オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第3話 仕える者達(後)

 直径二メートル弱の闇が、突如闘技場に発生した。前触れも音も無く現れたが、この場に慌てる者はいない。黒い闇は≪ゲート/転移門≫による移動エフェクト。この移動方法を好む人物には全員が思い当たった。

 

 血の気を感じさせない青白い手が闇から生まれる。ボールガウン状のゴシックなドレスにパラソル、似紫(にせむらさき)牽牛紫(チェン・ニュー・ツー)で統一した服装と、白銀の髪を彩るのはストライプの大きなリボン。あどけなさを感じさせる表情と端正な顔立ちにはあらゆる異性を魅了するアンバランスな妖艶さが漂っていた。

 彼女の名はシャルティア・ブラッドフォールン。吸血鬼の上位種、真祖(トゥルー・ヴァンパイア)である。第一から第三階層の墳墓階層守護者であり、制作者はぶくぶく茶釜の実弟(茶釜によると愚弟)であるペロロンチーノだ。

 真紅の瞳はくりくりと辺りを見回すと、目当てを見付けたようで表情を明るくさせて三人の方へ、いや、ある一人の下へ歩を進める。パラソルをふわりと残して、勢いそのまま正面にいたモモンガに抱きついた。

 

「ああ、愛しの我が君……! お会いしとうございました……」

 

『ちょ』

『どうしました? モモンガさん』

 

 予想外の事態に思わず≪メッセージ/伝言≫が漏れる。

 

『シャルティアにいきなり抱きつかれました』

『通報した』

『出来ないけどやめてください』

 

 モモンガの首へ両腕を回し、少女は陶然とした眼差しを赤いモノが蠢めく眼窩へ向ける。

 

「全く、礼儀ってもんを知らないの? この脳内ピンクのお花畑は」

 

 横から浴びせられた暴言を意にも介さない様子のシャルティア。

 

「あらぁ、そんなとこに居りんしたのかぇ。小さくて気付きんせんでしたぇ」

 

 抱きついた体勢のままそう返すと、ムッとした様子のアウラが攻勢に出る。

 

「小さいのはどっちよ? わざわざ転移なんか使ったのも、走ると胸がどっかいっちゃうからでしょー?」

「んな!」

 

 そっちこそ小さいくせに何様のつもりだーとか未来のある自分と違って成長しないアンデッドはご愁傷様ーとかぎゃーぎゃーと姦しい舌戦が繰り広げられる。

 

「御前デ騒々シイ。不敬ダゾ」

「全く、元気なのはいいが時と場所を弁えるべきだね」

「モモンガ様、お待たせして申し訳ございません」

「アルベド……コキュートスにデミウルゴスも来たか」

 

 二メートルを優に超す、蒼みがかった白の体躯。サファイアをはめ込んだように青く美しい眼を持ち全身に冷気を纏う、蟲の武人コキュートス。

 物腰穏やかな佇まいをした赤いスーツ姿の男は、インテリ風の小さな丸眼鏡をかけ、両手を革のグローブで覆っている。後ろには銀色の甲殻の隙間から、幾本もの棘が生えた尻尾がゆらゆらと揺れている。ナザリックトップクラスの頭脳を持つ悪魔、デミウルゴス。

 

 これで特殊な例を除いた階層守護者は全員が一堂に会した。誰からともなく自然にピースがはまるように守護者達が移動する。アルベドがモモンガから見て左手、各守護者はアルベドから一歩引いた距離の正面に測ったように整った横列を作る。

 

「モモンガ様、各階層守護者、召集により参上致しました」

 

 守護者統括のアルベドが代表して報告する。

 

「うむ……忙しいところを呼び立ててすまないな」

 

 謝る必要などない、と主人の謝辞に守護者達が声を上げそうになるが、軽く上げられた手に押しとどめられた。

 

「いや、よいのだ。それよりもいまは優先するべきことがある。すでに聞き及んでいる者もいるかも知れないが、現在ナザリック地下大墳墓は身の内に擁する我々ごと、未知の事態に巻き込まれている可能性が高い」

「誰かが侵入した、とかではありんせんので?」

「ああ、それならよっぽど分かりやすくていいんだがな。まだ確証は持てないが、この世界自体のルール……いや、法則と言うべきか。物理法則も魔力的な法則も以前のユグドラシルとは変わってしまっていると私は見ている。正直私にも正確には分からんのだ」

「叡智の結晶たるモモンガ様をして未知の事態とは……」

 

 驚愕に険しい表情を作るデミウルゴス。至高の存在であるモモンガの考えは深過ぎて読み取れないことが何度もあった。自らなど足元にも及ばない深謀遠慮の持ち主。それが彼の主人に対する認識だった。その主人をして未知と言わしめる事態とは。否やも無く警戒心は高まる。

 

「周辺の調査にセバスとソリュシャンを送っている。危険があれば連絡してくるよう言ってあるが、何事もなければそろそろこちらへ着くだろう」

 

 事の重大さを計りかねていた他の守護者達の空気が張り詰めた。役目は違うものの、セバスもまた自分たちと同等以上の力を持つ存在。たかが周辺調査程度のことにそれだけの戦力をもってあたり、さらには索敵に優れた戦闘メイド(プレアデス)を供に付けるとは、正直過剰にも思える采配だが、主人が現状を如何に重く見ているかの裏付けでもあった。

 

「モモンガ様、セバスが戻るまでもうしばらくあるかと思いますので、忠誠の儀を行わせていただきたく存じます。『至高の御方々へ捧げる忠義』を、どうぞお受け下さい」

 

 アルベドが言葉を強調しながら視線を送ってくる。ここらがいいタイミングか。

 

『茶釜さん、そろそろ呼びますけど大丈夫ですか?』

『よっしゃバッチこい!』

 

「うむ、お前達の忠義、嬉しいぞ。しかしその前に私からのサプライズを受けてもらうとしよう」

 

 忠義を捧げる対象から、優先する事があると言われては是非も無し。守護者達は黙してサプライズとやらを待つ。

 その様子を確認してから鷹揚に頷くと、モモンガは≪ゲート/転移門≫を発動した。モモンガの右手に闇が浮かび上がり、中から出てきたのはぬらぬらと生々しいピンクの体表を持つ異形。ぶくぶく茶釜。

 

 守護者達は絶句する。本当に、帰還されたのか。至高の御方々はモモンガを残し、消息が分からなくなって久しい。抑え難い歓喜の念とともに、もし何かの間違いであったならば、と疑念を拭うことが出来ない。

 しかし、そんな不安は絶対者である主人の言葉で一気に吹き飛ぶ。

 

「我々アインズ・ウール・ゴウンのメンバーである、ぶくぶく茶釜さんが帰還された。至高の四十一人に忠義を捧げると言うなら、私だけでは身に余る」

「みんな、久しぶりだね、会えて嬉しぶほっ!!」

 

 ぶくぶく茶釜がモモンガの視界から消える。

 

「え?」

 

 土煙を辿って後方を見ると、アウラとマーレのタックルを受けて、ぶくぶく茶釜が十メートルほどノックバックしていた。敵対行動を警戒し、即座に対応しようとする守護者達であったが、聞こえてきたすすり泣きに踏みとどまる。

 

「ぶ、ぶくぶく茶釜様……! も、もう……お会いできないかと……ううっ」

「ボクたちを……お、置いて……! もう、どこにもっ、行かないでください……!」

 

 涙を流して縋る双子に、ぶくぶく茶釜は申し訳なさと我が子を思うように愛しい気持ちが溢れる。肉塊の両側から、黄金色の触手が伸び、二人の涙を拭う。

 

「……ごめんね、二人とも、怖い思いをさせちゃったね。でも偉いね。モモンガさんを支えてここをしっかり守ってくれてたんでしょ? おかげで私も戻って来れた。もう黙っていなくなったりはしないから」

 

 二本の触手が双子の背をそっと抱きしめる。感極まったのか双子はついにわんわん泣き出してしまった。

 アルベドが何か言いかけるが、思いとどまる。見れば他の守護者達も同様、アウラとマーレを見守っている様子が見て取れた。もし自分たちも創造者との再会が叶えば、平静ではいられないだろう。ましてやアウラとマーレはまだ子供。溢れる感情を抑えるには、その身体はあまりにも小さい。

 数分の後、ひとしきり泣いて落ち着いた双子の様子にアルベドは努めて優しく声をかける。

 

「さあ、アウラ、マーレ。ぶくぶく茶釜様はどこへも行かないと約束してくださったわ。次は私達が立派なところをお見せしましょう」

「アルベド……そうね、うん! さ、マーレ!」

「は、はい。お姉ちゃん」

 

 顔を拭った後には、太陽のように明るい笑顔が二輪咲いていた。モモンガの横へぶくぶく茶釜が移動し、先と同じく守護者が整列する。

 

「モモンガ様、ぶくぶく茶釜様、改めて我ら守護者一同忠誠の儀を行わせていただきたく存じます」

 

 頷きで先を促すモモンガ。それを確認すると一転、アルベドの表情が引き締まる。視線を流すと他の守護者たちもまた、緊張しているのかピリピリした空気が一瞬で場を支配していた。

 

「第一、第二、第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。御前に」

「第五階層守護者、コキュートス。御前ニ」

「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ」

「同じく第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ」

「「御前に」」

「第七階層守護者、デミウルゴス。御前に」

「守護者統括、アルベド。御前に」

 

 全員が跪き、臣下の礼を取る。

 

「第四階層守護者ガルガンチュア、第八階層守護者ヴィクティムを除く階層守護者、全員集合致しました。偉大なるアインズ・ウール・ゴウンにその絶対の忠誠を誓います」

「「「「「誓います」」」」」

 

 一糸乱れぬ守護者たちの儀式に感心、と言うよりも入学式で送辞を述べる我が子を見守る親の心境に近い気がする。子供はいなかったのであくまで想像の域を出ないが。誠意には誠意で応えなければならない。さながら送辞に対する答辞のように。

 

「素晴らしい! お前たちならば私たちの望むことを必ずや成し遂げるであろうことをいま! 確信した!」

 

 両腕を広げて、支配者に足る威容を演出する。

 

(こんな感じでいいかな……? 自分じゃ分からないから後で茶釜さんに聞こうっと)

 

『モモンガ様』

 

 セバスからの≪メッセージ/伝言≫が届く。

 

『セバスか。その様子だと調査は無事終了したようだな』

『仰る通りです。ただいまご報告のため円形劇場(アンフィテアトルム)へ向かっておりますので、五分後に到着致します』

『分かった。ソリュシャンは下がらせて構わない』

『かしこまりました』

 

 

 

 

 

 

 連絡の三分後にセバスが到着。モモンガたちに促され調査報告を始める。

 

「まず、ナザリックの周囲一帯は平野でした」

「平野? 一キロ四方がか?」

「はい。本来あった毒の沼地は影も形も無く、人家などの文化構造物も地表には見当たりませんでした」

 

 モモンガの質問にセバスは頷きとともに答え、報告を続ける。

 

「また、虫や小動物はいたもののヒトなどの知的生命体や、魔獣の類いの脅威なども遭遇致しませんでした。念のため調査範囲四方の縁でソリュシャンにも特殊技術(スキル)を使って探知をさせましたが、結果は同じでした」

 

 暗殺者(アサシン)の職業持ちであるソリュシャンの能力は、罠や生物の発見、探知に大きなアドバンテージがある。しかしそれにも引っかかるものは無いと言う。

 どこまでソリュシャンの探知に引っかかるかというブラックボックスは残るが、精度の面においてはセバスも一定の信頼を置いているようだ。実際目視でも脅威になる存在が確認できなかった以上、差し当たっての危険は無いと判断してもいいらしい。

 その他、外界は現在夜の帳が下りていることと、満天の星が見える清浄な空気で満たされていることを聞いた。

 

「報告ご苦労……平野か。目立ち過ぎるな。マーレ」

「は、はいっ!」

 

 突然名を呼ばれたマーレは普段垂れている耳をピンと跳ね上げて返事をする。

 

「ナザリック地下大墳墓を隠蔽することは可能か?」

「ええと……で、できると思います。例えば壁に土をかけて丘陵のようにすれば……」

「なんですって……!」

 

 憤怒の形相でマーレに詰め寄ったのはアルベドだった。気圧されたのかマーレからは「ひぅ」と涙声が漏れる。

 

「栄光あるナザリック地下大墳墓の壁に土をかけるですって? そんなことが許されると……!」

「やめろ、アルベド。マーレは私の質問に答えただけだ」

「も、申し訳ございません。出過ぎたことを」

 

 怒りを帯びたアルベドの語気は、敬愛する主人の諭告にたちまち尻すぼみになる。忠誠心が高いのも考えものか、融通が利かないのは後々大きなリスクになるかも知れないとモモンガは心のメモ帳にしたためた。

 

「……それで、隠蔽は可能なんだな?」

「はい、ただ、その……」

「フ、平野に唯一の丘陵では目立つのは変わらないか。なら幾つか同じような丘陵を作れば目立たなかろう」

「木を隠すなら森の中、ということですね。流石は至高の御方、万事において抜かり無きご采配、お見事です」

 

 丸眼鏡の悪魔が賛辞を贈る。

 

「ナザリック随一の知将にそこまで言われるのは中々むず痒いものがあるな」

「いえいえ、私などは遠く及びません。畏れながら深淵なるお考えの一端でも理解を深めるべく努力して参ります」

 

 謙虚さも兼ね備えたインテリ悪魔、見かけだけではなく頭脳の回転は間違いなくナザリックでもトップクラス。何ということのない会話の中にも高い智性が感じられた。

 賛同も得られたところで、まとめとばかりに指示を出した。

 

「では、マーレはすぐに地下大墳墓の隠蔽作業へ入れ。各守護者含めナザリック全域の警戒レベルと警戒態勢を通常状態に移行。私は茶釜さんと今後の方針について協議する。茶釜さん、後で私の私室に」

「はーい」

 

「そして最後に守護者たちに問う。お前たちそれぞれにとって、私たち二人はどういう存在だ?」

 

 シャルティア、と呼ばれた少女は質問の意図を掴みかね、主人の要望を満たすことが出来ない恐怖に血の気の薄い顔をさらに青ざめさせた。

 守護者たちからは同様の当惑を抱く者、加えてシャルティアの答えに不敬が無いかと警戒を強める者の気配が漂っている。

 

 考えても何が正解なのかなど分からないので、シャルティアは元より深淵なる主人の思考の底など測れるものではないと見切りを付けた。

 ならば、自分がやるべきはただただ偽りの無い己の本心を述べることのみであった。

 

「モモンガ様はナザリックを統べる強大なる支配者にして美の結晶、わたしの愛しき君でありんす。ぶくぶく茶釜様はわたしの創造主であられるペロロンチーノ様の実姉にして、ご自身もまた生命創造を司る尊きお方でありんす」

 

 シャルティアの答えに守護者たちの空気は弛緩する。彼女の解釈を理解した者、その忠義に偽りはないと判断した者。コキュートスが続く。

 

「モモンガ様ハ無類無比ノ魔法ヲ自在ニ操リ、マサニナザリックノ支配者トシテ相応シキ方カト。ブクブク茶釜様ハ鉄壁ニシテ至高ノ御方々ノ一番槍、勇敢ナル方デイラッシャイマス」

 

 アウラとマーレ。

 

「モモンガ様は至高の御方々のまとめ役であり、それに違わぬ強さをお持ちの方です。ぶくぶく茶釜様は私たちの創造主であり、いつも気にかけてくださる優しいお方です」

「えと……あの、モモンガ様はかっこいいお方です。ぶくぶく茶釜様は優しいお方です」

 

 デミウルゴス。

 

「モモンガ様は深淵なるお考えと力を持ち合わせた存在であり、端倪すべからざるお方です。ぶくぶく茶釜様はその智略において勝る者無く、御自らも道を開くために前線に立つ八面六臂を体現するお方です」

 

 セバス。

 

「モモンガ様は最後まで我らを見捨てずに残られた慈悲深きお方。ぶくぶく茶釜様は再び我らの許へご帰還下さった、苦難を乗り越える強靭な精神を持った優しきお方です」

 

 最後になったアルベド。

 

「モモンガ様は死の支配者にして至高の御方々の代表にあらせられます。ぶくぶく茶釜様はナザリックの者達に分け隔てなく慈愛を注いでくださる底無しの母性を持ったお方です」

 

 ひとしきりの答えが出揃い、モモンガとぶくぶく茶釜の二人はしばし固まっていた。予想を遥かに超えた高評価。途中自分たちのことではなく聖書の朗読でもしてるのかとすら思う表現もあったが、誰も彼もの忠誠心の高さは確認出来たので、目的は達していた。

 思考の整理が終わったモモンガがおもむろに頷きを返し、突然の質問にも忠義溢れる回答を返したことを褒め、守護者たちそれぞれの考えを理解したことを伝えた。

 守護者は安堵し、畏敬の眼差しをさらに集める至高の二人は解散の旨を伝えて今後の方針は改めて発表することを告げる。

 

 

 

 至高の二人の姿がぼやけたかと思うと、もうそこには影も形も無かった。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの能力で転移したのだろう。

 

 主人たちのいなくなった闘技場では、守護者達が互いの意見を交換し合った。

 

「はあ〜、緊張した〜。モモンガ様さっき労ってくださったときと別人みたい……」

「す、すごく怖かったねお姉ちゃん」

 

 全員集合したあたりから、モモンガからは漆黒の気配とも言うべき圧力、絶望のオーラⅤが全身から放射されており、本来は守護者たちの耐性を抜くことは無いものが装備品の効果で強化されていた。

 だがこの心の奥底から湧き出る気持ちは恐怖だけではない。絶対的強者を前にした畏怖の念。能力に依るところではなくこれらの感情を持たせる存在にこそ、デミウルゴスは心底から畏れを抱いていた。

 

「支配者としてのお姿を見せてくださったのでしょうね」

「我々ノ忠義ニ応エテクダサッタト言ウコトカ。シカシ……」

 

 言い淀んだコキュートスの言葉を、アルベドが引き継ぐ。

 

「ぶくぶく茶釜様からは、そのような雰囲気は感じなかった、と?」

 

 しばし沈黙するが、考えのど真ん中を射抜かれては誤魔化すのもバツが悪いと観念したか、自分の発言と考えが不敬ではないかと言う恐怖と躊躇いを感じながらもコキュートスは首肯する。

 

「ソノ通リダ。元々性格自体ハ穏ヤカナ方デハアッタガ……」

 

 短いやり取りでコキュートスの不安を見抜き、やれやれ、といった具合にデミウルゴスが眉間に指を立てて頭を振る。愚かな勘違いであったとしても、至高の御方々の力を安く見るようなことは許されることではない。ましてや自分の同僚にして友人である蟲王(ヴァーミンロード)は武人気質で実直極まりない性格だ。間違いは早目に正しておかなければ、後々自責のあまり自刃しかねない。

 そのような心配はおくびにも出さず、自身の考えをゆっくりと諭すように口にする。

 

「コキュートス、それは早計というものだよ。考えてもみたまえ。我々守護者が全員このザマなのに、ぶくぶく茶釜様は平然としておられた。それに至高の御方々の中でも一番槍を担うぶくぶく茶釜様の本気のプレッシャーが生半可なものではないことは想像に難くないだろう?」

 

 全てを理解し、雷に打たれたように立ち尽くすコキュートス。天を仰ぎながら歓喜に打ち震えている。

 

「……デミウルゴス、感謝スル。至高ノ御方ノ本意ヲ見抜ケヌ、真ノ不忠者トナルトコロダッタ」

「つまり、我々の身を案じて手心を加えてくださったということね」

「やっぱりぶくぶく茶釜様はお優しい方ね!」

「お、お礼言わないと……」

 

 思い思いに至高の二人を褒めちぎり、ますます盲信的な忠誠心に磨きがかかることになった。仲が悪いとされているアウラとシャルティアも至高の御方々の話題においては普段の小競り合いが嘘のように談笑している。

 

 

 

 

 

 

 緋く豪奢な装いの絨毯に、ロングソードが落ちている。正確にはついさっきモモンガが取り落としたのだ。

 ロングソードを拾い上げると、手首を軸に立てたり横にしたりしている。グリップを十分に確かめた後、踏み込みと同時に袈裟斬りを打ち出す。しかし最後まで振り抜かれることは無く、再びロングソードが絨毯に自重を預けることになった。再度剣を拾い、魔法を詠唱する。

 

「≪クリエイト・グレーター・アイテム/上位道具創造≫」

 

 たちまち全身が漆黒のフルプレートに覆われ、赤いマントを肩にかけた勇壮な剣士へと変わる。職業や種族によっては、装備に制限がかかることがある。モモンガの種族も人間用の装備は基本的に使えないのだが、魔法で作り出した装備品は扱いが別で作る物次第では擬似的に戦士になることができた。

 ただし実質的な強さはレベルにして30相当、さらには魔法職と戦士職では立ち回りが全く違うので、本職に比べてプレイヤースキルが追い付いていないことが多いなど、ユグドラシル時代にはネタや気分転換程度の意味しか無いのでこういった使い方はあまりメジャーではなかった。

 

 両手で掴んだ剣を大上段に構える。

 

「ふん!」

 

 力強く振り下ろされた剣は虚空を切り裂き、巻き起こった剣風に側仕えのメイドの髪とフリルが大きく揺れる。

 

「……なるほど」

 

 何か得心いった様子の漆黒の剣士はメイドへ剣を渡した。

 

 供を付けずに出掛けると告げられたメイドは青ざめながら進言をしたが、至高の存在の意向を無視するなどできる訳がなかった。かしこまりました、と一言伝えると、主人は頷きを返して掻き消えた。至高の四十一人のみが所有するマジックアイテムの力だ。

 

 改めて強大な力を持つ至高の存在に畏怖するとともに、全身が震える。それは歓喜。無視しても構わない程度の存在であるメイドに、外出の許可を求める主人がどこにいるのか。

 そしてその言葉は他の誰でもない、自分にだけ向けられた言葉なのだ。

 勝手な行動で怒られないか心配していた小市民的なモモンガの思考など露知らず、それは深き慈愛が故の言動であるとメイドには変換される。主人に手渡された剣と自分の思いを胸元に懐き、主人と二人きりであった甘美な時間を思い返していた。

 

 

 地表へ続く通路。石造りの墓標が並ぶカタコンベでは、ひんやりとした空気が地下から外へ漏れ出ているようだ。地表に近い第一階層とは言え、砂や枝葉が入り込んで汚れているということはない。

 

 地上へ通じる階段を上っていった先には、三体の悪魔がいた。デミウルゴスのシモベである彼らは見るからに凶悪そうな外見で、部下のシモベだと認識していなければこっそり逃げ出していただろう。

 金属が冷えた大理石を擦る音を拾い、三体の内一体がこちらへ向き直る。

 

(あ、まずったかも)

 

 よく考えたらシモベたちが守護者たちと同じく忠誠心を持っているか検証していない。

 しかもただでさえいまの自分はナザリック内で見慣れない戦士の格好をしており、不審なことこの上ない。

 一斉に襲いかかられたとしてもシモベたちのレベルはいいとこ80程度、流石にあっさりやられるなんてことはないと思うが、ナザリックの言わば身内を叩き伏せて良いものか。さっきは温厚だった守護者たちが手の平返して逆襲されないだろうかいっそ逃げてしまおうかと考えていると他の二体も気付いたのか、明らかにこちらへ視線を向け、近寄ってくる。

 

 もう逃げることはできない。たとえ何事も無かったとしても、変装しているのがバレたときに非常にまずい。

 絶対的な力を持っていると思われている主人が自分の拠点内のシモベにビビって逃げ出したなど、どう転んでも部下達の信頼を無くす。ここはもう腹を括って押し通るしかない。

 あくまでも外出を諦めないモモンガが人知れず覚悟完了させていると、事態はあっけなく解決する。

 

 五メートル程の距離を置いてシモベたちが跪き、さながら王の前の騎士のように右腕を胸元へあてて待機する。三体の後ろから現れたのは赤い三揃えのスーツに身を包んだ守護者、デミウルゴス。それと蠢めくピンクの肉棒、ぶくぶく茶釜だった。

 

 控えたシモベたちから一歩半近い立ち位置で、デミウルゴスは実に優雅にスタイリッシュに礼をする。

 

「これはこれはモモンガ様、各階層へのご視察ですか。言っていただければ歓迎の余興をご用意致しましたものを」

 

 それより何故ここにぶくぶく茶釜がいるのか理解出来ない。戦士の装いも一瞬でバレているし。まあいまナザリック内で転移できるのは二人しかいないのだから、茶釜がここにいて内側から誰か出てきたら外見に関わらず自分しかいないということか。

 ぶくぶく茶釜に話を聞いてみると、装備品の確認作業をモモンガがしている間にぶくぶく茶釜は各守護者へ改めて話をしに動き回っていた。それも転移は使わずに。かつて自分の見知ったナザリック地下大墳墓が今どうなっているのかを知るためであった。

 

 ぶくぶく茶釜の行動を要約するとこうだ。アルベド、コキュートスと行ってデミウルゴスを訪ねたが、警備の関係で地表近くへ行っていたため飛ばしてシャルティア。第六階層の居住区を訪ねたところマーレが任務のため不在だったので、アウラと話した。名残惜しかったけれど断腸の思いで地表へ向かい、ついさっきまでここでデミウルゴスと話していたところへモモンガが来た、と。

 

 デミウルゴスはぶくぶく茶釜の細やかな気遣いに感じ入っている様子で、目元を拭っている。二人が打ち解けて話していることから、ぶくぶく茶釜の訪問はデミウルゴス個人にとっても嬉しい出来事だったようだ。

 

「ところで、モモンガ様までこちらへおいでになるとは、待ち合わせておられたのですか?」

 

 外が気になって勝手にお出かけしようとしたら偶々会いましたとは言えないので、歯切れ悪く肯定を返す。ぶくぶく茶釜はピンと来たようでデミウルゴスの死角で金色の触手を鞭のようにうねうね振りかざしている。後が非常に怖い。

 見回りがてらに外の様子を見に来たことを伝えると、やはりデミウルゴスも供をつける旨を進言してきた。折角羽を伸ばすために出てきたのに、ゴチャゴチャとシモベを引き連れていては意味が無い。

 しかし相手はナザリックでもトップクラスに頭脳明晰なデミウルゴス。舌戦で勝てる気が全くしなかった。

 さらにはごり押しでなんとかなったメイドと違い、守護者の矜持か多少のことでは引き下がる気配も無く、しぶしぶながらもデミウルゴスだけが供に付くということで妥協した。

 

 ぶくぶく茶釜と横並びに、地上を目指す。後ろには付かず離れずの距離でデミウルゴスが続く。

 

「モモンガさん、抜け駆けしようだなんてそうは問屋が卸しませんよ〜」

 

 やっぱりバレてた。

 

 ご機嫌ナナメなぶくぶく茶釜をあの手この手で宥めていたところ、アウラとマーレの話題を振るとたちまち機嫌が直り、ぶくぶく茶釜にはこの一手だなと内心ほくそ笑む。

 最終的には組織のトップのロールプレイをせざるを得ないモモンガの心情に配慮して勘弁してもらえることになった。

 

 墓所を抜けると、オリエンタル調の柱で支えられた神殿を通り、開けた場所に出る。外だ。

 

 三人を迎えたのは暗闇に差し込む月明かりと、雲の隙間から覗く星空。花鳥風月、リアルでは決して見ることの叶わない美しい光景にモモンガとぶくぶく茶釜は目を奪われた。

 リアルでは大気汚染が進行し、自然などはもはや画像データの中にしか存在しない。自然はただそこにあるだけじゃなく、全身の五感で受け止めるものであることを初めて理解した。第六階層の天井部にギルメンであるブルー・プラネットが設置したプラネタリウムも見事としか形容できない匠の業だったが、この光景の鮮烈さには及ばなかった。

 

 モモンガは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)からペンダントを取り出し、首へかける。それを見たぶくぶく茶釜も同様の所作で体に魔石を埋め込む。青い輝きは魔法を込めたアイテムの証だ。

 汎用性の高さと込められる魔法の位階は反比例するので、場面に応じて使い分けるプレイヤースキルが無ければ真価を発揮出来ないが、装備さえ出来れば戦士化などの状態変化に関わらず発動可能なため低位階の魔法代用品として使い勝手が良かった。

 

「「≪フライ/飛行≫」」

 

 輝石の光が増し、音も無く浮き上がった二人はどんどん上昇し、やがて雲の層を抜ける。視界いっぱいに広がる満天の星と雲海、全身を煌々と照らす満月の青白い光が静寂の世界に佇んでいた。

 

「美しい……。まるで宝石箱だ」

「モモンガさん詩人ですね〜。でも確かにこりゃすごいわ」

 

 遅れて付いてきたデミウルゴスが恭しく頭を下げる。

 

「至高の御方々を彩る宝石、お望みとあらばナザリックの全軍を以て手に入れてご覧に入れましょう」

 

 膜翼を出すためにイボガエルのような姿に変身しているが、礼を取る振舞いは相変わらず見事に決まっている。

 その言葉は世界を手に入れるとせんばかりの強い意思が込められていた。決して虚言や、ゴマスリの類ではない。主人の求めるものを本気で手に入れ捧げたいという意思が。

 

「世界征服、か。フ、それも悪くないかも知れんな」

「他にも似たような人がいるかも知れませんしね。遅かれ早かれ世界中調べる必要はあったかもね」

 

 悪くない。世界征服も悪くない。そう告げた存在を前にデミウルゴスは胸中歓喜の嵐が舞っていた。

 ぶくぶく茶釜様は以前から世界征服を見越しておられた様子、モモンガ様は含みのある言い方からして自分など思いもよらぬ深謀鬼策をお持ちのようだが、否定的なお考えではないらしい。

 

 頭に浮かべる未来は、ありとあらゆる生きとし生けるものがナザリックを、至高の四十一人の存在を讃え崇める世界。至高の御方々のご威光を思えばむしろ当たり前、須くそうあるべきなのだが、ようやく世界が正しい姿になる。なれば自分は守護者としてシモベ達を統率、指導し、主人達の手となり足となり動くべし。

 

 

 ただでさえカンストしている忠誠度がさらにガンガン上乗せされていた。

 

 当のモモンガはとにかくギルメンを探すことしか考えていなかったので、実際に征服するつもりでは言っていなかったのだが、美しい光景に心奪われていたことも手伝って、その悲しいほど致命的な齟齬に気付くことは無かった。

 

 しかし、ギルメンを探すという明確化してきた目的にモモンガの心は踊っていた。保証もなにも無いが、この世界にギルメンがいたならば。

 必ず、見付け出してみせる。青い満月に決意を固めた。




2017.8.9 句読点の表記ミスを修正しました。
2017.8.28 ご指摘いただいた言葉の誤用を修正しました。
2018.8.14 数字の表記を修正しました。
2018.11.3 行間を調整しました。
2019.1.3 ご指摘いただいた誤記を修正しました。

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