plus ultraを胸に抱き   作:鎌太郎EX

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episode9 憤り

 

 

 

 

 

 

「――覚、覚」

 

 薄暗い部屋の中で、振一郎の言葉は冷たく木霊する。

 まだ寒くなるような季節ではないはずなのに、その部屋の中は真冬のように冷たいような気がする。ベッドも、本棚も、綺麗に整理されている縫いぐるみですら寒々しい感覚を覚える。

 その中で、覚は何も言わずにベッドの中にいた。

 寝てはいない。起きてはいる。しかし起き上がりもしなければ、声を上げる事すら出来ない。

 そんな気力はどこかに捨てて来た。

 どうすれば良いか分からず、ただ掛け布団の中に包まり続けている。

 病院から帰って来て、つまりあの強襲作戦が失敗し久虜川蒔良が死歌姫(ローレライ)と分かった時から、ずっとこの調子だ。

 食事すら、まともに手をつけず、部屋に閉じこもっている。

 

「……食事くらいは摂りなさい」

 

 何か声をかけるべきなのだろう。

 だが振一郎には声のかけようがない。裏切りにあった気持ちも、信頼する仲間を得体の知れない何かに奪われる気持ちも分かっているが、振一郎と覚の経験したものでは全く違う。

 何より、振一郎はヒーローではない。ただの武術家だ。

 覚のように何かを救けようと、平和を守ろうと思い、戦って来たわけではない。

 彼女の絶望(それ)と振一郎が昔体感した悲嘆(それ)とは大きく違う。

 だから何も言わない。何も言わずに、新しい食事を置き、殆ど手のつけられていない食事を下げる。

 今はそれしか、出来ないから。

 

 

 

 

 

 

「……お嬢さんの容体は?」

 

 居間で正座のまま待ち続けていた壊の言葉に、振一郎は首を振る。

 

「思わしくはない。体は別に問題ないようだが……心の方はどうしようもない。

 あれでは、時間を掛けず衰弱してしまうだろう」

 

 体は心の影響を受けやすい。

 心が折れれば、遠からず体も折れる。そういう風に人間は出来ているのだ。

 

「随分冷静な言い回しですね。自分の娘がショックを受けてるのに、何も思わないんですか?

 テッキリ、僕は殴り飛ばされると思っていました」

 

「……君に当たってもどうしようもないだろう?」

 

 触合瀬壊は一筋縄ではいかない事だ。

 自分に頼って来たのがただの人材不足というだけの話では無かっただろうとは何と無く察していた。察していた上で娘を協力させたのだ。

 自分には彼を責める資格はない。

 

「そういう所、師匠はドライですよね。本当は彼女に直接報告しようと思ったんですが、しょうがありません。

 ……この二日間死歌姫を追いましたが、ダメでした。彼女、とても優秀です」

 

 他のヒーローに比べれば情報収集や捜査という分野においては一家言あるブレイカーがその手腕をフルに駆使して探し当てた死歌姫の拠点は11箇所。

 昼夜問わず強襲を掛け、彼女のいる場所を追い続けても、巧妙な撹乱と人員操作で捕まえられない。あと一歩のところで逃げられる。

 

「死歌姫はそこら辺優秀……というより、単に覚ちゃんを待っているんでしょう。長期戦も覚悟の上の逃亡戦を仕掛けてくる割には、この街から出て行こうとしない」

 

 一定距離を取りながらの逃走。

 それを死歌姫はただ動島覚を待つという一心で続けている。大きな地方都市であっても隠れる場所は限られるというのに、どうやっているかはブレイカーにも分からない程。

 

「――君では無理か?」

 

「無理、というよりあまり意味がありません。

 これで覚ちゃんが出てこなかったら、それこそ被害を拡大させるでしょう。もしかしたら完全に身を隠し、覚ちゃんを出てこざるを得ない状況を作り出して引っ張り出す事も考え始めるでしょう。

 そんな事になったら――ちょっと、厄介ですね」

 

 死歌姫は優秀であると同時にエヴォリミットを保有している。

 それを使えば、街を蹂躙するだけの兵士は簡単に作れるだろう。狂人の集まりだったとしても、ほんのちょっと指向性を与えれば軍隊になる。

 そして、そのちょっと指向性を与える方法を、死歌姫は熟知している。あるいは何らかの個性を使う可能性すらあるのだ。

 もし、彼女が強大な敵になって帰ってくるならば――平和の象徴以降の事件としては最大のものになるだろう。

 たった1人の女を引きずり出すために、彼女なら世界をも敵に回しそうな勢いだ。

 

「覚の復帰が急務、という所か」

 

「はい。

 ですが僕は、あの子にもう無理をしてもらいたくはありません。彼女は十分に傷ついた」

 

 覚の視野の狭さと過信が今回の件の種になった。

 壊の作戦が覚を傷つける結果になった。

 しかしだからこそ、もうこれ以上彼女に悲しい思いをして欲しくはないと壊は思っている。部下や、ずっと信頼していた幼馴染に裏切られ、大きな事件の片棒を担がされていたというのは、あまりにも残酷な出来事だ。

 正直、このままヒーローを本当に辞めて良いんじゃないかとすら思っている。

 これ以上立ち上がり、傷ついて何になる。

 そこに意義は、意味はあるのか?

 

「……君は、相変わらず優しいね。

 だが、それはダメだ。これはあの子が撒いた種だ。刈り取りもあの子にしか出来ない」

 

 厳格な武人。厳正な武家の当主として、振一郎は言う。

 

「っ、娘さんが苦しんでいるのに、まだこれ以上苦しめと言うんですか!

 それでは、あまりにも残酷だ!! 娘さんのことが心配ではないのですか!?」

 

「見縊るな、触合瀬壊。

 あの子は曲がりなりにも動島だ。ヒーローであっても、女であっても、その前に彼奴は動島覚なのだ」

 

 動島という家系の末席に座り、いずれ当主の席を譲り受ける人間。

 全てのジャンルにおいて強さを追い求める家系の長女。

 肉体(からだ)技術(わざ)も、精神(こころ)もだ。ちょっとやそっとの事で修復不能になる事はあり得ない。

 それに――覚本人もまた、そんな人間ではない。

 確かに、ここ最近はヒーローという職業に情熱を注ぎきれなかったかもしれない。現実を背負い、自暴自棄になっていたかもしれない。

 ――しれないが、彼女はそれでも歩き続けてきた。

 多少の文句は言っていただろう。歩みはふらふらと覚束なかっただろう、だがそれでも前に進んできた。進むことを辞めず、今まで一度だって座り込んでいない。

 子供の頃の武術の修練も、雄英高校でヒーローとして勉強していた時も、ヒーローになってからも。

 何だかんだとごねながら、それでも前に進み続けていたのだ。

 それは、一種の強さだ。

 

「あの子は強い。あの子ならばきっと乗り越えられる。

 ……勿論、1人では無理だろうな。そしてその1人は、私でも君でもない」

 

 そう言いながら、振一郎は立ち上がる。

 

「どちらへ?」

 

「一本電話を掛けようとね。彼に発破をかけてもらうなりしよう。彼の言葉ならば、覚の心も少しは動くかもしれない。

 ――ああ、それと、」

 

 ギチッという嫌な音が、振一郎が手をついた戸棚から響く。

 丁度指の形にくり抜かれた戸棚の一角が、振一郎の手の中で木屑を撒き散らしながら小さくなっていく。

 

「心配ではないのかだと? 心配しているに決まっているだろう。

 だが今はそれ以上に――娘を傷つけた彼らに心底腹が立っているのだよ」

 

 覚は強い子だ。どんな事があっても、辛くても歩み続ける気骨を持っていた。

 そんなあの子が歩みを止め、部屋に閉じこもり、心を閉ざし続けなければ耐えられないほどの絶望と悲しみを与えたんだ。

 常人であれば、きっともう自決すらしている程のものだったかもしれない。

 そんな状態の娘を心配しない親がどこにいる。

 娘をそんな状態にした敵に怒りを覚えない親がどこにいる。

 

 

 

「許されるならば――この手で捕らえ、やった事を後悔させたいさ」

 

 

 

 それほど小さくもない木片は、それでも振一郎の手の力によって最後まで木屑にさせられ、床にばら撒かれた。

 ――動島振一郎の本気の殺気で先程から指一本も動かせない壊は、必死で口を動かす。

 

「申し訳ありません、失言でした」

 

「……いいや、此方こそすまない。君に当たる事ではないと自分でも言ったのにな」

 

 一瞬で殺気を引っ込めた振一郎は、手に残っている欠片を払いながら、小さく溜息を吐く。

 

「まぁ私にはどうしようもない……覚が全てを解決させる鍵、というより、彼女にしかこれ解決出来んだろう。

 大丈夫、あの子は強い。きっとまた立ち上がる。今は準備期間さ」

 

 

 

 ◆

 

 

 

 何を見ても色がない。

 何を聞いても雑音で。

 何を嗅いでも香らない。

 何を食べても粘土のよう。

 何を触っても現実味がない。

 この2日間ずっとその状態が続いている。

 まるでモノクロの写真の世界にでも閉じ込められたように、何も見えないし何も聞こえないし何も香らないし何も味わえないしなにも触れない。全てが偽物で、身を任せる事も出来ない。

 今まで私の信じたものはなんだったんだろう。

 ヒーローとしての理想。

 自分を支えてくれる部下。

 たった1人の大事な幼馴染。

 全てがこの手の指から零れ落ちて行った。

 嘗て、自分が救えなかった者達のように。もはや自分からは遠く離れた幻影。自分の脚にまとわりつく血の沼、血潮の泥。

 ――どうすれば良い?

 ――動島覚(わたし)は、センシティ(ワタシ)は、

 ――これから何をすれば良い。

 ――死ねば良いのか?

 ――生きて後悔し続ければ良いのか?

 ――それとも戦えば良いのか?

 

「……戦うって、誰と?」

 

 頭の中でぐるぐると渦を巻いている思考に、言葉で文句をつける。

 誰と? 何とだ?

 久虜川蒔良――死歌姫か? それともウィスパーか? 組織全体? 他の敵? それとも世界そのもの? それとも、自分か?

 そもそも何の為に?

 いつも側にいてくれた、大切な友達と仲間の悲しみに、絶望に気付かなかった自分が、何の為に戦いを続けるのだ。戦い続ければ続けるだけ、人を傷つけてしまうような人間がヒーローをやっていて本当に良いのか?

 良いはずがないだろう?

 ヒーローとは、もっと綺麗な何かなのだから。

 汚い何かの自分が、なって良いはずがないものなのだから。

 

「……馬鹿だなぁ、私」

 

 ほんの少し腰をひねれば、腕を振るえば。

 それだけで湧き上がってきた心地よい力は今はない。立ち上がる事も億劫で、もう全てに放っておいて貰いたい。何もかも捨てて逃げ出したい。

 鍛錬を続けても、雄英で学んでも、ヒーローをしていても。

 結局何も乗り越えられない自分に嫌悪感が込み上がってくる。

 あぁ、こんな弱い自分を、――そう思っていると、不意に枕元に放り出していた携帯電話が鳴り始める。

 

「………………」

 

 何も言わずに、触らずに、ディスプレイを覗き込む。

 表示された名前は――あの人の名前。一瞬しがみ付くように携帯電話に触れようとして、躊躇する。

 こんな自分が、今のこんな自分を、あの人に見られたくはない。

 あの人は全ての理想だ。ヒーローを夢見る者が一度は肩を並べて戦いたい、近づきたいと思う夢の極致。ヒーローの代名詞。

 そんな人と言葉を交わす資格が自分にはあるのだろうか。

 ……ない、そんなものはない。

 ここで倒れ、立ち上がる気力もない人間に対している余裕は彼にはない。彼は常に笑顔で前を向いていなければいけない。後ろで倒れている小娘に構ってはいけない。

 自分なんかより、

 もっと大事な人達を救うべきなのだから。

 

「………………」

 

 結局、差し出した手はそのまま空を切って、布団の中に押し込まれた。

 一度起き上がりかけた体を、再び横たえた。もう2日間包まれているのに、一向に暖かくなる気配はない。まるで冷たい雪にでも身を沈めているような感覚を感じる。

 雪だったならどんなに良かっただろう。

 雪だったなら、そのまま凍死出来るのに。

 

 

 

「ごめんなさい――オールマイト」

 

 

 

「――何を謝っているんだい、覚くん!!」

 

 

 

 ……独り言のつもりだったのに、返事が返ってきた。

 きっと幻聴だ。考えすぎて幻聴が聞こえるようになってくるとは、いよいよ覚の精神はズタボロになってきたという事だろう。

 

「HAHAHAHA!! 電話を掛けながら、私が来た!!!!

 なんだいなんだい、レディ然として可愛らしいお部屋が、キノコでも生えそうなほどジメジメしているなぁ!! これではお見舞いのメロン(夕張)が腐ってしまいそうだ!!

 ささ、私がカーテンを開けた!!」

 

 聞こえ続ける幻聴の主が、締め切られていたカーテンを開けると、強烈な日光が暗闇に慣れてしまった覚の目を眩ませる。

 布団から顔をそっと覗かせると、黒い大きな影がちょこまかと動き回る、部屋のカーテンだけではなく障子まで開けて空気の入れ替えをしている。

 

「ムムッ、食事も取っていないようだな。

 食欲は無くとも、果物くらいは食べれるだろう? 私が切ってあげよう!! ほら、こういうの夢だろう? メロン半分に切って直接スプーンぶっ刺して中心だけ食べるやつ!!

 なかなか出来ない贅沢だよね!!」

 

 美味しそうなメロンを、幻聴の主がいそいそと手刀でメロンを真っ二つにした。

 ――覚は、静かに目を見開く。

 嘘だ、こんな所にあの人が来るわけがない。電話だって無視したのに。

 

「――大丈夫かい、覚くん。

 ああ、せっかく可愛い顔なのに、目が兎のように真っ赤だぞ?」

 

「――なんで、ここにいるんですか。

 

 

 

 オールマイト」

 

 

 

 金髪の髪。ムキムキの体。明らかに画風が違う姿。今日はオフだからか、Tシャツとデニムと極めて気の抜けた格好をしている。

 No.1ヒーロー、オールマイト。

 誰よりも光り輝く、平和の象徴。

 自分にとっては、親戚のお兄さんのような存在。

 いつも自分に優しく接してくれる、大事な家族。

 それが、今覚の部屋で、メロンの種を全部取って、覚に手渡している。

 

「今はオフだ、俊典で構わないよ。

 話は、このメロンを全部食べてしまってからにしよう。君もお腹が空いただろう?」

 

 誰にでも見せる明るい笑みより、ほんの少し柔らかい優しい笑顔を浮かべて、オールマイトはそう言った。

 

 

 

 

 

 どんなに心が参っていて、食欲がなかったとしても、空腹はやって来るものだ。食欲のなさに頼って食事を摂らなかったとしても、体は常に栄養分を求めている。

 だから、一口食べてしまえば全て食べてしまえる。

 

「HAHAHA、健啖家さんめぇ! 皮ギリギリまで食べてくれたんだね!!」

 

「……美味しかったですから。

 それより、何故貴方がここにいるんですか、オールマイト」

 

 部屋に置いてある小さなテーブルの前で、覚は体育座りで言った。

 彼は平和の象徴。スケジュールは分刻み。彼の5分間を得る為には相当な根回しと気の長い待ち時間を検討しなければいけない。

 それなのに、彼は今呑気に覚の部屋でメロンを食している。

 

「ああ、師匠から話を聞いてね。居ても立っても居られなくなってしまった。

 ……君は私にとっては、可愛い身内だ。君のピンチに駆けつけられなかった分、ちゃんと話したかったんだ」

 

 そう言いながら、オールマイトは優しく覚の頭を撫でてくれる。

 子供の頃から自分だって相当成長したはずなのに、その手は大きい。勿論、彼の身体的特徴もそうだけど……それ以上に、彼の偉大さが物体的にも現れているような気がして来る。

 ――甘えたい。

 ――彼に泣きつき、縋り付き、助けを求めたい。

 ――そうしたら、どれだけ楽だろうと思う。思いながら、その手を払いのける。

 

「私に構っている暇はありません、No.1ヒーロー。平和の象徴。

 貴方が救わなければいけない人間はもっと沢山いるんです。私に構っていていいわけがありません。

 今日だって、何個仕事ブッチしてきたんですか? 私なんかの為に、そんな事をしないでください」

 

 いくら昔からの知り合いとはいえ、彼が贔屓して良い人間なんて1人もいない。

 平等に、全てを大事にして、全ての希望の柱になるから平和の象徴なのだ。こんな落伍者を助けようと思ってはいけないのだ。

 だが、覚の必死の抵抗に、オールマイトは少し悲しそうな目で言う。

 

「俊典で良いと言っただろう、覚くん。

 それに、「私なんか」と言ってくれるな。君もまた、私が守るべき大切な存在だ」

 

「――やめてください。私に優しい言葉をかけないでください」

 

 優しさを振り払う。

 気遣いを跳ね除ける。

 こんな自分ではダメなのだ。こんな人間に優しさはいらない。

 

「私は、もう立ち上がれません。センシティじゃないんです。もう貴方の背中を追いかける事が出来ない半端者です。

 そんな人間に優しくしないでください。優しくされたら、貴方に頼ってしまいます」

 

 ――思えばいつでも半端だった。

 武の極致を目指したはずなのに、結局修められたのは1つだけ。

 女である事を切り捨てようとしても、結局それに縋り付いている。

 ヒーローとして理想を抱いても、現実の重みに耐えきれず膝を折った。

 そんな半端者だった自分が、ここでオールマイトに救われる資格はない。

 

「置いていってください。気にかけないで、前に進んでください。

 貴方は、平和の象徴なんです。私みたいな女に関わっている余裕はないんです、だから、」

 

「……覚くん。君は何か勘違いしている」

 

 いつものお茶目な言葉や声色は鳴りを潜め、真剣なオールマイトの声が部屋の中で響く。

 

「言っているだろう。私は八木俊典としてここに来ている。

 私は武闘派ヒーロー《センシティ》に会いに来たわけじゃない。動島覚個人に会いに来たんだ」

 

「だから、私なんかに」

 

「違うだろう――センシティ(ヒーロー)としての君と、動島覚(個人)としての君は違うだろう」

 

 ヒーローとは、少なからず二面性を持つ。

 ヒーローとして活動する時に多くの者が仮面を付ける。顔を隠す。それは超常黎明期に活躍したヒーロー達をリスペクトしている部分もあるが、それだけではない。明確にその線引きをしないと、どちらか一方がなくなってしまうからだ。

 ヒーローの部分が浸食されれば、見も知らない誰かを救えるヒーローではなく、自分勝手な価値基準で救ける人間を判別する自己中心的存在になる。

 個人としての部分が浸食されれば、全ての事を人を救うことを考える事しか出来ず、自分が守る世界の大切さを感じる事が出来ない機械になる。

 どちらが大事と言う話ではない。

 どちらも大事だからこそ、明確な線引きは重要なのだ。

 だからオールマイト……八木俊典は、ここに個人としてやって来た。

 

「オールマイトとしてはさておき、八木俊典から言わせて貰えばね――覚ちゃんがヒーローであるとか、そんなことは関係ないんだよ。君がヒーローを辞めてしまっても、それはしょうがない。話を聞く限り辛い目にあったんだから。

 だが、君がヒーローを辞めるか辞めないかも、この際関係はないんだよ。

 私は――八木俊典は、悲しんでいる大切な身内の動島覚の様子を見に来たんだからね」

 

 俊典は、ゆっくりと彼女を抱きしめる。

 ある程度の年齢を重ねた男女の抱擁なのに、色気はない。まるで子供をあやす親のように、覚の背中を優しく撫りながら抱きしめる。

 

「大丈夫だ、覚くん。私がいる。

 君がどんな事をしてこようと、どんなものを選択しようと、どんな風に思っていようと。私は君の味方だ」

 

 大丈夫、大丈夫だよ。

 その優しい言葉が、1つ1つ、覚の心の中に溶け込んでくる。ゆっくりと染み渡り、その暖かさが体の中に広がっていく。

 もう枯れる程泣いたはずなのに、目に温かい水が溢れ出る。

 

「――私が、悪いの。

 私が、もっとちゃんとしてたら……ちゃんと、ヒーローだったら、こんな事には、」

 

「そんな事ないよ。覚くんはいっぱい頑張った。大丈夫」

 

「ウィスパーの事も、蒔良の事も、全然気づいてあげられなくて、」

 

「彼女達の事を、とても大事に思っていたんだ。疑えるわけがない、大丈夫」

 

「私1人の所為で、沢山の人が傷ついて、沢山の人が泣いて、」

 

「君の所為ではない。彼女達がやった事だ、君が背負いこむ必要はない。大丈夫だ」

 

「俊典さん――私は、もう、ヒーロー失格だよ」

 

 

 

「大丈夫だよ、覚くん

 ――他人の事で自分を責められる君は、ちゃんと優しいヒーローだよ」

 

 

 

 傲慢かもしれない。

 お前が言うな、と言われるかもしれない。

 だが、他人の行った事の全てを彼女は背負いこんでいる。その背負い込んだもので自分の体と心が傷つこうと、これは私が持つべきものだと降ろしはしない。

 それは紛れもなくヒーローの姿だ。

 全てを守ろうと、目に見える人々を救い、理不尽を打ち崩そうと戦うヒーローの根源思想。

 大丈夫だ。

 君は大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 その気持ちを持ち続けている限り。

 君は誰がなんと言おうと、紛れもなくヒーローだ。

 

 

 

 

 

 子供のように泣き噦る覚を、抱き潰さないように、だがしっかりと抱きしめる。

 まずは思いっきり気持ちを吐き出そう。

 泣けるだけ何度でも泣こう。

 立ち上がるのは、たって前に進むのは。

 その後でも十分遅くはないのだから。

 

 

 

 

 

 




今回の登場人物、冷静だったり、優しかったりしていますが。
1人たりとも平静でいる人物はいません。壊も振一郎もオールマイトも怒っているし、覚はずっと自分自身に怒りの矛先を向けています。
さて、ここからだ。
気合を入れて書いて行きますので、どうかお楽しみに。


次回!! オールマイトが力瘤を作る! 筋トレして待て!!


感想・評価心よりお待ちしております。

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