オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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最近書き進めのスピードが遅くなっている……(´・ω・`)
来年頭はもしかすると更新が隔週になるかも知れないです。
別に毎週更新すると決めてる訳でもないんですが。
そうならないように頑張ろう。


第32話 幻の薬草

 ぶくぶく茶釜が守護者たちを引き連れて行ったため、一応の供がいるとはいえアインズは久々に実質的な一人になった。愚痴をこぼすなどの迂闊な行動は意識的に避けるが、とりとめも無いことを整理してひとまずの結論を出しておくのは悪いことではない。

 

(それにしても……金が無い)

 

 墳墓の支配者が現在頭を抱えたくなる程の悩みは、実に世間一般にありふれたものだった。

 

 この薬草採取依頼を無事に完遂したとしても、今後一切金の心配をしなくていい額など当然手に入らない。

 

 単に収入という点においてはアダマンタイト級になったことで依頼一件あたりの単価は上がっている。

 これは冒険者組合が規定している下限額があり、依頼のランクによる基本料に加えて活動内容や地域により想定されるモンスターとの遭遇戦の難度なども考慮される。それら諸々の依頼者から支払われる代金から組合の仲介料が差し引かれた残りが冒険者への報酬になる。

 

 個別に交渉をする必要が無いため、この世界の世俗に詳しくない身にはありがたい。口先だけではどうしてもボロが出るし、思い掛けない弱みを握られてしまうこともあり得るからだ。

 

 よって基本的には組合から仲介を受けた依頼をとにかくこなすことになるのだが、最近明らかに新しい依頼が出てくるスピードよりモモン達『漆黒』が完了させるスピードが上回ってきている。

 

 他の冒険者から恨みを買わないために低難度のものやミスリル級以下の依頼は指名の場合を除いて意図的に受けていない。

 組合員冒険者のメシのタネを奪うのはトラブルの元だし、登録直後には色々と教えてもらった恩もある。恩を仇で返すようなマネは上に立つ者としても、いち個人としても出来ない。

 

 目下悩みの原因の一つは、アダマンタイト級になったことでそうせざるを得なかった支出の増大だ。

 

 名が広まればいついかなる時も言動に気を配らなくてはならない。これはアダマンタイト級認定通知の時に組合長であるアインザックにもしつこいくらい言われたが、納得できる話だ。特に最上位冒険者は認定した組合の看板を常に背負っているのだから、過敏なまでに組合がその振る舞いを注視するのも分かる。

 

 しかし同時に下手な扱いをしてヘソを曲げられたくもないというのも本音だろう。

 実際長々とした諸注意と誓約書を読み上げたアインザックはかなり言葉を選びながらフォローを入れてきた。必要以上に重苦しく考えないでほしいと。とはいえ、付け込まれかねない隙を生む訳にはいかないので規定で決まっている諸注意を(ないがし)ろにする言い方は立場上口が裂けてもできない。彼が額に浮かべた玉のような汗は今思えば緊張の顕れだったのかも知れない。

 

 色々ごちゃごちゃとした言い回しを使った誓約書だったが、要はアダマンタイト級として世間に恥じない行動をしろということだった。だがこれはアインズにとってただいい人であれというのとは訳が違う。

 冒険者登録をしてからこっち、コスト重視で基本的に安宿を利用していたのだが、それが使えなくなった。

 

 より正確に言うと、以前から至高の御方が宿泊するには相応しくないとルプスレギナは思っており、駆け出しの冒険者という偽装身分だったからこそ敢えて我慢していたらしい。

 まだまだ階級が実力に追い付いていないとはいえ一応は最上位の称号を得たことで、安宿を引き払ういい切っ掛けとばかりに進言してきたのだ。

 

(部下の期待を裏切りたくないとはいえ、組合長に相談したのは失敗だったかなぁ。大体、組合のためでもあるなら宿代くらい支援してくれてもいいじゃないか)

 

 最近の支出増大の切っ掛けになった出来事を思い出す。

 

 

 

 

 

 

 長ったらしい認定状を読み上げて渡されたあと、アインザックにある男を紹介された。

 自分のことを仲介人だという紹介された男は道中よく喋り、いくつかの考えていた候補を消していった結果この宿へと辿り着いたようだった。彼は直接冒険者組合に属している者ではなく、いわば組合とはビジネスパートナーの関係だそうだ。冒険者として登録した直後に紹介された安宿と違って、ランクの高い宿には貴族なども出入りする。その辺りの力関係や事情に疎い者だけではいらぬ摩擦やトラブルが必ずと言っていい程発生するらしい。

 

 連れてこられたのは『黄金の輝き亭』。外観は周りの建物と比べて目立つ感じではなく、通り側に飛び出した形になっている箱状の入口はむしろ地味ですらある。知る人ぞ知る名店とかそういった系統の宿なのだろうか。紹介人の後ろに続いて正門をくぐる。

 入ってすぐの場所には受付のカウンターがあり、女性が二人座っている。服装にいやらしい派手さは無く、上等そうな生地と繊細に縫われた刺繍が上品な雰囲気を漂わせていた。

 

「これまでのとこに比べたらちょっとマシって感じっすね」

 

 こそっと後ろからレジーナが声を掛けてくる。よく考えたらルプスレギナたちはナザリックしか知らなかったのだから、それが全ての基準なのだ。ギルメン全員が知恵と金と時間をつぎ込んで作り上げたあの拠点はそんじょそこらの建造物には負けない自信があった。一介の宿屋があれと比べられるのは流石に可哀想というか、比較する種類が間違っている気がするが、ルプスレギナがそれだけナザリックを素晴らしい場所だと思ってくれていることは素直に嬉しい。

 

 受付嬢の一人がカウンターを出て話し掛けてくる。

 

「モモン様、レジーナ様。もしよろしければ当店のご案内をさせていただきますが、いかがでしょうか。お連れ様は事務所で手続き中ですので、もうしばらく掛かるかと存じます」

「私たちが名乗った覚えは無いが……」

「エ・ランテル唯一のアダマンタイト級冒険者『漆黒』のお二人を知らない者は当店には一人もおりません」

 

 含み笑いをしながら返す様は母性を感じさせる。こういうちょっとした細かい所まで行き届いている辺りが一流の所以(ゆえん)なのかも知れない。ここでもアダマンタイトの称号は名を売るのに一役買っているようだ。手持無沙汰のまま入口付近で立ち尽くしているのも迷惑かと思い、案内を頼むことにした。

 

 カウンターを過ぎた奥は丁字路になっており、左は先ほど仲介人の男が入っていったと思われる事務所の扉がある。右側の通路を受付嬢が先行する。

 その先の部屋はクロスを引かれた二人用のテーブルが九席並ぶ広めのホールになっていた。右側の壁に掛けられた絵画の奥に赤いカーテンで装飾された扉と、左手部屋の隅には仕切り板と二階へ上がるための階段が見える。日中の時間帯ということもあり、客はまばらなものだ。チラリとこちらを一瞥する者もいるが、受付嬢が案内している様子を見ると食事に戻る。

 

 踊り場を経て折り返した階段を上がった先は客室だ。群青色の絨毯が引かれた通路の突き当りは左に曲がっており、そこに行く途中左へ別れた通路がもう一本あった。アルファベットのFの鏡文字のような配置だ。このフロアは一室タイプの客室が十二室あり、三階も基本は同じ造りだが部屋数が違うとのことだった。

 現在は二階の空き部屋が無かったため中まで見ることはできなかったが、三階まで行って紹介人を待たせたら決まりが悪いので受付嬢に礼を言い、一階へ戻ることにした。

 

「おっ、ちょうどいいところに。支配人から特別に約束を取り付けてきましたよ。支払いは要りませんから今夜はこちらに泊まっていってください」

「えっ? いえ、ですが……」

「いいんですよ。ここだけの話、向こうもハッキリとは言いませんがね、エ・ランテル唯一のアダマンタイト級冒険者が利用したというのは宿の箔付けにもいい話なんです。持ちつ持たれつってやつですね」

 

 ふむ、とモモンはこの申し出を受けたときと受けなかったときのメリットとデメリットを考える。こういう場合に気を付けなければいけないのは、過度に優遇されたり必要以上に懇意にしていると世間に思われることだ。しかし無闇に断って今後の機会を失うのも望ましくはない。

 

「分かりました。ですが、こうしませんか。一泊させていただいて、評判通りの宿であれば正規の料金をお支払いする。そうでなければご厚意に甘えましょう」

 

 無料でいいと言っているものにわざわざ金を支払う可能性を作る。普通なら厚顔無恥な奴だと一蹴されてもおかしくはないが、この宿にアダマンタイト級の名がそれなりの力を持つことは確認済みだ。

 であれば、それを最大限利用していらない恩を着せられる事態は回避する。

 

 これで評判通りの宿ならばモモンは金を支払い、単なる一組の客という対等の立場を守れる。そして理由はどうあれ金を払わなければ厚意に甘えた形になれども内心は宿に対する評価は低いということになる。人の口に戸は立てられない。真偽はどうあれそのような評価をされた事実は今後『漆黒』がさらに活躍し、信用のおける人物だという評価が広がると共に拡散していくだろう。将来的に負う傷の広さと深さは計り知れない。

 

 仲介人はこちらの意図が掴めていないらしく「はぁ」と呆けた表情で変わった人だなぁという視線を向けていたが、とにかく今夜は泊まる意思は確認したので既に用意していた部屋の札を渡すと分かりましたと言い残して立ち去っていった。

 

 翌日、宿泊の感想を聞かれたが予想できる質問の答えはルプスレギナに聞いてある。もちろんナザリックと比較すると評価は下の下になってしまうので、参考にしたのは料理の食感などだ。

 理由無くルプスレギナが一人でというのも不自然かと思い、食事は部屋へ運んでもらい彼女が二人前を平らげた。

 一人前は味わった感想を聞く前に皿が空いてしまったので、二人前用意してもらったのは結果的に助かった。

 

 何かの間違いかと思うくらいの料金をカウンターで清算しているところへ、例の仲介人の男が声を掛けてきた。

 

「どうやらご満足いただけたようで安心しました」

「ああ、噂に違わぬ一流の宿だったよ」

 

 自慢の保存(プリザーベイション)の魔法が掛かった肉や野菜に舌鼓を打つことも、フカフカのベッドの寝心地を堪能することもできなかったけどなという言葉は諦めとセットでぐるぐる巻きにして思考の底へ沈める。

 

「いかがですか、差し支えなければエ・ランテルにいらっしゃるあいだここを利用されては。安宿では荷物の管理もままなりますまい」

「それは……」

 

 困った。『アダマンタイト級冒険者モモン』として断る理由が無い。アインズ個人としては、(まさ)にいま支払ったばかりの高額な宿泊料を払い続けるのは非常に痛い。

 だが理想のモモン像は良い物には惜しみ無く対価を払う男。名声を高めるためにも庶民的な感覚は捨てなければならない。

 

 確かに、いまの収入ならばここに滞在し続けることは可能だ。だがその分、金の貯まるスピードはいままでの比ではないペースに落ち込むだろう。

 

 理想と現実の狭間に揺られた脳裏に浮かんだのは、昨夜実に嬉しそうに肉を頬張るルプスレギナの姿だった。

 

 自分は何も二人旅をしているのではない。ルプスレギナという部下がいて、しかも女性なのだ。口には出さなくともおいしいものも食べたいだろうし風呂にも入りたいだろう。

 

 よく考えたらいまの詳しい状況をぶくぶく茶釜に報告したらシャルティアのとき以上に怒られるのではないだろうか。

 

 考えの連鎖は止まらない。せめて相手に乗せられたという形にしたくなかったため、急ぎの用があるので回答は後にとその場を去った。

 

 結局わざわざ街を出た上で時間を潰し、モモンたち『漆黒』は今後、黄金の輝き亭をエ・ランテルの滞在拠点にすることを決めた。

 

 

 

 

 

(いやまあ決めたのは俺だけどさ!?)

 

 後悔先に立たずとは良く言ったもので、依頼の隙間ができたときにガンガン減っていく金袋に思わず精神の沈静化が起こってしまった程だ。

 

 そういった事情があり、組合からの絶対的な信頼を強固なものにするためいまは受けた依頼をできる限り早く完遂させる必要があった。

 もっとも、モモンは剣士であり、パートナーのレジーナも魔法詠唱者(マジックキャスター)なので探索系の依頼に向いたパーティではない。大体の場所が分かっているならやってやれないことはなかっただろうが、今回はちょっとズルをさせてもらった。

 

 仲間の力とは偉大なものだ。

 

 前方からは地を叩く振動や破壊音、魔樹の悲鳴にも似た声が聞こえてくる。分かり切っていたことだが、こちらの陣営が圧倒しているらしい。

 

 攻めに堪えかねたのか、魔樹の打ち出す黒い塊が四方八方へと飛び、その一つがこちらに飛んできた。ただ、飛距離が伸びた分やや高い角度で打ち出されたそれは、前方を見ていたアインズにとって容易に回避できるものだ。二メートル程度の砲弾なら、数歩横に動くだけでいい。

 

 数秒前までアインズがいた場所に、黒い塊が着弾する。周りの土が少し盛り上がったものの、直撃しなければ大したことは無い。

 

(とはいっても、飛び道具無効化が働くなら気にしなくてもいいんだけど。……いや、分かっててもやっぱり恐いからやめとこう)

 

 半分程が土にめり込んだ塊を観察すると、それは種のようだった。魔力を帯びているのか、手を当てるとなんだかじくじくした感覚があるが、手が濡れたりはしていない。

 

「そういえばザイトルクワエって花粉撒いたりするのかな……ん? あ!」

 

 もう1発、今度はアインズの頭も越えて飛んでいく種があった。その先を追って振り返った先に見えたのは、ピニスンとハムスケ。下草が生い繁った視界の悪い藪から話しながら出てきたため、二人とも周りの状況には気が付いていない。

 

 放物線の頂点を既に過ぎた種は、二人に直撃するコースを取っていた。アインズから距離も離れているため、大声を出したとしても即座に意図が伝わらなければそこからの回避ができるかは賭けだ。

 

「ハムスケ!! 上だ!! ……ダメだ、間に合わん!」

 

 やはりうまく伝わっていない。上を見上げたハムスケが種に気付いたとき、それは眼前に迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 木の根が幾重にも絡み合って不規則な段差まみれの足元も鬱蒼と繁った下草もまるで平地と変わらないペースで先行する森精霊(ドライアード)。一方自分は丈夫な毛皮があるとはいえ、枝先で目を突いたりしないよう注意しながらとなれば出せる速度も知れている。周りを見る余裕は無く、視界からピニスンを見失わないようにするので精一杯だった。

 

 やがて藪を抜けた先は直径五十センチくらいの木々が密集して生えている場所だった。先ほどまでいた場所の木々と違いこの辺りは枯れた草木が目立つことは無く、目の前の木々はどれも力強さを感じる緑の葉をたっぷりと蓄えていた。空気が澄んでいるのか、心なしか呼吸が楽にも感じた。

 

「ここが来てほしい場所、でござるか?」

「うん。それでこれがわたしの本体」

 

 ポン、と手をついたのはまっすぐ伸びた幹を持ち、バランス良く広がった枝と葉に燦々と太陽の光を浴びる1本の樹木。まだ若く見えるが、それ故にまだまだこれからの成長を予感させる木だ。

 

「さっきも言ったけど、本体から私は遠くに離れることができないのさ。だから運びやすいようにキミに掘り出してほしいんだ。倒さないように気を付けてよね」

「合点でござる! これも殿のためとあらば!」

 

 鼻息を荒くしたハムスケは作業に取り掛かった。まずはその強靭な爪を使って掘り進むのだが、ピニスンの本体からは五メートル程の距離を取った。そして土の緩い箇所を見付けると猛烈な勢いで掘削を始めた。

 

 穴を掘りながら徐々に地中に潜りつつあるハムスケを背後から見ていたピニスン。考えるのはこのあとのことだ。この掻き出された土であっと言う間にできた小山を見る限り、掘り出しは問題無くいけそうだ。だが穴は掘れても本体をハムスケが運ぶのは難しいように思う。しかも場合によってはザイトルクワエの攻撃をかわしながらこの場を離れなければならない。

 ハムスケ一頭にそれらを全てこなせというのはどう考えても無理がある。

 

(そうするとやっぱりさっきの人たちに運んでもらわなきゃいけないんだけど……。はぁ、わたしの話()いてるのかなあの人たちは)

 

 

「むぅー、ちょっとこれ以上は難しいでござる」

「ええ!? まだ一ヶ所から穴掘っただけじゃないか。これじゃ運ぶどころか……うわっ、ちょ、土をこっちに飛ばさないでよ」

 

 自分で掘った穴からバックで這い出てきたハムスケは全身に付いた土をブルブルと身を震わせて落とした。少し気になる箇所の毛づくろいを始めるあたり、この場でこれ以上掘る気は無いという意思が見て取れる。

 

 木に近付けば近付くほど根の量が多く、挟み込んだ土が細かくなり掘り出しにくくなる。かといって土を巻き込んだまま大きめに掘り出すと、重量があり過ぎて引きずることすら難しくなる。

 

 どっちにしても最終的に運ぶのはハムスケ自身ではないので、主人の指示を仰ぐ必要があるとハムスケは結論付けたのだった。

 

 説明を聞いたピニスンは頭を抱えた。あのザイトルクワエを相手にして、こっちへ回す手が余るとは思えない。仮に陽動作戦を取っても、引き付け役の人はまず確実に死ぬ。ほとんど初対面同然の者に自分の代わりに死んでくれなどとは言えないし、言われた側も了承する訳がない。

 

「ど、どうすればいいんだぁ……って、お、おーい、どこへ行くんだい!?」

「どこって、殿のお側に戻るでござる。なぁに、殿はお優しい方。お主の本体のことも相談してみるでござるよ」

「なーるほど、そりゃいいや。って違ーう! ちょっ、待ってってばー!」

 

 ここまで来た道はハムスケが通ったことで下草がところどころ潰れている。それらを辿って元の場所まで戻るのは難しくなさそうだった。あまり離れた位置ではないにしても、主人を長々と独りにしておく訳にはいかない。

 自分などより遥かに強いのは承知しているが、忠義を尽くして働くことと強さは別だとハムスケは思っている。力及ばぬ自分でも、主人のためになることがあるならやらない理由が無い。

 

 下生えの隙間からやや開けた場所が見える。視界の左端にはそこそこ距離があるが、漆黒の全身鎧(フルプレート)が見えた。

特にこちらを探したりしている様子ではないので、さほど急ぐ必要も無かったかと速度を緩めて歩いた。

 

「ぐぇ」

 

 どん、とお尻に感じる弱い衝撃に半身を(ひね)って後方を見た。鼻があるのかよく分からないが、ぶつけた顔の中心をさすっている森精霊(ドライアード)をスルーして再び歩き始める。

 

 ピニスンはハムスケの右側から回り込むようにして頭の隣まで来ると、再びささやかな説得を試みた。

 

「ちょ、ちょ、ちょ、そっちは危ないってば!」

「そうは言ってもさっきから言ってるように(それがし)は殿のお側に戻らないといけないでござる。ていうかお主ちょっとくどいでござるよ。あの方たちにはそういう態度は取らない方が身のためでござる」

 

「ハムスケ! 上だ!」

「ほぇ?」

「え」

 

 声の示す通りにハムスケたちが空を見上げると同時、視界に影が重なった。その先には高速で迫る飛来物。避けるだけの時間的な余裕は無い。尻尾で弾くのも間に合わない。本能的に身体が強張るのが分かった。

 いくら自分の毛皮が強靭であっても、強い打撃は体内に伝わりダメージを受ける。昔、森の中を走り回っていて木の幹に鼻頭(はながしら)をぶつけてフラフラになったことがあった。眼前の物体が持つ速度はあのときの比ではない。

 

 最近は感じたことのない、周りの時間がゆっくりになる感覚。刹那の時に記憶の中の情景がフラッシュする。

 最も色鮮やかな記憶は、自分を初めて正面から打ち負かした主人を背に乗せて草原を駆ける主従の姿だった。

 

 実際にできる行動は何も無い。ハムスケは咄嗟に目を閉じた。

 

 しかし頭に衝撃は一向にこない。恐る恐る目を開けた先に飛び込んできたのは、グレートソードを振り下ろした姿の主人。斬撃を受けたのであろう飛来物が真っ二つになり、見た目以上に重々しい音を立てて片割れが後方に跳ね転がった。

 

「と、ととと……殿ぉ!」

「た、助かった……の?」

「怪我は……無いようだな。ならいい。気を付けろ」

 

 主人は勝手に離れた自分を怒鳴りつけるでもなく、無事を確認すると側に転がっている飛来物を観察し始めた。

 

 命を拾ってもらったのはこれで二回目だ。ますます主人への信頼を寄せるハムスケであった。まずはこのピニスンに主人たちのすごさをしっかり伝えなければならない。

 

 

 

 

 

 

 間に合わない。そう判断してからの対応はほとんど反射的だった。

 

「≪タイム・ストップ/時間停止≫!」

 

 発動までのわずかなタイムラグが間に合うかどうかが勝負だった。ハムスケたちが自力で回避できたかを確認をしている余裕は無い。詠唱と同時に地を蹴ったアインズは常人が遥かに及ばない速度でハムスケ達に迫る。

 横から回り込むと、飛来物とハムスケの鼻先の間は一メートルも無い。ギリギリではあったが、胸を撫で下ろした。

 

(あ、危なかった! やっぱり≪エクステンド・マジック/魔法効果時間延長≫は使わなくて正解だな……っと、もう停止時間も大して残ってないな)

 

 ≪エクステンド・マジック/魔法効果時間延長≫を併用すれば、発動後の余裕ができる代わりに詠唱時間が長くなるせいで発動が遅れる。弾速を考えると確実性に欠けたため、多少(せわ)しくとも通常発動させたのだ。

 そもそもいまの鎧姿のままでは≪エクステンド・マジック/魔法効果時間延長≫は使用できない。一度魔法の鎧を解除する必要があるが、それに一手。さらに時間停止発動が遅くなることを加味すると恐らくだが間に合わなかった。

 

「ふんっ」

 

 グレートソードを背中に留めているバンドを強引に引きちぎる。都度≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫で作り直せばいいのだが『戦士モモン』の身分ではそうもいかないため、いつもはルプスレギナ扮するレジーナに鞘を抜き取ってもらっている。だがこの場においては気にする必要も無い。

 二本のうち手に取ったのは一本。もう一本は地面に落ちるに連れて落下速度は遅くなり、ゴワヮンと低音を響かせると、落下した反動で少し斜めに浮いた不自然な形でピタリと停止した。

 

 まだ気は抜けない。次のタイミングまでのカウントダウンを頭で数えつつ、長い息を吐く。といってもアンデッドであるアインズは呼吸を必要としないので、あくまでも気持ち的なものだが。

 

 

 

 

0(いまだ!)

 

「≪パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士≫! はああっ!」

 

 止まった時が動き出すと同時に補助魔法を発動させる。身体は既に打ち下ろしのために逆時計回りのモーメントでグレートソードを右肩に担いでいる。

 

 ≪パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士≫。発動中はアイテム使用を除く新たな魔法発動が一切できなくなるが、一時的に同レベルの戦士になる。

 

 プレイヤースキルや専門職固有の特殊技術(スキル)などの面で同レベルの本職に勝ることはまず無いため、ユグドラシルでは制限を取っ払って普通にはできない種族と装備の組み合わせを楽しむ用途で作られた魔法だ。

 

 しかしモノは使いよう。レベル100であるアインズがこの魔法を使えば、レベル100の戦士になることができる。≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫による魔法の鎧を身に纏ったモモンは、レベルにしておおよそ30強。三倍ものレベル差がもたらす力は、(まさ)に圧倒的と言えた。

 

 剣速が爆発的に加速する。完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)発動までのタイムラグは一秒と掛からなかったが、このコンマ以下のタイミング合わせを土壇場で確実に決めるのは誰にでもできることではない。

 PvPで常に50%以上の勝率を維持できたのは、この卓抜したプレイヤースキルが寄与していた部分が少なからずあった。

 

 ヒトの領域から軽々と飛び出した漆黒の剣士の斬撃は竜巻もかくやの鋭さで飛来物の芯を捉えた。

 

 さしたる抵抗もなくザイトルクワエの撃ち出した弾はそのままあっさりと両断され、左側は勢いのままにその四分の一ほどが地にめり込んで止まった。もう片方は少し遠くへと転がっていった。

 

 ハムスケたちに背を向けたままのアインズは沈黙を保つ。怒っている訳ではなく、口を開くとボロが出そうだったからだ。

 

(ま、間に合ったああああ! グッジョブ、俺!!)

 

 斬った感触から推察すると≪パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士≫を発動させずとも何とかなったかも知れないが、万が一失敗して無様を晒すよりはいい。

 

 チラリと肩越しにハムスケたちを見ても特に怪我は無いようだった。戦闘中にボーッとしていたのは自分もそうなので、棚上げにして叱りつけることはできない。それは傲慢というものだし、逆の立場ならアインズ自身が納得できないだろうからだ。

 

 身を守るために注意をするよう短く伝えると、左手側の地にめり込んだ飛来物の半分を調べることにした。

 

 全体的に黒く頑強な外皮。十五センチほどの層の奥には少し柔らかさを感じる物体が詰まっている。やはりこれはザイトルクワエの種のようだ。ピニスンの話ではザイトルクワエは徐々に成長したのではなくいきなり現れたと言っていた。

 前線で飛び交っているのが見えたのは恐らく全てこれと同じものだと思うが、同じ系統のモンスターが周りにいないところを見るとこの種が発芽して成長するというリスクはかなり薄い。

 

 たまたまあの個体が環境に適応したのか、魔力を持った魔法生物だから生殖方法がそもそも違うのかは分からないが、用心しておくに越したことはない。仮に打ち出した種が全てあっと言う間にあれと同じくらいまで成長したとしても、ナザリックの力をもってすれば殲滅は難しいことではない。

 

 ただ、目立たず処理をするというのは不可能だ。数が増えれば雄叫びの声量も相当になるだろう。離れていても人目を引く。

 

 それらを全滅させたとしても、冒険者モモンに花を持たせるにしては流石に無理がある。決して届かないとしても、自分たちの道の先にいると思ってくれているからこそ他の冒険者や組合との関係もうまく回るのだ。

 荒唐無稽に思われるまで逸脱した成果はこれまで培ってきた信頼をぶち壊し、彼らの目は恐怖に濁るだろう。その次は敵対、排斥とお決まりのコースだ。それは避けたい。

 

(やはり念のために種子を完全に破壊するか焼却するか、念には念を入れておいた方がいいか……? ん、な、なんだ?)

 

 種の中身を引きずり出そうとした矢先、手を入れていた辺りから白い胚乳が一気に黒く染まった。するとドロドロと液状化し、手甲の中の骨をもすり抜けて地面へと溶け込んでいった。空洞になった種皮部分は完全に色が抜けて灰になっており、少し腕を引くと音も無くその場に崩れた。

 

「ハムスケ! 下だ! 足元を警戒しろ!」

「は、はいでござる!」

 

 地面からの攻撃は虚を突いて死角からくるため、何らかの対処法を持っていなければ手も足も出ない。さっき地に寝かせたグレートソードの横っ腹にあたる場所へ、アインズは素早く飛び乗った。

 

(気休めかもだけど、これでいきなり真下から直撃を喰らう心配は無いはず。……たっちさんがいたら怒るかな?)

 

 純銀の鎧に身を包んだ仲間をふと思い出す。アインズ、いやモモンガがPvPで一度も勝てなかった高潔の騎士ならどうしたか。自分のように策を弄さず、無形の位で迎え撃って真正面から平然と斬り捌くイメージしか出てこない。アインズはそこまで出たとこ勝負をするほどの自信は無い。より正確に言うとちょっとした手間で避けられるリスクは避けたいタイプなのだ。そのちょっとの手間の差こそが彼に勝てなかった理由なのかもといまになっては思う。

 

 しばらく周囲を警戒していたが、異音や襲ってくるような気配は無かった。

 

 右後方を見ると、転がっていった片割れも同様に灰と化している。視線を落としてさっき液体に触れた右手を見るが、濡れていたり一部が残っているということも無かった。開いたり閉じたりしてみても違和感は無い。

 

 ふと思い出したのはよくある、倒されたモンスターがスーッと消えていく描写だ。ゲームデザイン上の問題だといえばそれまでだが、なるほどこれなら周囲が種まみれになることもないし、弾替わりの種から発芽しないのも納得できる。

 

 念をということなら灰化していない種に絞って破壊しておけばよさそうだ。

 

「≪パーフェクト・ウォリアー/完璧なる戦士≫、≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫解除」

 

 全身鎧(フルプレート)が消え去り、そこには威厳のあるローブに包まれた骨の顔を持つ死の支配者(オーバーロード)が現れた。

 手甲が消えて露出した右腕を確かめるように指先を擦り合わせている。

 

「そろそろ実地訓練も佳境だろう。前線に合流するぞ」

「了解でござるよ!」

 

 ローブを翻してアインズは進む。悠々と歩く姿は底無しの余裕を感じさせる支配者に相応しい威厳を伴っていた。

 

 遠ざかっていくローブ姿のアンデッドに放心しているピニスンはハムスケの尻尾にぐるぐる巻きにされて連れていかれた。

 

 

 

 

 

 

 飛び道具を完全に無効化されたザイトルクワエはもはやアルベドのシールド練習に付き合わされるだけの木偶と化していた。手数を打ってこないせいで他の守護者たちにもやや手持ち無沙汰な雰囲気が漂っていた。

 

「ぶくぶく茶釜様のいわした通りに戦線を押し込むことはできておりんすが、正直ヒマでありんす」

「アルベドだけで事足りてしまっていますからね」

 

 眠そうな表情で正直な感想を述べるシャルティアにさり気ない同意の言葉を伴って相槌を打つデミウルゴス。

 

 武器を仕舞い込むべきか否か逡巡していたコキュートスは、妙に静かであることに気が付いた。周囲をぐるりと見てみると、自分たちの頭の上、樹上からザイトルクワエを眺めていたアウラとマーレが飛び降りてくるのが見えた。

 

「ぶくぶく茶釜さまーっ! 見付けました!」

「おー、グッドタイミング」

 

 腕に見立てた触手を組んで報告を待っていたぶくぶく茶釜はその言葉に反応して振り向くと、ちょうどアウラが着地する一歩手前の場所へと動いた。

 

「例の薬草はザイトルクワエの頭頂部にあると思われます」

「どれどれ……? あ〜、あのなんかコケみたいなやつかな。合ってる? マーレ」

「は、はい。合ってます。さっき調べたこの辺りには一切生えていない、唯一の種類でした。き、稀少なものなら、あれで間違いないです」

 

 アインズからの報告で冒険者の何級がどの程度の強さかは大体把握できている。それが最高位を含む複合チームで苦戦の末採取した薬草。

 

 最初に話を聞いた時に引っ掛かったのは、取得が難しいにしてもその依頼がなぜ三十年もの間アダマンタイト級指定の依頼であり続けたのかだ。

 普通に考えれば、特定植物の採取適性は戦士などの戦闘専門よりも野伏(レンジャー)などの知覚・探索能力に長けた者にあるはずだ。いくら広大な森林地帯であるからといって、ある程度場所が分かっているなら多少日数を掛けさえすれば発見自体は困難ではないのではないか。特にこの辺りはアゼルリシア山脈からの雪解け水が流れ込むひょうたん型の湖に水源が寄っているため沼地になっている場所もほとんどなく、機動性を殺されることも滅多なことではなさそうだ。

 

 功績の種類は多種多様なれど、ミスリル級以上の冒険者は誰もがそれぞれなりにモンスターなどと戦う術を、力を持っている。ましてやアダマンタイト級となれば尚更である。

 

 唯一にして最大の障害となるのは、これではないだろうか。門番なのか何かは知らないが、薬草を採取するために最低限必要な戦う力を持たない者たちには入手できない。

 

 そう考えればたかが薬草の取得が最高難度の依頼にランク付けされていることも、三十年ものあいだ入手されることがなかったのも一応の説明がつく。

 

 あの苔がザイトルクワエ自体の葉なのか寄生共生植物の一種なのかは判断ができないが、念のためにザイトルクワエの息の根を止める前に回収しておきたい。守護者たちにも楽しんでもらえるだろう。

 

 なにせいまからの敵は目の前にいる階層守護者同士なのだから。




【今回の独自解釈】
モモン時の魔法使用について
5つ使えるらしいけど厳密なルールがよく分からない。
なのでここは自分の考察を踏まえてルールを決めています。
詳細はいずれ説明するかもしないかも。

12/24 誤字指摘の適用と一部修正をしました。
2018/11/5 行間を調整しました。
2018/12/3 ご指摘のあった誤字を修正しました。

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