オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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~前回のあらすじ~
ツアレ、ナザリックに就職。司書長と少し仲良くなる。


第51話 獄炎と黄金

 セバスとソリュシャンが収集した情報。その中で、ひとつ気になったことがあった。王国の裏事情を含んだ話が、一見関連性の無いところで妙に繋がっている。もちろん調査にあたっている2人が王国内の会話を全て拾えるわけではない。初めはそれらを繋ぐブリッジ部分の話題が抜けているだけかと思ったが、同じ現象が2度3度とあったことでそうではないと気付いたのだ。その中心となるであろう人物の周りの情報に注目してみることにした。

 

 浮かび上がってきたのは、情報のパズルを僅かなピースと優れた思考能力で完成させる、悪魔じみた頭脳の持ち主。人間の中にまさか自分やアルベドに匹敵するのではと思える程の存在が居ようとは。下等な生物として見下している種族に、珍しくデミウルゴスは心底から感心すると同時に危機感を抱いた。

 支配される者たちは暗愚であることが望ましい。強固な知恵を持つ者が技術を、力を持てばそれらはいずれ己が誇りをかけて反旗を翻すだろう。たとえ蟻のごとき存在であっても、障害の芽は早々に処理しておくに越したことは無い。

 

 その者の名はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。ランポッサⅢ世を父に持つ第三王女であり、バルブロとザナックという2人の兄がいる。

 その誰にも分け隔てなく接する気性と、長く美しい金色の髪。奴隷廃止などの画期的アイデアを出したことでも知られ、いつからか『黄金』の二つ名が付いた。

 また、現役冒険者の中では王国に3組だけ存在するアダマンタイト級チームのひとつである『蒼の薔薇』リーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラとも個人的な親交が深い。蒼の薔薇が王都を拠点にしているため顔を合わせる機会は多く、よくラナーの私室で茶会を催しているらしい。

 

 ラナーには常に側に控える若い兵士がいる。名をクライムという。長ったらしい家名は無い、ただのクライムだ。剣は戦士長ガゼフの足元にも及ばないし、魔法も使えない。城に出入りする貴族連中からは野良犬の如き陰口を叩かれる始末。あちこちからの嫌悪の視線に晒されて少年は日々を過ごしていた。

 彼が無事に城の中で生きることができるのは、他でもないラナーの庇護があるからだ。そして彼自身もそのことを重々理解し、主人の迷惑にならぬよう波風を立てまいとして振る舞っている。

 

 元はスラムの孤児をラナーが何の気まぐれか拾ってきたことに始まる。まだまだ彼らが幼く、独りで生きる術を持たなかった時分の話だ。そのとき拾った少年は拾い主の手を離れることも無く立派に成長した。

 生真面目な性格もあり、その姿は忠犬と言うのが相応しいだろうか。

 

 主人たるラナーはというと、クライムに対して遠慮無くワガママを言って困らせたり茶会への同席を誘ったりと気の置けない相手として接しているようだ。

 

 ラナーだけでも、クライムだけでもない。この二者を繋いだ線にしか引っ掛からない情報がある。

 

「ふむ……少し試してみる価値はありそうですね」

 

 貴族社会は非常に複雑な人間関係が絡み合い、子供のグループ争いと違って本質的な物事はまず常に水面下で動く。その結果が表面化する頃には、全ては手遅れなのだ。そのため核心に1枚噛むには前触れとも言うべき違和感や取っ掛かりを見逃さず真実に辿り着かなければ話にならない。

 だがこれはデミウルゴスにとっては明快極まりない、とても快適な社会構造だった。まるで相手の手札が見えている七並べだ。進ませるも停滞させるも思いのまま。ただしいままでは場外の見学者に過ぎなかった。いよいよ万全の状態でその輪に加わる。恐るべき智謀の悪魔は見た者が思わず心を開いてしまうような優しい笑顔を浮かべると黒い炎を手から噴き出させ、持っていた紙の束を一瞬で燃やし尽くす。風にさらわれて灰とデミウルゴスは夜の闇に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 前日の雨が嘘のように水捌けの悪い道はさらりと乾き、雲一つない夜空に降り注ぐ月光は世界を青く染めている。

 ときには会議や催し事で明かりが夜通し煌々と点いている場合もあるが、時期でもなければ毎日あるようなものでもなく夜の王城は世間の家庭と同じく静かな眠りについていた。

 当然寝ずの番が王城内を巡回しているが、鎧姿で歩き回るわけにもいかないので外の立ち番は全身鎧(フルプレート)、城内の巡回兵はチェストプレートなどの多少動いても音が耳に付かない軽装でローテーションが組まれている。

 

 王家の過去を紐解けば時代によっては血なまぐさい話の1つや2つも出てくるだろうが、現代の王家は後継者争いなどの衝突が比較的穏やかだ。

 争う者は第一王子のバルブロと第二王子のザナックの2者である。幸か不幸か彼らはどちらも政争より戦場が肌に合うらしく、直接相手を貶めるよりもモンスター討伐など武功での手柄争いを日々繰り広げている。現国王ランポッサⅢ世からすれば頭の痛い話だが、血みどろの継承権争いになっていないだけある意味マシだ。

 そして第三王女であるラナーは最も継承権から遠い存在であり、彼女に王冠が被せられることはそもそもの争う相手がいなくならない限りあり得ない。王城内のヴァランシア宮殿に自室を定められた彼女は見る人によっては安全であり、あるいは同情を集める立場にあった。お付きのメイドへはいつも明るく振る舞い、世間知らずで少し抜けたところも見せる。自ら提案し実行する施策はどれも一般市民の生活や安全に直接的な関わりが多いこともあって民衆からの支持は厚い。それは唯一にして最大に分かりやすい王政権に対するラナーの貢献だった。民衆の心を掴むのはどんな為政者にとっても重要なことだ。アダマンタイト級冒険者との個人的な交友もラナーの広告塔としての価値を高めていた。

 

 王都でも指折りの職人が作ったベッドには王族が使うに相応しい繊細で優雅な意匠が施されている。骨組みのみならず布団や枕といった寝具も最高級の品ばかりだ。これらはすべて使用者に質の高い安眠を提供するためのもので、この部屋の主であるラナーはその恩恵を十全に受けて静かな寝息を立てていた。

 

 その目がゆっくりと開かれる。

 

 上体を起こして部屋を半周した視線はある一点で止まる。床に1通の手紙が落ちていた。床に入る前には確実に無かったそれを拾いあげる。

 

『喰い荒らされし木の(うろ)で、犬に気近き蚤を潰す。それが貴女の望みなりや否や。真の望みのために全てを捨つる腹中あらばこの文を折り、玻璃の戸を開けた(ふち)に置くがよい』

 

 手紙というにはあまりにも短い、古い詩の一部を取り出したような言葉が並んでいた。宛名も差出人も書かれていない手紙の最後まで視線を走らせたラナーは30秒ほどのあいだだが彼女の時間だけが止まってしまったのかと思うほど微動だにせず、おもむろに顔を上げると窓を開けて外を見渡した。

 

 流れこんでくる夜の空気は冷ややかで、街の一部からは灯りが見えているが喧騒は流石にここまでは届いてこない。眠れる王都は静寂が支配していた。

 

 2つに折った手紙を窓の(ふち)へと置いた瞬間に一際強い風が吹きこみ、堪らず目を伏せた。勢いのままに窓が閉まり、吹き飛ばされた手紙は再び部屋の中へと押し戻される。

 

「このような時間に女性の部屋に上がり込む無礼、お詫び申し上げます」

 

 囁くような優しい声に振り向くと、そこには細身の赤い衣服に身を包んだ男がいた。胸元へ手を当て最敬礼の体勢を取っており、立ち姿にも深い知性が見え隠れする。これは相手に自分がどう映るかをよく理解している者の敬礼だった。ラナーは直感する。手紙の差出主はこの男だと。

 直立の姿勢に戻った男は緑色に金の装飾が入った奇妙な仮面を着けており、ショーテルのように弧を描いた口は仮面の半分ほどまで伸びて耳の高さまで彫られていた。()の者の手には先ほどまでラナーが手にしていた手紙があるが、あっという間に黒炎に包まれて消失する。本人と対面した以上あれはただのリスクでしかないことを向こうも理解しているのだ。

 

「許します。元よりこのような形でなければ話す場もないのでしょうから」

「寛大なるお心に感謝致します。私はヤルダバオトと申します」

「ご存知と思いますが、私はリ・エスティーゼ王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフです」

 

 仮面も取らずに会話を続ける男。だがそれに苦言を呈することもなく応対するラナー。仮面の男が異様なのは言うまでもないが、貴人という観点からするならラナーの行動も異質極まりないものだった。

 

「これはこれは、ご配慮いただきありがとうございます。では時間も惜しいことですし本題に入りましょう。こちらの要求は手紙にあった通り、『全て』です。見返りは……そうですね、王国が崩壊しても貴女は無事に済むように手配する、というのはいかがでしょうか」

 

 もしこの場にまともな感覚の貴族がいれば、鼻で笑っただろう。全てを差し出せとは、交渉ではなくただの服従の要求だ。それも剣闘場の戦奴でもなく、兄を2人持ち継承権から遠いとはいえ一国の王女に言うことではない。王族にとっての全てとは、国であり、民なのだから。

 

 ヤルダバオトとしてはこれでも譲歩していた。アルベドなどは下等な存在として見下しているが、それは基本的に間違っていない。ナザリックの祝福を受けたのは異形種のみ。逆に言えば人間こそはナザリックからこぼれ落ちた唯一の種族でもある。しかし発達した社会を形成し、まとまった数のいる人間は便利な資源として活用した方がいい。中でも突出して利用価値のある個体はより有効な使い方を模索するべきなのだ。

 ナザリック内から多少の反発は予想できるが、それらを一刀両断するのは実に簡単だ。なぜなら、すでにナザリックには現地の人間を取りこんでいる。それを主導しているのは他ならぬ至高の御方。それを諭されてなお異論など出るはずもない。つまり人間を有効活用しようという行動原理は至高の御方々の意に沿ったものであり、なんら問題は無いということだ。

 王女への独断接触は見ようによってはグレーな行動だが、たとえ後に糾弾されようとも悔いは無い。至高の御方々がいざと指示を出したときにスムーズな実行ができるようにするための下地を作っておくことは、シモベとしての忠義となんら矛盾するところではない。

 

「お断り致します」

「ほう?」

 

 迷いの無い眼と共に返ってきた拒絶の言葉を受けても、余裕の態度をヤルダバオトは崩さない。むしろ楽しげに打った相槌は話の続きを促し、即座に察したラナーは澱むことなく先を続ける。

 

「訂正を求めます。『私と、クライムに関すること以外の全てを差し出す』にしてください」

 

 やはりラナーは並の思考ではなかった。要求の訂正は大したことではなく、想定の範囲内だ。異様でしかないのは、この場で王族という己が立場をも顧みず、いや顧みた結果というべきか、実質的にスパイになることを即断即決。

 つまり自分が育ち守られてきた王国をあっさりと捨て、突然現れた相手が自分にとって王国以上の価値を持つ存在だと判断したということだ。調査資料が手元にあった自分と違い、籠の中の鳥ともいうべき彼女がこの驚異的な決断に至ったのは何故か。

 

 答えは簡単だ。いままでラナーの本質を真に見抜いた者はいなかった。唯一、兄のザナックが危ういものを感じている程度だ。それを城内、いや恐らく王都内の誰にも気付かれずに真実に辿り着き、警備の目を掻い潜って自分の前に立つことができる者。

 その情報収集能力と侵入能力を武力制圧に転用すれば、王都はなす術無く陥落するだろう。そんな相手がラナー個人に話を持ってきたということは、いずれ王国を支配することを視野に入れており、有用な者は手駒として取りこみたいと考えている。前々から王国の末路はそう遠くないと認識していた彼女にとって選択の余地は無かった。

 

 これは突如垂らされた蜘蛛の糸なのだ。昇る以外に選択肢は無い。ラナーは昇る。クライムを連れて。それ以外の全てを見捨て、投げうち、蹴落としてでも。糸を垂らしたのが釈迦であればクライムもろともに地獄へ落ちるだろう。だがこの糸を垂らしたのは悪魔だ。阿鼻叫喚に落とされる者を嘲笑(わら)い愉悦に浸る。そのあいだは糸を切るのも忘れてくれるだろう。

 

「これは失礼、訂正致しましょう。貴女と、クライム君、でしたか。彼に関する以外の全てを差し出すこと。これでよろしいですか?」

「ええ、それで結構です」

 

 慇懃な態度を取る妖しい仮面の男と、両手を胸の前で軽く打ち、天真爛漫な笑顔を見せる王女。どちらからともなく笑い声が漏れる。だが時間は真夜中である。あらいけない、と自分の口に綺麗な手で蓋をし、いたずらっぽく一本指を立てて静かにしましょうのジェスチャー。

 首肯で応えたヤルダバオトとの誰も知ることの無い会談は実に円滑に進行した。

 

 2人のやり取りは会話というよりもオセロやチェスといった理詰めのボードゲームに似ていた。それも両手で数えきれないほどの多面差しである。

 質問の先を読んで情報を出せば、それを踏まえて先の先の先の質問が返ってくる。互いの思考のギアが噛み合うことで断片的に口にする言葉の数十倍の情報を彼らは互いに得ていた。

 そばで一言一句を逃さず聞いているものがいたとしても内容の理解は容易ではない。

 

(このラナーという人間、懐に何かを隠し持っていてもおかしくない。下手に隙を見せれば致命的な手を打ってくる危うさがある。まだナザリックについての情報は出すべきではないですね)

 

 人間社会に精通していることはヤルダバオトに無い、ラナーの強力なアドバンテージだ。特に身分を偽装してアインズが潜入している状況ではナザリックとの繋がりが露見することが多大な不利益を招きかねない。

 そしていまの会話にやすやすとついてくるラナーのポテンシャルを前に確信する。たとえ噂ひとつ煙ひとつであろうと雲をつかむようなヒントとも言えない手掛かりをもとにして、限りなく実態に近い空想のパズルを組み立ててこの人間は真実にたどり着くと。

 

(情報を引き出す一方とはいかないでしょうが、全てを見せる必要もありません)

 

 自分が得て、相手には与えない。情報戦の基本だが、ときにはリスクを背負わなければ手に入らないものもある。その天秤が破綻しないギリギリのラインを感じ取り、見極める。

 隠したいことがあると悟られてはならない。最も大事なのは情報を掴むことではなく、傷を残さないことだ。

 

 智謀の悪魔は与えられた本分に尽くす喜びに内心喜悦の笑みを浮かべる。そして表出した微笑みは意外にもこの人間との会話、本質的に言えば思考戦に楽しさを見出していた。

 純粋な戦闘能力においては階層守護者でも下位である自分が、得意な分野でそれなりの力を振るうことができる。そしてそれを受け止め打ち返してくる相手。

 ナザリックには同等の頭脳を持つアルベドやパンドラズ・アクターがいるものの、一応身内という立場上彼女らとはこんな関係で向き合うことなど無かった。

 

 ふとラナーを見ると、彼女の口元にも笑みが浮かんでいた。そこに込められた思いは同じなのか。

 

 

 

(向こうが知らない情報は大なり小なり価値があるはずだけど、少ない手札の値を探っていると知られては安く見られるわね)

 

 情報を提供する側のラナーに知られて困ることは基本的に無いが、手持ちの情報は無尽蔵ではない。逆さに振っても何も出ないことが分かった箱はただ捨てられる運命だ。

 まだ何か出てくるかも、そして出てくる情報は価値の高いものであることが多いと思わせること。そのためにはまず相手が欲している情報を鋭く見極めなければならない。それがスタート地点。

 そして最終的には分野の違う手札をある程度残したうえで有用な情報を少なくとも1つは相手に持って帰らせること。

 

 初期の探り合いの段階でも多少の手札は切らざるを得ない。何でもいいからこそ、価値の分からない序盤にそれと知らず鬼札を献上してしまっている可能性もあるのだ。

 

(私が挑発に乗らないと分かっていて、引っ掛かっても何の意味も無いフェイクをわざと……。ダメ、読みきれないわ。こんな相手、初めて)

 

 1つのミスが致命に繋がるラナーは慎重にならざるを得ず、気になる言葉が出ても安易にそれを拾いに行けない。深く思考に潜ればより真実に近付くことができるかも知れないが、突風を受けた風車のごときペースで会話を回す悪魔の罠に掛からず切り抜けるためにはそんな余裕が無かった。

 冷静さを欠けば終わる。半ば反射的に会話のあやとりを続ける中で、1つの疑問がどうしても頭にこびりついて離れない。

 

(この者が『至高の御方』と呼び、本心からの敬意を捧げる何者か。にわかには信じがたいことだけれど、この者すら足元にも及ばない智謀の持ち主ですって……?)

 

 ラナーにとって同等の思考力を持つ相手と駆け引きをすること自体、人生において初めての経験だった。

 そして背後に見え隠れする、さらなる上位者の影。まともにぶつかれば敗北という未知の経験が大口を開けて待っている。破滅的な恐怖と甘美な誘惑が混ざり合った直観は粟立つような衝撃となって彼女を揺さぶる。

 

 かつて立ったことのない戦場の空気はラナーから王女としてではない、本能的な笑みを浮かび上がらせた。

 

 デミウルゴスとラナー。常識外れの頭脳を持つ2人の思考は極めて高いレベルで拮抗し、奇しくも近しい思いが交差する。

 

(もしやセバスたちを王国へ送りこんだのはこの人間のことも想定して? アインズ様……)

(これほどの力と知を持つ者の心を掴み、さらに上を行くなんて。『至高の御方』……)

 

 頭の回転だけではなく、策略家としてもこの2人は同じステージに立っていた。どちらからともなく会話の飛躍が穏やかになり、情報は奪い合いではなく確認と共有の段階にシフトする。

 第三者が横で聞いていたところでやっと話の筋が通るようになってきたと思う程度の変化だが、二者間の応酬はすでにピークを過ぎてクールダウンに入っている。

 

「ところで私たちは同族と相争うことにさしたる抵抗感はありませんが、人間の貴女にはできるのですか? 昨日まで普通に話していた同族を敵に回すことが」

 

 いざというときに裏切られたところで、ナザリック側に何ら痛みはない。だがそれはあくまで物理的損害という意味であって、取りこんだ相手が至高の御方を裏切りましたなどシモベの身として到底許容できるものではない。

 だがこの問いを投げかけておきさえすれば、協力させられる限界のラインを知っておくことができる。同族を敵に回せると答えれば、万一のときには不敬な偽りを理由に制裁と切り離しという選択肢が生まれる。

 

 どう転んでも逃げ場の無い、深く深く突き刺さる楔だった。

 

 問われたラナーは青い大きな目をぱちくりさせ、さっきまでの怒涛の頭脳戦を演じたときとは別人のように心底不思議そうに首を傾げた。

 

「『敵』とは……? なぜ同族を敵と?」

「良心とやらが痛みますか?」

「ご質問の意味がよく分かりませんが、路傍の石に敵も何も無いでしょう。あるのは邪魔かそうでないかということだけです」

「フッ、クク…………なるほど、なるほど。これは失敬。どうやら貴女は確かにこちら側の存在らしい」

 

 たまらず失笑が漏れる。この人間、中身は全く別の生き物だ。見誤っていた。

 

 同じ種族であることは彼女にとってどうでもよく、ただ単に個としての自分と愛する男(クライム)がいるだけなのだ。他の者はただの蠢く小石に過ぎず、邪魔なら避けるなり蹴飛ばすなりすればいい。ラナーの発言は彼女が種族の概念すらも超越するほどにぶっ飛んだ思考回路の持ち主であることと、その気になれば現実的なレベルで自分の思うがままの結果を導けるだけの実行力があることを如実に示していた。

 

 最悪の化け物だ。最悪で最高だ。

 

 デミウルゴスは確信する。自分たちにとっての至高の四十一人のように、絶対に譲れないものがこの人間にはある。それが彼女にとってのクライムであり、そこさえ押さえていればその手腕を惜しみなく発揮してくれるであろうと。

 

 実のところ、これはナザリックのシモベに説明する際にも都合がいい。

 至高の御方々のシモベであることに誇りを持つ者たちにとって、部外者をその傘下に加えることは表に出さずとも内心穏やかではいられない。

 嫉妬、羨望、嫌悪といった排斥的な感情が湧くのも仕方の無いことだ。だが中には例外もないわけではない。巻物(スクロール)素材供給の目処がついて帰還した際に耳にした話では、アインズの威光に触れ忠誠を誓ったという新入りの魔獣がことあるごとに()の御方の偉大さを口にしており、ナザリックの者たちからもその忠誠心は本物だとある種の敬意をもって受け入れられているらしい。

 つまり忠義を尽くし利をもたらす限りにおいて、ナザリックは決して閉鎖的な組織ではないということだ。

 

 ラナーの目がクライムに向いているのなら、元からいるシモベたちも自分たちのテリトリーを侵す存在とは見做さないだろう。

 

「仮面、よいのですか?」

「ええ、もはや隠す意味はありません」

 

 ヤルダバオトを演じるための仮面を懐に仕舞う。念のための保険だったが、慎重も度が過ぎると臆病でしかない。これ以上は滑稽なピエロだ。

 

「まずは非礼を詫びましょう。そして改めて、私の名はデミウルゴス。以後、お見知り置きを」

「ええ、よろしくお願い致しますわ」

 

 それは悪魔に逢う夜。悪魔に合う夜。

 

 空を見上げて美しい月の光に魅せられる者は気付かない。光によって生まれた影の奥底にある暗闇にこそ、おぞましいものが蠢いているということに。(まばゆ)い光であればあるほど、影は闇に近付くということに。

 

 窓から見える遥か遠くには、嵐を伴った暗雲が近付いていた。




いやあラナー姫は一途ですねぇ(白目)

2018.8.17 ラナーのフルネームの誤字を修正しました。
2018/11/9 行間を調整しました。

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