チョコレート作りも終わったので、氷遁で作った氷の箱に入れて保管しておく。こうでもしておかないとどうにも溶け易くて困る。とはいえ少しずつ暑くなって来ている今の時期であれば必要なことなのだから仕方が無い。
それを素敵忍術で持ち運べば厨房で仕事をする侍女たちの邪魔にもならない。それにこっそりと誰かに取られることもないだろう。良く分からない兎とか良く分からない犬とか。ああいう動物には食べさせてはならないような気がするからだ。
以前からあちらこちらであの兎と犬は見かけているが最近は二条御所で見かける。もし誤ってチョコレートを食べて死んでしまう。となっては流石に寝覚めが悪い。あんな奇妙な存在がそう簡単に死ぬとは思えないが。
そういった理由から持ち歩いているが、誰かに渡して味見をしてもらうのも良いかもしれない。ミツヒデ様の反応は上々だったが、やはり少し不安なものがある。味を変えて作るとなると心配にもなる。
そう考えて厨房から離れて歩いているとコタロウ様が珍しく戦装束ではない姿で歩いていた。というかコタロウ様が二条御所内にいるというのは珍しい。どうしたのだろうか。
「あ、結城様!」
不思議に思っているとコタロウ様が俺に気づいたのか、名前を呼びながら駆け寄ってきた。犬のような尻尾と耳が見えた気がしたのは気のせいだろうか。
「どうかしたのですか、コタロウ様。というか、二条御所に居るというのは珍しいですね。戦装束でもありませんし……」
「昨夜到着して、書状を渡した後に遅いので泊まって行くようにとヨシテル様に言って頂いたので一日泊まることとなりました。そして先ほど朝食を頂いて少し散歩でも、と思って……それで今結城様を見かけたのでこうして声をかけさせて頂きました」
言って嬉しそうな笑顔を浮かべているコタロウ様は一体何が嬉しいのかイマイチわからない。
「そうでしたか。あぁ、それなら丁度良いのでこれを」
コタロウ様にお土産として買ってきたカステラを取り出して渡す。
「大友様へと書状を持っていった際に買ったのですが、普段から鍛錬を続け、真面目に頑張っているコタロウ様にと思って買ってきました。甘い物はお好きでしたよね」
「あ、ありがとうございます!これってカステラですよね?ボクの大好きな牛乳と一緒に食べるとすっごく美味しいんですよ!」
受け取って大事そうに胸に抱え、本当に嬉しそうにしている。お土産に買ってきた身としてはここまで喜んでもらえると嬉しい。
ただ廊下で渡すというのは少しおかしかったかもしれない。とりあえず部屋に置いておくべきかもしれない。
「コタロウ様、一度部屋に戻りましょう。カステラを持って散歩というのもおかしいですからね」
「それもそうですね。すぐそこの部屋をお借りしているので少し待っててください。すぐに戻りますから」
ぱたぱたと足音を立てながら小走りで去っていくコタロウ様を見送って思うのは、いつの間にか俺も散歩に付き合うことになっているらしい。ということだ。
別に今すぐやることもないので構わないのだが、さてどこを散歩しようか。二条御所を散歩するということで良いのだろうか。俺は普段から動いているので別段珍しくも無いのだが……コタロウ様は普段歩き回ることもないのでそれで良いかもしれない。
それに足利軍としてはヨシテル様の住まう二条御所の景観にも力を入れているので散歩するだけでも充分に楽しめるだろう。
そんな風に考えながらコタロウ様を待っていると思いのほか時間が掛かっているようで戻ってこない。どうしようかと思っているといつの間にか足元に立って此方を見上げてくる兎のような生物がいた。
それを見下ろしていると兎は首を傾げながらじっと見つめてくる。そのまま数秒待っていると随分と可愛らしい声でこんな言葉が聞こえてきた。
「グミだよ?」
どこから聞こえてきたのか、と思って周囲を見渡すが誰も居ない。そして気配もない。もしやと思いながら見下ろしてその兎を見る。
「グミだよ!」
ぴょんぴょんと跳ねながらどうもその兎が喋っていた。この兎の名前はグミというらしい。
「グミさん、ですか。んー……二条御所に居る理由を聞いてもよろしいですか?」
「グミはグミだよ?ここにお兄ちゃんを探してるの!」
未だにぴょんぴょん跳ねているグミさんに視点を合わせる為に持ち上げるというか抱き上げると本当の兎のように軽かった。もう少し重そうにも思えたのだが。
「人?探しですか。それでも勝手にうろうろすると怖ーい忍に追い払われてしまうかもしれませんよ」
主にヨシテル様と義昭様への忠誠心が吹っ切れている部下の忍である。疑わしきは罰せよ。ということらしい。とりあえず、そういった輩がいるのであれば捕縛して俺に報告ということにはしてあるのだが。
「怖い忍?んー……でも、お兄ちゃん探さないと……」
「お兄さんというのも貴方と同じような兎なのでしょうか」
「お兄ちゃんはシロって言う真っ白な犬だよ」
言われて、あの犬か。と当たりをつける。確かに最近この周囲には居るので嘘ではないようだ。
なんとなく居るというのはあくまでも俺の傍であって、二条御所には人探しのようなことをしているということか。それならば部下に伝達しておくか。
「竜胆」
「はっ、此処に」
名前を呼べば部下の一人が姿を現した。竜胆とはあくまでも忍としての名前であって本名ではない。のだが、本人はこの名前を気に入っているらしく本名で呼んだとしても反応しない。
「この兎と最近見かける白い犬。無害であるということを全員に伝えてください」
「頭領、よろしいのですか」
目に浮かぶのは懐疑の色。得体の知れない存在を無害だと断定したのを疑問に思っているのだろう。
「構いません。それに、何かあるというのであれば、ね?」
言葉には出さずに、何かあれば、何かしようとするならば、どうするのかを伝えると竜胆の顔色が蒼白に変わり、微かに震えているのが見えた。そう怯えなくても良いと思うのだが。
俺には似合わないと思うが、こうして容赦なく恐ろしい存在のように振舞うのも頭領として必要なことなのだ。その辺りを理解してやっているのだが、これは怖がりすぎではないだろうか。
「わかったのであれば、よろしくお願いしますね」
言えば竜胆は逃げるように姿を消した。これで他の部下たちにも伝えてくれるだろう。
「さて、グミさん。お兄さんを探すのは構いませんが入ってはいけない場所があります。よろしいですか?」
「うん、わかった!」
その返事を聞いてグミさんに入ってはいけない場所として厨房やヨシテル様の執務室、ヨシテル様と義昭様の自室などを伝えた。流石に主の部屋に入られれば無害だとしても対処しなければならないからだ。
伝え終えて、シロさんを探しに行くのを見届けてからコタロウ様を待つ。するとそれから少ししてコタロウ様が戻ってきた。
服装が変わっていて、先ほどよりも可愛らしい着物へと変わっていた。そう華美な物ではないが、着物に桜をあしらった模様が施されている。
「コタロウ様、随分と可愛らしい姿になりましたね」
師曰く、女性の変化には気をつけろ。そして褒める時は褒めろ。
それくらいの気遣いが出来ないと怒られる、と言っていた。師匠は奥方様に幾度と無く怒られていたので、俺にもそうした教えをしてくれたらしい。イマイチ分からない教えではあるが、実践しておこう。
そういえば奥方様は近頃子供を身籠ったということを里の忍から伝達を受けた。やはり近い内に一度里に戻らなければならないかもしれない。というか戻るべきか。
「あ、はい!ありがとうございます!
普段はこういうのは着ないんですけど、今日は思い切って着てみました。
えっと、似合ってますか……?」
不安そうに聞いてくる姿は普段の報われない姿などと相まって庇護欲を刺激される。それを抜きにしても大変に可愛らしく思う。やはり足利軍において部下の兵士にさえ守ってあげたいと思われているだけのことはある。
それは本人には知らされていないというか、兵士たちが全力で隠し通しているのだが。
「はい、似合っていますよ。コタロウ様は可愛らしいのですから、そういったことには自信を持って良いのではありませんか」
「そ、そうでしょうか?
でも、結城様にそう言ってもらえるのは凄く嬉しいです」
はにかみながら頬を掻くコタロウ様。それを遠くから見ている影がいくつかある。
兵士だったり侍女だったり忍だったり。あれは鈴蘭か。後で説教でもしてやろうか。
「いえいえ。
それで散歩でしたね。コタロウ様はあまり二条御所内を歩き回ることもないでしょうし、ご案内します」
「そう、ですね……それではお願いします!」
そうして二人で二条御所を散歩となったのだが、影が付いてくる。その数はさっきよりも増えており、忍の姿も見受けられる。あれで隠れているつもりなのだろうか、というか任務はどうしたのだろうか。
コタロウ様に気づかれないように目線だけを付いてくる影に向ければ全員が蜘蛛の子を散らすように逃げていった。顔は覚えたので覚悟しておけ。
暫く散歩として二条御所を案内しているとコタロウ様は実に楽しそうだった。
個人的には見慣れた風景でも、コタロウ様にとっては見慣れない物ばかりだからだろう。
「結城様、二条御所にはこんなに綺麗なところがあったんですね。
普段はこうして歩くこともないのでちょっと新鮮な気持ちです」
「そうですね……俺にとっては慣れた場所ですが、ゆっくりと歩いて回るというのはあまりしないのでたまには良いかもしれません」
二条御所は景観に気を使っているので散歩しているだけでも意外と楽しいものだった。
散歩などしないからわからなかったが、これは意外と息抜きに丁度良いかもしれない。今度ヨシテル様の休憩時に提案してみようか。
「結城様、今日はありがとうございます。本来なら忙しいはずなのにボクなんかに付き合って頂いて」
そんなことを考えていると隣を歩いていたコタロウ様がそう言った。
確かに本来であればやることもあるのだが。今回の目的はあくまでもチョコレートの味見なので、こうして付き合っても問題ないと判断したのだ。それにヨシテル様はカシン様と二人で話がしたいと言っていたので、暫くは行かない方が良いだろう。
「いえ、構いませんよ。
ただ、そうですね。少しお願いしたいことがあります」
「お願いしたいことですか?」
「ヨシテル様の希望でこれを作ったのですが、良ければ味見を」
そう言ってから氷の箱に入れられたチョコレートを一つ取り出してコタロウ様に渡す。こういった素敵忍術だったり忍術の応用というか利用をしているのは何度も見ているので驚かれてはいない。ふと思えば、コタロウ様とは意外と接する機会が多い。
そういえば足利軍に雇われた当初から任務で一緒になったりする機会が多かったのを思い出す。
「これは……えっと、なんでしょうか……?」
「チョコレート、という忍者食です。この辺りには無い甘味のようなものなので、ヨシテル様が随分とお気に入りなんですよ」
「チョコレート……」
見たことも無い物に警戒心を抱きながらも、信用してくれているようで文句などなく食べてくれた。
そして口の中で転がしているようで、少しすると一度目を見開き、口の中のチョコレートに集中したようで無言のまま一心不乱に味わっているようだった。
完全に溶けてなくなったのだろう。コクリと嚥下する音がして少しするとコタロウ様がキラキラした目で此方を見上げてきた。
「これ、凄く美味しいです!」
「それは良かったです。この後ヨシテル様にお出しするのですが、この様子であれば大丈夫そうですね」
ミツヒデ様とコタロウ様の二人だけではあるが、美味しいとのことなので大丈夫だろう。カシン様もきっと気に入ってくれる。というか気に入らなければ機嫌が悪くなって面倒なことになる可能性がある。
それにしてもコタロウ様は随分と気に入ったらしくそわそわとした様子で俺を見てくる。もう一つもらえないかな、とか思っているのだろう。
「数は作ってありますし、いくらかお渡ししましょうか」
言いながら氷の箱を取り出して渡す。大きさとしてはそう大きなものではないし、外部から触っても氷の冷たさは感じられない物となっている。
とはいえ、俺の手から離れれば精々数日で忍術の効果が切れるのでそれまでに食べ終えてもらいたい。
「わぁ……!ありがとうございます!大事に食べますね!」
大事に食べるのは良いのだが、早めに食べてもらいたい。
それにしても、こうしていると仔犬を相手にしているというか、仔犬に餌付けをしているような気持ちになってくる。馬派ではあるが犬派になるのも悪くない。
「さて、また荷物が増えてしまいましたし戻りましょうか。
俺もこの後ヨシテル様の下に行かなければなりませんし、コタロウ様も時間があるようでしたら京の町を楽しんでくださいね」
「わかりました。結城様、今日はありがとうございました。
まだ任務があると思いますが、頑張ってくださいね」
そう言ってからコタロウ様と離れて歩き、角を曲がる前に様子を伺えば嬉しそうな笑顔で千切れんばかりに手を振っていた。それを見てほんの少し笑みが零れてしまう。
そして角を曲がってすぐに再度竜胆を呼ぶ。音も無く現れた竜胆に念のためにコタロウ様の護衛をつけるように指示を出しておく。
あの方は足利軍に所属する戦国乙女の一人だ。大丈夫だとは思うが念には念を入れて護衛をつけておかなければならない。
そうして指示を出して思うのだが、カシン様に過保護だと言われても仕方ないかもしれない。必要なことだからしている。というのはあるのだが、あの方たちが傷つくのが見たくないという甘い考えもあるのだ。
きっとカシン様はその辺りを見抜いているからこそのあの言葉なのだろうな、と納得しながらヨシテル様の執務室へといつもより少しだけゆっくりと、景色を楽しみながら歩を進めた。
幸せそうなコタロウ様が見たい。
いつも不憫だけど満面の笑みとか、嬉しそうな笑顔のコタロウ様が見たい。
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