オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第6話 陽光聖典

「どういうことかご説明いただけるかな? ゴウン殿」

「ええ、構いませんとも。ですが状況が状況なので手短にお願いしたい」

 

 村を囲むように距離を詰めてくる魔法詠唱者(マジックキャスター)の部隊。家屋にはめ込まれた窓越しに観察するアインズにやや食ってかかるガゼフは少々混乱していた。

 一方アインズは包囲者が侍らせる召喚された天使がユグドラシルで見覚えのあるモンスターだったため、しばらく沈思黙考していた。それがガゼフには言い淀んでいるように見えたらしい。

 

「ゴウン殿、隠し事をするなとは言えんが私には王より預かる部下と守るべき民がいる。少なくとも私の裁量においてこの場で恩義あるあなたたちに危害を加えるようなことはせん」

「そうでしょうね。あなたはそういう方だ」

「だから単刀直入に聞く。先程危険は無いとあなたが言った、彼女らは何者なのだ? 特にあのローパーのようなモンスターは…………」

「む! ローパーなんかと一緒にされたら困「茶釜さんややこしくなるからちょっと黙っててください」

 

 上下にむにゅむにゅ蠕動して不満の意を表すぶくぶく茶釜と、そーだそーだ一緒にするなーと煽るアウラを宥めるアインズ。変な空気になってしまったのは努めて無視する。

 

「彼女は私の大切な友です」

闇妖精(ダークエルフ)の子供は?」

「私たちの部下であり大切な仲間です」

 

 端的に答えると、それ以上言うことは無いとばかりにアインズは窓の外へ視線をやる。包囲網はどんどん狭まっている。

 

(手の内を明かすつもりは無し、か…………)

 

「分かった。今この場においてこれ以上追及するつもりは無い。お二方、ゴウン殿と共にこの村を救っていただいたようだな。厚く御礼申し上げる」

 

 ぶくぶく茶釜とアウラへも礼を述べるガゼフを見て、アインズは確信した。この人物は偏見というものが無いらしい。ナザリック的には大きくプラス査定だ。

 状況さえ許すのならばもっとじっくり異形種への理解を深めてもらいたいところだが、それを許さない障害を憎々し気に睨む。

 

「しかし彼らは何者でしょう?」

「天使を使役するのならば恐らくはスレイン法国の手の者だろう」

「目的は? この村は資源的にも戦略的にも要衝だとは思えませんが」

「ゴウン殿たちに心当たりが無い……となれば狙いは俺か。まさか法国にまで狙われているとは思っていなかったが」

「恨まれているようですね。となると帝国兵だと言っていた先の騎士達は」

「法国による欺瞞工作の可能性が高い、か」

 

 ガゼフは目を伏して黙り込む。民を守る自分が原因で守るべき民を危険に晒す。外道の敵に対する怒りと同時に、王国民に対して身の縮む思いに苛まれていた。それでもガゼフは立ち止まらない。王国戦士長として自分ができる、やるべきことを冷静に見ている。まずは一手、ダメ元の初手を打つ。

 

「…………ゴウン殿、良ければ雇われないか? 報酬は望む額を用意しよう」

「お断りさせていただきます。私たちとしてはどこかの勢力と事を構える気はありませんので」

「王国の法に基づいて縛ることも…………できそうにないな。あなた方を敵に回したら法国の刺客共々全滅しそうだ」

「ご冗談がうまい。これを渡しておきます。どうぞお持ちください」

 

 小さな木彫りの人形を渡す。実は五百円ガチャのハズレアイテムなのだが、そんなことを当然知らないガゼフは激励の証と思ったか気持ち良く受け取ってくれた。

 決死の覚悟で陽動を買って出た王国戦士隊。ガゼフは再三の礼を述べ、村人の避難をアインズに頼んできた。わざわざ助けた村人を憂き目に遭わせては元も子もない。アインズは二つ返事で了承した。

 

「重ねて御礼申し上げる。ゴウン殿。もはや後顧の憂い無し」

「それとガゼフ殿、私からあなたへもう一つ贈り物があります。茶釜さん、アウラ、村人を連れて避難の準備を」

 

 アインズに促されたぶくぶく茶釜とアウラの誘導に従い村人たちが出ていき、家屋の中にはアインズとガゼフの二人だけになる。行動が早いに越したことはないが、何故このタイミングで指示を出したのか少し疑問に感じたガゼフに仮面の下から微笑み掛ける。

 

「何、時間は取らせませんよ」

 

 おもむろに仮面に手をやり、ゆっくりと外す。ガゼフが息を呑む気配が伝わったが、構うことは無い。(いつわ)らない素顔をさらしたまま、アインズはガゼフを真っ直ぐ見据えた。ガゼフの目には驚愕こそあったものの、忌避するような様子は無く、アインズは再び仮面を被った。

 

「…………何か感想は?」

「アンデッドだったとはな…………並の人間ではないと思っていたが。しかし何故?」

 

 何故自ら正体を明かしたのか。

 

「異形種である私の仲間を尊重してくれたことに対する礼と、あなたが偏見を持たず、見る目を持った人物だと思えたからですよ。ガゼフ殿」

 

 素顔を明らかにする前後で、アインズの様子に変わりは無いように見える。アンデッド特有の生者を憎むような素振りも見せない。そもそもここで本性を現して襲ってくるのなら、仲間をこちらの目に触れさせる前に強襲するのが定石だろう。ごく稀に生者との取引に応じるアンデッドもいると聞くが、実際目にするのは初めてだった。

 そしてアインズが指摘した通り、その正体を知っても不思議と嫌悪感は湧かなかった。アインズがガゼフの人柄を見たのと同様に、ガゼフもまたアインズの人柄に触れ、好意を持っていた。

 

「村の者は?」

「薄々気付いている者もいるかも知れませんが、ハッキリ見せたのはあなただけです」

「光栄だ。しかし世間ではアンデッドを忌避する者が大半だ。連れている二人についてもな。お気を付けられよ。私はそろそろ行くとします」

「ご忠告感謝します。ご武運を」

 

 後ろ髪を引かれる思いであったが、村の包囲が狭まるいま、のんびりしていては機を逸する。アインズからの贈り物は己の内に秘め置くことを約束し、表に待機させていた部下を引き連れてガゼフたちは村を出た。

 避難する連中と合流すると、何故ガゼフたちが村を出ていくのかと村長が(すが)るように聞いてくる。遠ざかる馬の足音が聞こえていたらしい。真意を説明すると納得し、村人の集まりの中へ戻っていった。恐らく似たような不安を抱えていた者が他にもいたのだろう。

 

「アインズさーん。こっちこっちー」

 

 触手を一際高く上げながら呼ぶ声に近付く。側にはアウラもいる。一先ず現状の説明をし、ここからの動きを相談する。今回は思いも掛けないチャンスだ。ガゼフとの邂逅、スレイン法国の接近。領地主(りょうちぬし)側の勢力であるガゼフと友好的に接することができたのは取り分け大きな収穫だ。この際ついでに法国の力量も計ってしまおうと言うのが軍師ぶくぶく茶釜の意見だった。アインズもそれに近いことは考えていたため、ガゼフに渡しておいたアイテムの対をぶくぶく茶釜に渡しておく。

 

 あれこれと作戦の段取りを話し合うのは、まるでギルメンみんなでダンジョン攻略の打ち合わせをしていた時をなぞるようだった。

 

 

 

 

 

 

「んん〜、い〜いザマだな。ガゼフ・ストロノーフ」

 

 悠々と勝ち誇る男はスレイン法国特殊部隊、六色聖典の一つ陽光聖典の隊長ニグン・グルッド・ルーイン。総員百人に満たない組織だが、亜人種やモンスターを狩ることを本業とするバリバリの実戦派戦闘部隊である。彼らが主戦力とするのは純白の召喚天使。現在その矛先は王国の戦士に向けられていた。

 

 あちこちに傷を負い、肩で息をするガゼフに天使が迫る。剣を握り直すと逆袈裟に一閃。召喚された天使は剣閃を起点に光の粒子になって霧散する。これで何体目か。視界には片手では足りない数の天使が攻撃の命令を待っている。天使の何体かは倒したものの、部下の多くは戦闘不能に陥っている。

 

「お前は何も守ることはできない。先遣隊は掃討したようだが、お前を抹殺した後にあの村も蹂躙してやろう」

 

 知らないというのは幸せなことだ。怒りよりも先に、ニグンの滑稽さにガゼフは失笑した。それが気に障ったようだ。

 

「何がおかしい。恐怖と絶望のあまり気が触れたか?」

「いいや、あの村には俺など遥かに及ばぬ御仁がいる。運の悪い奴らだと思ってな」

「フン、死に際の戯言か。では幻想を抱いたまま死ね!」

 

 天使が三体、ニグンの手振りと同時に襲い掛かる。手は出し尽くした。膝が笑い、痛みの感覚も薄い。しかし諦める訳にはいかない。せめて部隊長だけでも仕留めれば、生き残った部下にも逃げ延びる目が出てくる。

 生命力を削りながら天使を迎え撃つガゼフに突如声が掛かった。

 

『ガゼフさん、チェンジ☆』

 

「っ!? これは…………」

 

 剣を正中に構えたガゼフは次の瞬間、木組みの室内にいた。周りを見回すと部下もいる。事態を計り兼ねているガゼフにカルネ村の村長が不安そうに質問してくる。

 

「おお、王国戦士長様。アインズ様方がどちらへ行かれたかご存知ありませんか?」

「一緒ではなかったのか?」

「それが、私たちをここまでお連れになると、やることがあると皆様揃ってどこかへ。ほどなく戦士長様がここへ現れたのです」

 

 直前に聞こえた声。あれは言われてみればローパーもといアインズの連れのぶくぶく茶釜の声だった。妙に幼い感じだったが。事態を理解したガゼフは、少なくとも村人の心配は無いと確信し、意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 作戦の最終目標であったガゼフはもはや虫の息だ。五宝物と言われる王国保有のマジックアイテムも無くここまで奮闘したのは戦士長の面目躍如か。しかし相手が悪い。自分たちは戦闘のプロフェッショナル、祝福されし天使を使役する誉れ高き陽光聖典なのだ。

 遺言くらいは聞いてやろうと(たわむ)れ程度に話してみたが、妄言を吐く始末だ。どうやら王国戦士長殿の精神は一足先にこの世界を旅立っているらしい。

 終わりだ。最後まで念入りに三体で掛かる。天使を待機させていた部下に腕の一振りで指示を出した。ガゼフがたちまち天使に囲まれ、一つのモニュメントのように接触する。

 

(殺った! 王国戦士長恐るるに足らず!)

 

 天使を引かせるよう合図を出す。万一にも死体を回収されてはならない。復活されて元の木阿弥になる可能性が残るからだ。王国にも≪レイズデッド/死者蘇生≫を使える魔法詠唱者がいた。左頬に走る大きな古傷を撫でると、あの女への怒りが昨日のことのように湧き出してくる。王国を蹂躙した暁には屈辱的な目に遭わせてやると心に決めていた。

 

「た、隊長!」

 

 天使を操る部下の声が掛かる。

 

「て、天使が、天使が微動だにしません! バカな!」

 

 何を言っているのか理解しかねたニグンは、操る先の天使を注意深く見る。どの天使も空中に縫い付けられたように動かない。微妙に震えているのは抵抗を試みているのか。抵抗。何に。

 天使の胴や手足に、うっすら黄色いものが巻き付いている。どうやら行動を阻害している原因のようだ。緩んだ拘束から逃れた天使は距離を取る。

 中心にいたのはガゼフではない、ローパーのようなモンスター。天使に巻き付いていたのはそいつの触手だったのだ。

 

「どーも初めまして☆ちょっと私たちとも遊びましょっ!」

「いままで我慢してた分元気ですね」

「ぶくぶく茶釜様の戦うところ初めて見ます……!」

 

 ローパーのすぐ後ろに突然ローブ姿の男と闇妖精(ダークエルフ)の少年が現れる。部下はもちろんのこと、ニグンすらも感知できない、完全に意識の外から発生した存在。人外の者が談笑している様は恐ろしく場違いな雰囲気であり、それもまた癇に障った。しかし仕事柄人外の相手は慣れたもの。不測の事態にも落ち着いて対応するだけの経験をニグンは積んできている。

 

「貴様たち……何者だ。ストロノーフをどこへやった」

「私はアインズ・ウール・ゴウン。ガゼフ殿には村で休んでもらっています」

 

 天使が術者の側へ戻ってくる。距離を離したのはタネが割れていない手札を警戒したからだ。天使を三体同時に縛り付ける触手が、ただの触手であるわけがない。なんらかの魔法を併用しているか、だとすると仮面を着けたいかにも魔法詠唱者然とした奴が怪しい。

 

「戯言を吐かすな。村までそれなりの距離がある。さしずめ≪インヴィジビリティ/透明化≫などで隠しているのだろう。貴様が先程まで隠れていたようにな」

 

 目的を達する直前で標的を見失い、現れたのはどこの馬の骨とも知れない男と異種族の子供とモンスター。湧き上がる怒りはぶつけるべき対象を認識して、自分たちの本業を想起させる存在のために冷静さを取り戻す。状況判断などにおいては、特殊部隊長の名に恥じない高い能力を持っていた。

 

 ガゼフはおそらくこの近くに≪インヴィジビリティ/透明化≫を掛けられた上で避難させてある。術者は十中八九この男。もし同じく透明化した仲間がガゼフを村へ運んで行っているのならば、あれだけの傷を負ってそう遠くへは逃げられない。どのみち村は蹂躙するつもりだったのだから、しらみ潰しに捜索すれば何も問題は無い。

 

 そこまで頭を巡らせた後、闇妖精(ダークエルフ)を睨みつける。使役するわけでもないモンスターなどとつるんでいるなど、たとえ子供だろうが危険因子だと判断した。異種族であることも無関係とは言えないが、人間という種の繁栄のためにはここで掃討しておくべきだ。これはスレイン法国自体の、人間至上主義に則った考えである。ガゼフ暗殺のついでに本来の責務を果たせると思えば、多少の溜飲が下がろうというものだ。

 

「まあ、信じないのは勝手だがね。ところで、降伏する気はないか? ガゼフ殿も幸い命に別状は無いようだし、いまならまだ見逃してやっても構わないが」

 

 今度は狂人の類か。圧倒的戦力を誇る者に降伏を迫るなど、およそ交渉と言えるものではない。あるいはハッタリを打ってこの場を逃れようとしているのか。どちらにせよ交渉の余地は無い。元より全滅させるつもりだったのだ。ましてや殲滅すべき相手と交渉する言葉は持っていない。

 

「ほざけ。貴様らが何者か知らぬがこの場にいる以上命は無いものと知れ。薄汚い闇妖精(ダークエルフ)なんぞを連れていること自体、人間種への冒涜よ」

「あっ……」

 

 パキン、と空気が凍る音をアインズは確かに聞いた。恐る恐る様子を窺うと、目の前のローパーもどきと側にいる少女から無言の圧力が吹き出ていた。

 

「いま何つったこいつ……おい」

「ぶくぶく茶釜様に創造していただいたあたしが薄汚いなんてあんな失礼なヤツ許せない……」

「あ、あのー、二人とも?」

「アインズさん、もうこんなゴミカスと交渉の真似事なんてしなくていいですよ」

 

(ダメだこれ声のトーンが完全にペロロンチーノさんを黙らせるときのそれだ)

 

 本当はもう少し調子に乗らせて情報を引き出したかったが、ナザリック女性陣の怒りはもう限界まで膨らんでいる。実際、アインズもアウラのことを悪し様に言われて内心結構頭に来ていた。種族特性か何かでその感情はすぐに抑制されたが。

 敵の何人かは捕縛に留めて、ナザリックの拷問官に任せることにする。生き残る者がいるか心配だが。

 

「分かりました。アウラ、タンクの茶釜さんが壁役ではなく直接戦うのは私達四十一人が揃っていたときでも非常に珍しいことだ。大した相手ではないが折角だ。観戦させてもらおう。謂れの無い(そし)りの不満は彼女が晴らしてくれるだろう」

「アインズ様……ありがとうございます。貴重なぶくぶく茶釜様の勇姿をあたしだけに見せていただけるなんて嬉しいです! 後でみんなに自慢しちゃいます」

「はは、そうだな」

 

 さっきの憤怒は何処へやら、機嫌を直したアウラに内心ホッとする。

 

 敵の前方には残りの部下を横列に集合させ、それぞれが召喚した天使を背後に待機させている。その数四〇体余り。ニグンは別種の天使を召喚している。第四位階の召喚魔法で呼び出されたのは『監視の権天使/プリンシパリティ・オブザベイション』。そして仲間の天使を強化する能力がある。さらにはニグン自身の生まれながらの異能(タレント)によって能力が底上げされていた。

 手札を天使に統一している陽光聖典において、これ以上無いくらいに相性の良い組み合わせだ。実際、この戦術で人的被害を抑えつつ火力を増やし、スピーディーな殲滅が可能であったが故に回転率を上げて実績を積むことができたのだ。

 単純な強さにおいては番外席次などを擁する漆黒聖典には及ばないが、こと集団での戦いや物量が故の対応力については六色聖典の中でも随一であると自負している。

 周到にも部下の配置と天使への強化が問題無く行き渡っているのを確認してから、殲滅対象に最後の宣告をする。

 

「慈悲の時間は終わりだ。己が生まれた種を呪いながら死ぬがいい」

 

 敵を討ち果たすため三体の天使が同時に襲いかかる。それらがモンスターの手前一メートル辺りまで接近した。

 その瞬間、三体の天使は陽の沈みかけた平野に刹那の輝きを残して消え去った。

 

「……なに? 何が起こった?」

「わ、分かりません! いきなり天使のコントロールが無くなりました!」

 

 消えた天使を召喚していた部下を睨むと、不可解な現象に困惑している。では敵の魔法詠唱者が何かしたのか。問い詰めるような力を込めて仮面の男を睨みつける。その視線に気付いたアインズは呆れたように答え合わせをしてやる。

 

「……ただ単に触手でぶっ叩いただけだ。私はさっきも何もしていないし、ここからも何もしない」

 

「オラァどっち見てんだゴルァー!」

 

 地獄から響いてくるような怨嗟混じりの呼び声に、全身から汗が吹き出て鳥肌が立つ。ほとんど叫ぶように、全力の攻撃指示を出していた。

 天使が群がっては消え、群がっては消えていく。ローテーションで回復した者は天使を再召喚してぶつけるが、またも光となって消えていく。ニグンは懐に預かった至宝へ手を伸ばし、その輝きを確かめる。人智を超越した力が自分の手の中にある事実は、思考を落ち着かせ冷静に状況判断をする精神的余裕を生んだ。

 天使をぶつけるサイクルも徐々に手数が間に合わなくなってくる。手が減った分だけモンスターはじわりじわりと接近してきた。戦線が崩壊する直前に見切りを付けて、懐から取り出した至宝を高らかと掲げる。

 

「最高位天使を召喚する!」

 

「! アウラ! あれ、チョイってお願い!」

「分かりましたっ」

 

 器用に触手で指差しをするぶくぶく茶釜のアバウト極まりない指示に、アウラはノータイムで応じる。観戦モードは終わりのようだ。

 

「ありがたく思え! 至宝の力を貴様らなんぞに使ってもらえるのだからな!」

「た、隊長……」

「なんだ!」

 

 震える指先で、部下は高く掲げられたニグンの上方を差す。その先を視線で追うニグンに不穏な予感が脳裏をよぎる。

 

「はい、ぶくぶく茶釜様どうぞ」

「ありがと! アインズさん鑑定よろー」

「ほう、魔封じの水晶か」

「なっ……あああああっ!!」

 

 高く掲げたはずの魔封じの水晶は超スピードで振るわれたアウラの鞭に絡め取られ、いままさにアインズの手に移ろうとしていた。最後の切り札が敵の手に落ち、逆転の目はほぼ皆無。最悪、その召喚を許してしまえば至宝をみすみす敵対勢力へ渡した無能と謗られる。

 陽光聖典の過去の実績がどうであれ、そこまでの大失態にお咎め無しはあり得まい。ニグンの全身に嫌な汗が噴いた。なんとしても魔封じの水晶を取り戻さなければならない。

 幸い相手はすぐに召喚をせずに()めつ(すが)めつ観察している。貴重なマジックアイテムなので、珍しがっているのだろう。真に価値が有るのは中に封じられた魔法。個人ではかの逸脱者すらも成し得ぬ大儀式魔法を込めた逸品だ。

 恐らくあの様子だと鑑定の魔法を習得している。封じられた魔法の偉大さに驚愕し、そこに付け込めば活路が見出せるかも知れない。

 

 ニグンは機を待ったが、話は予想外の方向へ転がった。

 

「≪オール・アプレーザル・マジックアイテム/道具上位鑑定≫」

 

 アウラから受け取った水晶に、鑑定の魔法をかけると、対象のアイテムのステータスが詳細に理解できる。意外な結果にアインズは思わず声を漏らした。

 

「なんて……ことだ。こんな……」

 

 読み通り。後はこちらとの敵対が危険である事を強調すればいい。抑止力としては十二分だろう。第七位階の天使に数人の力で抗うことなどできはしないのだから。

 

「我らの力が理解できたようだな。本国にはさらなる戦力がある。いまそれを返せば伊達ではない能力に免じて無礼は許してやってもいいぞ」

 

「はあ……もういい、面倒だ。茶釜さん、中身第七位階召喚でした」

「ええー……」

 

 返してやりなさい、とアインズから受け取った水晶をアウラがニグンに向かって投げる。弧を描いて飛来する至宝を、かつてない集中力でキャッチする。筋書きは違えど手の中に至宝が戻ったことに内心ほくそ笑んだ。

 

「うおおあっ! ふっ、ははっ。その素直さに免じて一息に仕留めてくれる。それが慈悲というものだ。見よ! 最高位天使の尊き姿を! 『威光の主天使/ドミニオン・オーソリティ』!」

 

 間髪入れず魔封じの水晶を起動させる。全てを白に包むような眩い光。奔流が治まった後には荘厳な天使の姿があった。純白の翼を集めた威容に、一本の錫杖を持っている。召喚されただけで周囲の邪気が祓われ、戦場は一転して清浄な空気に満たされていた。

 

「くだらんな」

「なんだと?」

「くだらんと言ったのだ。時間の無駄だからさっさと掛かってこい」

 

 不遜としか言いようのない態度に、ニグンは掛け値無しの全力をこの思い上がった痴れ者にぶつけてやると決めた。『威光の主天使/ドミニオン・オーソリティ』が錫杖を折り、それを起動スイッチとする固有能力によって魔法威力に強化がかかる。さらにはニグンのタレントで強化された『監視の権天使/プリンシパリティ・オブザベイション』の固有能力によってさらに強化効果はアンプのごとく連鎖的に発動していた。

 

「ハッタリでこの場を逃れるつもりか? だがもう遅い。『威光の主天使/ドミニオン・オーソリティ』よ、≪ホーリー・スマイト/聖なる極撃≫を放て!」

 

 天使に力が集まる。叩きつけられた白い光の柱は、アインズとアウラ、二人を庇いに前へ回り込んだぶくぶく茶釜を完全に飲み込んだ。

 

「さあ、そろそろ私のターンだな」

「なっ!?」

 

 全てを包み浄化する光の治まった先、そこには無傷の三人がいた。人智を超えた一撃を受けて、生きているどころか無傷。陽光聖典が思考停止するには十分な光景だった。

 

「ぶくぶく茶釜様、大丈夫でした?」

「ありがとアウラ。へーきへーき。特殊技術(スキル)使うまでも無かったわ。防御特化の私なら補助無しの棒立ちでもあの程度の攻撃通らないよ」

「≪ヘルフレイム/獄炎≫」

 

 アインズの放ったこぶし大の黒い火種が飛んでいき、≪威光の主天使/ドミニオン・オーソリティ≫をたちまち包みこんだ。

 

「さらに≪ブラックホール/暗黒孔≫」

 

 談笑する二人を余所にアインズの放った二発目の魔法が空中に特異点を作り出し、発生した漆黒の穴に『威光の主天使/ドミニオン・オーソリティ』を吸い込んだ。余波で『監視の権天使/プリンシパリティ・オブザベイション』と部下の天使も近くにいた何体かが巻き込まれて闇に消える。

 

「あり……えない……」

 

 人類最高峰の切り札はそれ自体が白昼夢だったかのように瞬く間に姿を消した。取り落とした至宝の水晶がうすら鈍く、ついさっきまでの輝きが感じられないのは封じた魔法を解放したからか。信仰の揺らぎが見せた曇りか。

 

「まだこちらのターンのようだな」

「ま、ままま待っていただきたい! ゴウン殿……いや様! そのお力に感服致しました! 真実を見抜けなかったのは私の測り違い。どうかここは見逃していただきたい! 私たちも上から任務を帯びた身故致し方なかったのです! 見逃していただけるなら思うままの賠償金もお支払いする!」

 

 もはや恥も外聞も捨て、保身に走る姿を誰も笑うことはできない。圧倒的強者であることがこれ以上ない程に明確になり、あらゆる手を尽くしても傷を負わせるイメージも持てない。ここまでの化け物、果たして漆黒聖典でも相手になるか疑問であった。

 とにかく今はこの場を逃れなくてはならない。自分の命が大事というのもあるが、陽光聖典が束になって掛かっても手も足も出ない存在が他国にいる。そもそも他国の脅威であるガゼフを危険視した末の抹殺指令だったのだ。それを遥かに超えた存在が問題にならない訳がない。

 だがニグンの紡ごうとしていた希望の糸は無慈悲に叩き切られる。

 

「いまさら命乞いしてバッカじゃないの? 折角慈悲深きアインズ様が最初に降伏の選択肢をあげたのに。それに後ろ足で砂掛けたヤツ許す訳ないじゃん」

「まーアインズさん的には別にどっちでも良かったんだろうけどねー」

 

 事ここに至りニグンは理解した。これは連中にとっては戦闘とすら認識されていない、道端の蟻を気にする者がいないように心底どうでもよいことなのだと。種族も、強さも、価値観も、スケールも、ありとあらゆる意味で自分たちと違う。それらが絶対的に隔絶していて、それを突破する術など人の手にありはしないと。

 

 何かが軋むような音と共に、空中に黒いひび割れが入る。

 

「誰かが情報系魔法を使用したようだな。私の攻性防壁に引っ掛かった。ということはお前たちか。味方にも信用されていないようで何よりだ」

 

 今頃覗き見の主は反撃の魔法で幾分かダメージを受けていることだろう。これに懲りてしばらく大人しくしてくれるとありがたいのだが。知らされずに監視の目が付いていたのがショックだったのか、言葉を失うニグンを前にしても、感慨は何も湧かなかった。

 

「さて、確か、素直さに免じて一息に仕留めてくれる、それが慈悲というものだ。だったか? なら素直ではなかったお前には慈悲無き結末を贈るとしよう」

 

 栄えある特殊部隊である陽光聖典は、こうして片田舎で人知れずその歴史に終止符を打つことになった。




2018.8.15 数字の表記を修正しました。
2018.11.3 行間を調整しました。
2019.2.28 指摘のあった記述を一部修正しました。

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