深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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第1章 夢現の眷属
ACT.01


 迫り来る拳を紙一重で避け、そのまま飛び後退るように距離を取り呼吸を整える。遅れて靡くように流れた自分の紅の髪を背に、私は全力で踏み込んで眼前の相手へと向かっていく。

 右拳、回避。左肘、これを膝でガード、体勢が流れかけた所で攻守が交代。左拳、弾く。次いで迫った右拳に同じく右拳をぶつける。互いの拳に纏った“気”がぶつかり合い、爆ぜるように弾かれ合う。

 

「ははっ」

「ふふっ」

 

 相手の笑いに、私も思わず笑い声を零してしまう。私に挑みかかってくるのはサイラオーグ・バアル。その全身に闘気を纏って私に拳を向けてくる姿に笑みが浮かぶ。

 殴る、蹴る、手刀、膝、肘、時には頭突き。繰り返す攻防に私は笑みが止められないまま、この時間を楽しんでいた。

 

「まだまだぁッ!」

「望む所よぉッ!」

 

 距離を取り合い、サイラオーグが拳を構え直して向かってくる。私も地を踏みしめ、迎撃の為に構えを取り、この楽しい時間をもっと楽しもうとして――。

 

 

「――いつまでやってるの!!」

 

 

 横合いから飛んで来た水の固まりによって、強制的に頭を冷やされる事になるのであった。

 

 

 * * *

 

 

「はっはっはっ! すまんな。つい時間を忘れてしまった。許せ、ソーナ」

「ごめん、ソーナ。つい楽しくなっちゃって……」

「本当、2人で鍛錬を始めると時間を忘れるのはいい加減にしてくれないかしらね」

 

 ジト目で私とサイラオーグを見つめてくるソーナに平謝りをしつつ、私は冥界の学校の廊下を歩いていく。

 6年前から私は冥界の学校に通っている。突然の転校に面を喰らう生徒達も多く、私が人間界の学校生活に慣れてしまったのもあって、私は非常にここで浮いていた。

 仕込まれているとはいえ、社交辞令はあまり好きじゃない。授業はしっかり受けているけれど、それ以外の学校生活というのは全然楽しくなくて、息が詰まるばかり。

 そうしていると私も腫れ物扱いを受けて、同じ腫れ物扱いを受けていたサイラオーグと一緒にいる時間が多くなって、今はサイラオーグの修行相手をしている時が一番楽しい位だ。

 サイラオーグはあれから闘気を纏えるようになって、仙術の仕組みを応用して研鑽していた私も都合が良いという事で互いに練習相手として競い合い、お互いを高め合っている。

 ついついサイラオーグの成長が嬉しくて、鍛錬をしていると時間を忘れてしまうのだけど。そうなった時はだいたいソーナが頭に水をぶっかけに来る事になっている。問題児である私達のまとめ役のような扱いになっているソーナは、はぁ、と呆れたように溜息を吐いていた。

 

「まぁまぁ、それももう少しで終わりじゃない。卒業も間近だし」

 

 そう、私達の冥界での学校生活は終わりを告げる。レーティングゲームの事や悪魔の政治、歴史について勉強出来たのは収穫だった。ただ、やっぱり学友というとなかなか腫れ物扱いをされていると難しかった為、主にサイラオーグとソーナと一緒に行動をする事が多かった。

 その為、あんまり感慨深いものはない。必要なものは学んで来れたし、何より世界の情勢が落ち着いてきたのもある。それを思うと少しだけ私はやるせない気持ちにはなるんだけど……。

 オーフィス。あれから本当に宣言通りに無差別に“蛇”をばらまき始めたようで、悪魔の中でも結構問題になった。酷かったのが旧魔王派と転生悪魔。蛇を得た彼等が暴走を始めて、一時期は冥界もすわ内乱勃発か! という所まで行きかけた。

 この鎮圧には密かに私も参加したりした事もあるのだけど、主にお兄様達、つまり魔王様達が奮闘して事態を収束に向かわせてくれている。もうちょっと手伝いたかったけれども、あまり私が表に出すぎるのは良くないと参加させて貰えない事の方が多かった。

 実際、オーフィスの事を考えると派手な事を出来なかった、というのもあるのだけど。その為に大人しく冥界で勉強をし、未来に備えていた訳なのだけど……。

 

「それにしても上手く行って良かったわ。学校を卒業しても、この腐れ縁は続きそうだしね」

「まさか俺まで引っ張り込むとはな。父上が苦々しそうにしていたのが印象的だったぞ」

「本当にその話を聞く度に頭が痛くなるのだけど……私はともかくとして、サイラオーグを人間界に留学させる事を認めさせてくるなんてね」

「だって、駒王町には在る程度、“調査”の為の戦力が欲しかったのよ。信頼が置けると言えばサイラオーグだし、ソーナだって領地経営の予行演習にもなるし。日本の学校には前に興味があるって言ってたでしょ?」

「その為にバアル家に乗り込んでいった、って聞いた時の私の気持ちを考えてみて?」

「ごめんなさい」

 

 そう、私は冥界で学校を卒業したら正式に駒王町に戻るつもりでいた。情勢が落ち着きつつある今、悲願であった三大勢力の和平の実現に向けて本格的に活動をしていく事を考えているから。

 そして、避けられないだろうオーフィスとの戦い。そして、オーフィスに同調して集結しつつあるという各勢力からの有力な離反者達。原作で言う所の『禍の団』じゃないかと私は睨んでいる。

 私を番にする、と言うオーフィスの事は忘れられない。避けられない戦いになる事もわかっている。この世界の現状を招いたのは、私という存在が関わってる以上、私には責任と義務がある。

 だが、それには私だけじゃ足りない。出来なくはないかもしれないけれど、最終手段でしかない。私は出来るだけ、私の特異性を表に晒したくない。その為に私は仲間が欲しかった。原作のように頼る事が出来る仲間達を。

 そう思えば、サイラオーグの事はどうしても外せなかった。既にこの世界は私の知る“原作”を逸脱してしまっている。ある意味、開き直ったと言うか。あれは私も結構覚悟がいる綱渡りだったんだけど……。

 

「あの時、サイラオーグだって弟を伸しちゃったじゃない」

「父上に対して、あれだけ啖呵を切ったリアスには負けるさ」

「えー?」

「んー?」

「はいはい」

 

 サイラオーグが次期当主の座を貰い受ける為、本家に訪問……という名のカチコミをする際、私も同行してサイラオーグを駒王町に招き込む交渉をつけてきたのだ。

 グレモリー家の者がバアル家の事情に口を出すな、と当然の如く言われたんだけども、知った事か、と交渉に臨んだ。その為に“次期当主として相応しい実力を備えた”と皮肉を添えた上でサイラオーグの勧誘をしてきました。

 当然、お冠になったバアル家当主の揚げ足を取るなどして、無事サイラオーグが駒王町に留学出来るように話をつけてきた。次期当主となる為の経験を積む、という名目の一時的な追放とも言える。

 多分、これからサイラオーグが失脚するように何かを仕掛けてくるかもしれないけれど、それは逆に望む所ではある。駒王町は既に私の領域である。その為に黒歌と白音を残してきたのだから、何かしてくるなら徹底的に叩き潰すのみだ。

 オーフィスの一件から、私の中で何かが“外れた”気がする。それこそ、以前ドライグに言われていた“他者に向ける攻撃性”。それが芽を出した気がする。まぁ、一誠とイリナを殺されてプッツン来たあの感覚がどうにも私の中に残っているような感じだ。

 複雑な気もするけれど、……私にはそれが必要だ。それだけは、確かだから。そこまで考えて、嫌な事を考えるのは止めようと首を左右に振る。そうだ、楽しい話題、明るい話題、と。

 

「これで、ようやくミスラ様の治療も見込めるわ」

「すまん。それに関してはどう感謝していいものやら……」

「まだ治療が終わった訳じゃないんだから。それに、駒王町では、私達で協力しあっていかないと。ね?」

「あぁ、その点はソーナにも迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」

「……卒業しても、この2人のお守りね。はぁ……」

 

 がっくし、と肩を下げるソーナには申し訳ない気持ちにはなるけれど、ソーナは私より頭が良いし、勘が良い。しっかりものだし、日本の学校を学べるという機会と情に訴えて駒王町に来て貰えるように説得した。

 最初は私とサイラオーグがセット、という事で、この数年の間に染みついてしまった苦労人気質から脱却を図っていたソーナは渋ったのだけれど、最後には頷いてくれたので本当に良い友人だと思ってます。ごめん、ありがとう、ソーナ。

 冥界の学校生活は憂鬱だけど、それでも得られたものがある。私は大事にしたい。この出会いを、この思いを。一つ、一つ大切に抱いて。

 

 

 * * *

 

 

 転移魔法陣で実家へと帰宅して、私は自室に荷物を置いてからグレモリー家のある場所に向かっていた。

 帰宅して早々向かったその場所は、かつて私が篭もりきっていた書斎だった。慣れ親しんだように書斎の奧に進み、設置された机に向かって筆を走らせている姿を見つけて声をかけた。

 

「イリナ、ただいま」

 

 オレンジ色の髪を揺らせて、一心不乱にノートに筆を走らせていたイリナが振り返って視線を合わせてくれる。何度か目を瞬きさせてから、表情を和らげるように笑みを浮かべて筆を置いた。

 

「おかえり、リーア」

「また篭もってたの?」

「うん。勉強したくて」

「そう。あまり無理しちゃ駄目よ」

「わかってるよ」

「お茶にしましょうか」

「うん」

 

 ぽすん、と椅子から立ち上がって私に甘えるように抱きついてくるイリナの髪を撫でる。

 悪魔になってからは、自分で結ぶ事の無くなった髪を梳くように触れながら思う。本当に大人しくなってしまった、と。

 快活だった最初の頃のイリナと、今のイリナを見比べれば驚く程だろう。昔は元気に走り回っていた少女が、今となっては引きこもり一歩手前の儚げな女の子だ。

 それも仕方ないか、と思う。ここまで“回復”するのにも時間がかかったのだから。そう、6年前のイリナに比べれば、ずっと。イリナの髪を梳きながら、私はその当時の事に思いを馳せた。

 

 

 * * *

 

 

 オーフィスの襲撃から数日後。事態が落ち着いてすぐ私は紫藤家へと向かい、地に額を擦りつけんばかりに土下座をしていた。

 その正面には、トウジさんとイリナのお母様がいる。2人の表情は窺えない。それ程に、私はただひたすらに頭を下げ続けていた。

 

「……リアスくん。顔を上げてくれ」

「……ごめんなさい」

「君が謝る事では……、……いや。……すまない、やはり言葉にする事が出来ない」

 

 トウジさんの返答に私は唇を噛みしめる。ゆっくりと顔を上げてみれば、トウジさんは苦悶の表情を浮かべながら腕を組んでいた。その傍で話を聞いていたイリナのお母様はその目に涙を浮かべていた。

 イリナを悪魔に転生させた、と。その報告をし、謝罪に来た私を二人は何も言わずに家を上げてくれた。イリナはこの時、冥界の病院に搬送されていて、意識が戻っていなかった。

 イリナの事は先に伝えておいた。その時は、トウジさんも絶句して、お互い何も言えないままだった。そして、今改めて機会を持って、私はトウジさん達に謝罪しに来ていた。

 

「私はイリナを悪魔にはしたくありませんでした。精々、私と契約してくれる錬金術師として付き合いを続けるつもりでした。けれど、私はイリナが死んでしまった時、どうしても耐えられませんでした。だから私が貴方の娘を悪魔にした張本人です」

「…………そこまで娘の事を思ってくれたのは父親としては嬉しい」

 

 重々しくトウジさんが告げる。そう、それは本心だろう。“父親”としては。

 

「……神に仕える身としては、何も言えない」

「……はい」

「だから、すまない。君から謝罪をされても……今は、何も言えないんだ。リアスくん。君に悪意がない事もわかっている。イリナの事も責任を取ってくれるだろう。その信頼はある。……だが」

「はい……」

「だが、やるせない……!」

 

 その言葉一つ一つが、ただ重たかった。また垂れそうな頭を下ろさぬように気を張りながら、私はトウジさんと視線を合わせ続けた。

 神に仕える者として、娘が悪魔になった。例えそれが死を回避する為だったとしても。今まで教会の戦士として、神の信徒として生きてきたトウジさんには言葉を無くすには充分すぎる程のものだ。理解している。長い間、この人と付き合いがあったのだから。

 互いに言葉を無くす。そうして無言の時間が過ぎていると、ぱん、と両手を叩く音が空気を変えた。

 

「さて、それならイリナの私物を纏めておきましょうか」

「おばさま……」

「なってしまったものは仕方ないわ。それに、リアスちゃんの事は信頼しているわ。夫同様にね。なら、イリナの事は大丈夫! 明日に目を向けましょう! リアスちゃんの目標は、天使も悪魔も堕天使も一緒に暮らせる世界を作るのでしょう? それが叶えば、また一緒に暮らす事も出来るわ。今は立場を考えたら家に戻す事も出来ないし、表向きは死んだ事にした方が良いわ。そうでしょう? 貴方」

「……あぁ、そうだな」

「大丈夫よ。イリナは生きてるんだもの。そのまま死んでいたかもしれない、きっとそれよりはずっとマシだわ。だからリアスちゃん。イリナの事、お願いします」

「……はい、必ず」

 

 イリナのお母様はニッコリと笑って、忙しくなるわねぇ、と呟きながら居間を後にする。残されたのは私とトウジさんだけだ。

 

「……妻は」

「……はい」

「妻は、強く明るい。イリナも母親によく似ている。私を良く支えてくれた自慢の妻だ。……だが、それでも人なのだよ」

「……はい」

「……そっとしておいてくれるか。今頃、泣いているだろう。私も、今は顔を合わせない方が良い。私に泣いてる姿を見られたくはないだろうからな。親として、これから娘の成長に関われなくなるのは……本当に、辛いよ」

「……オーフィスは、私に惹かれて来たんだと思います。全て、私が」

「止めてくれ」

 

 トウジさんは語気を荒らげそうになりながら言った。その手は震えて、私と目を合わせずに告げる。

 

「でなければ、これからイリナを頼む君に私は何を言ってしまうかわからない」

「…………」

「私は君を良き隣人だと思っている。そう思いたいんだ、今でも。君が何よりイリナの幸せに気遣ってくれていた事は知っている。君が因果な宿命を背負っている事もなんとなく理解している。詳細は聞かない、だからその理由も、言い訳も何も言わずに……このまま立ち去ってくれ。それが私が君に望む罰だ」

「…………はい」

「勝手な事を言っている。だが君なら受け止めてくれると信頼して……心から頼む。イリナの事を、私達の娘をよろしく頼む。私は神に仕えた自分を捨てる事も出来ない。私は妻を守り、支えていかなければならない」

「はい……!」

「……理由をつけて、その内に私達は駒王の地を去るだろう。だから、いつか君の理想の果てで再会しよう。リアスくん」

「……はい……!」

 

 ごめんなさい、と何度か口にしかけて。何度も、繰り返すように「はい」と続けて、私は唇を噛んだ。

 

「イリナは、私が必ず守ります。今度こそ。だから、必ずいつか再会しましょう。日の下で、誰に憚れる事もなく。神に、誓います」

「……やめたまえ、悪魔の身には辛いのだろう。それは誠意ではない。イリナと一緒に学んだ事だろう?」

「……トウジさん。じゃあ、未来に誓います。絶対、イリナを立派に、胸を張ってお会い出来る子になるようにしますから!」

「……出て行ってくれ」

「……お邪魔しました」

 

 絞り出すように言われた言葉に、最後に唇を噛んで私は背を向けた。それが私が最後に見たトウジさん達の姿だった。

 この後、私は冥界へと帰還し、トウジさん達は外国へと引っ越していった事を八重垣さんから聞く事になる。それは、そう遠くない未来の話。今からは、遠い過去のお話。

 

 

 * * *

 

 

 意識が過去の回想から戻る。イリナと手を繋ぐようにして私の部屋に向かい、部屋に置かれたソファーに並んで座る。イリナが肩に頭を預けるようにして甘えてくるのを好きにさせる。

 意識が回復して、悪魔になった事を伝えたイリナは呆然としていた。トウジさん達の所には戻せないという事も伝えた。暫くは会わせてあげる事も出来ないと。社会的には死んだ事になっている事も。

 そして八重垣さん経由で両親から預かった手紙を渡して、それを読み切ったイリナは泣き崩れていた。私が知るべきではないと思って、その内容自体は今でも把握していないし、聞いてもいない。

 それからは暫くイリナは塞ぎ込んでしまった。部屋に引き籠もって、私と少しお話をしてくれる程度。ずっと俯いて手紙を抱き締めるようにして蹲っていた。一誠達がお見舞いに来ても、あまり反応を示さない程に。

 それから、少しずつ。本当に少しずつ本を読み始めたり、外に出てメイドとお喋りに興じている所を見かけるようにはなった。それでも引きこもり気質が根付いたのか、部屋から出る事は減ってしまったけれども。

 一度、皆に会いに駒王町に行こうと誘った事があるのだけど、申し訳なさそうに「行きたくない」と言われた時の事を今でも思い出す。それまで少しずつ回復していたものを砕いてしまった、そんな気分になりかけてしまった。イリナが笑ってくれた事で、その時は逆に私が助けられてしまったのだけども。

 心の病を癒すのは大変だ。傷が治るのには時間がかかる事を私は知っていた。だから、気長にイリナを待つ事にした。学校に通ってサイラオーグやソーナと過ごし、家に戻れば出来るだけイリナの傍にいるように心がけた。

 以前のような快活さは鳴りを潜めてしまったけれども。少しずつイリナも回復して、勉強や、今後を見込んで貴族としての作法の稽古に励むようになっていった。同じ“女王”という事で、お義姉様と居る事も増えたらしい。

 グレモリー家では、私の妹のような扱いとしてイリナは過ごしていた。時折、本人が申し訳なさそうにしているのを見かけたけども、触れれば傷を作るだけかと思って触れずにいた。そうして、時が経って今に至る。

 ある日の境に、イリナは私に甘えてくるようになった。手を繋いで、抱きついたりするなどして甘えてくる。でも、喋りたくはない。ただこうして傍にいる時だけの事を望む事が多い。今日もそんな気分だったんだろう、と手を握りなおす。

 ……さて、どうしたものかしら。黒歌から朱乃が戻って来るから、駒王町に帰るのにイリナを誘おうと思うのだけど、タイミングが掴めない。どうしたものかと思っていると、話題を切り出したのはイリナからだった。

 

「……ねぇ、リーア」

「なに? イリナ」

「……お願いがあるの」

 

 甘えるように肩に頭を預けていたイリナがゆっくりと身を離して、私に真っ直ぐと向き合うように視線を向けてくる。その眼差しの強さに、私も自然と居住まいを正した。

 お願い、か。イリナが私にお願いする、という事も大分減ってしまった。だから少し珍しく思いながらも、イリナから数少ないお願いに応える為にイリナの言葉に耳を傾けた。

 

 

「私と、戦って欲しいの」

 

 

 * * *

 

 

 戦って欲しい、と言われて目を丸くした私だけども。私は了承をした。

 イリナが戦える、という話は正直聞いていなかったから驚いた。私が見ていたのは本を読んだり、作法の練習をしている姿ばかりだったから。お義姉様はもしかしたら知っていたのかもしれない。私に黙っていた理由は……イリナの気持ちが理由かな。

 正直、今となってはイリナの気持ちは掴めない。甘えたい時は甘えさせているけれど、普段は何を考えているのかはわからない。こんなに近くにいるのに、随分と遠い存在になっちゃったな、と思う。

 だから、これはイリナと向き合う良い機会だ。イリナに戦って貰おう、とは思っていなかったけれど、イリナが望むなら戦おう。“女王”として、今後イリナは目を向けられる事が増えるし、何より……私はイリナの事が知りたい。向き合いたい。

 お互いに動きやすい服装に着替えて、お義姉様に一声をかけて結界を用意して貰った。お義姉様にお願いした時、何かわかったような顔で頷いて、イリナに頑張りなさい、と声をかけていたのが印象的だった。それにはイリナも頷いていた。

 そうして用意された結界、何かあった時の為にお義姉様が待機して見守ってくれている中で私達は向かい合った。

 

「……私はいつでもいいわよ、イリナ」

「うん」

 

 深呼吸をするようにイリナは息を整えていた。その髪はツインテールに結ばれていた。昔とは結ぶ位置が違い、おさげのように結ばれているので印象が大きく変わる。けれど、そのリボンは昔から愛用していたリボンだ。

 でも、それを身につける事はなかった。宝箱に手紙と一緒にいれて大事に保管していた事は知っていたけれども。それを結んできた、という事は今回の事はイリナにとって大きな決意があるって事だと思う。

 尚更、向き合わないといけない。そんな気持ちが高まる中、私は自然な構えを取った。サイラオーグとの稽古で、素の状態……とはいっても、仙術の応用で纏わせた気を巡らせた状態だけど。これでも良い線は行くようにはなってきた。サイラオーグにずっと付き合ってたからね!

 

「リーア」

「うん」

「私、悪魔にされた事、嫌だった時もあった」

「……うん」

「今でも、どう思えば良いかわからない。生きてて良かった、って思って良いのかわからない。でも、皆が優しくしてくれた。パパとママも諦めてない。辛いけど、頑張らなきゃって思ってきた」

「うん」

「時間をかけたけど、私、ちゃんと向き合うから。だから、全部ぶつけるね。リーア。私、悪魔になったよ、力を貰ったよ。……これをぶつけるのは、最初は貴方が良かった」

「うん」

「受け止めてね。私、ちょっと勝手だけど。貴方にこの力をぶつけないと、多分、前に進めないから」

 

 イリナの真っ直ぐな視線を受け止める。力強く頷く、それ以上何も言わなくて良い、と。ただ受け止めるから、と。

 私が頷いたのを見て、イリナもまた頷く。そして、胸元に握った拳を、胸に当てるようにして。

 

「我、神に倣いしもの。

 故、神を嘲笑いしもの。

 神よ、御座すならばお見咎め下さい。

 これより為す、我が罪なる行いを」

 

 それは祈りにも似た、けれど祈りとは異なる宣誓。

 響き渡るそれに引き込まれるように、私はイリナに視線を送り続ける。

 胸元に添えていた手を開き、イリナが瞳を開く。その瞳の色に、私は息を呑んだ。

 七色の光が収められたプリズム、虹色に輝く光を帯びた、龍のような瞳孔の瞳。

 

「――偽典法則(フェイク・クリエイション)

 

 ざわり、とイリナに力が巡るのを感じる。それは、その力の感触は私が間違える筈がない。

 

「“竜”、“剣”、夢想(セット)。“無よ、偽りとなれ(コンバイン)”」

 

 イリナの手に握られたのは剣。特に特徴もない紅い刀身の剣。けれど、そこから感じ取れるのは私と同じ力だ。思わず頬が引きつる。

 無から有は為る。それは等価交換の法則を満たしていない以上、存在してはいけない。けれど存在している矛盾はここにある。夢は形に、幻想は現実と重なって世界を偽る。

 

 

「行くよ、リーア。貴方が私に見せた世界を、貴方にも見て欲しいから」

 

 


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