オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第43話 家族の食卓

 陽射しはとうにピークを回り、薄っすらと肌寒さを感じる時間帯に差し掛かろうとしていた。丸く大きな陽の下方は間もなく地平線と交差する。

 森の中では生存競争の結果、互いに被らないように伸びた木々の広葉がまだらに陰を濃くしており、奥の方までを深く見通すのは難しい。

 

 ゆっくりとした歩調で粛々と進む足取り。ピンと背を伸ばして歩く姿は洗練された所作で、ろくに整備もされていない地面から想像もできないほど頭の高さにもブレが無い。社交界での心得を持つ見識ある貴族などが見れば思わず感嘆の声を漏らすだろう。

 

 森の切れ目から見える先には原始的ではあるが木々を使った防衛のための柵が設営されており、その内側では丸太をそのまま並べ立てたさらに強固な内壁がポツンと存在する農村を守っている。

 森から出た場所は村の裏手にあたるらしく、人の気配は無い。

 

「待ちな。あの村に何のよ……う……?」

 

 村へ続く道を遮る位置に草陰から姿を現したのは小柄な筋肉質に緑の肌を持つゴブリン2体。それぞれ手には幅広なブレードを有するマチェットを持っている。一拍置いて後方からも下草の擦れる音が聞こえた。だがすぐに襲い掛かってくる様子は無く、正面の2体と同じく困惑しているらしい。

 

 このファーストコンタクトがゴブリンではなく村の人間だったとしても、おそらく似た反応をしただろう。何故なら森から現れた存在はあまりにも場違いで異質な存在だったからだ。

 

 下半身を覆うゆったりとしたロングスカート、腕には黒のアームカバー。白を基調としたブラウスの中央には黒いラインが入っている。その終点である首元には一際大きなリボン付きの蝶ネクタイを着けており、あちらこちらにあしらわれたフリルもあいまって白黒のカラーリングから受ける殺伐とした印象を和らげていた。大幅なアレンジが施されているものの全体としてそれはメイド服に分類される服装だったが、こんな辺境じみた農村にメイドを従えた貴族がいる訳でなし、まして文化形態の異なるゴブリンたちが初めて目にしたものを珍奇に感じるのは当然と言えた。

 

 何よりも異質なのは服装ではなく、その首から上だ。頭に装着したフリル付きのカチューシャからは三角形の布が垂れており、その目元を完全に覆い隠している。左右の端からは太めの編み紐が伸び、先端にはクォーツ。量が多く長い髪は艶々と手入れが行き届いている様子で、少しの動きや風に撫でられるだけでも滑らかに揺れた。

 カチューシャのさらに上には毛の生えた三角形の獣耳が鎮座しており、前に突き出た鼻先などはどこからどう見ても犬のソレだ。真ん中を縦に目の粗い縫合痕のようなものが走っており、わずかに見える首までにも続いていた。

 

 端的に言い表すならば『犬頭のメイド』なのだが、どうやらゴブリンたちは理解できないことを放棄して、得体が知れないという点だけを警戒の理由にしたらしい。いつでも斬りかかれるようにマチェットを握る手に力を込め直したり肩に担いだりしつつ目配せをしている。

 

「ビーストマン……なのか? とにかくここは通せねえな」

「ビーストマン……。仮にそうだとして、強靭な肉体を持つ|獣人ビーストマンをあなたたちが数人でどうこうできるとは思えませんけれど、いかが?」

「ぐ……」

 

 図星だ。俊敏さや腕力、体力どれをとっても自分たちではまず敵わない。可能性があるとしたら罠に嵌めて毒や弓で仕留めるくらいしか思いつかない。直接相対してしまっているこの状況はすでに手遅れだった。だができることはある。カルネ村には物見櫓を作って常時見張りを配置しているのだ。合図を送れば村人の避難くらいは可能性が残っている。それでも本気でビーストマンが殺しにきたら村人のいくらかは犠牲になるだろう。だが望ましいことではないにしろ、最悪ゴブリンたちにとってはそれでもよかった。大事なのは自分たちを呼び出した主人だけ。他の村人がターゲットになってくれることで主人に及ぶ危険が減るなら助かる。もっとも、自分たちの主人であるエンリ・エモットはそう考えないかも知れないが。

 唯一犠牲を出さずに追い払える可能性があるとするなら、一人思い付く人物がいた。

 

 現在エモット家に居候している黒髪の女魔法詠唱者(マジックキャスター)。魔法を使っているところを見たためしがないものの、初めて会ったときに戦士の勘が告げていた。こいつは自分たちより圧倒的に強い、と。それに魔法詠唱者(マジック・キャスター)の彼女であれば獣人(ビーストマン)を打ち倒すまではいかないにしても、身を守ったり追い払ったりする手段を所持しているかもしれない。

 

「あの村にはおっかない魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいる。命が惜しいなら近付くな」

「あら、それは親切にありがとうございます……わん」

 

 陳腐な脅し文句しか言えないことに歯噛みする。実際犬頭のメイドにはまるで効果が無く、逃げ出すどころかこちらの警告を悠々と受け止めて平然としていた。

 

 逃げる素振りが無いのは非常にまずい。魔法に抗する手札を持っているということなのだから。

 

 せめてあの魔法詠唱者(マジック・キャスター)が時間を稼いでくれればエンリを逃す隙が生まれるかも知れない。

 そのためにはここにいる者だけで村に異常を伝える必要がある。目配せをすると他の者も同様の考えなのか、緊張に満ちた視線が返ってきた。

 

「でもそれは困りましたね。ナーベ……さん、に届け物があるのですけれどわん」

「なに? 待った、なんだって?」

 

 初手を掛けようと前屈みになっていた森側のゴブリンが間を外されてたたらを踏む。

 振り向きはしないもののメイドの耳の片方がピクリとそちらを向いた。

 

「誰にだって?」

「ナーベさんです。黒髪のポニーテールと切れ長の目が特徴的な魔法詠唱者(マジック・キャスター)の。私はあの()の師匠から預かりものをしているのです。でも、村に行ってはダメと言われたら困ってしまいます……わん」

 

 少し俯いた様子は本当に意気消沈しているらしい。

 

 一転してゴブリンたちは背中に嫌な汗が流れるのを感じる。正しい特徴を話したこのメイドの言葉は真実を語っている可能性が高い。

 つまりその通行を妨げるということはすなわち『師匠』からナーベへの伝達を邪魔することと同義だ。

 ナーベについて数少ない分かっていることの一つなのだが、『師匠』に対して畏怖に近い、もはや崇敬と呼ぶに等しい感情を持っているということだ。その一点に関してだけ言えば、主人を守るためなら命を投げ出すことも厭わない覚悟のあるゴブリン軍団が共感を持てる部分だった。

 だからこそ分かる。もし()の『師匠』との繋がりを邪魔する者がいたら、あの女魔法詠唱者(マジック・キャスター)は毛ほどの容赦もかけず叩き潰すであろうことが。怒り狂って村内で暴れられれば、不審者の対処どころではない。それ以前、近くにいるであろうエンリの身が危険だ。

 

 マチェットを背に仕舞ったゴブリンはばつが悪そうに頭を一掻きすると尋ねた。

 

「……確認するが、あんたの名前は?」

 

 

 

 

 

 

「ペストーニャ様」

「ナーベ。元気そうでなによりね……わん」

 

 来訪者の詳細を伝えに行ったゴブリンを完全に振り切って、ナーベはペストーニャの待つ外柵までやってきていた。知り合いであることに間違いはなさそうだが、あの不愛想なナーベが誰かに対して敬称を、それも『(さま)』などとつけて呼ぶとは普段の彼女を知っていれば想像だにできない光景だ。

 

 折角来たついでに村の様子を見てみたいと申し出たペストーニャに、ナーベからは異論の声が上がろうはずもない。

 流石に面の知れていない彼女が一人でうろつき回るのは住人の不安を煽るため、今回はナーベとゴブリンが(そば)に付くことを条件に通行を許可した。

 明らかに不満そうなナーベの突き刺す視線は近接戦闘タイプのゴブリンさえも思わず縮み上がるほどに鋭く冷たいものだったが、意外な方向から救いの手が伸びた。

 

 ナーベの怒りに水を掛けたのは他ならぬペストーニャだ。

 

貴女(あなた)、いつもそんな調子なのですか? これではし……しょう、に叱られてしまいますわん」

 

 特大のジャベリンを胸に打ち込まれたようにナーベは悲痛な面持ちになり、よたよたと足取りが怪しくなる。見るからに小さくなって自分の気配を薄めていく様子はこれまでのイメージからあまりにも縁遠い姿だった。

 

「もう、叱られてしまいました」

 

 懺悔の言葉は耳をそばだてないと聞こえないくらいの音量だ。

 自分の予想が正しく、かつ手遅れだったことを理解してペストーニャは軽いため息をついた。

 

 見張りを残してナーベはもと来た道を今度は歩いて引き返す。先頭を切るゴブリンは周囲を見回すフリをしてたまに後ろの二人を監視しているが、バレバレだ。多少鬱陶しく感じるものの殺気を放っては隣にいるメイド長にまた頭を(はた)かれてしまう。

 村の内壁に着くまでの短い間に交わした会話は当たり障りのないものだった。最近変わったことはないか、困っていることはないか、村のそのあとの復興状況などだ。

 当然それらは普段から一日たりとも欠かさず確認している要報告事項であり、特にメモなどを確認せずともすらすらと答えることができた。村に近い森にも襲ってきそうな危険のある魔獣の群れなどはいない。

 薬草採取にいくときのエンリにはゴブリンたちが自主的に警護に就いているものの、大型の獣など手に余るかもと思えるものは夜エンリたちが寝静まった頃を見計らって定期的に狩っている。

 

 下手に残すと死肉に群がる肉食動物などを集めてしまうのでゴブリンたちに回収させても良かったのだが、正直面倒なので人目が無いのを確認してから≪ドラゴン・ライトニング/龍電≫で灰にしていた。

 ちなみにこれはペストーニャには言っていない。

 

「ナーベおねーちゃーん!」

 

 不意に呼ばれた方を向くと、赤みがかった髪をツインテールに縛った女の子が内壁沿いに走ってくるのが見えた。ゆったりとしたシルエットの膝丈ワンピースはいくら靴がハイヒールなどではないにしても走るのに適しているとは思えない。

 だがそんなことはお構いなしに走る。村の周りは多少草刈りされているが、根こそぎまではしていないし舗装の技術も無いため地面は自然そのままのデコボコだらけ、大人でも下手に踏めば足首を(ひね)るくらいの石があちこちに転がっている。

 

 案の定、足をもつれさせて盛大にこけた。目的の場所まであと5メートルの辺りだった。

 うつ伏せの状態から顔だけをなんとか起こしたが、痛みのためかその目には限界まで涙が溜まっていた。

 

 何がしたいんだこの小動物はと内心舌打ちをするが、仮にも至高の御方の庇護下に入っている村の住人がくだらないことで損耗するのはナーベとしても歓迎すべきではない。一応致命的な傷などはないかを一見するが、普通に痛がっているだけだったし問題はないと判断した。

 大体あの小動物は普段からよくちょこまかと動き回り転倒するなど日常茶飯事なのだ。本人の回復力が高いのか、最近住み着いた下等生物(ガガンボ)が新開発しているというポーションの効果が高いのかは分からないが、痛い目を見ても次の日にはケロッとしている。

 

「う、うう〜、いたい〜」

「≪ライト・ヒーリング/軽傷治療≫。……まだ痛む?」

「いた……あれ? いたくない! なんでー!?」

 

 いつの間にか側に寄っていたペストーニャが下級の治癒魔法を掛けた。擦り傷程度ならこれで十分だ。

 

 難しい話はよく分からないが、痛みを取り去ってくれたのは今自分の目の前に見えるブーツを履いた人物だと分かる。丈の長いスカートも見えるし声の感じからすると女の人だ。

 誰かに何かをしてもらったときはちゃんとお礼を言うように昔から姉に口を酸っぱくして言われていた。ちゃんと守らないとバレたときにはむちゃくちゃ怖いのだ。

 

「ありがとう! おねえちゃ……ん……?」

 

 立ち上がり礼を言いながら見上げた先にあったのは明らかに人間ではない、全体に毛の生えた獣の頭だ。目元は黒い布で覆われているが、突き出た鼻先と頭の上に見えるフサフサの耳は犬や狼といった動物を連想させた。

 予想外過ぎる光景にしばしフリーズした後、女の子は突如ペストーニャに飛びついた。

 

「ワンちゃんだ! かわいい! すごい! あたしネム! あなたのおなまえは?」

「これはご丁寧に。私の名前はペストーニャ・S・ワンコです。ネムちゃん、よろしくね……わん」

「わんって言った〜! あはははは!」

「あらあら」

 

 しっかと抱きついて離れる気が全く感じられない。正面からくっついたネムが落っこちないように支えているので、格好としてはペストーニャに前だっこされているような形だ。

 

 早々に引き剥がすのを諦めて、そのままエモット家に向かう。案内してもらうという(てい)で機嫌よく村のことを教えるネムはいつものように周りをうろちょろしたりしきりにどうでもいい話を振ってきたりしないため結果的にナーベはしかめっ面を作らなくて済んだ。

 すれ違う村人たちはペストーニャの犬頭に一瞬ぎょっとなるも、側にいるナーベやゴブリンを見るとほっとしたように手を止めた作業に戻っていった。

 

 やがて一行は目的の家に着く。

 

「ただいまー! お姉ちゃん、お客さんだよー」

「ネム、泥んこになってるじゃない! また転んだの? 怪我は無いみたいだけど……」

 

 ちょっと待ってて、と言って家に入っていったネムと家人の声が聞こえる。ナーベに聞くとネムの姉らしく、現在この家にはその二人が住んでいるということだった。隣の家には至高の御方からポーション作成の命を受けた男が一人住んでいるらしい。

 詳しく聞くほどの時間もなくネムに手を引かれて姉が出てきた。まずは見知った顔に意識がいく。

 

「ナーベさん。おかえりなさい。隣の方……は……」

 

 奇しくも見張りのゴブリンと同じ反応だった。わざわざ言うことではないが。

 

「初めまして。私はペストーニャ・S・ワンコと言います……わん。このナーベの、まあ同僚のようなものかしら。ナーベがお世話になっていますわん」

「……ああ! ナーベさんのお知り合いなんですね。初めまして。私はエンリ・エモットと言います。ほらネム、ちゃんとご挨拶した?」

「したよ! ねーペス!」

 

 両腕を広げて近寄ってきたネムを、さっきまでと同じように抱き上げる。首回りの髪をモフモフするのが気に入ったらしく、こねくり回したり顔を(うず)めたりしていいおもちゃだ。

 

「あっネム! ダメ!」

 

 一方姉の方は妹があまりに遠慮なく触れるうえに、さっき転んだのか泥だらけだったことを思い出して顔を青くさせていた。見たところ相場は知らないけれどあの服は随分高い物ではないだろうか。

 エンリは薬草の(おろ)しのために何度か近隣都市のエ・ランテルに足を運んでいる。そこでたまにああいう服装の人を見かけたことがあった。物珍しさからンフィーレアに尋ねたところによるとメイドの多くは貴族の使用人で、そのメイド自体も下級から中級の貴族出がいたりするらしい。そのときは自分と関わりのない世界と思って大した興味も湧かなかったが、いまとなってはもっと色々聞いておけば良かった気がする。

 

(べ、弁償しろとか言われたらどうしよう。洗って返したら……あああでも高級な服の洗い方なんて知らないよ)

 

「エンリさん? 顔色が悪いようだけれど大丈夫ですわん?」

「あっ、だ、大丈夫ですっ!」

 

 全然大丈夫じゃない。幸い泥はもう乾いていたのか、ネムを降ろしたペストーニャの服に汚れは無かった。

 

 あまりまじまじと見るのも失礼だが、エンリの視線は自ずとペストーニャの頭部へ流れる。亜人種というのはエ・ランテルに行ったときなどにたまに耳にすることがあるし、実際この前の襲撃騒動ではアインズたちが連れた子供の闇妖精(ダークエルフ)を目にしている。だがあの娘は長い耳や褐色の肌や左右で色の違う目やら以外は外見的にそこまで自分たちとかけ離れているとは思わなかった。

 目の前にいる人物は知識の無いエンリでも自分たちとは完全に違う種族であることが明確に分かる。

 

 不思議と忌避感は無い。ゴブリンたちが周りにいる生活が日常だからなのか、あるいはペストーニャ自身の物腰が柔らかでなんとなく母親に通じるものを感じるからだろうか。

 

「エンリさん、部屋を少しお借りしたいのだけれど構いませんわん?」

「えっ!? あっはい! ど、どうぞ!」

 

 気付いたら完全に凝視してしまっていた。仮にも家長たる者がこんなザマでいいのだろうか。そもそも普通に失礼だった。

 向こうもいい気分じゃなかっただろうに、あえて流してくれたのは厚かましくも善意によるものだと思いたい。

 

 奥の部屋に消えていくナーベとペストーニャ。何の話かは知らないが、首を突っ込むつもりもない。それより自分にはやることがある。

 気合いを入れて袖を捲る。

 

「ネム、ナーベさんたちは大事なお話をしているみたいだから邪魔しちゃダメよ。それよりこっちを手伝って」

「はーい」

 

 食材は今朝補充されたばかり。いつもの量から見れば一人分くらいは誤差の範囲内だ。ネムに水を汲んでくるよう指示を出すと、大量に作るためにすっかり最適化されてしまった台所へ向かった。

 

 

 

 奥の部屋に本来の主はいない。簡素なテーブルと椅子が二脚、ベッドには布団が敷かれている。これは現在滞在中であるナーベのためにエンリが用意した。

 火の入っていないランタンも置いてあるが、燃料だってタダではないからエモット家で使用されることは稀だ。ナーベ自身も多少の暗がりで困りはしないし、いざとなれば≪ラビッツ・イヤー/兎の耳≫で周囲の様子を探れるのでここに来てからこっちランタンに火を灯したことはない。

 

 窓から差す夕陽が部屋の中も外も染めている。じきに陽が地平線に消えると夜がきて村人たちの一日は終わる。

 ここにいる二人には陽が暮れてまた明けることは大した意味を持たない。時間がいつであれ場所がどこであれ、至高の御方が望まれるならそれを成すことこそ日々の糧であり喜びなのだから。

 

「それでペストーニャ様、話とは」

「届け物ですわん。アインズ様から貴女(あなた)に」

「アインズ様から!」

 

 何故わざわざメイド長というナザリックでの役目があるペストーニャがやってきたのかを理解した。単なる荷物なら闇夜に乗じてシモベのモンスターに運ばせれば済むが、至高の御方からの預かり物にそんな扱いができる訳がない。

 

 来訪の目的を告げると腰に留めていた大型のホルダーの蓋を開ける。その中から取り出したのは一冊の本だった。装丁は簡素なもので、分厚いカバーも無い。サイズも大きいということはなく、片手で持つのも容易だ。中身を確認することはせず、テーブルに置いたそれをナーベの方へ差し出した。

 

「アインズ様からのご伝言が。一つ、この本を読め。ただしそれは一人のときでなければならない。一つ、ここに書かれていることを実践せよ。しかし状況に対して柔軟でなければならない。以上ですわん」

 

 本を受け取ったナーベラルはしばらくそれを見つめていたが言伝通りこの場で開こうとはせず、常に携帯している荷物入れに丁寧にしまい込んだ。

 これで臨時に承った指令はおおむね完了した。あとはナザリックに帰還するだけだが、家人に無言で去るのも不自然だと思い部屋を出ると左右に行ったり来たりしているネムが見えた。見たところ食器を運んでいるようだった。こちらに気が付くと皿を置いて走り寄ってくる。

 

「ペスー! お話終わったの?」

「ええ。ネムはお姉さんのお手伝い? 偉いのね。それにしても随分お皿の多いこと……わん」

 

 比較的真新しい大テーブルにはところ狭しと食器が並べられ、さながら小規模な宴会の準備にも思えた。潰した芋のサラダなどがこんもりと山状に盛り付けられている。エモット家は二人家族だと聞いていたのだが、まさかあの量を二人で食べ切るとは考えにくい。ナーベがいても焼け石に水だろう。

 

「いつもだよ? お姉ちゃんと、ナーベお姉ちゃんと、ンフィーくんと、じゅげむくんと……」

「じゅげむくん?」

「じゅげむは俺のことでさぁ」

 

 疑問の答えがぞろぞろとエモット家に入ってきた。一気にガヤガヤと騒々しい空間が生まれる。10以上ものゴブリンたち。あの大量の皿と食事の多くは彼らのためのものだった。緑の連中はテーブルを囲んで思い思いの場所へ腰を下ろした。特に定位置というものは無いらしい。一度落ち着けた腰を上げて配膳を手伝おうとする気配は見られないが、ネムが運んできた皿を受け取ったり回したりしているのは慣れた様子だったので、これがエモット家の日常風景なのだろう。

 

 その光景に何か微笑ましいものを感じつつ、ペストーニャはここへ来たもう一つの目的を果たすため懐の硬い感触を確認してから、食事の用意が終わって簡単な片付けをしているエンリに声を掛けた。

 

「エンリさん、実はあの子の師匠から貴女宛てに預かっているものがありますわん」

「アインズ・ウール・ゴウン様が、私に? な、なんでしょう……?」

 

 露骨に身構えるエンリに思わず笑みがこぼれる。人のいい娘だ。ポケットの中で握り込んだものをエンリの手を取りそっと置く。

 

 エンリは明らかに動揺した。預かりものとやらに心当たりが無ければその理由も思い当たる訳が無い。しかもその手に乗せられたのは実物を目にしたことのない交易共通白金貨だったからだ。白金貨は交金貨換算で10枚分。都市に売りにいった薬草壺にいい値が付けば金貨が手に入る場合も無いとは言えないが、大抵自分たちや村の者たちに頼まれた必需品やらの買い出しで右から左へ流れてしまうので手元に残して村へ戻ることはまずない。1枚でその金貨10枚分の価値を持つ白金貨が、いま、自分の手の上にある。

 落として失くしたらどうしよう、というか何のお金なのか。色んな思考が錯綜して引き攣った笑みを浮かべるのが精いっぱいだったのは許してもらいたい。

 

「落ち着いて、エンリさん。これは何もおかしな話じゃないわ。ナーベがここに滞在させてもらっている費用の補填だと思ってくれればいいの。ごはんだってタダじゃないでしょう? 本来は彼女自身に持たせておくべきだったのだけれど、遅くなってすまないとアインズ様も仰っていましたわん」

「で、でもですね……」

 

 明らかにもらい過ぎだ。食事だって肉はゴブリンたちが森で獲ってきてくれているし、薬草の採取には護衛についてくれるため以前より深い場所にある稀少な種類も多く採れるようになったためエモット家の実入りは結構増えている。そもそもゴブリンたちを呼び出すアイテムを授けてくれたのは他ならぬ恩人のアインズである。ナーベの滞在について何かを請求するなんて考えたこともなかった。

 

 恐縮してしまっているエンリの耳元にペストーニャが口を寄せた。

 

「ナーベには秘密なのだけれど、正直まだしばらくはあの()をこの村に置いておきたいの。でもいつまでになるか分からないから、これはその前払いでもありますわん」

 

 エンリとしては出ていってほしい理由は無いので、今後もナーベがいることに不満は無い。

 

 適正な金額をもらうべきだとしても、ずっとこの村で過ごしてきたエンリに宿の相場など分かるはずもない。都市の宿代なんかは季節や混み具合で定価というものがないのだ。

 

「これ、白金貨ですよ? 多分。1枚で金貨10枚分の。ぎ、銀貨の間違いじゃないですか?」

 

 言ってから指摘の仕方が良くなかったかとエンリの頭の中を後悔がぐるぐる回る。これではまるで銀貨を要求したみたいではないか。確かにお金が手元に入るのは単純に助かるし正当な支払いだと言うなら誰に後ろ指さされるものではないことも理解している。だがそれでもやはり村まるごと救ってもらった命の恩人の身内に対して金銭を要求するのはどうにも遠慮してしまう。

 家計への負担が少ない理由はゴブリンたちの狩猟だけではない。

 

 薬師にして錬金術師でもある幼馴染のンフィーレアがカルネ村に引っ越してきたことで、直接薬草を買い取ってくれるようになった。薬草の卸先はバレアレ商店だけではないし必需品の買い出しもあるため結局エ・ランテルへ荷馬車を借りて足を運ぶのには変わりないが、ンフィーレアに売る分は輸送費ゼロでこれまでの稼ぎに丸々プラスになるため非常に効率がいいのだ。ンフィーレア自身も薬草を買い込むのに必要なお金は元々充分持っているし、最近ではパトロンが付いてくれたのでなおのこと金銭的な心配はいらない。パトロンの正体は口止めされているので村の隣人へもエンリは言ったことがないが、それもまた恩返しの一部だ。

 

「いいえ。銀貨でも金貨でもなく白金貨で合っていますよ。もし自分だけが得ることに罪悪を感じるというなら村の運営資金にでも寄付したって構いません。でも、受け取るのは貴女(あなた)ですわん」

 

 ナーベのような冷たい圧迫感などはないが、言葉には頑として譲らないであろう固い意思が感じられた。

 お金はいくらあっても困らないと考えたこともあるが、突然これだけの額が降って湧くと扱いに困る。

 

 そのとき決めあぐねていたエンリの視界の奥に天の助けが現れた。

 

「ンフィー! た、助けてー!」

「えっ!? う、うん! えっ、だ、誰!?」

 

 目元まで前髪で隠れた青年。虚を突かれた要求には反応できても状況の理解までは及ばない。

 奥の部屋からいつも通りの無表情でナーベが出てきたので、シリアスな緊急事態ではないと察するのが関の山だった。見慣れない犬頭のメイドから一定の距離を取りながら困り果てた幼馴染に耳打ちをする。

 

「えっと……、ど、どういう状況?」

「一言で説明し切る自信が無いから、あとで話すわ……。ペストーニャさん!」

「はい」

「彼は幼馴染のンフィーレア・バレアレです。こう見えて都市でも有名な錬金術師なんです。だから私よりよっぽど勘定事には強いと思うのでこのお話は彼を交えて話しましょう!」

 

 一気呵成にまくし立てた。自分でも焦った状態でよく舌が回ったものだと思う。

 妙に静かな周囲を見渡すと、その場にいた全員の視線がエンリに向いていた。普段から集まるとガヤガヤと騒がしいゴブリンたちすらも判で押したようなジト目になっている。

 

「えっ、えっ!? わ、私が悪い流れなの今の!?」

「ぶふっ!!」

 

 耐えられなかった一人を皮切りに、堰を切ったような大爆笑が家の中に響き渡った。からかわれたのに気が付いたエンリは少し頬を紅潮させながらまたやられたと悔しいのか嬉しいのかよく分からない表情をしていた。

 

「あー、笑った笑った。でもま、早く食べようってのは本音ですぜ(あね)さん」

 

 カイジャリと呼ばれたゴブリンがうまく作った話の切りどころにエンリも乗り、食卓の料理を思い思いに皿へ盛り始める。とても金銭の話をする雰囲気ではなくなった。

 白金貨を懐へしまい、踵を返す。

 

「では私は日を改めさせていただきますわん。エンリさんさえ良ければ急ぐ話でもありませんので」

「えーっ! ペス帰っちゃうの? 一緒に食べようよー」

 

 さっきから姿が見えないと思ったら、奥の部屋から身体に見合わないサイズの椅子を抱えて現れたネムがこの世の終わりみたいな顔でこちらを見ていた。さっきとはまるで違う理由で場が静まり返る。

 

(我ながら甘いですね……)

 

 肩越しに振り返っていたペストーニャの足は外へと向かった。幾人かが再び料理を皿によそう音がする。

 

 扉を開けると冷えた空気が鼻を撫でた。外はすっかり夜の(とばり)が下り、見張り担当のゴブリンを残して他の村人たちもそれぞれの家で食事を取っているのだろう。いくつかの家からかまどの煙が立っているのが見えた。

 

「ご馳走になっても構わないか確認しますわん。申し訳ありませんがもう少しだけ、お待ちいただけますか?」

「やったー!」

「外はもう暗いし、良かったら泊まっていかれませんか?」

「もう。エンリさんまで。では、そちらも確認します……わん」

 

 

 

 

 

 

 嵐のような食事の時間が過ぎ、ゴブリンたちは彼らの家へと戻っていった。

 ンフィーレアは食事の最中に寝落ちしてしまうくらい根を詰めていたらしく、エンリの言っていた勘定はまともにできそうにもなかったためこちらもゴブリンがついでに担いでいった。

 

 側にペストーニャがいるからか、ナーベは食事が終わると早々に布団を被り静かな寝息を立てている。

 

 食事のあと至高の御方に確認の≪メッセージ/伝言≫を投げたところ、それは素晴らしいからぜひ世話になれと快諾された。特にぶくぶく茶釜からはエモット姉妹の様子を表情や仕草もつぶさに観察して報告するようにと強く念を押された。

 神経が図太いのか分からないが、ナーベラルはこのエモット家で予想外に自然体で過ごしていた。人間を下等生物と称して(はばか)らない彼女がどういう心境の変化でそうなったのか。

 あるいは、至高の御方々がエモット家の誘いにあっさり許可を出したり報告を求めたりしたのがそれらと繋がっているのかも。思考の縄は複雑にこんがらがり、深淵なる答えに容易に辿り着かせてはくれなかった。

 

 だが、≪メッセージ/伝言≫を通じて聞こえた声の調子は本心からいまの状況を喜んでいるように感じた。

 

 耳が部屋の外の音を拾った。小さな足音は出てきたはずの場所に戻らずこちらへやってくる。

 

「こんなことよくあるの?」

「……しょっちゅうです」

 

 いつの間にか寝息の止んでいたナーベラルは闖入者の正体には思い当たっていたらしく、一応目視で確認するとまた寝息を立てはじめた。

 

 寝ぼけまなこのネムはふらふらした足取りながらもテーブルに頭を打つこともなく、見ている者を無駄にハラハラさせて無事ペストーニャのもとまで辿り着いた。肌寒かったのか当然のように布団の中に潜り込んでくる。

 風邪をひかないようにしっかり首元まで布団を掛け直してやり、ぶくぶく茶釜に言われていた通り寝顔を観察する。いつしかその意識は睡魔に(いざな)われ、深い夢の底へと沈んでいった。

 

 

 

 小さな寝息が二つ聞こえる。軽く何度か寝返りを打ち、少しの物音では起きない程度の深い眠りに入っているのを確認すると荷物入れから簡素な装丁の本を取り出した。表面をさすって、その存在が幻ではないことに陶酔する。

 

 ナザリック地下大墳墓には無数とも思える魔導書や物語など縦横無尽なジャンルの本を収蔵した大図書館(アッシュールバニパル)がある。そこから持ち出されたものなのか、誰かの私物なのかはこの際問題ではなかった。

 至高の御方から名指しで渡されたものというだけで何物にも代え難い輝きが感じられた。もちろんこれは一時的に借り受けているだけであって自分の物だなどと不敬なことは考えていないが、どうにも口角が上がるのを抑えられない。

 

 そうしてしばらく本来の目的を忘れて幸せな悩みと格闘していたが、あやうく(よだれ)が本に(こぼ)れそうになって我に返った。

 

 既に寝静まった家の中に(あか)りはない。テーブルの端には一本の灯心が油の入った平皿から頭をのぞかせている。食後に用意しておいた即席ランプだ。

 ≪ダーク・ヴィジョン/闇視≫でも使えれば楽なのだが、魔法の発動を気取られてペストーニャを起こす訳にはいかない。却下だ。

 しかし改めて考えてみればこの即席ランプは(にお)いに加えて(すす)も出る。屋内で使うならそれなりの対策が必要だ。朝目覚めて天井に煤が付いていたらあのキレイ好きのメイド長様のことだ、たまにはナザリックでできない普通のメイドらしい仕事はどうだと有無を言わせぬ静かな怒りを向けてくるに違いない。これも却下だ。

 そもそもランプを使おうにも火種が無いではないか。

 

「〜〜〜〜ッ!」

 

 思い付く手段はどれを取ってもどん詰まりだ。早く中身を読みたいのに、これほどに思い通りにならずこれほどまでに焦れたことはいまだかつて無い。

 誰に対してかは分からない無言の抵抗とばかりに横になったまま両足をパタパタさせる。床を蹴らないように注意しているので衣擦れ程度の音は出ても二人の寝息を妨げることはない。

 

 もはや今日これを読むことは事実上不可能。月明かりを頼りにしようにもナーベラルの寝床の位置は周りの家屋の関係かあまり反射光は入ってこず、完全な暗闇に包まれていた。

 目を見開いて本に目玉を(こす)るくらいのポジションを取れば見えないこともないかも知れないが、読み間違える可能性もある以上それは愚策だ。最近は特に思うところも無かったが、今ばかりは隣の家を建てた下等生物(ミノムシ)どもを忌々(いまいま)しく思うよりなかった。

 

 それから中々踏ん切りのつかない未練を心中でこねくり回し、ついには本を再び荷物入れへと仕舞った。

 

 

 

~ナーベラルの本より一部抜粋~

 あなたがイライラしているときは、まわりのみんなもイライラしてしまいます。

あなたがニコニコしているときは、まわりのみんなも安心できます。

 

 まずは相手の気持ちになって、考えてみよう!

 

         ○×出版『隣人と繋ぐ仲良しの輪』より




ペストーニャは母親力高くてかわいがりたいというよりついつい頼ってしまいたくなる。そんなイメージ。
何気に人間にも嫌悪感なく接することのできるナザリックでは貴重な存在ですね。

2018/11/7 行間を調整しました。

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