ、クライアント共々捕縛された。

 組織の手は長い。手を回してコッコドールとサキュロントの身柄は数日のうちに解放されていた。

 

 その直後警備部門のトップである闘鬼ゼロによる招集命令。サキュロントはほとんど拉致にも近い形でこの場へと連れてこられた。生きた心地がするはずもない。

 

 両腕を組み沈黙を続けていたゼロがテーブルに置かれた巻物(スクロール)を掴み、放る。それは魔法の込められたものではなく、ただ丸められただけの紙に過ぎない。

 

「見ろ」

 

 有無を言わさない命令は巻物(スクロール)を前にさらに身を固くしているサキュロントへのものだ。

 断るという選択肢は無い。その先に惨めな死しかないと分かっているから。

 

 震えを隠す余裕も無く手を伸ばしたサキュロントは、傀儡(くぐつ)のように緩慢ながらも確実な動作で巻物(スクロール)を広げる。

 中に書かれた字を追うにつれて動揺が激しくなる。

 

「こっ、これは……」

「そうだ。今回の貴様の失態によって掛かった諸費用の明細だ。中身が分かっていれば安心して払えるだろう?」

 

 二人を釈放するための根回し、娼館の警備体制構築に掛けた投資、コッコドールへの詫び料。総額は金貨数百枚では到底賄えないものだった。

 

「そして言うまでもないが、我らに恥をかかせた阿呆は必ず殺す。貴様も命が惜しければ死ぬ気で尽力しろ」

 

 周りの者たちは言葉を重ねずともゼロの意見に賛成だった。ヘマをやったのはサキュロントの自己責任であり、多少苛烈なところがあるものの責任を取らせるという点においてゼロの言い分は一応の筋が通っていた。

 

 異論があるとしたらこの場に一人。ゼロが言うところの阿呆の一人であるセバスと対峙し、その計り知れない実力差の前になすすべなく敗北を喫したサキュロントだ。しかし戦闘の実力において自分を下に見ている連中が忠告に素直に耳を貸すとも思えない。少し迷ったが、痛手を食ったときに何故言わなかったと追及されてはたまらない。仲間への助けなどではなく、単に自己保身の考えが彼の口を走らせた。

 

「どんな方法を考えているかは知りませんが、あの執事には手を出さない方がいい。底の見えない強さですよ」

「はっ! お前程度に見える相手の底などたかが知れているだろう」

「相手を持ち上げて己の力不足を誤魔化す……弱者の詭弁だな」

 

 案の定というか、反応の大半は侮蔑を含んだ嘲笑だった。だがサキュロントからすればそこはどうだっていい。危険性を忠告した事実が重要なのだ。そのうえで他の六腕のメンバーが何をしたとしても組織への義務を果たしていさえすれば自分を咎めるのは筋違いというものだ。当然、問題の執事だけではなくスタッファンとともに屋敷を訪れたときの女主人のことや、いまは連中の屋敷にいるであろう娼館の元従業員についても共有しておく。

 

 ゼロの手の者によれば執事と女主人は商売のことで早朝から馬車に乗って出掛けている。用心棒などがいないのはサキュロントの訪問時に確認済みだ。

 ゼロの提案した制裁は、女を攫っておびき出すという定番でかつ堅実な内容だった。さらには対外的なアピールの意味も含めて戦闘には六腕全員が参加するように指示が飛ぶ。一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵するとさえ噂される六腕に囲まれた相手は、処刑ですらない嬲り殺しになるのは目に見えている。

 並大抵の者では相手にならないほどの戦闘力を持ちながらも、その内面は狡猾にして理性的。腕に覚えのある連中が集まる警備部門のボスという地位は伊達ではない。

 

 そして情けない話ではあるが、このときサキュロントは心のどこかでホッとした。なぜなら、八本指最強の六腕全員に囲まれて無事でいられる者などいるはずがないからだ。

 あの執事がいかに強かろうが、できることは精々正面の相手へ破れかぶれに襲いかかるくらいだろう。意図的に前に出て自分がその役目を果たせば、組織への面目は立つ。そうすれば一旦この件は落着して、また商売に専念できるようになるだろう。さっき突きつけられた請求書も決して安い額ではないが、組織にいることで受ける恩恵や将来的に自分の懐へ入る金のことを考えれば必要経費と思って割り切れる。

 

 ゼロの手の者はすでに対象を確保する命を受けて動いている。他の六腕の意見がどうであれ、ボスはやる気だったのだ。

 女と引き替えに置いてくる手紙にはこの場所まで一人で来る旨と、誰かに知らせたり複数人で来れば女の命は無いという定番だが効果的な脅し文句が書かれている。

 外は黄昏。執事がここへ着く頃にはあたりはすっかり闇に飲まれて、さらにこちらに有利になる。これも計算のうちだ。

 ゼロの鮮やかな手並みに薄ら寒い戦慄を覚えながら、サキュロントは他の六腕ともども報告を待った。

 

 

 

 

 

 

 ツアレの運命を分けた日から、この館における彼女の生活が変わることはなかった。これまで通り朝起きて家事をして夜に眠る。セバスとソリュシャンが貴族や商人へのあいさつ回りで早朝から夜中まで留守にしているため食事の用意は一人分だけでよくなったのだが、手間と一緒にセバスと食卓を囲む機会も減ってしまったため一括りに喜べることではなかった。

 商売の都合で近いうちに王都を離れる。要点はそれだけなのだが、一言伝えてはいさようならとできるほど貴族や商人との関係性は簡単ではない。別れ際の印象ひとつが将来自分たちの首を締めることにもなりかねないのだ。

 そしてセバスたちは彼らの主人であり現在はツアレの主人でもある『至高の御方』より屋敷の撤収を命じられている。遅滞無く命令を完遂するためにセバスたちは連日詰め詰めのスケジュールを精力的にこなしていた。

 

 一週間もすればモノの場所や要領も分かってくる。仮メイドとして働きはじめたときは日がな一日やることに追われていたものだが、いまでは合間にうたたねできるくらいの余裕ができていた。

 

 お嬢様が本当はセバスの部下であると知ったあの日の翌日に、毎日必ず休憩時間を取るように言われたのだ。「全然平気です」と答えたがどうやらこの指示には至高の御方が関係しているらしく、すっかり困ってしまった顔のセバスを前にツアレは頷きを返す他無かった。

 実際休み無く働くことに苦痛は感じない。とはいえ、休憩を取ると約束してしまった以上はその言葉を嘘にするわけにもいかなかった。

 

 そんなわけでぽつんと一人で仕事もしない空白の時間が一日最低でも一時間あまり、いまのツアレにはあった。

 

 ホールの上部にある窓から差し込む光はすでに夕暮れの赤から月の青へと変わりつつあり、休憩というよりもうほとんど今日という一日が終わろうとしていた。習慣がないためについうっかり忘れてしまうのだ。おかげでもう残っている仕事は無い。普段より少し早めに床に就くことで帳尻を合わせるしかなさそうだった。

 

「あ、そうだ」

 

 あることを思い出したツアレは階段を降りて、倉庫がわりにしている空き部屋の扉を開ける。簡素な机の上には数枚の羊皮紙が置かれていた。

 文面は確認せずそれらを手に取るとすぐに踵を返す。

 

 横断するホールには壁や階段の手すりにぶつかったりしないための常夜灯が淡く光っており、大きな吹き抜けの輪郭をおぼろげに浮かび上がらせている。少し目をこらさないと足元の絨毯の模様が見えない程度に暗くなっているが、ただ前に進むだけであれば支障は無い。

 

 ホールの向こうの扉は開いたままになっている。ちょうど中間の位置まで進んだあたりで、扉の奥に揺れる赤い二つの光が見えた。それは周りの空間に滲むような暗色を併せ持ち、近付くにつれてツアレの身長よりも頭一つ以上高い位置にあることが分かる。

 

 ゆらゆら。扉の近くの灯りは赤い光と一緒に揺れる緋色のローブを照らし出す。

 赤い二つの光はおぞましい髑髏の眼窩に灯った眼だ。呼吸も必要としなければ心臓が脈打つこともない、誰が見てもそれと分かるアンデッド。

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は第三位階魔法の≪ファイヤーボール/火球≫を使いこなすことで非常に危険なモンスターとして認識されている。ときには負の力が溜まりやすいダンジョンの支配者として君臨しているケースもあるという。

 だが死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は負の力の吹き溜まりから稀に自然発生するか、元から邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)が死したのちに負の力と結びついて生じる存在だ。いずれも身にまとうローブは汚れた襤褸(ぼろ)であり、王室の回廊に敷かれているような鮮やかな赤ではない。

 

 そう。このアンデッドは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などという、か弱い存在ではないのだ。

 

 モンスターの危険度を可視化するために、冒険者組合のつけた『難度』と呼ばれるものさしがある。

 これによると死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の難度は六十強。白金(プラチナ)級冒険者なら苦戦は必至、ミスリル級冒険者チームでやっとそこそこ余裕を持って討伐できるかといったところだ。

 

 冒険者組合の基準に照らし合わせるとするなら、緋色のローブを纏ったアンデッドの難度は優に二百を超える。ミスリル級冒険者が束になってかかろうが五十人いようが、歩みを止めることすらもできない相手だ。

 その種族の名は死の支配者(オーバーロード)。系列は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と同じだが、遥か高みに位置する上位種である。

 

 知ってか知らずか、緋色のローブに気付いてもツアレの足が止まることはない。それどころかまっすぐに()のアンデッドのもとへ歩み寄っていった。

 

「司書長はいつものところですか? ええと……アエリウスさん」

 

 ぎょろり、と瞳も何も無い眼が少女に向けられ、身長差の関係もあり自然と見下ろす形になる。

 アエリウスと呼ばれた個体の口元からは室温に比べて不自然な冷気が漏れている。

 

「その通りだ。司書長ならばいつもの部屋におられる」

「そうですか。ありがとうございます。ところで、なんだか浮いているように見えるのですけど……」

「≪フライ/飛行≫の魔法を発動しているのだ。日中はまだしも、生者の寝静まる夜中に音を響かせぬよう司書長から通達を受けている」

「そうだったんですか……。あとでお礼を言っておきますね」

 

 死の支配者(オーバーロード)から放たれたのは≪ファイヤーボール/火球≫でもなければ≪ライトニング/電撃≫でもない、彼から見れば小虫並みに貧弱な生き物であるツアレから投げかけられた質問に対するごく普通の返事だった。

 ツアレもまた当たり前のように礼の言葉を述べ、先を急ぐとばかりにパタパタとアエリウスが来た方へと消えていった。

 

 あとに残されたアエリウスは何とは無しにツアレの後ろ姿を目で追う。アンデッドの特性である闇視(ダーク・ヴィジョン)のためにかなり離れても目視に難は無い。吹けば消し飛ぶような人間にあのようにわだかまりなく話しかけてこられるなど、過去に一度も無い経験だ。死者と生者は相容れない存在だと認識していたが、少なくともあの人間の行動はアエリウスが考えるその理から逸脱していた。

 この屋敷に来てから生じた変化が原因のひとつではないかと疑うのも無理はない。

 

 疑問の答えが出そうにないという思考に行き着くと、腕に抱えた分類済みの本の重みの存在感が急に大きくなってきた。いまはこれこそが至高の御方によって定められた自分の役目であることを思い出し、アエリウスは作業に戻った。

 

 

 

 ナザリック大図書館(アッシュールバニパル)司書長であるティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスは至高の御方の命を受け、屋敷内の書物を分類整理しつつ撤収準備を進めていた。

 未知の書物を前に、読み(ふけ)りたい気持ちがふつふつと湧いてくるのを感じる。

 

 知的好奇心。そして低位以外の巻物(スクロール)作成がまるで進んでいないことも理由のひとつだ。

 

 守護者デミウルゴスが供給ルートを確保したお陰で第二位階魔法までなら潤沢に、第三位階魔法なら若干数の量産が可能になった。

 しかし第四位階から上の魔法を籠めようとすると成功率はゼロ%。すべて素材の炎上消失に終わっている。

 魔法の種類や術者、皮を加工してからの時間やサイズなど手元でできそうなパターンは一通り試したが結果は変わらなかった。

 そして司書長はひとつの仮説にたどり着いていた。

 

 現地で手に入る素材で巻物(スクロール)を作成する最適な方法はナザリックのノウハウに無く、まったく異なる技術体系があるのではないか、と。

 

 その仮定を前提にすれば、あの手この手を試してもすべて失敗するのは道理だ。市場に出回っていると聞く巻物(スクロール)をたった一人が作っているとは考えにくく、口伝やあるいは文書などによる知識の保存共有の手段が存在しているはずなのだ。

 それが手に入れば、この行き詰まった状況に穴を開けられるかもしれない。

 

 そのため、セバスが書物以外にも魔術士協会から多種多様な巻物(スクロール)を買い集めてくれていたことは渡りに船だった。

 

 撤収を進めながら気になったタイトルを頭の中にメモしていく。仕分けをしている机の端には、ここ数日使っていない魔法道具(マジック・アイテム)の虫眼鏡が置いてあった。これを通すと大抵の言語、具体的にはルーンなどのそれ自体が魔力を帯びたもの以外ならばある程度読むことができる。同じ効果のある眼鏡をセバスが所有しているが、骸骨魔術士(スケルトン・メイジ)であるティトゥスには使えないためこちらを持ってきた。

 ある程度というのは翻訳があくまで意訳のため、細かいニュアンスが拾えないことがあるのだ。

 そのためティトゥスはなるべくこのアイテムは使わず、王都に来たことで得られたもう一つの理運を活かしたアプローチを試みていた。

 

「司書長さん、今日は三枚です」

「来たか、ツアレ。そちらへ置くがいい」

「はい」

 

 指示に従い、ツアレは手に持っていた羊皮紙をテーブルの上に並べる。

 セバスたちが挨拶に行った商人からの紹介状や魔術協会で購入した巻物(スクロール)の品目表などであり、文面は様々だ。

 司書長は一枚ずつ文字を指で追いながらぶつぶつと独り言をつぶやく。何も知らない者が見ればその様はまるで呪術の儀式であったが、司書長を知る者にとっては単に彼の研究者としての顔でしかない。指が三枚目の紙をなぞり終え、一枚目の上に戻る。

 

「これは、紹介状か? セバスたちの使っていた偽名とは異なる固有名詞が多く出てきている。するとここは街道の名称か……。そして続く先にあるのが都市の名称ということだな」

「セバス様が紹介状を渡されたって言っていましたから、きっとそれですね」

 

 書物の整理をしながら蓄積した単語や文法をパズルさながらに組み立ててはバラし、より整合性が取れるよう精度を上げる。断片的な情報の集合は稚拙ながらも司書長の中で身を結びつつあった。

 同様に二枚目三枚目の文書を読み解き、ツアレがセバスから聞いた話と合致していることを確認した。

 

 これらは人間という異物であるツアレがささやかながらも至高の御方々の役に立っているという既成事実を作る目的と、司書長の個人的な希望によって成り立っている。

 

 書物で得た知識と、実際に体験して得た知識は本質的にまったく別のものだ。物差しのひとつとして現地人のツアレが持つ価値観や認識に基づいて発される言葉は様々な推察をするにあたって重要な手がかりと言えた。

 

「司書長、次はそちらでよろしいですか」

 

 整理された書物の運搬を担当しているアエリウスが戻り、淡々と作業をこなす様子はおどろおどろしい外見との対比でツアレの目には殊更勤勉に映った。

 

 

 

「私はお仕事に戻りますね」

「うむ、次を楽しみにしている」

 

 頃合いを見計らい、司書長の仕事場を後にする。あっちはあっちでやらないといけないことがあるのだから、あまり長々と邪魔するわけにはいかない。

 用の済んだ羊皮紙を重ねて回収し、もと来たルートを辿る。暗闇の奥に薄っすら揺れる赤いものは荷を持っていったアエリウスが戻ってきたか。

 

 最近は司書長のところへ通うのがほぼ日課になっている。文書を持っていくとその礼だと言って簡単な読み書きを教えてくれた。まだ教わり始めて数日ではあるものの司書長の教え方が丁寧なお蔭で大体の音読と、自分の名前くらいは書けるようになった。聞いたところによるとセバスは読み書きに明るくはないらしく、文書を読めるようになる魔法道具(マジック・アイテム)を使用しているとのことだった。だから読み書きがもっとできるようになれば、もっとセバスの側にいられる時間が増えるかもしれない。それを思えば頑張れる。傷付き壊れかけた自分の中に、こんなにも誰かを愛しいと思う心があること、いまはそれがただただ嬉しかった。今夜の帰りはいつもより早いと言っていたので、数日ぶりにお迎えをすることができる。ついつい歩みを進めるテンポも早くなり、弾んだ心は闇に紛れたそれを知覚することができなかった。

 

「≪スリープ/睡眠≫」

「え? あ……」

 

 月明かりが闇に呑まれて、暗い。遠くで自分を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、何が起きたのかを理解することもなく深い眠りに(いざな)われたツアレは急速に意識を失いその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 屋敷へ忍び込んだ出合い頭に標的の娘はいた。突然の状況にも手慣れた経験が反射的に体を動かす。

 

 ≪スリープ/睡眠≫。拉致をするのにこれほど便利な魔法も無い。使い勝手が良く、痕跡も残らないうえに魔法による睡眠は多少の外部刺激では目覚めないのだ。それに一般人で日常的に睡眠対策をしている者は皆無と言っていい。今日の標的も例外ではなく、あっさりと眠りに落ちた。この時点で依頼された仕事はほぼ成功したと言っていい。

 

「ツアレ!」

 

 咄嗟に名を呼ぶ声は標的以外の誰かがいたということだ。位置の関係で声しか聞こえずその姿は見えないが、駆け寄ったとしてもこちらの方が早い。邪魔になるなら少し痛い目を見てもらうだけの話だ。依頼を受けているのは娘の拉致のみ。追加報酬を指定されていないこともあり、わざわざ他を始末する意味は無い。ものの数秒で娘のところへ着けばそこで視界に入るはず。視線を横に流すと今回同行したもう一人も怯ませるためのスローイングナイフを懐から数本取り出し、投擲の準備をしている。熟練したバディの判断は逐一確認をせずとも阿吽の呼吸で同じものに至っていた。二人なら中距離遠距離を同時にフォローできる。一瞬足止めした隙に娘を担いで即離脱すれば仕事は終わりだ。

 

 細かい事情は聞いていないが、本来守ることが主業である警備部門のボスから突如下された拉致命令はどう考えてもイレギュラー。人員のスカウトなどであるはずもなく、さしずめ何らかの制裁といったところだろう。つまりこの娘をエサにして、本当に釣り出したい相手がいるのだ。そう考えれば心身ともになるべく無傷で攫うのが望ましい。どのように使うにしても素材は傷が無く新鮮な方が料理の幅も広がろうというものだ。

 

「ツアレを護れ! アエリウス!」

 

 再び姿見えぬ声が暗闇を駆ける。人を呼ばれると多少厄介だが、近くには駆け寄る足音も無い。数手先んじたことを確信して暗闇の襲撃者たちは手を伸ばした。

 

 次の瞬間だった。横から割り込んできた緋色の何かに阻まれ、圧倒的な腕力で顔面の下半分を掴み持ち上げられる。全装型のガントレットでも着けているのか嫌に固く冷たい感触だった。

 

「なガッ! す、≪スリープ/睡眠≫……!」

 

 咄嗟に得意の魔法を打ち込む。正面切った戦闘ではこいつのようなパワー系には敵わない。偶然近くに潜んでいたのは驚いたが、急な襲撃であればこいつも睡眠対策はしていないはずだ。魔法の睡眠効果はすぐに出るため、発動さえ失敗しなければこの状況はまだ自分に優位だ。

 そして発動のための魔力はまだ充分量がある。正しく発動した魔法の感覚と同時に、自分を掴んだ手が脱力するのが分かった。

 

「は、あ? ガッ! ぶぐぁがあぁあぅうう! んんー!!」

 

 緩んだ握力が幻覚だったと思うほど、さっきの倍以上の力で締め上げられた顎骨はいまにもへし折れんと軋みを叫ぶ。詠唱のために口を開こうにも、僅かにでも動かせば途端に下顎を握りつぶされてしまう致命的で絶望的な想像が頭の中で膨らんだ。かろうじて動かせる視界の端には自分と同じように拘束され暴れるバディがいた。

 

「あいにくだったな。私にそれは無意味な行為だ」

 

 小麦をすり潰す石臼にも似た異様な重圧を感じる声は無慈悲に、無感情にただ事実を口にした。

 

 緋色のローブの下に見えたのは(おぞ)ましい骸骨。自由を奪われた状態で死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に敵対することは大抵の者にとって死と同義だ。

 だが一種のパニックに陥っている襲撃者たちは気付けるはずもない。己を拘束している腕力が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などの比ではないことに。

 

「ふっ! んぐっ!」

 

 苦し紛れに蹴りを放てどローブが軽く波打つばかりで、軋みをあげる顎への締め付けが弛むことは一切無い。

 

「慮外者どもが。≪ライトニング/電撃≫」

 

 詠唱と同時にアエリウスの右手から発した電光が襲撃者の頭を貫く。密着状態から放たれた光速の魔法を防げる者などいるはずがない。まして≪ライトニング/電撃≫は才能ある魔法詠唱者(マジック・キャスター)が努力を重ねてやっと使えるようになると言われる第三位階の魔法であり、威力の高さも折り紙付きだ。全身を数度痙攣させた襲撃者は周囲に肉の焦げる臭いを漂わせて絶命した。

 

 隣の焼死体は数秒後の自分だ。もう一方の襲撃者は半狂乱になってさらに暴れた。だがあらゆる抵抗は無駄に終わる。

 

「かっ……」

 

 顎骨を握る圧力が一段と跳ね上がり、頭蓋を通じて歪んだ音が広がる。もうひと押しの力が加わるだけで再起不能なほどに握り潰されてしまうだろう。

 

「そこまでだ、アエリウス」

 

 制止の声によって万力の圧迫は停止する。止まっただけで弛んではいないが、すでに抵抗の意思は無くなっていた。

 

「もうじきセバスたちも戻ろう。私はツアレを寝室へ運ぶ。その人間は逃がさないようにしておくのだ」

 

 アエリウスが頷きを返すと司書長は眠りに落ちたツアレを抱き上げる。崩れ伏したときに腰から落ちたため怪我は無い。穏やかな寝息を立てている。

 

 二人が去ったあとに残されたのは焦げ臭さの立つ死体と恐ろしいアンデッドに頭部を掴まれたままの襲撃者。歯の根は合わず、生物としての本能が全身で白旗を揚げていた。

 

「……んで。なん、で」

 

 ひゅうひゅうと口から漏れるすきま風。死を眼前に突きつけられた極度の緊張が男の精神を削り、肺の中を空っぽにするほどの息を消費してなおその言葉を発するのが精いっぱいだった。

 仕事柄、考えずとも分かってしまうことがある。一人を殺し、もう一方を殺さず捕らえたその理由。

 

 そもそも王都のそこそこ立派な普通の屋敷の中にこんなアンデッドが徘徊していること自体理解を超えているが、この先自分を待っているのはろくでもないことなのは間違いない。できることは奇跡の懇願だけだったが、その未来もまた無慈悲に打ち砕かれる。

 

「≪タッチ・オブ・アンデス/不死者の接触≫」

 

 無造作に解放された死体が床に棄てられ、漆黒の禍々しいオーラが骨の右手にまとわりつく。一目で分かる不吉を逃れる(すべ)は無く、いやに冷たい感触に頭を覆われた男の身体は糸の切れたマリオネットのように脱力した。

 

「何が貴様にとって最良の選択か、唯一残された自由な思考でよく考えておくことだ」

 

 たとえ嫌なことでも未来を想像してしまうのが知性ある生き物の悲しい(さが)である。屋敷に侵入したときから、逃れられないデッドエンドへと踏み入れてしまっていたことに男はようやっと気が付いた。そして、もう取り返しがつかないことも。

 

 

 

 相変わらず弱い灯りが揺れる屋敷の中を淀みなく進む人影。アンデッドに代表される闇視(ダーク・ヴィジョン)などの能力は無いが、高レベルの修行僧(モンク)でもあるセバスにとって周囲の様子を鋭敏な感覚で捉えることは息をするくらい簡単なことだ。

 

 司書長の報告を受けたセバスの判断は早かった。まずソリュシャンへ捕虜の尋問を指示し、自身は念のためツアレの容体確認に向かった。目立った外傷が無くとも少しの打ち傷が後々の致命傷になることもある。まして司書長は回復魔法に長けた神官(プリースト)ではない。彼の知識の深さには敬意を表するが、暫定といえど至高の御方より預かった貴重な部下を傷付け失うリスクはできる限りゼロにしなければならない。

 その点はソリュシャンも同意見であり、セバスの指示に異を唱えることはしなかった。

 

 眠るツアレに<気功>で生命力の補充を行い、さらに気の流れに異常が無いか調べたが幸い問題は見付からなかった。

 

「うふふ……」

 

 暗がりから漏れ聞こえてくるのは妖艶な雰囲気を纏った女の声。その濡れた響きには享楽的とも言える欲望が滲み出ていた。

 この王都へ潜入してからは長らく見せることの無かった顔。だが決して忘れることは無い。彼女もまたセバスたちと同じく、至高の御方によってそうあれと創造された存在なのだから。

 

「ふふふ……。さあ次はどうしようかしら? もうこっちの腕には刺すところが無くなってしまったわ」

 

 戦闘メイド(プレアデス)としての正装に着替えたソリュシャンは両刃の大ぶりなナイフをふらふらと指先で弄ぶ。粗末な椅子に座らされた襲撃者の両足は大きく切り裂かれ、縛り付けたりせずとも自力で立ち上がることは不可能になっていた。

 抜けば失血死を早めるので刺されたままになっている右腕はもはやナイフの針山と化している。刺すところが無いと言っておきながら隙間にナイフをあてがうと、柄尻を中指で螺旋を描くようにしてねじ込んだ。押し分けて裂傷が広がり、骨と刃が擦れ合う感触がドロついた欲望を満たし、ソリュシャンを陶酔に(いざな)う。

 

 静かなのは襲撃者の精神力が強固なのではない。ソリュシャンによる「質問」を受けた直後、抵抗の無意味さを悟っていた彼は五分と経たずに組織の情報を吐いている。身を置く組織からして、仕事に失敗したときにそれなりのリスクがあるのは覚悟していた。だが、それも大きなリターンがあってこそだ。冒険者でもないただの一般人を攫うだけの仕事で確実な死が大口を開けて待っているなど、誰にも予想し得るはずがない。

 生きることを諦めた彼にとって不幸だったのは、自死の自由すらも初手で奪われたこと。そしてすべてを吐き出して死を懇願したくとも、依頼者の情報を聞いたこの女が「それだけ聞ければもう結構です。あとはお楽しみください」と言って拷問を始めたことだった。その時点で口元はよく分からない液状のものに覆われ、声を上げることも叶わない。

 

「意外と入るものね。もう一本いってみようかしら。しっかり聞こえているから、いい声で鳴いてねぇ」

「ソリュシャン、情報は引き出せましたか?」

 

 掛けられた声に振り向く。接近していることは認識していたが、あえて待っていたのは単に愉悦の時間を長く取りたかっただけに過ぎない。久しぶりの楽しみをここで切り上げなければならないのは少々残念だが、個人的な趣味と与えられた責務のどちらを優先させるべきかは明確だった。手にしていたナイフを自分の胸元へ当てると、普通の人間ならば致命傷になる場所へズブズブと呑みこまれる。

 

「はい。組織の名は八本指。その一部門幹部である六腕には先日この屋敷を訪れた男の名が」

「あれだけ脅しておいてまた噛みついてくるとは思っておりませんでしたが……」

「攫ったあとにこれを置いてくるよう言われていたようです」

 

 今度は手の平から一枚の羊皮紙を差し出す。受け取ったセバスは胸元から取り出した眼鏡をかけて文字を追った。そこに書かれていたのは先日の礼としてツアレを攫ったこと、身柄を返してほしければ指定の場所まで独りで来ること、誰かに知らせたり複数人で来た場合に娘の無事は保証しないことなどありがちな脅し文句が書かれていた。

 現実にはツアレの拉致は失敗し、彼女は自室で穏やかな寝息を立てている。この文書は何の効力も持たないどころかただの恥さらし以外の何物でもないのだが、至高の御方の名のもとに保護されているツアレに害を成そうとするのはナザリック全体に牙を剥く行為に等しい。セバスとソリュシャンの怒りを買うには充分過ぎるものだった。

 

「ナザリックに連絡を。デミウルゴスが何か仕掛けをしていると聞きましたので、報告とあわせて影響が無いか確認します」

「そのあとは?」

「……叩き潰す以外無いでしょう」

 

 肩越しに答えた声音には緊張も虚勢も無い。ただ事実を口にしただけである。明確な悪であり、ナザリックの敵。情けをかける要素はどこにも無かった。

 

「ぐ、愚問でした」

「それの処理はお任せします」

 

 投げかけられた視線は紛れも無くナザリック地下大墳墓家令のものであり、先の失態からソリュシャンの中に芽生えていた不安と疑念を吹き飛ばした。思わず赦しを乞うてしまいそうになるほど冷たい声の響き。その姿は触れるのが躊躇われるほどに鋭く、闇に潜む一本の剣のようであった。




※このあとソリュシャンがおいしくいただきました。

2018/11/9 行間を調整しました。

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