深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.04

「朱乃達はいつ来るのかしら?」

「お昼過ぎの筈。一度、こっちに寄ってから、近況報告してから夕食は外食で、って考えてたにゃん」

「じゃあ、お昼は食べて来るのかしらね。私達も頂いちゃいましょうか。折角だし、久しぶりに黒歌のごはんを食べたいわ」

「畏まりましたにゃん、お嬢様。それではごゆるりとお待ちを」

 

 一転して恭しく頭を下げる黒歌がキッチンに向かっていくのを見届けて、切り替えは相変わらずお姉様仕込みのようで、と思う。こっちに残って貰っている以上、顔を合わせる機会や時間は減っているけれども一度仕込まれたものは変わらないみたいね。

 残ったのは私と白音、一誠とイリナだ。こうして眷属が揃う事はあれど、駒王町でというのは始めてだ。実家と違って、使用人達がいないのでのんびりくつろげるというのは久しぶりの感覚だ。家でのんびり出来ない訳じゃないけれど、感覚が違う。

 

「あぁ、久しぶりの日本だわ……もう少しでこっちに戻って来れるのよね。長かったわ」

「確かソーナさんとサイラオーグさんもこっちに来るんだっけ?」

「そうそう。ソーナは同じ学校に、サイラオーグは学校の用務員としてね」

「サイラオーグさんが用務員か……」

 

 一誠がぽつりと呟く。一誠とサイラオーグ、この二人は冥界に一誠が来た時に顔を合わせており、手合わせをした事もあったりする。いつか本気で戦ってみたい、とはどちらから聞いた言葉だったか。

 

「ドライグとの調子はどう?」

「あぁ、あれから訓練して前より強くなったと思うよ」

『久しぶりだな、リアス・グレモリー。息災にしていたか』

 

 聞こえた声と同時に一誠の手に“赤龍帝の籠手(ブーステッド・ギア)”が出現する。ドライグの声を聞いた私は笑みを浮かべる。

 悪魔に転生してすぐに一誠は遂に“赤龍帝の籠手”を発現する事が出来た。何でも私の血に加えて悪魔に転生した事で漸く、という事だった。

 オーフィスに出会った一誠を中からヒヤヒヤして見守っていたらしく、死にかけた、というより実際に死んだ時はかなり取り乱したらしく、発現して暫くはそれについてネチネチ文句を言われたらしい。

 

「ドライグも久しぶりね。一誠はどうかしら?」

『ふん、まだまだだな。折角“騎士(ナイト)”の駒を貰ったんだ、相応になって貰わなければ俺の名が泣く』

「ちぇっ、少しぐらいは認めてくれてもいいのによ」

『リアスの加護があって今のお前がいる事を忘れるなよ。元のお前は長年、俺の声すら聞こえない才能なしだったんだからな』

「はいはい、才能がないのは俺が一番知ってるよーだ」

 

 拗ねたように“赤龍帝の籠手”に語りかける一誠に笑みが浮かぶ。『原作』では“兵士(ポーン)”の特性を活かして戦っていた一誠だけど、私の一誠は“騎士(ナイト)”。

 そのスタイルは一撃必殺。先手を取れるならば先手を、取れぬならば機を伺って一撃を以てして制する。器用な事は向いてない、とひたすら相手の攻撃を避け、受け流し、防ぎ、一撃を決められるか、というスタイルで指導を行っているとの事。

 

「もうレイナーレさんでは相手になってないですね。レイナーレさんがふて腐れてましたよ」

「レイナーレも災難ね……今でもまだ模擬戦の相手をさせられてるの?」

「人工神器のテスターでもありますから、一誠相手に悲鳴を上げながら頑張ってますよ」

「お、俺だって加減してるんだぞ? というか、レイナーレさんの光の槍は当たったら痛いから当たりたくないし……」

「手を抜かれてる、って事実がまたレイナーレがキレそうな所よね……」

 

 白音の報告を受けて、一誠が弱々しく弁明する。それに呟いたイリナに私は同意の頷きをしてしまう。元々、プライドが高かったしなぁ、レイナーレ。

 もう昔とは立場が完全に逆転してしまっている。一誠の速度に対応しきれなくなって、悪魔に転生したとはいえ一誠に負け越しているのは多少なりともショックを受けているようで。

 その上、主にアザゼルから押し付けられた人工神器や“赤龍帝の籠手”のデータ取りの為に一誠の模擬戦相手として定期的に戦わされているという所がレイナーレのストレスがマッハな理由な一つだろう、と、

 そんなレイナーレの近況を聞いて私は口を引きつらせた。今度、胃薬でも差し入れに……いえ、私から差し出したら余計に怒り出しそうね。少し面倒くさいわね、レイナーレ。

 

「もういっそ、ウチで引き取ってあげませんか? リーア様」

「レイナーレを? 無理じゃないかしら。アザゼルが許さないでしょ。今となってはレイナーレが持ってる知識は“神の子を見張る者(グリゴリ)”の中でも重要機密でしょう。もう色んな首輪付けられてるんじゃないかしら?」

 

 白音が煎れてくれたお茶を飲みながら想像を働かせる。レイナーレが持っている知識は“神の子を見張る者(グリゴリ)”にとって重要なものの筈。それを私が引き抜こうなんてアザゼルが許さないだろう。

 そしてレイナーレが悪魔に転生してまで、私の下につくのを許容するのか、という問題がある。レイナーレは気難しくて、臆病で、思い込んだら一直線なのだ。それ故に信頼する相手を選ぶ。そして私は恐らく、その相手に該当しない。

 

「だったら、やっぱり朱乃に頼むのが一番でしょ」

「そうね、朱乃だったら言う事を聞くでしょう」

「問題は、その朱乃が「休み? なんですかそれ?」な状態だけどな」

「引き籠もってるか、世界中を飛び回ってますからね……」

 

 堕天使が“神器使い”を集めている、というのは以前から囁かれていた話だったけれども、最近ではその回収に向かっているのが朱乃だと言われている話はよく耳にする。

 バラキエルさんの娘であり、その後継者として名が広まりつつある朱乃。その朱乃の活躍は悪魔の耳にも届く程だ。虐げられたり、現状に苦しむ神器使いの前に現れ、その手を差し伸べ攫っていく“瞬雷の堕天使”は良くも悪くも有名だ。

 一番被害を受けた事で有名なのは、教会勢力だろうか。正臣さん経由から聞いた情報だと、私が以前にぽろっと零していた“聖剣計画”の事を知って「非合法な上に聖剣の研究をしているのは興味深いですね」と呟くや否や、電撃の如く計画を調べ上げてそのものを潰して来たらしい。

 教会はこれには抗議の声を上げようとしたらしいけれども、内容が内容だけに動きが鈍く、研究成果と実験体だった子供達をごっそり持って行かれたと聞いている。研究主任だったパルバー・ガレリィは雲隠れしたらしく、行方はわかっていない。

 まぁ、朱乃に情報をリークしたのが教会内部、正臣さんの伝手だと言う。もっと正確に言うなら……トウジさん。駒王の地から去ったあの人は今、教会内部の勢力の闇を暴いたり、それを払う為に奮戦しているという。

 それはこの地に残った正臣さん達の立場を護ったり、勢力固めの為だと正臣さんから聞いた覚えがある。その裏にはコンティーニ助祭枢機卿も関わっていると。

 オーフィスの“蛇”のばらまきもあって、各勢力の闇が大きく動き出した世界。しかし、その闇に負けじと光を照らし、組織の自浄に努めている者達もまたいる。トウジさんも今はその一人だと言う。その話を聞くのは、少し複雑だったりする。

 

「しかし……オーフィスの影響で各勢力が動けない隙があったからでもあるんでしょうけど。怨まれてもいるでしょうね。朱乃は」

「まぁ、だからイザイヤ達とか、必ず誰かが護衛につく決まりになってるみたいだし。あんまり心配しても仕方ないよ。朱乃ならしっかりやるさ」

 

 朱乃の心配をして呟いてしまう私に、一誠が私の肩を叩いて言う。

 確かにしっかりやるとは思うのだけど、抱え込みすぎてそうで心配ね、朱乃。

 

「傍にはアーシアさんもいますから大丈夫ですよ。どうしてもダメならトスカさんが結界に閉じこめてでも休ませてくれるでしょうし」

「うわ、凄い安心感ね、それ」

「この前、イザイヤに捕まって、トスカにアーシアと一緒の部屋に閉じこめられて、アーシアに抱き枕にされて強制的に休みを取らされた話とか聞いたぞ」

「……朱乃ったら……」

「昔、ワーカーホリック診断されたリーアが言っちゃ世話ないと思うよ」

「ぅっ」

 

 イリナのツッコミに私は思わず呻く。そ、それは私の黒歴史なので触れないで欲しい。

 というか朱乃、そんな事になってたりもしたのね。イザイヤ達がいてくれたのは助かるのだけど、本当に大丈夫かしら。もしかしたら3人に甘えての行動かもしれないけれど、でも、むむむ……友達としては一度、話を聞いた方が良いのかも知れない。

 そんな話をしていると、良い匂いが漂ってきた。黒歌の食事の準備も整ってきたらしい。

 

「あら、良い匂い。ちょっと覗いてくるわ」

「いってらっしゃい」

 

 イリナに見送られて、私はキッチンの方へと足を向けるのだった。

 私がキッチンの方に近づいてきたのを察したのか、黒歌の尻尾がゆらりと揺れる。振り向かないまま、黒歌が問いかけてくる。

 

「久しぶりの人間界はどうにゃ?」

「羽根を伸ばしてるわよ。どうしてもあっちだと気を張っちゃうから」

「貴族の生活なんてそんなもんにゃ。味見する?」

「うん、一口頂戴」

 

 鍋を掻き混ぜていた黒歌は小皿に掬って私に手渡してくれた。それを呑んで一息を吐く。冥界の食事に慣れていた舌が懐かしの庶民的な味に触れて喜びを示す。思わず笑みが浮かぶのを見て、黒歌が喉を鳴らすように笑う。

 思わず喉を撫でてやろうかと思ったけれども止めておく。そして小皿を置いて、キッチンによりかかるように体勢を変えて居間の方へと視線を移す。私が抜けて、イリナ、一誠、白音が談笑している声が聞こえる。

 

「……ようやくこっちに戻って来れそうよ。黒歌、この地の掌握、ありがとね」

「主にやったのは白音にゃん。まぁ、あの三毛ばあさんの修行も兼ねてだけどね」

「参曲さんとは上手くやってるの?」

「……ま、ぼちぼちにゃん。母親の事も報告したし、私も本気で頭下げてきたしね」

 

 参曲さん。猫妖怪の長老でもある御方であり、黒歌と白音の今のお師匠様と言うべき方。白音は面識がなかったらしいけど、黒歌は知っていたらしい。参曲さんの間で何があって、そして黒歌がどんな思いで頭を下げに行ったのかは私も知らない。聞こうとも思わない。

 自己流で磨いていた仙術も本格的な師を得れた、と報告を受けて、私も参曲さんにはご挨拶にと顔を合わせている。あくまで私の眷属がお世話になります、的なご挨拶だけだったけれども……。

 

「白音は支援の方面で、“僧侶(ビショップ)”として成長してるよ。索敵、治癒、結界……どれも三毛ばあさんのお墨付きにゃ。あの子は、母親似だって」

「そう。……で、貴方は?」

「まぁ、それなりに?」

「そう」

 

 視線を向けずに黒歌との言葉を交わす。火を止めるスイッチの音が、その会話の終わりを示すかのようで。

 

「手伝いましょうか?」

「主にやらせる従者がどこにいるにゃん。さっさと座ってるにゃん。白音ー! 盛り付け手伝ってー!」

 

 談笑していた白音を黒歌が呼んで、返事の声が聞こえる。私は白音と入れ替わるようにキッチンを後にする。

 すぐに並べられた黒歌の料理は、なんだか懐かしくて、暖かくて、一誠達と一緒に気ままに食べる食事が本当に美味しかった。

 

 

 * * *

 

 

 黒歌の昼食に舌鼓を打って、食後の茶を楽しんでいるとチャイムを押す音が聞こえた。

 それは来訪を知らせる合図。それに私は胸が高鳴りを覚える。黒歌が迎えに出る為に席を立ち、今を出て行く。

 そして少しの間を開けて、4人が中に入ってくる。荷物を入れた鞄を肩にかけたそれぞれの顔を見て、私は笑みを浮かべた。

 

「朱乃!」

「リーア!」

 

 朱乃が荷物を下ろして、そのまま私に抱きついてくる。この抱きつき癖は相変わらずなのか、私も予想していたのでしっかりと受け止める。

 子供だった朱乃も今となっては立派な美少女。胸も豊かに育って、女性的な魅力がぐっと上がっていた。そんな子が無邪気に抱きついてくるのだから、男でなくても可愛さにくらっとしそうになるわね、これ。

 

「んー……久しぶり。元気にしてた?」

「朱乃こそ。聞いたわよ? イザイヤ達に迷惑かけてないでしょうね?」

「……それは、まぁ、うん。大丈夫よ?」

「せめて私の目を見て言うべきだったわね」

 

 目を逸らして、ぼそぼそと口にする朱乃に呆れつつ。零れてくる笑みに朱乃の頭を撫でていた。ポニーテールに結ばれた髪は艶やかで、……でも、少し草臥れているようにも思えた。

 ちゃんとケアをしているのだろうか、と不安になる。まさか堕天使だけにカラスの行水になってたりしないわよね? そうであれば、私としても朱乃を風呂に沈める覚悟を決めなければならないのだけど。

 

「よう、イザイヤ。久しぶり」

「やぁ、一誠くん。元気そうで何より。修行は順調かい?」

「そっちこそ。腕比べするか?」

「望む所、って言いたいけど。今回は時間がないかな。また今度だね」

「ちぇ、残念だな」

 

 私が朱乃を愛でていると、一誠と金髪の美少年、イザイヤがハイタッチをしていた。そのまま互いに好戦的な笑みを浮かべて握手を交わして、拳をぶつけ合っているのを見て、思わず男の子だなぁ、と感じてしまう。

 

「アーシアさん、トスカさん、お久しぶりです」

「白音ちゃんもお久しぶりです。お元気にしてましたか?」

「相変わらず良い毛並みだね。うふふ」

「トスカさんも綺麗になってますよ」

「ありがと。アーシアも可愛くなったでしょ?」

「や、やめてくださいトスカ……」

 

 その一方で、こっちはガールズトーク。アーシアが癒しのオーラを振りまくような笑みを浮かべて、そのアーシアより一個分ほど背が高いトスカが白音の頭を撫でていた。そして、逆の手ではアーシアの頭を撫でて、アーシアが照れくさそうにしている。

 その微笑ましさに口元が緩む。それに、トスカは私が知る“原作”と大いに運命が異なっている。イザイヤとアーシアのお姉さんとして世話焼きをしているとは知っていたけれども、こうして改めて見てみると感慨深くなってしまう。

 

「久しぶりね、3人とも」

「リーアさん。ご無沙汰しています」

 

 一誠と笑い合っていたイザイヤが真っ先に私に一礼をしてくる。こういうマメな所は相変わらず。それに続いたようにアーシアとトスカも頭を下げてくれる。

 

「いいのよ、そんな敬わなくても」

「リーアさんは朱乃姉さんのご親友ですから。恥ずかしい真似は出来ません」

「そうです! お姉様の前で恥ずかしい真似は出来ません!」

「それに、私とイザイヤは貴方が切欠となって救われた者です。その恩を忘れろ等と仰られても困ってしまいます」

 

 朱乃姉さん、ね。イザイヤとアーシアがそう呼ぶのがなんだか不思議で、思わず笑ってしまう。その後、トスカから続けられた言葉には苦笑を浮かべてしまうのだけど。

 

「切っ掛けといっても大した事はしてないわ。そのお礼は、貴方達を実際に助けてくれた人達に向けてあげなさい」

「えぇ。朱乃姉様に、それから紫藤牧師には感謝の念が絶えません。紛いなりに学生をさせてくれている“神の子を見張る者(グリゴリ)”にも……」

 

 紫藤牧師、という言葉にぴく、と反応した者がいる。そう、それは当然イリナだ。

 それを横目に見つつ、朱乃と視線を合わせる。朱乃は心配そうに私と目を合わせた後、イリナへと視線を向ける。イリナは視線に気付いたのか、少しだけ悩むようにして苦笑を浮かべた。言葉を通じずとも意図はわかる。私はイリナに一つ頷き、イザイヤ達に向き合う。

 

「貴方達は初めましてかしら、紹介するわ。イリナ」

「初めまして、イリナです。……かつてのフルネームは紫藤イリナ、朱乃とはこの町で一緒に育った幼馴染みです」

 

 イリナの自己紹介にイザイヤ達は驚いたように目を見開く。やっぱりこの反応を見る限り、イリナの事は伝えていなかったみたいね。

 

「紫藤イリナ……もしかして、紫藤牧師の……?」

「お亡くなりになられたと聞いていましたが……」

「……なるほど、悪魔に転生していた為だったのね。納得しました」

 

 イザイヤとアーシアが呆然と呟く中、トスカが納得したように悩ましげに表情を歪めて頷く。それにイリナはどこか凪いだように静かに視線を返していた。

 

「……お父様の事は、どう思っているかお聞きしても?」

「立派な父です。今も、昔も、そしてこれからも。例え、道を違えても」

「……私達は貴方のお父様に救われました。紫藤牧師の協力無くして私達がここにいる事は叶わなかったでしょう」

 

 そっとイリナの手を取って、トスカは額をつけるように頭を下げる。

 イリナは少し驚いたように目を丸くして、その様子を見守っている。

 

「貴方のお父様が立派であった事に感謝を。貴方に何があったのかは察しきれませんが……例え、道を別つともあの御方はきっと貴方を案じている筈です」

「……私の父が、貴方達の助けとなれたなら誇りに思います」

「紫藤牧師がいなかったら、私は追放されて一人彷徨っていましたから。紫藤牧師が情報を朱乃お姉様に伝えてくれたからこそ、私はここにいます」

 

 イリナの手を握るトスカの手に、アーシアが歩み寄って重ねる。その瞳は涙に潤んでいて、イリナへと労るように視線を向けている。

 

「……朱乃お姉様から聞いた事があります。ここで、大きな災害があったって。大事な友達が酷い目にあったって。イリナさんは、今は悪魔なんですよね?」

「……えぇ」

「……そこで何があったのか、私は想像する事しかできません。でも、家族と離ればなれになってしまう理由はわかります。でも、貴方はまだ紫藤牧師を立派な家族だと言えるのが、私は凄い事だと思います。私達は、そんな立派な貴方の家族に救われました。……だから、その……ごめんなさい、私、何か言いたいのに……」

 

 アーシアが遂に泣き出してしまって、イリナが困惑した様子を見せてしまう。それを見たトスカが困ったように笑みを浮かべる。

 

「アーシアはいつまでも泣き虫ね。ごめんなさいね、戸惑わせて」

「いえ……」

「それだけ恩のある方なんです、僕等にとって紫藤牧師は。だからその娘である貴方にはそれを伝えたかったんだと思います。ほら、アーシア、ハンカチ」

「ごめんなさい、イザイヤ……」

 

 アーシアを支えるようにトスカが肩に手を回して抱き締め、イザイヤがさり気なくハンカチを取り出す。

 イリナは3人から向けられる感謝に暫し戸惑っていたようだけれども、すぐに息を吐いて穏やかな微笑を浮かべていた。思わぬ所で、父の近況を聞けてイリナがどう思っているかはわからないけれど、少なくとも悪い方には行かなさそうね。

 

「……俺も本当はイザイヤ達に言いたかったんだけどな」

「一誠」

「イリナの事、リーアに任せっぱなしだったし……言っていいものやら、って思ってて」

「私もですね。でも……」

 

 4人を見守るように見ていた私達に、いつの間にか一誠が、そして白音が近づいて来る。2人とも、4人がどこか初々しくお礼を言い合っている姿を見て笑みを浮かべている。

 

「……素直に良かったって思います」

「俺も。それにイリナが捻くれてなさそうで良かったよ」

「……本当に、そうね」

 

 一誠の呟きに、私の傍らにいた朱乃も穏やかに笑って頷く。

 イリナ、一誠、朱乃。私にとって一番馴染みが深い4人組。その中で一番傷ついたのは、間違いなくイリナで。そんなイリナがこうして笑顔で戻ってきてくれた事に救われているのは私達の共通の思いだと思う。

 ようやく戻ってこれたのだと。戻りつつあるのだと。私は強く実感した。それは、まるで止まっていた時計が動き出すかのように。

 私の視線の先では、アーシアが何度も頷くようにイリナにお礼を伝え、イリナが困ったように笑い、そんな二人をイザイヤとトスカが見守っている。この光景を尊く思い、私は満足を感じながら瞳を閉じる。

 

「……良かったねぇ、ご主人様」

 

 からかうように声をかけてきた黒歌に、私は肩を竦めながら笑みを浮かべる事で返すのだった。

 

 

 


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