転送魔法陣の光に包まれて、私は懐かしき人間界の拠点を訪れていた。
こうして駒王町の拠点に適度に訪れていたけれども、今度は訳が違う。ようやくここを管轄する悪魔としての業務に復帰するのだ。ここまでの経緯を思い出すと感慨深い思いが溢れていく。
「ここがリーア様の人間界での家ですか?」
「そうよ。そして、今日からここが貴方達の新しい家になるわ。白音、黒歌」
背後から問いかけてきたのは白音だ。私が保護した頃に比べれば明らかに肉付きは良くなり、お母様が選んだ私服を身に纏った彼女はまさしく美少女を言うべき姿であった。
いつも見慣れていた猫耳は人間界に拠点を移すという事で、今は変化で隠している。つまりどこに出しても恥ずかしくない美少女という訳だ。保護者としては感慨深い思いに包まれるばかりである。
「漸く、漸くあの銀髪の悪魔から解放されたにゃん……! 私は、私は自由だにゃーん!! 人間界最高にゃん!! オアシスはここにあったにゃーーーーー!!」
ごろん、と私の家の床にダイブするように転がるのは黒歌だ。その姿は相変わらずメイド服のままなのだけど、それを気にした様子もなく解放感に満ちあふれた様子で叫んでいた。そんな黒歌の様子を見て、私と白音は顔を見合わせて苦笑をした。
あれから黒歌はグレイフィアの弟子のような扱いとなり、こってりと絞られていた。たまに与えられる休息で顔を合わせる度に目が死んでいた。似たような経験をした事がある私はご愁傷様、と両手を合わせた。
一方で白音は、秘書として勉強をしたいという事で何と驚く事にお母様が教育を買って出てくれた。これには私も驚いたのだけど、私の子供時代にそういった事を教えてあげられなかったし、と言われればなんとも言えなくなってしまった。
お母様の丁重な教育と白音の意欲もあって、白音はお嬢様と言っても過言ではない嗜みを身につけていた。秘書になる、という事で勉強も頑張っているようで、飲み込みも早くて教えるのが楽しいとお母様が言っていたのが印象的だった。
コレを機に私もお父様から領地の経営のイロハを学ぶなどの機会を得ながら、ようやく人間界に戻る太鼓判を家族全員に頂いて、こうして戻ってきた訳である。従者として黒歌を、秘書見習いとして白音を連れて。
「それじゃあ黒歌、私のお友達を呼ぶからお茶の準備をよろしくね」
「畏まりましたにゃん。リーアお嬢様」
ごろん、と寝転がっていた黒歌が命令を下すと同時にテキパキと動き出す。最早、体に染みついたらしくて、最初は黒歌も項垂れていたのだけれど、今は諦めたのか慣れたようにお茶の用意をし始めている。
尚、語尾に関しては結局素の時でも定着したらしい。まぁ、可愛いから良しとしましょう。黒歌ももう気にしてないみたいだし。
「リーア様、端末をお借りしても良いですか? もう少しこちらの文化などを調べておきたいので……」
「いいわよ、白音。好きに使って頂戴」
「ありがとうございます」
ぺこり、と優雅に一礼をする白音に、なんだか妹が出来たような感じがして照れくさくなる。猫だけに猫可愛がりしたくなる程だ。黒歌は素直じゃないから可愛がらせてくれないけれど、白音は基本的に抵抗しないのでついつい愛でてしまう。
お茶の準備を黒歌に任せつつ、私は電話を手に取った。今日は黒歌と白音をイリナ達に引き合わせる為のお茶会の予定なのだ。漸く叶いそうな楽しい想像に胸を躍らせながら着信音に耳を傾けた。
* * *
「お初にお目に掛かります。私の名前は塔城 白音と申します。リーア様の秘書見習いとして務めさせて頂いております。ご友人の皆様方には今後とも良くして頂ければと思います」
「同じく、塔城 黒歌。この子の姉で、リアス様の専属メイドとしてこちらにやってきましたにゃん。まぁ、よろしくしてにゃん」
「「「にゃん?」」」
「リアス様の趣味にゃん」
「「「そうなの!?」」」
「私が言ったのは事実だけど、別に趣味じゃないわよ」
家にやってきたイリナ、一誠、朱乃と、白音と黒歌の顔合わせはこのように始まった。
ちなみに二人の苗字だけれども、原作を肖ってそのまま同じ苗字を名乗らせる事にした。二人とも、苗字に拘りはなかったようですんなり自分の苗字として受け入れてくれたみたいだけども。それがどこか一安心だった。
最初は畏まって対応していた白音だったけれども、イリナが落ち着かないから普通に喋って良い、という事で少しだけ口調を崩すようになったり、黒歌が三人をからかったりと、和やかな空気でお茶会は続いていた。
「ようやくリアスも学校に復帰かー」
「長期療養って事になってたもんね。皆、心配してたわよ?」
「うん、下級生の子も話題にしてたよね」
一誠が感慨深げに呟き、朱乃とイリナが学校での近況を伝えてくれた。どうも心配されていたらしい。裏の事情は知らない学友達からすれば、重い病気や怪我になってしまったんじゃないかと話題になっていたらしい。
事実、療養していたので間違いではないんだけれども。中には幼稚園からの付き合いの生徒もいるので、顔を見せて安心させたいな、と思う。
「学校と言えば、白音も学校に通って貰う事になってるわ。一誠、同じクラスになるだろうから面倒を見てあげてね?」
「えっ!? 白音ちゃん、俺の学校に来るの? リアス達と一緒の学校じゃないのか?」
「それも考えたのだけど、白音には色んな経験をして欲しいからね。私達と一緒ってばかりも良くないと思って、色々と相談した結果なのよ」
そう、白音には敢えて一誠の学校で、一誠のクラスに入学して貰おうと考えたのよね。
「秘書としてはリーア様のお側にいる事も考えたのですが、勉強も兼ねてという事で……」
秘書になる、と言ってくれるのは嬉しいし、今後からは白音にも色んな仕事を振っていくつもりだけれど。その前に私に限らず、関係の幅を拡げる為に私と距離を取った生活を送ってみるのも大事なんじゃないかと思ったのだ。
白音の希望や、家族と相談の結果、小学校の間はそれで過ごしてみよう、という結論に至ったのだ。中学校に上がる際に私と同じ学校に来るかどうかは、その時の状況を見て判断すれば良いという事で。
……ちょっぴり、一誠が寂しそうにしていたから、という打算があるのは伏せてある。それに一誠はまだ“
「人間関係を築く、という事も大事な事だし。何でもかんでも私を規準にするのも良くないと思ってね」
「お姉ちゃんとしてはちょっと心配にゃんだけど。一誠くんだっけ? 妹の事、よろしく頼むにゃん」
「おう! 任せておけ!」
「黒歌さんは?」
「学校とか性に合わにゃいし、仕事も引き受けてるから通わないにゃん。ま、主にお仕事だにゃん」
「あとはお義姉様から言いつけられた修行メニューもこなさないとだしね」
「にゃー! 忘れたい現実を思い出させないで欲しいにゃーッ!!」
そう、最初は黒歌も学校に通わせようかという話が出たのだけども黒歌が乗り気じゃなかったのだ。それなら無理をさせず、空いた時間は自己鍛錬に励むように、とお義姉様に特訓メニューを手渡された黒歌の表情は完全に目の光が消えていた。
かといって学校に通うかと言われたら、それなら修行をする、という事で学校に通う事は選ばなかった。口では悪魔だの鬼だの言っているが、黒歌は力を求める姿勢は貪欲だ。辛い、とは口にした事はあるがサボった事が無いというのはお義姉様から聞いている。
だから黒歌は仕事は与えるけれど、基本的に自由にはさせている。しっかりと首輪をつけられたようではあるけれど。がっくり項垂れる黒歌を見て、私は口元を抑えてクスクスと笑うのだった。
* * *
「リーア、変わったね」
「え?」
ふと、イリナがそんな事を言ったのはたまたま私とイリナが二人でいる時だった。
黒歌は修行で、白音はそれに付き添って一緒に修行に行くらしい。朱乃は何か最近、私達に秘密で何か始めてるらしく、私達と行動をしていない事が増えていた。
朱璃さんに訪ねた事もあるけれど、柔らかく笑って何をしているかは教えてはくれなかった。バラキエルさんも黙認しているらしいから、問題はないとは思うんだけど。少し気になってたりはする。
レイナーレに聞いて見たりもしたのだけど、まぁ案の定答えてはくれなかった。そういえば、最近はレイナーレは朱乃と一緒にいる事が多いような。堕天使の事情かもしれないので、深く突っ込むのは躊躇うから踏み込んではいないけれども。
さて、そんな訳で私はイリナと二人で行動する事が増えた。久しぶりに復帰した学友達、何気ない日常に戻った私は思ってたよりも人間界の生活に楽しさを覚えていたらしいという事だった。
だから、こんな何気ない時間も大切なものだ。そう思っていた矢先に冒頭のイリナの一言である。
「……そんなに変わったかな? 私」
「うん。良い顔するようになったよ」
「……うん。実家に帰って、色んな事にたくさん気付いたり、見つけた事があるんだ。だからかな」
私に出来る事、しなきゃならない事。その上で、私がどう叶えたいのか。どうしていきたいのか。それは少しずつ明確になってきた。黒歌から教えて貰っている仙術の型のお陰で、私の力も洗練して使えるようになってきている。
前に進めている実感、今までどこか漠然として進んでいた道がはっきりと見えてきたような感覚。それは以前の私にはなかったもの。それを自覚すれば余裕も出来てきて、こうして日常に浸る事だって楽しむ事が出来て。
「そっか。良かったね、リーア」
「うん」
「……私も、前に進まないとね。はい、これ」
「ん?」
すっ、とイリナから差し出されたのは水晶に飾りをあしらったようなペンダントだった。それを受け取ってまじまじと見つめる。手に触れればわかる、暖かな感覚。それは確かな力を込められたペンダントだった。
「もしかして……タリスマン?」
「うん。リーアに取ってきて貰った素材で作った私のオリジナルだよ。今度は火傷したりしない、ちゃんとリーアが身につけてても大丈夫なお守りだよ」
少し照れたように笑うイリナに、私は手の中に握ったタリスマンに目を落とす。この暖かな気配は、きっと守護の為のもの。それは私の為にと思いを込められた、イリナの優しさそのもの。
それが凄く嬉しくて、思わず目頭が熱くなった。イリナから贈り物をされたのは始めてじゃない。でも、その中には聖なるものが含まれている時もあって、苦しんだ記憶がある。それからお菓子などでイリナは贈り物をしていてくれたのだけど。
これは、かつての過ちの払拭だ。イリナが今度こそ、私の事を思って確かな実感としてくれる贈り物だ。これは、私達の間に横たわっていたトラウマを払拭する象徴そのものだろう。そう思えば、涙が落ちていくのを止められなかった。
「ちょ、ちょっと!? 何で泣くの、リーア!」
「だって……嬉しくて……」
「もう……リーアが素材を探してくれたからだよ。まだ拙いけど、うん。私、もっとリーアの為に役に立つものを作ってあげるね」
約束だよ、とイリナは言う。少し照れたようにはにかむ様子に私も嬉しくて、笑みを浮かべ返す。
イリナから受け取ったタリスマンを首にかける。それを胸元で揺らしてみて、感慨深さに胸が温かくなる。私の身を包んでくれるだけじゃない。心の奥底から力が沸いてくるような実感を確かめるように、そっと胸元を押さえた。
(そうだね、私達は前に進んでいくんだ。一緒に前に)
だから、ここに戻ってきたんだ。私のやるべき事を為す為に。
* * *
その日、一誠は一人の時間を過ごしていた。一人といっても、これからリアス達の所に遊びに行くか、それとも鍛錬の為にトレーニングをしようか放課後の予定を悩んでいた。
そうした帰り道、一誠は不意に目にした人物から目を離す事が出来なかった。心臓の奥底で何かが高鳴るような、そんな予感を覚える少女。
漆黒の髪は夜の闇を閉じこめたように美しく、憂うような感情の窺えない瞳は闇を詰め込んだようにも見える。そして、その格好がどうにも奇抜だったのも目を引いた理由だろう。露出度の高いゴシックロリータという装いのその少女から目が離せなかった。
感情の色が窺えない少女は、どこかぼんやりと立ち尽くしていて。……何故、声をかけたのかわからない。奇妙な感覚が抜けないまま、一誠はその少女へと話しかけた。
「君、どうしたの?」
一誠が声をかければ緩慢な動作で視線を向けられる。闇色の瞳に見据えられた一誠は、まるで闇の底へと引きずり込まれてしまいそうな錯覚に息を呑む。もしかしたら、この子は人外の存在なのかもしれない、と。
ただ、敵意はないように思えた。悪い子だとは思えなかった。それに、どこか儚くて、寂しそうに見えたのだ。それを一誠はどうしても放っておく事は出来なかった。ぐっ、と足と腹に力を込めて少女を見つめる。
少女は暫し沈黙していたが、漸く思い出したかのように口を開いた。
「探してる」
「……探してる?」
こくり、と少女が頷く。探している、と言われるだけでは具体的な少女の事情は掴めない。首を傾げながらも、一誠は問いかけを重ねる事にした。
「何を探してるんだ?」
「グレートレッド」
「……なんだそれ」
知らない名前だ、と。そうしていると、少女が一誠を真っ直ぐに見つめている事に気付く。いつの間にか距離を詰められていて、その扇情的な衣装が嫌でも目に入ってきてドキマギとして、一誠は一歩身を引いてしまう。
「……貴方、懐かしい匂いがする?」
「え?」
「……気のせい、かも」
匂い? と言われて、一誠は思わず匂うのかと自分の体臭を確認する。そうしている間に、まるで一誠に興味を無くしたかのように少女は離れていこうとする。
離れていく少女の手を、一誠は思わず掴んでしまった。手を掴まれた事で少女はきょとん、として一誠に再び視線を向けて来る。
「あ、いや、ごめん。でも、なんか困ってそうだったから。捜し物があるんだろ? それなら警察に行くとか……あと、その格好は、ちょっと不味いというか……何と言うか……」
「…………」
「あー、その、なんだ。俺も手伝おうか? その、グレートレッド探し。グレートレッドって何なんだ?」
「ドラゴン」
「……ドラゴン?」
思わず鸚鵡返しに一誠は聞いてしまう。ドラゴンと言われて思い当たるのは自分の中にあるという“神滅具”だが、自分は違うと言われた。
そういえば、と。一誠は以前、リアスが自分とは違うけれども、龍の力を持っているという事を思い出した。
「もしかしたら、君の探してるグレートレッドって俺が知ってるかも」
「……本当?」
「あぁ! 違っても、困ってるなら手伝ってくれるかもしれないし。えっと、君、名前は何て言うんだ?」
「我の、名前」
我? と聞き覚えのない一人称に一誠が不思議に思いつつも、その少女は、己の名を口にした。
「――……オーフィス」
その名が、そしてグレートレッドを探す意図が何を意味するのか。この時の一誠は、まだ何も理解していなかった。何一つ、彼にはこの後に巻き起こる運命を止める術を持たなかった。
* * *
巡る運命は糸車。手繰られた運命の糸はからり、くるり、絡め取られて。誰が望んだか、誰が望まなかったか。さりとて、運命の幕は上げられる。
* * *
「おーい、リーア! イリナー!」
帰宅の足取りは軽く。私はイリナと他愛のない話をして歩いていると、後ろから自分の名前を呼ぶ声で足を止めた。
聞き慣れた一誠の声に私は何気なしに振り返る。そして一誠が手を引くようにして誰かを連れているのが見えた。
――その瞬間、どうしようもなく血の気が引いた。
“それ”が何か理解するよりも、その存在を視界に入れた瞬間に感じ取ったのは、まるで運命のようでもあった。
心臓の鼓動が早鐘のように鳴り響く。産毛が立ち、悪寒が体を支配していく。目の前がちかちかしていて、体の全体が警鐘を鳴らしているかのようだった。
ようやくまともに視界を収めた色彩は漆黒。夜を溶かし込んだような黒髪に、闇を収めた瞳が私を見据えていた。その視線に射止められているという事実に、私はまるで怯え竦んだかのように喉を引きつらせた。
そして――“ソレ”が笑った。どうしようもなく、狂喜と言わんばかりに喜悦に歪んだ顔で。瞬間、私は喉が張り裂けろと言わんばかりに上げた。
「――イリナッ! 一誠ッ! ソイツから離れてッ!!」
「え?」
「リーア?」
突然の私の怒声に戸惑う二人を余所に一誠に手を引かれていた少女は、一誠の手を離して、次の瞬間には私の目の前に既に顔がくっつきそうな程に距離を詰めていた。
警鐘が強く響く。全身から警報を出すように汗が浮かび出て、無意識に力の発露を抑える事が出来なかった。まるで感じ取っているかのように。
「見つけた」
心底嬉しそうに彼女は――“
この悪寒の意味を悟る。彼女がオーフィスだと理解する前から、この体は警鐘を放っていた。何故ならばそれは。
「――グレートレッド、倒す」
どうしようもない程に、オーフィスが私に対して敵意を向けていたからだ。
そして次の瞬間、オーフィスから放たれた力の奔流が私を飲み込んだ。
* * *
斯くして、蛇は来たりて。泡沫の夢は淡く弾け散る。