深紅のスイートピー   作:駄文書きの道化

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ACT.07

 ストロベリーブロンドよりも紅の髪。どこまでも紅く、紅く。

 “彼女”の髪はきっと美しい真紅。華やかで、鮮やかな美しき真紅。

 でも、同じ髪でも私の深紅は―――血の色のようだ。

 この身は美しくあれた筈の彼女の血肉だ。だからこそ、鮮やかな真紅は血塗れた深紅に。

 だからこそ、だからこそ、本当は何かを為さなきゃいけないのに。

 だけど、もう嫌だ。もう目を閉じていたい。眠って、このまま消えてしまいたい。

 

『それで良いのか? お前は。お前の願ったものは、お前の望みは―――』

 

 うるさい! うるさい! うるさい! うるさい!

 耳を塞いで、目を閉じて、体を丸めて、声を遮って。

 全てを閉ざした殻の中で、私は『悪夢(わたし)』に苛まれる。

 私じゃなければ、なんて幾らでも呪った。呪って、呪って、呪って。

 消えたい。消えれない。無責任だ。歪めてしまった責任を果たさなきゃ。

 誰にも知られちゃいけなかった。軽蔑されて、落胆されてしまうから。

 私が大切に思う人達には、その人達だけには知られてはいけなかったのに。

 貴方達を空想の産物なんだって思いたくなくて、でもそうだと知ってしまっていて。

 だから、知られたら最後。私の言葉も、信用も、全てが消えていく。泡のように。

 だから一人だ。ずっと一人だ。これからも一人だ。一人ぼっちなんだ。

 辛いよ、痛いよ、苦しいよ。ねぇ、誰か、誰か。私は、私は……―――

 

 

 * * *

 

 

「サーゼクスッ!!」

 

 誰かが名を呼んだ。体は咄嗟にその場から飛んで後退る。瞬間、サーゼクスが立っていた場所を抉るかのように大気と地面が弾けた。

 まるでクレーターだ。炸裂したリアスの力が抉ったのだ。その中央に悶え苦しむように震えながら周囲を睨み付けているリアスの姿がある。未だに肉と骨が歪む異音が響き、リアスの存在が変質していく様が見える。

 ……何故だろうか。その金色の異形の瞳からは止まる事なく涙が溢れているからか、だんだんと禍々しい姿に変貌しつつあっても、サーゼクスにはこうとしか見えなかった。

 ――怯えている、と。あの子は、あんなに怯えている。触れるな、と。近づくな、と言うように。誰彼も遠ざけて、一人傷ついて涙を流している。

 

「……巫山戯るな……!!」

 

 歯を噛みしめてサーゼクスはリアスを見つめた。何故悲しむと、何に怯えているのかと。お前を傷つける者などいないのに、と。ただ歯痒い思いが募り続ける。

 サーゼクスの視線を受けてリアスがサーゼクスへと視線を向ける。ぎょろり、と瞳が動き、牙を剥いた口が大きく開かれる。

 

「ぐる、ぅ、ガァァアアアアアアアア!!」

「リーア!!」

 

 咆哮。それだけでサーゼクスの体を後ろに押しやろうとする衝撃が襲う。その中でもサーゼクスはリアスの名を呼ぶ。一歩踏み出し、そのままリアスの下へと駆け出す。

 サーゼクスが駆け寄ってくるのを見たリアスは四肢を地を這うように爪を立て、翼を羽ばたかせて弾丸のようにサーゼクスへと向かっていく。

 サーゼクスは振るわれた拳を受け流すようにして弾いて回避しようとし、その拳の重さに眉を顰める。今までのリアスでは考えられないような重さ、これは確かに“龍”の拳の重さだと腕に走る衝撃に眉を寄せる。

 リアスが暴れるように四肢を振り回してサーゼクスを捉えようとするも、サーゼクスはその攻撃を捌ききっていく。サーゼクスは戦士としては技巧派だ。魔力の障壁で受け流し、決して直撃を喰らわぬように立ち回る。

 獣のように暴れ回り、力を振るうだけのリアスは翻弄されるままだ。苛立たしげにサーゼクスを捉えようとして、逆に単調になった動きをサーゼクスは読み切りリアスの足をひっかける。

 体勢を崩したリアスはそのまま倒れ込みそうになったが、腕力に物を言わせて大地に爪を立て、強引に足を回転させるように開脚させてサーゼクスを蹴り飛ばす。不意の一撃を受けてサーゼクスの体がバウンドするも、すぐに体勢を立て直す。

 

「く……! まるで、獣だな……!」

 

 いや、とサーゼクスは冷静に思考する。実際彼女の意識は戻っているとは思えない。あれは潜在意識が触れられた事によって、リアスが防衛本能で動いているだけなのだろう。

 だが、それだけでも力だけで言えば四大魔王であるサーゼクスを殴り飛ばし、セラフォルーの障壁を砕くのだ。これがリアスの中に潜み、リアスを変質させた力なのか、とサーゼクスはリアスを見やる。

 リアスはサーゼクスを警戒するように歯を剥きながら唸っている。その頬を侵蝕するように鱗が覆いつつあるのを見てサーゼクスは悔しげに歯を噛む。早く止めなければ良くない事になる、という直感が働いていた。

 

「サーゼクス! 退け!」

「ッ! アジュカ!」

 

 サーゼクスを警戒していたリアスに向けて魔力の弾丸が迫る。それはアジュカの生み出した魔弾だ。飛び退いて距離を取るリアスとサーゼクスの間に立つアジュカ。

 距離を取ったリアスが力を溜めようとした瞬間を狙って氷の礫が襲いかかる。それを腕をクロスさせて防ぐリアスの目にはセラフォルーが映る。

 

「セラフォルー! 時間を稼げ! 出来るなら動きを止めろ!」

「分かった!」

 

 アジュカが叫び、セラフォルーが間髪入れずにリアスへと向かっていく。リアスがセラフォルーと戦いを始めるのを見つつ、アジュカがサーゼクスへと視線を向ける。

 

「サーゼクス、良いか。よく聞け」

「なんだ、アジュカ」

「時間がないから簡潔に言う。リアスの中にあった『α』、あいつの未知の力の部分はグレートレッドの物のようだ」

「グレートレッド……」

 

 『真龍』、『D×D(ドラゴン・オブ・ドラゴン)』。黙示録に記されている赤き龍、『真なる赤龍神帝(アポカリュプス・ドラゴン)』。世界でも最強クラスと称される、次元の挟間を漂う偉大なるドラゴン。

 サーゼクスが思わず息を呑む。そして同時に疑問が浮かぶ。どうしてリアスにそんなバケモノの力が宿っているのか、と。だが考えるのは後だ、と首を振る。続けるぞ? と前置きを置いてアジュカが言葉を続ける。

 

「だが本家に比べればそこまでバケモノじゃない。俺達が束になってかかれば敵じゃない、眷属もいるしな。問題はそこじゃない」

「何が起きる?」

「リアスがリアスじゃなくなる。今までは悪魔のベースの体に何か……つまりグレートレッドの因子が混ざっていた状態だが、一気にグレートレッド側の因子に傾いてやがる」

「“視える”のか?」

「あぁ、一気に侵蝕が進んでやがる。抑え付けたとして、因子を押さえ込んで元に戻さなければならん」

 

 アジュカの目にはリアスの状態が数式や方程式として見えているのだろう。つまり、それだけリアスの存在が加速度的に変化しているのも手に取るようにわかるのだろう。

 

「どうすれば良い?」

 

 冷静になろうと努めながらサーゼクスはアジュカに問う。握りしめた拳は力を込めすぎた結果、震えて爪が掌に突き刺さっていた。

 そんなサーゼクスに溜息を吐きつつ、アジュカが“ある物”を差し出した。それはサーゼクスも見覚えのあるものだった。

 

「……『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』?」

 

 それはリアスの力を偽装しつつ、観察・研究する為に作られた魔具。検査の為、アジュカが預かっていたそれをサーゼクスは受け取りつつ、訝しげな顔を浮かべる。

 

「今から無茶をやれ、サーゼクス。お前にしか出来ない手段だ。その『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』にお前の血と“消滅の魔力”を可能な限りに圧縮して込めろ」

「血と消滅の魔力を?」

「それをリアスに投与して、消滅の魔力をグレートレッドの因子にぶつける。そうすればバランスが取れて正気に戻せる可能性がある」

「しかし! それはお前が拒絶反応の恐れがあるから、私ではダメだと!」

「状況が変わった。拒絶反応に関して問題がない。リアスの力の増幅の仕組みはグレートレッドの因子だからだ」

「……本当に大丈夫なのか?」

「むしろそれしか手段がない。リアスと同じ血肉を持ち、消滅の魔力を有するお前にしかやれん。良いか? 可能な限り圧縮しろよ、そして『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』を絶対に破壊しないように出力を調整しろ。薄すぎてもダメ、濃すぎて壊してもダメ。やれるな?」

 

 不敵な笑みを浮かべてアジュカはサーゼクスに問う。問われたサーゼクスは返事もなく、『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』へと向けて。

 

「アジュカ、やり方を教えてくれ。時間がないんだろ?」

「都合良く手まで切ってくれてるんだ。ミスるなよ?」

「誰に物を言っている。――私はリーアの兄だぞ? 妹の危機に奮い立たない兄などいない」

 

 

 * * *

 

 

「おいたはダメ! 大人しく、しなさい!」

 

 セラフォルーは飛びかかってきたリアスを氷の障壁で受け流しながら、リアスを受け流した氷からそのまま凍り付かせて動きを封じようとする。だが、それはリアスの纏うオーラによって砕かれ、所々凍らせながらもリアスは未だセラフォルーに敵意を向けていた。

 既にリアスの四肢は龍の物へと変じつつある事にセラフォルーは焦りを覚える。鱗も段々と体を覆い、角も2本から4本へと増え、リアスの龍化が進んでいる事が目に見えてハッキリわかる程だ。

 

「ガァッ!!」

「っと!」

 

 くるり、と手に持っていた魔法少女風のステッキを回してリアスを受け流し、そのまま氷の弾丸を作り出してリアスへと放つ。そのまま氷付けにして動きを止めようとするも、龍の脚力を得つつあるリアスは捕まらない。

 そのままセラフォルーに迫ろうとしたリアスだったが、横合いから放たれた一撃をまともに喰らって地を滑る。セラフォルーはリアスを吹き飛ばした攻撃の主を見る。

 

「グレイフィアちゃん!」

「結界の補強と非戦闘員の退去に手間取りました」

「流石、グレイフィアちゃん! ……そんなグレイフィアちゃんの一撃を受けてもぴんぴんしてるね」

 

 グレイフィアの一撃を受けたリアスはすぐに身を起こしていたが、グレイフィアを目にして僅かに後退る。まるで怯えているような仕草で、そんなリアスの仕草を見たグレイフィアは唇をぎゅっ、と噛んだ。

 

「リーア……! 止まりなさい! このままでは貴方が!」

「ぐ、ぅ、ぅぅう……! グァアァアアアアアッ!!」

「リーアッ!!」

 

 リアスへと一歩踏み込みも、リアスが咆哮をあげる。それは衝撃波となってグレイフィアへと襲いかかり、グレイフィアはすぐに翼を広げて空へと逃れる。同じく空へと上がったセラフォルーが眼下のリアスを見やる。

 リアスは背の龍翼に力を込めて羽ばたこうとしている。そんなリアスの様を見たグレイフィアは眉を寄せる。悲しげに瞳が揺れて、涙が落ちそうになる。

 

「私の事もわからないの……!?」

「……わかってない訳じゃないと思う。多分、わかってるからこそ抵抗してるのかもしれない」

「どうして……」

「よっぽど触れられたくなかったのかもしれないね……。軽率に触れちゃった私達が悪いよ。それは償わなきゃいけない」

 

 そこまで言い切り、しかしセラフォルーは首を左右に振った。確かな意志を秘めた瞳でリアスを見据えながら叫ぶ。

 

「……でも、でもダメだよ、リアスちゃん! きっと今のままは良くない! 今まで、ずっと苦しんできた! そうでしょ!? ずっと隠してた苦しみなんでしょ! なら、わかり合うべきよ! 支え合うのが家族なんだから! 家族がわかり合えないなんて、悲しすぎるよ!」

 

 言葉を言い切り、セラフォルーが杖を構える。グレイフィアは涙を拭い、セラフォルーと並んで向かい合う。

 そこに蛍ような光が2人の下へと近づき、耳に入り込む。そこから響くのはアジュカからの声だ。

 

『2人とも、聞こえるな?』

「アジュカちゃん?」

『サーゼクスの準備がもう少しで終わる。リアスを無理矢理抑え付けろ!』

「サーゼクス……!」

 

 ちらり、とアジュカとサーゼクスの方へとグレイフィアは視線を向ける。そこには『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』へと魔力を込めているサーゼクスが見える。

 その額には汗がびっしりと浮かび、閉じられた瞳は苦悶に歪んでいる。ただ、一心に集中し、慎重に魔力が込められていく。それをアジュカが空中に浮かべた立体映像型のディスプレイで忙しなく視線を動かしつつ、調整を行っているようだ。

 

「セラフォルー、援護を任せるわ」

「了解だよ、グレイフィアちゃん!」

 

 グレイフィアが飛び出すようにセラフォルーと別れ、前に出てリアスと向かい合う。リアスが突き出した爪を最小限の動きで回避し、掠った肩の肉を抉られながらもグレイフィアはリアスに無理矢理抱きつく。

 引きはがそうとリアスが動く前にグレイフィアは重力も合わせて大地にリアスを引き摺り落とすように急降下していく。そのまま勢いよくリアスごと地面に墜落する。

 

「セラフォルー! 私ごと!」

「無茶苦茶! でも、容赦なく行くよ!!」

 

 叫ぶグレイフィアに呆れるように叫び返しながらもセラフォルーは杖を振るう。暴れようとしたリアスの四肢を氷の枷でグレイフィアごと大地に縫い止める。

 動きを封じられたリアスは引きつったような表情を浮かべて、唯一動く口でグレイフィアへと噛みつく。牙がグレイフィアの肩へと食い込み、鎖骨が軋む音にグレイフィアは眉を歪めて苦悶の声を漏らす。

 

「リーア……!」

 

 抱きしめた手に力を込め、レイフィアはリアスへと呼びかける。このまま龍になど、バケモノにさせないと言うように。

 そこに突風が吹き荒れる。現れたのはサーゼクス、その手には淡い光を放つ『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』が握られている。

 

「グレイフィア! 無茶をする……!」

「私の事より、早くリーアを!」

「わかっている!」

 

 サーゼクスが枷で縫い止められているリアスの手を取り、『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』を付ける。

 

「アジュカッ!!」

「管理者権限による外部からの起動を行う! ―――『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』、Max Boost!」

『――Max Boost』

 

 アジュカの叫びに応じて『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』が起動する。込められた“消滅の魔力”が余すことなくリアスの体に流れ込み、急激に魔力を流されたリアスは目を見開いて藻掻くように暴れ出す。

 グレイフィアへと噛みついていた牙を外し、苦悶に悶えるように叫ぶ。そんなリアスをグレイフィアが力の限り抱きしめる。『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』に手を添えたサーゼクスは、そのままリアスの手を握りしめ、リアスへと叫ぶ。

 

「リーア! 正気に戻れ!! 私の、私の声が聞こえるか!?」

 

 サーゼクスが叫ぶのに合わせて、グレイフィアもまた叫ぶ。

 

「リーア、しっかりしなさい! 貴方には! 夢があるんでしょう!? ―――思い出しなさい、貴方の夢をッ!!」

 

 

 * * *

 

 

 声が、聞こえた。“悪夢(ゆめ)”を見ていたような気がする。とても、とても怖い、とても恐ろしい。

 自己嫌悪や罪悪感で押しつぶされそうになって、消えてしまいたいと泣いていた私は、それでも届いた誰かの声に目が覚めた。

 

「……ぅ……ぁ……?」

 

 何が起きたのかわからない。私は治療を受けるという事で、薬を飲んで、意識が遠くなって……。

 時間が経つ事に、ぼんやりとしていた記憶がはっきりしていく。そうだ、私はセラフォルー様にクレーリア様の事を聞かれて―――!

 そして気付く。私は氷の枷で動きを封じられていた。その手足が龍のような手足になっていた。氷の枷で一緒に縫い止められているのはお義姉様で、お義姉様の肩口は何かに噛まれたような傷が出来ていて、血が止まらずに溢れていて私を汚した。

 

「あ、あぁ……、あぁあ、……っ!」

 

 きゅぅ、と目の奧が狭まって、呼吸が覚束なくなる。何これ、何なのこれ、私は、一体何が、どうなって。お義姉様も傷つけたのも私で、私は、なんで、龍に、こんなの、こんなの……!

 ―――“リアス・グレモリー”じゃない。

 確かに、聞いてた。私は悪魔じゃなくなるかもしれないって。だけど、それでも“リアス・グレモリー”でいたかった。そうなりたかった。なのに、なんで、どうして、私は、こんな―――!

 

「う、ぁ、……うぇ、……うぁ、ぁぁあああ……! あぁああああ……ッ!」

 

 どうして、どうして、と。何度も、何度でも自分に問いかける。

 何もかも変わっていってしまう。何も出来ないまま、私の意志じゃどうにもならないまま。

 “リアス”がいない。“リアス”がいなくなってしまう。せめて彼女になれなくても、彼女の代わりをしなきゃいけないのに。どんどん壊れていく、全部、全部、私の知る世界も、私の知る未来も、私の知る希望も。

 全部、“悪夢(わたし)”が悪いんだ。これは、全部、全部悪い夢だ。覚めない、幸せで暖かな、それでいて残酷な夢だ。だって、あんなに素敵な夢が、私のせいで全部無くなっていってしまう。壊れていってしまう。

 

「やだ、よぉ……! こわい、よぉ……!」

 

 助けて、誰か、助けて。

 私は弱くて、何も出来なくて、でも、頑張らなきゃいけなくて。

 泣かないように頑張ったよ、力が無くても諦めなければって。

 いつか、いつか報われるって。そう信じたいのに、何も上手くいかない。

 私じゃなければ良かったのに。そうすれば全部良かったのに! なんで私が、生まれて来てしまったんだろう! ただ、ただ、もう、何もかもがイヤだ!

 

「夢なんて、もう、みたく、ない! 私は、夢に、なりたかった訳じゃない! 夢に憧れていたかった! 素敵だと思っていたかった! なれないんだって諦めていたかった! なのに、どうして諦めさせてくれないの! ねぇ! なんで! なんでよ、神様! 私は無理だよ! 無理なんだよ! どうして私を“リアス”にしたの!? こんなバケモノにしてまで、どうして私は“リアス・グレモリー”なの!? やだよ、こんなのやだよ! もう、もうイヤだぁ!!」

 

 ただ、感情のままに叫んだ。触れられた、自分の知られてはいけない秘密に触れられた。そして気付いたらこんなバケモノになっていた。何もかもが自分のせいで壊れていく。それが溜まらなく怖くて、不安で、嫌になって―――ッ!

 

「もう、しに、たい……! ころして、よ……!」

 

 絶対に、言っちゃいけない言葉が零れ落ちた。

 

 

 * * *

 

 

「―――いい加減にしろ!!」

 

 それは空気を震わせる程の怒声だった。

 サーゼクスが吠えていた。泣きじゃくるリアスに、同じように涙を流しながら睨む程の視線を向けていた。サーゼクスの怒声を受けたリアスは体を大きく震わせて怯えたようにサーゼクスを見ている。

 サーゼクスは『悪魔の手(デモン・ヴェアリ)』を嵌められたリアスの腕を取り、そのまだ小さな手を握りしめる。両手で、まるで祈るように。

 

「リーア、いい加減にしなさい。お前は、どうしてそう、自分の命を、自分を軽くしようとすれば気が済む?」

「……わたし、は」

「お前が死んで良い命な訳がない、ないんだリーア。“リアス・グレモリー”になれない? 私にとってお前は、私の妹はお前一人しかいないのに? お前以外の誰が私の妹だと言うのだ!? お前は!!」

「……っ、……べつに、べつに! 産んでなんて頼んでない! “リアス”に産んでなんて誰も頼んでない!! 私は、私はただ夢を見たかった! 夢見ていたかっただけなのに! “リアス”だから頑張らなきゃいけない! “リアス”だから、私がリアスになった責任を取らないとダメなのに! 私は、こんなにも、弱い……! 何も、出来ないのに……! これ以上、苦しんで、辛くて、逃げたくて、もう、嫌なのにぃっ!! なんで怒るの!? なんで、なんで、なんで! なんでぇっ!?」

 

 誰も望んでなんかいなかったのに。望んでもいない役割を押し付けられて、それが嫌で逃げたくて、どうして怒られなきゃいけないのか。

 わかってる、本当はわかってる。これはただの我が侭だ。だって産まれてしまったんだ。仕様がない、ずっと自分に言い聞かせていた事だ。嘆いたって、どうしようもならない。

 なら責任を果たさなきゃ、頑張らなきゃ。言葉を飾って、自分を奮い立たせて、立ち向かい続けなければならなかったのに。

 

「“リアス”に産むなら魔力をなんでくれなかったの!? それなら幾らでも頑張れたのに! こんなにも違う! こんなバケモノになって、綺麗じゃなくなって、醜くて、弱くて、浅ましくて! “リアス”じゃない、こんなの“理想(リアス)”じゃない! 私は、私は誰にもなれない! 誰にもなりたくない! 求めないでよ、求めないで! 私は、……私は……、……」

 

 声が、震える。いつもまにか枷が外されている事に気付かずにリアスは身を投げ出して涙を流していた。そんなリアスを抱き起こすようにして抱きしめる者がいた。

 

「……リーア、貴方ずっと、こんなにも、こんなにも怯えていたのね」

「お義姉様……やだ、いたいよ、はなして……!」

「離さないわ。離したら、貴方はどこかに行ってしまうでしょ? リーア」

 

 リアスを強く、痛がる程に強く抱きしめながらグレイフィアは言葉を続ける。

 

「逃げたくて、ずっと逃げたくて、それでも立ち向かっていたのね? 何かしたい、怖いからってずっと、ずっと貴方は叫んでいたのね。こんなにも傷ついていたのを、私は気付いてやれなかった……」

「やだ……! ききたくない……!」

「貴方が“リアス・グレモリー”になりたいって気持ちが、こんなに思い詰められたものなんだって私は知らなかった。なのに私は“リアス(あなた)”でいていいのよ、なんて軽率な言葉を吐いてたのね……」

「ちがう……! おねえさまは、わるくない……! わるいのは、ぜんぶわたしだ!」

「うん、うん……だからこそ、聞いて? リーア。貴方が知る“理想(リアス)”がどんなに素晴らしくても、今、貴方の目の前にいる私にとって貴方だけが妹なのよ。貴方が知る理想から懸け離れてても、それを知っても、貴方と過ごした思い出が貴方を妹として認めるのよ」

 

 髪を撫でるようにリアスに触れながらグレイフィアは囁きかける。いやいや、と首を力なく振るうリアスに仕方ない、と言うように。

 

「“理想(だれか)”になんてならなくていいのよ、リーア」

「でも! そうじゃないと! 私は弱くて、知ってるのに、見殺しにしちゃう! そんなのダメだ! そんなの嫌だ! そんなの、背負えないよ! 背負えないんだよ!!」

 

 体を押しのけるように手をついて、グレイフィアから離れようとするリアス。そうしてグレイフィアの腕から逃れたリアスを襲ったのは、―――サーゼクスの平手だった。

 ぱん、と渇いた音が鳴り、リアスは叩かれた頬を抑えて呆然とする。サーゼクスは能面のような表情を浮かべてリアスを見据えていた。そして、自ら打った頬を己の手で撫でながら言葉を続ける。

 

「自分の命も背負えない者が、他人の命を背負うだなんて烏滸がましいと知りなさい」

「ぁ……」

「自分の命を救ってからだ。間違ってはいけないよ、リーア。君にとって誰かの命が無二のものだとして、君自身が、私達にとっての無二の命だと弁えなさい」

「……ぅ、ゃだ……! 大事に、しないで……! 優しくしないで! 愛が重いよ! 愛が痛いよ! 知らないでよ、手を差し伸べないでよ! 知ったら幻滅されちゃう! 落胆されちゃう! 軽蔑されて! そんな思いをするぐらいならもう死にたい! もう辛い! 生きたくない! 頑張りたくない!!」

「それでも知らなければお前を救えないんだろう? リーア。なら、嫌がっても私はお前の話を聞くし、お前の事を知ろう。そして―――絶対に君を愛してみせる。そして護ってみせる」

「どうして! どうしてそんな酷い事を言うの!? 私は、……私は……!」

「――お前が何と言おうと、私を最初に“兄”と呼んでくれた“妹”はお前だけだからだ。お前がどんなに理想の“自分(だれか)”を知っていたとして、私にはお前だけだ。難儀で、手がかかるが良い子で、それでいてとても弱い臆病なお前だけだ。お前だけが私の妹だ。私にとって、お前だけが宝なのだ。知りもしない“(リアス)”なんかより、お前が大事なんだよ、リーア。なぁ、頼ってくれ、リーア。私はここにいるんだ。お前の兄なんだ。お前だけの兄なんだ。私に―――……お前の兄でいさせてくれ。その為なら、どんな苦難も惜しくない」

 

 

 

 * * *

 

 

 

 ……辛かった。

 ずっと、ずっと。“リアス”になって辛かった。

 そんな辛くて、ダメになりそうな時にいつだって差し出される手があった。

 そこに、お兄様がいる。私がどんなに迷惑をかけても、そこにいてくれるお兄様がいる。

 夢があったんだ。ずっと見ていた夢。なりたかった夢。なれないと諦めた荒唐無稽な夢。

 

 ―――私も、いつか、彼等のように強くなりたい。理想でいたい。そんな自分に……。

 

 なれなかった。なれる筈もなかった。あり得たはずのものは失われて、未来は変質していく。

 怖かった。不安だった。未来が悪くなっていくのがただ恐ろしかった。理想と違っていく現実が何よりも、何よりも自分の無力を突きつけていくように。

 怖い、怖いよ。もう頑張りたくない。辛くて、泣いて、自分が憎くて、消えてしまいたくて、いっそ殺されたくて。そんな、そんな私でも。

 

 

 ―――この人に、誇れる(わたし)でいたい。

 

 

 龍の手足は、いつしか元の手足に戻っていた。だって“リアス”の手は龍なんかじゃない。

 私の理想の美しさ。流れる紅の髪はストロベリーブロンドよりも、尚紅く。華やかな輝きを秘めて、優雅に咲き誇るような女性に。

 翼が無くなっていた。角も無くなって、牙も小さくなっていく。体の中を巡るものはお兄様の魔力。私の中に溶けて、染みこんで、消えていく。

 

「……わたしの、ゆめは」

 

 いつか、物語の主人公や、ヒロイン達と肩を並べられる程に自信を持てるような自分になれたら。

 理想があった。叶わないと諦めていた。でも、それでも叶えないといけなかった。私がなってしまった以上、私は役割を果たさなきゃいけない。

 ずっと、ずっと、ずっと、そう思ってきた。

 

「……いい、のかな」

 

 全然、足りないのに。私は、ここにいて。弱いままで、肩を預けても良いのかな。

 強くなれないかもしれないのに、こんな暖かいものを受け取って良いのかな。

 涙が、止まらない。心が震えて、体に力が入らない。あぁ、立ち上がれないのに。

 抱きしめられた。お兄様が力強く抱きしめてくれた。

 

「私が許すよ。お前が自分を許さないなら、私がお前を許してやるから。だからもう良い。もう良いんだ、リーア。お前の全てを私に教えてくれ。私が支えてやる、私が護ってやる。もう、一人でどこにも行くな。―――私達は兄妹なのだから」

 

 偽りでも、愛してくれますか? 本物に見劣りするけど、妹で良いですか?

 ねぇ、ねぇ、神様。私は愛されてても、許されますか……?

 

 

 

 

  


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