実況パワフルプロ野球‎⁦‪-Once Again,Chase The Dream You Gave Up-   作:kyon99

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第65話 小波球太と恋恋野球部

 

『能力解放』……とは、『超特殊能力』の事である。

 

 

 まず野手には七つの基本能力が存在する。

 一つ目は、『弾道』と呼ばれる打球の上がりやすさを意味する能力であり、『1』から『4』の四段階に分けられており数値が高ければ高いほど打球の角度が上がり打球が上がりやすくなる。

 二つ目は、バットをボールに当てるバットコントロール力を意味する『ミート』に加えて『パワー』や『走力』、『肩力』、『守備力』、『エラー回避』と言った基礎能力は、『G』から『S』の八つのランクに分かれている。

 また投手には体力を示す『スタミナ』や『コントロール』は同じ『G』から『S』のランクに分けられていて、この基本能力に加えて選手達にはそれぞれの他の『特殊能力』と言った能力を兼ね備えている者も居る。

 例えばの話を持ち出すとすれば、チャンスの場面で強いバッターが居たとする。その時に発揮する不思議な力の発動条件は、『ランナーが二塁以上にいる時』のみに発動しヒットや長打が打ちやすくなると言うモノだ。

 この名称を『チャンス◯』と呼ぶなど、この他にも多種多様に『特殊能力』が幅広く存在している。

 だが、その『特殊能力』は簡単に手に入るモノでは無い。日々の練習や努力の積み重ねを幾度無く繰り返しを経て、ようやく開花させる事が出来る訳だ。

 しかし。

 その『特殊能力』の先に更なる次元が残されているのだが、その次元に登る為には必要な『ある能力』が必要とされている。

 それは『黄金の光を見に纏う者』のみに与えられた『超特殊能力』である。

 それを簡単に言うならば『特殊能力』の上位互換である。

 先程の例を出して説明をすると、だ。

『チャンス◯』を持つ選手が『黄金の光』を見に纏うと『勝負師』と言う『超特殊能力』を開眼させる事が出来ると言った所だろう。

 だが、それを手に入れるのは容易では無い。黄金の光を見に纏うのにはトリガーとなるきっかけが幾つも存在している。

 勝ちたい、負けたく無い、打ちたい、抑えたいと言う人それぞれの信念で発動するモノである為、『超特殊能力』を『解放』させられる選手はプロの中でも中々存在しないとされている。

 球界に関わる者、スポーツ医学に関わる人物達は、それを『能力解放』と呼んでいる。

 

 

 

 

「能力解放……か」

 これは以前、中学三年生になった頃に八宝カンパニーの令嬢である八宝乙女が僕に自信満々で優越感に満ち溢れた顔を浮かべながら教えてくれた事だ。

 あの時のあの表情は今でも僕の脳裏に強く焼き付いているのはまず置いといて、だ。

 最初は馬鹿げた事を言うと内心では思ってはいたが、『黄金の光』と言う言葉に思わず反応を示してしまった。

 それは、そう。八宝乙女が言った『黄金の光』と言うモノに少なからず見覚えがあったからだ。

 それもこの僕の目の前で、その黄金の光を纏って右腕を振り抜いた一人の黒い頭の癖髪の男を知っているからだった。

 小波球太。僕のたった一人の親友にしてたった一人の好敵手だ。

 『三種のストレート』に『能力解放』。

 この天才の僕ですらその域に達していないと言うのに、あの『凡人』がこの僕を超えているとでも言うのか、と最初は悔しさでを隠しきれなかった。

 僕には小波が『能力解放』をする選手に相応しいと言える理由がなんだか分かっていた。

 小波のプレースタイルをリトルリーグからずっと見て来た。味方がエラーをしても、三振に倒れても、チャンスの場面で打てなくて点が取れなくても、小波はいつも気にする事なく笑っている。

 野球を心底楽しんでいる。

 仲間を大切にしている。

 そう言うのが『きっかけ』になっていて、だから小波は『能力解放』と言う次元に立つ事が出来ているのだろうと僕は知っていた。

 だが、僕にはそれが出来ない。

 だからこそ、僕は進と共にそれに匹敵するだけの力のある『ライジング・ショット』を作り上げた。これで僕も小波と同じ位置に立てる筈だ……と思っていた。

 そして、今。

 その男は、僕の知る由も無い。見たことも無い『虹色』の『光』を纏ってストレートを放り投げた。

 あの正体は、一体なんだ?

 アレは八宝乙女が僕に言っていたモノとはまた別の能力だと言うべきか。

 その先に、まだ未知なる領域があるとでも言うのだろうか……。

 小波。

 君は一体どこまで僕の先を進むつもりでいるんだ。

 

 

 

『四回の表。恋恋高校の攻撃は、一番センター矢部くん』

 恋恋高校も打者一巡をして、瓶底眼鏡をクイッと上げた矢部明雄が右のバッターボックスに構える。

「オイラがチャンスを広げるでやんす!!」

 声を張り上げて、猪狩に対抗心をメラメラと燃やしている。気合は十分と言った所だろう。

「おっしゃァァァァー!! ブチかまして行けェよ、クソメガネ!!」

 星もベンチから身を乗り出して、大声を上げる。

「矢部先輩ッ!! 頼みましたよ!!」

 ネクストバッターズサークルに控える二年生の赤坂も負けじと声を張り上げた。

 五点を追いかける恋恋高校だが、先ほどまでの沈んだ空気はベンチには流れては居なかった。

 希望の光が徐々に広がってくる。そんな予感をせざるを得ない小波の調子の復活。そして『四つ目のストレート』で無失点に切り抜けた恋恋高校のムードはこの試合では一番と言っても良いほど良い雰囲気が漂っている。

「……ふう。しかし、今日は暑いな。絶好の野球日和ってヤツだな」

 やや息を切らして疲れ果てている様に見受けられるが、小波の瞳はまだ生気がある。球数も既に三回を終えて六十球を超えてはいるものの、気力は充分と言った所だろう。

「それにしてもよォ、小波。テメェの新しい球は一体どんな球なんだァ? 俺の目にはただの『ツーシーム』にしか見えなかったけどよォ」

 この回に打順が回る為、早々に金髪頭の上にヘルメットを乗せながら星が尋ねる。

 『ただの』とやや強がった言葉を使ってはいるが、初見のリアクションはきらめき高校戦において、小波が初めて投げて見せた『三種のストレート』の『ノースピン・ファストボール』を見た時と同じだった事を小波は既に気付いてるが、星の事を思ってか小波はスルーして口を開く。

「ああ、星の言う通り。さっきの『四つ目のストレート』って言っても一見普通のツーシームだ。でも『ただのツーシーム』なんかじゃない」

「あん? ただのツーシームじゃない、だと? それはどう言う事だァ?」

「あの球は、俺が憧れた人の『ツーシーム』なんだよ。だから俺はあの人の背中を追う様にあかつき大附属に入学したんだからな」

 と、小波は付け加えた。

 そしてその場に居る全員が小波に視線を向けて耳を傾ける。

 小波があかつき大附属に入学した理由、小波が憧れている人物と言う初出情報にどんな理由で入学し、憧れた人物が一体誰なのかが気になっている様子だ。

「ねえねえ、誰なの? 球太くんの憧れた人って」

 早川あおいが真っ先に問う。

 先程までの心配そうな表情では無かった。

「あ、ああ。今はプロ野球球団のオリックスで活躍している神童裕二郎……さん、だよ」

「——ッ!!」

「神童って言ったらあの『球界の至宝』って呼ばれてる神童だとォ!? 近い将来にメジャーリーグに挑戦するって言う話も上がってる今話題の選手じゃねェか!!」

 その名前を聞いた瞬間に周りが一気に騒つき始めた。

 その名は、神童裕二郎。

 今、星が言った通り『球界の至宝』とまで呼ばれている天才投手だ。

 的を的確に射るコントロールに多彩な変化球を持つ神童裕二郎ではあるが、高校時代は彼の球を取るキャッチャーが居らず無名だったが、あかつき大附属大学に入学後、メキメキと頭角を表して鳴り物入りでプロ野球のオリックスに一位入団を果たした。

 その後、新人王、MVP、最多勝とタイトルを総なめにして、今シーズンの初勝利を完全試合で飾るなど正に『球界の至宝』とまで呼ばれる事だけのある実力のある名ピッチャーなのだ。

「俺は神童さんとリトルリーグ時代に一回会ってるんだ。そこで見せて貰った神童さんのツーシームが未だに忘れなくてな。一年前から取得しようと練習してたんだけど難しくて、つい最近ようやく完成させられたんだ」

 小波は優しい笑みを浮かべて微笑んだ。

 そして、小波は小学六年から神童裕二郎のツーシームを真似ては、隣に住む六道聖を相手に毎日ピッチング練習を重ねた。

 月日が経ち、中学生になった小波は跡を追うように神童が通った名門のあかつき大附属中学の野球の門を叩く。

 厳しい練習、一ノ瀬、二宮と言った優れた上級生、猪狩守と言ったライバル達と共に全国大会で優勝する事を目標と掲げて切磋琢磨して行く内に、神童の投げたあのツーシームを完成させたいと練習に打ち込んだが、その球が余りにも習得するのが難しかった為、断念する事にしたのだが、練習の過程で『ノースピン・ファストボール』、『バックスピン・ジャイロ』、『スリーフィンガー・ファストボール』と『三種のストレート』が投げられる様になったと言う事を皆の前で初めて『三種のストレート』について教えてくれた。

「……そうか。小波、テメェの『三種のストレート』ってのは、憧れから得た努力の賜物だったって訳だな。俺はてっきり何も考えずにポンポンと投げれているモンだとばかり思ってたぜ」

「ボクもだよ。球太くんがどれほど頑張って来たか分かった気がする。ようやく神童さんのツーシームを得られてよかったね!!」

 小波を褒め称える二人。

 小波は少し照れ臭そうに笑っていた。

 その笑顔が小波の背中を押していることには誰も気付いていないのは、誰も知らないでいる。

 

 そんな事を他所に、猪狩は左腕を振るう。

 豪速球の如く、自慢のストレートである『ライジング・ショット』を投げ込んでは、矢部と赤坂を連続三振に切り伏せて見せた。

 ツーアウト。ランナーなしの場面で三番打者の星に打席が回って来る。

 ここまで打者十一人。一塁上にランナーを誰一人として置かずに、絶好調のピッチングで恋恋高校打線を完璧に封じていた。

 現在、間一髪の所で交通事故に遭いそうになり病院で入院している弟である猪狩進に優勝旗を持って帰ってくると言う約束を果たす為に、猪狩守は左腕を振るうのだ。

 

 シュッ!!

 

「ストライクーーッ!! バッタァーーアウト!!」

 完成された投球フォームから繰り出す『ライジング・ショット』の前に三番打者の星は手を出せずに見送りの三振で倒れ、恋恋高校の四回の表の攻撃もまたもや無得点で終える。

「……クソッ!! なんで手が出せねェンだよッ!! クソ野郎がッ!!」

 ガンッッッ!!!!

 怒りを露わにし、猪狩の『ライジング・ショット』に対して全く手が出せずに倒れた自分自身の不甲斐なさの余りに金属バットを地面に強く叩きつけた星。

 散々と打ち込まれ疲れ果てる小波の為にもと意気込んだ打席だったが、猪狩守の前に完膚なきまでにねじ伏せられた怒りも含まれていた。

「まあまあ、落ち着けよ。まだ試合は終わっちゃいねえだろ?」

 星の頭上から声が聞こえた。ふと顔を見上げるとそこには、プロテクター一式を抱えた小波が目の前に立っていた。

「小波……。すまねェ、俺達がもっとしっかりしてればお前にこんな苦労な試合なんかにはさせずにいられた筈だ」

 星はギュッと唇を噛み締める。

 見るからにボロボロな小波を助けることも出来ないのを言葉にして表すとより一層自分自身に腹が立ってきた。

 だが、小波が発した次の言葉は意外な言葉だった。

「決勝戦はこれからだ。楽しくやろうぜ」

「……あん?」

 星は思わず耳を疑った。

 が、星は思わず笑った。

「ははッ!! そうだよな。小波、テメェは何時迄も相変わらずなクソ野郎だぜ」

 笑う理由は、そう、小波球太と言う人間はこう言う奴だと分かっていたからだ。

 どんなに点差を開かれて負けている苦しい展開だろうと小波はいつも笑って呑気に野球を楽しもうとする。

 諦めると言う事を知らないただの野球バカだ。

「チッ。弱音を吐くのにはまだまだ早ェみてェだな。良いか、小波ィ!! 俺は未だ『モテモテライフ』を諦めちゃいねェぞ!! そこん所勘違いするんじゃねェからなッ!!」

 小波が持つプロテクターを奪い取ると空かさず身体に身に付けていく。

「おう。分かったよ」

 と、小波はただただニヤリと笑いながらそのままマウンドへとゆっくりと脚を進めて行った。

 

 

 

 四回の裏、あかつき大附属高校の攻撃は五番打者の蟹川から始まる。

 塁に誰一人出さない完璧なピッチングを魅せるエース猪狩の好投。

 あかつき大附属の応援席からは勢いに乗った声援が球場内を包み込んでいる。

 そんな中、赤毛の青年は一人。内野ネット裏のプロ野球の試合開催時やイベント時に人で賑わう売店が立ち並ぶ球場入り口の陽の当たらない日陰のベンチに腰を下ろしていた。

「……はあ」

 前のイニングで少し『眼』を使い過ぎた。疲労を癒す為に目頭を軽く抑え、誰にも聞こえない音のない溜息が漏れる。

 どうして僕は此処に居るんだろう。

 今はもう野球に興味なんて一つもないのに。

 と、赤毛の青年。明日光は抑えていた灰色の瞳をゆっくりと開いた。

 

 キィィィン!!!!

 

 耳に響く金属バットの打撃音。

 一つ一つのプレーで湧き上がる歓声に飛び交う声援。

 その音を聞くたびに明日光はどんどん胸が苦しくなって行く。

「……」

 ふと脳裏を過ぎる。『過去』の出来事。

 思い出したくも無い記憶が胸を更に締め付けると、この場から早く立ち去りたい気持ちでいっぱいになる。

(未来と六道には悪いけど、僕はそろそろお暇するとしよう)

 本来ならば此処には来る予定は無いと思いながら、再び湧き上がる歓声を耳にし嫌な汗が流れるのを感じると、明日光はベンチから腰を上げた。

 その瞬間、だった。

「退いてッ!! そこの赤毛くん! ちょっとそこを退きなさい!! どいて、どいてーー!!」

 何処か聞き覚えのある台詞と慌てた女性の声が明日光に向かって走ってくる姿が見えた。

「——ッ!!」

 バッ。と、反射的にスッと身体を避けて再びベンチへと腰を下ろした明日光。

 目の前を白いブラウスに赤色のネクタイとスカート姿は恐らく『聖タチバナ学園』の制服を纏っていて、水色に染まった髪にぱっちり大きな緑色の目をした女生徒にはどこか見覚えがあった。

「……」

 明日光は記憶を辿る。すると、そんな遠い過去の思い出では無かった。

 そう、それは確か去年の十一月頃。双子の妹の未来が部活に行ったものの野球用具を忘れたのを届けに行ったあの日だと言う事を思い出す。

 おまけに水色髪の女生徒に思いっきり突き飛ばされた事もついでに思い出した。

「あーー、もう!!ㅤ折角、『おじいちゃん』の目を盗めたのにこんなに時間経っちゃってるじゃないのよ!!」

「いえいえ、どちらかと言えば。みずきさんが寄り道した『パワフルレストラン』でプリンを沢山食べたからですよ!!」

「いやいや、あそこはプリンだけじゃないで。おにぎりもめっちゃくちゃ美味いねん!!」

「いいえ、プリンやおにぎりよりも筋トレ後のプロテインが格別だ」

 よく見てみると女生徒の後方には、三つの人影が見えた。

 まず一人は、金髪の細身で何故か薔薇を手に持つ爽やか風な青年と関西弁で話すピンと立つ髪型が特徴の可愛らしい青年、ガッチリとした大きな体が特徴の漢らしい青年の三人がまるでSPの様に周りを警戒する様に女生徒を囲んで走っていた。

「……」

 あっという間に四人組みが明日光の目の前を通り抜けると、まるで嵐が去ったかの様にその場は一気に静かになった。

「……」

 一体何だったのか。ポカンと、目を点にして座ったままの明日光は座ったまま動けずにいた。

 

 

「ストライクーッ!! バッターアウトッ!!」

 剛腕が唸る。

 あかつき大附属の五番の蟹川を筆頭に、六番、七番と圧巻の三者連続の三球三振に切り伏せた小波だ。

 さらに調子を上げて来たのかキレの鋭いストレートにはスピードも増して居た。

「よっしゃァァ!! 小波ッ!! ナイスピッチングだぜ!!」

 星は悔しがる乙下の後ろ姿を横目に、ニヤリと口角を上げて嬉しがっていた。

「この調子なら追いつけるかもしれねェな。あかつきの奴らをギャフンと言わせてやろうぜ!!」

 ははは、と高笑いをする星。

 だが、隣を歩く小波からは返事は無かった。

 次の回は小波から打席が始まる為か集中しているのかもしれないと、星は何も言わずにベンチに引き下がって行く。

 そして、小波は無言のままヘルメットを被り、バットを手に握りしめて少し蹌踉めく足取りでネクストバッターズサークルへも歩き出した。

「おいおい。大丈夫かァ? 小波の野郎」

「今にも倒れそうでやんす」

 と、星と矢部は心配そうに言う。

 その横では、早川あおいも二人と同様に同じ表情を浮かべていた。

(球太くん……)

 

 

 

 

 身体が彼方此方で悲鳴を上げている。

 今は、その場凌ぎで感覚の無い右腕をなんとか『超集中』で如何にかやり過ごせては居るが、もうそんなには長くは保てないだろう。

 四つ目のストレートを投げたとしても残りの五イニングを投げ切れるかどうかは正直に言えば怪しい。

 取り敢えずチームに勢いを着けたい所だ。如何にかして猪狩から点を奪うしか無い。

 

 

 

 

『五回の表、恋恋高校の攻撃。四番・ピッチャー小波くん』

 ウグイス嬢のアナウンスを聞き、重たい足取りでネクストバッターズサークルから右のバッターボックスへと入る小波。

「……、」

 薄らに開く目の前に映ったのは全てぐにゃくにゃと歪んでいた。それは決して陽炎なんかでは無かった。

 ハッキリしない焦点で眼前に立つ猪狩を捉える。

 この試合、猪狩との二回目の対決。

 一度目の勝負はピッチャーフライで猪狩の方に軍配が上がり流れはあかつき大附属に流れているものの、小波のピッチングで流れは止まった。

 つまり、この勝負で試合の流れが変わる。

「勝負だ、猪狩」

 か細い声。誰にも聞こえない言葉を吐いて小波はバットを握り締める。

 

 猪狩対小波の二度目の対決のまず一球目。

 振り被って左腕から放たれた百四十八キロの『ライジング・ショット』がど真ん中に捻じ込まれた。

「ストライクーーッ!!」

 気持ちの篭った良い球だ。

 と、小波は嬉しそうに笑う。

 今の現状を理解しても同情心など一切見せずに、手を抜かないで渾身のストレートを投げ込んで来た猪狩に向かって微笑んだ。

 二球目を投じる。

ㅤまたも『ライジング・ショット』を放つ。

 小波も食らいつく様にバットを振り抜いたが——。

 

 

 

「あっ……」

 ベンチから勝負の行方を見守っていた早川あおいが思わず息が溢れ落ちた。

 スイングした小波はバランスを崩してバッターボックスの上に倒れてしまったのだ。

「おいおい、どうしちまったんだァ? 小波の野郎。勢いつけて転んじまったぞ?」

「小波くんらしくないでやんすね」

「それにしても今のスイングは、あまりにも小波らしくねェスイングだったよな。明らかに遅れてスイングしてたって言うか……。あいつ、まさか本当に熱中症なんじゃねェだろうな? あははっ!!」

 と、星は呑気に笑いながら言う。

ㅤすると。

「違うよッ!! 球太くんは熱中症なんかじゃないよッ!!」

 ドンッ!!

 ベンチの椅子を掌で強く叩き、怒りを露わに強力的な大声で早川あおいは星に向けて叫んだ。

 青色な大きな目からは大粒の涙が頬を伝っていた。

「えっ……!? いきなりどうしたんだよ、早川」

 ポロリ。

 ポロリと、涙が流れる。

「球太くんは、球太くんは……右肩を壊してるんだよ。痛みに堪えて、必死になってくれてるんだよッ!! ボク達を甲子園に連れて行く為に……」

 もう抑えきれなかった。

 この試合中、何度も見た。疲れ果てて倒れそうな小波の姿に我慢をして来た早川あおいの目からは涙が溢れんだかりに流れて落ちて行く。

「オイ。早川、テメェ……今、なんて言ったァ? 小波の野郎が……何だって?」

「こ、小波くんが右肩を壊してるってどう言う事でやんすか!!」

 早川の言葉に、恋恋高校のベンチに居る全員がピタッと動きを止めて早川を見た。

 小波の事は、加藤理香と早川あおいを除いて誰も知らなかった事だった。

「球太くんは……、この試合で自分の野球人生を終わらせるつもりなんだよッ!! 球太くんのボク達を甲子園に連れて行く『夢』を叶える為に……」

「バカやろうがッッッ!! ふざけた事言ってんじゃねェよッ!! 野球人生を終わらせる、だと? 『夢』を叶える? 笑えねェ冗談なんか言うんじゃねェ!!」

 星も同じくらい叫んだ。

 一体、何がどうなっているのかその真相も分からないまま。

 星は早川を歯を食いしばり強く睨みつけ、

 早川は星を涙を流し睨みつけていた。

「星くん、落ち着きなさい。早川さんの言っている事は全て本当の事よ」

 二人の間に加藤理香が割り込む様に入った。

「加藤先生まで何言ってんだよ!! 見てりゃ分かるだろ!? 小波の野郎はしっかりボールを投げれてる!! 現に『四つ目のストレート』で立ち直ってあかつき打線を捻じ伏せてる!! いつも通り普通の事じゃねェかよ!!」

 依然として加藤理香と早川あおいの複雑な表情は変わらなかった。

 訳が分からねェよ。

 散々に喚き散らし、息を切らして怒りを抑えきれずに星は金髪に染まった髪をぐしゃぐしゃに掻き乱し、ベンチに座った。

 そして。

「皆には、もう伝えた方が良いわね」

 と、静かに加藤理香は皆に告げた。

 小波球太の今までの事。右肩の爆弾の事を夢を叶えようとする為の理由を全て包み隠さずに。

 

 

 

 

 

 カウントはツーストライク・ワンボール。

 追い込まれた小波と、

 追い詰めた猪狩。

 この勝負は誰がどう見ても猪狩の方が押している、と球場内にいる数名を除いてそう確信していた。

 しかし、当の本人である猪狩守は自分の方が優勢だと言う感情は全く無かった。

 満身創痍ながらもピリピリと肌を刺す様な威圧感が目の前にバットを構える小波から伝わってくる。

 この空気に呑まれたら命取りだ。と言わんばかりに猪狩にも僅かな緊張が過ぎる。

 対する四球目。

 猪狩守は、再び『ライジング・ショット』を放り込んだ。

 リズム、フォーム、指に掛かる感触。ありとあらゆる感触がこの試合で一番と言うベストピッチングの一球を目の前の小波を三振で斬り伏せられるイメージさえも完璧だった。

 

 

 だが、

 

 それはあくまでイメージであり。

 現実に一瞬にして戻されたのである。

 

 キィィィィィィン!!

 

「——ッ!!」

 猪狩は目を見開いて、打球の行方を目で追った。快音を響かせた打球は、ライトを守る獅子頭の頭上を超えてフェンスにダイレクトに直撃する。

 此処まで恋恋高校を完璧に押さえ込んでいた左腕が、この試合初めて安打を許してしまう。

「くっ!!」

 獅子頭が打球を追う。

 フェンスに当たって跳ね返った打球はイレギュラーのバウンドでライト戦のファールゾーンへと転がる。

「獅子頭ッ!! 急げッ!! 小波は三塁を狙うぞッ!!」

 猪狩は空かさず三塁の後方へカバーに入ると、小波は覚束ない足取りで二塁を蹴り上げて三塁へと目掛けて足を進ませる。

 獅子頭からセカンドの蠍崎へ、そしてサードの天秤へとボールが送球されたが、小波は既に三塁ベース上に立っていた。

 

 ワァァァァァァァァァァァァァ!!!!

 

 沸き起こる歓声は怒号の様に球場内を大きく揺らす。

 まさに恋恋高校の反撃の狼煙とでも言うかのように声援が鳴り響く。

 

「五番 レフト 山吹くん」

 

ノーアウト、三塁。この試合初めてチャンスの場面が訪れた。

(はぁ……はぁ……。俺がホームに帰れば流れは変わる。絶対に、生還してやる……。頼むぞ、山吹)

 三塁ベース上に立つ小波も『決勝戦は此処からだ』と強く思いリードを取る。

 

 

 

 

(頼むぞ……山……吹……、)

 

 

 

 

 

 

 突如。

 小波の視界は目の前が真っ白になった。

 

 

 

 

 次の瞬間——。

 

 

 

 

 

「アウトッ!!」

 ハッと目を開ける。

 後ろから大きな叫ぶ声で三塁塁審が右手を高々に挙げてジェスチャーをしていた。

 小波は我に帰ると、猪狩が身体を此方に向けていて、身体の左側に何やら押し付けられている様な感覚を感じた。

 革製のグローブ。

 中には薄汚れた硬式球を包んでいた。

 小波は何が起きたのかが直ぐに分かった。

 そう、牽制死だ。

 リードを取った一瞬、目の前が真っ白になったのは恐らく気を失ったのだろう。そこを瞬時に見抜いた猪狩が牽制で刺したのだ。

「——ッ!!」

 ズキッ!!

 小波は、胸の奥が抉られる様な痛みを感じた。

 折角、掴んだチャンスを自らの手で台無しにしてしまったのだ。

 こんな大事な試合で、羅しからぬミスで。

 

 

 

 ベンチに戻る小波の足取りは重たかった。

 どの面を下げてベンチに戻ればいいのか、正直に言えば初めてと言ってもいいだろう。

 既に小波の『心は折れかけていた』。

 右肩の爆弾で感覚を無くし、体力も既に底をついていて、オマケに取り返しのつかないミスまで犯して、考えれば考える程、負の感情が渦巻く様に身体中に蠢いている。

「……皆、ごめん」

 ベンチに戻り、ヘルメットを外して小波は覇気のないボソッとした言葉で謝りの言葉を述べる。

 シン、と静まる恋恋ベンチ。

 反応はなかった……が、一人。

 ガシッと小波の胸元を強く握り締めて、星雄大は眉間に皺を寄せて小波は引きずられるようにダグアウトの後方へと追いやった。

「——ッ!!」

 星が顔を真っ赤にして怒っているのも仕方がない。つまらない事でチャンスを潰してしまった俺の事を思う存分に攻めて欲しい気分だった。

「小波、テメェ!! テメェは一体どう言うつもりだァ!! 『右肩の爆弾』の事、何でずっと俺たちに黙ってたんだよッ!!」

 しかし、飛び込んど来た言葉は思いもよらぬ言葉だった。

「み、右肩の爆弾……って、どうしてお前がその事を知ってるんだ……」

「加藤先生と早川から全部聞いた!! テメェの『夢』の事も何もかもだッ!! 何でお前が野球人生を終わらねェといけねェンだよッ!!」

 胸ぐらを掴む星の手が徐々に強くなるのを感じると同時に、震えているのも分かった。

「俺は……」

 と、小波は呟くと言葉を止める。

 真っ直ぐに睨みつける星から目を背けたが、ギュッと唇を一回噛み締めて声を震わせながら続けた。

「見てみたいんだよ……。早川が甲子園のマウンドに上がって投げる姿を、お前達が甲子園のグラウンドで楽しそうに野球をしている姿を……お前達が恋恋高校で野球をやっていて良かったって、野球を好きで良かったって俺はこれからもずっとお前らに思っていて欲しいんだよ!! どんな事になろうとも怪我を悪化させて、もう二度と野球が出来なくなったとしても……例え、甲子園の舞台に俺が居なくても構わねえッ!! だから俺はお前達を絶対に甲子園に連れて行くってとうの昔に決めたんだよッ!!」

 そう。

 甲子園に連れて行きたいと最初に強く思ったのは、早川あおいの出場が高野連に認められた時だった。

 日を重ね、好敵手達との試合を重ね続けて行くうちにその思いは日に日に強くなっていた。

 プロ野球選手になるのを諦めた誰にも譲れない小波球太のたった一つの『夢』なのだ。

 そんな事をお構いなしに、星は手を震わせたまま目に大粒の水滴を溜めて……ぶちまけた。

「ふざけンじゃねェよッ!! テメェだって俺達と同じで恋恋高校野球部の大切な一員なんだよッ!! キャプテンであるテメェが一緒に甲子園の舞台に居ねェンだったら、俺たちは一ミリたりとも甲子園に行っても嬉しくもなんとも思わねェんだよッ!! お前も一緒じゃなきゃここ迄、一緒に汗水流して頑張って来た意味なんて何一つねェだろうがッ!! 怪我を悪化させて野球が出来なくても構わねェだとォ!? 本当に……、いい加減にしやがれッ!! いつまでも詰まらねェふざけた意地張ってンじゃねェぞッ!!」

ㅤと、星は息を強く吸い込んで。

 力一杯に、小波に向けて放った。

「いいか? テメェが俺達を甲子園に連れて行くって寝惚けた事を言うンだったらなァ!! 『俺達がテメェを否が応でも甲子園に一緒に連れて行ってやるよッ!!』」

「星……お前」

 その星の後ろで、瓶底眼鏡から滝の様に大量に涙を流す坊主頭の矢部が立っていた。

「オイラ……。小波くんに出会えて良かったでやんす。出会えてなかったら……オイラは、きっと此処まで野球を好きになって居なかったと思うでやんす。それに悪道くんとも夜な夜な特訓とか出来ていなかったと思うでやんす。だから、オイラは小波くんに感謝してるんでやんすよ。だから、オイラ達と一緒に甲子園に行こうでやんす!」

「矢部くん……」

 今、思えば二年前の春。

 この二人の夢から始まった。

 矢部と星の『モテモテライフ』を目指す為に作られた野球愛好会が、甲子園を決める決勝戦の試合まで勝ち進んでいる。

 この二人が居たからこそ小波も早川ももう一度離れていた野球を始める事が出来た。

 

 

「ありがとう」

 

 

 二人には幾ら礼を言っても足りない位だ。

 

 ——、そうだ。

 

 まだ何もかも終わった訳じゃない。

 まだ試合に負けた訳じゃない。

 

 こんな所で挫けるな、小波球太。

 

 

ㅤ未だ、俺は『夢』を叶えちゃいないんだ。

 

 

「皆、ごめん」

 だからこそ、俺は謝らなければならない。

 俺は一人で野球をしてる訳じゃない。

 此処に居る皆で、野球をしているんだ。

「色々、勝手な事ばかりやってて自分勝手なキャプテンだけどさ。最後に一つだけ我儘な事言わせてくれ」

 全員が俺のことを見ている。

 さっきまでとは違う。温かい目で。

 このチームに居て良かった。

「俺と一緒に甲子園に行こう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺と甲子園に行こう!!」

 と、言う球太くんの顔はいつにも増して生き生きしている様に見えた。

 全く、随分と勝手なんだから。

 どれだけボクが心配したと思ってるのなんて球太くんは知らないんだろうな。

 

 バカ!!

 

 バカ!!

 

 バカ!!

 

 ほんとに大馬鹿者だよ、キミは……。

 でも、どうしてだろう……。

 ボクはいつか球太くんがこういう事になるんじゃないかって、心の奥の何処かでは分かってた気がする……。

 署名を集めていた時もそう……。

 そうなんだよね……。

 何となく……、

 分かっていた気がする……。

 右肩に爆弾を抱えて、もう投げられなくなるのが分かっているのに……。

 いつも自分勝手で、

 何でもかんでも全てお見通しな顔で、

 自分を犠牲にしてまで相手の為なら何処までも本気になっちゃうのが『球太くん』なんだもんね。

 

 ドクン。

 

 あ……。

 そうか……。

 そうだったんだね。

 やっぱり『そう』なんだよね?

 

 

 

 そう言うキミだからこそ、

 そんなキミだからこそ、

 ボクはきっと……。

 

 

 

 キミのことを好きになったんだね……。

 

 


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