事件は終わりを告げた……だが、解決したとは言えない。
犯人である死柄木と黒霧はまだ捕まっていない。おまけにどうやってこのような計画を立てたのか、首謀者は彼ら以外にいるのか。
まだ分かっていない事が多すぎる。
だが、それはヒーローの仕事ではない。
現在の超人社会は、ヒーローという存在が市民を災害や
言葉は辛辣かもしれないが、彼らはそれだけだからこそ、個性使用、現場での裁量権を与えられていると言っても過言ではない。
そして敵達の動向、潜伏場所などを捜査するのは、今も昔も警察の役目だった。
今保健室でオールマイトと話している、塚内直正も、その警察の1人だった。
「なるほど……今回の敵、思った以上に厄介かもしれないな」
USJ襲撃のあらましと敵の特徴を聞いた塚内は、思案顔で頷く。
死柄木弔。
用意周到に計画し、実行し、一時は成功にまで導いた首謀者。しかしオールマイトから聞いた言葉には、一定の杜撰さが垣間見える。
黒霧。
ワープゲートという珍しい個性を持ち、それを巧みに操る敵。話に聞いた限り冷静沈着、先ほどの死柄木を宥めるブレーキ役のように見えるが、あくまで死柄木の補佐として動いている。
チグハグ。
計画にも、関わった人間にも何もかもに違和感が湧く。
そもそも、目的が納得出来ない。確かに平和の象徴を殺すというのは、敵達の最重要問題だと言っても良い。しかし本気でそれを実行に移した人間はそう多くはないし、その数少ない事例は自分の力に過信した馬鹿が多い。そうなると綿密に計画する、という事から遠ざかる。
「誰か裏で手を引いている人間がいる。多分知能犯タイプの敵だろうね」
オールマイトも同じ考えに行き着いたのか、小さく頷きながら話す。
「しかも、今回の敵。死柄木という敵は、オールマイト、君にかなりご執心みたいじゃないか。何か心当たりは?」
「うむ……正直言えば、敵からの恨みなんてバーゲンセールに出したい程頂くのでね。誰が誰だか……」
平和の象徴。
その強い光で抑止力そのものになっている彼は、敵が多い。知っている知らないに関わらず、恨みを買っている。そんな中特定するのは難しい。
だが、塚内はそう考えてはいない。
「そこら辺の敵とは訳が違う。話を聞いている限りじゃ、彼は逆恨みなのかどうかは分からないが、本物の憎悪を抱いている」
「……確かにな」
今は力を失っている拳を握り締める。
本物の狂気。
本物の憎悪。
それはそう簡単に持てる訳ではない。ポジティブな感情であれネガティヴな感情であれ、その感情を維持するのは並大抵のものではない。
そういう意味では、
「ああいうタイプはしぶとい。また何か仕組んでくると考えておいたほうが良いかもしれない。あの脳無とやらの存在も不気味だ。あそこまで強力な存在を保有している。
敵連合、甘くはないかもしれない」
警戒はして損になると言うことはない。
特に今回は生徒が巻き込まれた。また同じ事をしでかす可能性がある以上、オールマイトに見過ごすという選択肢はない。
「……分かった。勿論安全面は確保しながらだけど、全力で当たらせてもらうよ」
警察手帳にメモを書き留めながら、はっきりした口調で塚内は言う。
本来ならば、ある程度情報も揃った。ここで別れ、塚内は捜査に戻る所だった。
「……あの、すいません。
僕から1つ、話したい事が」
すぐ近くで黙って話を聞いていた緑谷出久が、申し訳なさそうに手を上げなければ。
「? どうしたんだい? えぇっと、緑谷くん、だったかな?」
「緑谷少年……?」
こんな所で積極的に話せるような人間ではないという事以外にも、彼がここで提供できる情報があるのは、オールマイトも塚内も予想外だった。
出久の表情は、いつものようなオドオドした雰囲気は少しあるものの、真剣そのものだった。
「あ、いや、すいません! もしかしたら今の話に全然関係ないかもしれないけど、ちょっと気になることがありまして、あの!」
しかし生来の気弱さは相変わらず、2人の視線に耐えかねて申し訳なさそうに謝る出久を見て、オールマイトは「相変わらずだな君は」と呆れながら呟く。
「良いんだよ、緑谷少年はかなりの観察力を持っている。気になる事があればなんでも話せばいい」
その言葉に、「は、はあ」と少し落ち着いたように、出久は話し始める。
「えぇっと、僕が最後に死柄木に襲われた時。あの時、あいつ言ったんです」
『あの目障りな動島振武の分も渡しておきたいんだ』。
恐怖の中でも、言われた言葉は覚えている。ハッキリと死柄木はそう言った。しかし真剣な出久の表情とは裏腹に、塚内はどこか腑に落ちないといった顔をする。
「それがどうしたんだ? いや、確か動島くんは、脳無と正面から戦ったし、オールマイトが勝てたある意味きっかけを作った生徒だ。死柄木が気にするのも無理からぬ事だと思うけど」
「そうなんです、そうなんですけど……。
死柄木は、動島くんのフルネームを呼んだんです。
あの場で、殆ど誰も口に出さなかったのに」
確かに一度だけオールマイトがその言葉をこぼした事がある。
しかし死柄木も仲間と話していた。同時に話を聞く事ができるならば少し違うが、それでも距離がある。名前の発音までハッキリと聞こえていたとは、考えづらいのではないか。
「それだけじゃありません。
僕の勘違いならいいけど、何か、動島くんには違う感情があったと思うんです、ただ自分の邪魔をされたからってだけじゃなくて、何か、もっと目障りだと思うような……」
言い掛かりにも近い言葉だったが、それを塚内もオールマイトも捨て置く事はできなかった。不思議そうな表情は、みるみると真剣な表情に変わっていく。
「……オールマイト、本当かい?」
「あぁ、私が一度だけ言ったが……あれは聞こえていないと思う。
だとすると、死柄木は、」
事前に、動島振武という存在を〝知っていた〟可能性がある。
その事実は大きい。何せオールマイトと教師陣以外の情報というのを入手していなかったはずだからだ。そんな中、たった1人だけは調べました、なんて事はありえない。
「何か別件で彼の名前を知ったのか、あるいは事前に調べたか……それとも、ほかの人間から聞いていたのか。どちらにしろ、何かしらの対策は必要だ。
だが、彼だけを特別扱いして護衛する訳にもいかないのは、確かだしな……」
「それはこっちでフォローしておくよ。学校内にいれば安全……とはもう口が裂けても言えないが、少なくとも考えがある」
「考え?」
オールマイトは真剣な表情で頷きながら、自分の携帯端末を弄る。
表示されたのは、ここ最近は一度もかけなかった番号だ。本当であれば自分が雄英に入った時点で連絡を取るべきだったかなと今更になって後悔する。
だが、彼に伝えておけば何かしらの対策は立ててくれるかもしれない。
「まぁあの人だけでも、充分あの家は安泰だ。
何せ、個性なしでもありでも、強者と私が太鼓判を押せる人だからね」
◇
「はい、振武さん。普通はこのような飾り切りをしてお出しすると聞いてやってみました。少々形は崩れましたが」
コトリ、と硬質な陶器の音と共に、ベットに備え付けられる机の上に皿が現れた。
皿の上にはリンゴが乗っている。最も、ただのリンゴではない。百の言う通り、耳が欠けている部分がいくつかあるものの、はっきりとウサギを模しているのだと分かる。
リンゴの、ウサギ。
一応、振武も転生者だ。この世界が元々自分の世界の漫画だというのは理解しているし、現実になってもやはり前までいた世界の常識と照らし合わせて「漫画みたいだなぁ」と思った事は無いわけでもない。
だが、ここまでベタなのも初めてだった。
「あ、あぁ、ありがとう百……いや、待て、そうじゃない。
なんでここにいるんだよ! いや、来るのは悪い事じゃないけど、事情聴取とか色々あるだろう!?」
ここは、学校近くの大病院だ。結局事件が終わりを迎えるとすぐに振武はここに搬送されたのだ。
振武の怪我は大きい。出久以上の怪我と言ってもいいだろう。だがリカバリーガールの治療で治らないほどではない。何故それが病院行きなのか。
当然、オールマイトの正体を隠す為だろう。
彼の力の時間制限があり、変身が解ける。それを振武が知っているという事は誰にも知られておらず、振武にも秘密にしなければいけないと教師陣は考えたのだろう。
ならば、病院に搬送してしまおう。
そう考えるのは、実に自然な流れだろう。振武もそれを受け入れている。
相澤も13号も大きな怪我を負ったが、13号は別の病室に、相澤は腕の怪我だけなので、入院はしないと聞いている。
だからここにいるのは、振武1人だ。
1人の、はずだった。
だが入院し、様々な治療を受けて(リカバリーガールは確かに貴重な個性を持っているが、この病院にも治癒系の個性を持っている人がいないわけではない)座って少し歩くくらいなら問題ないとなるまで回復したら、
何故かこの3人が来たのだ。
「もぐ……事情聴取はそれほど長くは掛かりませんでしたから。それに、動島くんは少し寝ていたでしょう? 案外時間が経つのは早いんですよ」
「……俺は塚井の付き添いだ。体力が回復したから動けるとはいえ、こいつが其れなりに無茶な事をしたのは事実だからな。しっかり監視していないと、不安だ」
慌てる百の代わりに、何故か振武にと出されたリンゴを呑気に食べている魔女子と、さも答えるのが嫌だと言わんばかりの表情を浮かべて答える焦凍の言葉に、溜息を吐く。
「無理して来なくても良かったのに、お前らだって帰って休みたいだろう?」
「そ、それはそうですが……心配、しましたのよ」
百は自分が痛みを感じているように、未だ治りきっていない右腕に優しく触れる。
ギブスで固定されているその腕は、振武から見れば日常だ。
……誤解されては困るが、修行でわざと怪我をしたりさせられていた訳ではない。結果そういう事が多いと言うだけだ。
「悪い、どうしても、ああしたかったんだ」
振武の言葉に、百は同じく溜息を吐く。
「しなければならなかった、ではない所が、振武さんらしいですわ」
義務ではなく、信念として。誰かが傷つくのが許せない。
それだけの為に振武は動いたのだ。他人から見れば、何て愚かなんだろうと言われるかもしれない。でもそれは、百を助けてくれたあの時から何も変わっていない。
変わっていないから、心配になる。
不安になる。
「もし、貴方が死んでしまったなら……そう思わずには、いられませんでした」
魔女子の使い魔から話を聞いてから、ずっと気が気ではなかった。
振武は強い。確かに頭脳派とは言い切れないが、こと直接的な戦闘において他の追随を許さないほど。彼を倒せるのは、クラスでも爆豪と焦凍だけだろう。少なくとも真正面からの戦闘であれば。
でも、相手は敵だ。
一切の容赦無く人を殺すことが出来る敵だ。
死んでいた、かもしれない。
次に会った時には最後の言葉すらも聞くことが出来ず、心臓が止まった死体と再会していたかもしれない。
自分が何も出来ず、何も知らない状況で。
「貴方が強いのは分かってます。きっと生きていると信じていました。
けど、もし、もし、って考えたら、私は、……」
自然と、眼から涙が溢れる。
振武も、傍にいる魔女子と焦凍も、驚いたような顔をしているが、百に周囲を気にする余裕はない。
「無茶をするな、何て言いませんわ。
何を言っても、振武さんは誰かを救けに行ってしまう。それは振武さんの良い所で、振武さんの信念。それを否定するなんて、ヒーローのする事ではありません。
でも、お願いです。今度はもう離れません。貴方の背中を守りますから、」
どうか、1人で勝手に無茶しないで。
最後の言葉は、掠れ声になって聞き取り辛かったが、しかしこの部屋にいる全員の耳に入った。
痛いほど、ハッキリと。
「……ゴメンな。俺、百に泣いて欲しくないのにな」
その為に、頑張ったんだけどな。
そう言いながら、次から次へと溢れ出る百の涙を、自由に動く左手で優しく拭う。身体を捩った所為で微かな痛みを感じたが、自分の痛みよりも何よりも、振武の前で振武の為に泣く少女の涙を、何とか拭ってあげたかったから。
「百、俺強くなるから。もうお前を泣かせないように頑張る。護る人間を、悲しませないってのも含めて出来るように、頑張るから、」
誰も傷つけさせない。誰も悲しませない。
何年も何年も培われてきた信念は、こんな風に徐々に重みを増していく。
難しい事で、大変な事何は理解している。
でも、そうしたいからそうする。
母がそうだったように。
「……あぁ〜、でも、俺にも出来ない事はあるし、百に心配かけんのも嫌だしさ。
出来るだけ1人にはしないから」
出来るだけ優しく、百の頭に手を置く。
女子の頭を撫でる事なんてないので、どこかぎこちない。しかし百にはそれが暖かく、本当に真心がこもっている行動に感じられる。
「ぐすっ……当然ですわ、私だってヒーローの卵なんです、振武さんと同じく。
護られるだけ、救けられるだけなんて、まっぴら御免ですわ」
「そうだよな、ゴメン」
「謝り過ぎです……もう、本当に、泣くつもりなんてなかったのに。振武さんの所為で、少し私弱くなったような気がしますわ」
「そんな事はありませんよ、八百万さん」
2人の間に割って入るように、魔女子が呆れ顔で会話に入ってくる。
「あの戦いは私でもヒヤッとしました。八百万さんが弱い訳ではなく、動島くんが馬鹿なだけです。あんなの誰でも心配しますし、本当に大切に思っていれば泣いて当然です。
ね、そうですよね轟くん? 私を心配して駆けつけてくれましたもんね、貴方も」
「……ノーコメントだ」
魔女子の意地の悪い言葉に、轟は面倒臭そうに目線をそらす。
その態度がどこか可笑しくて、振武も百も、ついつい笑みを浮かべてしまう。
自分が護った、何ておこがましい事は言えないが、このように笑っている事が出来るのも自分がやった事が繋がっていると思えば、胸を張る事が出来る。
普段は反省点を見いだし続ける振武でも、少し嬉しさがあった。
◆
「クソッ、クソッ、クソッ!!!」
薄暗闇に染まっている部屋で、少年は手当たり次第にものを破壊した。黒い部屋の中でもハッキリと分かる黒い靄のようなもの。
だが黒霧のそれとは違う、それよりも粒子の形が大きく、まるで金属を擦り合わせるような不快な音が部屋に響き、そして攻撃的だった。
机、椅子、周囲に置いてある貴重な電子機器。部屋にあるありとあらゆる物をソレで潰し、ねじ切り、破壊していく
行き場のない怒りを何かにぶつけなければ気が済まないのだろう。
それを少し離れた場所で、男が冷ややかに見つめる。
もっとも、目はない。まるで顔がすり潰されているような傷を持つ男。
死柄木から、あるいは様々な敵達から「先生」と呼称される男。
オール・フォー・ワン。
昔の名前はあるにはあるが、現在はそう呼称されている人物だ。
「……もういい加減にしなさい。私のモノを幾つ壊せば怒りが収まるんだ?」
木製の高価な椅子を、まるでチェーンソーで滅多斬りにしたかのように粉々にしていく少年に、どこか困ったように先生は囁く。
その言葉に、少年は未だ怒りの表情を湛えながら振り返る。
「先生! なんで俺を雄英襲撃のメンバーに選ばなかった!?」
「またその話か……何度も話した事じゃないか」
最も、君は何度説明しても納得していないようだがね。
そう言いながら、先生と呼ばれた男はゆっくりと足を組み替え、再び口を開く。
「君はまだ完璧じゃない。動島に対抗しうるだけの強さはないだろう?
実際彼は脳無と一時であれ正面から止められる。今の君じゃ、まだまだだよ」
「だけど、」
「だけど、ではない。〝動島〟を甘く見ちゃあいけない。私ですら何度か煮え湯を飲まされたんだからね」
超常黎明期。
まだ個性という異能を持つ存在が少数で、認められていなかった時代。
あの時、自分に歯向かってきた人間は2人だけ。
1人は自分の弟……ワン・フォー・オールを生み出した男。
そしてもう1人は、当時の動島家当主。
個性の関係ない部分で発揮されるあの力は、当時まだ自分の個性の奥深さを認識していない自分では戦うのに相当苦労したのを覚えている。
最も、根絶する事は出来なかった。あの一族は総じてしぶとい。
その後、良い意味でも悪い意味でもあの一族とは縁があった。直近では、7代目継承者と対峙した時にいた男がそうだ。危うく本当に殺されかけたのだから、洒落にならない。
「まだ未熟とはいえ、動島流を継承し、戦闘に使えるだけの力量を持っているんだ。君には荷が重い。それにあの襲撃はオールマイトを倒す事が目的だ。君の目的は二の次三の次になる。
それでも良かったのかな?」
「それは、……ガアァアァアァアア!!!」
ガシャンと金属が破壊される音が聞こえる。今度は大型テレビが真っ二つだ。
まぁ、彼の苛立ちも理解出来る。何せ恨みを煮詰まらせる事10年近く。これ以上フラストレーションを溜めるのは、良い事ではないだろう。
「大丈夫だ、必ず殺せる日がくるさ。そこで君に提案がある」
先生の言葉に、少年の動きが止まる。
それをチャンスを見て、言葉を急流のように流す。
「君は確かに強い。だが相手は特殊だ。特殊な相手に対応する為には、それなりに情報と経験が要る。経験と情報を収集する為には? 当然、相手を想定した戦い方を何度も訓練する以外に方法はないだろうね」
「……それが、なんだって言うんだ? あんたの言っている事はおかしい。
動島流なんてマイナー武術学んでいる奴なんてそうそういないだろう? それでどう経験を積めっていうんだ?」
動島流は強いが、同時に修得は困難だ。
これがマトモに扱える人物は限られ、しかもその大半がヒーローかヒーロー志望だ。
経験を積むとしたらそれは、
「動島流を襲えとかか?」
攻撃的な思考が頭の大半を占めている少年には、それ位しか思い浮かばない。
だがその答えを、先生は鼻で笑い一蹴する。
「そんな非生産的な事は勧めない。そんな事をさせるくらいなら、真っ直ぐに動島振武を殺す許可を与えるさ。
そうじゃない。動島流がアレらだけだと思ってはいけない」
ニヤリ、と笑みを作る。
眼も、鼻も、頬も殆ど分からないその姿で、先生は口だけで笑みを作る。
人を貶め、傷つけ、利用する。
その真髄を会得しているオール・フォー・ワンに、出来ない事はそう多くない。
「目には目を、だよ。
君には、動島流を学んでもらう」
悪が、動く。
闇の中で静かに、誰にも気付かれずに。
◆
「あぁ、分かった。こちらで色々調べもするが、警戒だけは怠らないよ……おいおい、
ではそれは此方に任せてほしい……あぁ、じゃあまた機会があれば会おう。偶には此方に顔を出しなさい、久しぶりにお茶でも飲もうじゃないか。では」
音が鳴らないように、静かに受話器を置き、振一郎は小さく苦笑を浮かべる。
相も変わらず礼儀正しいというか、小心者というか。
思えば初めて出会った時も、そうだったように思える。
だがあの眼だけは、あの熱く強い信念を持った眼だけは、同じく相も変わらずなのだろうなと思うと笑みが零れる。
「……彼からですか?」
薄暗い廊下の奥から、壊が控えめに声をかける。
「あぁ、そうだよ。全く、俊典くんも普段は電話しないくせに、こういう時ばかり、何でまたこのような報告なのか……。
――振武は無事だ。怪我はしたが、命に別状はない」
振一郎の言葉に、影の中で壊が安堵したのがここからでも分かる。
彼は大切な人間を失っている。その反応は当然とも言えるだろう。随分前に釘を刺したが、やはりあの孫は自分の孫であり、娘の子だ。
無茶をやめるような性格はしていなかったようだ。
「……だが、問題がある。どうやら敵は振武を知っている節があるようだ。
何がどうして、彼らが振武を知る事になったのか。可能性はいくらでもあるが、」
「――もしかしたら、」
「やめなさい」
何かを言いかける壊を、振一郎は押しとどめる。
憶測を広げても意味はない。
今は確かな情報が必要な時だ。
「……僕が、必要ですか?」
その沈黙で、何かを察したのだろう。壊の固い声が、廊下に冷たく響く。
「……ああ、そうだ。もっとも、アレは君であって君ではないのかもしれない。
やれるかね? もう戦わないと決めたのだろう?」
動島壊。
自分の義理息子、婿、娘の夫、孫の父。
その何れも本当の事だ。何も偽りはない。しかし振一郎は、その中でも彼の深淵に眠っているソレを呼び起こそうとしている。
動島振一郎はヒーローではない。
警察や多くのヒーローとの繋がりはあるものの、結局それはあくまで少々コネがある程度だ。本格的な調査にはそれほど大きく役立つわけでは無い。
動島壊ならば、それが出来る事がある。
……壊にとっては、封印したものを紐解く事になるが。
「ライセンスは今も維持しています。友人達のおかげですね。装備もちゃんと取ってあります」
「――壊くん、私はそういう事を言っているわけでは無い」
「……分かっています。お義父さんのお気遣いはとても嬉しい。
でも、これも分かっているでしょう? 僕は、身内が傷付けられて黙っていられるほど理性的な人間では無いんです。覚悟も、随分前から決めていました」
自分が力を振るう時は、きっと息子が関係する時だ。
漠然とした、だが確かな確信が壊にはあった。だから抵抗は無い。
あるのはほんの少しの、申し訳なさだけだ。
『もう壊くんが、泣きながら戦わなくても良い世界を、私が作る。
だから、無理に戦ったりしないで』
あの時の言葉を言ってくれた彼女は、もうこの世にいない。
息子を、彼女の残り香を、彼女と自分の絆の証を護るのは、もう自分しか残っていない。そうであれば、自分の決めた信念や気持ちなど、最早どうでも良い。
「……
壊の、真っ直ぐな剣のような鋭さを持った眼を見て、振一郎も観念する。
「
――頼んだよ《ブレイカー》」
善が、動く。
誰にも知らせず、大切なものを守る為に。
あれ? 書き上がった? と自分でも思っていますとも。
視点が二転三転してしまいました、見づらいかなとも思いましたが、ここは書きたい事が多すぎた……。
ここを契機に多くの事が動きます。この動きがどのように物語に作用していくのか、結果はまだ先の話です。ですが必ず出てきますので、どうかお楽しみに。
さて、次回から本当に体育祭編!!!
書くのが楽しみなのもそうですが、自分がちゃんと書けるのか不安も一杯です。
どうか暖かく、楽しみにお待ちいただければ、嬉しい限りです。
次回!! 相澤先生が憂鬱そう! 誰のせいかな!?
感想・評価お待ちしております。