徳川様との話も終わり、既に冷めてしまった茶を飲みながら饅頭を消化していく徳川様をなんとなしに眺めているとぱたぱたと足早に此方に向かってくる足音が聞こえてきた。
どうしたのだろうか、と音の方へと顔を向けると襖を開けて兵士の姿があった。
「イエヤス様、結城様。リキュウ様がお戻りになられました」
「リキュウさんが?」
「はい。ヨシモト様は今手を離すことが出来ないとのことなので、イエヤス様に対応をして欲しいとのことでした」
「そうですか……結城?」
徳川様の表情から察するに、宗易様と席を同じにしても良いか。ということだろう。
「構いませんよ」
「わかりました。どうぞ、リキュウさんを通してください」
宗易様は巫女の守り人として本来徳川様を守るという使命を帯びた方だ。まぁ、それを言うのであればカシン様が使っている細川ユウサイという名前や体もそうであるのだが。
とはいえ、カシン様が今使っている細川様の体は忍の秘術を用いて作ったものであり、本当の体は既に宗易様たちの手によって丁重に葬られている。
その際にカシン様は細川ユウサイ様の肉体を器として随分と気に入っていたために手放すことを拒んだ。ついでにそうして宗易様たちがどんな反応をするのかを楽しんでいた。
仕方なしにカシン様に代わりになる器を提供することによってどうにか細川様の体を安らかに眠れるようにと葬ることが出来たのだ。
「宗易様が戻ってくるということは、何処かに……里に戻っていたのでしょうか」
「そうですね……一度里に戻るとのことでした。少し用事がある、と」
「なんと言うか、里に戻らなければならない用事がある。というのが少し不穏な気配を感じてしまうのですが」
「大丈夫ですよ。お墓参りとお世話になった方に感謝の意を込めて贈り物を用意したい。という話でしたからね」
墓参り、ということは細川様の墓参りだろう。しかし、お世話になった方への贈り物というのはなんだろうか。というか宗易様が世話になった相手となると今川様くらいしか思い浮かばない。
いや、カシン様を相手にした際に他の戦国乙女の方々が協力してくれた。ということを考えれば候補としては増えるのだろうけれど。
「宗易様も義理堅いと言うべきでしょうか。いえ、確かにお世話になった相手への感謝というのは当然すべきことではありますが」
「……その感謝される相手が自分自身という可能性には行き着きませんか?」
「俺ですか?いえ、それはないでしょう。細川様の件についてはカシン様を封印するなりしないように話を持っていった俺がするべき後処理。程度のことですから」
はっきり言ってさっさとカシン様を封印してしまえば細川様の体を取り返すことは簡単に出来たのだ。それを邪魔する形になってしまったのだから言い方はあれだが償いのようなものでしかない。
それを感謝されるというの個人的にはあまりしっくり来ない。余計なことをした人間がその処理をする、それは当然のことだ。
というか、怨敵もしくは宿敵のようなカシン様を生かす選択を押し通した俺は本来であれば恨まれるなりするべきだと思う。だというのに何故かそうした感情は向けられていない。
「結城にとってはそうかもしれませんが、リキュウさんにとっては違うんですよ。
それに、結城は普通であればそうだろう。という考えを持っているようですが、私を含めた乙女たちにはあまり当てはまらないと思いますよ」
「確かに癖の強い方が多いですからね……常人とはまた違う、ということでしょうか……」
「んー……そういうわけではないのですが……」
そんな話を続けていると近づいてくる気配があり、襖が開かれた。
そこに居たのはやはりというべきか、いつもと変わらず目を閉じているのか開いているのかわからない、柔和な笑みを浮かべた宗易様だった。
「イエヤス様。ただいま戻りましたよ。
結城様も、私が言うのもおかしいかもしれませんが、良くぞおいでくださいましたね」
「いえ、宗易様もご健勝のご様子で何よりです」
「結城様も、以前と変わらないご様子で」
軽く挨拶をしてから宗易様が腰を下ろし、いそいそと茶の準備をし始めた。
この方はどうしてか自分で茶を振る舞いたいようで、席を同じくする場合は大抵こうして準備を始めるのだ。とはいえ、宗易様が二条御所に来ること自体少ないのでヨシテル様や俺が茶を振る舞われる機会は少ない。
いや、普段は警備や義昭様の警護や話し相手などをしているので今回が初めてなのかもしれない。とさえ思える。
「さてさて、普段は結城様にお茶を味わって頂く機会もありませんが、今日はついにその機会が訪れた様子。
ですので早速振る舞わせて頂きます。この千リキュウ自慢のお茶を!」
何やらとても張り切っているようだった。作法などはそこまで気にしなくても良いようなので助かるが、何故こうまで張り切っているのだろうか。
徳川様を見ればふわりと笑んで宗易様を見ているので聞いたとしても答えてはくれそうにない。多分、なぜ張り切っているのかはわかっているのだろうけれど。
そしてすぐにまた食べ始めるのはどういうことだろうか。まるで私は暫く黙りますね。とでも言いたいのだろうか。
「ふふふ……実は以前から結城様にお茶を振る舞おうと思っていました。ですがその機会が今までなかったので、今回は丁度良かったです」
「そうですか……ところで宗易様。里に戻っていたと聞きましたが」
「ええ、ユウサイのお墓参りと……お世話になった方に新しい装束を、と思いまして」
「なるほど。その装束と言うのがどのような物なのかはわかりませんが、喜んで頂けると良いですね」
「そうですね……喜んで頂けると、私としても大変喜ばしいです。
さて、お茶の用意が出来ましたので、これをどうぞ」
宗易様の出してくれた茶を受け取り、一口飲んでみれば先ほど今川様が点てた茶よりも美味しく流石宗易様だと思った。表情に出ていたのか、俺の顔を見て一つ頷くと自分用に茶を点て始めた。
なんでも自分専用の黒茶碗で飲む濃いお茶は最高なのだとか。そんなことを言いながら茶を飲んでいるのを以前に見たことがある。普段の様子とは違って随分と可愛らしい様子だったのを覚えている。
というか現在進行形で濃いめの茶を飲んでいるようで実に幸せそうにしている。自分の好きな物を飲んでいるのだから当然と言えば当然か。
「はぁ……やはりお茶は濃い物に限りますね。とても美味しくて大満足です。
あ、結城様はどうですか?濃いお茶がなくちゃ嫌になっちゃうなー、なんてことはありませんか?」
「そうですねー……たまに飲みたくなることはありますよ」
宗易様の言葉遊びは相変わらずのようで、本人は会心の出来だ。とでも言うように自慢げな表情になっている。
しかしわざわざそれに反応をするのは今川様と毛利様くらいだ。まぁ、今川様はどう反応したら良いのかわからないとか過剰反応するのと、毛利様は容赦なく詰まらないと斬り捨てる。
ただ、あまりそういったことをしていると宗易様から直々にお仕置きされるのでやめた方が良いだろう。
確か以前に毛利様がそうして斬り捨てたのが原因で宗易様が目を開き、いざお仕置き開始となった折に毛利様だけ逃げたとかなんとか。
「そうでしょうそうでしょう。では次は私も大好きな濃いお茶を振る舞いましょう」
「あ、リキュウさん。私にもお願いします」
徳川様を見れば饅頭の山が一つ消えていた。それでも結構な量が残っているのだが。徳川様の湯飲みを見ると既に茶は残っていないようで、だからこそ催促したのだろうけれど。
宗易様は徳川様の言葉に頷くと手際良くお茶を点てていく。
「……流石と言うべきでしょうか。宗易様は手際も良いですね。
どうでしょうか、今度二条御所でヨシテル様や義昭様のために茶会など開いていただければと思うのですが」
本来は勝手に決めて良いことではないのだが、ヨシテル様も宗易様の茶を飲みたいと言っていたので丁度良いだろう。日程に関してはまた後日決めて伝えれば問題はないのだから。
「なるほど……色んな方と茶会はしていますが、ヨシテル様とは茶会としての作法に則ったものはしていませんでしたね……
わかりました、また後日二条御所にお邪魔します。その時に、茶会を開きましょう。京の銘菓をお茶菓子に、抹茶も良い物を用意して……ふふ、楽しみですね」
宗易様は随分と乗り気なようだ。駿河の様子を見るのが終わったら一度京に戻るとしよう。報告と、宗易様のことを話さなければならない。予定を一つ決めたところで宗易様から茶を受け取る。
礼をしてから口をつければ、なるほど。確かに先ほどよりも濃いめになっている。ただ、苦いということはなく不思議と飲みやすい。そして口に残る茶の風味は豊かでとても美味しい。
「これは……とても美味しいです。濃いのはあまり飲みませんが、こういうのは悪くありませんね……」
素直に感嘆の言葉を漏らす。心のどこかで高々茶である。と思っていたがそんなことはなかった。点てる人間が変われば此処まで変わるものだとは思わなかった。
なるほど、確かにこれは松永様や今川様が好んで茶会を行うようになるのも納得である。
「そうでしょうそうでしょう。結城様は茶の湯に対して理解のある方のようですね。
それではこれを機に結城様も茶道を歩まれては。結城様は幸運なことに師と仰ぐに相応しい方とお知り合いですからね。もしよろしければ僭越ながらこの千リキュウが師となる。ということも選択肢としてありますよ」
「有り難い話ではありますが、俺の本分は忍ですからね……
いずれこの身が忍でいられなくなったのなら、その時にでもお願いします」
「んー……結城様が忍でいられなくなる、というのは想像がつきませんね……
こう、なんと言うか……忍として生き、忍として死ぬ。そういう方のような気がしてなりません」
「褒め言葉として受け取らせていただきます」
それ以外は想像が出来ないと言う宗易様に返してからまた茶を飲む。確かに俺は忍として生きて、死ぬのだろう。ただ出来ることならばヨシテル様のために俺が出来ることをやりきってから果てたい。
「んー……確かに結城様にとっては褒め言葉になりそうですね……
あ、そういえば一つお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「なんでしょうか。答えられることであれば、答えますが」
「今のカシン居士について……以前のような存在ではないと聞いてはいますが、実際にはどうなのか気になっていまして。
結城様のことを過信し過ぎて最悪の状況になる。というのは避けたいので出来れば最近のことを聞かせていただけませんか?」
確かに過信しない方が良いというのは頷ける。だが俺を見ながらどうですか!と言うような目を向けるのはやめてほしい。確認がしたいのか、ただ言葉遊びがしたいだけなのか判断に困る。
だがこれに反応すると今川様と同じになってしまう。
「そうですね……最近のカシン様は二条御所にチョコレートの催促に来たり、ミツヒデ様で遊んだり、ヨシテル様と話したり、義昭様と何故か笑みながら話をしていましたね……
良く考えるとこの中で一番おかしいのって義昭様とのことですよね。義昭様なんであんなに強かになったんでしょう」
「え、えーっと……義昭様のことはわかりませんが……いや、待ってください。
どう考えても全部がおかしいような気が……」
義昭様とのこと以外でどこにおかしなことがあったのだろうか。全部カシン様らしいような気がするのに。
「その、ちょこれーと?というものを催促にというのは何かの武器だったり……?」
「あ、いえ。忍者食、なのですが……どうにもお菓子か何かと勘違いされているようで……
宗易様と徳川様もよろしければどうぞ」
言ってから二人にチョコレートを差し出すと、控え目に言っても黒い塊であるチョコレートを見て引いているような気がする。徳川様は甘い香りに気づいたのか興味津々と言うようにしている。まぁ、とりあえず騙されたと思って食べてもらおう。
恐る恐る、というように口にする宗易様と躊躇いなく食べる徳川様はとても対照的だった。
「んんっ!?なんですかこれは!」
「とても甘くて美味しいです!初めて食べますが、これはあれですね、雛祭りの時に食べたケーキにするともっと美味しいような気がします」
チョコレートとケーキ。安直にチョコレートケーキと言えば良いのだろうか。織田様の言っていた酒入りと徳川様の言ったケーキにする。これはどうにも難しいような、思っているよりは簡単なような……。
そんなことを考えている間にも宗易様と徳川様はチョコレートを口にしている。まぁ、そこまで量は出していないのでなくなっても良いのだが、どうしてこう戦国乙女の方々は遠慮と言った物をなしにどんどん食べるのだろうか。
それに、茶には微妙に合わない気もするのだが……いや、甘い物に関してはその辺りを度外視するのが乙女というものなのか。
「カシン様も気に入った様子で幾らかお渡ししたのですが、今になって思えば他の戦国乙女の方とそう違わない反応でしたので甘い物は好きなのでしょうね」
「ま、まぁ……確かにこれほど甘く美味しい物となればそうなのかもしれませんね。
…………なんだか、今までのカシン居士に対しての印象がぼろぼろと崩れていくような気もしますが……」
「んー……おいひぃです……」
「って、徳川様!?残り全部頬張るって何をしているんですか!?」
一瞬だけ目を離した隙にチョコレートの残りを全て幸せそうに頬張っている徳川様に驚いてしまった。先ほどまで饅頭を食べていたのに、まだ食べ足りないとでも言うのか。
いや、それよりも宗易様がぷるぷると震えているのが、なんとも嫌な予感がしてしまう。
「イエヤス様……」
「ひょっとまっへくらはい……」
徳川様は口の中にチョコレートがあるせいか呂律が回っていないように言い、少ししてから飲み込むと一息つきてから茶を飲み、宗易様へと向き直った。
「はい、なんでしょうか」
「ちょこれーと、というのがとても美味しいのはわかりますが、私の分が残っていませんよね?」
「…………ゆ、結城?もう少しちょこれーとがあったりは……?」
「いえいえ、そういう問題ではありませんよイエヤス様。
他の方と一緒に分け合って食べている物を断りもなく全て平らげてしまうなんてことは、とてもではありませんが許されることではありません。
ですので私としても大変不本意ではありますが、お仕置き。と行きましょうか」
カッと見開かれた目は真剣そのもので、冗談で言っているわけではないようだった。手にはいつの間にか傘が握られており、今にも振り上げんばかりの気迫を感じる。
それに対して徳川様は冷や汗を流しながら視線を彷徨わせてから、俺を見た。どうやら助けを求めているらしい。
「宗易様」
「なんでしょう結城様。私は今からイエヤス様のお仕置きで忙しいのですが」
「やるなら外でお願いします」
「ゆ、結城!?あの、そういうのを期待したわけではなくてですね!?」
「そうですね。室内で、というわけにはいきません。イエヤス様、表に出てください」
宗易様はとても良い笑顔でそう言い切った。ただし目は全く笑っていない。そして徳川様の手を取って室外へと連れ出す宗易様を見送ってから、微妙に冷め始めた茶を口にした。
それは冷め始めているとはいえ、とても美味しくて、外から聞こえ始めた破壊音など聞こえないように飲み干すのだった。
言葉遊び(駄洒落)を全力でスルーしたい。
それとリキュウ様の点てたお茶飲みたい。
何故だ……何故戦国乙女二次創作が増えない……!