オーバーロード 粘体の軍師   作:戯画

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 急遽話を追加したらちょっと長くなってしまいました。あとちょっと予定より遅れました。


第3章 力ある者・力なき者
第16話 周辺調査


 ナザリック地下大墳墓、最奥に位置する玉座の間。本来そこに座るべきギルド長であるアインズは現在外出しており、留守を預かるのはもう一人の至高の御方。なのだが、玉座の間には誰もいない、がらんどうの状態だった。事の起こりは二日前、アインズが人間社会への潜入のためにナザリックを出立した翌日だった。

 

 

 

 

 

 

 カルネ村で得た情報から冒険者の身分に扮することを決めたアインズと、そのお供に選出したルプスレギナ。彼らは組合への登録などのために、エ・ランテルという街へ行くことになった。村娘のエンリは採集した薬草を売るために何度も街と村を往復している。その彼女によれば、人の足で行くのは難儀だと言う。

 ガゼフ・ストロノーフ率いる王国戦士隊はさらに遠方の王都から来たらしいので、あの後結構な強行軍で帰ったのだろう。お疲れ様と言うか何と言うか。

 

 数日掛けて歩いていく訳にもいかず、かと言ってこれから冒険者の登録をしようという駆け出しが馬車で乗り付けるのも変な話だし、無闇に目立つのも不本意だ。

 幸いアインズは失敗率0%、移動距離無制限の最上位移動魔法である≪ゲート/転移門≫を習得している。ルプスレギナも使える完全不可視化と併用して一気にエ・ランテル付近まで跳ぶ案が採用された。

 

 そんな二人を見送って、と言っても不可視化してるから見えないのだが、とにかくぶくぶく茶釜はナザリックで留守番を任されたのだった。

 

 で、二日と経たないうちに限界が来た。

 

 玉座の間では守護者統括のアルベドがナザリックの現在状況を整理して報告してくれる。統括の立場はナザリック内の運営管理にも携わっているからである。

 しかしこちらがやるのは相槌を打つばかりだ。と言うのも彼女は内政面において極めて高い能力を有している。まず第一にナザリック内の施設などに問題が無かったということもあるが、各所への見張り強化、一般メイドたちへの指示と緊急事態発生時の連絡フローといった組織内のシステムをあっと言う間に組んでしまい、不測の事態に万全の備えを敷いたのだ。万一の時はここからここへ連絡が行きます、その際この階層の者はこうですああです。完成された連絡網と対応マニュアルを整然と説明するアルベドに、突っ込む所が無ければ追認する以外にどうしようもない。

 気を付けろくらいのニュアンスで良かったのに、厳戒態勢とか言うからこんな眠くなりそうな話を自分が聞く羽目になっているのだ。そう思うとこの場にいないギルド長にモヤモヤした不満が心の底から滲み出してきた。そうなると連鎖的に、自分が割を食っているような気がどんどんしてきた。なんで自分がここにずっといないといけないんだ、と。

 

 ふとアルベドを見る。報告をしている顔は常に微笑を浮かべており、声音にもどことなく喜びを含んでいる。あまり無下にするのは可哀想に思い、一通り話の切れるところまで大人しく聞いていたぶくぶく茶釜であった。

 

「以上が、緊急時の暫定対応ですわ」

「よし、じゃあちょっと休憩にしよう。アルベドも朝からずっと立ちっぱなしで疲れたでしょ」

「いえ、私は大丈夫で……ぶくぶく茶釜様、どちらへ?」

 

 そそくさと扉へ向かう背中にアルベドの白絹を撫でるような声が掛かる。口には出せないが、これも気疲れの一因であった。暇を持て余してうろうろしたりすると即座にいかがなさいましたかと質問が飛んでくる。気に掛けてくれているのは分かるが、どうもこちらの言動一つ一つに過剰に意味を見出(みいだ)すきらいがあるようだ。

 一時間休憩、自分は第六階層に行ってくると言い残して玉座の間を後にした。あのままだと窒息死する。

 

 

 

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で一息に第六階層へ転移する。この前守護者たちを集めた円形劇場(アンフィテアトルム)はがらんとしており、人気(ひとけ)が無く少し寂しい感じのする場所だった。年がら年中誰かが闘っている訳ではないのだから、当たり前の光景ではある。ローマの円形闘技場(コロッセオ)などもオフシーズンはこんな感じだったのだろうか。剣闘にオフシーズンが有るのかは知らないが。

 円形のフィールドを横切って、奥の居住区へ進む。軽く見上げても頂点が見えないくらいの巨大樹。根元(ねもと)の広場では女性メンバーを中心にお茶会という名目の井戸端会議をよくやったものだ。樹の内部はくり抜かれる形で住居に改造されており、所々に嵌め込まれた丸型の窓や、ベランダのようなものがちらほらと目に付いた。

 

 聞こえてきたのは笑い声。その出元を辿って巨大樹の周囲をぐるりと回っていくと丁度反対の位置にアウラと、それにじゃれているフェンリルを見付けた。頬を撫でた長い舌が見えたので、クアドラシルも側にいるのが分かる。

 自分が来ていることはすでに気配で分かっていたようで、慌てる様子も無く振り向くと満面の笑顔を見せた。

 

「ようこそ、ぶくぶく茶釜様! すみません、お出迎えに行きたかったんですけどこの子たちが離れたがらなくって……ちょっと、フェンくすぐったいってば。もう」

「あー、いいよいいよ。毎回そう堅苦しくしなくていいって。そうマーレにも……あれ? そういえばマーレいないの?」

 

 見たところ、この場には自分とアウラの二人、フェンリルとクアドラシルの2体しかいない。一応第六階層自体にはドラゴン・キンを初めアウラのペットたちもいるはずだが、特に用事が無いときは引っ込んでいるらしい。

 姉の陰にオドオド身を隠す臆病な性格をした男の娘な弟が独りで勝手に行動を起こすとは考えにくい。そしてその予想は当たっていた。少し渋い顔を作ったアウラが呆れ半分といった感じで所在を答えた。

 

「ああ……マーレなら命令が無いときは大体自分の部屋で寝てますよ。まったくあの子ったら、折角ぶくぶく茶釜様がいらっしゃってるってのに! 叩き起こしてきます!」

 

 腕捲りの仕草をしながらドスドスと足音を荒げるアウラだったが、わざわざ寝てるのを自分が来たからというだけで起こされてはマーレも自分も堪らない。引き留めたのが大声を上げる前で良かった。

 申し訳無さやら弟の不甲斐無さやら複雑な感情を混ぜこぜにした表情を作りながらも、至高の御方の意思とあらば無視はできない。不承不承ながらも弟を呼んでくるのは諦めた。

 

 ぶくぶく茶釜としても、窮屈な環境から逃げるためにここへ来たのだ。変に賑やかにしては本末転倒だ。かと言って、ナザリック内で取り立てていまやることが無いのだから退屈であるという根本的な問題は解決しない。

 今頃はそれなりに自由に未知の世界を楽しんでいると思われるアインズが羨ましい。自分の外装を後悔したことが全く無いとは言わないが、今回は結構本気で悔しい。

 

「アインズ様はお出掛けしているんですよね。いつ戻って来られるのかなぁ」

 

 アインズが直々に外の世界へ情報収集に出る話は、アルベドを通じてナザリック全体へ通達済みだ。流石に人間社会に潜伏するという細かい内容までは公表していないが、ルプスレギナが同行することは伝達されている。話を聞いた者たちが守護者も含めて羨望の念を彼女に向けたのは言うまでもない。

 樹の根本にポスンと腰を下ろしたアウラのふとももに、横から頭を乗せるフェンリル。軽く毛並みに指を通すと満足そうに鼻を鳴らした。

 

 ふとぶくぶく茶釜は思う。基本的に階層守護者も含めナザリック内の者たちの役目は、侵入してきた敵の迎撃だ。戦闘力の無い一般メイドなどは各ギルメンの個室などに演出上配置しただけの、言ってしまえばインテリア的な発想である。しかし転移して以降、あちこちで主に清掃に従事している一般メイドの姿をよく見掛ける。まとめ役としてペスというメイド長を配置していたはずだが、そちらは姿を見ていない。特に個室などは無かったような気がするが。

 清掃をするというのはメイドとして作られた者たちとして自然な行動に思える。だがこちらが指示を出していないのに()()なっているのなら、当たり前だがその他の者たちも独立してそれぞれの行動をしているということだ。だとしたら、このあいだ一緒にカルネ村から戻って来てからアウラはずっとここにいたのだろうか。確かに弟のマーレや、フェンやクアドラシル、他のペットたちもいるから寂しくはないかも知れない。しかしこれは、なんと閉じた世界であることか。自分たち至高の四十一人、そしてユグドラシルのプレイヤーたちが世界に求めた冒険、未知の発見とはまるで対極の環境だ。

 かつては自分の願望を具現させた存在だったが、彼女たちはそれぞれ一つの個だ。この前マーレ共々抱き付かれたときにそれを痛感した。そういう意味では、彼女たちは自分が作り出したNPCとは決定的に異なった存在と言える。他のNPCたちもそうなのだろう。それでもなお好意を向け慕ってくれることに嬉しさと同時に申し訳無さを感じる。もっと広い世界を知って欲しい。ルプスレギナを連れて出ているアインズがその先頭を切っているが、誰かに与えられた新しさではない、自らの手で世界を切り拓く光明を感じて欲しいのだ。その思いを自覚したと同時に、ぶくぶく茶釜は衝動的にアウラに提案をしていた。

 

「アウラ、ちょっとナザリックの外に冒険に行かない?」

 

 いきなり吹っ掛けられた話に、アウラは表情を変えずにゆっくりとぶくぶく茶釜の方を見た。大きく開いたオッドアイは爛々と輝き、口を開かなくともその答えを雄弁に語っている。

 

「いっ、いいんですか! ぜひ!」

「よし、じゃあ決まり。あー、フェンはこないだ一緒に出たから、クアドラシルに乗せていってもらってもいいかな?」

 

 アウラに釣られてぶくぶく茶釜の話を一緒に聞いていたフェンは、少し名残惜しそうな声を漏らしてアウラの頬に鼻先を軽く擦ると奥の寝床に立ち去っていった。入れ替わりでクアドラシルが透明化を解除して姿を現す。キョロキョロと左右が独立して動く目からはその心境はうまく汲み取れないが、長い舌でアウラにじゃれているのを見るに同行の指名を受けたことを喜んでいるようだ。

 

「あら、フェンリル拗ねちゃった?」

「あはは……不貞寝に行っちゃいましたね。フェンー、帰ってきたら構ってあげるからねー」

 

 マーレは寝ているし、今回はアインズには内緒にするため、アウラとクアドラシルだけを連れて行くことにした。

 

 

 

 一時間の休憩、その予定時間を十五分過ぎても玉座の間にぶくぶく茶釜の姿は現れなかった。すでに30分前からアルベドは待機しており、流石に少し気を揉んでいるところだった。もしかして、報告した内容に問題があったのだろうか、あるいは自分の態度に失礼があったか。本音を言えば八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を全力で投入してその所在を確認したいところだが、監視の目を付けるような行為は不敬にあたる。再びこの地に帰還された至高の御方、その御心を信じて大人しく待つのが仕える者としてあるべき姿だ。

 

 コツコツ、とノックされた音に応じて、入り口側にいたメイドが扉を開ける。何故ノック。ナザリックの頂点たる至高の御方がそのようなことをする必要は無い。

 案の定、扉の奥に見えたのは一般メイドの一人だった。

 

「アルベド様、インクリメントがぶくぶく茶釜様からメモをお預かりしているそうです。アルベド様にお渡しするようにと」

「メモ……そう、ありがとう。拝見するわ」

 

 同性から見ても魅力的な微笑みを浮かべながら、アルベドはメイドから一枚の紙を受け取った。視線を落とした瞬間、インクリメントは全身が総毛立つ恐怖を感じる。ちょうど手に持ったメモでアルベドの顔が隠れていたのは不幸中の幸いだったが、その全身からはえも言われぬ威圧感(プレッシャー)が溢れ出し、至高の御方からの言伝が書かれたメモは強く握られた所から全体に皺がより、その手は強烈な感情の発露と言わんばかりにブルブルと震え、噴火前の火山を連想させた。すかさずその場を辞することができたのは我ながら奇跡だったと思う。その日玉座の間担当だった同僚は逃げることもできないため涙目でこちらに無言の助けを求めていたが、内心で謝りながら逃げることしかできなかった自分を責められる者はいないだろう。

 

「……今度食堂の席でも確保しといてやろうかしら」

 

 心境としてはもうほとんど死者にお供え物でもするくらいの気持ちだったが、無事生還したら少し優しくしてやろうと思った。それにしても何が書いてあったのかは見ていないが、あの温厚な守護者統括をしてあそこまで感情を露わにさせるとは、流石は至高の御方と言うべきか。室内で今も恐怖に震えているであろう同僚には悪いが、またいい話のネタができた。

 ちなみにこのとき、後日自分に降りかかる災難に思い至らなかったのもまた誰も責められる話ではなかった。

 

 

 

 

 

 

「ぶくぶく茶釜様、そういえばアルベドに渡したメモには何を書いていたんですか?」

「んー? ああ、心配しないようにってね」

 

 

 

『ハァーイ、ぶくぶく茶釜だょ! ちょっとアウラと旅に出掛けてきまーす☆留守は任せます P.S アインズさんにはナイショにしといてね! 乙女のオ・ネ・ガ・イ♡』

 

 

 

 正直ちょっと帰ってからが怖いような気もするが、まあ一人じゃないことが伝わっているなら問題無いだろう。多分。まず向かうのは、北に広がる森林地帯だ。懐から取り出した羊皮紙を乗っているクアドラシルの背中に広げる。一応お忍びの外出なので、なるべく人間との遭遇は避けるべきだ。カルネ村から帰ってきたときと同じ位置に座っているアウラが顔を上に向ける。

 

「ぶくぶく茶釜様、これは?」

「ふふー、こないだカルネ村でもらってきた地図を、司書長にコピーしてもらったの。これでこの辺の地理が分かるって寸法よ」

 

 アインズに無断で持ち出したことは言わなかったし言う必要も無い。しかし地方の農村で手に入れた地図が果たしてどの程度信用できるだろうか。今回の外出のついでに部分的ではあるが検証ができれば多少の収穫にはなるかも知れない。

 

 森の中を疾走する。元々隠蔽率の高いモンスターであるクアドラシルであるが、それに加えて気配遮断の能力を使えばその存在を認識できる相手はさらに減る。そのお蔭で実に快適だった。やがて森が切れ、目の前には瓢箪型の大きな湖が現れる。水質は澄んでおり、水底には泥が沈殿している。一旦休憩のため、湖畔に腰を下ろした。クアドラシルには出発の時間を伝えると透明になって森の中へ消えていった。彼も食事にするらしい。

 

「アウラ、さっき頼んでたやつ持ってきた?」

「はい、こちらに」

 

 風呂敷に包んで背負った四角い箱を地面に下ろす。蓋を取ると、中にはカツにサラダにタマゴにBLTと、様々な具を挟んだボリュームのあるサンドイッチが入っていた。横にはしっかりドリンクボトルが二本セットになっている。メモをぶくぶく茶釜がメイドに渡しに行っているあいだに、食堂の副料理長に頼んで作ってもらったのだ。大した時間は無かったはずなのに、実にいい仕事をする。

 

「じゃあ、いただきます」

「いただきまーす」

 

 アウラは手を合わせ、ぶくぶく茶釜は手の代わりに触手を合わせる。味の方はと言うと、控えめに言ってもかなり美味しかった。結構な量があったと思うが、見る見るうちに弁当箱は隙間の方が多くなり、一切れも残さずペロリと平らげてしまった。

 食後の穏やかな空気、そろりと吹いた風が湖面を撫でてアウラの麦穂のような金色の髪を揺らす。今日は天気が良く、昼下がりの陽射しが湖に反射してキラキラしている。現在地の確認のために再び地図を広げる。湖を跨いだ先には山脈があり、目視出来る光景と地図の記載に齟齬は見られなかった。この地図を見た限りでは、他に大きな水源は無いようだが、そうするとここを中心に森の生物分布が広がっている可能性が高いか。

 

「アウラ、ここから見える範囲で構わないんだけど、湖の周りに何かの種族が住んでたり、それっぽい痕跡があるか探してみてくれない?」

「分かりました。んーと……」

 

 両手で望遠鏡のポーズを取ってぐるりと周囲を見渡す。それがある向きでピタリと止まった。

 

「ありました。何の種族かは分かりませんけど、ちょうどこの対岸あたりと、左手の方に集落が」

「ふむ、集落の雰囲気と言うか造りは同じ?」

「いえ、全然似てないですね。多分違う種族のものじゃないでしょうか」

 

 なるべく周辺の情報は集めたいが、あくまで事のついでなのだからわざわざ手間を掛けるつもりは無い。ということで対岸あたりの位置にあるという集落はひとまずスルーだ。食事を終えて戻ってきたクアドラシルと合流し、西側から回り込む形で森の中を進む。謎の集落の観察をしてみるつもりだったので、クアドラシルには不可視化を使用させ、より発見されるリスクを低下させる。

 

 近くに来ると、その集落は五つ程の地域に分かれて点在していることが分かった。種族は蜥蜴人(リザードマン)だ。意思疎通の可否は接触しなければ分からないが、家屋のシンプルな造りを見た感じでは文化レベルは大して高くない。畑なども見当たらなかったので、農業も発達していないかそもそもそれに該当する文化が無いという事か。遠目に見て分かるのはせいぜいそこくらいまでだが、取り敢えずは充分だ。気取られる前に離れるとしよう。

 

 地図によればこの先は山脈に沿う形で森林地帯が広がっている。そのまま進んではナザリックから離れすぎてしまうので、来掛けとはルートを変えて、森の中をもう少し探索してみることにした。

 

 湖に抜けた辺りと違って、この周辺は全く道らしい道というものが無い。未だ陽は高い時間だが、鬱蒼と茂った森の中は薄暗く、地下洞にも似た冷ややかさがあった。多少の環境変化はアウラにもぶくぶく茶釜にも問題にはならない。事実、機嫌良さそうに鎮座しているアウラに変わった様子は無い。ちなみに、足場の悪い森の中を進むので触手の一本をシートベルト代わりにお腹に巻き付けている。ただ、クアドラシルがうまく衝撃を殺してくれているお蔭でそんなものは要らなかった。乗り心地も実に快適だった。

 

「────止まって」

 

 主人の命令を受けて、ピタリと音も無く停止する。相変わらず両の目が危険を探すように忙しく動き回っているが、周囲に何かの存在は認められない。

 

「アウラ、何かあった?」

「はい、この先に反響する──多分洞窟かな、の中に何かがいます。さっきからそいつの縄張りに入り込んでたみたいなんですけど……」

 

 縄張り。野生動物にはよくあることで珍しくもない。だが、アウラがわざわざ足を止めさせるからには猪やらの類いではないのだろう。迂回してもいいが、接触を意図的に避けているのは人間だけだ。正体を大っぴらにしなければ大丈夫だろう。折角外に出たのに現地の生き物との触れ合いが無いのは味気無い。アウラが言うには取るに足らない雑魚らしいので、からかいがてらに見に行こうということになった。

 

 程無く見付けた洞窟の中を、アウラの先導で奥へ進む。森の木陰の比ではない冷ややかに湿った空気が充満していた。クアドラシルは洞窟の外で待機させている。

 

 アウラの足取りに迷いが無いのは、感知能力でこの縄張りの主とやらを認識しているからだろう。レンジャーのクラスは伊達ではない。

 モンスターの一体や二体と遭遇してもおかしくないはずだが、全くそれが無いのはこの洞窟に巣食う者の支配力の現れか。同時に、そんじょそこらの相手には易々と負けはしないと主張している様にも感じられた。

 少し天井の高い、ホールのような場所に出る。奥にはまだ続いているようだが、目的地はここだ。足を止めたアウラが両の腕を腰に添え、実に不満そうに何も無い空間に話し掛けた。

 

「さっきからずーっと鬱陶しい気配出して、何のつもりよ」

 

 洞窟内に反響する声に反応は無い。だがアウラは何らかの確信を持って、空間を見据えている。しばらくするとその一点に水滴を垂らしたがごとき透明の波紋が広がり、滲み出すようにして一体のモンスターが姿を現した。たっぷり蓄えられた顎髭とボリュームのある縮れた頭髪を持つ老人の上半身。下半身は蛇の姿をしている。ナーガだ。するすると器用に長い下半身を伸ばして大上段からこちらを見下ろしている。自分を大きく見せようとするのは生き物として実に本能的な行動だ。

 

「何のつもりとはこっちのセリフじゃ。ずかずかと他人(ひと)の縄張りに入り込んで来おって」

 

 いたずらに境界線の周りをうろついたり、相手の領域に踏み入ることはトラブルにしかならないのはモンスターたちの世界も人間の世界も変わりはしない。まあ何のつもりと言われても適当に森を進んでいたら侵入してしまっていただけなので特に理由などは無いのだが。

 

「それにしてもわしの透明化を見破るとは……ほ、そこな小僧は闇妖精(ダークエルフ)か? かつてこの森を支配した種族をこの地で見ることになろうとはな。はぐれか」

 

 気まぐれで侵入したぶくぶく茶釜一行からすれば、このナーガ自体は正直どうでもいい存在だった。ちょっとからかって引き揚げようと思っていたのだが、思い掛けない情報が飛び出してきた。このナーガの口振りでは過去この地に闇妖精(ダークエルフ)がいた、現在はいない、と聞こえる。遥か昔のことなのか、何らかの理由があって立ち去るを得なかったのか。このナーガからはできる限り情報を引き出すべきだ。

 

「えっとぉ、ごめんなさぁい☆ ご迷惑を掛けるつもりじゃなかったんですぅ。それでぇ、ちょっとその闇妖精(ダークエルフ)のお話聞きたいなぁって。お願ぁい」

「なんじゃいきなり妙な声音を出しおって」

 

(ちっ、おじいちゃんを必ず落とすキャピキャピ女子高生風+孫テイストのハイブリッド演技だったのに、ハズしたか)

 

 隣にいるアウラが今にも襲い掛かりそうな1歩を踏み出すが、触手のジェスチャーでそれを制する。搦め手が通用しないならやはりシンプルに正面から行くべきか。あまり長引かせても外のクアドラシルに悪い。

 

「私はぶくぶく茶釜と言います。この子はアウラ・ベラ・フィオーラ。えーっと、あなたのことはなんと呼んだらいいですか?」

「リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンじゃ。暢気に自己紹介してくれるのはいいが、おぬしら叩っ殺されても文句は言えん状況ということを理解しておるのか?」

 

 これが逆の立場だとしたらどうだろう。ナザリック地下大墳墓にどこの誰ともしれない奴が深層に──まあ配置されているPOPモンスターやら罠の洗礼を受けることになるのだが、それらは考慮しないとしてだ。控えめに言っても各階層守護者たちの意見は即時抹殺、あるいは捕縛しての黒棺(ブラック・カプセル)もしくは氷結牢獄送りで満場一致だろう。他人(ひと)のことを言えないとはこのことだ。

 眼前のナーガからは特に脅威は感じない。相手のステータスを測る能力を持ったアウラも警告を発したりしないということもそれを証明している。ただでさえ防御特化のぶくぶく茶釜は、逃げに徹するならワールド・エネミー級の相手に不意打ちでもされない限りそうそう瞬殺されることは無い。さっきから威嚇音を出したり殺気を出したりしているのかも知れないが、正直蟷螂の斧にしか感じられない。とはいうものの、変にトラブルを起こすと後でバレたときにアインズに何を言われるか分かったものではないので、一応平和的に情報を引き出すことにした。

 

「まあまあ、別に縄張りを荒そうって訳じゃないの。ちょっとその闇妖精(ダークエルフ)の話をも少し詳しく教えてくれないかな?」

「……断る、と言ったら? その話をしてわしに何の得がある」

 

 正論だ。思ったよりこのナーガ、頭はそこそこ回る。会話が成立するのはありがたいが、場合によっては却って面倒臭いものだなぁとしみじみ思った。

 

「あー、もー! ぶくぶく茶釜様、ガマンするにも限度ってものがありますよ。この身の程知らずに思い知らせてやっていいですか? 面倒臭いし!」

 

 流石は自分の作った存在。感性が似ている。話し合いでの遣り取りにも飽きてきたぶくぶく茶釜は触手で器用にGOサインを出した。即座に飛び掛かる小さな背中に殺さないように念押しをする。

 

「む、ぐあっ!」

 

 ロクに反応できなかったリュラリュースは首を掴まれた勢いのまま、壁に叩き付けられる。即座に下半身をアウラに巻き付け、団子状に締め付ける。大蛇などの締め付けは大の大人が骨折する程強力だと言う。であればそれよりよっぽど強いと思われるナーガの場合の威力はいかばかりか。全身の骨が砕け、肉がひしゃげてミンチになってもおかしくないのではないか。

 相手が普通の人間だったならば、だが。

 

「このまま締め上げぇえええぐっ、あがっ」

 

 ボール状になっていた下半身が解け、力無く地に落ちた。奥に見えたリュラリュースの表情は苦悶に歪んでおり、圧迫された気道は十分な呼吸を許されていない。ものの三十秒で圧倒的な実力差を思い知らされたナーガは、いとも容易く白旗を掲げることになった。

 闇妖精(ダークエルフ)の話をすれば命も縄張りも奪わず、立ち去ることを約束した。力で容易く自分を蹂躙できる存在が本当にどこかへ行ってくれるのか少し疑いの目を向けていたリュラリュースだったが、弱者に選択権は無い。それが彼自身の考え方でもあったため、観念したように話し始めた。

 

 

 

 外で待っていたクアドラシルと合流する。ルートに変更は無く、森の中を再び進んだ。リュラリュースから聞いた話では、元々この森の支配は闇妖精(ダークエルフ)が握っていたが、数百年前に現れた魔樹に敵わず南へ敗走し、そのまま現時点に至るまで戻ることは無かったと言う。全滅してしまったのか、逃げた先で定住したのかは分からない。その後魔樹は何者かの手によって封印されたので、現在の森の支配勢力は西のリュラリュース、東の妖巨人(トロール)グ、南の魔獣。概ね三つの勢力が鎬を削っている。瓢箪型の湖周辺にはさっき目にした蜥蜴人(リザードマン)などの集落があるため不干渉地帯になっているらしい。いや、じゃあ3勢力じゃないじゃんと突っ込みたいところだったが、縄張りの拡大に興味が無い者を除外していると考えれば納得できなくはない。

 

 木々が日光を遮っているのを加味しても、森はそろそろ夜の顔を見せ始めた。眠りにつく者たちと、活動を活発にする者が入れ替わる。どうやら今日の内に我が家へ帰るのは無理そうだ。

 ちょうどおあつらえ向きに、森が切れて広場状になっている場所へ出た。無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から小さなカプセルを取り出し、開けた場所へ投げると瞬く間に簡易コテージが完成した。中に入って行ったアウラはその広さに驚きの声を上げながらはしゃいでいる。女の子の外泊というのはよろしくないが、保護者同伴と思えば問題無いだろう。ちなみにこのグリーンシークレットハウスは魔法効果が掛かっているので、入る者のサイズに合わせて入り口が可変する。クアドラシルも難なく入ることができた。コテージ内も魔法的な拡張空間になっており、外から見える数倍の広さを有している。本来は近場に回復ポイントが無いダンジョンに潜るときなどのために数個から数十個携帯して使う物なのだが、ソロプレイヤーでもない限り消費アイテムや対策換装用の装備などを持って補助は専門職に任せた方がよっぽど効率的なので、アイテムとしての価値は実用的な面から言っても低い。

 それでアウラがこれだけ楽しんでくれるなら値打ちものだ。

 

 見慣れないコテージ内を右へ左へ探検していたアウラが、入り口近くまで戻ってくる。その表情は真剣なものだった。

 

「ぶくぶく茶釜様、外に何かいます。それも近付いてきたとかじゃなくて、いきなり現れました」

「なんだろ、現地の生物かな」

「もしハイドしてたのならあたしが感知できない高レベルの可能性が……調べさせましょうか」

 

 隠密能力を最大限に発動させたクアドラシルがのそのそと外へ出る。と言ってもその姿は目視も感知もできないので、入り口が広がったことで認識するしかない。一分程で再び入り口が広がり、不可視化を解除したクアドラシルがその姿を見せる。駆け寄ったアウラが軽く頭を撫でると、長い舌で頬を舐め返してきた、本当によく懐いている。クアドラシルは言葉を発せないが、主人であるアウラとの意思疎通ができるので問題は無い。

 

「ドライアードが一体いるみたいです。特に敵意は無いみたいですけど」

「ドライアード……戦闘能力はほぼないはずだし、少し話を聞いてみようか」

 

 表に出て声を掛けると、やや警戒がちではあるが対話に成功した。ピニスン・ポール・ペルリアと名乗ったドライアードによればこの辺りに世界を滅ぼす魔樹ザイトルクワエが封印されており、近々その封印が解けそうな気配なのだと言う。かつて封印を成した七人のリーダーが、魔樹が目覚めたときには必ずここを訪れて魔樹を斃すと約束をして立ち去ったため、その者たちが来てくれたのかと様子を窺っていたらしい。

 

「つっても、封印されたまま動くわけじゃないんだし、別に案内はいらないんじゃない?」

「キミ、一体どういう種族なんだ……いや、前に彼らが来たときとは周りの地形も植物も全然変わってしまっているからね。いまと違って森じゃない平地も結構あったしね。精霊に属するボクは本体の木を中心にある程度の範囲なら自由に出たり消えたりできるから迷うことも無く辿りつけるのさ」

 

 地形が自然に変化し、更地がここまで鬱蒼とした森になるにはどれだけの年数が経過しているのだろうか。少なく見積もっても百年はかかる気がする。純粋な人間種なら高確率で死んでいるだろうし、生きていてもよぼよぼの老人だ。寿命の長い異種族なら分からないが、どちらにせよ昔日の姿のまま全員が現れるとは思えなかった。本質的にはピニスンも植物なのだから、精霊としての自我があっても時間の概念に対する認識は自分たちと大きく乖離しているように感じた。

 

「アウラ、どう思う? そのザイトルクワエとかいうやつ」

「あたしたちが苦戦する相手なんかいないと思います。起こしてあたしとぶくぶく茶釜様とクアドラシルで片付けてアインズ様へのお土産にしましょうか?」

「な、ななな何を言ってるんだ! ボクの話を聞いてなかったの? 目覚めると世界が滅ぶんだよ!」

 

 世界と言えば真っ先に連想するのはワールド・エネミー。上位ギルドでも十人以上で挑むのが基本のユグドラシルにおける最高クラスのボスモンスター。手数と相性によっては雑魚同然のものもいたのでその強さはピンキリだが、何でもあり上等のユグドラシルにおいて数少ない一部の特殊絶対耐性が付与されている存在だ。仮にザイトルクワエがワールド・エネミーだとしたら、百年以上にも及ぶ封印なんかが利くものだろうか。それよりも、封印されてしまう程度のいいとこレイドボス級の存在だと考えた方がしっくり来る。そしてレイドボスだとしたら自分たちどころか守護者単独で戦闘させてもほぼワンサイドゲームで終わるであろう弱さのはずだ。攻撃特化のコキュートスとかなら一撃で秒殺してしまうのではないだろうか。

 

「まあ封印が解けるってもいますぐって話じゃないんでしょ?」

「そ・う・だ・よ! だから、お願いだから余計な刺激を与えないでよ!」

 

 聞く耳持たずという感じだったので、封印の魔樹には刺激を与えないことを約束し、この場で夜を明かすのは許可してもらった。ピニスンは本体が自由に移動出来ない以上、ここで見守るしかないと嘆き半分に言っていたが、ままならないものだ。

 

 翌日も天気には恵まれた。精霊は眠ることが無いらしく、呼ぶとピニスンが姿を現した。昨日の会話でこちらに対する警戒心は薄らいでいる。魔樹について教えてくれたことと、一夜の滞在を許してくれたことに礼を言い、森を後にする。もし封印の七人を見付けたらここへ連れてきて欲しいと頼まれたが、それはどちらかと言うと人間社会に潜入しているアインズの仕事だ。今度会ったときにその話を伝えておいても良いかも知れない。

 

 

 

 二日ぶりにナザリック地下大墳墓への帰還を果たしたアウラとぶくぶく茶釜。第六階層居住区に戻ってくると木陰から出てきたフェンリルが甘えてくる。拗ねていたのはなんだったのかという感じだが、やっぱり寂しかったのだろう。クアドラシルは気を利かせたのかまたも透明化してどこかへ消えた。見かけによらず空気の読めるヤツなのだろうか。顔を舐め回されているアウラが軽く手で押し返して、誰かと会話をしている。《メッセージ/伝言》を送った相手はすぐに知れることとなった。

 

「ぶくぶく茶釜様、すみません。アインズ様に呼ばれたのでフェンと一緒にまたトブの大森林に行ってきます。日が暮れるまでには帰ってきますね。フェン、お願い」

 

 いまのいままで連れ回していた自分が引き止める理由は無い。見送りはいらないと言うことだったのでその場で別れて自分は第十階層へ向かう。昨日今日仕入れた話を整理しておけば、頭にも入って一石二鳥だ。

 玉座の間は二日前に出掛けたときと同じ、塵一つ無く清掃が完璧に行き届いており、神聖さを感じさせる荘厳な空間だった。扉の横に控えているメイドは別の者に代わっているが、心なしか血の気が薄く、梅干しでも含んでいるかのように口元を引き攣らせるように歪な表情を作っていた。日々ローテーションしているとは言え、緊張する環境で立ちっぱなしというのはやはり肉体的にも精神的にも辛いだろう。福利厚生も目を向ける必要がありそうだ。

 最奥の椅子に乗り、情報を整理する。周辺の調査としては中々の成果だった。が、何かを忘れているような気がしてならない。アウラに渡すアイテムが何かあっただろうか。

 

 ぶくぶく茶釜から見て右手、柱の陰からスゥッと幽鬼のように現れた影があった。地獄の底で冷やしたかのごとき声がぶくぶく茶釜に掛けられる。

 

「ぶくぶく茶釜様、お帰りなさいませ」

「ああ、アルベド。ただい、ま……ぁ、ああ!」

 

 忘れてた。全身から冷や汗が吹き出す。声は完全に冷え切っているのにいつもと変わらない美しい笑顔が恐ろしい。

 

「気分転換はたっぷり、されたようですので、大変僭越ながら、守護者統括としてのお話をさせていただきますわ。よろしいですね」

「えーっと、その」

「よ・ろ・し・い・で・す・ね!!」

「ハイ」

 

 そのあと終わりの見えないアルベドの説教が二時間以上続いたのだが、アルベドの全身から滲み出す怒りのオーラに入り口近くで晒されながら気絶寸前のインクリメントは2日前同僚に少し優しくしてやろうと思っていたのをやっぱりやめることを決めた。どう考えてもあの子よりもいまの自分の方がひどいとばっちりを受けているからだ。

 ちなみにこの説教は、ヒートアップしたアルベドが一際の怒りを露わにしたときに限界を迎えたインクリメントが倒れたことでやっと終わった。




 ドラマCDのピニスン好き過ぎて書きながらずっとループ再生してます。

8/8
誤字訂正システムで指摘された部分を適用しました。
感想でご指摘受けた魔力回復アイテムについての描写を訂正しました。
ご指摘ありがとうございます。

11/22 誤字指摘を一部適用しました。
2018/11/3 行間を調整しました。

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