見渡す限り緑の牧草地帯。吹く風は優しい。
風が草の頭を撫でていく。1メートルにも育ったカモガヤのようなイネ科の植物が、風に揺れる水面のようにゆっくり波打っていた。
そんな周囲の平穏な風景と異なり、グンゾウの目の前では驚愕の光景が繰り広げられていた。
「うそだろ……」
次々と戦士達が倒れていく。
ミッツは攻撃の
クザクも立て続けに上からの攻撃に
「グンちん、脚を動かして! やられるよ!」
「ヨシノ、すまない。もう俺の脚は動かない……」
グンゾウの脚は既に筋肉が焼けるように熱く、動かすことができなくなっている。腰も痛い。
「じゃあ、あたしが何とか食い止めるから、動かないで!」
ヨシノは頼もしい。
「
カズヒコがお得意の下段からの切り上げを繰り出そうとした。しかし、剣先が上がる前に上から剣を叩かれ、勢いを潰される。
「なっ!」
戸惑っている隙に、高い位置からの突きを立て続けに喰らい、カズヒコも倒される。
「俺がやるしかない!」
リョータが必死の覚悟を決めて両手剣を構えた。
「ふんぬぅー!
リョータは両手剣を前に突きだすと、飛び出して全身の体重を踏み込んだ脚に乗せる。
「動きが大きすぎて、バレバレよ!」
ヨシノが警告を発する。
――まさかリョータまでやられてしまうのか?
リョータの両手剣は
「おっとと」
「ぐわっ! ぐわっ! ぐわっ! ぐわっ!」
蛙が踏みつぶされた時のような声を上げて、リョータが地面にべちょっと倒れた。間抜けだ。
残す前衛はアキのみ。
アキは盾を上斜めにしっかり構えると、素早く足下に潜り込む。
「いいよ、アキちゃん!」
ヨシノが高角度に槍を突き出しても、アキの盾は力を分散し、威力を発揮しない。
アキは槍に接触する瞬間、盾の角度を調整し、さらに自身の体を柔らかく逆方向にずらすことで、力を分散している。一瞬の間違いも許されない、全身を使った繊細な動きを繰り返している。真面目に
そして長剣でグンゾウの体を数回斬り付けると、素早く離れて距離を置いた。
「アキちゃんナイス!」
――わーい、アキに斬られたー! 気持ちいいー。……おおう。何か違う喜びを得てしまった。いかん、いかん。カレンの影響だ。
ヨシノの秘策は、秘策と呼ぶほどのものではなかった。ホブゴブリンを想定して、グンゾウ、タイチ、シムラで作った騎馬の上にヨシノが乗って、巨大な敵との戦闘に慣れるというだけだった。
もちろん槍や剣は実物ではなく、木の棒に綿布を巻いたものだ。
そして、ここはオルタナを南門から出た牧草地帯だった。
既に3戦を終えたが、槍騎馬ヨシノは恐ろしく強い。馬(グンゾウ)の足が止まるまで、負けなしの戦いをしていた。
「アキちゃん、防御が上手くなったねー」
ヨシノが喜びの声を上げる。
「ちょっと頑張ってみた」
アキが
――笑顔がかわいい。最近のアキは護衛や防御なら2匹相手でも安心して任せられるよな。誰よりも上手いんじゃないかな?
「だぁーもー、防御がいくらできたって、攻撃力が無きゃ、敵は倒せねーんだよ」
ヨシノに叩き潰されていた
「違うよ、リョータ」
ヨシノが力強く言う。
「攻撃力が弱いゴブちんなら攻撃力さえあれば防御は鎧任せでもいいけど、ホブゴブリンみたいに攻撃力がある敵なら、
ヨシノが正論すぎて、リョータはぐうの音も出ない。
――ヨシノはすごいなー。でも、そろそろ降りて欲しいな。
「じゃあ、今日はここまでかな。明日もやろー」
元気なヨシノの声に「うげぇー」という男達の悲鳴が聞こえてきた。
「いててててて」
グンゾウはヨシノの
「ヨシノの騎乗は激しいなー」
グンゾウは口にした後で、少し
「ところで、これを続けてホブゴブリンには慣れたとして、
カズヒコが疑問を投げかける。
「
ヨシノが手を挙げて、大声を出す。
「お、俺も手伝うよ、ヨシノ」
「えー、リョータはすぐあたしの獲物を取っちゃうからなー」
ヨシノはほっぺを膨らましている。先程、男4人をこてんぱんに
「そんなことじゃねーよ。あんな危ない奴と独りで戦ったらヨシノが危ないだろ」
「んー、まあいいんだけど、リョータにはホブクザクんを倒して欲しいんだよなー」
「ホブ……クザクん?」
ほぼ死んでいたクザクがむくっと起き上がった。
「あ、クザクんより大きいから、ホブクザクんってことー」
ヨシノのそれを聞いて、そのままクザクは地面に
「とりあえず、ホブゴブリンは瞬殺してヨシノを助けるから、無理はしないでくれ!」
「わかったよー。まあ、
ヨシノがぼそぼそと気になることを言ったのをグンゾウは聞き逃さなかった。
――奥の手? そういえば、ヨシノって
サイリン鉱山への4回の遠征は、橋脚を破壊するに十分な量の火薬と、それなりの資金をグンゾウ達にもたらした。そこで一旦、ダムロー旧市街攻略を休憩し、再び装備と
ホブゴブリン訓練打ち上げ後、宿舎に戻ったグンゾウは、再び家族会議を開こうと思った。しかい、酔っ払って
ヨシノがだらしなく抱きつくので、アキの服が引っ張られて、胸元が大きく開く。
思わずグンゾウの視線は釘付けにされた。
アキの鎖骨から胸元にかけては透けるように白く、うっすらと
「ヨシノちゃん、くすぐったいよー。首に
そんなアキの
――う、
グンゾウは突然鼻血が出てきて、鼻を押さえた。
「俺……溜まってるのかな? 頑張ってもあんまり報われないしな……」
グンゾウはじっと手を見る。
「グンゾウ、スケベ、キシシシシシシ」
「わおっ!」
突然傍に現れたハイドに、グンゾウは大袈裟に驚いてしまった。
「ハイド、今の見た?」
「キシシシシ、見た。でも、興味ない」
「思春期の男の子とは思えない冷静さだな。なんとも思わなかったのか?」
「衣装が萌えない、キシシ」
――衣装……、また着眼点が独特だな。
「ところで、ハイドは何を習得する予定なの?」
「秘密、シシシシ」
――相変わらず……。ハイドの秘密主義にも最近は腹が立たない。むしろ安心感が湧いてくるくらいだ。
「ハイド、お前は弁当とか隠して食べるタイプだろ?」
「ぎくぅ! シシシシ、な、何のことだ? シシ、もう寝る」
ハイドは「シシシシ」と言いながら、そそくさと男子部屋に消えていった。
――どうせ、真夜中に起きて明け方まで魔法の練習するくせに。
グンゾウが中庭を見回すと、シムラが酔っ払って寝ていたので、毛布を掛けた。
グンゾウはまだ眠くないため、もう1杯飲みに出ようかと考えていると、リョータが
「あ、リョータ、次の修練は
「んあ? ああ、分かったよ。あんまり金も無いしな」
リョータにしては素直な返事。しかし、グンゾウの心に疑問が湧いてくる。
「金が無いの? 俺は
「い、色々あるんだよ。色々」
リョータは少し動揺しているように見えた。
――怪しい……。ここは突っ込んでみるか。
「リョータくーん。僕にその色々ってやつを教えてくれないかなぁ?」
「お、おお、教えねーよ」
リョータは
「じゃあ、本件はヨシノ先生と相談の上、調査させていただきます」
グンゾウが立ち上がって部屋に向かおうとすると、リョータが肩を
「こ、こらっ! こら、オッサン!」
グンゾウはリョータに振り返ると、じろりと
「オッサン?」
「オジサマ? いや、グンゾウ……さん? 教える。教えるから……」
――これはしばらく握れそうな弱みだ……。キシシ。あ、いかん、ハイドが
「最近、そこそこ安定して稼げるから、すこーしだけ、すこーしだけ……
リョータの癖に声が小さく、具体的な部分が全然聞こえなかった。
「んあ?
グンゾウが聞き返すと、リョータは苛立った顔をして、グンゾウに顔を寄せる。
「ば、馬鹿っ! 声がでかいんだよ、オッサンは。
「なっ!」
――なんだってぇー!!
「カズヒコが調べてくれたんだけど。まあ、なんだ、戦闘で命を懸けるストレスをだな……なんだ、少し発散しないと、色々と害があるだろ? 別にオルタナじゃ、
リョータは少し気まずそうに視線を逸らして小声で話した。
「そうか……」
――さすが情報通のカズヒコ。
「ヨ、ヨシノには言うんじゃねーぜ。まじで。言ったら殺す」
「アキならいいの?」
「
リョータが興奮して、顔が近い。グンゾウは少し後ろに下がると、溜息を
「そうか……。とはいえ、何で俺を誘ってくれないの?」
グンゾウが不機嫌な顔でリョータに聞くと、リョータは目を見開いて驚いた。そして、その後、にっこりとした笑顔になった。
「あっ、そういうこと? いやー、だって、ほら、なんか神官だし? やっぱ駄目なんじゃねーかなって」
「んな、
「だ、だよなー。
――ま、
「はいはいっと。まあ、ここでは何なんで、外で1杯やりながら教えてくれよ」
北区の市場まで行くのは少し遠いため、グンゾウはリョータを連れ立って、職人街方面の屋台へ向かった。
――この先か……。
リョータはお金が無いとのことでグンゾウと一緒には来なかった。
グンゾウがリョータに教えてもらった
1箇所は西町にある売春宿と呼ばれる宿が連なる地域。こちらは明らかに雰囲気がいかがわしく、グンゾウも丸腰で近付くのを
西町の相場は、道端に立っている女性(男性もいる)に
今、グンゾウが目にしているのは北区にある天空横丁の一角、今まであまり来たことのない場所だった。しかし、天空横丁自体は比較的慣れている。オリビアの店があるし、何度も来たことがある。
横丁の賑やかな辺りにも、露出度の高い服装で客を引いている女性がいる店を何度も見かけていた。大抵は浮かれた、分かりやすい名前の店が多い。例えば「キャバレークラブ・ルンルンパラダイス」なんて感じだ。グンゾウは聖職者としての倫理が最後の
――そうだ。今日だって別にお店に入りに来たんじゃない。社会見学だ。そういうお店もオルタナにあるんだなってことを知りたいだけだ。知識欲だ。知識を得ることは良いことだ。
グンゾウは誰に何を言い聞かせているのか、一生懸命正当化をしながらここまできた。
そこは横丁の一角で、特に看板も出ていない店舗が数店ある場所だった。
リョータの話では、天空横丁のこの場所は女性の紹介のみで、その後花園通りの端の地域にある指定された宿に行く必要がある。いわゆる
北区の相場は5シルバーから20シルバー程度。しかし、場所柄、貴族や大金持ち向けのサービスもあり、最高級店では1回3ゴールドなんて破格のサービスもあるそうだ。
――1回3ゴールドってどんな女性が出てくるんだろう?
グンゾウは
その時、突然看板の無い店舗の扉が開いて、光が漏れる。グンゾウが立ち止まって見ていると、正装に近い黒い服を着た紳士が出てきた。マント姿で、帽子を深々と着用している。身長は180センチ以上あると思われた。紳士の服は光沢のある高級そうな生地で、所々光を反射している。
「店主、
低いが良く通る、威厳に満ちた声で話した。
「へへっ! ありがとうございます。もったいない話ですが、彼女は本業じゃないもんですから、かなりのレア出勤になっておりまして。また出勤したら必ずご連絡差し上げます」
店員らしき男が頭をペコペコと下げながら答えた。頭をペコペコと下げているが、この店員はかなりの
――この紳士は相当偉い人間なのだろうか。
黒い服の紳士は、マントを
――あの紳士……どこかで見たことあるような?
入り口で黒服紳士の帰りを見送った店員が店の中に戻ろうとして、グンゾウに気付く。
「あー、お客さんかい?」
グンゾウはどきまぎしながら答える。
「話聞くだけってできるの?」
強面の店員は
「なんだよ。いい
「まあ、そんなもんで」
グンゾウが答えると、強面の店員は顎で店の中に促した。
真夜中過ぎのオルタナ。倫理と欲望に挟まれて、グリムガルに来てから最も悩む瞬間を迎えつつあるグンゾウであった。
――どうする?! 俺!
さーて、今回も安定の下ネタが終わりました。
次回からはダムロー奪還に向けて加速(減速?)しますよー!