オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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ナザリック地下大墳墓全域の詳細な図面が欲しい。


第29話 発覚

 最高位のアダマンタイト級に上がる以前と比べて忙しくなったかと言うと、意外なことにそうではなかった。依頼の受注制限が無くなったとはいえ、基本的には掲示された依頼を冒険者側が任意で選ぶ仕組みのためにさじ加減は自分次第なのだ。評判が上がって名指しの依頼も増えてはいるが、ミスリル級だった頃の方が多いくらいだった。これは組合で定めている冒険者ランク毎の最低報酬が大きく関わっている。

 

 有り体に言ってしまえば、アダマンタイト級への依頼は金が掛かるのだ。

 名声も実力もある最高位冒険者を安売りするのは冒険者組合の立場として好ましくないし、彼らも商売である以上それは当たり前だ。

 

 高ランクの依頼を片っ端からこなしていっていたが、(カッパー)級向けのものまで根こそぎやってしまうと他の冒険者達のメシのタネを奪うことになり、いらぬ恨みを買いかねない。そのため、概ね(ゴールド)級以下向けの依頼は放っておくと人命に関わるような緊急性の高いものだけを選んで受けることにしていた。

 

 今日も簡単な依頼はレジーナに任せており、モモンの方はほぼ丸1日予定が空いていた。

 

 滞在している『黄金の輝き亭』の自室に戻ったモモンは≪メッセージ/伝言≫を発動させる。

 

『ア、アインズ様。どうかされましたか』

「アルベド、今日は時間に余裕ができたから情報共有も兼ねてこれからナザリックへ一旦戻る。その連絡だ」

『い、いますぐにですか。……かしこまりました、お待ちしております』

「? ああ、ではな」

 

 プツリ、と接続が切れる。レジーナへは朝にナザリックへの一時帰還を伝えているので問題は無い。

 

「≪ゲート/転移門≫」

 

 室内の空間に長径二メートル程の楕円が生じる。それは闇の中に紫が溶け出したような禍々しい空気を纏っている。ところどころがキラキラとした高級感のある部屋に似つかわしくない雰囲気だが、元々そういうエフェクトなのだから仕方がない。

 

 上位互換のある魔法だと、より上位の方が派手で強そうな演出になるのはある種お約束のようなものだ。エフェクトすらも自由にカスタマイズが可能なユグドラシルでは、それを逆手に取って上位魔法のエフェクトを初級魔法と同じにして遊ぶ者もいたが、MPを多めに消費しなければ詠唱時間は変わらないし、状況的に初級魔法を使う意味が全く無いなどの理由から、PvP(対人戦)では中級者以下への初見殺し以外使い道が無いネタ扱いだった。

 

 そんなエフェクト開発黎明期の話題を少し思い出しながら、ローブ姿の死の支配者(オーバーロード)転移門(ゲート)をくぐった。

 

 

 

 出た先に生者の気配は無い。乱杭歯状に荒れた様子で立ち並ぶ墓石と、土が掛かってわずかに見える石畳、その先に(たたず)()てられた霊廟。ナザリック地下大墳墓の地表部だ。

 このあいだ顔見せのためにハムスケを連れてきたが、いま思えば依頼の方をレジーナに任せればよかったような気がしないでもない。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

「ああ、ただい……いま戻った。今日の担当はユリか。毎回地表部まで苦労を掛けるな」

「苦労などと、そのようなことはございません。いちばんにアインズ様のお出迎えをさせていただけるのですから、むしろ光栄に思っております」

 

 艶のある黒髪を夜会巻きにしたメイドは優しい笑顔を浮かべた。差し出されたトレーにはクッションが仕込まれており、その中央にやや沈んでいる指輪を手に取り、はめる。

 

 この指輪はリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。ナザリック内部を自由に転移できるギルメン用の便利なアイテムだ。数は相当数ストックがあるものの、中にはこの指輪を使用しなければ侵入することのできない場所もあるため、万一にでも奪われることが無いように外出時は内部の者に預けている。事前に連絡をしておけば、タイミングを合わせてこのように持ってきてくれるのだ。この役目は基本的に戦闘メイド(プレアデス)が持ち回りで担当しており、今日はユリだったという訳だ。

 

 指輪をはめた骨の手を数度握っては開いて感覚を確かめたあと、ユリに断りを入れてから第9階層の自室へと転移する。

 

「ふー……」

 

 小休止とばかりに、無駄に凝った装飾の椅子へ腰を下ろした。本来ではないとはいえ、やはり自室は落ち着く。しかしずっとこうもしてはいられない。一息つくと腰を上げて第10階層、玉座の間へと向かう。

 

 自室から執務室を経由して廊下へ出ると、部屋の前に控えていた一般メイドがお辞儀をする。彼女が今日のアインズ担当らしい。あまり気に留めたことは無かったが、全部で41人いる一般メイドたちは清掃などの日常業務以外にも至高の四十一人担当という当番を回している。

 

 初めは慣れず、つい扉の開閉も自分でやってしまっていた。蚊の鳴くような声に振り向いたらその時の側付きメイドが真っ青な顔をしていたのを覚えている。どうやら誤解させてしまったようだった。結局誤解は解けたものの、あの表情は中々忘れられそうにない。

 それ以来は、なるべく任せることにしている。彼女らも仕事の一環なのだし、それを(いたずら)に奪う真似はよくない。

 

 玉座の間の前に着くと、また別のメイドが扉を開く。ここの担当は場合に応じて部屋の外にいたり中にいたり様々だが、外で待っていたのはアルベドが帰還の連絡を受けて指示をしたのだろう。

 

 しばらく放ったらかしにしてしまっていたぶくぶく茶釜はヘソを曲げたりしていないだろうか。少し不安に思いつつ玉座の間へと足を踏み入れる。

 

 中にいたのは純白のドレスに長い黒髪と腰から生えた黒翼の対比が目を引く美女、守護者統括アルベド。アインズに頭を下げて迎えの言葉を口にした。

 玉座の間には彼女しかおらず、サービス終了日にぶくぶく茶釜とここを訪れたときと同じくポツンと孤独な印象を受けた。

 

「茶釜さんの姿が見えないが、アウラたちのところへでも行っているのか?」

「はい。仰る通りです。ですがその……少し問題が」

 

 恐る恐るという雰囲気でアルベドが話したのは、先日ナザリックの隠蔽状況の維持確認のためにマーレを訪ねて第6階層へ行ったときのことだった。

 

 

 

 

 

 

 巨大樹をくり抜いて作った居住区。部屋自体は何室もあるが、日常的に使われているのはわずか二つだ。窓から直射が入らない位置取りにある部屋を目指してアルベドは緩い螺旋状の階段を登っていく。

 

 目的の部屋の前に立ち、軽くノックをするが反応は無い。目的の人物がここにいるのは間違い無いはずだ。指示が無い場合は畑の世話をしているか自室で寝ているかの二択であり、畑はここに来る前に覗いてみた。

 さっきより少しだけ強めにノックをする。ゴソリゴソリと布団の中で蠢く音が聞こえたあと、木の扉越しに部屋の主の声が聞こえてくる。

 

『んん……だ、誰ですかぁー……』

「アルベドです。少し聞きたいことがあって来たの。いいかしら?」

『ア、アルベドさんですか。ああわ、ちょっとだけ待っててください』

 

 急に訪ねたのは自分なのだし、火急の用件という訳でもないので急かすつもりはない。待っているあいだアルベドは普段まじまじと見ることの無い、巨大樹の内部、その壁面やさらに上に続く階段の作りを観察してみた。

 見事という他無い。自分は生産系の技術に造詣が深い訳ではないが、巨大樹の持つ自然本来のテイストを失わずに清浄さを感じさせる空間。階段の板張りは華美な装飾をあえて廃したシンプルな仕上がりになっている。至高の四十一人の中には第六階層の天井部製作の中心になったブルー・プラネットを始めとした創造系に秀でたメンバーが複数人いた。それぞれの得意分野の力を結集した集大成がこのナザリック地下大墳墓なのだ。

 

「お、お待たせしました」

 

 いつもの装備に少し申し訳無さそうな雰囲気の表情をした闇妖精(ダークエルフ)が姿を見せた。待っていた時間は5分にも満たない程度だったが、退屈な時間ではなかった。部屋の前で立ち話も何なので、空いている別の部屋に移動する。マーレが子供とは言え、男の部屋に女が一人で上がりこむのはまずい。

 もちろんマーレにそのような不埒な思考回路は無いのだが、ヒキコモリ体質のために自分のプライベート空間へ誰かが入らないに越したことはない。

 

 先導して上階へ上がるマーレに付いていくと、ぐるりとピッタリ1周した位置に、ついさっきノックした部屋と同じ扉があった。転移罠で知らないうちに同じ場所をループしていると言われても気付かないくらいにそっくりそのままだ。

 

「ど、どうぞ」

 

 マーレに促されて部屋に入ると、鼻腔をくすぐる真新しい木の匂いが鮮やかな印象を受けた。私物の類こそ無いものの、ベッドや机に椅子といった必要最低限の物は揃っている。主が居ないのに小綺麗にされているのは一般メイドたちの日々の努力の賜物だろう。

 

「あら、布団も常備しているのね」

「たまに担当の一般メイドさんを見掛けます」

 

 チリ1つ無い部屋の様子からして、日を置かずに掃除がされていることは明らかだ。たまに、と言うのは単にマーレが自室に篭っていることが多いから目にする機会が少ないのだろう。

 

 アルベドがベッドに腰を下ろすと、自室のものと比べてやや硬質な感触が返ってきた。というか自室のは柔らか過ぎる気がする。その癖スプリングの跳ねはいいものだから、慣れるまでは端まで転がって降りていた。今はコツを掴んだので、普通に寝起きするのに難儀することは無いが。

 

「マーレも楽にしてちょうだい。今日の話は立場上ではなく私が個人的に聞きたかったことだから」

「わ、分かりました。失礼します」

 

 アルベドに向かい合う位置にあった椅子にちょこんと腰掛けた。杖を両手でしっかりと胸の前に抱き寄せている。やや猫背気味の姿勢と超ミニ丈のスカートをフォローするかのようにピッチリと固く閉じた両膝。誰が見てもその仕草や雰囲気は女の子らしいと言えるものだった。

 

「マーレはこのあいだ、アインズ様のご指示でナザリックの隠蔽を行っていたわよね」

「はい。細かいところの確認も合わせると三日くらいでできました……けど……」

 

 やや探り探りといった感じで語尾が消え入りそうな声になる。普段から下がり気味の長い耳がさらに下を向き、気配すらも薄くなったかと錯覚を起こすほどにマーレは息を潜めた。

 ナザリックの隠蔽工作について当時はモモンガと名乗っていた至高の御方に尋ねられたときのやり取りを思い出したのだ。自分のできる手段で最良を答えたつもりだったが、栄光あるナザリック地下大墳墓の外壁に土を掛ける行為をアルベドは咎めた。ただしその直後至高の御方によってそれは許されている。

 今更それを追及することは至高の御方々への反抗に他ならないし、守護者統括がそのような浅はかな行動はしないと理解はしている。理解はしているが、臆病な存在であると定められた自分にとっては緊張を強いられる展開である。

 

 そんなマーレの葛藤を余所に、アルベドは「三日……」と復唱しながら鋭い視線を彷徨わせ何かの思案をしている。

 

 守護者統括たるアルベドの頭脳は、デミウルゴスと並んで非常に優れている。施設全体の管理も担う立場上、守護者含め各階層や領域の把握レベルは群を抜いていると言えた。

 もっとも、当たり前のこと過ぎてナザリックに属する者たち同士の会話では省略されるのだが、頭脳やナザリック内の把握については彼女らを遥かに凌駕する存在が現在2人いる。

 

 基本的に戦力としてカウントされるナザリック地下大墳墓の組織体系は頂点に至高の41人、直下に守護者統括及び各階層守護者、領域守護者、並びにセバス。それぞれの下に特色に応じたシモベがいるという構成になっている。縦割りの組織であるため、シモベたちはおろか、各階層守護者も互いの手駒を正確に把握はしていない。そのため全体的な適材適所を判断するのはアルベドの役目の1つだ。把握しておくべき内情は必然的に多くなる。

 

「上部はアインズ様が幻術を展開されているからいいとして、マーレが担当した箇所は定期的にチェックをしているのかしら」

「あ、はい、それは────」

 

 今日の本題もそれに類するものだった。不安が外れたことに安堵しつつ、現在に至るまでの隠蔽状況の説明をする。話を聞いているときの彼女は真剣そのもので、威圧的でもなかった。

 

(それはそうだよね。アインズ様がお決めになったことなんだもん)

 

 アルベドの忠誠心を疑うような心配をしてしまったことを少し申し訳無く思う。至高の御方々の意思に応えようとする気持ちはナザリックの誰もが持っていて、その唯一にして絶対と言える自分達の行動原理において協力を惜しむつもりは全く無い。

 そんな訳で二人だけの会合は実に穏やかな空気で進められた。

 

 

 

 一通り知りたい事を聞き終えたアルベドは即座に考えた現状の改善案をいくつか提案し、それらは現場管理を担当するマーレが調整して採用する運びになった。

 

「じゃあ、それはまた今度結果を報告しますね」

「ええ、よろしく。そろそろ私は戻るわね」

 

 ベッドから立ち上がり、身体を(ほぐ)すように黒い翼がゆっくりと広がる。

 

「あ、あの、アルベドさん」

「何かしら」

「個人的に聞きたいことって、言ってませんでしたか? さっき僕がしたのはお仕事の話ばっかりだったような……」

 

 一瞬キョトンとした表情になったアルベドだったが、すぐに口元に軽く手を当てて「ふふっ」と笑った。

 現状すぐに必要ではないが、知っている情報は多く深いに越したことは無い。それも全ては至高の御方々が必要としたときにすぐ対応するため。加えて現場の者に手落ちが無いかを確認するのは自分の果たすべき役目だ。だが事情を質問される側は改まって報告となれば余計な緊張を強いることにもなりかねない。『個人的に』というのは相手に無用の心労を掛けさせないためのアルベドなりの気遣いであった。本意を言ってしまっては気遣いの意味も無いが、どっちみち恐縮するであろうマーレには言っても言わなくても同じだとアルベドは判断した。

 事実、説明を聞いたマーレは素直に感心していた。

 

「そ、そうだったんですね……。あっ、何か落ちました」

 

 翼を動かした拍子に腰あたりから一枚の紙がこぼれ落ち、風に乗ってマーレの方へ流れていった。ブーツの先にコツンと当たったそれを拾い上げる。

 

「ああ、ごめんなさ……ッ!」

「…………アルベドさん、僕も個人的にお聞きしたいことができたんですけど、いいですか?」

「な……何かしら……?」

 

 ハイライトの消えた青と緑のオッドアイ、その視線は手に持った紙、より正確に言うとそれに書かれた無駄にテンションの高い文章───文末は『♡』で括られている───に釘付けになっていた。全身から発する禍々しい圧力はいつものオドオドしたイメージなど欠片も無く、守護者第二位が伊達や間違いではないことを肌で感じさせる。

 

 アルベドはマーレのわずかな動きも見逃さないように、精神を集中させた。階層守護者という立場とはいえ相手は子供。少しの切っ掛けで癇癪や暴走を起こしても何の不思議も無い。実際、ぶくぶく茶釜が帰還したときには姉と揃って感情を抑え切れていなかった。気持ちは分からないでもないし、あの時の2人の感極まっての行動は責められるものではないとも思ってはいる。

 

 それでも、いまのマーレから感じる不穏な空気は警戒しなければならない。万に一つ感情の暴走のあまり至高の御方々へ危害を加えるようなことがあれば、たとえ守護者であろうが子供であろうが極刑は免れない。自滅ほど組織にとって愚かなことは無く、アルベドは守護者統括として敵わないまでもそれを防ぐ義務がある。

 

 状況はアルベドに凄まじく不利だった。マーレの戦闘スタイルは魔法中心ではあるが、並行して特殊技術(スキル)による植物操作。攻撃にも防御にも拘束にも使える、恐るべき対応力の高さを持っている。仮に全身鎧(フルプレート)のヘルメス・トリスメギストスがあったところで、搦め手や手数で攻めるタイプのマーレとは相性が悪い。

 拘束されれば終わりだ。周りは植物に囲まれ、土も豊富にある。既にマーレのホームグラウンド、その腹中である。勝機があるとすれば、暴走する瞬間に素早く本体へ一撃、意識を奪って安全な場所で拘束することだ。気取られないように右の拳に力を込める。

 

 異様に長く感じられた沈黙の後、マーレは長く細い息を吐き、その手に持った紙をアルベドに返してきた。気付けばいつの間にか重々しいオーラの圧力は無くなり、そこにいたのはいつもの姉に頭の上がらない気弱そうな闇妖精(ダークエルフ)の少年だ。

 

「アルベドさん、そろそろいいですか? なんだか僕眠くなってきちゃいました」

「え? え、ええ……それは悪かったわ。私も第十階層へ戻る、わ」

 

 とことこと小さめの歩幅で部屋を先に出ていったマーレ。恐らく自室へと戻ったのだろうが、言い知れない不安と、自分の不注意が端緒になってしまったことに自責の念が拭えないアルベドは足早に第十階層、ぶくぶく茶釜のいる玉座の間へと急いだ。

 

 

 

 

 

 

「それでそのことを報告したら、茶釜さんが第6階層へ向かってかれこれ二時間程戻ってこない、と」

「はい。現在は第6階層にアウラもいるはずですから、大事無いとは思いますが」

 

 隅々まで掃除が行き届いた荘厳な佇まいの廊下を至高の御方アインズと、それに付き従う守護者統括アルベドがやや早足に歩く。向かう先は当然、第六階層だ。

 

 廊下の清掃担当と思しき一般メイドたちの姿をちらほら見掛けるが、誰もがこちらに気付くと仕事の手を止めて深々とお辞儀をする。あまりじっくりと観察したことは無いが、その動作は無駄も無ければ演出過剰でもない、向けられた側がなんとなく心地良くなるものばかりだった。

 

 冒険者として依頼人の貴族に付き従うメイドを目にしたこともあるが、ここまで嫌み無く優雅な雰囲気ではなかった。とはいえ地方貴族の話であるし、そのメイドが世間一般的に大した技量の者ではない可能性も捨てきれないが、もしかするとうちのメイド達って実はすごいんじゃないかとアインズは思いたかった。

 四十一人いる一般メイドたちも、ギルメンが丹精込めて作った者たちなのだ。拠点NPCを作らなかった者も携わっているが、そこに注いだ情熱は負けていないと思う。

 

 だが残念ながら今は足を止めてそれに時間を割くつもりは無い。

 

(うわぁ、いちいち作業止めてまでお辞儀しなくても会釈程度でもいいのに。これだと通る先々で俺がみんなの作業の邪魔になってしまうじゃないか。無駄に緊張させてしまうだろうし、なんか申し訳ないな……)

 

 急いでいるため、手でいいからいいからと簡単なジェスチャーで伝える程度しかできないが、決して彼女らを蔑ろにしているということはないのだ。

 

 その日の食堂は一般メイドにも手を上げて応えてくれる至高の御方の優しさに滂沱の涙を流す数名の一般メイドと、それらを羨む者たちの廊下掃除担当争奪アミダくじ大会が開かれたのだが、至高の御方々の耳に入ることは無かった。

 

 

 

 第6階層に着き、円形劇場(アンフィテアトルム)を抜けて居住区へ。巨大樹の根元まで来たが、ここに至ってなんのアクションも無いというのはいくつかの懸念と事実を示していた。

 マーレどころか訪れるといつも元気いっぱいの笑顔で走って出迎えに来てくれるアウラの姿も一向に見えない。ということは、ほぼ確実にアウラは一連の事態に巻き込まれている。そして、出迎えに来られないような状況。例えば堪忍袋の緒が切れたマーレに拘束されたり、戦闘状態に突入しているとか。

 

(あのマーレに限ってそれはないか? ……いや、最悪の事態は想定しておいた方がいい)

 

 巨大樹の中、螺旋状の階段を駆け登る。いた。視界の左手から部屋の前に立つアウラとぶくぶく茶釜の姿が現れる。しきりにアウラが中に声を掛けているみたいだが、反応が無いらしく渋い顔をしている。

 

「あっ、アインズ様! 申し訳ありません、お迎えに行けなくて」

 

 こちらに気付くと手を振ってきたが、いつもの明るさが無いように見える。表情こそ笑顔を作っているものの、どことなくぎこちない上に弟のごとく垂れた両耳は心情をありありと表現している。

 最悪の事態にはなっていなかった点には内心安堵したが、ここからはまだどうなるか分からない。

 

「気にするな。それより大まかな話はアルベドに聞いた。マーレは中にいるんだな?」

「はい。それで、さっきから呼んでるんですけど全然反応が無くって」

 

 アウラに釣られて扉に視線を移したが確かに開く気配は無く、物音も聞こえない。これで中にマーレがいるのだとしたら、身じろぎ1つせずに布団にでも(くる)まっているといったところか。

 

「アインズさ〜ん、どうしよう。マーレがイジけてヒキコモリに……!」

 

 アウラを挟んだ向こう側でぐるぐる軸回転をしているピンク色の粘体。聞いた限りでは誰かが悪いという話ではないとは思うが、強いて指摘するならマーレへのフォローを早くしておかなかったぶくぶく茶釜の手落ちと言える。第一、外出の件を話してくれていれば自分がフォローすることもできただろうに。だがそれもいまとなっては遅い。咎めるのは後回しにして、まずはこの状況を何とかしなければならない。

 

 アインズが部屋に近付くとアウラが1歩引いて場所を空ける。不安そうな顔は弟への罪悪感と心配か。普段は強気に指図しているが、心底ではとても大事に思っているのだろう。「アインズ様……」と、か細い声を出す彼女を安心させるために、優しく頭を撫でる。

 

「大丈夫だ。私に任せておけ」

「は、はいっ」

 

 声に少し張りが戻ったのを確認してアインズは軽く頷き、扉に向き直って頭を整理する。

 

(さて、大見得を切ってしまったけれど……)

 

 イジけた理由は明らかだ。なら、解決のためには何が必要だろう。まずアウラはマーレより多く外出の許可を得ている訳だが、それはカルネ村のときからそうであるしいまに始まったことではない。違いがあるのは誰と外出したのか、だ。

 ではぶくぶく茶釜が帳尻合わせのために一緒に出掛けようと誘って、解決するのか。答えは否だ。それで解決するならマーレは今頃ぶくぶく茶釜と湖畔にピクニックにでも出ているはずで、ダメだったからこそぶくぶく茶釜は部屋の前でアウラと共に途方に暮れていたのだから。

 きっとぶくぶく茶釜とアウラの二人がその理由にたどり着くことはできない。言われたら理解はするかも知れないが、納得できるかどうかは別の話だ。

 

(……マーレも、男の子だもんな。……ん? 男の娘だっけ? まあ、いまはそれは置いておこう)

 

 アインズの骨の手が木製の扉をノックするが反応は無い。だがそれは予想の範疇だ。

 

「茶釜さん、すみませんが先に玉座の間に戻っていてもらえますか」

「それはいいですけど、なんで?」

「マーレのためです。さあ、ほら。あとでマーレと一緒に行きますから」

 

 今一つ釈然としない感じのぶくぶく茶釜だったが、自分が無力である以上この場は任せるしかない。アインズが戻れと言うのであればと素直に引き下がった。

 思えばギルメン同士の衝突を緩和したり調整するのは大抵アインズの役目だった。そんなアインズであればこんな場もなんとかしてくれるのではないか。他力本願に過ぎるとは自分でも思うが、ここは誇るべきギルド長の手腕に期待して引き下がることにした。ただでさえマーレを落ち込ませる原因を作って迷惑を掛けているのだ。変に意地になって事態を膠着させたくはない。

 

 

 

 多少強引ではあったが、納得したぶくぶく茶釜がリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で転移する。

 

 マーレがいまいちばん顔を合わせたくないのはまず間違いなくぶくぶく茶釜だ。仮に冷静になったマーレが折角部屋を出てきても、ぶくぶく茶釜がいては気まずさからまた引っ込んでしまうかも知れない。

 不安要素はなるべく排除しておくべきだ。

 

 次はマーレの動きを聴き逃さないようにする。

 

「≪ラビッツ・イヤー/兎の耳≫」

「わっ」

「ア、アインズ様……!」

 

 アインズの頭に掛かったローブの上から、どことなくメカニカルなデザインのウサミミが1(つい)現れる。内側には青白い蛍光色のラインが走っており、本物のウサギさながらに音を探ってくりくりと向きを機敏に変えている。聴力を強化する魔法だ。周囲の音をレーダーのように拾うこともできるし、収束方向を指定すれば扉越しの会話も筒抜けだ。ただし認識阻害魔法への貫通力は弱く、簡単な対策で無効化されてしまう。マーレは妨害手段を持ってはいるが、流石に内輪に向けて使うレベルで他者を拒絶するほどの状況ではないはずだ。

 

「マーレ、私だ。アインズだ」

 

 反応は無い。しかし魔力を帯びた長い耳は、室内で何かが静かに動くのを感知した。こちらの言葉が相手に届いていると確信して、アインズは呼び掛けを続ける。

 

「……マーレ、少し話をしないか? 男同士の話だ。私も他の者に聞かれるのは恥ずかしくてな。私だけでいいから中に入れてくれないか」

 

 他の者に聞かれるのが恥ずかしい至高の御方の話。後ろの2人が食い付いてきたりしないか少し心配だったが、先ほどからパッタリ静かにしてくれているので助かった。

 

 静寂。アインズは次の言葉を繋ごうとしない。待っているあいだわずかの音も聴きこぼさないように二本のウサミミが時折ピクンと反応していた。そして五分程だろうか、アウラにはもっと長い時間に感じられたが、扉越しに聞き慣れた声が返ってきた。

 

『ア、アインズ様だけなら……。あ、でもお姉ちゃん達が……』

「茶釜さんは先に玉座の間に戻ってもらった。アウラは私と一緒に来たアルベドに連れていってもらうよ。部屋に入るのは私だけだ」

 

 

 返答しながら手振りで二人を遠ざけようとするが、反応が鈍い。マーレからの反応はあったのでもう集中していなくても大丈夫なはずだと思って振り返った視界に映ったのは、なぜか顔を赤らめているアウラとアルベドだった。少しうつむき気味なのでこちらのハンドサインが見えなかったのか。とにかくこれ以上マーレに余計な刺激を与えないためにはこの二人も少し離れておいてもらう必要がある。

 

「アルベド、そういうことだからアウラを連れて少し離れていてくれ。なんなら先に玉座の間へ行っていても構わない」

「か、かしこまり、ました……」

 

 小さな金属音。内から掛けられていた鍵が解錠されたのを確認すると≪ラビッツ・イヤー/兎の耳≫を解除する。なるべく音を立てないようにドアノブを回し、そろりそろりと奥へ押し開ける。

 隙間から徐々に広がる室内の視界にマーレの姿は認められないが、呼び掛けに応じて鍵が開いたのなら入室を遠慮する必要はない。

 

 完全に室内に入りきってから、アインズは後ろを振り返ることなく扉を閉めた。

 

 

 

 至高の御方がいなくなり、その場は静まり返っていた。どちらからともなくアウラとアルベドは顔を見合わせる。両者共に赤く染まった顔にハッとなったが、理由が明確だったためお互い仕方無いと納得した。

 強く結んだ口が、むしろそれを語りたいとはち切れんばかりの圧力を抑え込んでいた。一言でも堰を切ろうものなら、多分思いを吐き出し切るまで止まらない確信があった。

 

 それをアイコンタクトで瞬時に理解した二人の行動は早かった。

 

 アルベドが両手で箱を横にのける動作をして第6階層のゲートの方向を指差す。

 

(ひとまず、この場を離れましょう)

 

 応えるアウラは頷きを返し、進行方向を指差して先導のために走り出す。

 

(りょーかい。こっちだよ)

 

 通常であれば、大きな螺旋階段を降りたあとに下草の生えたガーデンを抜ける。その先に円形劇場(アンフィテアトルム)があり、下層へ行くゲートも上層へ行くゲートもそこにあるのだ。

 巨大樹のある居住区は、行き止まりの寄り道配置になっている。戦う場所ではないから通過必須にしなかったのもあるが、そうするとダンジョンを作る上で色々面倒事が増えるためでもあった。

 

 だがその構造はいまの二人にとっては都合が悪いことこの上ない。螺旋階段は上方に音が通り、降りるのにも多少時間がかかる。

 自分の階層内である巨大樹については、アルベドより担当階層守護者の方が詳しいのが道理だ。だからアウラが普通の帰り道とは逆の上に向かうルートを取っても、アルベドは何の疑いも無く後方を追う。

 

 走るのに適していない丈の長いドレス。普通ならば十歩と進まぬ内に蹴躓(けつまず)くか、よしんば走れたところで急ぎ足と大差無いはずだ。

 

 だがアルベドは違った。優れた戦士であり、騎士系の中でも守りに優れた職業(クラス)を持っている。

 守りにおいて重心の移動と安定感、そして足捌きは特に重要な要素だ。これらの優れた能力を十全に発揮することで、アルベドの足は前を行くアウラが全力ではないとはいえ問題無く付いていくことができた。

 

 アウラを追って扉の空いた部屋に入ると、彼女が上に向かった意図を察した。そのまま速度を緩めず、むしろ加速して部屋を横切っていく。

 

 この部屋は、他とは違う特徴があった。

 

 まず広い。部屋と言うより幹の外周をそのまま支えにした造りをしている。およそ120度ごとにくり抜かれた壁の部分はキレイに床から天井まで四角くぽっかり空いていて、柱代わりの壁は全部で三面。樹の中心部分は多目的ホールにも似た何も無い空間が確保されている。左手にはさらに上に繋がる階段が見える。

 

 フロアの中央を突っ切って、そのまま正面から外へ。足は一段低い高さにある板張りの床面を走っていた。

 

 大きく開けた視界の左右には同じ足場が、巨大樹の周囲をぐるりと囲む形で配置されていた。凹凸の無いシャンプーハットにも似た、360度の空中庭園だ。

 勢いを緩めることなく助走から力強い踏み切りと共に二人は空中に身を躍らせた。跳躍方向の先、その下方には円形劇場(アンフィテアトルム)が見える。

 

「ア、アインズ様、おかわいいーーーー!!」

「ね! うまく言えないけどあれはスゴかったよね!」

 

 やっと言えた。

 

 カワイイものというのにあまり敏感ではない二人であるが、至高の御方に関することとなれば別だ。それが本人に、しかも完全に不意打ちであんな姿を見せられて平常心でいられる訳がなかった。

 なんとかここまで耐えられたのはマーレの説得の妨げになってはならないという考えと、同じ状況に陥った同志がいたからだ。実際、アウラだけならその場で思わず「うわぁ〜、耳、カワイイですね」とか口走ってしまいそうだし、アルベドだけならこの脱出ルートに辿り着けず緊張のあまり気が触れていたかも知れない。

 

 自分の内に渦巻く感情を気持ち良く吐き出したあとは、着地するまでにさっきの夢みたいな光景をリフレインする。脳内麻薬でも分泌しているのかと錯覚するほど、それは圧倒的な甘美さを持つ劇薬だ。

 

 二呼吸するのに充分な滞空時間を終え、二人は難無く着地する。場所はガーデンと円形劇場(アンフィテアトルム)の丁度境目辺りだ。

 ただ飛び降りるだけでは巨大樹の根元付近に落ちてくるだけなのだが、彼女らの高い身体能力はその身をここまで運ぶことができた。そもそも普通の人間ならまともに着地できないのでただの飛び降り自殺にしかならない。

 

「かっこいいアインズ様も素敵だけど、かわいいアインズ様もすっごく魅力的だよね! ってアルベド、どうしたの? さっきから大人し……うわぁ!」

 

 着地時のしゃがんだ姿勢から全く動こうとしなかった守護者統括は、アウラの一言が最後の藁とばかりにそのままうつ伏せに倒れた。まさかとは思うが着地時に怪我でもしたのか。慌てて駆け寄ったアウラの耳には弱々しいうわ言が聞こえてくる。

 

「アインズ様……。アインズ様の……お耳が……くふふ……うぅ〜ん……」

「……心配して損した。てゆーか、コレあたしが運ぶの? うわー……」

 

 一時的にでも第6階層を離れる以上、アインズの護衛としてもフェンとクアドラシルは残して行かなければならない。役目を理解している彼らは既にいつものお気に入りの場所にはおらず、巨大樹の外側からマーレの部屋付近の警戒に()いている。

 

 思考がオーバーヒートしたアルベドを沈鬱とした表情で見下ろしつつ、仮にもサキュバスがこんな調子で大丈夫なのだろうかと本気で心配になってくる。

 生々しい男女の閨事(ねやごと)にまだ興味のある歳ではないが、それでもこの足元にぶっ倒れて顔を真っ赤にうわ言を垂れ流している同僚がサキュバスとして一般的ではないことは自分にも分かる。

 ただ、原因が原因だけに仕方無いと感じる部分もある。逆に言えば倒れるくらい至高の御方を大切に思っているということなのだから。

 

「よっと。うわ、抱えにく!」

 

 体格が違うのに加えてアルベドのヒラヒラした服はしっかり身体を支えていないと滑り落としてしまいそうになる。背負うのは足を引きずってしまいそうだったし、視界の上から髪やらなんやらが被って鬱陶しそうだったので、少し考えた結果お姫様だっこの形に落ち着いた。

 自分はアルベドのように暴走はするまいと肝に銘じ、ウサミミを生やした至高の御方の姿の余韻を楽しみながら玉座の間へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 扉を閉じると思いの(ほか)防音性が優れていることが分かる。もしかしてすぐ反応しなかったのはこのせいか。外ではパタパタと立ち去る気配を感じたが、何かを話しているのかまでは分からなかった。

 

 居住区の巨大樹は知っていたが、実は中を細かく見て回ったことはなかった。他の者についてもそうだが、NPCの自室にあたる場所は製作者の趣味に()る部分が大きく、ある意味プライベート色の強い空間だ。どんなコンセプトや雰囲気かなどの概要は耳にしていても、事細かに見るために立ち入るのは避けていたのだ。そのせいでアルベドの自室が無いことに気付くのが遅れたのは悪かったと思っている。

 

 素材を活かした造りの部屋は全面板張りに加えてシンプルな木製のテーブルセットと棚、直立した棒に枝が生えたようなアンティーク調のコート掛けと徹底的にコンセプトの統一が図られていた。壁にはガラスをはめ込んだ丸い窓が付いているが、位置関係上直射日光は入らない。間接的に差し込む光が窓際に置かれた小さなアロエの鉢植えを照らしている。

 

 棚には背表紙の厚い本が何冊も置かれており、その多くは植物や土に関するものらしかった。それ以外は拍子抜けするほどすっきりしていて、テーブルの上には何も無い。左手には備え付けのクローゼットがあるが、戸はピッタリと閉じられ中の様子を窺い知ることはできなかった。

 

 ペロロンチーノはコツコツとデータを集めてはシャルティア用の非常に(かたよ)ったラインナップのコスチュームを作っていた(そして何故か毎回自分に報告してきた)が、姉弟であるぶくぶく茶釜も似たことをしていたのだろうか。といってもいまはそれを明らかにするつもりは無い。

 

 反対側の向かって右手にはこれまた木製の二段ベッドがある。そしてその一段目には、この部屋に入った時から強烈な存在感を放つ布団玉が転がっていた。

 

「マーレ、入れてくれてありがとう」

 

 アインズはそのもふもふした塊に向けて礼を言った。すると前後左右に揺れた後、中から篭った声が聞こえる。

 

『も、申し訳ありませんこんな格好で……うう、でも……』

「なに、気にすることはない。近くに行っても構わないか?」

 

 了承を得て、ベッドへ腰掛ける。なるほど、これはぶくぶく茶釜たちの手に負えない訳だ。マーレが心配だったのは確かにあるが、同時にマーレが自分の考えていたよりも頑固なところがあるのは新しい発見だった。もしかするとぶくぶく茶釜がそういう裏設定にでもしていた可能性はあるが、その辺りを確認すれば他のNPCたたの性格もより把握しやすくなるかも知れない。

 

「……マーレ、そのままで構わないから少し私の話を聞いてくれるか」

『……は、はい』

「昔の話だが、私も似たようなことがあった」

 

 息を呑む気配を感じる。自分が話そうとしているのはよくある失敗談とそこから得た教訓なので、そう堅苦しくなる必要は無いのだが、あえて指摘はしない。

 

 話を要約するとこうだ。少しの行き違いから内心では許しているのに、切っ掛けが掴めずついつい疎遠になった友人がいた。いまにして思えば下らない理由だったが、当時はそれに気付くことはできなかった。相談に乗ってくれる相手がいれば少しは違ったかも知れない。あの考えは間違っていたと。

 

『そ、そんな、至高の御方のご判断に、ま、間違いなんてあるはずないです!』

「ありがとう、マーレ。だがな、世の中絶対というものはない。たとえ99%がそうだとしても、常に例外を想定しておかなければ足を(すく)われるということを覚えておくのだ」

 

 目にする全てのカラスが黒くても、最後の一羽のカラスが全身真っ白ということもあり得る。確かそんな話をギルメンの誰かがしていたような気がする。

 

 絶対というものに懐疑的であるべきなのはユグドラシルでも同じことだった。あれは運営のなんでもありが横行していたせいで、早い段階で何が起こってもおかしくないゲームだという妙な覚悟だけが問答無用でできてしまっただけだが。

 

「何故こんな話をしたかというとな、お前たちには私の犯した失敗を繰り返して欲しくないのだ。これはエゴだとは思うがな」

『そ、そんなことないです! 僕たちをお思いになってのことでしたら、どんなことでも嬉しい、です……』

「そうか。ところでさっきから普通に話しているし、そろそろ顔を見せてくれる気にはなったか?」

『あっ、え……と……わ、分かりました。ベ、ベッドから少し離れていてください。申し訳ありません』

 

「……部屋の中央に移動したが、これでいいか?」

 

 腰を上げて少し離れた。見ると、布団玉がグニャグニャと形を変えながらベッドの上を転がったり跳ねたりしている。一際高く跳ねると、薄氷が割れるような音とともに玉状の布団は(ほど)けてシーツの上に落ち、いつもの服装に身を包んだ闇妖精(ダークエルフ)の双子、その弟が部屋の中央に降り立っていた。杖を握りしめながらこちらの様子を窺っているが、その表情には叱責を恐れる怯えの色が見えた。

 

 アインズが黙って手を伸ばすと、ビクッと身体を強張らせて強く目を瞑った。それでも逃げようとはしない。

 

 骨の手は姉に負けず劣らず櫛通りの良い金髪を優しく撫でていた。予想外だったのかマーレも閉じていた目を開いて不思議そうな視線をアインズに向ける。

 

「よく、勇気を出してくれたな。偉いぞ、マーレ」

「……や、やっぱりアインズ様はお優しいです。あ、で、でも、ぶくぶく茶釜様とお姉ちゃん、どうしよう……」

 

 アインズの口から「フッ」と吐息が漏れる。こうまで予想通りの展開だと精神的にも余裕が生まれ、支配者らしい格好を付けることに集中できた。

 

 他者を(おもんぱか)れる精神状態ならば、取り立てて問題はないだろう。本当に追い詰められた者は総じて視野が狭くなるものだ。あとはぶくぶく茶釜たちとのあいだに(わだかま)りが残らないようにフォローしておけばいい。

 

「それなら心配はいらない。私に任せておくがいい」

 

 骸骨の表情は分からないが、声のトーンにも感情は出る。アインズの声音は不安を感じさせない自信に溢れ、それでいてどこかウキウキと楽しそうな雰囲気を纏っていた。




見た目がアレなのにアインズさんもナーベラルも使用していたあたり、ラビッツ・イヤーってコス効果抜きにしても結構有用な魔法なのかも。

【今回の独自要素】
巨大樹含め第6階層内に関する描写全般。
アウラの部屋は日当たり良さそうなイメージ。
ここまでわざわざ掃除に来る一般メイド大変だな……。


12/29 マーレのアルベドに対する敬称を修正しました。
2018/11/4 行間を調整しました。

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