結局振武達1年A組の面々が合宿場所に到着したのは、日が暮れ始めた頃だった。
皆一様に土汚れと疲労でボロボロだ。
「ようやく着きました……やれやれ、山あり谷ありを文字通りという感じでしたね」
「いや、お前途中から狼に乗ってるからそんなに疲れてないんじゃ……」
もう今にも倒れそうなほど疲れている鋭児郎の言葉に、魔女子は無い胸を張る。
「ふふん、個性の使用を許可されているのですから不正ではないです。
それに、私がずっと歩きっぱなしであれば、逆に皆さんにご迷惑がかかりそうでしたし」
最悪の場合誰かに背負って貰わないと、などと不穏な事を言っている。
「むしろ、ツッコミどころとしては、余裕がある動島くんにどうぞ」
その言葉に、皆が一斉に振武の方を見る。
汚れているのは他のメンバーと同じだが、疲労の度合いは大きく異なる。倒れ込む事はしないものの、膝に手をついて肩で息をしている面々と違い、普通に立って他の疲れている連中の面倒を見ている。
体力があるという事以上に、森の中を歩く事に慣れている様子。
「……まぁ、動島だしなぁ」
鋭児郎の言葉に、クラス全員が反応しないものの、強く同意した。
「お前だけだったらもっと早くゴール出来たんじゃないか?」
「どうだろうなぁ、もし1人だけだったら、他の奴らを襲ったあの土の魔獣も俺の所に来てたんだろう?
そう考えると、俺1人だけの方が面倒だったんじゃないかな?」
皆呆気なく倒せてはいるものの、あれ一体でもそれなりに強い。
それを何匹も1人で相手にするのは、肉体的疲労もそうだが、精神的にもストレスを感じるだろう。
仲間と話し、協力して進むからこそ疲れを忘れる事が出来るのだ。
「1人で森の中ってのは、結構不安で辛いもんなんだよ……うん……」
「なんて実感の篭ったお言葉でしょう……」
どこか哀愁漂う背中に、百は悲しそうに言った。
「やーーーーーーーーっと来たにゃん。
とりあえず、お昼は抜くまでもなかったねぇ」
クラスメイト達を出迎えるピクシーボブ、その後ろにはマンダレイと相澤、そしてもう1人見かけない少年がいた。
「何が『2時間ちょっと』ですか……」
瀬呂の言葉に、全員が腹を押さえながら頷く。
お昼を抜いてまで挑んだので、腹の虫はさっきからストライキを起こさんばかりに騒いでいるくらいだ。
「悪いね、私達ならって意味、アレ」
マンダレイの言葉に、振武も含めたクラスメイトの全員が顔を顰める。
プロヒーローでこういう自然での活動がメインのプッシーキャッツでも2時間……クラスメイト達がいくら優秀でも、この時間まで掛かるのは当然だと思っていたのだろう。
「ねこねこねこねこ。
でも正直もっとかかると思ってた。私の土魔獣が思ったより簡単に攻略されちゃった……良いよ、君ら。特にそこの5人」
そう言ってピクシーボブは、最初に魔獣を倒した5人、出久、爆豪、焦凍、飯田、そして振武を指差す。
「躊躇の無さは、|経験値によるものかしら……3年後が楽しみ! ツバつけとこーーー!!」
プップッと唾を吐きかけ始めた。
「いやツバつけるってそういう意味じゃないし!!」
反射的に振武がツッコミを入れ、ツバを避け損ねそうになったその時、横から百の手が入って来てツバを防いでくれた。
「……百?」
「――ハッ、すいませんつい無意識に!!」
「無意識にやっちゃう辺り、百さんって色々ずるいですよね」
「うんうん、あの胸とかスタイルとかも、色々ずるいよね」
「ちょっ、響香さん! 魔女子さんまで!!」
振武をネタにじゃれ合っているのを横目で見ながら、振武は出来るだけ関わらないようにしていた。飛び火したら厄介なのは目に見えているから。
すまん百。
「きゅうっ……」
だが、それに気を取られて見逃したのか、何故か出久が股間を押さえながら倒れ込んでいた。
どうやら、犯人はマンダレイ達と一緒にいた子供だったらしい……それほど意識して聞いていたわけではないので振武にはハッキリと言えないが、確かマンダレイの甥だと紹介されていたように思える。
「緑谷くん! おのれ甥! 何故緑谷くんの陰嚢を!」
飯田の絶叫に、眼光が鋭かったその少年の目付きはさらに鋭くなる。
「ヒーローになりたい連中とつるむ気ねぇよ」
そう吐き捨てて建物の方に立ち去って行く少年の後ろ姿にまだ飯田が叫んでいるが、彼の生真面目さはいつもの事だ。
気になったのは……その目だった。
ヒーローという存在そのものに、憎悪を抱いているという印象の目。だが、過去出会った死柄木や、鉄雄とも種類が異なる憎しみ。子供だから、いや子供だからこその純粋で、傷つけるのではなく糾弾したいという気持ちの篭ったその目は、振武の頭の中にこびり付くくらい強かった。
「……本当に、」
「? 何がですの?」
「……いいや、何でもない。とっとと荷物片付けて、飯食おう。腹減ってしょうがない」
百の言葉で、振武もバスの方に歩き始めた。
気になってしょうがないし、それに突っ込んでいってしまうのは自分の習性のようなものだった。
どうにか話が出来る機会があれば、などと考えながら、振武は笑顔を作った。
豪勢な食事を腹一杯食したとなれば、次は風呂だろう。
この合宿所の風呂は、とても豪勢な露天風呂だった。月を見ながらゆったりをお湯に浸かれるこの場所で、皆汗と汚れを流し、心地好さそうに湯船に浸かっている。
振武も、焦凍も、他の面々も。
しかしその中にただ1人、
「まァまァ……ぶっちゃけ飯とかね……ぶっちゃけどうでも良いんスよ……求められてんのってそこじゃないんスよ。分かってんすよオイラぁ……
求められてんのはこの壁の向こうなんスよ……」
変態がいた。
女湯と男湯を隔てる壁に耳を当てながら、まるで悟りでも会得したように静かな声だが、会得したのは変態としての悟りだった。
「……良いか、焦凍。彼奴が一歩でも動こうとしたら全身凍らせてくれ。俺が砕くから」
「ああ、分かった。砕きやすいように芯から凍らしておこう」
「いや死ぬから!!」
信念などと綺麗なものではない。
敵意などという生易しいものではない。
もはや殺気のようなオーラを出している振武と焦凍を、鋭児郎が必死に止めようとする。
「いや、もうそろそろアウトだってあいつ。一回心の底から反省させた方が良いってあいつ」
「気持ちは分かる、気持ちは分かるけど!!
お前の信念どこいった!?」
「俺の信念は人間限定、
「ちょ、目が怖いから振武!
ヘルツアーツじゃなくて、ヘルツアーズになってるから、地獄巡り上等の顔しているから!!」
……ここで説明しておこう。
振武は独占欲などの感情が薄い部類ではあるものの、愛がない訳でもない。
むしろ、息子と妻が大好き過ぎて色々ヤバい動島壊と、息子と夫に早く会いたいが故にヴィランをぶん殴っていた動島覚。この両者の影響をバッチリ受けている。
反面教師として学んだ事も数あれど、愛情の深さは2人譲り。
つまり、惚れた女に嬉々として害を与える相手に容赦はしなくなっていた。
「轟も! 流石に止めろよ!!」
「……? 何かおかしい事言ってるか振武は」
「しまったこっちはただの
おい瀬呂呼んできてくれこいつらは制裁に加えちゃダメだ!」
暴れる振武を必死に羽交い締めにする鋭児郎。
それを他所に、飯田が峰田を止めようとしていた。
「峰田くんやめたまえ! 君のしている事は、己も女性陣も貶める恥ずべき行為だ!」
「やかましいんスよ……」
しかし今更飯田の言葉で思い留まるならば、エロ葡萄と揶揄される事もないだろう。
峰田は“個性”である球体を頭から剥ぎ取り、訓練時では見せない程精密な投擲で壁に投げつける。自分以外のものに強力な粘着力でくっ付くその個性は、壁を乗り越える為の足場に十分なものだった。
「壁とは超える為にある!! Plus ultra!!!!」
「速っ、校訓を穢すんじゃないよ!」
想像以上の速さは、まるで壁を這う某黒い害虫のようだ。
あまりの速さに、拘束されている振武も、そしてその隣で落ち着けと説得されていた焦凍も反応出来ない。
しまった、
そう誰もが思った時、
「ヒーロー以前に、ヒトのあれこれから学び直せ」
このことを予測していたのだろう、最初に緑谷の股間を攻撃した少年――洸太が、上がってきた峰田を突き落とした。
「くそガキィィイイィィイイィ!!!!」
まるで
当然、誰もキャッチしてくれる人間はいないし、助け起こそうとする人間もいない。
「よし、ナイスだ少年!
あとでジュース奢る!!」
「ヒーローになりたがる奴らの施し入らない」
振武のややキャラクターが壊れている発言を、洸太は冷たくあしらった。
「やっぱり峰田ちゃんサイテーね」
「ありがと、洸太くーん!!」
壁の向こうから女子達の感謝の声が響いてくる。それに反応して、洸太が女湯の方に目線をやり――鼻血を出してそのまま壁から落ちてきた。
「――っ!!」
「まずい――っ!!」
振武と出久が同時に動く。
個性を使って力を満たした出久と、個性を使って瞬間移動のように間合いを詰める振武の動きで、地面に激突する寸前に洸太をキャッチした。
間一髪。
「っぶねぇ、子供にはまぁ、刺激強かったんだろうなぁ」
「う、うん……ねぇ、動島くん。洸太くんには怒らないんだね」
「まぁ子供だし、峰田とは違うからな。
悪いけど、緑谷がこの子を運んでくれないか」
振武の言葉に疑問に顔を顰めて……すぐに何か思い浮かんだのか、「うん、分かった……あの、程々にね」とだけ言って、そのまま洸太を抱えて脱衣所に向かってくれた。
察しが良くて助かる。
「いやぁ、子供も無事助かって良かったなぁ……じゃあ、オイラは、」
「待てそこのエロ葡萄」
さも自分は関係ないと言わんばかりの態度で言ってから、もう一度個性で壁を登ろうとする峰田の首根っこを掴む。
……振武には
「なぁ、峰田……お前に、好きな方を選ばせてやろう」
「へ、へぇ、選ばせてくれるなんて優しぃなぁ動島くんは!」
シャイカーにでもかけられているように恐怖でブルブル震えている峰田の耳元で、振武は優しく言う。
「――焼き葡萄にされるのと、フルーツアイスにされるのと、グレープジュースになるの。
お前はどれが好き?」
これは食べるものを選ぶ選択肢ではない。
「……無事に生きて帰れるって選択肢は、」
「――ないに決まってんだろうが、このエロ葡萄がぁ!!!!」
……夜の合宿所に『ですよねー』の叫びが木霊した。
◇
夜眠れない事が時々ある。
父と母が死んでから、よくある事だ。
引き取ってくれたマンダレイや、医者や、学校の先生も自分の事を気にかけてくれていたが、それでもこの気持ちがおさまる事がなかった。
父と母は死んだ。
会う人会う人、引き取ってくれたマンダレイもそう言っていた。
でもそれを――洸太は受け入れられなかった。
だって死んだんだ。
“個性”なんて力をひけらかして、ヒーローとして死んだ。
“個性”なんて力に溺れて暴れた、ヴィランが殺したんだ。
その違いは洸太には分からない。それならいっそヴィランもヒーローもいらない、“個性”なんんていらない。この世界の皆は、どいつもこいつもイカレている。
ヒーローなんて仕事を続けているマンダレイだって。
一緒にここに来たヒーローを目指す輩だって。
「………………」
唯一合宿所の中で光が灯っている自販機、その前にあるソファーに座って、洸太はそんな事を思い続けていた。
自分の感情を煮詰めて、煮詰め続けていた。
――邪魔者が入ってくるまで。
「なんだよ、眠れないのか?」
休憩所にやって来たのは、最初に会った時にじっとこっちを見て来た奴だった。
鋭い目つきに黒い髪。自分よりずっと大きい奴。確か、風呂場で救けてくれたのは、緑色の地味な奴とこいつだと、マンダレイが言っていたのを思い出す。
もっとも、礼も挨拶もする気にはなれず、わざと無視した。
その態度を予想していたんだろう、男は小さく溜息を吐いてから、自販機の前に立った。
お金を入れて、ボタンを操作する。ガシャンという飲み物が取り出し口に落ちてくる音が、二回、静かな休憩所に響いた。
「おい、坊主、キャッチしろ」
いきなりそう言われて顔を上げれば、もうすでに男は何かを投げていた。
慌ててキャッチして、その手の中に収まったものをみると、自販機の中にあったジュースだった。
「風呂場で言っただろう、ジュース奢ってやるって」
「……お前なんかの施しは要らない」
「その口調、本当に子供かよ」
洸太の辛辣な言葉に、男は苦笑しながら隣に座る。
隣どうぞなんて言ってないのに、迷惑な奴だと顔を顰めるが、相手は一向にこちらを気にしている様子はない。
「俺の名前は動島振武、まぁ好きに呼んでくれ」
「呼ぶ用事なんてこれから一生ないけどな」
「凄い語彙力だよな、最近の子供ってそういう感じなの?」
「……ごいりょくってなんだ?」
「あ、そっちは知らないのね。偏ってんなぁ」
振武と名乗った男は、少し可笑しそうに笑いながら、買っておいた飲み物を開けて飲んでいる。
「うるさい。あっち行けよ、とっとと寝ちまえ」
「なんかお前の口調、クラスメイトを連想するぜ。
いただろう、金髪で口が悪い野郎。焦凍って俺の友達が、お前と似てるって言ってて、笑ったなぁあれは」
「黙れよ、話しかけんな」
「そうそう、そういう所もソックリだわ……っつっても、暇なんだからちょっとは付き合っても良いだろう」
「お前に付き合う必要なんかない……」
そう言って、洸太は立ち上がって自分の部屋に戻ろうとしたが、
「……坊主、なにがそう気に入らない?」
その言葉に、足が止まった。
なにも返さないのをいい事に、振武は話を続ける。
「俺達の何が気に入らない。何が不満だ。何故そうも憎い。
正直、恨まれるような事をした覚えなはない……だから、どうしてなのかって気になっちまってな」
「……全部だ」
答えない、そう思っていたはずなのに、口は、心は既に答えていた。
「何がヒーローだ、何がヴィランだ、何が“個性”だよ。
そんな〝力〟をひけらかして、殺しあって……何が良いっていうんだよ。お前ら全員、イカレてんだよ」
「……まぁ、そうだな」
同意されるとは思っておらず、洸太は思わず振り向いた。
そこには、先ほどまでヘラヘラしていた男はどこにもいない。真っ直ぐに自分を見つめる、動島振武がいた。
「ヒーローだヴィランだ、戦いがどうのって……他人から見たら、くだらないよなぁ」
「……調子合わせて頷くなよ、気持ち悪い、お前に分かるわけ、」
「ないわな。完全に分かるなんて口が裂けても言わないよ。実際俺はヒーロー目指しちゃってるし、他人の本当の所なんて分からない。俺はお前に何があったかも知らないからな。
でも、ちょっとは分かる……ヒーローもヴィランも、“個性”なんて力もない。それはそれで、上手く回っていた時代があったんだし」
何の訓練もされていないはずの人間でも、“個性”があれば一端の兵士並みの、いやそれ以上の戦いをする事だってある。
そして力というものの厄介な所は、心構えもなく簡単に手に入れると、振り回したくなってしまう所だ。
生まれてから自分にしか与えられていない力だ、そういう欲求が余計に強くなる。
だから
そしてそれを止めようとするヒーローも生まれていく。
ヒーローだって人間だ。力を使って、金も名誉も手に入るようになってしまえば、当然増長する部分はあるだろうし、過信する事もある。
「〝ひけらかし〟、ね……そう言われてみれば、そうかもしれない。
俺もそうだ。戦いに役立つ“個性”が自分の体に有って、おまけにそれを活かせる戦い方を教えてくれる人がすぐ傍にいた。
自分の力に誇りを持っているし、一つの気後れなくこれを使おうとも思える」
でも、という言葉が続く。
「でも、それ〝だけ〟じゃないんだよ、俺達」
それ〝だけ〟でヒーローを選んだわけではないと。
「ぶっちゃけ、顔を隠して素性も隠して、なんだったらテレビでその活躍が映らず、誰にも貶されなければ、同時に尊敬もされない。
少なくとも、俺はそうなったとしても構わない。俺のやりたい事が出来るなら、力が他人の目に入ろうが入らまいが、力をひけらかそうが、なかろうが。
どうでも良い。俺は救けたい人間を、救けるだけだ」
自販機が中の温度を維持するためになる、特徴的な駆動音。
その場ではその音しか聞こえなかった。
正直、洸太は目の前の、動島振武と名乗った男が何を言っているのか、ちゃんと理解は出来なかった。言っている事が難しいというのもあるが、自分の事情も知らずに勝手に言われる言葉は雑音にも似ていて、その内容が耳の中に入ってくる事はない、
ない、筈なのに。
その言葉が本当に心の底から言われた言葉で、
振武の目指しているものが、病的に真っ直ぐだという事。
それだけは、何となく理解する事が出来た。
「……バカじゃねぇの」
畏怖のような感覚と、これを聞けば自分の気持ちが変わってしまうかもしれないという漠然とした焦りを感じて、洸太は足早にその場を立ち去った。
◆
「……やっぱダメだったかぁ」
洸太の後姿を見送ってから、振武は天井を仰ぎ見る。
……〝力〟のひけらかし。
その言葉は、振武の心に思った以上の威力で突き刺さった。
考えていなかったわけじゃない。
力を持つうえで重要なのは、技でも何でもない。心、つまり精神だ。健全な肉体に健全な魂が、何て言葉はあるが、両者は切っては切れない縁で繋がれている。
肉体だけでは、ただの暴力だし。
精神だけでは、ただの口先だけ。
どちらを持っていて、初めて力は手段の一つになり、ある種完璧な武になる。それは、鍛えていく上で祖父から教わった。
しかし、そう考えていたとしても、その肝心の力そのものの否定というのを、振武はあまり意識しなかった。
前世からの経験の所為か、あるいは武術の家に生まれ力というモノに慣れ親しんでしまったのか。
振武はこの社会の構造に歪みがある事に無意識に気付いても、それを言語化した事も、ましてや否定した事もない。
だって“個性”がなければ自分は何かをしようとは思わなかったし。
こんな社会でなければ、誰かを救けたいと思う事もなかったかもしれないから。
「……俺の言葉じゃ、難しいかなぁ」
自分で言うのもなんだが、振武は恵まれている側の人間だったから。
家はそこそこ裕福だったし、辛い事が一つもなかったと言えば嘘になるが、周りが手助けしてくれて、慰めたりもしてくれた。
“個性”も、武力も、最初から学ぶ機会があった。
そこから先は全部自分の力で、今の力を借り物だと考えた事は一度もないけれど、機会があっただけでもかなり恵まれている。
この社会そのものに否定された事も、社会に絶望する程の何かはなかった。
……もしかしたら、壊であれば別の言葉を掛けてあげる事が出来たのかもしれない。この社会の歪みを真っ直ぐに見つめ続け、おまけに口も上手い。振武よりずっと、洸太の気持ちを理解し、寄り添って話してあげる事が出来るのかもしれない。
あるいは……、
「緑谷、か……」
無個性として生まれ、育ち、この社会の最悪な部分に遭遇し、それでも絶望せずに、最終的に夢を追うチャンスを掴んで、今一緒に学んでいるクラスメイト。
彼であれば、あるいは洸太の気持ちを和らげる事が出来るのかもしれない。
その事に思い至って、思わず苦笑いを浮かべる。
この世界に転生したと気付いてから、別に自分が主人公になろうとも、逆に自分がこの世界にとって邪魔な存在だと、一度でも考えなかったかと言えば、それは嘘だ。
前者はさておき、少なくとも後者は。
そしてこういう時、自分の存在よりも緑谷出久の方が上手くやれる状況だと思った時、何となく自分は彼の邪魔をしているんじゃないかと思える瞬間がある。
自分でもバカだと思っているし、別に深く悩む事はあまりないけど。
まるで小さな罪悪感が、自分の心に瘤のように残っているのを、何となく感じる。
「……あぁ、ちくしょう」
襲撃されて以来、頭の中に妙な違和感を感じる。
覚えのないはずの罪悪感。
今まで感じた事のない種類の焦り。
そして、それを誰かに言ってはいけないという、漠然とした恐怖。
なぜこんなものが胸の中に入っているのか、いつのまにそんなモノが芽吹いたのか。振武には見当もつかない。
というより、
「理解する事すら、恐ろしい、か……」
……考えるのは苦手だ。
というより、考えれば考える程ドツボに嵌まっていくタイプなのだと、いい加減自分でも分かってきた。
ペットボトルの水を全部飲み干し、潰される前提で作られているそれを、片手で握りつぶして、ごみ箱に捨てる。
自分の心のモヤモヤも、こうやって捨てられたら良いのに。そう思いながら。
次回! 魔女子さんが暗い目をするぞ、何かあったのかな!?
感想・評価心よりお待ちしております。