IS インフィニット・ストラトス 〜太陽の翼〜   作:フゥ太

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約束していました後編です!


悪意の流転を止める者(後編)

 

 

 

 

 

 

 一方、病院の騒動が本格的になる中、混乱する都内の上空を飛行しながら、楯無はひたすらIS学園を目指す。

 当初、病院の屋上で分家の重鎮たちと夏の法要についての連絡を取り合っていた中、背筋に凍り付くような悪寒が走ったと同時に、簪の部屋を中心に強い光が放たれるのを確認する。

 すぐさまISを展開して窓から中を確認した彼女は、怒りと悲しみと驚愕により混乱する。

 

 ―――紫色の胸から放つ簪―――

 ―――その光を受けて倒れこんでいた婦長がゆっくりと起き上がる姿―――

 

 楯無には簪が何者かによってオーガコアが植え付けられたこと。コアが活動を開始していることが一瞬で判断できた。

 

「(このっ!)」

 

 心の底から愛する妹になんということをしてくれたというのだ!!

 煮えくり返るような怒りと憎悪が心を占拠したとき、取り憑かれた簪を目が合う。

 

「!?」

 

 ―――無意識に最高速で後退して、木々の茂みに身を隠す楯無―――

 

 対暗部組織当主として長年鍛え続けられていた楯無の無意識の動き。

 相手との距離を取り、安全圏で情報を出来得る限り収集し、迅速に対応できるプランを取り決め、リスクをなく勝機を得る。

 彼らの戦いに一か八か等という『賭け』の要素は必要ない。求められている物に『気持ちの良い試合内容』など必要ないのだから。

 彼らに必要とされているのは国という主たる現実に対して最大限の利益を与える行為。十の利益を得るためならば一を切り捨て、その一の不利益を無かったことにする事。

 

 自分が茂みの中で手に持ったランスのトリガーに指を掛けていた事に、彼女は発狂寸前のショックを受ける。

 

「(私、今、ここから簪ちゃんを撃とうとしていた!?)」

 

 オーガコアが本格活動する前に、簪を狙撃し、迅速にコアを摘出する。無理やり正面から戦闘するリスクを避け、被害が少なく、それでいて国に対してオーガコアという利益を与え、IS学園を出し抜けたと日本政府は更識家を褒めてくれるだろう。

 簪一人の犠牲で多くのものが得られるのだろう。

 

 だからこそ、楯無は許せなくなった。

 愛していた妹と家の利益を同時に考え、こんなにもアッサリと簪を捨て去ろうとしていた自分自身が。

 損得勘定がこんなにも自然と出来てしまえる自分の在り方が。

 

「ダメだっ! 違うの! 私は!!」

 

 涙が溢れて止まらない。それすらも彼女を苛立たせる。何をお前はまともな人間のように振る舞っている。お前は当の昔に壊れてしまっていたのだ。だからこれ以上見苦しく縋り付こうとするな。

 そんな声が聞こえたような気がする。ゆえに楯無はそれを必死に否定するように首を横に振りながら、最愛の妹を助けようとしたのだった。

 

「待ってて、簪ちゃん!!」

 

 自分がオーガコアの魔の手から彼女を救う。そう強く意思を固めたはずなのに、足が動かない。どうしても動いてくれない。今ここで動かずしてどこで動くというのか!?

 足にそう言い聞かせる楯無だったが、そんな彼女に更なる絶望の声の追い打ちはやってくる。

 

 ―――動かなくて当然だ―――

 

「!?」

 

 彼女の背後に立つ漆黒の巨体………暴龍帝(ヴォルテウス・ドラグーン)の幻影は、静かに諭すように話しかける。

 

 ―――無駄なことは止めたまえ。もうすぐここには君の妹を救う英雄(ヒーロー)がやってくる―――

 

 楯無の脳裏に、炎を纏った白き皇帝の姿が過ぎる。

 

 ―――彼ならば臆しはしなかった。お前のように、我が身可愛さで陰に隠れて妹を苦しませたりしなかった―――

 

 止めろ。それ以上は言うな。

 

 ―――何も思いつかないお前と違い、即興でありながら理に適った策でオーガコアから彼女を開放できるだろう。ゆえに彼は英雄………『本物』なのだ―――

 

 ―――臆病者の偽物はここで隠れていればいい。無理に本物の『フリ』はしないでいいのだからな―――

 

「黙れっ!!」

 

 心の隙間から出てきた呪詛にも似た言葉は、そのまま彼女の精神を蝕み、黒い染みは再び彼女を絶望の沼に引きずり込んでくる。

 逃げ出そうとするその足を引っ張り、彼女をズルズルと闇の中に引きずり落そうとする中、彼女の耳元に女性の声が木霊した。

 

『楯無ッ!!』

 

 通信越しに聞こえた凛、とした声は楯無の意識を一気に現実へと戻す。

 

「あ………お、織斑先生」

『心配したぞ楯無………敵と既に遭遇したのか?』

 

 この緊急事態に、千冬の言葉はある程度の状況説明を省いたものであった。最も、楯無ほどの者ならば異変が起こってから必要な行動をすでに起こしている、という信頼を持ったものであったのが………。

 

「そ、それが………」

『?』

「オーガコアの………操縦者を発見はしました』

『よし、相手の特徴、および行動パターンを…』

「私の…………妹です」

『!?………そうか』

 

 予想外の言葉に二の句が継げない千冬だったが、あることに疑問を覚える。

 

『だがお前の妹は確か二年前から意識不明の昏睡状態のはず………なぜコアが宿主に選んだのだ?』

 

 彼女も簪の状態は耳にしており、オーガコアが宿主に選ぶにはむしろ確率的には極めて低い状態なのが気にかかる。負の感情によって爆発的な成長を遂げるオーガコアといえども、意識不明の状態の人間に取り憑いてもいかほどの力も発揮できないのだ。

 

『(ならば………あえて楯無の妹に憑依させた第三者が近くにいるというのか?)』

 

 半径50m圏内なら如何なる人間の気配も読み落とさない自信がある千冬にも悟られずに簪に近づき、オーガコアを憑依させた者がいる。

 どれほどの猛者なのか見当もつかない千冬だったが、今はとにかくオーガコアを何とかするのが先決だと思い、楯無に指示を飛ばす。

 

『お前の妹であるのなら、お前自ら戦わせるわけにはいかない。長距離の通信はすでに妨害されて学園とは連絡が取れない。悪いがお前自らIS学園に戻って作戦の指揮を頼む。陽太達もこの事態には気が付いているはずだ。おそらく倉持技研から直接飛んでくるはずだ』

「!?」

 

 千冬に悪気があったわけではなく、実の肉親と戦わせられないという楯無への気遣いと、戦略的な組み立てが出来る頭脳の持ち主であることを信頼したから出た言葉だったのだが、今の彼女にはその言葉が痛くて堪らない。

 自らの非力、同じ天才といわれる者への劣等感、助けたい家族を助けに行けないこと、何よりもそんな事態を招いてしまっている自分への嫌悪感。

 止められない感情が心に突き刺さりながらも、楯無は静かに一言答える。

 

「………了解」

 

 更識の当主としての最後の意地。それだけが彼女を支える最後の柱となったのだった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 そして都内上空を飛ぶことになった楯無が見下ろす市街地は、いつもの忙しそうな人で行き交う場所ではなく、笑顔で他愛無い日常を楽しむ所でもなく、地獄の蓋を開けられて這い出てきた亡者の巣窟と化していたのだ。

 

 ―――次々と人々を襲う正気を失くした感染者達―――

 

 ―――必死に助けを求め、成す術なく襲われ、同じく感染者となっていく人々―――

 

 人類史上、ここまで恐ろしい光景を起こすバイオテロなどなかったであろう。そして楯無が知る由もなかったが、この事態を引き起こした兵器の開発者にしてみれば、これすらもただの余興の余興でしかない。

 

「(私は………)」

 

 だがそんな人々を今自分は見捨ててIS学園を目指している。

 今襲われている人々以上の、多くの人を救うため。

 これから起こる亡国機業との更なる戦いに備えるため。

 

「(1を切り捨てて9を取る。これが今現在の最善の答え)」

 

 妹を、この現場の人々も、助けることが叶わない。自分が非力だから………。

 

 頭が痛い。これは精神の内側からにじみ出る痛み。

 口の端から血が流れるほどに歯を食いしばりながら飛ぶ楯無であったが、その時、眼下で二人の幼い姉妹が逃げ惑う姿を目撃する。

 

 ―――小学生ぐらいの女子二人が路地裏から大通りを横切ろうと飛び出す―――

 ―――だが亡者達が必死に逃げる二人に気が付き、後を追いかけ始める―――

 

「あっ」

 

 ―――そして必死に逃げる中、小さい方………おそらく妹の方が足を滑らせ地面に転んでしまった―――

 

「!?」

 

 楯無の手が知らず知らずのうちに力を込めて握られていく。

 こうやって立ち止まっていることすら本来なら重大なタイムロスを意味している。一刻も早く学園に戻り対オーガコア部隊の後方支援のための指揮をとらないといけない。

 わかっている。そんなことは誰よりもわかっている。だって自分は幼少の時より、そのように正しい事を選択できるよう育てられたのだから。

 

 ―――そう。貴女はいずれ『更識』を継ぐ『楯無』となる。でも一人ぼっちにはならないでね―――

 ―――刀奈、簪。優しいお前達の父であることが、当主以上の私の『誇り』だ―――

 

 亡き父と母の姿が脳裏をよぎり、彼女の蒼流旋を掴む手をより一層力強いものにしていた。

 そんな中、少女達に近寄ってくる亡者の群れが輪を縮め、二人を包囲していく。

 

「お姉ちゃんッ!?」

「大丈夫だから!!」

 

 今にも泣きだしそうな妹を宥めながら、決して大きくない身体を張って妹をおんぶした姉が再び走り出す。

 

「大丈夫! 大丈夫! 大丈夫!」

 

 妹に負けないぐらいに泣き出しそうな表情をしていても、その口は必死に妹を励まし続けていた。まるで自分に言い聞かせるように、無理をしなければ妹が泣いてしまうことがわかっていたから。

 だが、所詮は子供の足。しかも妹を背負ったままでは体力にも限界はある。裏道に逃げ込んだもののすぐさま行き止まりに阻まれ、追い詰められてしまう。

 

「ああ………」

「大丈夫………大丈夫」

 

 壁際に追いやられ、退路無し、待ったなしの絶望に直面してもなお、妹に向かって大丈夫と言い続ける姉であったが、伸びた魔手がついに彼女たちに触れようとする。

 

「!!」

 

 恐怖で全身が引き攣り、思わず目を閉じた瞬間だった。

 

「動かないでッ!」

「!?」

 

 ―――轟音と共に降り注ぐ槍の如き豪雨―――

 

 天空から降り立ち、姉妹と群衆の間に立ち塞がった楯無が蒼流旋を発射したのだ。出力を最低限にまで落とし、できる限りの直撃を避けるように発射しながら、楯無は少女達を背にすると、振り返りながら話しかけた。

 

「もう………大丈夫だから」

「ふあ………」

「ISの……お姉ちゃん?」

 

 背にした妹よりも若干状況判断に長ける姉が楯無をそう呼ぶ。

 

「さあ、私につかまりな・」

 

 この場からすぐさま飛び去ろう。二人をIS学園まで一緒に連れて行こうとした楯無であったが、このとき彼女は少女達を助けることに集中しすぎるあまり、周囲の警戒という暗部の基本すら失念してしまう。

 最初に気が付いたのは姉に背負われていた妹であった。

 自分のすぐそばで動く影に気が付き、彼女は上を向き、表情が凍り付く。

 

 ―――壁の上によじ登っていた亡者の群れ―――

 

「うえっ!」

 

 幼い少女の悲鳴によってようやく気が付く楯無だったが、タイミングがあまりに遅すぎた。迎撃しようと振り返った時、すでに彼女目掛けて飛び降りた人達に纏わり憑かれて、一気に身動きが取れなくなってしまう。

 

「「お姉ちゃん!?」」

「(力付くで振りほどくことは出来る!! だけど、それをすればこの人達の命の保証が…)」

 

 ナノマシンによって強化されてしまっているが、彼らの肉体的強度は常人のものでしかなく、ISの馬力で無理やり振り回してしまえば五体が容易く砕けかねない。決断が出来ずにどんどん状況が悪化していく。

 

「くっ!?」

 

 子供達の命、周りの人々の命、全部を守ることなんてやはり自分にはできそうにない。

 

「(決断………するしかない!?)」

 

 幼き日からずっと覚悟してた命の選択。ずっと無意識に避けていた選択を、今、この場でするしかない。

 そう思った楯無が自分の右肩に掴まっている一人の男に手を置き、ISの力で無理やり引き剥がそうとした時だった。

 

『お嬢様っ! 動かないで!!』

「!?」

 

 ―――声と共に人々の輪を引き裂くような強烈な『放水』―――

 

 消防車が放つような強烈な水流が、人々の群れを次々と薙ぎ倒していく。

 

「これは?」

 

 突然の事態に呆然とする楯無だったが、そんな彼女目掛けても建物の上から同じように放水が複数ぶっかけられる。

 

「きゃああっ!?」

『少しだけ我慢してください!』

 

 いきなりの放水にビビる楯無であったが、通信で聞こえてくる男の声に聞き覚えがあり、それによって冷静さを一気に取り戻す。

 と、同時に自分に纏わりついていた人達が水流によって引き剥がされていくのを確認し、力が弱ったところで一気に全員振り落とし、少女たちを掴み、急ぎ声のするほうに向かって飛翔する。

 建物の屋上にいた、特殊防毒マスクを被り、各種隠密任務を遂行するための機能の数々を秘めたスーツを着た複数の人物達………。

 

「皆、無事でよかった」

『はっ! ご当主様もよくぞ御無事で』

 

 対暗部組織『更識』の実行部隊である。

 おそらく楯無との通信が急に途絶したことと、この都心の大騒ぎに対応して、街中を飛び回っていたのだろう。そしてマスクをしているということは、楯無も薄々感じていたこの騒ぎの原因が何なのかも突き止めているのだ。

 

「ご当主様」

 

 そして実行部隊のリーダーである、小柄でちょっと太めの最近毛髪が薄くなり始めていることを気にしている中年の男性。更識宗家当主である楯無を思わずお嬢様と言ってしまった男の声に近寄る。

 

「………布仏のおじ様」

『おじ様はよしてくださいよ、ご・当・主・様』

 

 マスク越しにも笑顔を浮かべているこの男こそ、布仏虚と本音の実父であり、分家の重鎮にして亡き父の親友である、自分が生まれた時からの付き合いである親戚の叔父であるが、差し迫っている状況の中、情報の確認を行い始める。

 

『IS学園のほうには私達がすでに連絡を寄越しておりやす。どうやら入れ違いで対オーガコア部隊が病院に行っちまったみたいでして』

「!? それじゃあ、箒ちゃんも!? 駄目よ! 今すぐ止めて!」

『へっ? いや、しかしですね………』

「オーガコアの操縦者には簪ちゃんがさせられてるの!!」

『!?』

 

 流石の更識のメンバーにも動揺が走り、楯無も悔しそうな表情を浮かべたまま話を続ける。

 

「十中八九、昏睡状態の簪ちゃんに第三者が意図的にオーガコアを憑依させたのよ」

『確かに………簪お嬢様の今の状態からご自分で憑依したとはどうあっても考えられませんね』

「箒ちゃんはおそらく簪ちゃん相手に戦えない。ほかのメンバーの子たちだってそれを知ってしまえば、攻撃することを躊躇ってしまうわ!」 

 

 身内に銃を向けて引き金を引く。そんなことが彼等にできるはずなどない。

 

『だったら、これ以上とやかく言ってる暇は無さそうですね………!!』

 

 叔父が何かの手信号を送り、それを受け取ったのか、通信越しに女性の声が聞こえてくる。

 

『了解、さあ、早く来なっ!』

「!?」

 

 どこかで聞いたことがあるような声………そして彼が手信号を送った先には、大型のコンテナを牽引したトレーラーが止められており、運転手が手を振って『早く来い』と催促していたのだった。

 合図を確認した更識の人々がワイヤーを使って次々とそちらの方に降下していく中、姉妹を両手に抱いた楯無も後に続く。

 

「きゃぁっ!!」

「わあっ!!」

 

 コンテナの上にゆっくりと着地したつもりだったが、ISに掴まって空中を極短時間とはいえ飛行するなど初めてな姉妹が小さな悲鳴を上げてしまう。

 

「ごめんなさい。大丈夫だった?」

「は、はい」

「大丈夫です」

 

 守ってくれる人々の存在のおかげか、だいぶん落ち着きを取り戻したようだ。その様子に安堵した楯無であったが、コンテナの中から再び先ほどの声が聞こえてくる。

 

『早くコンテナの中に入った入った。あ、入るときは先に全身洗浄してね。小さい二人はちょっと苦しいかもしれないけど数秒で済むから息止めさせてね』

「あなた……」

『楯無ちゃんはそのままISを解除して入ってきて。大丈夫。空気中のナノマシンならISを手放さない限り装甲を展開しなくても、極微発生しているシールドバリアに弾かれるから』

「その声、やっぱり、倉持の篝火所長?」

 

 コンテナの中に待機していた人物に声が上ずるが、時間がごく限られているということを思い出し、とりあえず彼女の指示に従い、ISを解除してコンテナのドアから内部に入る。途中、楯無以外の人間は特急で作った空気洗浄室でエア洗浄を受けるが、それも終了し、ドアをくぐると、そこにあった物と待ち構えていた人物達に驚きの声を楯無は上げたのだった。

 

「お待ちしておりました」

「待ってたよ~」

「貴女達!?」

 

 作業着を着た虚と本音の姿に驚きの声を上げるが、二人はというと忙しなく動き回りながら何かの準備に追われていた。

 

「それに………」

 

 中央に置かれていた剥き出しのIS………それは楯無が兼ねてより開発主任を務めていた機体であったのだ。

 

「改良型ミステリアス・レイディ二号機………『リュオート・プルトゥーネ(凍れる冥王)』」

 

 最終試験前の状態だったというのに、なぜこの機体が今ここに?

 ISを預けていたはずの倉持の責任者であるヒカルノに問いただそうと振り返る。

 

「ふんふん………貴女達、じゃあ外で遊んでて、かくれんぼしてたら急に周りの皆が暴れ出して、それで逃げてたわけね」

「は、ハイ………」

 

 なぜか生身の状態で無事だった幼い姉妹に事情を聴いていたのだった。

 

「篝火所長!? 少し質問が…」

「シャラップッ! ちょっと黙りなさい。今、すんごく重要なこと聞いてんだから」

 

 ピシャリと楯無に言い放ったヒカルノが、ペタペタと幼い姉妹の体を触りながら、あるものを見つけ、さらに質問を続ける。

 

「これ、誰からもらったの?」

 

 彼女が注目した物。

 幼い姉妹の首から下げられていた十センチにも満たない薄く、四角い板のような物。実はそれはどこにでもある有り触れたものだったのだが、それこそが姉妹とほかの人間の明暗を決定的に分けたものだった。

 

「お母さんが私達にくれたんです。外に出て虫に刺されないように首にかけておきなさいって」

「あ~~! それ、私知ってるよ~!」

 

 意外にもその物体が何なのかを知っていたのはヒカルノや楯無でもなく本音であった。全員が彼女に注目する中、本音は得意げに解説してくれる。

 

「テレビで最近発売したってCMに出てた、電磁波で虫除けする奴だよね~」

「「!?」」

 

 本音の言葉に、ヒカルノはある種の確信を得る。

 

「やっぱりオーガコアが放出したナノマシン共、特定の電磁波には弱いみたいね………人の脳も電子機器にも両方クラッキングできちゃうみたいだけど、極限られた固有の電磁波を受けると機能を停止するみたいね………誰が作ったかは知らないけど、まさか虫除け如きに負けちゃうとか、とんだ『クソスクラップ』作ったもんだ」

 

 『クソスクラップ』と敢えて強調して言ったのは、街を襲った猛威を作った同じ科学者への敵意の証なのだろう。獰猛とも言える笑顔を浮かべながら立ち上がると、彼女は楯無の方を見た。

 

「電磁波でナノマシン同士がコミニケーション取ってることは間違いない。ならおそらく本体のオーガコアを停止させればこの騒ぎは収まるよ」

「じゃあ、それを早速……」

「何言ってんだい?」

 

 対オーガコア部隊の面々に今得た情報を渡そうとした楯無だったが、ヒカルノの考えは少し違ったようだ。

 

「オーガコアの操縦者にされてるっていう貴女の妹を救うのに、対オーガコア部隊の、特に一夏君の力が必要なのはわかるけど………今、こういう状況で一番必要なのは誰?」

「……………………えっ?」

 

 戸惑ったような声を上げる楯無だったが、ヒカルノはあえて彼女に辛辣な言葉を選択して言い放つ。

 

「その『間』が全部物語ってるね。いい加減にしなよお嬢様?」

「な、なんなんですか、いきなり!?」

「もう逃げ回る場合じゃないってことさ。いい加減認めて前に進めよ」

 

 楯無にしてみれば、この流れで突然ブチ切れているヒカルノの考えがまったく理解できなかったのだが、そんなヒカルノに同調するかのように、今まで事の成り行きを静観していた虚が話し出したのだった。

 

「篝火所長の言う通りですお嬢様………いい加減にしてください」

「!?」

 

 いつも一歩引いて楯無を立て続けていた虚とは思えない言葉に、楯無だけが驚愕しただけではなく、家族二人も驚きの表情となる。

 

「今、一瞬だけ自分と、自分の新型ISを使えばこの事態を打破できるとお考えになったはずです。なぜそれを言われないですか?」

「あ、あ、いや………それは違うの」

「………何が違うといわれるのです?」

「ホラ………その…部外者の私がいきなりそんな彼らと連携できないっていうか……ハハッ、困ったな」

 

 あえて明るめに言ったつもりだったのだが、虚にはその内側に閉じ込められている楯無の感情が読み取れていた。

 

「嘘つき」

「う、ウソつ・」

「また失敗するんじゃないのかとか、ううん。今度こそまた惨めな想いをするのが嫌なだけじゃない!?」

「な、なに言ってるのよ?」

「いい加減にしてくださいと言っているんです。なんで一度負けたぐらいで、一度戦力外通知されたぐらいで拗ねて周りも自分も全否定されてるんですか? 馬鹿じゃないですか!?」

「おい、虚っ!?」

「!!」

 

 見かねた父親が制止しようとするが虚は剣幕だけで押し黙らせ、ヒカルノも無言で父親の肩に手を置き、今は黙って見守るように仕向ける。そしてあまりに一度に捲し立てられ、一瞬だけ呆けてしまった楯無だったが、言葉の意味を段々と理解し始め、表情が険しくなっていく。

 

「なん………です…って?」

「そうじゃないですか!!」

「貴女になんでそんなこと言われないといけないのよ!!」

「言いますよ! 貴女に振り回されてるんですから!!」

 

 お互いに怒り心頭となって距離を詰めあい、相手の肩に手を置きあって睨み合う。

 そしてしばし沈黙した後、最初に口頭で火蓋を切ったのは楯無の方だった。

 

「一度の負けた『ぐらい』!? そんな言い方してる時点で何にもわかってないじゃない!」

「わかってますよ!」

「私の敗北は更識全体の敗北に繋がるの! だから私には敗北も失敗も許されないのよ!!」

「なんでそんなことになってるんですか!?」

「そう私が決めてきたからよ!」

「勝手に決めただけじゃないですか!! だからそれが馬鹿らしいって言ってるんです!!」

「!?」

 

 その言葉だけは許せなかった。

 例え、すべてを預けられると信じていた親友であろうとも、その言葉だけは許せるものではない。

 

 気が付いたとき、楯無は思いっきり虚の頬を平手打ちしていた。

 

「!?」

「お姉ちゃん!」

 

 本音の悲鳴に楯無も一瞬だけ動揺するが、虚は動揺することなく、お返しだと言わんばかりに楯無の頬を平手打ちで返す。

 

「虚っ!? お前、お嬢様になんてことを!?」

「まあまあまあまあ………」

 

 分家の従者が、宗家の、しかも現役当主に手を挙げるなどあってはならないと止めようとするが、ヒカルノは『今、良い所なんですから茶々入れない』と後ろから羽交い絞めして止めに入るのだった。

 

「貴女っ!?」

「何よっ! 最初にやってきたのはそっちでしょう!?」

 

 もうこうなると宗家も当主も分家も従者も関係ない。むき出しの二人の少女の喧嘩となり、互いに手を掴み、髪を引っ張り合いながら取っ組み合う。

 コンテナが若干揺れ、蒼褪めた幼い姉妹と本音が三人で抱き合いながら見守る中、二人の喧嘩はなお続く。

 

「痛ッ! 普段は優等生ブッておいて、これが貴女の本心って訳!?」

「くっ!? 貴女の方こそ! 天狗の鼻折られて少しは身を改めると思ってたのに、いつまでもウジウジと!!」

「天狗の鼻!? 私はいつだって頑張ってきた………頑張ってきたのよ!!」

「何が『頑張ってきた』ですか!! なんで貴女がそれを自分で言うんですか!? そうやって、自分を甘やかさないで!!」

 

 自分の血が滲むほどの努力を否定した虚に、更なる怒りが募った楯無が虚を押し倒し、つられて自分も地面に転がってしまう。その拍子にお互いにあちこち傷ができ、若干の血が流れるが、そんなこと気にすることもなく、楯無が虚の上に馬乗りとなり、彼女に平手を浴びせ続ける。

 

「貴女に、何がわかるよの!」

「さっきから、そればっかり!!………貴女の方こそ、なんでわからないんですか!!」

 

 虚の渾身の叫び声がコンテナの中に木霊する。

 

「貴女がっ! ご当主となるために頑張ってきたことなんて、皆知ってるのよ!」

「!?」

 

 楯無の手が止まった。両手を掴んだ虚が勢いよく起き上がり、今度は楯無を押し倒して馬乗りし返す。

 

「きゃあっ!?」

「皆、貴女が誰よりも頑張ってることも、努力してることも、当主として立派に振る舞おうとしてることもっ!」

 

 楯無の頬を幼馴染の平手で打つ。

 

「亡き先代様と奥様の分まで簪ちゃんを愛して守ろうとしていることもっ!」

 

 何度も何度も何度も打たれている頬に、やがて平手以外の感触のものが落ち始めることに楯無は気が付いた。

 

「私達、『更識』の人間全てを守ろうとしていることも、全部知ってますっ!」

 

 それが虚の涙であったことを楯無が理解したとき、虚の手は止まり、彼女は溢れる涙を必死に拭いながら、自分の知ってほしい気持ちを言葉にし続ける。

 

「だったら………なんで……私達のことも頼ってくれないんですか?」

「!?」

「いいじゃないですかっ!? 一回ぐらい負けたって!! 一回ぐらい負けたって………私達にとって貴女はご当主のままです! 私達が信じるご当主のままです!」

「…………」

「なんで………負けたって……貴女がしてきたこと全部否定なんて、私達がさせません。だから………ご自分を信じてください」

「…………」

「お願いだよ………諦めないでよ。勝てなくたって、見っともなくたって、力が無くなったって、刀奈ちゃんは刀奈ちゃんだよ。私の親友なんだから!!」

「………虚ちゃん」

「だから…………だから…」

 

 止まらない嗚咽のままに、楯無を抱きしめた虚の暖かさが、彼女の心に染み渡る。

 

 フト、亡き母の言葉が楯無の心に蘇った。

 

 

 ―――でも一人ぼっちにはならないでね―――

 

 ―――時々でいい。肩の力を抜いて周りを見渡しなさい。広い目で見れればきっと多くの想いがあることに気がつけるわ―――

 

 

「……………お母様」

 

 亡き母が喜んでくれている。何故だかそんな風に感じ取った楯無は、今だに泣き崩れている虚と一緒に起き上がると、彼女を抱きしめたまま耳元でこう囁いた。

 

「ありがとう。貴女が私の親友でいてくれて」

「………刀奈ちゃん」

「馬鹿ね………ホント馬鹿ね、私は」

 

 いつからだろうか?

 いつから自分は誰のことも信じていなくなったのだろうか? 全てのことを自分一人で成さねば成らなくなったのだろうか?

 そんな当たり前のことすら忘れてしまっていたのだろうか?

 

「………皆」

 

 楯無がゆっくりと、周囲を見回す。

 

 ―――自分の腕の中にいる親友とその妹―――

 ―――ずっと自分についてきてくれた分家の人々―――

 

 自分が守りたい人々。同時に、自分と共に戦う更識の戦士達。

 そう。彼らは自分の手の内に入れておくべき存在ではない。そして自分は彼らを抱えて飛べなくなってはいけない。

 

「第十七代更識当主『楯無』として命じます」

 

 本音の腕の中にいる姉妹の姿………何があろうとも守り抜きたい、彼女の姿を楯無は思い出し、当主として従者の全てに命じる。

 

「今から私は更識簪の救出に向かいます。力を貸しなさい」

 

 当主として私心塗れの命令。だが自分という『楯無』には相応しい命令。

 そのことが分かっていた分家の人々は、ゆっくりと頭を下げ、ただ一言言葉を発する。

 

「「「御意ッ!!」」」

 

 ただそれだけで、この場の全ての人間が意思を共有して動き始める。

 

「装備を改めろ! 対人鎮圧装備だ!」

「「はっ!!」」

「殺傷装備は最小限で!!」

「「了解!!」」

「お嬢様はこちらに………」

 

 そして目の前にあるISの方へと導く虚に、楯無はちょっとだけ悪戯っぽい笑みを浮かべてこう言い放つ。

 

「あ~あ、戦闘前だっていうのに、あちこち痛い~」

「そ、それは!?」

「後、『自分を甘やかすな』とか『頑張ってること知ってます』とか、虚ちゃん、相変わらず感情が高ぶると言ってること、ちょっとメチャメチャになっちゃうよね?」

 

 楯無の指摘を受けて顔を真っ赤にする虚と、そんな虚の様子がおかしいのか、楯無は扇子を広げ、『僥倖』と文字を見せびらかしながら、親友に本当に感謝するのだった。

 

「………私、幸せ者ね」

「も、もう!! 今はそういうこと言ってる場合じゃないでしょう!!」

 

 ISの初期設定を手伝いながら、顔を真っ赤なトマトのようにした虚と、そんな姉の様子が面白そうに笑う本音を見ながら、楯無はISを纏い、静かに瞳を閉じた。 

 

「行くわよ、更識楯無」

 

 もう迷うことはない。

 今は、ただ成すべきことを成そう。自分が信じている人達が信じる、自分自身を信じて。

 

「『リュオート・プルトゥーネ(凍れる冥王)』」

 

 灰色の装甲に色が着く。

 

 ―――全身を青い装甲が覆い、さらにその上から冷気のヴェールが纏われる―――

 ―――ブルーティアーズよりも薄い青のバイザーと、保護用のマスクで頭部を覆い―――

 ―――背中には四枚の推進器と特殊兵装を兼ねた翼―――

 ―――両肩に大きな装甲を持ち―――

 ―――前機のよりも改良された『流氷を纏う』槍―――

 ―――左腕にシールドを持つ―――

 

 楯無がミステリィアス・レイディを組み上げた直後から、第3.5世代である紅椿がもたらした数々のデータをベースに独自で開発を進めていた二号機。

 悪鬼共を凍れる地獄に繋ぎ止める冥府の女王。

 

 頭脳をクールに、心に情熱を秘めた更識楯無の新たなる翼に、火が灯ったのだった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「随分と、好き勝手してくれちゃったみたいね」

 

 右手に持った槍、『蒼流旋・改』を構え、広大な敷地を凍結させた楯無がゆっくりと周囲を見回すと、隣にいた箒を縛っていたケーブルを叩いて砕く。凍結した末に脆くなっていたために簡単に砕け落ちる。

 そして各関節を氷に覆われてうまく動けない人々を楯無は割と乱暴な手つきで押しのけると、箒を立たせ、楯無は彼女の耳元で指示を送る。

 

「(気づかれると100%妨害が入るから、できるだけひっそりと一夏君を助け出して)」

「(!? ですが、簪がじっと待っていてくれるとは………)」

「(簪ちゃんの全ては私が受け持つわ。なあに、お姉さんを信じなさいって!)」

 

 笑顔の中に確かな強さが宿っていることを感じた箒は、自身もISを展開して、簪の隙を突いていつでも動き出せる体勢を作る。

 一方、柔和な笑みを浮かべたままで、慎重に簪に近寄る楯無は、こうやって動き回っている簪の姿に、大いなる怒りと、そしてホンの少しの嬉しさを覚えてしまう。

 

「………心のどこかで、もう二度とそんな姿を見れないと思ってた」

 

 もう二度と微笑むことのない、動くことのない、そんな妹の一生を心のどこかで想像していたことを認めた楯無は、だからこそと首を横に振って、今の簪の姿を否定する。

 

「何処の誰かは知らないけど、聞け」

 

 陽太が感じたように、すでに楯無は簪のオーガコアを操っている人物がいることを直感していた。

 

「私達は全力で簪ちゃんを取り戻す。そしてその後、簪ちゃんをこんな風にしたお前を、地の果てまで追いつめて罪を報わせる。必ず………必ずだ」

 

 簪の向こう側にいる者に、数百年続く対暗部組織の歴史の全て。その強さを見せつけると楯無は高々と宣言する。

 

「対暗部組織宗家第17代当主、更識楯無………いざ尋常に、参るっ!」

 

 四枚の翼と両肩から冷気を噴出した、悪鬼を凍れる地獄に誘う冥府の女王は、燃える心と冷徹な頭脳を持って、今こそ自分の真の戦いを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ということで、楯無姉さんの覚醒回でした。
虚姉ちゃんマジ友達ですね






PS

陽太「盛り上がってるところ悪いんだけど、さすがにしんどくなってきた」(まだ凍ったままです)

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