敵を騙すにはまず味方から
そもそも確かに数は多かったが個体の能力はナザリックのワースト十から選抜したにも等しい雑魚軍団だし、よくもまあそこまで分かりやすく悪者になれるものだと思う。戦士の矜持というものは自分には分からないが、言われた相手の神経を逆撫でする言葉であることはよく分かる。
(そういえば茶釜さんってヘイト管理めちゃくちゃ上手かったけど、それってこういうことなのか? 何か思ってたのと違う……)
まさかターゲットしている相手に罵声を飛ばしているなどとふざけた裏設定があった訳でも無いだろう。何にしてもいま考えても意味の無いことだ。
ぶくぶく茶釜の
そして珍しいことに、そのマーレに少し隠れるような立ち位置で下を向いているのは姉のアウラだ。なんだかもじもじしている。
「んー? どしたんアウラ」
「いえ、その、こっちにぶくぶく茶釜様とアインズ様が来られるとは思ってなくて」
アインズより先んじてぶくぶく茶釜が異常に気付いた。流石創造者というべきか、女性ゆえの
「風通しもいいし、初めてにしてはいい出来だと思うぞ」
「アインズ様……ありがとうございます!」
お世辞ではなく本心だ。褒められたのが嬉しかったのか表情をコロリと変えたアウラはいつもの調子に戻っていた。
酷薄な笑みを湛える
これは子供が蝶の羽を毟ったりするのと同じ感覚であり、シャルティアは氷結牢獄の拷問官のように殺さず苦痛を与え続ける
残虐で非情な彼女は、自らが仕える存在に対しては実に従順であった。それゆえアインズに向ける笑顔は内側に秘めたグロテスクな欲望や先ほどまでの鬱憤が残滓すら感じられない、心から親愛を込めたものだった。
ナザリック随一の頭脳を持つデミウルゴスとアルベドは、薄っすら口角を上げて佇んでおり、その表情から内心何を考えているかは全くといっていいほどに読めない。アウラたちとの対比のせいか、二人は特に落ち着いて見える。その雰囲気に張り詰めたものは無く、
(うんうん、皆和やかな雰囲気だな。まあ子供じみた自慢にも思えるけど、たまには今回みたいな力の差を見せ付けるのもいいかも知れないな。危険も無い訳だし)
もはやアインズの中でも
「少し早いが、残すは締めの一戦だけだ。私はコキュートスの勝利を信じて疑わない。だからいまのうちに言っておこうと思う。まずアルベド、シャルティア、ガルガ……い、いい! 膝はつかなくていい。そのまま楽にして聞け。他の者もだ」
主人の言葉を前に一斉に跪きかけた守護者たちを押しとどめる。
このようにスキあらば臣下の礼を尽くそうとしてくる守護者達。ぶくぶく茶釜はどう思っているか分からないがアインズとしては気後れせざるを得ない部分があった。ただでさえ絶対的支配者という重苦しい立場なのに、ギルメンの残した子供のように感じている彼女たちに自分からは過剰にも思える敬意を持って
そんな内心はいざ知らず、至高の御方がおっしゃるならと二人はナザリックで普段見掛けるのと同じ、待機の姿勢に直った。
「えー、そう、ガルガンチュアと軍勢の移動ご苦労だったな」
「アインズ様のお望みとあれば当然のことです」
「もったいなきお言葉でありんす」
功を労われた2人は実に嬉しそうで、もし尻尾があったら左右にバタバタ振れて騒がしそうである。
「他の者もご苦労。特にデミウルゴスは遠方から呼び戻したうえ、ろくに休む間も無かっただろう」
「お気遣いいただきありがとうございます。ですがどちらにせよナザリックへは近々戻る予定でしたので、ご心配には及びません」
「そうか」
なんともできた部下の返答だ。人員の関係で
(いや、本人がいいかどうかは別にして休憩を取る習慣は浸透させなきゃいけないな)
休憩をちゃんと取るように一応指示はしているが、まだそれが当たり前という認識が根付いているとは言い難い。それにデミウルゴスのように今後は外での活動が増える者も出てくるだろうし、そんなときに無理をして倒れられる訳にはいかないのだ。これは組織のトップとして部下を守るために必要なことだ。
ただ、アインズ自身が睡眠を必要とせず疲労することもないアンデッドのためについついなおざりになってしまっている面も確かにあった。特に冒険者モモンとして外で活動しているときはまだしも、ガイコツ姿で執務を行うのは陽の光が決して差し込むことのない地下第九階層。アイテムの操作方法把握にうっかりセバスを深夜まで付き合わせてしまったのはいま思い出しても悪かったと反省している。
アンデッドではないぶくぶく茶釜も睡眠や疲労は不要な種族だった気がするが、特殊なアイテムを用いない限り少なくとも食事は必要のはずだ。つまり彼女がいればその空腹度合によってある程度時間の経過には気付く可能性がある。ただ唯一にして最大の問題は空腹を訴えるところを一度も目にしたことが無いという点だ。そもそも主食として何を好むのかすらも知らない。ここだけ聞けばまるで恋慕した相手を知りたがる少年みたいだが、実際には色気も何も無い、極めて生物学的な疑問でしかない。やはり空腹などという不確かなものを時間のバロメータにしてはいけないのだ。
(じゃあやっぱりタイマーか? でも手持ちのタイマーといえばなぁ……。仮にセバスと二人きりの場でアレが鳴ったら流石にいたたまれないよ)
銀色の金属質な表面にデジタル表示される超シンプルなデザインの腕時計。薄くて邪魔にもならないので機能性は高いのだが、いかんせんあれには他ならぬぶくぶく茶釜による特殊な仕込みがされている。ネタとして、あるいは自分だけのために使うならまだいいが、部下が
ナザリックと
◆
最初に広がった大きな立体型魔法陣は、集落の場所からでも鮮明に見えた。そのあと凄まじい光にたまらず目を細めると、異様な冷気が漂った。目を開けた先には、視界の限り凍り付いた瓢箪型の湖。あの魔法によって起こった結果だとしたら、あれを成したのは人智を超えた存在であることは疑いようがない。後方に控えていた悪魔やら角の生えた女やらのまるで共通性を見いだせない手勢、山のように大きな土くれの巨人。目に映る全てが現実味のない悪い冗談のような光景だった。
種族の誇りを賭けて最後の戦いに臨め、とメッセージを届けにきたのは、"
偉大なるお方とやらの意向を伝えたそいつは、相当手強い相手だ。そのはずだ。だが紫と黒を混ぜ込んだ色味のドレスを着た少女が手を叩くと、そのモンスターは消滅した。信仰系の
村の者たちは戦士としてトップクラスの実力者であるザリュースに敬意を持っている。旅人という内政にかかわれない立場の彼が四至宝の一つである
長老たちとて若かりし日は狩りに出て、ときには戦いの中で武勇を示して皆を守ってきた。だからこそザリュースの言葉を信用している。同時に彼が感じた侵略者との絶望的な力の差もまた痛いほどに理解してしまったがために、独白にも近い報告を終えるまで口を挟む者は誰一人としていなかった。
誰もが絶望を知り、沈黙が下りた。最初に立ち上がる者は孤独に包まれた者だ。孤独の中でも立ち上がれる者だけが、絶望の淵から希望へ繋がる道を見付けることができる。
「……どう足掻いても、勝てないか」
「兄者」
口を開いたのはシャースーリュー・シャシャであった。ザリュースの兄であり、負けず劣らずの武勇を誇る。
声に震えは無い。ただ淡々と事実を確認している雰囲気だ。
推定ではあるが、あの非実体のモンスター数体をものの数にもしないほどの強さを持つ者が少なくとも向こうには二人以上いる。手勢の底も見えない。こちらも二回目のアンデッド襲来時にトップクラス以外の戦士たちは多くが戦闘不能となっている。若い男衆が全滅すれば、女子供も生きてはいけまい。
少しのあいだザリュースと視線を交わしたシャースーリューは、全てを悟ったようにフ、と軽く口角を上げ、深々と頭を下げた。
「ザリュース。ゼンベル。悪いが俺に……いや、いまはまだ見ぬ
「兄者……顔を上げてくれ。俺は皆に感謝しているし、異論は無い」
「おおよ、置いてくっつったらブン殴ってるぜ」
肉親の命すら求め、それに応えた男とその友人。覚悟を決めた彼らの顔にはどこか晴れやかなものがあった。正直、その死の先に
だがその中でザリュースたち以外に二人、腰を下ろしたままの者がいた。一人は全身を白い骨で出来た鎧で覆っている。
「おれたちもおなじ」
「長……」
"
もう1人は"
「
「へっ、他の部族の長にも中々骨のあるヤツがいたんじゃねえか」
決してゼンベルの狙っているのか狙っていないのか分からない冗談が面白かった訳ではないが、五人の勇者たちは誰からとも無く笑いを漏らし、大笑いした。恐怖を吹き飛ばすように。闇を晴らすように。
◆
最後の舞台、
死力を尽くしてもなお届かない一方的な虐殺劇になると分かっていても、五人の精鋭たちの心は凪の湖面のように穏やかに澄み切っていた。
(……見事ナモノダ)
大人と子供以上の力の差がある相手でも、コキュートスは侮らない。これ以上失態を重ねる訳にいかないというのもあるが、何よりそれが戦士に対する無礼だと理解しているからだ。そして眼前に立つ
これは勝負ではない。万に一つどころか、億に一つも
そして、彼らは刻むことを決めた。この圧倒的強者に
清々しささえ感じる決意に対して、あえて確認するような真似はしない。彼らの心意気にできる返答は、自分が圧倒的な強さを以ってその牙を打ち砕くことだけだ。口元から冷気を帯びた吐息が漏れ、
「私ハナザリック地下大墳墓第五階層ガ守護者、コキュートス。刹那ノ時トナロウガ、黄泉路ヘノ土産ニスルガヨイ。刮目セヨ」
中空へ片腕を伸ばし、そこから抜き放ったのは一本の
下に向けた柄の部分で地を軽く小突くと、そこを起点に薄っすら氷の膜が広がりピキパキと硬質な音を立てて割れる。一瞬身構えた
氷結の武人が手にしている
全体から冷気が発されているのか周りの空間がキラキラと煌き、凍った空気中の水分が剥がれる鱗の如く斧刃の部分から零れては地に着く前に霧散している。
氷の魔法武器という点においては
(ウム……デミウルゴスニ知恵ヲ借リタノハ間違イデハナカッタヨウダナ)
◆
知恵を貸してほしいと呼び止めた友人はコキュートスが至高の御方々の期待に充分応えていると言った。ナザリックでも五指に入る明晰な頭脳を持った彼が言うならそれは的外れではないのだろう。しかしそれはコキュートスの感覚とはあまりにも乖離した評価だとしか思えなかった。受けた命令は完遂どころか想像すらしなかった大敗。消費した兵力はナザリックの負担に一切ならないと最初から聞いていたが、問題はそこではない。栄光ある、全ての世界の頂点たるべきナザリック地下大墳墓に黒星をつけてしまった。これが部下のしでかしたことならばどうか。断罪は当然、そして相手が塵芥に等しい弱者であろうとも圧倒的な力で蹂躙して尻拭いをするところだ。
だが今回敗北の責任は全て自分にある。階層守護者の上には一応統括がいるが、リーダーのようなもので地位の軽重は階層守護者たちと大差ない。あとは現在たった二人がおわす至高の四十一人しか自分の上にはいないのだ。つまり同じ論理に当てはめれば、自分の尻拭いを不敬にも至高の御方々にさせる羽目になる。
幸いにも自ら泥を拭う機会を与えてもらえたが、いくらなんでもこれが最大にして最後のチャンスだ。完璧な結果を出せたなら、ナザリックの栄名は保たれる。
頭の回る者はさらに一手先二手先を読んでいるのかも知れないが、それは得手不得手の問題だと割り切る。悩んで限られた時間を浪費するくらいなら恥を忍んで誰かに聞く方がよほどいいと気付かされたからだ。
友人である丸眼鏡の悪魔は煙たがる様子もなく相談に乗ってくれた。
「あの氷の武器を持っている者が他に見られないのなら、あれが
なるほど、言われてみればそれは至極当然だ。たとえ戦いで負けようとも、優秀だと思っているアイテムを所有していればそれを頼りに抵抗するかも知れない。それに内心で自分たちはお前たちより優れたアイテムを持っているんだぞなどとくだらない勘違いを残しては、至高の御方々が望む完全なる服従には程遠い。
「心得タ。デハ同ジ系統ノ属性武器デ臨ムトシヨウ」
「それが良いだろうね」
礼の言葉もそこそこに、第五階層へと向かうコキュートスの頭の中では無数の武器コレクションの選別が始まっていた。
まず氷雪系で絞り込むがそれでも選択肢は多い。刀、槍、斧、棍棒。指揮小屋で見た映像を思い出すと
(刀カ、槍カ……。ソレナラバ)
リーダー格の
武器に関することにかけては並ぶ者のいないコキュートス。その彼は初めて、能力的な相性以外の要因を含めて装備の選択をしようとしていた。
◆
「
一指たりとも微動だにしていないが、瞬間、コキュートスからは凄まじいプレッシャーが押し迫る。その正体は殺気だ。武芸を極めた達人が本気で放つそれは気当たりとも呼ばれ、弱い相手や修練を積んでいない者を触れずに倒すことすら可能にする。
目の前に死の気配を色濃く感じ、本能が逃げろと絶叫している。意識を奪われることは無くとも、反射的に身体が強張る感覚は避けられない。恐怖という毒が全てを蝕む前に、ザリュースは全身を震わせて咆哮し、他の四人もそれに呼応する。荒々しい雄叫びの五重奏は闘いのゴングだ。
湿地の泥が盛り上がり、二つのシルエットが生まれる。"
しかし標的へ届くことはなく、空中で透明な何かに弾かれたように防がれた。だがそれでいい。目的は仕留めることではなく、注意を向けさせることだ。包囲する位置取りに後衛のシャースーリュー以外の三人が回り込む。対人戦闘を主眼に置いているなら、囲まれるのは圧倒的に不利。そのため、包囲を試みる相手には取り囲まれる前に一点突破するなどの囲まれないための対策がセオリーだ。だがコキュートスにはそのような素振りは無い。一対多の戦闘を知らないのか、あるいは囲まれてなお問題にならない自信があるのか。
心の中で
「チェストォ!」
「うおおぉ!」
左右から同時に仕掛ける。ゼンベルが放つのは<アイアン・ナチュラル・ウェポン>と<アイアン・スキン>によって鋼鉄以上の硬度に強化された必殺の抜き手。ザリュースはコキュートスの左手から水平の斬撃。様子見は無い。初手から最期まで全力を尽くさなければならない相手であることは全員が理解している。
「はあっ!」
時間差攻撃。ワンテンポずらして飛び出したのは白い骨の鎧に身を包んだ"
(なぜ、ふりむかない……!?)
背面へ回り込んだのは見ていたのだから、警戒をしていないはずはない。対応するならギリギリまで無反応なのは妙だ。棘の付いた尻尾にも注意はしているが、飛び掛かる自分を叩き落とすために横に引かれているということも無い。知力を奪われてなお優れた頭の回転を保持している彼には解せない反応だった。振り下ろした簡素な造りの
振り返りと同時に腰を捻り、断頭牙を垂直に斬り上げる。ほとんど抵抗無く鎧ごと真っ二つに両断された
ザリュースだけは唯一槍斧が振るわれることはなかったが、二人が決死の思いで作った隙に叩き込んだ斬撃は空いた左手によって止められている。それは優しいと表現するのが的確なほどソフトに、二本の指に挟まれている。引き抜こうと全力を込めて腕を引くが、
先端が瘤状になって棘の生えた尻尾がザリュースの右脇腹を襲った。
「ごはぁ!」
右腕が邪魔で反応が遅れたが、たとえ見えていたところで躱せたかどうか怪しい。あばらの骨がへし折れる感触を覚えながら、湿地の中を殴り飛ばされた勢いのまま泥まみれになって転がる。深く息を吸うこともできない、半死半生だ。目だけで辺りを見回すと、"
「
後衛の放つ回復魔法によって、まだ息のあるザリュースとゼンベルの傷が回復する。腕が再生するゼンベルにすぐさま追撃をしてこないのは、力の差を見せつけるためか。
距離の近かったゼンベルが咆哮を上げて、再び抜き手を放つ。さっきの初撃が手を抜いていた訳ではなかったが、今度の一撃には絶対に相手に叩き込む、そのためには己の命などどうなっても構わないという裂帛の気迫が乗っている。
コキュートスは少し屈む姿勢を取ると、大きな踏み込みと同時に胴斬り。斬り抜けた先から吹き出た血は即座に凍り、王冠状の腰飾りを形作る。腹を真横に切断されても即死はしない。腰を捻ることができないゼンベルが倒れ伏す前に、返す刃にその太い頸椎が両断され、苦痛を感じる前に命の火が消える。
斧は本来斬るのではなく、その重さを利用して叩き割る武器だ。それは
「残ルハ二人ダナ……。ミナ、良キ戦士ダ。敬意ヲ表ソウ」
「お前より遥かに弱い私たちに……か?」
「ソウダ。コレハ返ソウ」
指だけで投げ飛ばした
四本の腕を広げて、先の言葉が嘘偽りではないことを強調するコキュートス。ザリュースたちからしても、この戦士がくだらない嘘をつく性格だとは思っていない。敵対する者同士ではあるが、そこには戦士同士にしか理解できない不思議な信頼感ともいうべきものが生まれていた。
そのため、本来ならば四本の腕に全て武器を持つこと、自分たちがそれに値する脅威ではないということを聞かされても、悔しいとは思っても侮られているとは思わなかった。
二人の咆哮が湿地に響き、それを最後に静寂が支配する。泥へ半身を沈めた屍達の中、一人立つコキュートスを残してそこは勇者たちの潰えた場所。亡骸を弔う者は無く、放っておけばいずれ土へ還るのだろう。この日をもって
腕が四本あってそれぞれに武器持ててついでに尻尾もあるとか、冷静に考えるとコキュートスの手数の多さヤバい。ラシャーガか何か?
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