「リアスちゃん、俺の所に来るつもりない?」
「突然なんですか。何を仰ってるのかわかりませんよ、アジュカ様」
何かと最近、訪問してくるアジュカ様からの突然のカミングアウトに私、困っちゃいます。
いや、本当に何を言い出してるのかな? この魔王様。俺の所に来るか、って、それはどういう意味なの? 私、4歳だよ? お子様だよ?
「えーと、お戯れですか?」
「いやいや、本気さ」
「どういう意味で本気なんでしょうか」
「俺は君を観察したい。そして手元に置いておきたい。だから俺の下に来るつもりはないか? って聞いてるんだよ」
「はぁ……なんでまた」
「わからない?」
「わかりませんよ。私、お子様ですから」
「“そうであれ”と願われたからだろ? 君の本音はもっと餓えてるものだ。もっと激しいものだ。そうだろう? お淑やかに見せても瞳は嘘をつけてない」
ぴく、と眉を上げてしまった。確かに私は子供であるという事を受け入れてるからこそ、子供として振る舞っているのは事実だ。本心とは言えない。
自分に利があるから、と納得させた上での擬似的なものだ。家族の事を愛してるのは本心だけど、ね。ただ子供らしいか、と言われればそうじゃない。そうはあれない。
ただ私の目的は現状の打破だ。弱い自分を変えたい、本来は“リアス・グレモリー”の持ち得ていた筈の消滅の魔力に代わる力が欲しい。いつか来たる未来に、これからの生きていく道を自らで切り開いていけるように。
その為に子供としての振る舞いを求められるなら、そうしようと決めた。不要な心配が私を縛り付けるのなら、自ら縛られたくない。それが私の妥協点。けど、本当は、私は……。
「サーゼクス達の気持ちはわかるさ。グレモリーは情愛の家系だ。子供に子供らしくあれと家族としては願うだろうさ。けど、俺は違うよ」
「……違う、とは?」
「リアスちゃんは普通の子供じゃないだろ? だったら普通扱いなんてしないさ。俺はリアスちゃんに求めるものがあるし、もしその代価として求める物があるなら見合ったものを返してやる。悪魔流に言うなら契約さ、これも一種のな」
……それは、余りにも魅力的だった。思わず喉が鳴る程に。だけど、同時に疑り深くアジュカ様を見てしまう。
「……本当に何を考えているんですか? アジュカ様は。からかってるなら流石に怒りますよ」
「何故、からかわれてると思ってるのかな?」
「私がアジュカ様に求められる程の物を持っているとは到底思えないからです。私は魔力もない、ただの子供ですよ? 何の価値があるって言うんですか」
「あぁ、成る程。うぅん、困ったなぁ。そう来るよな。困った」
私の反応にアジュカ様は眉を寄せて困ったような顔を見せながら笑う。私はそんなアジュカ様を怪訝そうな目で見ていると、少し悩むように顎に手を添えながらアジュカ様は言葉を続ける。
「うーん、君は君の価値を知らないだけだ、なんて言っても信じてくれなさそうだなぁ」
「……私の、価値?」
「だけど本心だよ。君は自分の価値を知らない。仕方ない事さ。君は愛されている、愛されてしまっている。幸運な事だ。だが幸運だからといって君が幸せかと言われれば、さて、どうかな? 籠の中の鳥は幸せだと思うかい?」
「私が籠に飼われた鳥とでも言いたいんですか。確かにおおっぴらに外に出られない無能者ではありますがね」
「あらら、臍を曲げちゃったか」
肩を竦めながらアジュカ様は吐息する。……勧誘って、本気で? だとしたら、本当に、本当に私に何かの価値があって、その代価を貰えると言うなら。力を得られると言うのなら、私は……私は……。
「リアスちゃん」
「……なんですか」
「わかりやすい形が、君の納得できる形が欲しいなら俺は君に与えても良いと思ってるよ」
「……納得できる形?」
「君が気に入った、だから俺の婚約者候補として手元に置いておきたいとか、理由なら幾らでも立てられるさ」
「その言い方だと、別に本気で私を婚約者にしたい訳じゃないですよね」
「気に入ってるのは事実だけどね。けどそうなるか、と言われればリアスちゃん次第かな。君は代価を払えば相応に返してくれるだろう。けど、返してくれるだけだ。そこにあるのは張りぼてのような偽りの君だろ? 今の君みたいにさ」
「今の私が偽りだとでも?」
「偽りだろう? 君はお淑やかに振る舞ってる。けどそれは君の本質じゃない。子供であれと望まれたから子供っぽく振る舞ってるだけで、君は既に確立された1つの個であり、我だ。そうだろう?」
アジュカ様が笑うと普段の妖しさが更に膨れあがるような気がする。この人には何故か目を奪われてしまう。ただ美しいからじゃない。何よりも気になるのはその目なんだろうと私は思う。
偽りの自分、その言葉に心臓が早鐘を打つように鼓動を早める。だって、それは、私は本当は“リアス・グレモリー”じゃないと言われているような気がして。その言葉が痛いようにも感じるなのに、どこか安堵を覚えている自分がいる。
「……本当の私って何ですか」
「さぁ? それは自分にしかわからないんじゃないかな」
「勝手ですね、アジュカ様は。酷い方です」
「けど、君はそれを求めてたんじゃないか?」
……本当に、この人は。取り繕っていた自分が剥がれていくような、そんな錯覚を覚える。あぁ、言葉が止まりそうにない。
「……私は、本来生まれてくるべきじゃなかったんです」
「サーゼクスが嘆いてたね。子供が生まれてくるべきじゃなかったなんて言うなんて嘆かわしいって」
「私が私じゃなかったら、もっと良い子が生まれてた筈なんです」
「ジオティクス様も、ヴェネラナ様も悔いてたね。どうして我が子に魔力を与えて生んでやれなかったのか、って」
「私は、……私がここにいて良いって思いたいんです」
「自分を追い詰めなくても良いのに、ってグレイフィアは悲しんでたよ」
「私は、私のまま、ここにいて良いだけの力が欲しい。自分を守れるだけの力が。私を愛してくれる人達に報いる事が出来る力が」
「力が欲しいかい?」
「……欲しい」
「与えてあげようか」
「対価は?」
「俺の興味を満たし続けてくれるなら、それが対価で構わない。らしくあれよ、リアス・グレモリー。今の君の方が俺は好みだよ」
……あぁ、卑怯だ。この人は、卑怯だ。
そんな口説き文句、本当に、卑怯だ。
* * *
「や、グレイフィア。そろそろお暇するよ」
「……リアス様はどうでしたか?」
「オフで話してくれよ。別に誰も咎めやしないさ」
帰り支度を整え、グレモリー邸を後にしようとしているアジュカを見送りに来たグレイフィアは1つ溜息を吐いた。
「リーアは、どうでした?」
「そうだな。別にグレイフィア達が悪いって訳じゃないが。リアスは……なんだ。あれは確かに引き締めておかなきゃどこに向かうかわからない。あの子は多分、俺達が見えていない視点で動いてるよ。だから情という鎖を繋いで置くのは正しいさ」
「それだけでは足りない、と?」
「グレモリー家としては良いさ。ただ、いても良いだろう? グレモリー家が家族として、幼子としてリアスを受け入れるなら、それとは別にリアスという個のありのままを受け止めてやる居場所ってのもな。あの子は籠の中の鳥にするのは惜しいぞ」
アジュカの言葉にグレイフィアは眉を寄せて、首を左右に振る。
「私達は何もリーアを飼い殺しにしたい訳じゃないわ」
「リアスもわかってるさ。俺もな。ただ、結果だけ見れば現状は飼い殺しと変わらないんだよ。だからはっきり分けてやれば良い。グレモリー家は帰るべき家であり、愛すべき家族がいる場所。そこがリアスの世界全てである必要はないだろ?」
「だから貴方が引き取ると言いたいの、アジュカ」
「あぁ、そうだよ」
「それは、リーアの幸せに繋がるのかしら……」
「俺がリアスを幸せにする訳じゃない。ただ、リアスが幸せになりたいと思うなら、それを求めるならお前達グレモリーの皆だろうさ。俺はあくまで話し相手、契約を結ぶ相手という関係さ。近すぎる愛には誰も気付かないさ、比較がなきゃな。俺はお前等ほど優しくないからな」
グレイフィアにどこか悪戯めいた笑みを浮かべるアジュカ。そんなアジュカにグレイフィアは俯いていた顔を上げて、微笑を浮かべた。
そのまま去っていったアジュカを見送って、グレイフィアは邸内へと戻る。すると窓を見上げて空を眺めているリアスの姿を見つけた。普段は何か本を読んだり、考え込んだりというリアスがただぼぅ、と立ち尽くしてる姿は珍しかった。
「リアス様?」
声をかけてみると、ゆっくりと振り返るリアス。どこか呆けたような様子だったリアスがグレイフィアを見ると気を取り戻すかのように咳払いをする。
「お仕事お疲れ様、グレイフィア」
「はい」
「アジュカ様を見送ってたの?」
「えぇ。先程、お帰りになられましたよ」
「そう……」
そう言ってリアスは再び窓の外へと視線を向ける。何気なしにグレイフィアも窓の外へと視線を向ける。互いに無言のまま、静かに時間が過ぎる。
「……アジュカ様は、私を籠の中の鳥だって言ってた」
「そうですか」
「私も、どこかで思ってたのかもしれない。ここは暖かくて、優しくて、護りたくて、大事だけど、でも私は何もしなくて良いんだって言われてるみたいで。何か形にしたくても、そんな事をしなくても良いって言われたみたいで……気付かなかったけど、辛かったのかもしれない」
「……辛かったですか? 私達の愛情は」
「うぅん。辛かったのは、貰った愛を素直に受け取れない、貰っても愛を返せない私。私はただの子供でしかないのにね」
自嘲するようなリアスの呟きに、グレイフィアは思わず瞳を伏せて首を振った。
「それだけで十分だった。十分だったのですよ、リアス様」
「うん。私も、きっと幸せだよ。お兄様やグレイフィアがいて、お父様もお母様も私を愛してくれる。幸せなんだ。だから悪いのは受け止められない私だ。望むようにあれない私だ。私は、我が侭なんだ」
なりたい自分を既に持っている、とアジュカが言っていた事をグレイフィアは思い出す。
グレイフィア達はそれは早熟すぎると断じた。もっと子供のままでいていいのだと。甘えて欲しいんだと。
それが結果的にリアスという個を抑え付ける事にしかならないのであれば、果たして間違っていたのはどちらなんだろうか?
「誰もきっと悪くない。悪いとしたら私で、それでも私は私である事を止められない」
「……アジュカ様から勧誘のお話は?」
「聞いたよ、さっき。正直、心は揺れてる。きっとちょっと前の私だったら飛び出して行ったと思う。けど、それはダメだ。それはダメなんだ」
ねぇ、とグレイフィアへと振り返りながらリアスは告げる。
「私、ここでは子供でいたい。皆がそう望むのもあるけど、私もグレモリーの子でいたい。ここは私の帰る場所で、護らないといけない場所で、大事な場所なの。けど、私はだからこそ子供のままだけじゃいられない」
「……リーア」
「アジュカ様のお話、乗りたいと思うの。私は為したい事がある。為さなきゃいけない事がある。だから私はアジュカ様の所で、私でありたい。そしてここに帰ってきたい。私はグレモリーの子だから。それがね―――私の夢の1つなんだよ」
夢を叶えたいのだと、願い、祈り、望む。
夢を持ちたいと思ったのだ。いつか、いつか自分を誇れるようになったら家族として気兼ねなく甘えたいと。家族として在りたいのだと。その為には脳裏に映る“リアス・グレモリー”に負けない証を立てたいのだと。
ずっと、ずっと訴えてきた。けど、けど、現実は余りにも優しすぎて。頑張らなくて良いと、時間はあるんだって、子供でいて良いんだと言ってくれた事をリアスは嬉しく思う。嬉しくて、嬉しくて、その嬉しさに押しつぶされそうになっても。
「……本当に。本当に貴方は聞き分けのない子ね、リーア」
「うん」
「でも、貴方はここに帰ってきてくれる?」
「必ず」
「私達は家族よ。どこに行っても、離れても」
「わかってる。……いつでも帰ってくるよ。どんなに遠く離れた場所に行っても」
グレイフィアへと振り返り、リアスは微笑む。今までにない、満面の笑みを浮かべて。
「だって私は、リアス・グレモリーだもの。これからもずっと、貴方の妹で、グレモリーの子。いずれグレモリーにその名ありと刻まれる次期当主だもの!」
この数日後、リアス・グレモリーはアジュカ・ベルゼブブの下へ引き取られる事が決定する。週末には帰宅する、という約束は条件に出されるものの、リアスは外の世界へ飛び出す機会を得るのであった。
* * *
「……えぇ、私もそう思っていました。新生活が始まるんだと」
「新生活なのは間違いないだろう?」
「それが! まさか! 人間界で! 更に幼稚園に通う事になるだなんて思ってませんでした!!」
「俺だって仕事があるし。俺の拠点は基本、こっちなんでね。郷に行っては郷に従えって言うだろ?」
「うーっ! うーっ! 私への対価はどうなるんですか! 私は幼稚園児になる為に貴方の下に来た訳じゃないんですよ!!」
「だからそれは夜に見てやるって。ほらほら、行ってこい。リアスちゃん」
「うがぁああーーー! いつか、いつかぶっ飛ばす! このクサレ魔王! 鬼畜イケメン!!」
「ははは、ジオティクス様とヴェネラナ様、サーゼクスにグレイフィアもお前の写真を楽しみにしてるそうだからな! 休日には持って帰ってやれよー?」
「死に晒せぇえええ! うわぁああん! 子供扱いされないと思って来たのにあんまりだぁあああ!!」
本当に! この! くそ魔王! 絶対企んでたな! 最初は渋ってたお父様とお母様があっさりと掌を返したのは私が幼稚園に通う事を条件に出したな! その写真を自分で持ち帰って見せるとか、どんな羞恥プレイだ! 鬼畜だ、鬼畜の所行だ! 悪魔め!!
猛烈に恥ずかしい、人間の子供達に混ざって生活? お遊戯? 行事? あぁ、考えるだけで憂鬱だ。更にそれを見学しに来るお父様とお母様を想像すれば更に恐ろしい。更に私は言ってしまえば帰国子女。絶対に注目の的になる。あぁ、あぁ! なんて恐ろしい! なんて恐ろしい鬼畜なんだアジュカ・ベルゼブブ!!
「凄いリアスの中で俺の評価が下がっている気がするな」
「だだ下がりですよ! 少し貴方に恋したかも、なんて思ってた感動を返してください!!」
「それ、サーゼクスに言うなよ? 俺が消し飛ばされる」
「幼稚園児プレイを要求されたって告げ口してやるぅぅぅうう!! あぁもう! 行ってきまぁあああす!!」
いいからお兄様に吹っ飛ばされてしまえば良いんだ、こんな悪魔! 私は泣き叫びながら送迎バスが止まっている玄関へと駆け出した。もう逃げられないなら受け入れてやる! あぁ、もう、憂鬱だぁ!!
* * *
「……さて、行ったか」
先程まで泣き叫んでいたリアスを見送って、アジュカは吐息する。
アジュカが人間界でリアスを育てる、と提案したのは幾つか理由がある。それはリアスの特異性を隠蔽する為だ。表向き、リアスはグレモリー家から人間界へと出された、という事で振る舞う事にした。
これは冥界で過ごさせるよりリアスへ目が触れないようにする為だ。アジュカの拠点が確かに日本にある事は事実だったが、同時にここはグレモリーが管轄している地域に隣接している。行く行くはグレモリー家が出費などしている教育機関に通わせるのが無難だろう、と。
様々な話し合いの結果、落としどころとしてリアスの人間界での、更に言えば日本での生活が始まる事と相成った訳である。
「リアスの力を研究するのに、リアス本人に伝えるまではリアスの目を逸らす必要もあるからな。まぁ、そういう意味では幼稚園や学校というのは都合の良い理由付けにもなったな。実際、今の人間の教育には興味を抱いている連中もいるからな。将来的にはグレモリーが橋渡しとして、リアスを担ぐのも無しじゃない」
今後のリアスの為に、グレモリー側と相談に相談を重ねた事の顛末であった。
「いや、熱心に学芸会や参観日について語った甲斐があったというものだ。今の人間界、特に日本の教育機関はなかなか興味深いしな」
サーゼクスが子供の時には無かったものだ。だからこそ、グレモリー夫妻を納得させられたという節もある。事は全て、皆の納得を得た上で進んでいる。ただ一人、当人であるリアスの意志だけを無視して。
「後でここ周辺を管理してる悪魔にも声をかけておくか。えぇと、確か……」
アジュカは小首を傾げ、現在、この周辺を管理している悪魔の名前を思いだそうとする。数秒の間を開けて、アジュカの脳裏に一人の名前が浮かび上がる。
「そうだ、ベリアル家の者だったな。確か名前は……クレーリア・ベリアル」
運命は、胎動する。生まれ出でるその時を待ちわびながら。