実況パワフルプロ野球‎⁦‪-Once Again,Chase The Dream You Gave Up-   作:kyon99

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第60話 Plan 3rd R.

「勝負だッ!! 小波ィ!!」

 叫び声を上げ、太郎丸が投げ込む。

 その瞬間、

 太郎丸龍聖は『金色めいた光』に身を包まれた。

 七回の表の小波球太のピッチングと同様、全く同じモノだった。

 

ㅤズバァァァァァァァァァン!!

 

 それは、まるで銃声のようだった。

 圧倒されたストレートの前に、小波はバットを動かす事すら出来ずに見送る。

 全ての音を掻き消さんばかりに響き渡った名島の捕球音。たった今、太郎丸龍聖の放ったストレートに誰もが言葉を失った。

「ストライクーーーッ!!」

 球審のコールさえも響くほど静寂に包まれた球場内が、一気に活気に満たされる。

 その理由は、一つ。

 バックスクリーンに表示された球速を示す電光掲示板には、『162キロ』が記録されていたからだった。

 

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーッ!! 何だぁ!?ㅤ今の兄貴の球はッ!?」

 抑えきれない感情が爆発した。

 思わずバッとその場から立ち上がり、周り構わぬ大声を上げて喜びを露わにした太郎丸大海は、無垢な少年と言わんばかりの爛爛とした眼でマウンドに立つ兄を見つめていた。

「龍聖兄ちゃん、凄えッ!!」

 太郎丸家の三男である太郎丸世那も流石兄弟と言っても良い程、同じリアクションだった。

「……、」

 しかし、その隣。

 この兄弟に今日初めて会ったばかりである明日光は他人のフリでもするかの様に手に持っている小説を黙読していた。

「どうだ、明日光!! 俺達の兄貴って凄いピッチャーだろ!!」

 興味が無かろうともお構い無しに太郎丸大海が得意げにニヤリと笑う。

 顔は満足げであり、芳香を嗅ぐ様に鼻孔が広がっていた。

「……、」

 だが、光は顔の表情一つ変えずに、読んでいる小説を止める事は無かった。

 この根暗野郎め。

 たかが数時間程度の付き合いではあるが、太郎丸大海も明日光と言う人間の性格を大体は理解してきた様だ。

 半ば呆れながらも会話を続ける。

「あのな? もしもの話。自分の兄弟に置き換えてみろよ。百六十二キロのストレートを投げるんだぜ? 俺みたいなリアクションになるだろ?」

 大海の言葉を聞き、光は自分の双子の妹である明日未来が、百六十二キロを放り投げる姿を想像してみた。

「……別に。もし、そうなったら逆に恐ろしい位だよ」

 ビジョンが脳裏を過ぎる。その姿は、余りにも馬鹿げていて引きつりながら笑う光。

「ん? その様子だとお前も兄弟が居たりするのか?」

「……うん。妹がね。僕ら双子なんだ」

「へぇ〜。そいつはもしかして、双子だけあってお前と同じ顔だったりするのか?」

「……似てるってよく言われるよ」

「だろうな」

 だろうな?

 光は思わず首を傾げ、太郎丸大海の視線はやや斜め上に向けられていたの気付くと、辿る様にまだ追っていくと、そこに居たのは勿論。

「あれ〜? 私に似てる人が居ると思えば光じゃないですか〜」

 見慣れた赤毛、鏡合わせでもした様な顔立ち、青い瞳、キラッと光る白い八重歯は、紛う事なき双子の妹、明日未来だった。

 未来の後ろに二人の影、よく見て見ると光からして見れば見知った顔が見えていた。

 一人目は風に靡く黒髪に顔の整った甘いマスク、大きな紫眼が特徴的な光と未来の同級生である鈴本大輔と、二人目は少し小柄な茶髪のショートカットに赤色のカチューシャを付け、薄緑色の瞳をした女の子だった。

「……」

「あ、やっぱり光だったよ〜。ほらね、大輔くん。私の言った通りだったでしょ〜?」

「……?」

「未来ちゃんがさ、あそこに居るのは光なんじゃないかって、急に椅子から飛び出して行くんだからびっくりしちゃったよ。まぁ、人違いじゃ無くて良かったけど」

 ほっと胸を撫で下ろす。爽やかなイケメンにして、爽やかな声で鈴本大輔は苦笑いを浮かべていた。

「光くん、こんにちわ! 光くんも野球を見に来てたんだね」

 ニコッと、光の顔を見て笑う女の子。

「……こんにちわ。藤乃さん」

 光は、笑顔で返さずに手短にコクリと会釈した。だが、藤乃さんと呼ばれた女の子は少し残念そうな顔を浮かべる。

 彼女の名前は、藤乃なつき。光や未来、鈴本大輔と共に西満涙中学に通う同級生だ。

 藤乃なつきは、現在西満涙中学の野球部のマネージャーをしていて、未来が土日の部活動の祭にユニフォーム以外の野球道具を一式忘れる事が多々あり、何度も届けに行っている為、一応、顔見知りではあるのだ。一応。

「なつきんの言う通り、光が野球の試合観戦なんて珍しいね〜。そう言えば、そのお隣さんは一体誰なの〜?」

 と、未来はヒョイと顔を覗かせて、太郎丸大海と世那をジッと見つめてる。

 自己紹介は、未だだった。

「僕は、鈴本大輔」と、コクリと会釈。

「藤乃なつきです」と、ニコリと笑い。

「そして、そして、そして〜!! 私は明日未来だよ〜。光の双子の妹なのです。どうぞよろしくね〜」

 右目を閉じ、左目を開き、今にも星の欠片でも飛び出しそうなウインクをした状態で顔の前でピースサイン広げながら未来が言う。

 どこぞの幼女向けのテレビアニメのキャラクターを真似てるのだろう。

「……、」

 ぽーっと、顔が赤くなるのを感じた光は、未来の恥ずかしい自己紹介ぶりに、今すぐにでも他人のフリをしてこの場から立ち去ってでも、読みかけである小説を読了したいと言う気持ちを抑えながら太郎丸大海と世那の二人に顔を向いて紹介しようとした。

「あ……えっと、この人は――、」

「俺は、太郎丸大海。西強中学の三年だ。よろしく頼むぜ」

 紹介しようとした。……のだが、光の言葉は太郎丸大海に遮られてしまう。

「西強中学!?」

「へぇ〜、西強中学なんだ〜」

 真っ先に反応したのは鈴本大輔で、その三秒後に未来が反応した。

 そんな有名な学校なのか、と光は訳もわからず首を傾げていた。

「西強中学は、毎年全国大会に出場してるチームで、去年の全国大会では惜しくも準優勝と言う結果を残した西地方屈指の強豪校なのよ」

「……そうなんだ。教えてくれてどうもありがとう、藤乃さん」

 野球事情を何一つ知らない光の為に、藤乃なつきが優しく簡潔的に説明してくれた。

「……て、くれるかしら?」

 一通り自己紹介が終えた時だった。

 後方から、小さな女性の声が聞こえた。

 応援席に腰を降ろしている太郎丸大海、世那、光。

 そして、通路階段に立っている鈴本大輔、明日未来、藤乃なつきは、その小さな声を発した女性の方へと顔を向ける。

 そこに居たのは、膝下にA4サイズのノートを広げ、透き通るほど綺麗な栗色に染まった長髪に、少し気の強そうなキリッとした瞳を浮かべた女子高校生だった。

 女子高校生と言えば正しいが、年頃の女性と言うよりか大人の醸し出す独特の凛々しさが際立って、大学生の姉さん系の方が正しいのでは無いだろうかと思ってしまうほど、その女性は大人びていた。

ㅤそして、何よりも気になり、何よりも一番目のやり場に困ったのは、夏の指定服に身を包んで隠されていても分かる程の自己主張の激しい胸だ。推測は『D』。

 太郎丸大海と鈴本大輔はそっと目線を逸らし、小学生である三男坊の世那にはかなり刺激が強すぎる為、目元を大海の手のひらで覆うように隠され、光は気にする事なく本を読み続けていた。

「……ッ!?」「デカイ!! 私やひじりんの比になんかならない位、かなり……大きい!?」

 だが、女性陣(二人ともB)( ・・・・・ )の反応は違っていた。

 その女性の胸に目が移り、その大きさに自分の貧相な胸と比べて驚愕の表情を浮かべたのは、藤乃なつきと明日未来だった。

「ごめんなさいね。少し静かにして貰えるかしら?」

 と、その女性は静かに囁くように優しい口調で微笑んでくれた。

「他の人たちにも迷惑になるでしょ? それに私の連れが怒る前に、ね」

 と、クスッと笑いながら女性が言うともう一人の女性が少しムッと両頬を膨らませている。

 美女だった。

 見るからに有名人と言わんばりのキラキラとした有名人オーラを放つ金髪の美女は、真っ黒のサングラスで目元を隠し、日焼け防止の日傘を刺しているところからして、お嬢様なのは間違いはない。

 またしても女性陣(二人ともB)の視線は自然と胸に行く。

 栗色の女性とは違い、胸の部分がペタンと貧相だったのを確認すると明日未来と藤乃なつきは安堵した表情を浮かべる。

 こんなにも美女なのに胸まで大きくてたまるもんか、と二人は心の中で呟き、二人の心の中ではお互いにハイタッチでも交わしているだろう。

「あのね、巫祈さん。その言い方は余りにも失礼じゃなくて? 私は、ただ貴女の『データ収集』の妨げになりそうだと思ったから注意したらと軽く言っただけですわよ?」

「心配しなくとも今日の試合は、相当面白いデータばかり集まっているわ。小波くんの『怪童』( 、、 )、太郎丸くんは『速球プライド』( 、、、、、、 )とそれぞれ『貴重』な『超特殊能力』を開放したのだからね」

 怪童?

 速球プライド?

 貴重な?

 超特殊能力?

 書き慣れない単語に思わず、その場にいる六人は、頭にクエスチョンマークを並べて黙ったままだった。

 呆気に取られているそんな事は気にも留めずに、金髪の美女は不適に笑い、真っ黒のサングラス越しからグラウンドの太郎丸と小波を見据えて、桃色に染まり僅かに揺れる唇でポツリと囁いた。

「『能力解放』とは中々面白いじゃありませんの。これから楽しくなりそうね。今後の野球界も」

 

 

 

 カウントはワンストライク・ワンバール。

 今さっきの百六十二キロのストレートをただ見送る事しか出来なかった小波は笑っていた。

「なぁ、小波」

 突然。

 名島が呼びかける。

「どうした、名島」

「お前には感謝してるぜ」

「……?」

「この試合で龍聖は更なる高みに登り詰める事が出来た。お前のおかげでな」

 名島は心から思う言葉を言った。

 日頃から口癖のように名島一誠は太郎丸龍聖から『最高な戦いがしたい』、『限界を超えたい』と聞かされていた。

 そして、今日、この試合の中で殻を打ち破る様に限界を超えることが出来たのは、小波が太郎丸の気持ちを最大限に引き出すほどの強い相手だからこそであり、負けない気持ちをぶつける事で『アンユージュアル・ハイ・ストレート』を超える『アンユージュアル・エクシード・ストレート』を投げられたのだと、重ねて伝える。

「それは、違うな」

 小波は首を横に振った。

「……?」

「別に、俺は特別な事は何もしてないし。お前達に感謝される様な覚えは無いけどな」

 と、バットをグッと強く握りしめる。

「けど、限界を超えられたのは、それはきっとお前達の日々努力のお陰だ。その強い想いをずっと抱いて頑張ってきた結果だろ。感謝なんていらねえよ」

「小波」

「楽しもうぜ。戦いを、お前たちみたいな好敵手が相手なんだ、寧ろ燃えてくるじゃねえのかよ!!」

 そして、三球目。

 太郎丸の百六十二キロを記録した『アンユージュアル・エクシード・ストレート』を、小波はバットに当たるが、後方のバックネットに飛んでいく。

 カウント、ツーストライク・ワンボール。

「ちくしょう、相変わらず良い球を投げやがるな」

 その表情に前に打ち返さなかった悔しさなんてモノは無く、ただ少年の様に勝負を楽しんでいる小波の姿があった。

「小波……、お前と言うヤツは、何処までも楽しませてくれるな」

(なぁ、龍聖。お前も楽しんでるんだろ?)

 視線の先、サインを待つ太郎丸も小波と同じ勝負を楽しんでいる野球少年のみたいな顔をしていた。

「行くぜ、小波ィ!!」

 と、マウンド上で太郎丸が咆哮を上げる。

「来い、太郎丸ッ!!」

 と、小波はバットを振り抜く——。

 

 腕を振り抜く。

 太郎丸は、再度、『金色めいた光』を見に纏う。

 

 ズバァァァァァァァァァン!!!!

 

 小波のバットは空を切り、

「ストライクーーーーーッ!! バッターーアウトッ!!」

 空振りの三振に仕留められた。

 球速表示は、最速の『163キロ』を記録していた。

 

 

 

 

 

 

「また百六十三キロだと!? おいおい、一体どこまで速くなるつもりなんだ? あの化け物のストレートは!!」

「流石に、今の太郎丸の投げたストレートも球太の『超集中』でさえ見定められないのか……」

 恋恋高校の応援席にて塚口遊助と高柳春海の二人は、タクシーに突如急ブレーキを掛けられた様に驚いていた。

「……、」

 そして、矢中智紀は内心に小さな波が立っていたものの、無言のまま食い入る様に太郎丸を見つめていた。

「やっぱり、智紀の目から見ても、今の球は言葉を失うくらいに凄い球だったよな?」

「ああ、同じピッチャーでも速いストレートを投げれるのは羨ましい限りだよ。太郎丸くんや小波くん、猪狩くんみたいな速球派ピッチャーは特にね」

 グッと、強く手を重ねる。

 低身長に悩まされアンダースローを極めてきた矢中にとって、オーバースローで豪快に速いストレートを投げれると言うのは、ある種の嫉妬を覚えてしまうほどまで憧れていた部分がある様だ。

「ってか、今の太郎丸を見て思ったんだが」

 と、塚口遊助が話を逸らす様に口を開く。

「投げる瞬間に『金色』みたいな何かが見えなかったか? えっと……、なんて言えばいいんだ? 見に纏うような……? ああーーッ、何が言いたいのか分かんねェよ!!」

 頭の中に浮かんでいた疑問を問い、それを言っている最中に自分で何を言っているのか分からなくなった様子だった。

「まぁ、遊助の言った『金色めいた光』は俺にも見えたけど、それはさっきの小波くんのピッチングの時も同じ様なモノが見えた気がするよ」

「小波のピッチング!? ああ、前の回に名島を三振に仕留めた時のアレか」

 と、七回表の名島の打席を思い出す。

「理由はどうあれ、少なからずその『金色めいた光』は、プレーにかなりの影響を与えていると見ても良いだろうね」

「やっぱり智紀でも知らねえよな。こうなるんだったら神島を連れてくれば良かったぜ」

「神島……って、さっき会話にも出てきたけど誰なんだ?」

 高柳は今日二度目の『神島』と言う名前についつい反応してしまう。

 きらめき高校と球八高校は意外にも練習試合や公式戦などの接点が無かった為、知らないのも無理はないのだ。

「ああ、神島巫祈。ウチのマネージャーなんだけど、データ収集が得意でな。俺達の能力を分析してくれて、苦手コースの割り出したり、練習メニューを作ってくれたりしてくれたんだ。そう言うのに秀でてるから、『金色の何か』について何か知ってそうな気がするんだけど……」

 こうなったら。

 と、塚口はポケットからスマートフォンを取り出して電話帳を開いてか行をタップして『神島巫祈(マネージャー)』を開いて電話を掛け出した。

「直接、本人に聞いてみるしかねえだろ。……っと、もしもし神島? 塚口だけ——」

 ブチッ!!

「……」

 矢中も高柳も耳にする。

 塚口の掛けた電話は秒で切られてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

ㅤ小波が空振りの三振に倒れ、攻守交代。

 試合も終盤、八回表の山ノ宮の攻撃を迎えようとしていた。

 スコアは、一対〇。恋恋高校がリードしている状況だ。

 尚、山の宮高校は未だ塁上に誰一人ランナーとして出塁して居ない。言葉通りパーフェクトピッチングを継続している小波である。

「残り二回で、後六人か。コイツは気を引き締めていかねェとだな」

 星はキャッチャーマスクを片手に、完全試合を前にしてらしくもない緊張した様子のようだ。

「どうか、オイラの所に打球が来ませんように、打球が来ませんように、打球が来ませんように、と祈るでやんす」

 手を合わせて神頼みをしている矢部も同様だった。

 いや、今から守備に着こうとしている他のナイン達も顔を強張らせて動きも少し硬い。

 それもその筈だ。緊迫する準決勝、オマケに完全試合と言う大記録を達成目前と迫っている中、決して意識をしない筈は無い。

 寧ろ、観客席に座っている人たちは心待ちにして居る筈だ。

 何せ、前の試合に行われた別ブロックの準決勝戦にてあかつき大附属のエースにしてキャプテンである猪狩守が完全試合を果たした為、二試合連続で完全試合が見られるのでは無いか、と言う期待も込められている。

 山の宮高校以外、観客全て、恋恋高校の全員が小波球太が打ち立てようとする瞬間を待ち望んでいるのだ。

 だが、当の本人は気にしていなかった。

 ヘルメットを置き、フェイスタオルで汗を拭う。緊張の欠片も無い、いつも通りの表情をしていた。

「この試合勝てば決勝戦なんだ。もう少し気楽に行こうぜ」

「気楽にって……。小波、テメェはもう少し緊張感って言うのを持ちやがれッ!! 完全試合目前なんだぞ? どれだけ凄い事かって事くらい分かってンのか!?」

「完全試合って言っても、そんなのただの記録だろ? 俺から言わせればそんなのどうでも良いんだけどな」

「どうでも良いって、お前な!! 山の宮相手に完全試合達成したらプロのスカウトもきっと黙ってねェぞ!!」

ㅤ小波はグローブを手に填めて「はいはい」と左手をぷらぷらと左右に振りながらゆっくりとマウンドへと向かって行く。

「チッ。本当に分かってるンだろうな、テメェは!!」

 星はその後ろを舌打ちを鳴らしてドカドカと足音を立てながら着いて行く。

「小波さん、いつも通りですね。流石、キャプテンと言うべきでしょうか」

 と、七瀬はるかは鼻歌交じりでベンチ上に適当に置かれた一人一人のフェイスタオルを集め、氷と水が入れてあるバケツにゆっくり浸し、取り出してギュッと色白い小さくて細い手で強く絞りながら賞嘆していた。

「……うん、そう、だね」

 早川あおいは返答するものの歯切れが悪い返事だった。

「あおい? どうかした?」

「えっ? 何が? ボクは別に平気だし、どうもしてないよ?」

 と、笑顔で七瀬に顔を向ける。

 きっとこの笑顔は無理して作っているのだと早川自身は気付いていた。

 星の打席、小波を呼びに行こうと更衣室の前に辿り着いた時に、加藤理香と小波球太の会話を早川あおいは聞いてしまったからだ。

 小波球太が、プロ野球選手になりたいと言う『夢』を諦めてまでも甲子園に連れて行こうとして居る事を。

 小波球太が更衣室を出てベンチに戻っていく、その瞬間、早川あおいは声を掛けようとしたのだが、監督である加藤理香に気付かれて口止めをされた。

 決してこの事は他のみんなには悟られてはいけない、と。

 小波球太がやろうとしている事は、星や矢部、七瀬や他の部員達が聞いたら驚くだけじゃ済まされないと予測出来るからだ。

 自分ではどうしようも出来ない。

 何もしてあげられない無力さに辛くて悲しい、小波の夢を捨ててまで成し遂げようとしている身勝手さに最早怒りさえも込み上げていて、どうにかなりそうな位にありとあらゆる複雑な感情がぐにゃぐにゃに折り重なりあって混ざっている。

 でも、いつかは……。

 でも、いつかはこう言うことになるのでは無いかと、早川あおいは懸念をしていた。

 公式戦での早川あおいの女性選手出場問題で出場停止を高野連から突き付けられた時でもそうだった。

 去年の真夏の中、一人勝手に何も言わずに何百人以上の署名を集めていた事を思い出していた。

 責任感が強く、周りを大切に想う故、自分を犠牲にしてまで何でもやり通そうとするのが、小波球太である事はとっくにお見通しだった。

「良かった。さっき、小波さんを呼びに行って戻って来てから、あおい、ずっと暗い顔をしてるから心配だったの」

「……ごめんね、はるか。ボクの方は全然大丈夫だから心配しなくても良いよ」

 早川は再び笑顔で七瀬を見る。

 その顔は、心配をかけまいと友を思う本当の笑顔だった。

 

『八回の表、山の宮高校の攻撃、四番・センター坂上くん』

 アナウンスと共に、先頭打者である坂上が左バッターボックスに入り、小波を強く睨みつけている。

 第一球目。

「——ッ!!」

ㅤ百五十八キロのストレートは、低めに決まるがボール球だった。

 二球目。

 高めのボール球。

 三球目。

 またしても高めのボール球。

 ノーストライク、スリーボールになると球場が一気に騒めき始める。

 ここまでパーフェクトピッチングをして来た小波が初めてランナーを出すかもしれない状況だからだ。

「小波ィ!?」

 困惑した声色で、星が叫ぶ。

 下唇をギュッと噛み締めていた小波はニヤリと笑みを浮かべる。

 ザッ、と足を上げて、右腕を振り抜く。

 マウンド上からでも伝わる不自然な違和感を払拭するかの様に、小波は逆サイドへのボール球を投げ込んだ。

「ボール、フォア!!」

 球審の声に、騒めきていた球場内は一気に落胆へと変わる。

「小波、テメェ!!」

 空かさず、星がマウンドへと駆け寄ってきた。励ましでも心配でもない。眉間に皴を寄せた強張った顔だった。

「今の四球はワザとだな!! もう少しで完全試合だったって言うのによ!!」

「だからさっきも言っただろ。完全試合なんてただの記録だって。それに周りが緊張感満載だったから、これで肩の荷が降りたろ」

「俺たちの緊張解くために四球を出したって訳か!? 馬鹿野郎か、テメェは!!」

 と、小波は右肩をグルリと回す。

「ん?」

 星は、何かに気付いた。

「お前、大丈夫か?」

「何がだ?」

「右手が震えてるぞ?」

「……、」

 カタカタ……と、小刻みに小波の右腕全体が震えていた。

「お前も見た事くらいあるだろ? プロの試合でもあるじゃねえか。解説者が完全試合間近とかノーヒットノーラン継続中って言うと大抵打たれたりするよな。もしかすると中継で誰かがそんな事言ったのかもしれないな」

 あはははは、と苦笑いをする。

「何言ってんだ? この暑さの中で頭イカれちまったのか、テメェは!!」

「って言うのは冗談で、実は俺も今の今まで凄く緊張してたんだ。こう言うのってやっぱり意識するとダメなんだな」

「はァ?? テメェ、本当は緊張してやがったって事かよ!!」

「そう言う事だ。ま、もう平気さ。次の東を討ち取ることに専念しようぜ」

「おう、そんなの当たり前だッ!!」

 星は定位置に戻って行く。

(本音を言うと、討ち取るつもりだったんだけど、そろそろ右肩の限界が近づいてるみたいだな)

 下を向いて痛みを堪える。

 グッと唇を噛み締めた。

 

 続く五番打者の東との対戦。

 ストレートが僅かにホップする『バックスピン・ジャイロ』を詰まらせる形でセカンドへ打ち取り、四球の影響で緊張の解れた海野が丁寧に捌いて、四・六・三のダブルプレーで簡単にツーアウトになり、次のバッターは太郎丸龍聖に回る。

 

『六番・ピッチャー、太郎丸くん』

 

 ゆっくりと息を吸い。

 ゆっくりと息を吐いた。

 左打席に立ち、バットを構える。

 泣いても笑っても、これが最後の勝負だ。

 太郎丸龍聖は目を閉じて今日の試合を振り返る。

 高校野球の中で、今日の試合が今までで一番と言っていいほど白熱する接戦を繰り広げて来たと感じていた。

 まだ終わらせなくない。

 まだ小波と投げ続けたい。

 沸沸と湧き上がる感情を満足させるまで負けてなどいられない。

 

 

 

『泣いても笑っても、後二回か』

 時間は数分戻り、小波が坂上をフォアボールでランナーを出した頃だった。

ㅤネクストバッターズサークルへと準備し始める太郎丸龍聖に向けて、名島が呟いた。

「一誠。まだ焦るんじゃねえよ、二回もある、だろ? 余裕を持ってあの好敵手に挑もうじゃねえか」

 限界を超え、更なる進化を遂げた太郎丸龍聖はニヤリと楽しそうに笑う。

「一点差位、ひっくり返してやろぜ。この試合の決着が着くまで、俺は何回でも何試合でも投げ続ける。こんなに楽しい試合を終わらせてたまるかよ!!」

 名島一誠は思った。

 昔から変わらない。

 左手にずっと残っている感触を、いつまでも気持ちの籠もった心地良いストレートを取り続けたいと思っていた。

 しかし、それは無理な話だ。

 太郎丸龍聖と名島一誠の二人の高校卒業後の進路は、お互いにプロを目指す事だと決めている。

ㅤ西強中学時代から、『西の太郎丸』、『東の猪狩守』と言うネームバリューがある様に既にプロからの注目は群を抜いている。

 ドラフトにかかり、同じチームで呼ばれる可能性は無いと言う事もないが、可能性は低い為、この夏が二人にとってバッテリーを組む最後の機会なのだ。

 誰よりも太郎丸龍聖を信じ、誰よりも名島一誠を信じた二人が掲げた『夢』こそが、甲子園で優勝を飾る『夢』であり絶対に叶えなければならない。決して負けてはならない。

 

 目を開けて、小波を睨む。

 自分の限界を超える戦いをしてくれた小波球太に敬意を表しながら、この先の高みを目指す為に立ちはだかる強敵に向けて挑む様に太郎丸龍聖は、バットを小波球太に向けて高々と言い放つ。

「負けられねえ!! 勝つのは俺たち山の宮高校だッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三十五度を超える真夏日。

 夕暮れの河川敷を二人の影が並んでいた。

「結局、小波一人に負けちまったな」

 と、太郎丸龍聖は橙色に染まる夕日を見つめながら呟いた。

 その後、太郎丸は空振りの三振に倒れ、続く九回も三者凡退に抑えられ小波球太はノーヒットノーランを達成し、恋恋高校が決勝戦進出を果たした。

 被安打は僅か一本。

 奪三振は二十個を記録して敗戦投手となった太郎丸龍聖だったが表情は清々しかった。

 試合後に再会した二人の弟達は、目に涙を浮かべて労ってくれたりもした。

「終わっちまったんだな、これで」

 と、名島一誠は大事なモノを抜き取られたような寂しさを滲ませる。

 砂利を踏む音が途絶える。

「まだ終わってなんかいねえよ、一誠」

ㅤ脚を止めたのは太郎丸龍聖だ。

「え?」

「まだ終わってなんかいねえんだよ。寧ろ始まりなんだよ、きっとさ」

「龍聖……?」

「俺たちはプロを目指す。例えチームが違えど、俺たちがバッテリーを組んでた事実は変わらねえんだよ。それに、いつかFAでも取得したらお前のチームに移籍してやる、そしたら今度こそはプロの世界で頂点を取ろうじゃねえか!!」

「ああ、そうだな。プロの世界には小波よりもっと凄い選手達が居る。お前も俺も、此処からがスタートって訳だな」

 二人は顔を合わせてニコッと笑った。

「こうなったら、一誠!! 学校に帰って練習だ!!」

 太郎丸龍聖は、走り出した。

「おい、ちょっと待てって!!」

 続く様に、名島も後を追う。

 甲子園での二人の『夢』は惜しくも叶わなかった。

 だが、二人が野球を続ける限り、好敵手がいる限り二人はグラウンドに立ち続ける。

 日本一になり、最強バッテリーの称号を掴む為に、その『野望』は決して終わることはないのだ。

 

 

 

 

 

「どうぞ、狭い部屋ですけれども」

 三十五回建ての超高層ビルの最上階。

 橙色に染まる頑張市内を丸ごと一望出来る場所に彼女達は居た。

 部屋の広さは、学校の教室よりもかなり大きいと見てわかる程。

「いつ来ても凄いわね。乙女の部屋は私だったらきっと落ち着かないわ」

 と、栗色髪の大人びた女性が見慣れた口調で感想を述べる。

 辺り一面はガラス張りで、オマケに地面は大理石。

 百インチはある大型テレビ、目の前に最高級のラグジュアリーソファー、大の大人が四人は川の字になって眠れるであろうキングサイズのベットが一つ、そして大企業の社長が使ってそうな高級なオフィスディスクのみの部屋だった。

「あら、こう見えて学生の部屋を意識してますのよ? どうぞ、そのソファーにお掛けくださいませ」

「私の部屋とは、全く次元が違うわ。何せ私の部屋は妹と一緒だし」

「そうですの? それより何かお飲みになります? いつものアイスココアで?」

「ええ、アイスココアを貰えるかしら」

 と、栗色髪の女性が答えると、金髪美女はスマートフォンを取り出して電話を掛ける。

「もしもし、乙女ですわ。巫祈さんにアイスココアを一杯、後は私のオレンジ……」

 と、八宝乙女は言葉を止めた。

 今、ソファーに腰を掛けて鞄からノートを取り出している神島巫祈の制服から膨らんでいる部分を見つめていた。

 

(もしかして、巫祈さんの胸が大きいのは、アイスココアを飲んでいるから!?)

 

 コホン、と一つ。

 ワザとらしい咳払いをした。

「アイスココアを二杯、手配しなさい」

 と、電話を切った。

「随分と珍しいじゃない。乙女はオレンジジュースしか飲まないんじゃなかったの?」

「た、たまにはアイスココアを飲みたい気分になるものですわ」

 取り乱す八宝乙女。

「所で、今日の試合のデータは役立ちそうですの?」

「それなりにはね。小波くん、太郎丸くんの『能力開放』は驚いたけど。それに去年の夏の大会一回戦で恋恋高校とときめき青春高校の試合で、星くんも『勝負師』としての能力に目覚めたみたいだったけど、今のところはさっぱりね」

「取り敢えず、今後の野球界が盛り上がるのなら構いませんわ」

 と、八宝乙女はガラス越しに街を見下ろしていた。

「なんだか、野球界ばかりを気にしている様だけど?」

 と、神島巫祈が放った言葉に、八宝乙女は僅かにピクリと身体が動く。

 そして、そのまま神島巫祈に背中を向けたまま口を開いた。

「頑張市の地域拡大については、当然ご存知で?」

「ええ、今年の春頃にテレビニュースにもなって話題に上がっていたわね」

「単刀直入に言うならば二年後、野球界は劇的に変わりますわ。八宝カンパニーと猪狩コンシェルンもそのプランに加わっておりますの」

「それは、どうな風に変わるのかは教えてくれるのかしら?」

 神島巫祈の問いに、八宝乙女は困惑した。

「パパからは、ダメだと口止めされているのだけれども……。まぁ、巫祈さんになら伝えても良いかもしれませんわね」

 八宝カンパニーの次期社長にして跡取りのお嬢様、ジャスミン高校の八宝乙女はソファーにゆっくりと腰を降し、艶やかな金色に染まる髪を撫でながら先を見据えた強い瞳で甘い甘い声で囁いた。

 

「Plan 3rd R。プロ野球球団の新規球団の発足と第三の野球リーグの設立ですわ」


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