黒い泥の中にいた。
膝の高さまで沈んでいるのを見て、何度逃げ出そうとしても逃げられないしつこい泥。手で振り払ったものが更に手も、体も汚し始める。
よく見れば、それは血だった。
乾いて古くなって、赤黒い色。まるで人の体が溶けてしまったような粘性を備えているそれは、覚の脚を、腕を鈍らせ続ける。
血の沼は言った。
『動島覚、武闘派ヒーロー《センシティ》。
お前はヒーローではない』
――分かっている。
私は本物のヒーローではない事は分かっている。
どうしようもなく自分勝手で、周囲を顧みようともしないで、おまけに人の心を癒す事すら出来ない。
父のように強力な力を振るう事が出来なければ、
ブレイカーのように非情に悪を討つ強さもなければ、
あの人のように人の、いや社会全体の柱にもなれない。
醜く、ただ欲しいものを求めるためにヒーローになった、無力な女。
血の沼は更に言った。
『動島覚、武闘派ヒーロー《センシティ》。
お前は偽物だ、偽善者だ』
――分かっている。
正義なんていうものも、他人のために涙を流せる優しさもない。
ただただ、人を救うフリをする人形であり続ける自分が本物であるはずがない。この善は、自分が明日を心地よく生きていける為に必要なだけ。本当の意味で誰かの幸せを願えた事はない。
血の沼は更に言った。
『動島覚、武闘派ヒーロー《センシティ》。
お前は暴力装置だ。自分の強さを証明する為に人を傷つける存在だ』
――分かってる。
結局追い求めても手に入らなかった武の本懐を、覚はヒーローとして求めてしまった。
そういう類の装置であれば。力そのものであったならば、その不完全さに悲しむ事も、情というものに流されて悩む事もなかったのに。
自分はどこまで行っても、力を誇示したいだけの人間だ。
血の沼は更に言った。
『動島覚、武闘派ヒーロー《センシティ》
お前は――何でオレタチを救ってくれなかった』
血の沼が、血潮の泥が形を変える。
それは、今まで自分が救けられなかった人々。いくら両手を広げ必死に掬い取ろうとしても指先から零れ落ちた存在。
それは家族を守る為に死んでいったあの人の顔、息子が帰ってくる家を守ろうとして死んだあの人の顔、救けを呼び泣け叫びながら死んだあの子の顔、何で俺を救けてくれないんだと叫んだあの敵の顔、もう生きている気力が湧かないんだと敵に殺された娘を想って死んでいったあの人の顔、そして、ウィスパーの顔をしていた。
――ヒーローも人間だ。救えないモノが大なり小なり存在する。
自分が相棒を務めた先輩も、自分を家族のように思ってくれるあの人も、ヒーローは誰もがそう言っている。限界がある。掬える容量には限界がある。必死で努力し無類の力を手に入れたとしても、救けられないモノが存在すると。
分かっている。解っている。判っている。
でも、だからって納得出来るのだろうか?
力が足りなかった。経験が足りなかった。知恵が足りなかった。
それで失った命は、大切なものを失った人々は少しでも納得出来るんだろうか。
出来ないだろう?
――だから、
救えない人達を故意に忘れようとした。
でも結局忘れられなくて絶望して、更に仕事に対する姿勢が硬質化していった。殻に閉じこもり続ける貝のように。
どうすれば良かったのだろう。
もっと彼の話を聞いてあげれば良かったのだろうか。
そうしたら、覚は彼を救う事も出来たのだろうか。
出来なかった事を、もう既に手遅れな事を考えて考えて考え続けながら、
覚は血の沼、血潮の泥に沈んでいった。
「…………っ」
瞼の向こう側に感じる明かりに、少し顔を顰めてからゆっくりと顔を上げる。
見た事もない、清潔な白い天井と部屋を照らし続ける電灯が眼に入った。見た事はないが何となく予想は出来る。
ここは病院。
きっと自分はウィスパーに負けて、気絶して、ブレイカーに連れて来てもらったのだろう。そうでなければ良いなと思いながらも、頭の奥に未だにある重い鈍痛がそれが現実だという事を立証する。
「――覚ちゃん、目が覚めたのねぇ。
お医者さんは一応大丈夫っていってたけど、心配だったのよ?」
そうしてボンヤリ天井を見つめていると、視界の中に蒔良の顔が入ってくる。心配そうな顔。メイクで上手く隠しているが、同性の覚にはなんとなく疲労の色が見て取れる。
「……私、どれくらい、」
「どれくらい意識を失っていたか?
私には正確な時間が分からないけど、ここに来てから2時間は余裕で経っているわね」
蒔良の言葉を聞いて、覚はゆっくり起き上がる。
予想通り、ここは病院だった。随分広めの個室を手配してくれたようで、ソファーまで置いてある。窓の外を見れば、まだ辺りは暗い。襲撃開始は夜の11時。体感だが、そこから2時間も経っていない。そう考えると、日の入りまではまだ早いくらいだろう。
「……状況を、」
「覚ちゃん、今はそんな事気にしなくても良いの、今は体が大事!!」
ベッドから這い出ようとするのを、蒔良は必死で押し留める。
覚の脳には膨大な暴音によるダメージが抜け切っていない。下手をすれば脳障害を残してもおかしくはないあの攻撃に耐えられたのは、元々膨大な感覚情報に耐えられる下地があったのと、ほんの少しの奇跡が重なっただけだ。
今は安静にしないと、覚の体は耐えられない。
だが分かっていても、覚は必死で動こうとする。
「でも、私の責任だし、私がなんとかしないと、少なくとも情報が漏れている部分は分かったから、警察と連携して情報収集を、ブレイカーはどこ、彼奴にも協力して貰わないと追いつかない、いつどこに逃げるか分からないんだからすぐにでも動かないと「覚ちゃん!!!!」……なに?」
蒔良の絶叫に、覚は動きを止める。
蒔良の顔には、涙が溢れていた。まるでそれも一種のアクセサリーなんじゃないかと思うほど綺麗で彼女に似合っている。
「覚ちゃん、今は休んで――覚ちゃんが辛いのは、私分かってるから。全部聞いたから。
ウィスパーが裏切ってるなんて、思いもしなかったもん。悲しいのは分かっているから――もう、無理しないで。今はほんの少しでも良いから、休んで」
優しく抱きしめてくれる。
いつも蒔良が気に入ってつけている香水が香る。その香りに安心すると同時に、覚の眼からも涙が溢れ始める。
「――何がいけなかったのかな? 私の何がいけなかったのかな? 私なにか悪いことしたのかな? 私、ウィスパーの事信用してたんだよ? 私よりずっと優秀だし、冷静だし、私みたいな馬鹿よりずっと誰かを救う事を真剣に考えてて、だから、死んで欲しくないって思って!
ねぇ、何を私は間違えたの!? 何を踏み外しちゃったの!? 教えて蒔良!! 私は何を失敗したの!! 私がいたから、ダメだったの!?」
まるで子供のように泣き噦る。
何をどうすれば、彼を救えたんだろう。
どうすれば、ああなってしまう前に、止める事が出来たんだろう。
それだけしか考えられなくなる。
必死で何もない虚空に手を伸ばす。そこに救いがあるナニカ、この状況を全部都合よくなんとかしてくれるナニカがあるように。
そんなものは、絶対に存在しないのに。
「大丈夫、大丈夫だよ、覚ちゃんは悪くない。何も悪くないよ。
確かにちょっと言葉が足りなかったかもしれないけど、それでも踏み外したのはウィスパーだよ。ううん、もしかしたら
とにかく覚ちゃんは悪くないよ、大丈夫だよ――私が付いている、私は絶対に裏切らないから」
普段、コーヒーの蓋だって開けられないと自称する蒔良の腕は、泣き、暴れる覚を必死で抱きしめる。どんな事があっても離すものかと言うように、強く、強く。
その腕の中で、覚は必死に泣き続ける。
泣いていないと壊れてしまうと言わんばかりに。
泣いている自分を支えてくれる蒔良が居てくれるから――、
「……お涙頂戴かぁ、良い演出だよね。これで君の元から覚ちゃん……いや、センシティが離れる事は絶対に無くなるわけだ。
凄いよ君――俺よりも質が悪い奴は、なかなか見かけないんだぜ?」
部屋の扉から、ブレイカーがそう呟く。
入ってきて、まるで扉を塞ぐように背を預けるその姿は、まるで余裕な様子だが――その声は、怒りの音を隠しきれては居なかった。
「ちょっと、ブレイカーさん!! 覚ちゃんが落ち着くまで入ってこないでって「言われたけど、守るとは一言も言っていない」……これ以上、覚ちゃんを惑わすような事を言わないで」
蒔良は覚を抱きしめながら、キッと彼を睨みつけるが、ブレイカーは仮面の下から彼女を同じくらい睨みつける。
「惑わす? 君がそれを言うのか。
……彼女がこれ以上のショックを受けないように、その場で捕まえたくはなかったんだけどね。これ以上君に彼女を洗脳させる訳にはいかない。
ストーリーの流れなんて知った事かよ、ここでお前を終わらせる」
「……どういう、事、どうなって、」
涙でグシャグシャになったその呆然とした顔で、覚は蒔良とブレイカーを交互に見比べる。
ブレイカーは一瞬躊躇する様子を見せ――それでも、話を続ける。
彼女には聞く義務があるから。
「……なぁ、久虜川蒔良。ウィスパーが裏切ったなんて俺は言っていないだろう。ましてや、その裏に黒幕がいて、その名前が
「え、でも、だって、蒔良は全部聞いたって」
「話していないよ、覚ちゃん。
俺は「全部覚ちゃんに聞いてくれ」と保留にした。他の連中にも話さないように厳命したし、君の2人の部下は面会謝絶で関係者でも入れてもらえない状況だ。彼女が知れる状況じゃないのさ」
ブレイカーはハッキリと断言する。
やめて、
心の中で覚は言うが、口にまで登ってこない。恐ろしい想像が脳内を支配していて口を開く事が出来ない。
「君が今まで倒した敵。基本的に死歌姫と敵対した組織だった、これは君も知らない情報だろうけど。
なぁ、覚ちゃん。君はどうやって仕事を選んでいた? いや、資料も読まないと言っていた君が自分から仕事を選んでいるようには思えない。と言う事は、誰が君の仕事の調整をしていた? 誰が選んでた?」
――蒔良とウィスパーだ。蒔良が仕事を選別して、ウィスパーがスケジュール管理を、――違う違う違う。絶対に違うそんなの気のせいだ。
「しかもおかしいんだよねぇ。いくら君が新進気鋭のヒーローだったとしても、あの仕事量で充実したオフィス、10人規模のスタッフを雇えるなんて。
その資金は? 君が集めているのか……いや、申し訳ないが君にそういう手腕がない事は分かっている。経営や金銭の管理は誰に任せていた?」
――蒔良だ。彼女が経営方面を一括していたんだから、何をどうしているかの全体像は彼女しか、――いや違う何かの間違いだ違うやめて、きっと勘違いよあなたの。
「それに、君が雑魚敵を倒している間にちょっと他の連中に聞いた。彼らの中に死歌姫の姿を知っている人間がいたからね。
曰く――『ピンクの長い髪をした、可愛くてスタイルの良い姉ちゃん』。こっそり撮らせて貰った写真を見せたらすぐに吐いてくれたよ……こういう所は杜撰だったな」
蒔良の顔を見る。
ピンクで緩やかにウェーブしたロングヘア。
糸のように細い目。
女の子らしい整った顔立ち。
均整の取れたスタイルの良い体。
――先ほどの涙は何処へやら、いつも通りの笑顔を浮かべる顔。
「――自分の姿を隠すのは、悪い事をやっている人間がする事でしょぉ?私は、何も人に知られて恥ずかしい事をしている訳じゃないもの。
状況証拠ばぁっかり、よく集めて堂々と私に突きつけられるわねぇ。イケメンでも、やって良い事と悪い事もわからないのかしらぁ?」
その笑顔はあまりにも綺麗で――あまりにも悪辣だった。
「ヒッ」
肺が痙攣を起こしたかのように震え、恐怖と卑屈さが混ざり合った声を上げる。必死で蒔良の腕を振り払い、覚は壁際まで退いた。
「あら、酷いわ覚ちゃん。
私、貴方を裏切る事は何1つしてないわよ?」
「……どの口が言ってるんだ」
ブレイカーは必死に怒りを押し殺しながら話を続ける。
「まぁ、物的証拠が見つからないのは確かに痛いね。君はヒーロー関係事務所で辣腕を振るっているエリート様で、こっちは正直ダーティー過ぎて警察にも完全に信用していただけないヒーロー崩れだ。どっちを信用して貰えるかどっこいどっこいだな。
だが、少なくとも疑いを掛けるには十分だし――実際君は隠すような人じゃないと思っていたよ」
「あら、信用してくれるの? 嬉しいわねぇ」
これは尋問のつもりでブレイカーはいる。
だが、蒔良の方はどうだろう。
まるで暇つぶしの雑談にでも興じているような気楽さを出し、先ほどまで覚が寝ていたベッドに腰を下ろす。
「そう、信用。ある意味そうかもしれないね。
君はここに至るまで、覚ちゃんを傷つけるような事はしなかった。今も俺が暴露したからショックを受けているが、結局の所君が覚ちゃんを傷つけようとする様子は1つもなかった。
敵は雑魚からあの3人組も含めて弱かった。あれだったらセンシティだけでも撃破出来た。ウィスパーは対センシティに有効ではあるが、あの場には俺やリビングライフがいた。
――わざと生かしている。隠れ蓑としてちょうど良いのかとも思ったけど、それもどうも違うようだ」
殺そうと思えばいつでも殺せた。何せ懐にいたのだ、信頼を得ていたのだ。きっと背後を取る事だって容易だったのだろう。
傀儡として重要だったにしてはセンシティは自由だったし、それならば彼女の地位を高める工作までする必要性はない。下手に目立てば怪しむ人間も増えていくのだから。
何の為に、そこまでするのか。
その言葉に、蒔良は笑顔を浮かべる。
「なんで私が覚ちゃんを殺したり傷つけたりしなきゃいけないの?
覚ちゃんには、私の夢を叶えてもらわなきゃいけないのに」
そう言いながら、蒔良は優しく微笑んだ。
「私は、残念ながらヒーローにはなれなかった。多分これからも、なれないでしょうねぇ。ヒーローって個性が強力ってだけじゃなれるもんじゃないし。私はそういう意味じゃ、アイドルにはなれてもヒーローにはなれないの。
いくら裏社会の権力を取り入れ、お薬で力を強化しても無理なものは無理……それをはっきりと自覚させられたわ」
――エヴォリミット。
なるほど、彼女も使っていた訳か。ブレイカーは仮面の奥で唇を噛む。
この事件に関わっている敵は――どいつもこいつも廃人だ。薬を使って力を得た代わりに、精神が歪んでいる。
そう毒づいているのも気付かず、蒔良は話を続ける。
「でも思ったの。この手腕と裏社会の権力を上手く利用すれば、私には無理でも覚ちゃんならトップヒーローになれる。彼女は強いし、美人だし、きっと人気が出るって思ったの。
私には無理だったけど、覚ちゃんならば叶えてくれる。私の夢を、トップヒーローになるって夢を。
実際素晴らしかったわ!! 私の裏社会での権力を盤石にすると同時に、覚ちゃんはドンドン強く、格好良くなっていくんですもの!! きっと将来、あの平和の象徴だって超えていくって」
「自分が夢を叶えられなかったから、覚ちゃんを利用して自分の夢を叶えるって話か。
お人形ごっこにしては、随分酷い手腕だ」
ブレイカーの吐き捨てるような言葉に、蒔良は微笑む。
「あら、ヒーローってそういうものでしょう?
人の夢や希望を背負い、理不尽と戦っていく者。お友達なんだし、私の夢を背負ってくれても良いじゃない、ね、覚ちゃん」
覚は、その言葉に答えられない。
ただただ歯を震わせ、恐怖と絶望を必死で押さえ込む。そうしないと耐えられない、いまにも発狂してしまうほどだったから。
それでも、蒔良は話を続ける。
「覚ちゃんがヒーローになれて、私にはなれないって知った時、結構私ショックだったの。正直、覚ちゃんを羨ましく思った、妬んだ事もあるわ。
けどね、そうじゃなかったの! 私は覚ちゃんをトップヒーローに、いいえ、No.1ヒーローに出来るっていう新たな夢を持てたの!!
ねぇ、覚ちゃん。私に全部任せておけば楽だったでしょう? ただただ目の前の敵を倒して、階段を登っていくのは気持ちが良かったでしょう?
大丈夫、私が全部やってあげる。お金も、地位も、名誉も、貴方を映えさせる敵も、何もかも用意するわ。エヴォリミットで覚ちゃんの個性を強化しても良い、そうすれば覚ちゃんのお父様だって敵わない強い存在になれるわ。
私に全部任せて、覚ちゃん。
――私は、覚ちゃんの味方なんだから」
「――それ以上、覚ちゃんの魂を汚すのをやめろ、売女」
ブレイカーがそう言った瞬間、ガラスが割れる。内側に割れていくそれは、外から勢い良くナニカが突っ込んできたのを示していた。
そしてそのナニカ――弾丸は、丁度蒔良のそばにあった花瓶を叩き割った。
「狙撃……そう、リビングライフさんが何処にいるか分からなかったけど、私がここに来る事は承知だったわけね」
「……まぁ君が直接くるのは正直、賭けのようなものだった。
でも君が覚ちゃんに固執している事は分かっているし、覚ちゃんに嘘を吐かない事は分かっていたからね。ここの病室を用意したのだって俺なんだ。請求は後できっちりさせて貰うけど」
「がめついのは、イケメンでも嫌われるのよぉ?」
「君みたいな女には、死んでも惚れられたくはないな。
……自首してくれないか? 君がどういう個性を持っているかは流石に分からないが、それなりに固められている状況で君が逃げ切れるとも思えない。
頼むよ、久虜川蒔良さん――いいや、《
個性をいつでも使用出来るように、ブレイカーは手を構える。
だが、蒔良は余裕の態度を崩さない。どこか子供のようにコロコロと笑いながら、立ち上がって窓に近付く。
「それは無理♪
だって私の仕事はまだ終わってないんですもの。もう少し覚ちゃんの側で支えてあげたかったんだけど……事ここに至れば、それ相応に計画変更をしなきゃいけないの。
まだまだ、捕まるわけにはいかないわ」
「……この状況から逃げる自信があると?」
窓の外にはリビングライフがいつでも狙撃出来るように準備している。扉はブレイカーが塞いでいる。たとえ覚を人質に捕られたとしてもリビングライフの狙撃技術ならば蒔良だけを攻撃する事は可能だ……もっとも、話に聞くと覚を危険な目に遭わせるつもりは無いようだが。
彼女は頭が良い、この状況が八方塞がりな事は分かっているはずだ。
しかしそれでも、
「道具の揃えが良いのは、貴方の専売特許だと思っていらっしゃるの?
馬鹿ねぇ。私だってそれ相応に準備をしているの――来て!!」
その言葉と同時に、
上空から、いきなり飛行機が降りて来た。
「――っ、V22か!!」
V22――大昔はオスプレイと言われたヘリと飛行機の合いの子。それを雛形に作られているものの、これは全くの別物。
「どこかの軍隊の払い下げ品よ!! お安くなってたから気分で買ったんだけど、こういう時に便利よね〜!!」
エンジン音と風切り音の所為で荒れ狂う音の中で、死歌姫は楽しそうに微笑む。
「リビングライフ、何故気付かなかった、こんな大きいもの!」
『――……どうやら光学迷彩と消音機能を後付けされているようです、妙な音が微かに聞こえる程度でしたが、こんなものがあると気付きませんでした』
――科学の進歩が超常黎明期から停滞しているものの、まるで進歩しなかった訳ではなかった。成長している部分は存在する。
この機体も、その1つだった。
「――ここから今すぐ撃てるか?」
『機体が邪魔です。撃てません。機体を撃てば、ここら一体火の海になりますが――どうしますか?』
「チッ……待機しろ」
多少黒に近いグレーゾーンを歩んで来たブレイカーだが、人を殺さず捕縛するというのは大前提だ。しかも、下手にあの機体を落とせば、病院そのものに被害が及ぶ可能性もあるのだから。
第三者がいる場所なら下手を打たないだろう……そう思って選んだ場所は、逆にブレイカーの足枷になった。
「さぁて、私はここでお暇させて貰うわね〜!」
死歌姫がそう言うと、機体から見慣れた触手のような尻尾が出現する。
ブレイカー達が倒した3人のうちの1人。変状の尻尾だ。それが、まるで大事な宝物でも持つように、優しく死歌姫を抱き上げる。
「覚ちゃん、貴女だったらきっと立ち直るって信じているわ!! 何せ私の可愛いヒーローさんですもの!!」
こんな状況になっても、部屋の隅で必死に膝を抱えて震えている覚に、死歌姫はそう叫ぶ。
彼女は、誰がなんと言おうと強い。心も体も。だからきっと立ち上がってくれると信じて、
「だから待ってるわ!!
私の所に来てくれるって、きっと信じてる!!」
それが、どんな形であれ。
そう言って、彼女を乗せた機体は飛び去って行った。
――ほら、見てごらん?
――君は失敗したんだ。
「チッ、リビングライフ、追跡装置は……そうか、最悪の場合、途中経過は追えるという事か。
もっとも彼女の口ぶりからすると、隠れる気もなさそうだけどね」
――君は道を間違えた。
――だから信頼する部下も、大切な幼馴染も、誰もいなくなった。
「ああ、分かった、エンデヴァーと、それから警察にも連絡を。これ以上は俺達だけの手に負えない。よろしく――覚ちゃん、覚ちゃん、平気……ではないだろうね。取り敢えずこの部屋を出よう。窓も割れちゃったし、もう少し落ち着ける場所に移動する」
――頼れる人間は誰もいなくなってしまったよ?
――君はそれでも、立って歩くのか?
「――覚ちゃん? ダメだ、こっちを見るんだっ。
これは君の所為じゃない。確かに君は、少し間違えたかもしれないけど、それでも悪いのは彼らで、」
――無理だろう。
――立ち上がれないだろう?
――元より、立っているのがやっとだったんだから。
「覚ちゃん、ダメだ、考えるな!
やり過ぎると、君の心が壊れる!!」
――良いじゃないか、もう。
――君がここにいる必要性はないだろう?
――だったらもう、
「――める」
「え?」
覚の掠れた小さな声に、ブレイカーは耳をそばだてる。
聞きたくないと思いながら、
「――私は、もう、ヒーローを辞める」
絶望に染まった決意を聞いた。
……まぁ御察しの通りとしか言えないです。
というかここまで書いてて凹むのって久しぶりです。結構書いている自分も胸に来ております。
次回!! 振一郎さんがプルプルするよ!! 堪えて待て!!
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