オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第30話 災厄の目覚め

 遅れること二十分、アインズは先の宣言通りマーレを伴って玉座の間に現れ、ぶくぶく茶釜とアウラは胸を撫で下ろした。

 

 しかしマーレはさっきの呼び掛けに応じなかった負い目があるからか、まだアインズの陰に隠れる形で部屋の中央にいる二人の様子を窺っている。

 至高の御方を盾にするような真似を叱ろうかとアウラの表情が険のあるものになるが、機先を制したアインズが軽く手を上げて押し止める。

 

「アウラ、よい。後ろにいろと私が言ったのだ」

「そ、そうでしたか」

 

 アルベドはいつもの位置、玉座の隣で待機している。顔色は既に平時のそれを取り戻しているが、アインズには知る由も無い。

 ぶくぶく茶釜が奥に座っていないのは、アインズのために空けてあるということだ。

 

 部屋の中央位置にいる二人を回り込む形で奥へと進む。腰を落ち着けるまでマーレは器用に中央の二人から死角になる位置取りでアインズと並び歩き、玉座の隣、アルベドがいるのとは反対の位置に落ち着いた。

 

 普段と違う立ち位置はアインズが指示したと思われる。としたらこのあとの展開もあるはずで、ぶくぶく茶釜とアウラは固唾を呑んで言葉を待った。

 アルベドはこれから下されるであろう裁定が気になるらしくチラチラとアインズを見ている。

 そもそもの発端はぶくぶく茶釜とアウラだとは言え、露見の端緒になったのはアルベドである。仮にその事を責められたとしたら、どんな罰でも受け入れるつもりであった。

 

 さっきのぶり返しにならないかアウラは気が気でなかった。

 

「さて、それでは今回の件に関してはギルド長として私が処分を下す。異議がある者はいるか?」

 

 処分、と聞いたときにアウラとマーレは耳を、アルベドは黒い翼をそれぞれピクリと動かしたが、ぶくぶく茶釜を含めて異議を申し立てる者はいなかった。

 全員を見回して、充分に時間を取ったことを確認してから話を進める。この場は完全にアインズが支配していた。

 

「よろしい。ではまず事の発端となった外出についてだが、マーレの心境はよく分かる。個人的にではあるが私の心情はマーレの味方だ」

 

 一瞬マーレが喜びに表情を明るくするが、アインズが味方に付かなかった2人の身の上を考えると複雑な思いに駆られて花が(しお)れるように再び消沈した雰囲気になった。

 

 定められた性格上のものもあるが、マーレの内心は極めて論理的に状況を分析していた。全てはアインズの判断が出切ってから。それが自分に関することなら否やは無く、それは姉も同じだろう。ただ、もしぶくぶく茶釜に苛烈な裁定が下るなら、たとえアインズに背くことになっても、創造者であるぶくぶく茶釜を守る。そうすれば自分は間違い無く死ぬだろう。さらには階層守護者の地位も剥奪され、至高の御方に逆らった忌むべき者としてナザリックにその名を残すかも知れない。

 そうだとしても、自らの創造者のために死ぬなら本望だ。その点については他のシモベ達も一定の理解を示してくれると思う。

 

 手に持った杖、シャドウ・オブ・ユグドラシルをぎゅっと握り直し、突発的な事態にも対応できるようにマーレは集中力を高めた。

 隣では玉座に腰を下ろしたままのアインズが次の言葉を繋ごうとしていた。

 

「……しかしだ、マーレはそのとき自室で寝ていたと聞く。無闇に起こすのは可哀想だという考えも理解できる」

 

 少し上げた視線の先。そこにはかつてあるギルメンの旗が設置されていた場所だった。いまでも鮮明に思い出される、いつも睡眠不足と戦っていた古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)。彼も自分と同じ状況になっていたら、睡眠が不要になったことを喜ぶだろうか。どちらかというと仕事から解放されたことを喜ぶかも知れない。

 

「状況的には茶釜さんが私に無断で外出をし、事後報告すら無かったことがすれ違いの根本的な原因だ」

「アインズ様、お言葉ですがお出掛けになられたのを知っていて報告を差し上げなかったのは私です。処罰をと仰るなら、どうぞ私に」

 

 横から口を挟むアルベドの申し出はマーレへの発覚の流れも踏まえてのことだったが、筋が通っていた。しかしだからといって彼女1人だけを罰するのは筋が通らない。

 何故ならアルベドはぶくぶく茶釜の置き手紙によって口止めをされている。至高の41人を絶対と仰ぐ者たちにとって、果たしてそれは抗える類のものなのだろうか。指摘を受けたアルベドは口籠った。もはやその反応が答えになっている。

 

「そういうことだ。茶釜さん、何か反論はありますか」

「ないです。はい。今回は全面的に私が悪かったです」

 

 ぐったりと頭を垂らした姿勢からは消沈した意思を感じる。アインズとしてもそこまで厳しく追及するつもりは無かった。ただ、注意はしておかなければ今後のリスクになることと、闇妖精(ダークエルフ)の双子とぶくぶく茶釜がきれいに仲直りできるようにするためにはこの方法が最善と判断した。

 責任の所在を明確にするという点も組織として大事だ。そこに対して処罰を与えれば他から責められる由も無くなる。口に戸は立てられないと言うが、詳しい事情を知らない者が『階層守護者マーレが己の創造者でもある至高の御方を無視して自室に引き篭もった』とだけ聞けばどう思うか。嘘ではなく真実の一部だが、好意的に捉える者がいるだろうか。

 たとえ高い地位を与えられている階層守護者であっても、むしろそうであるからこそ悪感情を向けられる対象となり得る。

 

 この対応はアインズなりに彼らを守ろうとした結果でもあった。

 

 この場にいる全員が沈黙する。それは全ての決定をアインズに任せるという暗黙の了解。過剰な重圧を掛けたり、かといって軽薄な雰囲気にならないよう気を付けながらゆっくりと立ち上がり、結論を口にする。

 

「では裁決を下す。私は現在冒険者として請け負った依頼があり、協力者としてマーレを連れていこうと思っている。アウラはこの作戦会議に参加し、より効率的に依頼を達成させるための意見を出すこと。そして茶釜さんは今回の作戦会議への参加を禁じる。ただしリスクの観点から必要な情報は適宜共有するものとする。以上だ」

 

 ほとんど罰にもならない処分だった。だがこれでいい。至高の御方が決めた裁きに異議を唱える者はいない。唯一同等であるもう1人の至高の御方は、己が非を認め決定を委ねた。であればこの話はこれで終わりだ。

 

「早速相談をしよう。場所は私の執務室でよかろう。マーレ、アウラ、行くぞ」

「は、はい」

「はいっ」

 

 立ち去り際にアルベドに視線をやる。彼女もまた優しそうな目をこちらに向けていた。耳打ちのために近付くと少し驚いた表情になったが、緊張しているのか頬が薄っすらと赤い。形の上で処罰した手前大っぴらには言いにくいことだが、仲直りをスムーズにするためにもここはアルベドにも協力して欲しいところだ。

 かたちは違えど同性でもあるし、マーレと同様にその方がフォローも細やかにできると思う。丸投げになってしまうのは悪いと思うが、そこは守護者統括の手腕に期待させてもらうとしよう。

 

 

 

 

 

 

 第9階層にあるアインズの執務室。今日も担当の一般メイドが扉の開け閉めをしてくれたが、流石にもうそろそろ慣れてきた。自分の後ろに階層守護者の二人。移動しながらマーレがもう怒ってはいないことなどを話して、いまではすっかりいつも通りだ。

 

 広々とした執務室の上部には豪華なシャンデリアが吊るされており、その真下には膝程度の高さの長机と、それを左右から挟む形でソファーが設置されている。ある程度の人数の会議などであればそちらを使うが、アインズはさらに奥の一段高くなった場所へ置かれたやたら幅のある執務机へと向かった。

 引き出しから取り出した地図を机の上に広げ、ナザリック地下大墳墓の北西に広がるトブの大森林の中に書かれたバツ(じるし)を確認する。これが冒険者モモンとして使用している地図だ。

 引き出しの中には、未使用の同じ地図が十枚以上ストックされている。これは以前司書長に言って複製してもらったものだが、外で活動するのはアインズたちに限ったことではない。そのため、情報収集を兼ねて外へ出る者に渡している。用途に応じて使い分けることもできる。

 

「2人とも、こちらへ来てこの地図を見てくれないか」

 

 呼び掛けに応じて双子が左右から執務机を回り込んでくる。しかしこの机のサイズはアインズに合わせて作られたものであり、机に近付くとアウラとマーレはちょうど頭が出るくらいだ。平置きされた地図が見えないこともないが、角度の関係で見辛いと言わざるを得ない。それに気付いたアインズは地図を手前に引き寄せ、少し浅めに椅子へ腰掛けた。そして自分から見て左にいるマーレに手招きをする。軽く首を傾げると、とにかくこちらの呼び寄せに従い側へきた。

 

「な、なんでしょうかアインズ様」

「うむ、そのままでは見辛いだろう。私の膝に乗るのだ」

「ぇえっ!? そ、そんな失礼なことは……!」

 

 素っ頓狂な声を上げ、目に見えて混乱する。しかし上り台が無いからといってわざわざ≪フライ/飛行≫を使うのもどうかと思う。この辺りは貧乏性の延長上かも知れないが、たとえ自然回復するものであってもついついケチってしまう。

 

「はは、私が言っているんだから失礼ということはないさ。ほら、杖をそこに立て掛けて、両手を上に」

「こ、こうですか……ぁわっ」

 

 マーレを持ち上げて左膝に乗せる。見た目通りに体重は軽く、持ち上げるのに苦労はしなかった。続いて姉の方にも手招きをすると全く予想していなかったらしく、目を見開いて驚きの表情になった。

 

「あ、あたしもですか!?」

「二人に一緒に見てほしいんだから当たり前だろ?」

「それは、そう……ですけど」

 

 後ろの方は蚊が鳴くような音量で、少し俯いた顔は普段より赤み掛かって見えた。

 

(やっぱり姉弟で顔を突き合わすのは恥ずかしいものなのかな。いや、ここは仲直りを確実にしておくためにも多少強引でも共同作業をさせるべきだ)

 

 口だけではなんとでも言える。彼女らが軽々しくそんな嘘をつくとは思っていないが、多少モヤモヤしたものを残したまま我慢するといったことはあってもおかしくない。

 それを完全に解消しておかなければ、軽くとは言え罰を与えたぶくぶく茶釜にも申し訳が立たない。彼女へは至高の四十一人同士なので、二人だけの場面でフォローする機会も少なくないはずだ。

 そして元気付ける策もおぼろげではあるが考えている。全てが自分の考えている通りに進めば、皆の仲もより一層深まる。はずだ。

 

「お姉ちゃん、アインズ様をお、お待たせしたらダメだよぉ……」

「わ、分かってるって! こっちも色々心の準備ってもんがあるの!」

 

 マーレの催促を受けたアウラは右手を胸元に当ててスー、ハーと深呼吸をした。高まった鼓動が急速に落ち着きを取り戻していく。森での活動に優れたレンジャーの職業(クラス)を持つからなのかは分からないが、何にしてもありがたい。平常時と大差無い拍動に戻ったのを確認してから、よっしと気合いを入れて視線を戻す。

 

 ふと意識が向くのは、こちらを手招きする至高の四十一人のまとめ役であるアインズの白く美しい手。そして御方の左膝に器用にバランスを取ってちょこんと座っているマーレ。さらに上を辿ると、眼窩の奥に赤い叡智の光を宿した白磁の顔。

 

 主人は種族の都合上表情こそ無いが、その分ちょっとした動作や言葉に深い感情や意味が込められている。とアウラ自身は思っている。二手三手どころか何手先を読んでいるのかはあのデミウルゴスですら分からないと聞く。デミウルゴスに匹敵するアルベドも同様なら、自分たちに分かる訳が無い。

 だが感情は別だ。言葉や行動から感じ取れる優しさは、他の誰にも負けないくらい敏感に理解しているという自負がある。この前模擬戦をした時に飲み物を手ずから用意してくれた時も、自分たちには疑いようの無い優しさが向けられていた。

 いまもまた、その優しさは変わっていない。

 

 白い手を見ると、カルネ村で頭を撫でてくれたときのことを思い出す。いや、思い出してしまった。治まったはずの鼓動の高鳴りがまたも復活する。顔は鏡を見ずとも朱に染まりつつあるのが分かるほどに熱を帯びてきた。

 

「う、あ……ア、アインズ様、ちょっとだけ、ちょっとだけ待ってください!」

 

 両手で顔を覆い背を向けてしゃがみ込んだアウラが立ち上がったのはそれから5分後だった。

 

 

 

「ええと……じゃあ、その、お、おねがいします……」

 

 落ち着いたらしいアウラを、さっきのマーレと同じやり方で空いている右膝へ乗せる。やっと話が進むということに溜息の1つも出そうになるが、いまの状況ではまるでアウラを責めているみたいになってしまう。こんなときアンデッドで良かったと思うのはあまり人間的な思考ではない気がするが、答えが出ないのは分かっているので頭の隅に追いやっておく。

 

「よし、それじゃまず受けた依頼の説明をする。簡単に言えば特定の薬草の採取だ。そしてその場所だが、ここがナザリック。そしてこのバツ(じるし)が……うん?」

 

 ポイントするアインズの人差し指が、地図の上を北へ滑ってトブの大森林へ向かう。必然的に少し前傾して腕を奥へ伸ばす格好になるが、その拍子にマーレがバランスを崩し机の縁に手を突いた。

 やはりローブが掛かっているとは言え、骨の上は座るのに適しているとは言えない。アウラはうまくバランスを取っているが、これでは話に集中できないだろう。

 

「不安定なら私に掴まっているといい。アウラもな」

「も、申し訳ございません。し、失礼します」

「ちょっ、マーレあんたなんだかさっきからやることに躊躇が無くなってない? ああもう分かったからそんな目で見ないでってば」

 

 軽くローブが引っ張られる感触が増え、多少腕を動かしてもバランスを崩さないのを確認する。これでもう説明をするのに障害は無い。

 

 マーレを連れていこうとしていたのは実は元々この一連の騒動とは無関係だ。薬草の採取ということなので、森司祭(ドルイド)など植物との関係が深い職業(クラス)であれば発見に役立つのではと踏んでいる。

 しかしトブの大森林については実地的にアウラが詳しいはずだ。先日もシズとハンティングに行ってきたと報告を受けている。それならば実際の現場の地理などの知識から有用な意見が出るかも知れないと思ってさっきの課題を出したのだ。

 

 ちなみに考えることそのものも大切なので、意見が出ずとも重ねて罰するつもりはさらさら無い。

 だが心配は無用だったらしく、アウラは課題をあっさりとクリアしてみせた。それは目的の薬草があると想定されているバツ(じるし)にアインズの指を向けた時だった。

 

「ん? ここは……アインズ様、ちょっといいですか? ああっ、ありがとうございます」

 

 身を乗り出して示そうとするアウラに地図を寄せてやる。革手袋を着けた左手の人差し指が軽いタッチで、まず基点であるナザリックに落ちた。続けて指は地図上を滑る。北上してトブの大森林に入り、瓢箪型の湖の(ほと)りへ。そこから西をややジグザグ気味に進んでいくと、バツ(じるし)の隣で止まった。

 

「やっぱり、そうだ。アインズ様、あたしこの場所知ってます」

「ほう。それは助かるな。しかしさっきも言ったようにこの薬草が前回採取されたのは三十年程前の話らしい。ということはこのマークの位置も当時の情報に基づいて書かれたものだろう。マーレ、三十年程で森の植物が大きく移動することはあるか?」

「ま、魔力が濃くなかったり、魔物じゃなかったらそんなに変わらないです。この地形だと、す、水源が増水しても、流されたりはしないと、思います」

 

 地図を見た限り、水は頭を白く染める峻厳なアゼルリシア山脈から流れ出す。その多くは瓢箪型の湖へと溜まり、そこを中心にトブの大森林は広がっている。潤沢な水分が無ければ大きな樹木も育たない。平野部への主な供給は雲から直接降る雨と推察された。

 湖は森のやや奥まった場所にあるのでカルネ村の人間などが近寄ることもなく、森と平野が棲み分けにも一役買っていた。

 カルネ村には井戸があったので、地中に眠る水源も元を辿れば同じものなのかも知れない。

 

 大雨で増水したとしても、その多くは瓢箪型の湖がある程度は受け止めてくれる。湖から他へ大きく流れる川が無いのであれば、過去に荒々しい氾濫は無かったと判断して良いだろう。

 

 マーレの見解では、薬草が三十年前と変わらない場所に自生している可能性は高いということだ。

 だが地図を見つめて考え事をしていたアウラの表情は厳しい。マーレが不思議そうにしているのを見るに、彼女にしか分かり得ない何かがあるのか。

 言葉を待っているのに気付いたアウラは気まずそうな雰囲気だった。

 

「あの、ここを知ってるって言いましたけど、実はあたしが見たとき、この一帯は─────」

 

 バツ(じるし)の手前に軽く掛かる位置に人差し指がくるりと円を描く。

 

「────枯れていたんです。草木の種類に関係無く、木々も朽ちて倒れていました」

「なに? それは……ふむ、アウラ、他に変わったことは無かったか?」

「あとは……すぐ近くに森精霊(ドライアード)がいました。なんでも昔ザイトルなんとかって世界を滅ぼすとかいう魔樹を封印した7人を連れてきてほしいと言ってました」

 

 魔樹。パッと思い付くのはイビルツリーあたりだが、あれはクリスマス時期にやたら爆殺されるただのいじられ雑魚モンスターだ。世界を滅ぼすなどと大仰な肩書きには程遠い。

 アウラの話によればその魔樹はそろそろ封印が解けて目覚めそうなんだとか。

 

(でもレアな薬草の生える場所にそんなボスっぽい話が出てくるなんて、偶然とは考えにくいな。もしかしてドロップアイテム……いや、それだと三十年前の入手の話がおかしくなるか?)

 

 そのとき、頭の中に一つの閃きが灯る。偶然の点が必然の線で結ばれる感覚。あとにして思えばこじ付け染みた悪ノリだが、アイテムコレクター気質のアインズは一度しっくり来た考えを容易には放り出せない性質(たち)だった。

 

「そうか、そういうことか……」

 

 やはり薬草はそのザイトルなんたらのドロップアイテムだ。そう考えざるを得ない理由がアインズにはあった。

 

 実はこの時点で、アウラの言う七人が薬草を取った連中とは別であること、つまり薬草がイコールドロップアイテムとは限らないことにはすぐ気が付いていた。

 

 冒険者組合長のアインザックから聞いた話では三十年前採取に成功したのはアダマンタイト級一つとミスリル級二つの混成チームだ。どう考えても人数が七人とは思いにくい。

 

 アインズ扮するモモンのチーム『漆黒』こそ二人組のアダマンタイト級であるが、長年やっている冒険者チームは大抵 四〜六人で構成されている場合が多い。

 人数が増える理由としては単純に手数の問題と、役割を分けてそれぞれが専門分野に特化した方が総合力に優れる。人数が増え過ぎない理由はもっとシンプルで一人あたりの報酬が少なくなり生活できないからだ。

 少人数のチームやソロの冒険者もいるにはいるが、安定性に欠ける上、自分の実力以上の事態への対処がほぼ不可能なため、やっていける者はごく一部という訳だ。

 

 つまり合計三つの冒険者チームが集まれば、平均的に考えても十五人前後になる。七人というのはせいぜい二チームか、それで一チームということも考えられる人数だ。

 

 それでもドロップアイテムだと思いたかったのは、さっきのアウラの言葉が原因だ。なんでもその目的地の付近が枯れていたと言う。伝説かなんだか知らないが、薬草も植物であることに変わりは無い。ではわざわざ足を運んで、使えもしない枯れ草になっていたらどうすればいい。

 組合には不可抗力だと報告しても問題は無いだろう。だがそれでも入手できなかった事実に変わりは無い。モモンには名を広めるために過去未来あらゆる何者に対しても圧倒的な実績を作らなければならないのだ。

 

 かといって枯れていたときのために世界のどこかにあるのか無いのか分からない同じ薬草をノーヒントで探すなどという無理ゲーは流石のアインズでもお断りだ。なんでただ珍しいだけの薬草の採取依頼で世界級(ワールド)アイテム並の骨を折らなければならないのか。

 

 だから願わずにはいられなかった。頼むから周りの環境変化の影響が少なそうな、ドロップアイテムであってくれと。つまり現実逃避であった。

 

 これで方針は決まった。まず薬草の捜索、見当たらなければその魔樹を狩り、ドロップアイテムに望みを掛けるしかない。ちなみにこういうあわよくばの状況で良い目が出た試しが無いことは文字通り死ぬほど骨身にしみている。

 

「アウラ、マーレ、ありがとう。お前たちのお陰で色々分かった」

「いえ、そんな……あ、ふあ」

「お、お役に立てて、嬉しいです。……わわ」

 

 両手でそれぞれ双子の頭を撫でる。左手は収まりのよい、上質なシルク生地のような感触。右手は手の甲までもが金色の草原に隠れ、ふわふわと包まれるような感触。

 

 しかしこちらは良くても、骨の手で撫でられる側は痛かったりしないだろうか。まあ気持ち良さそうにしているし、頭皮マッサージみたいなものだと思えば痛みを感じるということは無いか。

 

 そろそろぶくぶく茶釜の機嫌も直った頃か。念のためアウラにもフォローを頼んでおけばより一層安心だ。

 骨の手が離れて、双子はアインズの言葉を待つ。

 

「では私とマーレは現場へ向かう。アウラ、悪いが茶釜さんが落ち込み過ぎないように元気付けてやってくれ。私ももう怒ってはいない。報告・連絡・相談をちゃんとやってほしいだけだ」

「かしこまりました! あ、あとさっき言ってた森精霊(ドライアード)ですが、ピニスン・ポール・ペルリアと名乗っていました。例の場所の少し南、ちょうど枯れてる場所との境目辺りにいるはずです」

「分かった。薬草の詳細を知らないか聞いてみるのも手だな」

 

 どんな病でも治す薬草と聞いているので、個人的な興味もある。毒消しなどとは違った、いわゆる万能薬というヤツか。状態異常を病の範疇で考えてもいいのかは意見の分かれるところだが、魅力的な響きであることに変わりは無い。依頼の品である以上ちょろまかすことはできないので、せめてその効果の程を追加報酬代わりに教えてもらうことくらいできればありがたいが。

 もし精製が必要なら、なんとかしてンフィーレアに請け負わせることで有益な情報が得られるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

『茶釜さんのフォローを頼む』

 

 至高の御方から下された命令、というよりもお願いの類だが、それを受けた守護者統括アルベドは並々ならぬ意気込みでいた。

 

 至高の御方を自分がフォローなどとは畏れ多いにも程があるが、荷が重いとは決して思わなかった。崇敬の念を持つ至高の御方々二人に対して、いかなることとて労苦になどなりはしない。

 むしろ失礼が無いように他の者には任せられない。図々しい考えかも知れないが、アインズがあの一瞬に同じ考えを持ってくれていたのならそれはなんと幸せなことだろう。

 

(い、いけない、なんだか頬が熱いわ)

 

 さっき吐息がかかる程にまで顔を近付けられたときは緊張で窒息しそうだった。耳打ちだと分かって多少平静を取り戻しはしたが、それでも素敵な殿方にあそこまで接近されると恥ずかしさを抑え切れない。

 男性というより同僚としての意識が大半を占めるデミウルゴスやコキュートス、子供のマーレはたとえ接近しようが手が触れようが何も思わないのだが、あの方だけはダメだ。

 

 ただでさえ自分たちを見捨てず残ってくださった尊きお方だというのに、明晰な頭脳と常に幾手も先を見通す深淵なる叡智を湛えた、完璧という言葉はまさにこの方のためにあると言って当然の存在。もう1人の御方が戻られた日以降、特に至高の四十一人によって創造された者への慈愛を注がれるようになった。

 

 以前は通り掛かりに少し視線を下さる程度だったのが、それでも嬉しかった。熱い喜びが己の中に満ちていったのをいまも覚えている。

 だがいまあのときに戻れと言われれば自分をはじめ他の階層守護者達も全力で阻止するだろう。もちろん至高の御方々が本気でそうお考えならば抵抗などする訳が無いが、知ってしまった幸せを手放すのは誰もが躊躇(ためら)い、(いと)うことだろう。

 

 想像するだけでも背筋が凍る最悪のシナリオ。それに繋がりかねない可能性こそ全力でもって排除しなければならない。

 

 そのためには己の下らない心の乱れなど、不様を恥じ入るばかりだ。そう断じる。断じなければならないのだが、アルベドの意思と反して頬は変わらず熱を持つ。瑞々しく整った形の唇は意思とは無関係に弧を形作った。

 

(しかも、あのようなお姿を目にした直後になんて、反則過ぎますわ。アインズ様……)

 

 第6階層の大樹からアルベドとアウラが引き上げる前にアインズが使用した魔法。その目的を察せないアルベドではなかったが、それに付随する部分までは気が回らなかった。そのため魔法の詠唱を聞いても心の準備が出来ておらず、視覚的な衝撃が不意打ちとなって彼女を襲ったのだった。

 

 図らずも創造者であるタブラ・スマラグディナが力説していた『ギャップ萌え』を身を以って知ることになったのだが、この口では言い表せない精神状態が何なのか、的確に指し示す言葉はアルベドの中に無かった。

 

「くふふ……」

 

 思い出すと再び口角が上がってしまいそうになるのを抑えて、今もうなだれているぶくぶく茶釜を励ますために頭をフル回転させる。ポイントはマーレとの仲直りだが、アウラを一緒に連れていったということは双子のフォローはアインズに任せておけば万事問題無い。そしてあちらが仲直りしさえすれば、自動的にぶくぶく茶釜との仲もほとんど元通りになるだろう。

 では自分がやるべきことは何か。それはぶくぶく茶釜をリラックスさせ、より仲直りが受け入れやすい状態にして差し上げることだろう。幸い今日の自分には秘策がある。

 

 それにしても恐るべきは全てを読み切って守護者統括すらも手の平で転がす至高の御方アインズである。強烈な畏怖による身震いを抑え込み、アルベドはぶくぶく茶釜にある話をすることにした。

 途中、アウラが報告がてらに玉座の間へと戻ってきた。アインズとマーレはもうナザリックを出て現場へ向かったとのことだ。

 そこからは同じ場面を目撃していたアウラも会話に加わり、彼女らはついさっき仕入れた至高の御方の話題に花を咲かせることになった。

 

 

 

 

 

 

 ≪ゲート/転移門≫を抜けて出た先には鬱蒼と茂った草木(そうぼく)。トブの大森林の一角であるが、目的の薬草が生えている場所からは南側に結構な距離を取った場所だ。そのため、辺りの植物にはアウラの証言に合致する枯れた様子などは無い。そのどれもが青々としており、生命力に満ちていた。

 マーレは周囲をぐるりと見回し、足元の土をじっと見つめたりしているが、何かに気付くとおずおずとアインズに報告をする。

 

「ここは……お姉ちゃんのい、言っていた場所とは、違うみたいです」

 

 何で判別したのかは分からないが、マーレの報告は森というフィールドにおけるその有能さを分かりやすく示していた。

 いきなり目的の場所へ出なかったのは理由がある。まず第一に、元々これは冒険者モモンが受けた依頼であるということだ。レジーナは別の依頼をこなしているため仕方無いが、モモン一人で全てを完了させるには説明を付けるのに多少難がある。

 ちょうどその説明をしようと思ったとき、アインズとのあいだに立ち塞がるようにしてマーレが森の奥をジッと見つめた。ほどなくすると地を伝う振動がアインズにも感じられる。

 

 地を駆ける音が近付くと共に、周囲にいたのであろう小鳥や小動物が逃げ去った。風による葉鳴りが不穏な空気の演出に一役買っている。これがゲームなら中ボスの1体でも出てくるところなのだろうが、そんな訳がないことをアインズは知っている。

 

「と、殿! 良かったでござる〜! 行き違っておらぬかと気が気じゃなかったでござるよ」

 

 身体のあちらこちらに枯葉をまぶして現れたのは元・森の賢王、現在はハムスケの名を持つモモンの騎乗魔獣であった。

 その体躯は大人の二〜三人乗せても問題無い程で、体力走力共に並の馬の比ではない。加えて人語を解するために意思の疎通という点で非常に優れている。しかもそこいらの魔物などには正面切って闘っても圧倒する程度の強さと、不利と見れば退くといった駆け引きもできるくらいの知能もあるため馬と違って多少放っておいても問題無い。管理という点においても極めて手軽であった。

 

 ただ見た目がとにかくでかいジャンガリアンハムスターなので、アインズも最初は街中で乗るのを躊躇っていた。世間の人々の目が本心からの畏怖であると分かってからは特に何も思わなくなったが、慣れとは恐ろしいものだと別の悩みができた。

 

 依頼を受けた後、ハムスケには日時と場所を伝えて先に移動するように伝えてあった。ここまでドンピシャになるとは思ってなかったので、当初想定していた≪ゲート/転移門≫でのピックアップはしなくて済んだ。

 

 モモンの隠れ蓑を更に強固なものにするのが、このハムスケである。機動力を比較する対象が無いため、こいつを言い訳に使えば多少無茶な移動を行っても『さすがは森の賢王』といった具合に納得してそれ以上突っ込んでくる者はいない。

 

 そういった点でもハムスケのことはそれなりに評価しているのだが、当の魔獣は身体中に付いた葉っぱを取ろうと短い前脚を振り回したり地面を転がってさっきから一匹でドタバタしている。呑気なものだ。

 

 ようやく落ち着いたらしく、鼻をヒクヒクさせながら辺りの様子を窺っている。

 

「おや、殿の側にいらっしゃるのは確か……そう、マーレ殿ではござらんか。ははあ、ここまで殿を護衛してこられたのでござるな。それなら安心でござる」

「こ、こんにちは。ハムスケ……さん?」

「まあ殿ならどんな相手でも一捻りでござろうが」

「そ、そうです! アインズ様はだ、誰より強いです」

 

 共通の主君の話題で盛り上がる一人と一頭は実に楽しそうである。冷静に考えたら不確定なギルドの作用が何も無いハムスケがここまで忠義を重んじるというのは実に興味深い。

 他の個体はいないと言っていたから、群れを作る生態でもない。それとも一定以上の力を持つ魔獣はより精神構造が複雑化して賢くなるのかも知れない。このハムスケだって並の獣よりは考える頭を持っているはずだ。人に比べれば間の抜けた所もあるが、それは社会性の違いということにしておいてやろう。

 

 面識があるのは、この前ハムスケをナザリックへ連れていったからだ。アインズは面通しをしている間別件で外していたが、その時マーレは自分の守護階層にいたということなのだろう。

 そのときいなかったのは王都に行っているセバスにソリュシャン、巻物(スクロール)素材の確保に東奔西走しているデミウルゴスくらいか。念のためハムスケには緊急時のセーフティワードを教えているのでうっかり殺されることは無いと思うが、もし言葉を発する時間すら与えれなかったらどうしようもない。残っている連中が軽率なアクティブさを持っていないことを祈るばかりだ。いま思い付く限りでは問題無い。

 

「よし、それではハムスケも合流したことだ。背に……」

 

 乗るぞ、と言い掛けてアインズの脳裏をカルネ村からの帰還時の記憶が駆け巡った。足を掛ける前に思い至ったのは自分のことながらファインプレーだ。

 

「……私とマーレを乗せて、このまま北上だ。≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫」

 

 ローブを羽織ったアンデッドの姿は一瞬で漆黒の全身鎧(フルプレート)に切り替わる。

 伏せたハムスケの背に飛び乗る姿は堂に()っていた。

 

「さあ、マーレも乗れ」

「は、はいっ」

 

 上から差し伸べられる手。マーレはしずしずとそれを取り、2人を乗せて銀の毛並みと蛇の尾を持つ魔獣は森を駆け抜けていった。

 

 

 

 ハムスケに騎乗してからおよそ三時間。最高速ではないものの、ここまでほぼ一定のペースを保っていた。馬のスタミナが精々一時間程度であることを考えれば、人々に一目置かれるのも分からないではない。伝説の魔獣は過剰な尾ひれだといまも思ってはいるが。

 本来ハムスケ個人の力であれば、ここまでの体力は続かなかっただろう。スリット越しに少し視線を落とすと、進む先をまっすぐ向いているマーレの金髪が視界に入る。

 

「ハムスケ、疲れてはいないか?」

「と、殿っ! なんとお優しいお言葉……。(それがし)は大丈夫でござる。マーレ殿のお蔭でござるな」

 

 <パワー・オブ・ガイア>。マーレの持つ特殊技術(スキル)の一つで、対象の力をアップさせる。さらに足が接地している場合は効果にボーナスが付く。これによってハムスケは本来より込める力が少なくても充分な速度が出せて、結果的に体力の消耗を抑えることができた。

 どこまで行けるかの効果検証もしてみたいところだが、急ぎでもないので頭の片隅にでも置いておく。

 

 不意にマーレが進行方向を指差した。自然とアインズの意識もそちらへ向く。

 

 見えてきたのは明らかな異常。深い森の中、季節もまだまだ冬の足音は遠くマーレの首筋に汗が浮かぶ程の陽気だというのに、その一角はぽっかりと緑色が欠落していた。写真の色褪せるがごとくにくすんだ茶色の枯木に枯葉。爽やかに青く晴れ渡った空との対比がさらに異様さを際立たせた。

 

 特に指示をした訳ではないが、ハムスケの足は止まっていた。野生の勘かは分からないが、この光景を異常と感じるのはアインズたちも魔獣も変わりないらしい。

 

「これはなんとも、寂しい場所でござるな」

「殺伐としているな。ちょうどいい、ここが目的地1歩手前だ。どっちにしろ一旦ここで降りるつもりだった」

 

 アインズとマーレ、それぞれ素材の異なるブーツが足元の小枝や落ち葉を踏み、小さくパキリと音が鳴る。辺りを改めて見回すが、この一帯は景色相応に生き物の気配が少ない気がする。

 専門外のアインズでも、その五感────味覚が無いから四感と言うべきかも知れないが────から拾える情報で多少は推し量ることができた。

 

 嗅覚。木々の出す緑の匂いや、微生物の分解作用などによって発生する土の匂い。全くの無臭ではないが限りなくそれに近い。

 そして聴覚。ここに辿り着くまではハムスケから逃げる獣の物音や、鳥や虫の鳴き声に羽ばたきなど、さながら雑踏のざわめきにも近い音に包まれていた。それがまるでハードロックを大音量で聴いていたヘッドフォンをいきなりミュートにした時の、耳の奥をシンと突くような静寂がここにはあった。

 

 アウラから聞いていたこともあって驚きは無い。この事象の中心部はまだ先だ。そこへ向かう前にやっておくことがある。

 

「マーレ、どうだ」

 

 先程から両手に握った杖の先を軽く地面にトントンと突く、そんな動作を繰り返しているマーレに質問する。

 元々下向きの長い耳をさらに垂れさせて、申し訳無さそうな表情でマーレは振り向いた。

 

(やっぱり耳動くのか……)

 

「す、少し魔力を帯びた木は、いくつかあります。でもその内のどれまでかはわ、分かりません。申し訳ございません」

「ふむ、なに、気落ちする必要はない。最初はアウラの感知にも引っ掛からなかったらしいし、完全に気配や魔力を隠蔽できる固有能力でもあるのかもな」

 

 しかし向こうからこちらが認識できないということは無いだろう。そうでなければ折角優秀な認識遮断能力を持っていても、解除するタイミングが分からなければ宝の持ち腐れだ。

 アウラに聞いた限りでは敵対的な態度ではなかったらしいから、ここは原始的な手段を採用することにした。

 

森精霊(ドライアード)よ! 私は冒険者のモモンという者だ。聞きたいことがあってここへ来た。こちらに敵意は無いので、姿を見せてはくれないかね」

「ア……モ、モモン、さん、わざわざそんなことなさらなくても、ボクが広範囲魔法で」

「こちらに敵意は無い。言った通りだ。それに不用意に力を見せることは余計なトラブルを招きかねない」

「はっ、はいぃ……も、申し訳ございません」

 

 別に怒った訳ではないのだけれどこっちが申し訳なくなるくらい恐縮した態度を取られてしまった。それはそれとして一体どんな手段を取ろうとしたのか不明だが、別の方法の提案をしてくれるのはむしろありがたい。ただ、広域魔法は範囲内にいる対象からのヘイトをまとめて買うことになり、仮に発動しなくても相手に警戒させてしまう可能性が高い。

 友好的接触を試みるなら、それは悪手だ。

 

 マーレが杖を胸元に引き寄せ前に出る。同時にアインズとの直線上に立っている木から、人型のシルエットが浮き出てきた。

 

 頭には椰子に似た1対の大きな葉。黒が大半を占める目は異形の者であると分かりやすい。蔦が絡んだ黄色い身体は大まかな形こそ人間と変わりないが、全体的にのっぺりとした印象を受ける。森精霊(ドライアード)というからには、見えているあれは本体ではなく、蔦や枝を媒介に魔力で投射している幻影といったところか。いまこうして姿を現しても強い魔力を感じないので戦闘能力は見た目通り大して無さそうだ。

 

「わたしがここにいるって、よく分かったねキミ。ここ最近変なことばっかりだ……ん? キミは……キミも闇妖精(ダークエルフ)なのかい!? こんなすぐにまた会うなんて、もしかして近くに新しい集落でもできたのかい?」

 

 マーレを()めつ(すが)めつしながら不思議そうな声を上げる。その理由には行き当たったが、もうしばらく反応を見てからでも遅くはない。

 なんとなく森精霊(ドライアード)とは大人しい種族かと勝手に思っていたが、少なくともこの個体はそうでもないらしい。内向的で排他的という訳でもなく、未知のモノを無闇に恐れる訳でもない。

 人間と違って異形種に対する忌避感を持っていることも無いようだし、中立的な立場からの話を聞けるかも知れない現地の存在というのは結構貴重な気がする。

 

「お主。お主! そのくらいにしておかないと、いくら温厚なマーレ殿でも我慢の限界というものがあるでござるよ」

「あ、ああ、この子マーレっていうの? わたしはピニスン・ポール・ペルリア。ゴメンね、久しぶりに……あー、久しぶりって訳でもないんだけど、最近ではこの辺で見掛けない種族だったからさ」

 

 主人が森妖精(ドライアード)の話をしていたから、マーレが軽々と手を出すとは思ってはいなかった。だがもしこのピニスンの態度が原因で機嫌を損ねることになれば、ビクビクしなければならないのはハムスケなのだ。できれば話は穏便に進んでほしい。

 

 かといってこのピニスンに用があるのは自分ではない。隣に立つ、いまは全身鎧(フルプレート)に身を包んだ主人に助けを求めるように視線を向ける。

 漆黒の剣士は顎に手をやって少し考え事をしている風だったが、どうやら話し掛けるタイミングを見計らっていたらしい。ピニスンが落ち着き、言葉が切れたのに合わせて擦れた鎧が硬い音を立てた。

 

「私たちはこの辺りにあると聞くどんな病も治す薬草を探しに来たんだ。すまないが、何か知らないかな」

「え……薬草? あー……、あるよ。でもあれは……」

 

 歯切れの悪い返答。存在を隠蔽するつもりも無いのにピニスンが言い淀む理由について、(くだん)のモンスターに関連性があることを確信する。

 この後の関係性を優位に持っていくためにも悠々とした態度は崩さずに、相手の反応を窺いつつカードを切る。

 

「どうやら、面倒なところに生えているらしいな。ザイクロ何某(なにがし)だったか」

「そうなんだよ。よっく知ってたねキミ! ええと、正しくはザイトルクワエって言うんだけど……。あ、もしかして前に来た人たちから聞いたのかい?」

「そんなところだ」

 

 どうやらその魔樹の封印は日に日に弱まり、復活のときが近付くにつれて枯れた領域も以前より拡がっているそうだ。

 

 アウラたちが訪れたとににはまだ猶予があったはずだが、たまたまだったのか、何か要因があったのか。ともかくピニスンが言うにはザイトルクワエの封印はもうほとんど解けていて、いつ動き出してもおかしくない状態だそうだ。

 

 森妖精(ドライアード)のピニスンは木が本体であるため逃げたくても逃げられない。そう遠く離れることもできないため、たまたま近くを通り掛かった者に助けを求める他に打つ手が無い。

 それで過去ザイトルクワエを実際に封印した連中を探してほしいとアウラたちに頼んだ訳だ。

 口ぶりからしてピニスンはザイトルクワエを恐ろしく強い相手だと認識している。本当に世界を滅ぼす力があり、それこそ並の者が束になってもまるで歯が立たない程度には。だからこそわざわざ以前に封印の実績がある者たちの再来を望んだのだろう。

 

 もっとも、時間の概念が余りに人間とは違い過ぎるので数十年前の可能性もある。アインザックがそれについては何も言わなかったことを考えると、ザイトルクワエを封印した連中がピニスンと約束をしたのはやはり少なくとも三十年前よりさらに昔だ。

 当時のメンバーがいまも変わらぬ姿でいるとは考えにくい。

 

「下手に暴れられて薬草が使い物にならなくなっても困る。自然覚醒を待たずに叩き起こした方が楽なんじゃないのか」

「ばっ……! ななな、何言ってるんだよ! わたしの話聞いてた!? 目覚めると世界が滅びるんだよ! 相当強かった前の人たちでも七人掛かりでやっとだったし、あのとき目覚めていたのは一部だけだったんだ。でも今回はホントの本体が目覚めようとしているんだよ。彼らでも本体相手じゃ勝ち目があるかも分からないのに、キミたちみたいな闇妖精(ダークエルフ)の子供に魔獣に戦士なんてヘンテコな一団にどうにかできる相手なわけないだろう!?」

 

 ピニスンの言葉に対する反応は三者三様だった。

 

 ヘンテコな、と言われて真っ先に考えがいったのは己の図体だった。サイズだけではなくその造形も、仕える主人とその側近とは明らかに違う。

 悪いことばかりではない。この身体のお陰で主人の足となることができるし、意味は分からないがこの世界では最初の『シモベ』だという。いちばんとは誉れ高いことであり、主人の率いる組織において自分は新参の末席であることを重々理解しているが、自分のささやかな自慢でもあった。

 だが主人への畏敬の念が高まる度に思うのだ。もっと自分にできることがあったら、姿形がヒトに近ければもっと主人に貢献できたのではないかと。もっと、もっと。

 

 大きな身体をしょんぼりと小さくさせ、ハムスケは気を落とした。

 

 ヘンテコな一団。なるほど、確かに。考えようによっては、ピニスンの指摘は至極真っ当だった。

 ハムスケは現地の生き物だし、全身鎧(フルプレート)を着込んだ素顔の見えない剣士、そもそも共通点が異形種ということしかないナザリック生まれの闇妖精(ダークエルフ)マーレ。自然界の棲み分けや繋がりなんて全く無視した一行なのだから、おかしくて当たり前だ。

 それに驚く態度が見えないのは、過去の経験があるからだろう。アウラから聞いた話では、構成は違えど昔に多種族混成の一団とピニスンは出会っている。訝しみながらもこちらへの興味を隠そうとしないのは、例の"約束"が脳裏にチラついているからか。

 

 であればこちらの狙い通りに話は転がる可能性が高い。営業で契約が取れそうな目が見えた時と同じ期待感がむくむくと高まるのをアインズは感じていた。

 

 ヘンテコな、なんて。この言葉は明らかに自分の後方にいる至高の御方とそのシモベに向けられている。怪しむ視線を向けるのすら失礼なのに、さらにそんなことを言うなんて。

 小柄な自分の奥の方から、チリチリとした火種が(おこ)るのを感じる。

 

 相手は植物系のモンスターだ。それなら上位森司祭(ハイ・ドルイド)などの土、植物に優れた職業(クラス)を持つ自分ならどうとでもできる。

 

 表面の態度とは裏腹に、冷静で論理的な思考は可能性の高い展開を考え、それに素早く対応できるよう最適な行動を模索する。いついかなるときも己の心情に揺さぶられず、こうあれと定められた在り方を徹底する。この辺りの精神性は、どちらかというとニンジャや暗殺者(アサシン)にこそ求められる類いのものだったが、職業(クラス)もそうあれと定められていた訳ではない身からすれば意味の無い仮定だ。

 

「…………チッ、これもか」

 

 主人の舌打ちは不快の色を伴っていた。マーレはすぐにでも広範囲殲滅呪文を詠唱出来るように杖に魔力を集中させる。口火を切るのはあくまで主人だ。自分など足元にも及ばない深い叡智は思いも付かない策を打つ。その時勇み足で取り返しの付かない状況にする訳にはいかない。

 魔力を使うなと言われれば、この手に持つシャドウ・オブ・ユグドラシルで殴り殺す。本体がどれか分からないなら目に付く木を片っ端から打ち倒していけばいい。至高の御方のためならそんな程度のこと、喜んで行おう。

 

 

 一触即発の状況、流石にピニスンも異様な雰囲気に違和感を覚えた。何か良からぬことが起ころうとしている。他にも離れた場所にいるのに本能的な危険を感じ取った獣や鳥達が一斉に逃げ出し、あたりはにわかに騒々しくなる。

 地鳴りが迫ってくる。認識した時には確かに地を這う振動を伴って

形を取った脅威が顕現していた。

 

「あわ、わあ、ああああ……。何てことだ……ザイトルクワエが復活しちゃったよ……。あ、あんなバケモノだなんて……!」

 

 眠りから目覚めた魔樹は植物らしからぬ獣じみた咆哮を上げ、辺りの植物を大きな口に次々放り込んでいく。お陰ですぐに動き出す気配は無かったが、正直アインズは拍子抜けしていた。

 

(あれが世界を滅ぼす魔樹だって? それにしてはまるで脅威を感じない。規模だけみればガルガンチュア以上、レイドボス級ってとこだけど、なんだかなぁ)

 

 マーレもキョトンとしているが無理もない。ハムスケは警戒はしているもののそこまでビビってはいない様子だ。ナザリックの面々を知っていれば、今更あんなでかいだけのトレント亜種みたいなのに怯える神経にはなっていないのも道理である。

 

「マーレ、すまないが調査はここまでだ。ぶくぶく茶釜さんに声を掛けておかないと後で何を言われるか……い、いや、ゴホン。まあ、もう仲直りできるな?」

「は、はい。ぶくぶく茶釜様に、し、失礼な態度を取ったことを謝りたいです」

「うむ、では少し待っているがいい。≪メッセージ/伝言≫」

 

「何を落ち着いているんだキミたちはーーーー!!」

 

 悲痛な叫びはザイトルクワエの雄叫びと奴に根こそぎ喰われていく木々の破壊音に掻き消され、ぶつける先を見失った焦燥感にピニスンは天を仰いで身悶えした。




【今回の独自解釈】
<パワー・オブ・ガイア>の効果
力の補助だけだと地味なので、地上にいる時の効果を強化しました。
逆に空中にいる時はあまり効果を発揮しません。

12/11 誤字指摘を適用しました。合わせて一部単語を削除しました。
2018/11/5 行間を調整しました。

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