織田様が豊臣様に説教をしている間に団子を買うべく城下に降りて、早すぎても問題だと思って城下町を見て回ることにした。四刻ほどならば、ゆっくりと回っても何とかなるだろう。
そうして歩いていたのだが、どうにも視線を感じる。後ろをつけられているようで、城を出た辺りからその気配はついて来ていた。とはいえ、特に害があるものではなく、直接接触してくるわけでもないようなので無視して歩く。
城下町をあちらこちら歩いているのに何処までもついて来る気配は覚えのある物で、良く尾張に、というか織田様の居城の城下町に居るものだと感心さえ覚えた。俺なら普通は出来ない。あの方の性格上そうした行動を取ってもおかしくはないのかもしれないが。
とはいえ、関わりはなく言葉を交わしたことさえない。俺が一方的に姿を見たことや、話でどんな人物かある程度予想をしている。くらいのものだ。
何か用件があるなら話しかけてくるだろう。これがカシン様であればこちらから接触しても良いのだが、はっきり言ってしまえば関心のない相手に話しかける気は起きない。
ただ、毛利輝元様の関係者という情報があるので、その点においては気になると言えば気になる。戦火を逃れるために京を離れた毛利輝元様だが、現在何処で何をしているのか情報がない。忍衆を使って探させたというのに、一切の目撃情報が上がらないということは、見つからないように隠れているということになる。
それがなんとなく不穏な物を感じさせ、警戒は怠らないようにしている。ヨシテル様は「気にすることはないでしょう。いずれ輝元殿も京へと戻るでしょうからね」と言っていたが、どうにも危機感が足りないのではないか。と思ってしまうのも仕方ないだろう。いや、だからこそ俺が警戒しているのだが。
いっそのこと関わりがあるのなら聞いてみるのも良いのかもしれない。素直に教えてくれるとは思えないが、聞くだけならタダなのだ。
「斉藤様。ストーカーしてないでちょっと話を聞かせてもらえません?」
何処に居るのか分かっているので、その背後に飛んで声をかけると驚いたような表情をしながら振り返った。とはいえ、その表情は一瞬でいつか見たような余裕のある表情へと変わった。
「あら……後ろから話を聞かせて、なんて……ちょっと軟派すぎないかしら?」
どこか小馬鹿にしたような態度と口調でそう言われたのだが、伊達にカシン様と問題なく会話を出来るわけではない。その程度の挑発なぞ、俺には意味がない。
「そういうのいらないです。それよりも毛利輝元様について聞きたいことがありまして」
「あなた、そういう反応はないんじゃないかしら?少し位は乗ってくれても良いんじゃない?」
「嫌です」
カシン様が相手ならば多少は乗っても良い。というか乗らないと妙に機嫌が悪くなって面倒なので乗るというのが正しいのかもしれない。
以前面倒だったので「今日はそういうのなしでお願いします」と言ったら露骨に不機嫌そうな顔になっていたのを思い出した。いや、不機嫌になったというか、拗ねたというか。
とりあえずそんな状態のカシン様のご機嫌取りの方が面倒だったのだ。ただ、今回は話を聞ければラッキー程度の認識なので気にしない。それにご機嫌取りをしなければならないほどの縁もない。
「仕方ないわねぇ……それならそれでも良いけれど、あなたが欲しがっている情報は渡せないわよ」
「そうですか。それならばそれでも仕方ないかとは思っています。
それに、態度を改めたからと言って教えてくれるわけではないでしょうから」
「当然ね。それでも、そうわかっていて聞いてくるなんて、何を考えているのかしらね」
目を細めて楽しそうにそう問いかけてくる斉藤様は思っていた以上に面白い方なのかもしれない。ただ単純に俺がこうして腹を探り合うような、含みを持たせた会話が結構好きなせいかもしれない。
カシン様は完全に腹の中が真っ黒で普通の会話でさえ探りあいになってしまう。こちらが探っているだけとも言うのだろうが。
「まぁ、良いわ。あなたみたいな人を相手にするなら、深く考えれば考えるほど深みに嵌っていくものだもの。
なんでもないように笑って、内心何を考えているのかわからないような、仲間にするにも敵にするにも面倒な相手。あなたはそういう評価がされているのよ」
「そういう評価はカシン様を彷彿とさせるのでやめてもらえませんか。
それに俺にはそんな大層な評価をするのは間違っているかと。俺はただの諜報を担当する忍ですので」
事実として今回の任務や前回から就いている任務も諜報の一環である。戦場に出るようなこと、戦闘をするようなことは基本的には有り得ないのだ。例外中の例外が、松永様とカシン様の一件、と言ったところだろうか。
だというのに何故か多くの方からの評価が高い。俺としてはもっと低いのが妥当だと思っているのに。
「良いじゃない。随分と仲が良いそうだし、お似合いじゃないかしら。
それに……あなたは警戒しておかないと後々厄介なことになる、って話よ」
「それは毛利輝元様の言でしょうか。あの方とはあまり関わりが無かったはずですが」
「あなたみたいな変わった忍、調べるなりするのが普通よね。その結果よ」
そういえば松永様、カシン様にも実は警戒されていた。という話を聞いたが、毛利輝元様もそうだったのか。
本当にどうしてそこまで警戒されているのかわからない。ただの忍を警戒し続けるような人たちではなかったはずなのに。
「まぁ、そんなことはどうでも良いじゃない。あなたの欲しがっている情報は教えられないけど、あなたが何をしているのか教えてもらえないかしらね」
なんて図太すぎる要求だろうか。いや、どうせ教えてもらえないだろうけど聞くだけ聞いておくか。という俺の判断も図太いといえば図太いのかもしれないが。
「教える義理ありませんよね」
「ないわね」
「ですよね、なので教えません」
「仕方ないわね、なら諦めるわ」
お互いに淡々と会話をしているが、その間にも斉藤様は相変わらず楽しそうにしていた。ふと思えば、こうした会話が出来そうな戦国乙女の方というのは実は少ないのではないだろうか。
我の強い戦国乙女の方々はこうした淡々とした会話というか、相手の投げた言葉をそのままの調子で返すというのはあまりしないように思える。
比較的冷静な方でさえ、斉藤様が相手だとどうしても苛立ちが伺える。それに畳み掛けるような態度と言葉で相手のペースを崩して自分の思うように話を進めてしまうのが斉藤様だ。
だから俺のように特にそういった様子もなく、ただ言葉を返しているだけという状態の相手と話をするのが珍しく、思いのほか楽しい。といったところではないだろうか。
まぁ、俺の場合は相手のペースを乱すだとか苛立たせるだとか、どうしてもカシン様を相手にしていると慣れてしまう。それに言ってしまえば斉藤様よりもカシン様の方がそういったことについて慣れているというか、得意としているというか。
とりあえず、斉藤様が相手なら苛立つことは早々ないだろう。カシン様の場合は俺の想像以上に相手を苛立たせることが得意なようで、たまに不愉快で苛立ってしまう。その度にまだまだ白面郎だと自覚するのと同時にもっと精進せねば、と思うのだ。
「あぁ、良いわねあなた。甲斐や越後の彼女たちも面白いけれど、あなたも素敵だわ」
「甲斐、越後と言うとあのお二人ですか。一緒にされたくないと思ってしまうのは何故でしょうね」
何故でしょうね、などとは言っているが理由なんて自分でもわかっている。あの二人は頼りになる方ではあるのだが、二人揃うとどうしても愉快な方々になってしまうのだ。
そんなお二人と一緒にされると、愉快な人間という微妙な評価をされたということになってしまう。非常に遺憾である。
「さぁ、何故かしら。それよりも、あなたの聞きたいことは教えられないけれど、少し面白い話なら教えてあげても良いわよ」
「面白い話ですか」
「ええ。榛名、この名前を知っているかしら?」
「それを手にすれば天下の覇権を握ることが出来る。という代物でしたね」
詳しくどんなものなのか、というのはカシン様から幾らか聞いているがわざわざそれを教える必要などない。それに斉藤様から話を振ってきたということは知っているか、もしくは俺から情報を引き出せれば、と思ってのことだろう。ここでどういうものなのか、斉藤様の知らない情報を出すというのは癪だ。
それに斉藤様は現在こうして話をしているが味方というわけではない。いや、毛利輝元様の思惑如何では敵となるだろう。
「あら、それくらいしか知らないのね。なんだか意外だわ」
「もしかしてカシン様から何か聞いているとでも思いましたか?あれでカシン様は重要なことほど隠す方ですからね。
それで、その言い方を考えるに他にも何かありそうですが教えていただけるんですか?」
「そうねぇ……少しくらいなら良いかしら」
少し考えてからそう言った斉藤様は本当に榛名について話をし始めた。
「この国の創世期、あらゆる物を見通す予言の力「刻読の眼」を用いて世を治めた女王に卑弥呼という存在がいたわ。その卑弥呼が自らの制御し切れなかった強大な力を勾玉に封じた物が榛名よ。
その封じられた力を使えば確かに覇権を握れるでしょうけれど、使い方次第ではそれだけではないんじゃないかしら。強大な力なんてものは、結局使い方次第なのよね」
「なるほど。確かに力なんてものは使い方次第というのは同意します。
しかし、何故今その話を?」
「もし何か知っていれば、と思ったのよ。情報なんてものは集めて厳選するものなんだから、あなたから私の知らない情報が手に入れば良い、程度のことね。
それに、こうして話をしていればあなたが勝手に調べてくれそうだもの」
「そうですね……どうにも毛利輝元様は信用できそうにありませんし、調べるでしょうね。
ただ、俺を張っていても意味はありませんよ。部下に任せるでしょうから」
俺自身が動いても良いのだが、どう考えても良いところで邪魔をするか、横から掻っ攫っていくような気がしてならない。ならば部下を動かすのでも良いだろう。
ただし、斉藤様や毛利輝元様を俺が引き付けておかなければならないのかもしれないが。
もしくは、誰にも気づかれないような高い隠密性があれば問題ないのか。
「それは残念だわ。情報だけもらって、私が榛名を手に入れてしまおうと思ってたのにね」
「それはそれは。本当に残念でしたね」
言ってからお互いに軽く笑ってはいるのだが、目は笑っていない。腹の探りあいをしているとどうしても剣呑な雰囲気になってしまう。
周りには誰も居ないので気にはしないが、これで誰か居れば織田様か豊臣様が来たかもしれない。そうなる確実に厄介なことになる。特に豊臣様は斉藤様とは因縁があるのだから。
「本当に堪らないわね、あなたは。
城下でなければ殺し合えたのに、とても残念だわ」
「殺し合いなんて言ってますけど、俺の方が弱いですし弱いもの虐めしたいだけではありませんか」
「そうねぇ……確かにあなたがどんな声で鳴いてくれるのか、興味はあるわね」
やはりこの人は加虐趣味だったか。いや、調べた情報の中にそういうものだとあったので知ってはいたのだが、実物を目の前にすると幾らか引いてしまう。
「でも、あなたがどんな風に私を鳴かせてくれるのか、そっちにも興味があるのよ」
そして被虐趣味の持ち主でもあった。加虐趣味程度であれば幾らか引いてしまう、という程度で済ませることが出来るのだが、更に被虐趣味まであるというのにはドン引きである。
というか言いながら頬を上気させるのはやめてもらえないだろうか。見た目の良さもあってか、とても妖艶ではある。だがそんなものを見ると逃げ出したくなる。
先に言われた鳴かせたい、鳴かされたいと言ったような言葉のせいでドン引きしてしまっているのだから。
「まぁ、それは今度の機会にさせてもらおうかしら」
そんな機会は来なくても良いです。というか来るな。
「ここは場所も場所だから私はもう行くわ。だから榛名のこと、よろしく頼むわね」
「頼まれても困ります。それに情報はそちらには渡しませんし、場合によってはこちらで榛名を回収させていただきます。忍術を使えば他の方では手の届かないようにできますから」
「それでも構わないわ。本当に欲しいと思えば、容赦も何もなく、なんとしても奪ってみせるから」
そう言い残した斉藤様は凛としており、悠々と歩いて去って行った。
豊臣様に対してした仕打ちのことを考えれば、その豊臣様と主となった織田様がいるこの尾張にいるというのは可笑しな話で、去るならば見つからないようにとするのが普通だ。
それなのにどうして斉藤様はああも堂々としていられるのか疑問である。
ただ、下手にコソコソするよりも堂々としていた方が見つからないこともあるので、そうするのも有りと言えば有りだ。それに見つかればどうなるか、考えたくも無い。
折角平和になったというのに、一騒動という括りでは収まらないような厄介ごとになっただろう。
一応、斉藤様が居たことは織田様に知らせはするが……さて、どうなることやら。
織田様であれば城下を去ったと知れば手出しはしないかもしれないが……いや、忍程度であれば走らせるか。
とりあえず俺は城下を見て回る。予定だったが幾らか時間が潰されてしまったので大人しく団子を買って戻ろう。
きっと団子に気を取られてさえ居れば織田様への報告も楽になるだろうし、喜ぶ姿も見てみたい。それに織田様からの頼みごとであるのだ、失敗というか、忘れるわけにはいかない。
明日になれば豊臣様と茶屋に行くというのに、きっと沢山食べるんだろうな。と思うと少し呆れてしまい、ため息が漏れそうになったが、きっと仕方ないはずだ。
エロネーチャン様と話したい。
腹の探りあいしたい。むしろ物理的に腹をまさぐりたい。