廃と群像のグリムガル ~不惑の幻想~   作:西吉三

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1.目覚め

   “――目覚めよ(アウェイク)。”

 

 誰かの声が聞こえたような気がして、グンゾウは目を開けた。

 ――暗い。まだ夜中かな。もう少し眠れる。明日は仕事に行きたくないな。

 最初に思ったことは仕事のことだった。

 ――仕事……俺の仕事ってなんだろう。

 頭の中に霞がかかったようで、浮かんだ言葉と具体的な内容を一致させることができない。それどころか、思い浮かぶ言葉もどんどん少なくなっていくような感覚がある。自分の大切なモノが指をすり抜けて、暗い穴に吸い込まれていくような、不快で、そして悲しい感覚だった。

 ――これは夢か、寝ぼけているのか、それとも酒を飲み過ぎたか。

 グンゾウは急に不安になり、上体を起こした。静かだ。硬くてごつごつした石でできた床に寝ていたようだ。何でこんなところに寝ているのかわからない。起こした背中が痛い。暗闇の中、明かりを求めて床に手を這わせた。目的のモノが見つからず、ポケットの中にも手を入れる。無意識で何かを探そうとしていた。四角くて、薄くて、光るやつ。

 ――あれ? 何を探しているんだっけか。

 何を探しているのか、だんだんわからなくなってきた。それでも体が覚えている動作に従って動き続ける。わからなくても、なんとなく正しい行動をしている気がする。

 見つからない。

 そのうち探すモノを完全に忘れてしまったので、今度は周囲の環境を確認することにした。暑くも寒くもない。相変わらず静かだけれど何かの気配を感じて暗闇の中へ目を凝らした。気配の正体はわからないが、ここはどうやら完全な暗闇ではないようだ。少し離れた場所に並んだ灯りが見える。よく見ると反対側にも灯りがあるようだ。灯りは蝋燭(ろうそく)のそれであるかのようにときおり揺らめいている。

「あれは蝋燭なんだな……」

 グンゾウが独り言を口にすると、意外にも暗闇から反応があった。

「誰かいるんですか!?」

 怯えたような若い女性の声だ。その声を皮切りに周囲から次々と声が上がった。

「……ここにもいるよ」

「ここにもいます」

「ここはどこなんだ?」

「わからない。どうなってんだ、これは」

「ざっけんな、これ、おかしくね?」

「……っす」

「ちょーさいてー、コシいたーい」

 グンゾウの周囲には複数の人間がいた。

 誰かがいる。何者かもわからないけれど、近くに誰かがいるということは嬉しい。

 お互いの存在を確認する声が広がると、暗闇が前よりも明るくなったように感じられた。

 

 

 暗闇の中でぎこちない挨拶と名前程度の簡単な自己紹介が始まる。グンゾウを含め全部で14人。男が9人、女が5人。顔は見えないから、あくまで声での識別だ。

「俺の名前は……グンゾウ、そうグンゾウだと思う」

 グンゾウが思い出せたのは、それが限界だった。

 全員共通して同じ状況のようだ。つまり、全員が記憶喪失に近い状態だった。自分の名前すらニックネーム程度にしかわからない人が大半で、「何故ここにいるのか」「自分が何者なのか」「ここはどこなのか」「どうやってここまで来たのか」といった重要な情報は当然のように、誰の口からも出てこなかった。

 次の行動について話し合った結果、シムラという剽軽(ひょうきん)な口調の男の提案に従って、蝋燭の灯りが続く道を壁沿いに進んでいくことになった。反対側にも行けそうだったが、分かれた際の通信手段もないので、まずは全員で片方に進み、行けるところまで確かめてからという結論になった。特に反対案は出なかった。その頃には、暗闇にも目が慣れて、傍にいる人間の輪郭程度は認識できるようになっていた。

 

 

 蝋燭の列は続いている。グンゾウ達も一列になって、壁に手を擦りながら進んだ。地面は(なめ)らかではなかったが、歩きにくくはなかった。

 移動中、全員の口数は少なかった。

 ――長い。肉体的にも疲れるけど、精神的な不安が大きいな。

 それなりに歩いたような気する。

 暗い通路。単調な動作。不安。悪い要素が時間や距離の感覚を鈍らせて、あまり正確にはわからない。恐らく全員同じような状況だろうと想像できた。

 グンゾウは気が付くと列の後ろの方にいたようで、前後には体格的に小さめな女性がいた。

 ――少し遅れたかな? みんな、結構スタミナあるな……。

「……フヒキシシ、フヒフヒ……」

 背後から不思議な()がしてグンゾウは後ろを振り返った。

 後ろにはボブカットの女の子がいて、目が合った。暗くてそこまでよく見えないが、大きな目が印象に残る女の子だった。たぶん、10代半ばかそこらだろう。

 グンゾウが止まったことで、不思議そうに首をかしげた。

「ごめん、なんでもない」

 すぐに前に向き直り、歩き始めた。

 ――幻聴だろう。ストレス高いし。

「……フヒキシシ、フヒフヒ……」

 ――幻聴。幻聴。ストレス。ストレス。

「フヒヒン、キシシ、フンフン……」

 はっきり聞こえた。()ではなく()だ。後ろの人達の足を止めるのが嫌なので、聴覚に集中をして後ろを探った。どうも後ろの方で誰か息切れをしながら笑っているようだ。気持ちの良い笑い方ではなかった。正直なところ気持ちの悪い笑い方だった。

 

 

「なんか明るいぞ、出口か?」

 先頭の方から声が聞こえてきた。隊列の移動速度が速まる。確かに前方の方が明るい。蝋燭の灯りよりもずっと明るい。洋燈(らんぷ)のようだ。自然と足が軽くなり、駆け足になる。

 明るさに近づくにつれ、だんだん様子が見えてくる。洋燈のある場所には格子扉が()まっているようで、先頭集団がそこで行き詰まっていた。

「鉄格子だ、ふざけんな、開かねーぞ!」

 先頭を歩いていた男が鉄の格子を手で叩いたり、足で蹴ったりしていた。扉の辺りは明るいので姿がよく見える。若い。20歳前後といったところか。身長は180センチくらいで、太っても痩せてもいない。少し長い茶色の髪をバックに流していた。顔は特徴のない、どこにでもいそうな目鼻立ちだが、今は殺気立っていて怖い。この状況なので仕方が無いかもしれない。服装は黒いラインが特徴的な少し光る素材の白の上下揃い。柔らかくて動きやすそうだ。首から太い金色のネックレスを下げていた。良く意味はわからないが、グンゾウの中では仮に「典型的な(Typical)ヤンキー」、略して「TY(ティワイ)」と呼ぶことにした。

 ――あの服なんて言うんだっけか? ジョージ? ドーギ? ショーブシタギ?

 グンゾウは扉とは関係ないことを考えていた。服という概念は理解できても、個々の具体的な名称や種類が思い出せない。

「引いたらどうなんだろう?」

 後ろからひとりの男がTYに声をかけた。彼も扉のそばにいるので姿が見える。こちらも若い。年の頃はTYと同じくらいだろう。身長はTYより少し低い。さらさらな髪の毛の下に優しそうな顔を備えた爽やかな好青年だ。グンゾウの中では「さわやか君」と呼ぶことにした。

 ――とは言え、サークルとかで周りの女に手を出しまくるタイプでもあるけど……。サークル? なんだっけ、それ?

「ああん?」

 とTYがさわやか君を一瞬睨んだ。一瞬流れる微妙な空気。しかし、すぐ思い直したのか格子扉の取っ手を手前に引いた。格子扉は軋む音を立てながら開いた。

「おおっ……!」

 と格子扉を囲んでいた数人からおとなしめの歓声があがった。

「うぇーい」「うぇーい」

 TYとさわやか君がハイタッチをしてから、笑顔で見つめ合った。共同作業の成功体験を通じて、小さな軋轢(あつれき)が小さな友情に変わったようだ。青春の1ページといったところか。

 ――最近の若いのはよくわかんないな。

 グンゾウは軽くため息をついた。とりあえずグンゾウの中でTYの呼び名を「マイルドヤンキー」に改めた。相変わらず意味はわからないけれど。

 

 

 全員次々と格子扉の向こうへ出て行った。グンゾウも順番に続いていった。

 扉の先は少しの間狭い通路が続き、その先は石造りの(のぼ)り階段になっていた。通路は(かび)臭かった。

 ――今度は階段か。

 と思ったがそれ以外にも少し勝手が違う部分があった。階段に灯りは無い。でも、上から光が射し込んでくる。全員一列になって光を目指して階段を上っていった。

 先頭が光の近くに着いた頃、列の動きが止まった。階段の先にも格子扉があるようだ。ガンガンと引っ張ったり、蹴ったりする音がする。

「誰か?! いねーのか?!」

 マイルドヤンキーの声。

「誰かぁ、居ませんかぁ?」

 さわやか君の声。

「誰か、開けてー、もう助けてよー」

 声と名前が一致していない女性の声。

 声を上げた全員が誰か助けを呼ぶような発言だった。階段が狭いので上まで行って確認することはできない。しかし、格子扉の先は「誰かが居そうな雰囲気」ということかもしれないとグンゾウは思った。

 しばらくして、助けを呼ぶ声が止んだ。直後、扉の近くにいた数人が下がる。本当に誰かがきたようだ。

 格子扉の開く音がした。

「出ろ」

 聞いたのことのない声だ。扉を開けてくれた人の声らしい。

 前の人に続いて階段を上がり、格子扉の外に出るとそこは石造りの部屋だった。窓は無かったが、洋燈がいくつも灯っているおかげで明るかった。まず最初に違和感があった。正確に表現すれば、これは普段いる部屋とは作りが違うと感じた。部屋の構造としては、先ほど上がってきた階段とそれ以外には別の上り階段があるだけだった。

 ――出るためにはまた階段を上るのか……。

 グンゾウが上り階段を見つめていると、目の前を変な格好をした男がガシャガシャと音を立てて通り過ぎて行った。男は鉄の兜をかぶり、鉄の鎧を着て、手には槍を持っている。よく見ると、腰には剣も差しているようだ。カイゼル髭を生やしたいい大人である。グンゾウの中で「騎士(ナイト)コスプレおじさん」と呼ぶことにした。

 ――この騎士コスプレおじさんが扉を開けてくれたのか?

 騎士コスプレおじさんは、グンゾウ達をうさん臭そうに見ながら、壁に据え付けられている黒っぽい器具を引っ張った。

 壁に壁や床がわずかに振動し始めた。女性達の一部が小さく「きゃ!」と声を上げる。

 ――地震?

 続いて、金属や石のような硬く重たい物質が引きずられていくような音が部屋に響いた。グンゾウが部屋を見回すと壁の一箇所が動き始めていた。その壁は縦長の長方形に切れ、ゆっくりと沈み込んでいった。壁に四角い穴が開き始めた。

 穴が大きくなるにつれて、それが外に繋がっていることを確信させた。石造りの黴臭い部屋に、新鮮な空気が吹き込んできた。空気は暖かな湿気を含み、土と草木の強い匂いをグンゾウ達に運んできた。

 ――風だ。……そして、夏の匂いだ。

 突然、グンゾウの脳裏に映像が浮かんだ。

 グンゾウの前には大きな岩が2つ見える。見上げる。軽く10~20メートルはある大岩だ。大岩には蔦のような植物がまばらに生えている。周りは木々に覆われていて薄暗い。虫の声が騒がしく響いている。そして、夏の匂いがする。

 2つの大岩はお互いに倒れかかり、支え合って立っている。“入”という字のようだ。大岩と大岩の間には三角形の隙間がある。岩の大きさからすれば隙間は小さい。でも容易に人が通れる広さだ。その先には光が満ちていて明るい。その光の中に人影を見た……気がした。

「お前も出ろ」

 男の声がしてグンゾウは石壁の部屋に引き戻された。

 騎士コスプレおじさんが先程開いた四角い穴から外に出るように促していた。穴は完全に開き、出口の様相を呈している。気が付くと既に部屋の中にはグンゾウ以外は誰もいなかった。皆、外へ出てしまったようだ。グンゾウは慌てて出口へと向かった。

 ――さっきのイメージは何だったんだろう?

 夢から覚めた時のように、思い出そうとしても内容がはっきりしなかった。

 石壁に開いた出口の手前で一度立ち止まり、後ろを振り返る。

 上がってきた階段と石壁の部屋、そして懐かしいような、哀しいような気持ちが漂っていた。

「まだ、()()()()夢が途中だ」

 また前を向くと、グンゾウは外の世界に足を踏み出した。

 

 


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