plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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episode2 デートと大作戦

 

 

 

 

 

 日曜日の8時50分、駅前広場の時計台。

 休日だという事もあってか平日のような慌ただしさはなく、緩やかで穏やかな空気が流れる駅前で、振武はそれとは逆に周囲を見渡したり襟元を気にしたりと、どこかソワソワしていた。

 緊張しすぎて待ち合わせの9時よりも早い8時半には着いてしまったのだが、ずっと落ち着かない。デートの待ち合わせとは、こんなにも緊張するものだったろうか。

 足下がおぼつかないと言うより、今にも立っている地面が崩れてしまうのではないかと思うほど不安だった。

 時計台は、まるで一枚の大きな板のような形状をしていて、その表面は磨かれて鏡のように人の姿を映せるようになっていた。念のため、もう一度そこで自分の服装を確認する。

 深緑系カーキ色のカーゴパンツ、淡い水色のスニーカー、白いVネックの七分袖のカットソーと、灰色でフードに赤い縁取りがされている五分袖のパーカー。左腕には腕時計、胸元には父から借りた革紐とシルバーのアクセサリー。

 ……これは本当に自分なんだろうか。

 何度鏡で見ても、全然自分であるという実感が湧かない。髪などは弄っていない状態なのだが、服装を変えるだけで本当に雰囲気も変わるものだ。

 少なくとも、黒などという色は自分の髪の毛くらいしかない。普段のイメージを変える為と言っていたので当然だろうが、それにしてもこれはだいぶ変わったなぁと思う。

 

「問題は気に入ってもらえるか、だよなぁ」

 

 気に入って貰えなければ、あんまり意味ないんだよなぁと思いながら時計台に映っている自分に溜息を吐く。

 ……いや、難しい事を考えるべきではないかもしれない。気合いを入れ直す為に、振武は1度自分の両頬を叩く。

 もっとも、これももう朝から何回やっているのか。本気でやっていないから跡が残るほどではないが、少しだけ頬が赤くなっているのが分かる。

 叩き過ぎたからか……いや、それとも、

 

「振武さん、お待たせ、してしまいましたか?」

 

 そうしていると、どこか遠慮がちに掛けられた声の方向に振り返る。

 そこにいた百を、一瞬振武は百と認識できなかった。

 まず髪型だ。普段は少しボリュームのあるポニーテールにしている髪はいつもより低位置、しかもサイドにシュシュで纏められ、パーマでもあてたのだろうか、軽くウェーブしている。

 膝より少し上くらいに有る丈の白いワンピースと、七分袖のデニムジャケットを着ている。足下は可愛らしいフラットな花を模しているサンダル。

 アクセサリーなども付けているし、小さな可愛らしいポーチも持っている。

 よく顔を見て見ると、薄くではあるが化粧が施してあるらしい。どうやっているのか男性の振武には分からないが、より百の魅力を引き立てている。

 普段も、美人だなぁと思っていたが、今の百は普段以上に輝いているように見えた。美しさと可愛さの同居とは、こういう事を言うのだろうか。

 

「えっと、振武さん? 私、どこかおかしいでしょうか!?」

 

 じっと見ていたのがまずかったのか、どこか焦るようにワタワタと動き始める百に、振武は笑顔で首を振る。

 

「ううん、いつもと雰囲気が違うから驚いただけだよ。

 つうか……あ〜、その、なんだ。改めて、美人なんだなぁって思って」

 

 どこか照れ臭そうに言う振武の言葉に、

 呆然、

 赤面、

 はにかみの表情を順番に浮かべる。

 それぞれ1秒ずつ、器用なものだなぁと笑みを浮かべる。

 

「あ、ありがとうございます……し、振武さんもその、格好良いですわ。

 普段の黒い服も、私は別に、素敵だと思いますけど……その、今日の振武さんは、爽やかで素敵です」

 

「ほう、そりゃ、普段の俺は陰気臭いと?」

 

「い、いえ! けしてそのような事は!」

 

 慌てふためく百に、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 確かにいつも以上に綺麗になっているし雰囲気も変わっているが、やはり百は百なんだなぁと少し安心したから。

 

「冗談だよ、百。

 ――じゃあ、そろそろ行こうか。映画館、ちょっと歩くから」

 

 今日のメインは映画。

 なんでも最近流行りの恋愛ものらしく、シナリオが素晴らしい……と、何故か魔女子に薦められたものだ。魔女子がその類の作品を見るというのは少し意外だったが、今回は助かったと言えるだろう。

 振武の言葉に、百ははにかみながら、

 

「もう、振武さんは……ええ、参りましょう」

 

 そう言って、隣に立つ振武と歩き始めた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 オシャレをして、

 行きたい場所に行く為に、

 好きな男性と一緒に歩く。

 これが――デート。

 

(困りました……心臓止まってしまいそうですわ)

 

 普段通りにしているつもりだが、胸の奥に仕舞われている心臓は早鐘どころかもはや高速祭り囃子のようにドコドコと鼓動しているように思える。

 状況がというのもあるが、それ以上に今隣で一緒に話しながら歩いている人が、普段以上に格好良く見えるからだろう。

 服装というものは人を変えてしまうものなのだろうか。

 自分も普段よりも違う姿をしているが、彼の黒い姿以外を制服でしか見ていないのでは? と思ってしまうほど私服が黒という色で占領されている振武とは大きく違う。

 普段もそれは爽やかな好青年の部類であるが、今日は見た目から清涼感がある。

 何より、先ほどから行動1つ1つが嬉しい。百が何も考えず歩いていると、いきなり歩いていた側から反対側に、何も言わずに移動した。

 なんだろうなと思えば答えは簡単だ。車道側を歩いてくれたりする。

 小さな事だが、それでも百にとっては大事にしてくれているのかと思って嬉しい。

 普段からこういう事はしてくれるのだが、どちらかと言えば言動などに注目している分、普段は見えない部分が見えてくる。

 あまり普段と変わらない話をしていても、それでもやはり普段とは見え方が違う。

 ローファーを履いている時よりも少し低い視線だと、少し影を作っている彼の顔が余計に凛々しく、

 

「百? ぼーっとしてると電柱に当たるぞ?」

 

「っ、し、失礼しましたっ」

 

 振武の顔をじっと見ていたのを外し、前を見る。

 そんな百の姿に、クスクスと振武が笑う。

 

「もしかして、緊張してる?」

 

「……していないはずがありませんわ。

 振武さんは、されていませんの?」

 

 少しムッとしてそう言うと、振武は肩をすくめる。

 

「してるに決まってんだろう。

 デートなんて百とが初めてなんだ。正直さっきから鼓動がドラムロールみたいに鳴ってて困ってんだよ」

 

 その言葉に安心するとともに、少し嬉しくなる。

 彼も意識してくれていたんだと。

 

「そう、ですか」

 

「ハハッ、今ちょっと安心したろ」

 

「もうっ、今日の振武さんはちょっと意地が悪いですわ」

 

「そうか? 別に狙ってしているつもりはないんだけどな……それに、俺も同じだよ。

 百にちゃんと意識して貰えているってわかって、ちょっと安心した」

 

 その言葉1つ1つが嬉しい。

 これは夢なのではないかという錯覚を覚えてしまうほどだ。

 だからだろうか、一瞬視界の隅に見慣れた水色の髪の毛が見えたような気がした。

 

「? どうした?」

 

「あ、いえ、何でもありませんわ」

 

 すぐに気の所為だろうと振り払って、ゆっくりと歩幅を合わせてくれている振武についていく。

 まさか、こんな所で彼女を見かけるなんていう偶然があるわけではあるまいと思って。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふぅ、危ない危ない。今一瞬視界に入ってしまいました。

 ……気付かれてはいないようですね。では、状況を再開しましょう」

 

「すまない、俺は1つも意味が分からないんだが」

 

 近くの物陰に隠れている魔女子。そして服を掴まれ一緒に隠れている焦凍は、心の底から面倒臭そうだ。

 ……そもそも話が急なのだ。

 ランニング、朝風呂、着替え、朝食という普段通りの日常を、休日らしくやや遅れて済ませた所に、魔女子は運転手のメイドとピカピカのリムジンでやってきた。

 驚く姉、怒鳴る父(今日は父と訓練をする予定だった)を普段の三倍は速く三倍は上手いのではないかという交渉術を駆使して、焦凍を拉致。

 そしてそのまま、振武と百がどこかに出かけている姿を延々と監視しているという今の状態に続く。ちなみに振武が30分前から待ち合わせ場所でソワソワ

 しているのも見ていた。

 

「ハァ、まだ分かりませんか焦凍さん。

 これは、動島さんと百さんのデートです」

 

 知っている。

 事前に2人でいる時に振武から聞いていたし、見れば分かる。

 焦凍が頷くと、魔女子は話を続ける。

 

「今日は休日、ここは我らが地元。

 とどのつまりクラスメイト、知り合い、学校関係者などと出会う機会は多く存在するでしょう。まぁ学校関係者、先生方はまだ良いでしょう。絡みにくるほど無粋な人はいないでしょうし。

 しかしクラスメイト……特に騒がしい方々は別です」

 

 切島などは空気が読めるが、女性関係に疎くデートであると知らずに近づき、「どうせ2人で遊んでんだったら遊ぼうぜ」とか空気読めない事を言いそうだ。

 上鳴や芦戸達は自分達と同じように尾行を始めるかもしれないが、あのおバカコンビ中心で動き始めると尾行が露呈し、2人に恥ずかしい思いをさせてしまうかもしれない。

 峰田は論外だ。「リア充に天誅下すべし」と暴走し、襲ってくる可能性が高い。

 つまり、地元でデートというのは危険がいっぱいなのだ。

 

「まだ動島さんと百さんは、お付き合いしているどころか、動島さんに至っては自分の気持ちすら判然としない状態。そんな時に脇から茶々を入れれば、彼の中での感情すらうやむやになってしまう可能性があります。

 折角彼から百さんをデートに誘うという喜ばしい出来事を迎えたのです、そんな状態を崩してしまう訳にはいかない」

 

 そこも理解出来る。

 今でこそ遠目から見たって良い雰囲気の2人だが、この状況で第三者からの介入があったら、その雰囲気をぶち壊される。雰囲気がぶち壊されれば、振武は二の足を踏んでしまうだろう。似た者である百も同じく。

 2人とも大事な所ではしっかりと前に進める勇気ある人間だが、時々考えすぎて臆病になってしまう所がある。

 出来ればそんな介入は避けたい所だ。

 

「それを守れる立場の人間がいるでしょうか?

 動島さんと百さんの性格を知り、フォローを入れ、穏便にクラスメイトなど知人をお二人に近づけないように出来る守護者が――私達以外にいるのでしょうか?」

 

「うん……うん?」

 

 そこはやや、いやかなり強引に感じた。

 2人を尾行しながら説明されるというシュールな状況で、焦凍は首を捻った。

 

「彼らを暖かく見守り、実際に脅威から守り、そしてちょいちょい面白そうなところを聴き漏らさず、彼らが無事結婚した時に思い出話として皆さんの前で披露する事も、我々にしか出来ません」

 

「おい、本音が隠しきれていないぞ」

 

「ジョークですジョーク、流石にそこまで性格の悪い事はしません。

 ですが、彼らを大事に思っているのは確かです。出来ればあのお二人には、幸せになってもらいたいですからね」

 

 何せ親友2人である。

 片方が好きではないのなら無理にくっつける事はないが、振武だってなんだかんだと言いつつ百の事を好いているし、百は言わずもがな。

 つまり、ある意味結ばれるべき2人なのだ。

 そんな2人の幸せを守り祝福してあげるのも、親友としての務めだろう。

 

「理解していただけましたか? 今我々は、重要な任務を帯びているのです。

 人の幸せ、幸福をサポートし守る事もまたヒーローの仕事です。我々の行動は、良しとされようとも悪しとされる事はないでしょう。

 その前提を守るため、絶対に彼らの前に姿を現しません。存在を悟られず、影のように行動するのです。人知れず悪を打ち、人知れず平穏を築きましょう」

 

「ああ、なんとなくは分かったが……ちなみに魔女子、お前昨日何を見た」

 

「忍者が主役の新解釈時代活劇を少しばかり」

 

 バリバリ影響を受けている。

 ……だが、実際の所、ここで魔女子を説得して引き返させる事は難しいだろう。交渉術や言葉で焦凍は魔女子には勝てる気がしない。

 で、あるならば。彼女が調子に乗って変な事をしたりしないように見張っていた方が良いのかもしれない。ここまで来てしまったのだ、このまま無視して帰ってしまうのも、酷い話だ。

 

「……分かった、一緒に行こう。

 だが絶対に彼奴らに見つからないようにしないとな」

 

「えぇ、勿論。各地点でメイド達がフォロー出来るように動いていますし、何より私だってお二人の関係が悪くなるのを望みません。あくまでさりげなく、です。

 最初のデートの行き先は映画館です」

 

「……何故それを知っている?」

 

「悪意を持って誘導したわけではありませんが、紹介した映画がやっている映画館はこの近辺では目的地の映画館だけですから」

 

 ……勿論魔女子の中では、振武と百のデートを陰ながらフォローしようという気持ちもある。

 だがこの中には、言っていないもう1つの計画がある。

 今回の振武のように焦凍の方からデートに誘ってくれる事はまだ望めないだろうし、自分から言いだすのも恥ずかしい。

 そこで、振武と百を尾行するという役割を負いながら、同じデートコースを辿る事で擬似的にデートしている状況にする。

 これぞ秘策『模擬ダブルデート作戦』だ。

 ……素直に感情を伝える事が出来ない魔女子のギリギリの策だった。

 

「さて、そろそろ映画館に着きます。焦凍さん。出来ればお二人の席から見つからない座席を確保しなければっ」

 

「あぁ、そうだな、分かった……ところで、魔女子」

 

「なんですか? まだ何か疑問点が?」

 

「いや……今日のお前の私服、なんか可愛いな。似合ってるぞ」

 

「………………………………………………………………しょ、しょれはありがとうございましゅ」

 

 反則だ。

 いきなりサラッとこういう事を言うから、焦凍は怖い。

 そう思って赤くなった顔を必死に向けないようにしながら、魔女子は少し前を歩いている2人の尾行を続けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 休日の映画館は大きな賑わいを見せていた。

 家族連れ、カップル、友人同士と様々な人々でエントランスは溢れている。

 

「大盛況ですわねぇ。さすが休日ですわ。

 チケットの方は心配ありませんの?」

 

「それは大丈夫。もうネット予約しておいたんだ。カウンターにチケット貰いに行くだけなんだけど……あぁ〜、結構並んでるな」

 

 振武の言葉に列の方を見てみれば、長蛇の、とつけても良いぐらい長い行列が作られている。ポップコーンや飲み物を買える場所も、ついでに言えばトイレにも列が作られている。

 

「余裕持って動くようにしてたから、上映時間は心配ないけど、ちょっときついなぁ」

 

 チケットを買った後飲み物を買おうとすると、少しロスタイムが大きいだろう。

 そう考えて、百は悩んでいる振武に言う。

 

「でしたら、振武さんはチケットを。私は飲み物を買って参りましょう。

 2人で手分けをした方が、効率が良いですわ」

 

 一緒に並んで話に花を咲かせたい所だが、この場合制限時間があるのだ。その方が良いだろう。

 少し考えるようにしていた振武も「しょうがないか……」と頷く。

 

「じゃあ、俺はウーロン茶で良いよ。見終わったら昼時だろうし、ポップコーンは良いや」

 

 そう言って、振武は折り畳みの財布を取り出し、百に手渡す。

 これで買え、という事だろうか。

 

「ちょっ、振武さん、お財布がないとチケットが買えませんわ!」

 

「支払いは済ませてあるよ。予約番号言ってチケット貰らうだけ。

 それで飲み物買っといてくれ」

 

「で、でも、」

 

 それでは奢ってもらってしまう形になる。そもそもチケット代すらも出していないのに。

 尚も食い下がる百に、振武は微笑む。

 

「今日はデートだろう? 今日の所は俺に奢らせてくれよ、な?」

 

「……分かりました。では、映画代と飲み物、ありがたく頂きます」

 

 ここで何を言ってもどうしようもないし、昨日四ツ辻から『男から奢ると言うのを受けるのも、女の度量。だから、奢ると言うなら奢られてしまいましょう……まぁぶっちゃけ私男の前でお財布出した事ありませんけど〜』と言われている。

 後半の科白はさて置くとして、拒否して変な空気になるのも嫌だった。

 

「でも、それでは申し訳ありません。どうせ一緒に楽しむのであれば、奢られてばかりではいけません。

 午後のお茶を私に奢らせて頂けますか?」

 

 振武とは、どちらが上という訳ではない対等な関係を築きたいと思っている。気遣って貰えるのは嬉しいが、それ以上に守られてばかりは嫌なのだ。

 百の毅然とした言葉に目を見開いてから、

 

「……まぁ、そうだな。お前の気が楽ならその方が良い。

 了解、良い店教えてくれると助かるよ」

 

 そう言って微笑んで、チケットカウンターの列に向かって歩いていった。

 

「……さて、飲み物を買わなくては」

 

 百もそれを見送ってからフードカウンターに向かう。

 振武は食べないだろうが、せっかく映画館に来たのだ、ポップコーンも少しは食べたいな、キャラメルは振武の好みに合うのだろうかと、少しウキウキしながら。

 

 

 

 

 

 フードカウンターは基本的に作り置きのポップコーンや、コップを置いてボタンを押せば自動で飲み物が出せる仕組みになっているので(百はあまり見なれないので繁々と見てしまった)、案外すんなりと購入出来た。

 先ほど振武と別れた場所に戻って来てみれば、まだ彼は来ていない様子。

 映画館の椅子にも置ける不思議な形状のお盆を手に、百は近くのベンチに腰掛ける。友人と映画館に普通に来るという経験がなかったので、この見る前の期待感はなんとも言えない。

 映画の内容も気になる所……確か、ラブロマンスだっただろうか。

 振武からは想像出来ない選択なので、もしかしたら誰かから助言を受けたのかもしれない。

 

「2人でラブロマンスを見るなんて、少々気恥ずかしいですが、」

 

 可愛らしいストーリーであれば良いが、もしキスシーンや、濃厚な……ベッドシーンなどあったらどうしよう。気不味くはならないだろうか。頬を赤く染めながらそんなことを想像していると。

 

「うっぐっ、ひぐっ、」

 

 泣きべそを掻き、必死にその涙を袖で拭いている子供が、百から少し離れた場所、エントランスの端っこでしゃがみこんでいた。

 子供用のロングTシャツとデニムを着ている、歳は3歳から4歳の男の子といった所だろうか。こんなに人が多い中、1人で歩いているというのはどうにも不自然で、おまけに泣いていると来た。

 

「……放ってはおけませんわね」

 

 そのまま置いておいても大丈夫だろうかと一瞬飲み物とポップコーンの心配をするが、映画館の中で飲み物やポップコーンを盗まれた、なんて話はあまり聞かないし大丈夫だろうと思い、ベンチの上に置いてそのまま子供に駆け寄る。

 

「あ、あの、その、ボク? どうしました、そんなに泣いて」

 

 弟や妹がいないので子供にどのように接して良いか分からず、とりあえずいつも通りの話し方で、目線を合わせるように膝を折る。

 子供はいきなり話しかけられた事に驚いているのか、呆然としている。

 

「えぇっと、大丈夫ですか? どこか、痛いんですの?」

 

「………………」

 

 子供は首を横に振る。

 どうやら体に異常がある訳ではないようだと、心の中で安堵する。

 

「お母さんやお父さんはどちらにいらっしゃるんですの? もしかして、迷子ですの?」

 

「…………ママ?」

 

「はい、ママさんです」

 

「……………………ふぇ、」

 

「ふぇ?」

 

「ふぇええぇえぇええぇええぇえ、ママー!!」

 

 百の言葉で自分が親とはぐれた事を再認識したのか、普通に泣いていたものがもはや号泣に変わってしまった。

 

「えぇ!? ちょ、ボク、大丈夫ですの!? わ、私何か粗相を!?」

 

 あまりの泣きじゃくりっぷりにどうして良いか分からずオロオロする。周囲から視線は集まっているものの、君子危うきに近寄らずの精神なのか、誰も声をかけようとはしない。

 どうすれば良い、どうすれば良い?

 頭が混乱し、どうすればこの状況を解決する事が出来るのか考えるが、混乱しているが故かまともな答えが返って来る事がない。

 

 

 

「どうしたんだ、百」

 

 

 

「し、振武さん!」

 

 チケットの受け取りを終えたのだろう。振武が慌てて近寄って来る。

 

「あ、あの、このお子様が、親御さんとはぐれたようで、話しかけたら号泣されまして、」

 

「ああ、なるほどな……お〜い、坊主。お父さんとお母さんとはぐれちまったんだって?」

 

 膝を折り、振武もまた子供と視線を合わせる。

 子供はまたも知らない人間から声をかけられたからか一瞬ポカンとするが、涙を目一杯に貯めながら小さく頷いた。

 

「そっか、そりゃあ悲しいよなぁ。お父さんとお母さん、どっちと来た?」

 

「……ママ」

 

「そっかぁママかぁ。

 でも大丈夫! お母さんもここで坊主を探しているし、何より俺とこのお姉ちゃんが一緒に探すの手伝うよ」

 

「……ほんとう?」

 

「うん、ほんとほんと。兄ちゃんと姉ちゃん、これでもヒーローの卵さんなんだ。だから大丈夫」

 

「……ヒーロー?」

 

 普段の振武が見せる笑みよりもさらに優しい笑みとヒーローという言葉に、子供の笑みが輝く。

 子供に語りかける時はそういう笑顔を浮かべるのか、と少し驚く。

 

「そう、ヒーローだ。

 だが、坊主にも協力してもらいたいんだ。協力してくれたら、それだけ早く見つけられる。出来るな?」

 

「……うんっ」

 

 力一杯頷く子供に、「良い子だなぁ」といって振武は優しく頭を撫でた。

 

「じゃあ、まず坊主の名前と年齢、あと知ってたら、お母さんの名前とか教えてくれないかな?」

 

「……おおなり、せいや、4さい、ママのおなまえは、……わからない」

 

 母の名前を言えずに再び涙ぐむ子供の頭を、もう一度振武は撫でる。

 

「4歳で苗字まで言えるなんて凄いなぁ、偉い偉い。

 んじゃ、もう1つは、これだ!」

 

 そう言いながら、振武は立ち上がって子供の背後に立ち、両手で抱き上げて自分の肩に乗せる。所謂、肩車というやつだ。

 

「っ……わぁ、とおくまでみえる!!」

 

 視界が上がった事に驚くが、子供はすぐに笑顔を浮かべる。

 

「だろうなぁ、んじゃ、ここからおっきくせいや君のママを呼ぼうなぁ。

 百、一緒に頼めるか?」

 

「え、あ、はい!!」

 

 早い展開に驚いていた百も振武の声で立ち上がり、大きな声を出す。

 

「おおなりせいや君のお母さ〜ん、いらっしゃいませんかぁ!!」

 

「お子さんはこちらにいらっしゃいます、せいや君のお母さ〜ん」

 

 迷子センターなどに預けるよりも、大きいとはいえ限定されたエントランスの中であれば、こちらの方が早く見つける事が可能かもしれない。

 そう思っての振武の判断なのだろう。大きな声を出しながら、百は感心していた。

 

「ほら、せいや君も呼んでみな! もしかしたら、せいや君の声でお母さん気付くかも」

 

「ほんとう!? じゃあ、〝こせい〟使ってみるね!!」

 

「うんうん……うん?」

 

 今、個性と言わなかったか?

 振武と百が一瞬そう考えている間に、子供は大きく口を開け、

 

 

 

「『ママー!! ボクここだよー!!』」

 

 

 

 拡声器でも使ったのかという大きな声をエントランス中に響かせる。

 

「ぐぉ、せいや君、気持ちはわかるけどこういう場所で個性使っちゃダメ」

 

「あっ!……ごめんなさい」

 

 お母さんを探すのに必死だったのだろう。キンキンと耳鳴りを堪えながら言う振武に、せいや君と名乗った子供はションボリとする。

 どうやら彼はプレゼント・マイクと同じような個性、声を大きくする個性を持っているのだろう。まだ子供だったからこの程度で済んだが、成長したら耳鳴り程度では済まなかった。

 

「声也!?」

 

 だが、その大きな声が功をそうした。

 エントランスの端というかなり遠い場所にいた女性が、安心したような顔でこちらに走り寄ってくる。

 

「ママ! ママだよ!!」

 

「みたいだな。良かった、無事見つかったな」

 

「うん!!」

 

 振武が下ろすと、せいやは駆け出して母の胸に飛び込んでいた。

 なにやら話しているようだが、流石にこの人が多い場所では会話までは拾えない。でも、お母さんとせいやの安心したような顔を見れば、何の心配もない事は分かる。

 母親がこちらを見て、大きく頭を下げるのを、こちらは軽く会釈を返す。

 

「良かったなぁ、これで一安心だ」

 

「……ええ、そうですわね」

 

 振武の言葉に、百はどこか情けない気持ちで頷く。

 振武のように、すぐに行動出来なかった。子供が泣いている事に戸惑うばかりだった自分が情けなくて。そう思っているのが分かったのだろう、振武は小さく溜息を吐く。

 

「そんな顔すんなって。俺より、お前の方が凄かったよ」

 

「いえ、私は全然、」

 

「んな事ねぇ……お前はちゃんと、あの子の事を見つけただろう?

 こんなに人が多くちゃ見逃しちまうし、しかも泣いている子供の事を見つけたって話しかけたり出来るもんじゃない。俺だって、お前が話していなかったら躊躇するかもしれない。

 でもお前は、ちゃんと見つけて、ちゃんと話しかけられただろう?――それって小さく見えるかもしれないけど、凄い事だよ」

 

 振武はそう言いながら、百の頭に優しく手を乗せる。

 髪型を気にしてか、それとも彼女を大事に思っているのか、その両方なのか。その撫で方は優し過ぎて、恐る恐ると言ってもいいくらいのもの。

 でも、それが心地良い。

 

(……ずるい、ですわ)

 

 ずるい。

 こうやって百は、いつもいつも振武にドキドキさせられている。こちらもドキドキしてもらいたいと思っているのに、いつもこうして。

 それが悔しい。

 悔しいけど……嬉しい。

 自分の事をちゃんと見ていてくれて、嘘もお世辞もない評価をしてくれる。ありのままの自分を評価してくれる振武が愛おしく思えてくる。

 

「……さ、さぁて、それじゃあそろそろ時間だ。開場する頃だし、そろそろ行こうか」

 

 優しい感触に目を細めていると、振武はそう言って劇場に入るゲートに目を向けている。

 少し頬が赤いのは、気の所為なのだろうか。

 気の所為でなければ良いのに、と少し思う。

 

「ええ、そうですわねっ」

 

 気落ちした気持ちなど何処へやら、今からスキップでもしたいくらいに嬉しい……が、恥ずかしいのでやめて普通にゲートに向かう。

 今日一日、まだまだ長い。

 こんなに楽しい時間を過ごせるのかと、今から楽しみだった。

 

 

 

 

 

 

「……あれ? 百、飲み物は?」

 

「………………ああ!!」

 

 ベンチに置きっ放しにしている飲み物とポップコーンの事を忘れるくらいには。

 

 

 

 

 

 

 




……今回自分でも書いてて砂糖吐きそうでした。
百と疑似恋愛している感じで楽しい! というよりは子供の恋愛事情を見ているようで、嬉しいやらなんか恥ずかしいやら。
楽しんで頂ければ良いなぁと思っております。


次回! 魔女子さんが号泣するぞ!! ハンカチ持って待て!


感想・評価心よりお待ちしております。

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