実況パワフルプロ野球-Once Again,Chase The Dream You Gave Up- 作:kyon99
ㅤ球八高校の二番打者である中野渡のレフトへの犠牲フライで一点を先制した。
ㅤポツポツと雨脚はどんどん強くなり、ワンナウトを迎えて三番打者の藤原がバッターボックスへと向かっていくのを見送ると、矢中の視線は自然と早川あおいの方へと向けられていた。
「彼女の事、心配なのかしら?」
ㅤサッとキチンと畳まれた真っ白なフェイスタオルを差し出しながら、矢中智紀と同じ学年であり球八高校のマネージャーを務める神島巫祈が呟いた。
ㅤ神島はチームメイトのサポートの他にもスコアラーの方も兼任していて、選手の能力の分析や苦手コースのデータの割り出しを最も得意とし、チーム内外からは『十人目の野手』として知られている。
ㅤオマケにルックスは校内一であると共に大人が醸し出す独特の凛々しさも兼ね揃え男女共に人気が高く、普段からツンツンした敵対的な態度から一部の男子からは蔑んだ目で見られるのが非常に堪らないと言うドM的な声もチラホラ出ていたりもする。
ㅤその神島からフェイスタオルを受け取って顔の汗を拭くと、ニヤリと小さな笑みを浮かべながらポツリと呟いた。
「いいや、俺は全然心配はしてないよ」
「そう……。それならいいけど」
ㅤ冷ややかな態度は相変わらず、神島は視線を三番打者の藤原へと目を向けるなりノートを広げてボールペンを握った。
「なぁ、智紀。神島って真面目だよな。俺たちの為にこうしてデータ収集を一生懸命やってくれて一度たりとも怠った事がない辺り……ある意味これが神島のデレの部分なのかもな」
ㅤヘルメットを脱ぎ、矢中の隣に腰を下ろして中野渡が笑いながら言った。
「あはは……。それはどうなのかな?」
「まあ、これで何度も神島のデータに助けられたから、そうなのかもな。神島のヤツ、意外と可愛い一面もあるもんだ」
ㅤそう言った後、大きな高笑いをした。
ㅤすると神島の手がピタリと止まる。
「中野渡くん。そう言っていられる余裕があるのかしら?ㅤ打ち急いだ分アウトハイのストレートへの対応が遅れたから"平凡"なレフトフライに打ち取られたのよ?」
「へ、平凡……」
「相手キャッチャーの采配の初球は八割型ストレートを投げさせるのは既に分かり切ってる事でしょ?ㅤ今度はしっかりと見極めてから打つことを心掛けなさい。いいわね?」
「はい……」
ㅤさっきの高笑いを浮かべていた中野渡からはすっかり笑顔が消え落胆した表情を浮かべていた。
ㅤ三番打者の藤原はワンストライク・ツーボールのカウントの四球目、緩いカーブをバットに当てる形でファーストゴロに打ち取る。
ㅤツーアウトの場面で四番打者・滝本雄二が右打席に入って行った。
「ツーアウト!ㅤツーアウト!ㅤ締まっていこうぜェ!!」
ㅤキャッチャー星がナインに声を掛ける。
ㅤその声掛けでピシッと締まった顔で早川早川帽子のツバに手を当てた。
ㅤ曇天空から降り頻る雨の中、早川はモーションに入り滝本に向けて初球、インハイへの百二十八キロのストレートが突き刺さった。
「ストライクーーッ!」
ㅤ
ㅤ文字通り。
ㅤ気迫の篭った良いボールだ、と滝本は不敵な笑みを浮かべて軽くグリップを握りしめた。
ㅤだが、普段から相方であり早川あおいと同じアンダースロー投手でもある矢中智紀のボールを毎日の様に受けている滝本からすれば、どこか物足りなくもあり、相手の力量を見極めたかのようなその不敵な笑みは、矢中智紀のレベルまでには達していないと言った余裕の笑みにも見えた。
ㅤ続く二球目アウトローへと落ちるカーブをカットしてツーストライクになった。
ㅤそして、三球目のストレートが外れてボールとなり、カーブ、ストレートを立て続けに難なくファールして見せた。
ㅤ——キィィィィン!!
ㅤ——キィィィィン!!
「それにしても良く粘りますね、滝本くん」
雨の中、目を細めながらスカウトマンの及川が呟いた後に……。
「まるで決め球を待っているんじゃないんですかね?」と付け加えると、影山は「うむ」と頷いた。
「恐らくそうだろうな。早川くんの決め球は高速シンカーだ。もしかしたら彼は、その球を狙ってるのかもしれんな」
「自信のある球を打たれたらこの試合のピッチングに悪影響が出る可能性があるから……と言う所でしょうか?」
「滝本くんには打撃センスがある。引っ張り専門で打球の鋭さは高校レベルを超えて、現に高校通算の本塁打は六十三本と脅威的だ。彼は既に早くから試合を決めようとしてるんだ」
ㅤㅤ—キィィィィン!!
ㅤ九球目……十球目。
ㅤストレート、カーブを甘めに投げてみても全てをカットされる。滝本が待っている球は高速シンカーだ、と言うことは早川も星も二人とも既に気づいていた。
「タイム!」
ㅤ星が突然にタイムを取り、マウンドへと駆け出すと内野全員も早川の元へと向かった。
「どうやら高速シンカーを打って球八高校は波に乗りたい所らしいな」
ㅤ海野が悔し半分、滝本の実力を認めた諦め半分の笑みを浮かべ、パチンとグローブの芯に拳を当てた。
「悔しいし認めたくはないけど、彼ならボクの球は軽くスタンドまで放り込んでくる実力があるんだろうね」
「さて、どうするよ?ㅤ小波」
「そうだな……追加点を取られるより確実なアウトが欲しい所だ。此処で"アレ"を投げるしかねぇな」
「まぁ、そうなるわな」
ㅤ球太はニヤリと、星はキラリと八重歯を光らせ、早川は黙ったまま立ち尽くしていた。
「…………」
「早川、不安か?」
「ううん。大丈夫、出し惜しみしてる場合じゃないもんね!ㅤ行ける、行けるよ!」
「良し!ㅤそう来なくちゃあな!ㅤ勝手に追い込まれた滝本を打ち崩してやろう!!」
「——オゥ!!」
ㅤ皆の覚悟は決まった。
ㅤ大きな咆哮を一つ挙げ、それぞれの定位置へと戻って行く。
「早川、良い球は来てるぞ。肩の力も良い具合に抜けてる!ㅤその調子でどんどん投げろ!」
「うん!ㅤありがとう、星くん」
「早川先輩ッ!ㅤツーアウトッスから楽に投げるッス!」
「赤坂くん……任せておいて!」
ㅤキラッと笑顔を見せ、ロジンパックを指先で撫で、グローブに挟んであるボールに手をギュッと握りしめる。
ㅤ——きっと、大丈夫。
ㅤふぅーと吐いた吐息で緊張感は無くなっていた。この球なら打たれる気はしないと、確信を持ったかのように、マウンドに立つ早川の表情はいつも以上に自信満々に見える。
ㅤその様子を十八メートル先に構え待つ滝本も感じ取っていた。
ㅤ次の球は、間違い無く決め球の高速シンカーだ。
ㅤならばその球を完膚なきまでに打ち砕いてやる。
ㅤグリップを握り締めて鋭い眼光で睨みつけて全身へと神経を張り巡らせた。
ㅤ振りかぶり、しなやかな動作で身体を下へと落とし、腕を鞭のようにしならせてリリースポイントでボールを放った。
ㅤ——シュッ!!
(ボクは今まで皆んなに迷惑ばかりを掛けてきた)
(いつだってそう。皆んなが居たからこそボクはこうしてマウンドに立っていられるんだ)
(だから、恩返しがしたい。その為にもボクは必死の努力をして来た)
(認められたい)
(女の子だからって舐められたくないから)
(悪道くん、太郎丸くん、猪狩くんや青葉くんみたいにエースナンバーを背負い、エースとしての自覚を持っている人たちは自分の得意球をキチンと自分のボールにしていた)
(ボクは……何もなかった)
(ボクはチームのために何ができるんだろう)
(エースナンバーはただの飾り?)
(ボクは一体……なんなんだろう)
(でも、いろんなことがあった)
(そして、漸く見つけた)
(誰にも打たれない様な……)
(この先を勝つために)
(このチームの為にもボク自身の為にも……この球は——)
(打たせやしない!)
ㅤ——シュルルルルッ!!
(この"マリンボール"は——)
ㅤ——シュルルルル!!
(ボクの新しい存在証明だ!!)
ㅤアンダースローの低いリリースポイントから放たれたボールはど真ん中を目掛けホップして行く。
ㅤ滝本は狙いを定めてテイクバックを取って振り抜く瞬間まで溜めを作った。
ㅤだがしかし……。
——ククッ!!
「この球は……高速シンカーじゃない!」
ㅤ予想以上の回転数、そして鋭く滑る落ちるようにインコース低めへと急激に落球した所を滝本は強振でバットを振り抜いた。
ㅤ
ㅤ——ブンッ!!
「ストライクーーッ!!ㅤバッターアウト!」
ㅤ空振りの三振に打ち取ると、場内から怒号の様な歓声が湧き上がると共に、早川はグッと握り拳を作ってガッツポーズした。
ㅤ一回の裏の攻撃が終了した。
「…………」
ㅤ滝本は、バッターボックスに一人立ち止まったまま唖然とした表情を浮かべていた。
ㅤ今のボールは明らかに高速シンカーの次元を超えていて、今まで見たことの無い変化に戸惑いは隠しきれずにいた。
「まさか……雄二が三振に仕留められるとは思わなかったよ」
ㅤネクストバッターズサークルに居た五番打者である矢中が滝本の側に立ち寄った。
「あおいの高速シンカーも精度を上げて来たという訳かな」
「いいや、それは違うな」
「ん?」
「今の球は、高速シンカーであって高速シンカーでは無いモノ。今までの経験上、あの球には出会った事がない球だ」
「なるほど……。これはあおいの成長をウカウカと喜んでは居られない訳だね」
ㅤ
「ナイスピッチだ!ㅤ早川!」
「ごめんね、もう打たせやしないから!」
ㅤ一回の表が終わり、裏の攻撃へと変わる。
ㅤ先発投手である矢中智紀はマウンドに上がり投球練習を行っていた。
ㅤ最早フォームからして見慣れたアンダースローからは早川よりも一段上と思える程、速球、変化球のキレがよく見えた。
「智紀くんはボク以上のコントロール、スタミナの持ち主で、オマケに変化球の球種もある厄介なピッチャーだよ」
「そう簡単には打ち崩せないって所か……」
ㅤ普段から早川のピッチングを見て来たし、矢中智紀対策として昨日はレギュラーに三打席分投げてもらったとは言え難しい所だ。
ㅤまだ試合は始まったばかりだから無理と言うわけでは無い。
ㅤ諦めない気持ちがある限り、喰らい付けば良いだけの話だ。
『一番ㅤセンターㅤ矢部くん』
「来るでやんす!」
ㅤぐちゃぐちゃと雨で泥濘んだバッターボックス上で大声を出してバットを構える。
ㅤその初球、アウトコースに投じられたストレートを空振りしてワンストライクとなる。
ㅤ続く二球目、鋭い変化を見せてインコースに曲がるシュートをバットの根元に当てるが、ファーストゴロに打ち取られてしまった。
「ストレートにシュート……下から上にホップするアンダースロー投法相手じゃ最初は打てそうにないね」
「流石は智紀くん」と付け足して早川が言う。
ㅤしかしその表情は、相手を讃える気持ちよりも悔しさの方が多く含まれていた。
ㅤ続く二番打者はショートの赤坂が打席に向かった。
ㅤ——シュッ!
ㅤ
ㅤ低いリリースポイントから放たれた矢中のストレートはズバンと乾いた音を立てて滝本の構えるミットに丁寧に収まった。
ㅤスコアボードに点滅した速度表示は百三十二キロ。
ㅤベンチから見てそんなに速い球とは思えないが、いざ打席に立つと勢いを増して顔付近に跳ね上がるように見え、中々手が出せないのがこのアンダースローだ。
ㅤ二球目の逃げていくスライダーを引っ掛けさせられ簡単にツーアウトと追い込まれてしまった。
『三番ㅤキャッチャーㅤ星くん』
「オラァァアーー!ㅤかかって来やがれ!」ㅤ
ㅤ威勢良く、センターバックスクリーンの方向へとバット掲げて星が叫んだ。
ㅤチャンスの場面での打席では無いが、この大会既に当たりに当たっている絶好調だ。
ㅤ
ㅤ球八高校のキャッチャーマスクを被る滝本がマスクを上げて右打席に構える星を見つめる。
ㅤ何か声をかけて来そうな雰囲気だったが、ネクストバッターズサークルに入り、素振りをしている小波を見るなりニヤリと笑みを浮かべて止めた。
ㅤ星に対する初球は、低めに外れたカーブだった。
ㅤ二球目のストレートも僅かに外れた。
ㅤ内野からは「良い球来てるぞ!」や「落ち着いていけー!」などの矢中を励ます言葉が飛び交うが、矢中は極めて冷静であり緊張している素振りは全く無い。
ㅤ三球目は二球続けてのストレートだ。
ㅤしかし、星は手を出さなかった。滝本のミットに収まり、球審から「ストライクー!」とコールが鳴る。
ㅤ高さは悪く無かったが、内角いっぱいに突く良いボールだった。今の球ならヒットに出来無い球では無いが、詰まって凡打というリスクもあり見送った。
ㅤここで早まってはいけない。
ㅤ次の小波に回せば同点……逆転と言う可能性と言う希望があるからだ。
ㅤそう思うと我ながら今日はボールが見えていると笑ってしまう。と星はバットを再び握りしめた。
ㅤカウント、ワンストライク、ツーボールからの四球目。
ㅤ甘めに入ったシンカーがど真ん中に入って来た。
ㅤ——見慣れてるシンカー、貰ったぜ!
ㅤ星は心の中で叫んでからバットを振り下ろした。何百球と取り慣れた全く同じボールの曲がり端を芯で捉えた。
ㅤキィィィィン!!
「よっしゃー!ㅤホームランじゃあ!!」
ㅤ手応えだけでスタンドまで飛ばした、と感じていた。
「いえ、この球はホームランボールにはならないわ」
ㅤ快音が鳴り響く。球八高校のベンチでは選手が一斉にレフト方向へと顔を向けるが、ただ一人ベンチから顔を上げず、真剣な表情は一切変えずスコアブックを見つめたまま、マネージャーの神島が言った。
「星雄大くん。私の取れているデータ上では弾道「2」パワーランクは「C」、幾ら芯で矢中くんの球を捉えたとしても……その打球はフェンスの前で落ちるわ」
ㅤその通り、打球は思いの外上がっては無かった。レフトを守る如月の頭を超えてフェンス前に落下した。
ㅤ星は一塁を蹴り、二塁へと向かう。
ㅤ二塁ベースを踏みしめた所で「クソッ!」と舌打ちを鳴らして立ち止まった。
ㅤこれでツーアウト、ランナー一塁。
ㅤバッターボックスには小波が向かう。
「ナイバッチ!ㅤナイバッチ!」
「チャンスの場面で小波くんでやんす!」
「頼れる四番だからな、いけぇー!ㅤ小波!」
ㅤ盛り上がるベンチ。
ㅤしかし、早川は浮かない顔していた。
(智紀くんの焦りの無い表情が気になる。一点のリードがあるから?ㅤそれはきっと違う)
ㅤ二塁ランナーの星を目で牽制しながら、小波に投じた一球目は力のこもったストレートが高めに放り込まれるのを見送った。
「ストライクーーッ!」
ㅤ滝本からの返球をグローブで収め、ギュッと強く握りしめて、二球目を投じる。
ㅤインコースに向かってくるシュートをカットして、カウントはツーストライク。
「今のはシュート……。カーブ、スライダー、シンカー、随分と多彩でやんすね」
「うん。オマケに智紀くんは、コントロールもスタミナも良いからね……油断はできないよ」
「でもこれで、矢中くんの全ての持ち球を引き出したでやんす!」
「…………」
ㅤ
ㅤ初見のシュートを苦もなくカット、神島さんの読んだ通り、小波くんは「A」ランクのミート力じゃ簡単に空振りは期待出来無い様だ。
ㅤさて、追い込んだよ。雄二。
ㅤさっきの打席にあおいにやられたからかい?
ㅤその表情は今にもリベンジしようと待ちきれないと言う顔がマスク越しでもバレバレだよ。
ㅤなら、こっちも投げようじゃないか。
ㅤあおい……。
ㅤさっきのボールは流石に驚いた。
ㅤ
ㅤ見せてあげるよ。
ㅤそれ以上に俺も成長してるって事をね!
「これが俺たちの思いの篭った球だッ!」
——シュッ!!
ㅤ小波に対する三球目。
ㅤ地面スレスレの低いリリースポイントから解き放たれたボールは勢いよくホップしていく。
(ストレート……高めの甘い球?ㅤ失投か?)
ㅤグリップを握り締め、強振してバットを振り下ろそうとした。
——クィ。
「——ッ!!」
ㅤしかし……その"球"は小波の視界から一瞬にして"消えた"のだ。
ㅤブン!ㅤとスイング音と同時に小波の足元からミット音が聞こえた。
「お、落ちた……」
ㅤそう、ボールは足元ギリギリのストライクゾーンのミットにキッチリと収まっていたのだ。
「ストライクーーッ!ㅤバッターアウト!」
ㅤ湧き上がる歓声の中、バッターボックスに立つ小波の前で脚を止めた。
「へっ、アンダースローでフォークって反則だろ」
「その言葉は『褒め言葉』と受け取っても良いのかな?」
「勝手にしな。次の打席で必ず打ってやるさ」
「打たせやしないさ。俺は君たち恋恋高校に断言するよ。この"フォール・バイ・アップ"は絶対に打てないと、ね」