「ほらほらぁっ! そんなんじゃ死ぬわよ! いっそ死ねっ!!」
堕天使の象徴である黒い翼を広げ、手の中に生み出した光の槍を投擲しながらレイナーレが叫ぶ。
そんなレイナーレに相対するのは一誠だ。右手に剣、左手に籠手を装備し、レイナーレの光の槍をかいくぐりながら応戦していた。
しかしレイナーレは空に浮いている為、一誠は護りで手一杯だ。しかし、この戦闘はこれが目的である。
レイナーレの攻撃を捌き続けるというのが一誠の課題である。そんな一誠は息を上げ、所々光の槍によって傷つけられた傷が痛々しい。
「くっ……!」
「そらぁっ!!」
限界か、と一誠の動きが鈍ったのを確認して私は地を駆けた。そしてレイナーレの光の槍を弾くように腕を振るい、一誠との間に入る。弾き飛ばされた光はガラスが砕けるような音を立てながら宙に霧散していく。
「今日はここまでね。レイナーレ、お疲れ様」
「……ふん」
私が労いの言葉をかけると、レイナーレは地に降りてきて、そっぽを向いて鼻を鳴らした。
一誠は大きく息をしながら、地に寝転がって手足を投げ出していた。そんな一誠の姿を見ながら私は一息を吐く。
“
「訓練と実戦は違う、か。確かに八重垣さん達じゃこうはいかない、か」
「当たり前よ。私は本気でこのガキを殺すつもりでやってるんだから」
まだ起き上がれそうにもない一誠の様子を伺いつつ、私はレイナーレへと声をかける。決して視線を合わせようとしないけど、レイナーレは私との会話に応じてくれる。
そう、レイナーレは実際に殺すつもりで一誠に攻撃を仕掛けている。その殺気も、殺意も本物だ。だからこそ私がここにいるのもあるけど。要は止める監督役がいれば良いのだ、と。
「やるからには徹底してやるわ。それがアザゼル様の命令だもの」
「真面目なのね、貴方は」
「悪魔に真面目なんて称されたくないわ。……それにしても嫌になる。あんたには光が通じないんだもの」
「いや、魔力で弾いてるだけだから光に触れるのはあまりね」
「あんな簡単に私の光の槍が弾かれるのを見れば思う事もあるわよ。あぁ、嫌になる」
ぶつぶつと不満を零すように独り言を呟き出すレイナーレに私は苦笑する。
レイナーレがアザゼルから派遣されてからというもの、レイナーレとの付き合いも増えてきた。そこで私が彼女に感じたのは分かり辛いし面倒くさい、そしてそれ故に損をしやすい性格だと言う事。
はっきり言ってレイナーレと私が本気でやり合ったら私はレイナーレを完封出来る自信がある。彼女の光の槍は当たれば痛いだろうけど、私にとっては痛いだけだ。実際に最初に一誠へ本気で仕掛けた一撃を軽く弾き飛ばした時の顔は忘れられないし。
本来の彼女は、きっと気弱な性質なんじゃないかと思う。臆病とも言える。けどそんな自分を隠すように高圧的な態度を取っているんじゃないかと。
そう思っている理由が、朱乃がレイナーレに懐いているからだ。お姉ちゃんが出来たみたい、と微笑む朱乃に口では色々と言いつつも決して邪険に扱わないレイナーレ。
最初はバラキエルさんの娘だからと遠慮してたみたいだけど、一緒に暮らしている内に慣れてきたのか、朱乃曰く頭が良いお姉さん、らしい。それに朱乃の話を聞く限り、世話焼きの面も見受けられる。
朱乃が勉強で頭を悩ませていれば教えてくれたり、作りすぎて余ったからお菓子をくれただの、姫島家からのレイナーレの評価は高かったりする。
私はレイナーレが今までどんな人生を歩んできたのかは知らないし、これからも知ろうとも思わない。レイナーレは必要以上に身内以外とは馴れ合わないだろうと、私は勝手に思ってる。きっと外れてもないだろうし。
だから私とレイナーレの付き合いは付かず離れず。一番仲が良いのは朱乃。イリナは私とどっこいどっこい。一誠は……まぁ、見ての通りである。
「それじゃ、私行くから」
「えぇ、お疲れ様」
用は済んだ、と言わんばかりに去っていこうとするレイナーレに一言だけ告げる。
そのまま別れようとした所で、一誠が立ち上がった。まだどこか覚束ない足下だけれども、しっかりと立って深く頭を下げた。
「レイナーレさん! ありがとうございました!」
これはいつもの光景だ。あれから一誠はレイナーレに対して妙に申し訳なさそうにしつつも、目で追ってしまうそんな複雑な状態だ。その心情は、まぁ理解は出来なくもないんだけど一誠は大変だ。
一誠にお礼を告げられたレイナーレは、何とも言い難い複雑そうな表情を浮かべて、しかし何も言う事なく去っていった。そんなレイナーレの姿が見えなくなるまで見送って、一誠はその場に再び寝転がるように倒れる。
「お疲れ様、一誠」
「ありがとう、リーア」
そんな一誠の傍に膝をついて、タオルを渡してあげる。タオルで顔を拭いながら一誠はお礼を告げて一息を吐く。
それからお互い何か喋る訳でもなく無言の時間が流れる。そうしていると口を開いたのは一誠からだった。
「……俺、前に進めてるかな?」
「不安?」
一誠の言葉に私は逆に問いかけるように聞いてみる。すると一誠は遠くを見るように空へと視線を向けながら呟くように言う。
「実感が沸かないんだ。少しずつ強くなれてる気はする。でも、リーアが言うような力は感じないというか。……俺の中にあるっていう
一誠が目を細めて、僅かに表情を歪ませる。そんな一誠の姿を見て私は複雑な思いを抱く。
まだ小学生で、己の辿る運命の一端を知って。普通でいられた筈の時間は短くなった。なってしまった現実はどうしようもない。もしもなんて存在しない。何度も打ちのめされてきたからわかったつもりなのに。
「別に、頑張るのが辛くなったら止めても良いんじゃないかしら」
「え?」
「辛い思いをしてまで、やる事なんてないわ」
私は、何が欲しかったんだろう。ふとした時、考える事がある。
私は知っている。この世界が辿るかもしれなかった未来の1つを。そんな未来はもう来ない事を知ってる。私が違うから。これは私の歩む人生だから。違うのは当然、私は“リアス・グレモリー”であっても、“彼女”じゃないから。
私が憧れた世界、私が夢見た世界。そんな未来に辿り着かない世界だからこそ、それに代わる結果を、もしくは超えるようなそんな世界が欲しい。
「一誠、貴方が辛いなら助けてあげる。力が足りないと嘆くなら私が護ってあげる」
この子が愛おしい。正史であれば英雄と呼ぶに相応しき道を辿った、どうしようもなくスケベだけど大切な人達を護ろうと体を張ってきた彼が。そして、世界が異なってもその片鱗を見せ付けてくれる一誠が愛おしい。
だから辛いなら無理をする必要なんてない。あの“兵藤 一誠”になる必要なんて、ない。
「……あぁ、そうか」
最近、私が悩んでいたのは。彼等が私の知る“彼等”と違っていく様を見て、彼等は幸せなんだろうかって考えてしまうからだったのかもしれない。
一誠も、イリナも、朱乃も。皆、違う未来を歩み始めてる。同じ未来を辿らない。正史世界の彼等が必ずしも幸せだったとは言わないけど、私が切っ掛けで変わってしまった未来の先で、この子達は幸せになれるのかって。
不安だったんだ、私は。この変わっていく世界の中で、私が幸せを願う人達が辛い思いをするのが耐えられなくて。幸せになって欲しいと願っていたから。
「私が護ってあげる。足りないなら、その分を私が埋めてあげる。だから、我慢しないで」
伸ばした手で、一誠を抱き上げて胸元に押し付けるように抱きしめる。
かつて兄様が言った。お前が夢見た英雄になれるのは、近づけるのは私なんだって。
私には力がある。夢を見れば見る程、その夢への思いを裏切らなければ私は何だって叶えられる。
だから、自覚した以上は怯えてばかりもいられない。私は、この子達を幸せにしたい。その為に必要な代価があるなら支払って見せる。
「……リーア」
「ん?」
「……何でもない」
何か言いたげな表情をした一誠だけど、何も言わずに私に体を預けてくれた。
そんな一誠の背を撫でながら私は強く思い直す。この先、何があろうとこの子達を幸せにしてあげよう、と。私の友達を、私の大切な人達を。そんな未来を護る為なら、私は何も怖くないから。
* * *
「リアスちゃん、ちょっと良いか?」
「はい?」
今日は教会関係者との定例会議。いつもの報告を終えた所でトウジさんが声を差し挟む。私は何かあっただろうか? と首を傾げてトウジさんの顔を見た。
トウジさんはどこか言い難そうな表情を浮かべていて、暫し間を開けてから口を開いた。
「君に話を通さなければならない事があってな」
「? ……何でしょうか?」
「リアスちゃんは、“奇跡の子”を知っているかね?」
「……“天使”と“人間”のハーフを“奇跡の子”と呼ぶ事は知ってますけど」
天使は欲望に傾くと堕天してしまい、堕天使になってしまう。それ故に天使のままで子供を授かるというのは非常に稀有なケースだと言うのは聞き存じている。しかし、何故その話題を今するのかわからない。
首を傾げている私にトウジさんは苦虫を噛み潰したような、疲れた気配を滲ませたまま私に告げた。
「あぁ。そして、教会には“奇跡の子”と称される男児、テオドロ様がおられる」
「はぁ……」
「そのご両親とテオドロ様が、この地の訪問を希望していてだな。正確には……リアスちゃん。君との面会を望んでいる」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が漏れてしまった。つまり、教会の中でも天使との間に生まれた子である“奇跡の子”と、その両親が私に会う為にこの地を訪問したいと言っていると?
状況を整理し終えた私は頭痛を感じてこめかみを抑えた。それは、うん、なんともまぁ……。
「……なんというか、願ったり叶ったりではありますが、頭の痛い話ですね」
「あぁ、教会側も意志を尊重する側と、反対する側で激しく割れていてな」
「それでも、ですか」
「今やこの地は三大勢力の全ての関係者が集っている場所だ。君は魔王の妹で、この地に移住してきたバラキエル殿もアザゼル総督の片腕と言っても過言ではない。少しずつではあるが、和平の実現の可能性を考えている勢力も教会の中では生まれつつあるのだ」
「それはつまり、悪魔と和平を結んでも良いと考える勢力が?」
「あくまで互いの領分を超えない為の線引き、棲み分けという意味合いでの和平ではあるが、な」
「その為に訪問、発端となる私の見極めを自らがしたい、と申されたと言った所でしょうか」
私の問いかけにトウジさんは重々しく頷く。私は思わずその場で腕を組んでしまった。
「……荒れますね」
「あぁ、コレを機に、と言う過激派もいるだろう」
「奇跡の子に何かあれば、問題になるでしょう。それに乗じてこの地を崩したい輩なんて多くいるでしょう」
表に出さないだけで、潜在的にこの地を狙っている相手なんて幾らでもいるだろう。心当たりも幾つかあるしね。
状況は荒れる事が予想される。けど、逆にここを乗り切る事が出来れば和平へと大きく前進出来るかもしれない。来訪したいとう奇跡の子の両親が何を考えているのかにもよるけど。
「……私は喜んでお受けします、とお伝えください。トウジさん」
「……良いのかね?」
「どの道、避けて通れない話です。それなら堂々と進むだけです。お力添えを願う事があるかもしれませんが……」
「あぁ、その時はこの地を守る為に力を貸そう」
「ありがとうございます、トウジさん」
私はトウジさんに頭を下げて、深く深呼吸をした。
様々な勢力も、思惑もこの地に集いつつある。今まで静かだったとも言える世界が大きく変わるだろう。
いつか来るだろうと思っていた。きっとこれは試練の時だと思う。私が理想を叶える為に超えなければいけない試練。
無言で拳を握り、強く握りしめる。脳裏に浮かぶのはお兄様を始めとした親しい人達の顔。そんな脳裏に浮かんだ人達に、胸を張れるような幸せを。
「掴んでみせる……何があろうとも、必ず」
* * *
「はぁ!? 奇跡の子と、その両親の面会ィ!?」
「レイナーレ、ちょっと声が大きいわ」
レイナーレが目を見開いて声を荒らげる。私はその声量に耳を塞いで顔を顰めた。そんな私と同じように耳を塞いでいるのは一誠、イリナ、朱乃といった面々だ。
ここは朱乃の住まうマンションのリビング。そこで集まった私は近々、教会から要人が来る事を伝えていたのだ。そして伝えた時のレイナーレの反応がコレである。
「随分と大物が動いたわね……」
「そういう訳だから、皆にはちょっと身辺の注意を払って欲しいの。私の関係者って事で何か巻き込まれる可能性もあるから」
「ちょっと! そんなの聞いてないわよ!」
「ここに派遣された以上、どうしてもついて回る事よ。今からアザゼルに抗議でもする?」
うっ、とレイナーレが息を呑んだ。レイナーレが駒王の地に留まっているのはアザゼルからの命令だ。命令を無視してこの地を離れるなんて事も彼女には出来ないだろう。
そこにお茶菓子を持ってきた朱璃さんが入ってくる。その表情はやや引き締められていて、私へと顔を向ける。
「和平を崩す為に、私達が狙われる可能性もあるという事ですか」
「そもそもこの土地そのものが狙われる可能性すらあります」
私が口にした言葉に一誠、イリナ、朱乃が不安そうな表情を浮かべる。それに気付きながらも、私も真面目な表情を崩す事は出来なかった。これからする話は彼等にとっても大事な話になるからだ。
「正直言って、この地から離れてくださいと言う事も考えましたが……」
「それも悪手ね。今後の事を考えれば」
「えぇ。私達は和平を前提としてここで共生関係を築いています。それを妨害されるから、と言ってこの地から離れれば……和平が遠退いてしまいます。だから、朱璃さん、レイナーレ。お願いがあります。有事の際、子供達を護ってあげて欲しいんです」
この地から離れるのは、将来の事を考えて取れない手段。しかし何かが起きる可能性は非常に高い。その規模を考えれば、最悪この地そのものの瓦解を狙ってくる可能性だって無くはない。ないとは思いたいけれども。
だからこそ備えをしておきたい。何かが起きた時、一誠達を生き残らせる為に、守り抜く為に。
「……なんで私まで」
レイナーレが不満を口にする。彼女が与えられた命令はあくまで一誠の中に存在する神器の調査が主だ。子供を護れ、だなんて言われてないと言わんばかりの口調だった。私もレイナーレの言い分は最もだと思う。
だからこそ、これはお願いだ。確かにレイナーレは私よりも弱い。弱いが、子供達よりは強い。だからこそ少しでも不安を減らす為に協力が欲しい。
「レイナーレ、お願い。別に敵を倒せ、とも、私に協力しろ、とも言わない。ただ子供達を護って欲しいの。私はきっと、その時一誠達の傍に居られないから」
明らかに不満げな表情を浮かべていたレイナーレだが、ふと視線を逸らして目に入ったのが朱乃の不安げな表情だ。その隣で一誠もイリナも強張った表情を浮かべている事に気付いて、ふん、と鼻を鳴らした。
「……一応、聞いておくだけ聞いて置いてあげる。叶えるとは言ってないからね!」
「それで良いわ。……ありがとう、レイナーレ」
「悪魔にお礼なんて言われたって嬉しくとも何ともないって」
そっぽを向くレイナーレに私は安堵の息を零す。そんな私の手をいつの間にか傍に来ていた朱璃さんが優しく握ってくれた。
「リアスちゃん。この子達の事は私達に任せて、貴方は貴方の為したい事を為して頂戴。それがきっと、私達の望む未来に繋がる事だと私は信じてるわ」
「……はい、勿論です。私はその為にここにいますから」
朱璃さんの言葉を受け止めて、私は重々しく頷く。
そして、私は一誠達へと視線を向ける。一誠も、イリナも、朱乃もどこか不安そうな表情を浮かべているのに私は出来るだけ、満面の笑みを浮かべる。
「大丈夫。安心して、必ず皆が笑い合いながら大人になっていける世界を私が掴んでみせるから。だから、何かあったら一誠達も自分の身を少しでも守ってね?」
私の言葉に大きく頷く一誠、静かに、けれど何か決意をしたような表情で頷くイリナ。まだ不安が拭いきれないのか、不安そうな表情を浮かべながらも頷く朱乃。
思惑は蠢くまま、不安は拭えぬまま。やがて、運命の日が来る。奇跡の子であるテオドロと、その両親が来日するその日が。