薄暗い洞窟の中は閉じられた空間であることも手伝って息苦しさを感じる。
それも慣れの問題で、いつからか何も感じなくなった。慣れることは弱さに繋がる。少なくとも自分はそう考えていた。そして思い返せば胸の中に
王国での御前試合決勝戦。いざ始まってみれば、舞台は問題ではなかった。当時、相手と自分とは技量においてほぼ互角。それ故に僅かの差が勝敗を決した。
心に刻まれた敗北は狭い世界に閉じこもっていた井の中の蛙である自分を否応なく思い知らされ、同時に己に土を着けた相手への執着的な競争心へと繋がった。そのあと自分は王国を去り、流れの傭兵団や用心棒の真似事、果ては野盗にまで身をやつした。全ては己が強くなるため。そのための武器を探し求め、真価を引き出すに足る肉体も作った。もはやあの男に負けはしない。そう、いまは王国戦士長と聞くガゼフ・ストロノーフには。
精神集中から意識を戻すと、何やら周りが騒がしい。野盗の一人が部屋の外を走って通り過ぎ、どたばたと戻ってきた。
「おお、ブレインさん、あんたがいりゃ大丈夫だな」
「なんだよ、騒がしい」
「襲撃です。相手は女が二人」
「女二人、ね。討伐の依頼を受けた冒険者ってとこか」
「奥の連中も呼んできます」
「いらねぇよ。邪魔だ。奥でも固めとけ」
ブレイン・アングラウスは相手が女二人だからと言って油断はしない。彼自身優れた剣士であるが、魔法の威力は侮れないものであると一目置いているからだ。王国トップクラスの冒険者チームも全員女の五人組と聞く。
腰を掛けていた木箱から立ち上がり洞窟の入り口へと向かう。この洞窟は蟻の巣のようになっており、一本大きな横穴がそのまま外へ繋がっている。他の入り口は無いため、相手が即撤退などしていないなら外へ向かえば必然的にどこかで必ず出くわす。
洞窟内に反響する音からさらに状況把握の精度を高める。奥側はまだざわついている。恐らくさっきの男が他の連中へも襲撃を伝え、指示通りに迎撃の準備でもしているのだろう。
反面、入り口方向は襲撃の報が入ったときとは打って変わって静かだ。入り口付近には警戒のために十五人程度が詰めていたはず。物音がしないということは無力化されたか、最悪皆殺しになっている。
となれば益々相手は
決めてからの行動は早い。腰に提げた小瓶の中身を飲み干すと、続けてもう一本も空ける。ポーションの効果で筋力と敏捷性が上がり、確かめるように拳を握った。
装備品の魔法付与効果も発動させ、目の保護と
いまの自分はガゼフ・ストロノーフをも上回る極上の剣士だ。これから自分と相対する侵入者は運が無かったなと思いつつ歩みを進めた。
初めのブレインの感想は、他の者と同様に相手の異様な見た目についてだった。何故メイド。
だが彼が他と違ったのは、服装にそれ以上の意味を見出していないことだった。
だいいち、普通のメイドは棘付きの物理的に痛々しそうなガントレットなんか着けていない。はずだ。
こと戦闘においては先入観が死を招く。メイドは家事をする者などと記号的な判断は何の役にも立たない。大事なのはこの二人が敵であり、大の男十五人を実力行使で排除出来る存在ということだけだ。
「おいおい、こんな夜更けに美女二人たぁ、危ないぜ?」
「お気遣い痛み入ります。ですがこちらも理由あってのこと」
「くぁ……ユリ、何かありんした?」
ユリの後方に控えていたシャルティアは、退屈でたまらないと言わんばかりに欠伸をして尋ねる。どうやらブレインには全く興味が無いらしい。
「はい、他とは少し毛色の違う者が。そこのあなた、一つ質問しますが、あなたは武技というモノを扱うことはできますか」
「言われて易々と答えると思うのか?」
「そうでしょうね。ですが私たちはどうしてもそれを知る必要があるのです」
鋭い視線を向けながらメイドが一歩近寄る。構えたガントレットに胸元が隠れており、これでは心臓を一突きという訳にはいかない。納刀状態のまま、ブレインは居合抜きの構えを取る。
「そうかい。丁半博打の胴になったつもりじゃないが、命張って試してみるか?」
ひとまず後ろの奴は戦闘に参加するつもりが無いようだ。
剣士は基本的に一対一もしくは多対多の戦闘を得手とする。
「毛色ねぇ……私にはさっきの連中と大差無いように思いんす。まあ一ミリと二ミリの違いはユリの方が分かるかも知れんせんね」
ちらとブレインに一瞬視線を向けるも、目を留める程の興味すら湧かないシャルティアは相変わらず退屈そうな表情を浮かべている。相手が
百歩譲ってあの武器に神聖属性が付与されていたとしよう。アンデッドである自分やユリには特効が付くため、彼我のレベル差に関係無く固定のダメージは通るだろう。だがそれも強力な自己再生能力を持つ
ユリには
「私はユリ・アルファと申します。ええと……」
「ブレイン。ブレイン・アングラウスだ」
「恐れ入ります、アングラウス様。では参りますが、武技は使わないのですか?」
この後に及んでなお武技に固執するメイド。果たして何が彼女をそう駆り立てるのか。
「お前ごときに使う訳無いだろうが」
「つまり武技は使える、ということでありんすね。あんまりおつむは回らないようで」
「チッ、腹芸が苦手なだけだ」
これ以上の会話は無用。ころころと鈴を転がすように笑う少女にブレインは言葉を吐き捨てると、彼特有の武技を発動させる。
≪領域≫
高く深く集中した意識は、ブレインの周囲半径三メートル内の知覚を文字通り完璧なモノにする。この範囲の中であれば雨のような矢の嵐であろうが無傷で回避できる自信があり、ノミの目玉すら突き刺せる。
その精度で敵の急所に強力なただ一つの斬撃を打ち込む。それを追求した結果、もう一つの武技を生んだ。高速の居合抜きである≪瞬閃≫。だがなおもブレインは一点特化の鍛練を続け、ついには斬撃の速さ故に刃に血の跡すら残らない≪神閃≫へと昇華させた。
絶対に回避不可能な神速の一撃。ブレインが描く最強の剣技であった。狙う場所は頸部。どんな動物もモンスターも、中枢である頭を斬り飛ばせば否応無しに決着だ。
領域の発動によってブレインの周りの空気が張り詰めた雰囲気になったのは、ある程度力量のある者であれば感じ取ることができただろう。
だがそんなことはお構い無しとばかりに無造作に間を詰めるユリ。ブレインの領域まで二メートル、一メートルと迫っていく。
(よっぽど自信があるのか。しかし、俺の≪神閃≫はそう甘くねえぞ)
ユリの歩みは淀むこと無く進む。つま先が領域内に侵入した瞬間からブレインには周りがスローモーションのように感じられ、彼女のブーツの表面に付着した土の匂いや湿気、巻き上がる空気の流れすらも全てが己の掌の上の出来事の如く感じ取ることができた。
さらに一歩、うなじの薄皮一枚残して頸部が領域内に収まった刹那。幾百幾千と繰り返した動作はひとたび発すればブレインの思考すら挟まる余地無く、反射的に鞘走りから振り抜きまでを完了させる。
勢い余って刎ね飛ばされた首は洞窟の天井付近まで弧を描いて、後ろに控えていたもう一人の手元へ落ちてくる。
「と、と」
位置を微調整してシャルティアはユリの生首をキャッチする。愛おしそうに髪を撫でる様は正気を疑う光景だったが、狂っていてくれれば危険度が減るだろうかくらいにしかブレインは考えていなかった。
「おお、ユリ、痛くはありんせんでしたかえ。んー? そうかえそうかえ」
やはり正気ではなさそうだ。なら神閃を使うまでもなく、集中を欠いた
「ところでぬし、さっきのが武技といわすもの?」
「ああ。だが今更それを知ったところで無意味だな」
「……だそうで。どうやら当たりのようでありんす」
「何を言って……ぐおっ!」
死角から飛んできたボディーブローが深々と突き刺さり、肺の空気が一気に奪われる。力を振り絞って右を見ると、首の無いメイドの体が動いていた。
ショートフックを顎先にもらうと、うめき声をあげることも無くブレインの意識は闇に沈んでいった。
その男(の身が)、危険。(分かってた
ブレインの運命や如何に。
11/22 誤字指摘を適用、シャルティアの語尾を一部修正しました。
2018/11/4 行間を調整しました。