オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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第22話 後始末

 気絶させたブレインを軽々と受け支えて、そっと地面へ寝かせる。懐から取り出したロープを使って手際良く拘束していき、あっと言う間に両手両足を縛られた捕虜が完成した。

 優先事項が終わった体は頭のある方へ向き直る。

 

「シャルティア様、受け止めてくださってありがとうございます」

「畏れ多くも至高の御方に作られた者をみすみす泥に(まみ)れさせるようなことはできんせん」

「それで、あの、返していただけますか?」

「ちょいと待ちなんし」

 

 慌てた様子で身振り手振りをする体。シャルティアはいまが千載一遇のチャンスとばかりに妖艶な笑みを浮かべている。

 

 小さなピンクの舌をペロリと出して耳たぶを甘噛みする。うなじに這わせた指はじれったいくらいの速度で髪の生え際を嬲り、心なしかユリの頬に朱が差した。

 

「……アインズ様に言い付けますよ」

「そんな無体な! くうぅ……さすがにこれ以上失態を演じる訳には……」

 

 絶望のあまり涙を浮かべた目で葛藤するシャルティア。ユリからすれば悩む余地が無いと思うのだが、目の前の階層守護者にとっては悩むに足る選択だった。

 悪戯を叱られた子供のようにどんよりした顔でユリの体に頭を返す。

 

 頭を乗せたユリは両手で首を挟んで微調整をし、満足した様子で乱れたチョーカーの位置を直した。

 

「では、私は小部屋の確認が終わり次第そこの男を連れて外に出ます。洞窟の入口で合流致しましょう」

「了解でありんす。さっきまで楽させてもらった分、後は任せてもらいんす」

 

 手筈を確認すると、シャルティアは足早に洞窟の奥へと向かった。あとに残った有象無象を文字通り片付けるためだ。ロープで拘束され、意識を失っているそこの男が死を撒く剣団とやらの最高戦力だと言うなら、いまから起こるのは戦闘ではなく虐殺だろう。

 

 男はまだしばらく目を覚ます気配が無い。シャルティアは最奥へ一直線に進んでいくので、ユリは所々にある脇道から伸びた小部屋を順次チェックしていく。他の野盗たち、戦力的な意味では残党と化した者が何人いるかはっきりとしないが全滅させるのは確定事項だ。

 殲滅可能な敵対存在は残すなとアインズより仰せつかっている。万一にも討ち漏らしがあれば、うっかりしていましたでは済まされない。

 主に性格と判断能力の問題で細かいチェックはシャルティアに向いていない。今回の任務は何でもかんでも目撃者を消せばいいというものではなく、ナザリックにとって有益になり得る対象には慎重に判断する必要がある。

 無辜の人間を無闇に害さないための現場判断を任されたことを、ユリは深く感謝していた。

 

 洞窟内にポツポツといる野盗を無造作極まりない動作で散らかしていくシャルティア。死に蹂躙される彼らは無理矢理絞り出された空気と血が混ざったグロテスクな音を響かせ、それを耳にした近場の者が小部屋からちらほら出てくる。まるで誘蛾灯だ。

 辛くもその場の死を逃れた幾人かはさらに奥へと逃げ込み、数をじわじわ減らしながら洞窟の奥へ追いやられつつあった。

 

 小部屋の一つ一つは大した広さではなく、さらに繋がる横部屋なども無いようだった。そのためシャルティアに釣られて無人になった室内を一瞥するだけで、時間はさほど取られずに付いていくことができた。

 

 突き当たりに見える大部屋らしき場所から派手な破壊音と男達の怒号と悲鳴が聞こえる。どうやらあそこで行き止まりだ。

 

(大部屋手前の所が最後かしら)

 

 他の小部屋に比べると一つだけポツンと離れた所にある横部屋があった。最奥の部屋の近くとなれば、差し当たって襲撃で得た金品などが保管されている貯蔵庫と見るべきだろう。

 この部屋も軽く覗くだけで終わるだろうとは思いつつも、警戒は怠らずに足を踏み入れる。

 

「これは…………」

 

 そこは貯蔵庫で正解だった。積み重なった木箱の中には強奪品と思われる銀貨や貴金属の類が無造作に入れられている。予備と思われる刀剣、槌矛(メイス)などが無造作に積まれていた。

 そして両手両足を手錠と鎖で繋がれた、一糸纏わぬ女が七人。武器や財宝だけでなく女の貯蔵庫でもあったとは、デミウルゴスあたりが見たら人間にしては洒落が利いていると鼻で笑ったかも知れない。

 

 女たちの何人かは人が入ってきたのを察知すると怯えた様子で後退り、擦れた鎖が重苦しい音を立てた。壁に阻まれても尚恐ろしいものから逃れようと身を(よじ)る様は却って野盗達の嗜虐心を刺激しかねないものだったが、考える力を奪われた人間はそこに思い至ることができない。

 既に何度も野盗たちの慰み物にされたのであろう女たちの目には生気が無く、あちこちに赤い筋や腫れが目についた。

 

 ユリが渋面を作ったのはむせ返るような臭気のせいではなく、善寄りの性質故の野盗に対する嫌悪感と女たちに対する憐憫であった。だが裁かれるべき連中は今頃この世の地獄を見ているだろうから、こちらはこちらで目の前の事に集中しなければならない。気を取り直して口元へ指を立てる。

 

「静かに。あなたたちさえ良ければ地上へ解放してあげます」

 

 それを聞いた女たちには少なからず動揺が広がる。助けが来てくれた、助かった。しかし喜びも束の間、身じろぎした拍子に感じた四肢の重みが逃れられない現実としてのし掛かってくる。

 

「あ……」

「それは問題ありません」

「で、でもこんな」

 

 申し訳無さそうに拘束された両腕を掲げて見せる。繋がれた鎖は短くはないが、大の男でも力に任せて引きちぎるのは無理だと思うくらい頑強なものだった。

 目の前にいきなり現れたメイドの恰好をした女性はそこだけ世界を切り取ったように穏やかな笑顔を浮かべ、大丈夫ですと言った。

 

「破片が飛んだら危ないので、少し顔を背けていてくださいね。はっ!」

 

 硬く鈍い音と共に両足が一瞬引っ張られる感覚がした。それが幻覚だったかと思うくらいあっさり鎖は分断される。目の前で何が起こったのか理解する前に、メイドはテキパキと腕の鎖にも処置を進める。

 

「次は両手を地面に置いてください。ええと、鎖の繋がっている所を下に。そう。はっ」

 

 二回目で加減が分かったのか、さっきよりもソフトなタッチで分断する。ものの十秒程で忌々しい拘束具は意味を無くした。

 

 逃げられる。本当にこのいつまで続くか分からない地獄から。助かる。いましめが解けたことでその実感が急に湧いてきた。まだ恐ろしい野盗たちの洞窟にいるというのに。家族の顔も見てないのに。

 

「うっ、うあああ…………ぁあああ……」

 

 さめざめと泣く声は希望を見た喜びか、悪夢への慟哭か。自分でもぐしゃぐしゃになった心が分からない。今はただ自分の中に溜まった澱を涙と一緒に吐き出してしまいたかった。

 

 ユリはそっと優しく彼女の頭を撫で、凛とした表情で今一度宣言する。

 

「さあ、他の方たちも鎖を外します。地上へエスコートしますので、お辛いでしょうがもう少しだけ頑張ってください」

 

 

 

 

 

 

 無事に鎖を外した女たち7人を引き連れて、洞窟の出口へ向かう。裸のままでは夜の寒さで体に悪いということもあったが、何より女性をそのままにしておくのはユリとしても許容し難いものがあった。

 途中横部屋から拝借した大きめの布地であったり野盗の替え着と思しき物を着せ、取り敢えず人としての尊厳は守られる体裁にはなった。

 

 野盗に出くわしたらどうしようと女たちは恐々としていたが、帰り道に誰もいないのを知っているユリは警戒する必要もなく実にスムーズに出口へ辿り着いた。

 

「外だわ! 助かった……」

「待ってください。外に危険が無いか確認します」

 

 女たちを洞窟の入口にあたる窪地へ残し、ユリは辺りを見回せるよう正面の坂を上がる。周囲は闇に包まれており、洞窟内から漏れ出る灯りに頼っても常人では入口の付近十メートル程度までしか見えないだろう。

 だがそれはあくまで常人の話であってアンデッドであるユリには当てはまらない。アンデッド特性の一つである闇視(ダークヴィジョン)のため、昼間と変わらぬ視界を得られている。ちなみに眼鏡を掛けているが視力が低い訳ではなく、実は度はおろかレンズすら入っていない。

 

 林から回り込むような形で、五、六人のグループが近付いてくるのが見えた。別行動をしていた野盗を疑ったが、明らかに戦闘用の装備をした女や、僧侶らしき者もいる。何よりアウトロー特有のキナ臭さを彼らには感じなかった。

 

「そこの方々、このような場所へ何の目的で来られたのですか」

 

 穏便に接触が可能なら、囚われていた女たちを引き渡せないだろうか。試してみる価値はあると踏んだユリは、向こうの前衛がこちらに気付くのに合わせて声を掛けた。

 一団は少々戸惑った様子を見せた。彼らもここには厄介な野盗の(ねぐら)があると聞いてきたのに、入口と思われる所には見張りもおらず、それどころか得体の知れないメイドがいるとなれば困惑しない方がおかしい。

 

「こちらに敵意はありません。私は旅の者ですが、行き掛かりで野盗に囚われていた女性を七人救出しました」

 

 それを聞いて一部の者からは安堵の声が上がるが、まだ一部は懐疑的な者もいた。彼らの場所からは入口に身を隠した女たちは見えない。順当に考えれば誘き寄せて皆殺しにするための罠だ。

 

「信用できないな。本当に女なんかいるのか?」

「あなた方が信用に足る存在なら彼女たちの保護をお願いしたいと思っています」

「……嘘を言ってるって感じじゃないな。俺たちは周辺の街道を警護している冒険者だ。この辺りに野盗の(ねぐら)があると聞いていたが、様子を探るために来たんだ。そしたら出てきたのは荒くれ者じゃなくて絶世の美女でメイドと来た。どうなってんだ?」

「承知致しました。少しお待ちいただけますか」

 

 相手の返事を待たずにユリは踵を返し、考えを巡らせる。もし相手が別の野盗グループなどであれば、わざわざ助けたものを自らの手で地獄へ再び叩き落とすことになる。女たちがユリにとって大切な存在という訳ではないが、後味の悪い結末は避けたい。

 

 そして言う通りに組合の冒険者というやつだった場合だが、これが厄介だ。

 

 たとえ本来の仕事内容に含まれていなくても女たちの保護は報酬の上乗せが期待できるし評判を上げる材料になるため、街まで安全に連れていってくれる。もしこの場にモモンに扮したアインズがいれば、その判断は容易だったろう。だが。

 

(『冒険者』……果たして信用していいものかしら?)

 

 ナザリック地下大墳墓からシャルティアの転移門(ゲート)でセバス手配の馬車に乗り込み、そのまま揺られて今に至るユリには、冒険者は遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で見た漆黒の剣しか知らない。それも何を生業とする者たちなのかという情報が乏しかった。漆黒の剣は薬草の入った壺を店に運び入れていたので、想像するに採取時の護衛なども請け負っていると思われるが、仮にそうだとして野盗を討伐というのはちょっと種類が違うのではないだろうか。

 だがこの陰鬱な空気を纏った彼女たちにそれを質問するのは(はばか)られた。もし冒険者が誰でも知っている常識的な存在だとしたら、それを知らない自分は何者なのか。どさくさ紛れに誤魔化されている違和感がさらに浮き彫りになってしまう。

 

 わずかな時間では作戦の立てようも無い。結局探り探りで妥協点を見付けるしかないと結論付ける。

 

 女たちの下へ戻ったときに少し空気が暗かったのは、様子を見にいくと出ていったユリの戻りが思いの外遅かったからだ。まだ不安そうな者には大丈夫ですよ、と笑顔で声を掛けて状況を簡単に説明する。

 

 

 

「…………と言っていますが、本当でしょうか」

「本物ならプレートを提げていると思います」

「プレート……ですか。その、大きさはどの程度だったでしょうか。……ふむ」

 

 ほとんど探りを入れるまでもなく、いい判断材料が見付かった。後は冒険者がどういう扱いになっているかだ。これが世間的に荒くれ者の集団と見做されていたりしたら元の木阿弥である。

 

「分かりました、それは安全に確認する手段があるので安心してください。それと彼らが本当に冒険者であれば、あなたたちの保護を彼らに頼もうと考えているのですが構いませんか?」

「え……」

 

 仕方が無い。多少心配とは言え、自分も気ままな自由人という訳ではないのだから、街まで彼女たちを送ってさらにその後の面倒まで見ることなどできはしない。

 

「見たところ荒っぽい人たちではなさそうでした。チーム内には女性もいましたので、なるべくあなたたちの側に付いていてもらえるよう私からも頼んでみましょう。いかがですか」

「……はい、分かりました。みんなもそれでいいよね? あの、お姉さん」

「はい?」

「ありがとう、ございました」

「いえ、お気になさらず。問題無ければその旨を伝えてきます」

 

 初めに洞窟の外へユリが出て来たときと変わらず、自称冒険者の一団は距離の空いた暗がりで様子を窺っていた。こちらの言い分を聞くつもりがあるようで内心胸を撫で下ろす。

 彼らの首元を見ればなるほど、全員ではないものの金属で出来たプレートを提げている者が何人かいた。大きさもさっき聞いた通りだ。このままでも埒が明かないので、いまのところは彼らを信用して話を進めていくことに決めた。

 

「お待たせしました。あなた方を信用致します。保護した方々をそちらへお連れしてもよろしいでしょうか」

「ああ、話が本当なら連れてきなよ。今すぐにって訳にはいかないけど、街まで無事に連れていこう。そのあと教会にでも保護してもらえばいい」

 

 交渉に成功し、ユリの誘導に従って女たちが洞窟から出てくる。まだ怯えが抜けない様子ではあったが、冒険者チームの女性が気遣ってくれたことで多少安心したようだ。

 

 その様子を横目に、交渉役に立った男へユリは忠告を投げ掛ける。

 

「ここは危険です。彼女たちを連れて早々に立ち去られた方がよろしいですよ」

「いやいや、そもそも俺たちは野盗を討伐に来たんだぞ。仕事はしなきゃな」

「その必要はありません。野盗たちはもう()()()()()()()()ので」

「なに? どういう……」

 

 

「推定、吸血鬼(ヴァンパイア)! 撤退するぞ! 眼を見るな!」

 

 突如響いた号令に、多くの者の視線は地を舐めつつ洞窟の入口に向かう。ユリが振り向いたときには、バサバサの髪に赤く脈動する眼と、ヤツメウナギと称される円状の口を広げた醜悪な化け物が外へ飛び出して来ていた。

 その正体をユリはよく知っていた。

 

(シャルティア様!? あの様子では恐らく……)

 

 シャルティアの保有する特殊技術(スキル)≪血の狂乱≫。鮮血の貯蔵庫(ブラッド・プール)で吸い上げてはいたものの、(おびただ)しい返り血の全ては吸引が間に合わなかったのだろう。

 発動すれば攻撃力が上昇するが、暴走状態になり判断能力が著しく低下する。あの姿になっているのがその証拠だ。

 いまのシャルティアの頭には靄が掛かり、オモチャである人間を愉しみのために殺すといった本能的な衝動に突き動かされている。

 

「くっ、女たちを連れた状態では……」

「退がってください!」

 

 ユリが視線を戻すのと、隣の男の胸に大穴が空くのはほぼ同時だった。貫いた腕を抜き取った血飛沫がユリの頬に三つ程の点を描いた。

 

「あっはぁあはははあああああ」

 

 心臓を(えぐ)る感触に悦び身体を震わせるシャルティアは、間髪入れず≪アニメイト・デッド/不死者創造≫を使用した。物言わぬ死体となった男は不浄の傀儡となって再び動き出す。さらに頭上の血の塊から引き抜いた何かを打ち込まれると、動死体(ゾンビ)は瞬く間に変質し、下位吸血鬼(レッサーヴァンパイア)が誕生した。

 

「バカな! あのような魔法を何の代償も無く使用するなど!」

 

 吸血鬼(ヴァンパイア)は非常に力の強い種族だ。しかしそれだけであって、吸血などに気を付けていれば白金(プラチナ)級の冒険者チーム程度なら充分対処して討滅可能な相手だ。

 だが目の前の存在は違う。熟練の魔法詠唱者(マジックキャスター)でも使えない程高位の魔法を軽々と使用した。並の化け物ではない。

 

 さらに次の獲物を狙い、飛び上がったシャルティアと冒険者のあいだに割り込む影があった。ユリである。

 

 振り回されるシャルティアの爪を両腕のガーダーで受け止めると、反動で靴底が地にめり込んだ。これを受けたのが野盗との戦闘を想定した軽装備メインで、専用の対策もしていない冒険者ならひとたまりもないだろう。

 本来ならば野盗の始末を付けたあとは人目につく前に立ち去る予定だった。しかしいまとなってはそれは不可能。次善策はこれ以上トラブルを起こしたり余計な因縁を作らないことだ。

 具体的にはシャルティアと冒険者たちを引き離して、≪血の狂乱≫が治まり次第撤収する。そのためには彼らにこれ以上大きな被害を出す訳にはいかない。

 

「あの相手はあなたたちの手には負えません。私が足止めをするので一刻も早く逃げてください」

「あ、あんた一体……いや、いまはいい。恩に着る。全員撤退! とにかくこの場を離れるんだ!」

 

 シャルティアの注意をさらに引くため、ユリは近接戦闘を挑んだ。レベル差が大きいとは言え、≪血の狂乱≫が発動していることで攻撃手段は爪の物理攻撃がメインである。魔法のステータスを捨てて戦闘技能は全て物理、それも近接特化にビルドされたユリが防御に徹すれば多少は持ち堪えられるはずだ。それでも魔法や特殊技術(スキル)を使われるとなす(すべ)が無いので、正直なところ使ってこないように僅かに残っているはずのシャルティアの理性に期待するしかない。しかし逃げ回って冒険者たちに標的が移っては元も子も無いので、大きい隙を作らない程度には攻める必要がある。

 やっていることは回避と防御と牽制だけなのだが、その速度は冒険者達の目で捉えられる世界を突破していた。

 

「す、すげえ。なんだあのメイド」

「分からん! だがいまは生き延びることを考えろ。……ブリタ!? 何してるおい!」

 

 ブリタと呼ばれた赤髪の女冒険者は、腰を抜かしたようにへたり込んで震えている。最初の飛び込みを受けたとき、彼女はユリの側にいた。人間が束になっても敵わない吸血鬼(ヴァンパイア)を前にした死の恐怖を全身で浴びてしまったのだ。生物としての本能的な怯えは容易に行動の自由を奪う。そして恐怖に震える者を蹂躙するのは、シャルティアにとって本能的な愉しみと言えた。

 

「でざぁああああとぉおおおおぉおおいしそおぅううう」

「! いけない!」

 

 突如ブリタへ方向転換するシャルティア。一際強い踏み込みで間に飛び込んだユリの脇腹を凶爪が(えぐ)った。吹っ飛ばされたユリに巻き込まれる形になったブリタごと地を転がる。不幸中の幸いと言うべきか、そのショックでブリタが正気を取り戻した。

 

「あ、あなた、大丈夫!?」

 

 暗がりのために脇腹の傷の程度は見えない。だが吸血鬼(ヴァンパイア)の爪を受けて軽傷ということは無いだろう。

 

(どうする? どうする? 私だけじゃあの吸血鬼(ヴァンパイア)からは逃げられない)

 

 ユリが時間を稼いだ甲斐あって、他の冒険者と女たちは既に視界に入らない場所まで逃げ(おお)せた。死地に取り残されたのは冒険者の中ではブリタ一人。

 これは危険を伴う職業である冒険者には珍しくないことだ。長くチームを組んでいる仲間同士ならいざ知らず、一人を助けるために全滅の憂き目を見る訳にはいかない。特に彼らは今回の任務でたまたま組んだだけという即席チームだ。この状況で撤退を優先させたとしても責める者はいないし、ブリタもまたそれを責める気持ちは無い。逃げ遅れた自分が悪いのだし、強いて言えば運が悪かったとしか言いようが無い。

 

 だが生きている限りは諦めない。この泥臭さこそが女だてらにチームも組まずに冒険者をそれなりにやってこられたブリタの強さであり矜持であった。

 先日もその結晶を手にしたばかりだ。直後にトラブルに巻き込まれて別の品になったが。

 

 そこで思い至る。自分には無理でもこのメイドは少なくとも足止めの役目を十分に果たす程度には戦えていた。深手であればそんじょそこらのポーションでは命を繋ぐ程度にしか効果は無いだろう。だが、このポーションならばどうだ。都市でいちばんの薬師が大枚をはたいてでも売ってくれと懇願した、神の血と呼ばれた真紅のポーション。都合のいい考えだが、何もしなければ死ぬだけだ。

 意を決してポーション瓶の蓋を開け、メイドの傷口へそれを振りかけた。動ける程度には治癒してくれと祈ったが、結果はまるで違うものだった。

 

「うっ、く、ああっ!」

 

 ポーションを使っても、メイドは治癒するどころか苦しみ出した。傷が高速で治癒するときは体に負荷が掛かる。そのための痛みかと思ったが、どうやら違うらしい。傷口を押さえた手が緩む事は無かったし、彼女の表情から苦悶の色が抜ける事もなかった。まるでこのポーションが毒物だったかのように苦しみを助長しただけだ。

 

「な、なんで」

「いいいっしょにぃいいいいたべようねぇええええ」

 

 欲望を満たさんとする吸血鬼(ヴァンパイア)が飛び迫る。もう打つ手は残されていない。

 

「うわああ!」

 

 咄嗟に放り投げたポーションの瓶が回転し、中身の残りを漏らしながらシャルティアに迫る。邪魔とばかりに払った手に触れて、耐えられなかった瓶は粉々に砕け散った。残りの液体は勢いのまま顔に────。

 

「ぐあ、ああああああああああ!」

 

 ポーションが触れた頬が焼け、たまらず怯んだ。火傷そのものは吸血鬼(ヴァンパイア)の基本能力である自動回復によって即座に治癒する。足が止まったのは別の理由だ。

 

「お前────」

「うっ!」

 

 ショックで形態が戻りつつあったシャルティアが問い質すより早く、意識を失ったブリタが崩れ落ちる。腹に打ち込んだ拳を緩め、痛みを鎮めるようにユリは長く細い息を吐いた。

 

「ユリ! その女が──」

「……聞きたいことは多々ありますが、これ以上この場に(とど)まるのは危険です。洞窟奥から二つ目の横部屋にさっき捕獲した人間がいます。申し訳ありませんが、連れて──いえ、持ってきていただけますか」

「分かりんした。少し待ちなんし。≪ゲート/転移門≫」

 

 発生した長径二メートル程の楕円形をした転移門(ゲート)に、ぴょんと飛び込む。転移門(ゲート)が霧散して1分程で再び開いた中からは、一応落とさないように気を付けたのだろう、年老いた老婆のように正面から顔が見えないくらい腰を曲げたシャルティアが出てきた。

 その背には先程と同じくロープで拘束され、いまだ意識を失っているブレイン・アングラウス。

 

「ありがとうございます。ではナザリックへ帰還致しましょう」

「ええ!? こ、この女は放置でありんすか?」

「幸いシャルティア様の普段のお顔は見られていないはず。ならばこれ以上干渉せず、報告して至高の御方々の指示を仰ぐのが良いと思います」

 

 一息に行動方針を述べたユリはまだ少し傷が痛むらしく、ときおり表情を歪ませている。生命の危険は無いが、状況への対処能力は低下している。

 

 シャルティアとて(いたずら)に仲間を傷付けるようなことは望まないし、下手を打って至高の御方々に失望されたくはない。ただ、顔を見られていないとしても不確定要素をそのままにしておくことに感覚的な据わりの悪さがあるだけなのだ。冷静に、論理的に考えれば余計なことはしないのが無難な選択だ。

 

 改めてシャルティアはユリとバディを組ませた至高の御方々の深慮遠謀に驚愕と感動を覚える。これが人間を虫と同列以下くらいに思っているナーベラルなどであれば、皆殺しにして証拠隠滅を図っていただろう。

 だがあのポーションを持った女がもし至高の御方々と何かしらのコネクションを形成していたら。至高の御方々が成そうとしていることの邪魔をしてしまうなど、たとえ意図せぬ結果であったとしても許されるものではない。その可能性を見たからこそ、ユリはブレーキを掛けた。本来の目的は武技の使用できる人間の誘拐。次に武器などに関する情報収集。

 遭遇戦によって人間を襲うことでは断じてない。

 

「分かりんした。その判断が正しいと信じんしょう。……()()はどうしんす?」

「彼は一旦円形劇場(アンフィテアトルム)で拘束しておきましょう。帰還直後の報告に担いで御前に立つ訳にも行きません」

「う、といわすことは第六階層に……」

 

 次の動きを理解した途端、元々血の気の薄い顔がさらに暗くなる。第六階層は氷結牢獄と違って拘束をするための場所ではないので、拘束具の類や施設がある訳ではない。であれば拘束するためには配置されているゴーレムを使うことになるだろう。

 そして管理権限の都合上、第六階層ゴーレムへの上位命令権は闇妖精(ダークエルフ)の双子が持っている。

 もちろん階層守護者とシモベの立場は階層が違えど天と地ほどの開きがあるので、シャルティアの命令でも従うだろう。だが階層守護者であるからこそ、他の者の担当エリアで勝手な振る舞いをする訳にはいかない。

 事後承諾でも元々を言えば至高の御方々からの命を受けた行動なので文句は言わないだろうが、協力を仰ぐ以上筋は通す必要があった。

 口喧嘩するのは(やぶさ)かではないが、なんと言うかそれとこれとはまた別の話なのだ。

 

 かと言って一方的に下手(したて)に頼み事をするというのも業腹である。結局自分に出来るのは、タイミング良く双子の姉の方が外出していて双子の弟の方に話を通せることを祈るしかなかった。




 レベル差的にユリでシャルティアを止められるかどうか少し迷いました。例の奥の手とか使ってこず、薄っすら残った理性で手加減してくれてたら多少は耐えられるかなと。攻撃力も上がってるからまともに食らったら一撃で致命傷になってもおかしくない、何気に綱渡りな立ち回りでした。脇腹はかすっただけなので軽く抉られただけで済みました。

11/22 誤字指摘を一部適用しました。それに伴い一部表現を変更しました。
2018/11/4 行間を調整しました。

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