最近クロスアンジュばっかりみてたのが原因か………おのれ、ク〇ニ兄貴にアンジュさんめ
てなわけで、とりあえずの学園襲撃編の完結です
更識の一族が経営する『鵜飼総合病院』に搬送された千冬の手術は、実に8時間にも及ぶ大手術となった。
開胸され、晒された心臓の損傷具合がひどく、どうしてこの状態で日常生活を送れていたのか執刀医であるカールと同じ手術台にたった医師が驚愕するほどで、普通の人間ならばとっくの昔に亡くなっていたという感想から、普段から彼女が生死の境に立たされながらも平然と自分達に教鞭を振るいつつ、対オーガコアの指揮を取っていたのかを教えられ、教え子達の気は地に落ちてしまう。
「……………」
真夜中になった病院の廊下において、手術室の前の椅子にISスーツを着て、頬に乾いた千冬の返り血をつけたまま座り込んでいた一夏は、青褪めた表情と恐怖かくる震えを隠せず、両手を膝につけたまま俯き、虚空を見つめ続ける。
「(イヤダイヤダイヤダイヤダイヤダッ!! 千冬姉が死ぬなんてッ!!)」
もはやそれは織斑一夏にとって世界の滅亡を告げられてしまうことに等しかった。
彼には両親と呼ばれる存在が記憶の中にはない。物心ついたときからすでに肉親は千冬だけであり、ほかの親戚も親類もおらず、そのことに何度か疑問や不満を覚えたこともあったが、特別悲しいと感じたこともなかったのだ。
「(千冬姉が………死んじまうっ!!)」
そう。彼女がいつだって自分のそばにいてくれたから………。
血が滲むほど拳を握り締め、千冬の命が風前の灯となっている今の状況と、それを導いたものが何なのかを考え、彼は絶望する。
「(そうだよっ!!………なんで千冬姉だったんだ!? 死ぬなら俺のほうがいいじゃないかっ!! 何にも知らないで……弱くて、無力で………すぐに調子に乗って……誰も守れないくせにっ!!)」
自分が平凡で当たり前の暮らしをしていた裏で千冬はいつだって死の危険に見舞われながらも自分に微笑み続けていたことが、そんな姉の苦痛に何も気づかずただ盲目的に凄いとのたまい、彼女を守ろうだなんて考えていた。
「(お前が代わりに死んじまえばいいだ、織斑一夏っ!!!)」
誰が誰を守る? その言葉に込めるべき覚悟も決意も想いも何もかも持ち合わせていなかったというのに? なら、その『守る』という言葉を口にしていい人物が生きて誰かを守っていくべきで、何一つ持っていない自分がのうのうと生き残ることのほうが罪深いんじゃないのか?
ただひたすらに自分の心の中に一夏は絶望を募らせていく中で、彼に近づく人物がいた。
「………一夏」
制服姿にいくつかの絆創膏と包帯を巻いた箒が、手にスポーツドリンクと軽食を持って労わる様に声をかけてくる。
「少し体を休めろ一夏」
「………いい」
短く話を切り捨てようとする一夏の姿に、苛立ちよりも悲しみが湧き上がった箒は彼の隣に腰を落とすと、尚も必死に懇願する。
「戦闘が終わってから飲まず食わず休まずでは体を壊してしまう! ここは私が代わるから…」
「代わるだってっ!?」
突然立ち上がって、箒を睨みながら一夏は激高する。
あくまで箒は彼を気遣った言葉をかけただけで、今までの一夏ならば笑って感謝するべき場面だったはずだ。
「ああ、俺が代わればよかったんだっ!!」
「………一夏?」
「俺が代わりだったらそれでよかったんだよっ!! 箒だってそう思ってんだろ!?」
彼が何をどんな風に怒っているのかまるで理解できなかった箒だったが、次の言葉を一夏が放った事でようやく合点がいく。
「俺が………千冬姉の代わりに…………死にかけてりゃ」
「一夏ッ!!」
瞬時に理解したがゆえに箒も我慢できず、立ち上がると彼の肩をつかんで険しい表情でその言葉を否定しようとする。
「誰も一夏にそんなことを望んでない! 私も! 陽太達もっ!! 千冬さんだって・」
「そんなの誰もわかるわけないだろう!」
「わかるっ!! 何のために千冬さんが命を賭けて戦ったと思っているんだっ!!」
「!?」
その箒の言葉を聞いた一夏は今度こそ何も言えなくなり、全身の力が抜け落ち、箒に寄りかかる。
「一夏っ!?」
脱力して自分に抱きついてくる一夏の変化に、昼間のダメージが今になって現れたのか、と本気で心配しつつ、彼に必死に話しかける。
「………イヤだ」
そして一夏は箒の身体にしがみ付くと、まるで縋り付く様に泣きじゃくりながら叫び続ける。
「イヤだイヤだイヤだイヤだっ!!………千冬姉が死んじまうっ!!」
「………一夏っ!!」
「俺、まだ、何も出来てないッ! 千冬姉のために何も出来てないのにっ!! それなのに………」
もう何をどうすればいいのか、考えることすらできない。
今にも消えてしまいそうな姉の命を前に、自分は何一つすることがないことに打ちのめされた一夏の心は完全にへし折れたのだ。
そしてそんな一夏に抱きしめられた箒も、彼の様子に打ちのめされる。
「………一夏」
彼の姉を死の淵に追いやったのは自分の姉なのだ。
彼の一番大事な家族を奪い去ろうとしたのは自分の家族なのだ。
そして自分の親友に重傷を負わせた事件の発端を作ったのも姉で、世界の混乱を生み出したのも………自分の姉、篠ノ之束なのだ。
「(私は………)」
何故こんなことになってしまったのだろう?
力なく膝を折って泣き崩れてしまう彼を胸に抱きしめ、彼女自身も砕けてしまった自分の心を必死に繋ぎ止めるように一夏に縋り付いたのだった。
☆
「………また雨か」
深夜の病室において窓の外を眺めていたシャルに、夜空から降り注ぐ雨が嫌な気持ちを思い出させる。自分に強烈な印象を持たせたマリア・フジオカとの戦いの日も、そして実母が死んだ夜も雨がこんな風に降り注いでたからだ。
「………手術、まだ終わってないのかな?」
自身も腕と頭に包帯を巻きながらも、ベッドの上で深い眠りに落ちていた陽太の看病を続ける。
千冬の搬送を最優先させ、彼女を手術室に送り出すまで陽太は気丈に振舞っていたのだが、手術が始まった途端、まるで糸の切れた人形のように崩れ落ち、彼もまたこの病院で処置を受けることになった。
そしてその怪我の頻度がまるで交通事故にあったかのような酷いものであり、普通なら立っていることすら出来ないものだった。
「………一夏」
ストレッチャーで搬送される千冬の姿を顔面蒼白で見送っていた仲間の様子も気に掛かる。だがもし陽太が目を覚ました時に傍にいなければ、またどんな無茶をしだすかわかったものではない。
口を開けばトラブルを呼び寄せ、非常に高圧的な言葉で相手と接して当たり前のように誤解されがちだが、本当はとても仲間思いで優しい気持ちを持っているこの幼馴染が、恩師が生死を彷徨うこの状況で目が覚めても暢気に横になっているとはとても思えないのだ。
「織斑先生………」
シャルロットにとっても千冬は大事な恩師だ。本来なら一刻も早く様子を見に行きたいのだが、彼女自身も昼間に立て続けに知らされた真実を前に、動揺が隠せないのだった。
亡国機業を創設した人物の壮絶なる半生。
その人物に育てられた三人の傑出した人物達。
しかし師の死に様を許容できない二人がこれから起こそうとする世界の破壊と再生。
そして、この世に生み出された『IS』と『オーガコア』の存在の意味………。
「………わからないことだらけだよ」
彼女達の話が全て事実であったとしても、そのことで世界を滅ぼそうとするだなんて、やはりシャルロットには許容することはできそうもない。ましてや彼女達の恩師、『英雄』アレキサンドラ・リキュールはずっと平和を願いながらこの世界を守ってきたというではないか。なぜそんな人物の想いを知っていながら、あえて正反対の事をしようとするのだろうか?
「…………もう、わかんないよ」
椅子に脱力してもたれかかるシャル。目の前で起こった事とこれから起ころうとする出来事があまりに大き過ぎ、今のシャルにはこれ以上考えをまとめることもできそうになかった。
「………わかんなくてもやることはあるだろう?」
「!?」
だがそんなシャルの思考を打ち破るように、死んだように眠っていた彼女の幼馴染がゆっくりと起き上がりだしたのだった。
「ヨウタッ!」
「ふぬぐっ!?」
が、極力ゆっくり起き上がったつもりではあったが全身の傷が治ったわけでもなく、くまなく駆け巡る激痛に脂汗を垂れ流しながら顔をしかめてしまう。
「起き上がるなんて何を考えるの? 一週間は絶対安静だってお医者様が言ってたのに」
「そんな寝てる暇は無い」
シャルが寝かしつけようとするのを手で押しやった陽太は、病院着のまま起き上がると、点滴の台を杖代わりにベッドから抜け出して病室から出て行こうとするのだ。
当然、そんなことはさせられないとシャルが強烈に抗議し、彼を押し戻そうとする。
「どこに行こうとしてるの!? まだ寝てないとダメだよっ!!」
「………千冬さん…手術は終わったのか?」
「あ……」
荒い息をしながらの陽太の問いかけに、シャルは視線を外しながらも答える。
「ま、まだ………それで箒は手術室の前にいる一夏の様子を見に…」
「それで? どうせ潰れた便所虫のような面してんだろうが…」
『よっこらせ』と小さく掛け声をかけて歩き出すと、廊下に出て歩き出す陽太は、フラフラしながらもしっかりとした表情で隣で自分を支えるシャルの方を見た。
「………わりぃ、心配かけて」
「!?………な、なにを!? き、急に謝られても」
「いや………無茶なことして心配かけたから」
いつにない様子の陽太に戸惑うシャルだったが、当の陽太はそんなシャルの変化に気がつかずに話を続ける。
「シャルが俺を止めようとしてたのは知ってた………でもあえて無視した」
「……………」
「正直に話す。あの女(アレキサンドラ・リキュール)がIS着けた状態で面と向き合った瞬間に、頭の中じゃ『勝てない』事が判ってた………でも、認めたくなかった」
「………ヨウタ?」
「認めたくなかったんだ。今までIS使った戦いで負けるなんて一度もなかったから………だから何も考えずに正面から喧嘩売った………結果は、ご覧の有様だ」
音が鳴るほどに陽太が右の拳を握り締め、歯を食いしばり、それでも前を向くことを諦めずに歩きながら話を続ける。
「今のままじゃ駄目だ。俺も皆も………あのバカも」
「………うん」
「立ち止まってる時間は俺達にない。嫌でもここからは全力疾走しないと………今回みたいに運良く敵が見逃してはくれない。もう二度とな」
運が良かった。
束に何かしらの思惑があったからこそ、それを知ってか知らずかアレキサンドラ・リキュールが乗ったからこそ、自分達は今、こうやって五体満足していられる。この幸運は完全に敵側の気まぐれによってもたらされたものであって、自分達の力で何一つ勝ち取れてはいなかった。
自分達は負けたのだ。本気を出してもいない相手に、遊び半分で。
「だから………今だけは…ぐっ!?」
しかし、どんなに意気込んでみても重症の身体は思うように動いてはくれない。エレベーターの前まで来たものの、痛みで上手く立つことすらままならずに壁にもたれかかってしまう陽太だったが、そんな彼を支えたのは心配そうな表情をしたままではあったが、苦虫を潰したような気持ちのシャルロットであった。
「だからって私の前で無茶ばっかりされても………私は何一つ平気になれないよ」
「………すまねぇ」
「謝れば何でも許してあげられる訳じゃないんだからねっ!」
渋々といった表情でエレベーターのボタンを押すシャルロットは、ドアが開くまでの間、愚痴っぽい口調で陽太に言い聞かせる。
「私達だってわかってるよ………今まで以上に強くなって、これ以上織斑先生に心配かけさせるような真似をしちゃいけないんだ」
「シャル………」
「だから………約束してね」
エレベーターのドアがちょうど開き、二人を招き入れた。
「一人で………どこか遠くに行かないで。また一人で傷つくような真似はしないで」
「…………」
「それを約束してくれないと………私、ヨウタのことまっすぐに信じられないんだから」
思わぬシャルの言葉………今回の無茶な戦いぶりで、シャルには色々と心配をかけすぎたのだと今更ながら気がついた陽太は、バツの悪そうになって何とか答えてみる。
「………その件に関しては、これから善処させていただく所存です」
「………ヘタレ」
☆
薄明るい濃い霧の中を、千冬はひたすらに歩き続ける。
いつから歩き出したのか?
どこから歩き出したのか?
どこに行こうとしているのか?
それすらもわからぬまま、千冬はひたすら歩き続けていた。
「私は………何をしているのだろう?」
何故自分はこんな所を歩いているのか、どうして立ち止まらずに歩き続けるのか、そしてどこに向かおうとしているのか………それすらもわからぬのに、彼女は確かな足取りで自分すらわかってはいない目的地へと進み続ける。
「それに………私はどうしてこんなところにいるのだ?」
記憶が曖昧だ。とても大事なことがあったような気がするのにそれを思い出すことがどうしてもできない。いや、自分自身が何者だったのかすらも曖昧になってくる。
わからないことだらけの彼女が永遠とも一瞬とも思える時の中を歩き続け………その光景は唐突に訪れる。
「!?」
―――雲一つない青空から降り注ぐ蒸し暑い陽光―――
―――煩くなく蜩の鳴き声―――
―――そして、とても懐かしいアスファルトの道のり―――
「……………」
気がつけば先ほどの霧の中から抜け出し、まるで違う空間に彼女は立ち尽くしていたのだった。
「…………ここは」
だが彼女が今立つ場所は、彼女自身がよく知る場所であった。
自宅から歩いて10分もかからない場所。よくその道のりをいつも楽しく走り抜けていた場所。
自分達に、陽だまりと温もりと厳しさと繋がり全てをくれた場所。
気がついた時、千冬は走り出していた。
「!!!」
何かに取り憑かれたかのように走り出した千冬が道の角を曲がり、目的地である平屋に差し掛かった時、彼女の耳には確かに届いていた。
―――とても美しい音色の、『彼女』の歌声―――
「はっ!!」
手入れの行き届いた垣根の向こう側、彼女が植えたという柿の木の向こう側にある洗濯干し台で、襷掛けをした浴衣を着た女性が洗濯物を取り込んでいた。
「!!」
彼女の姿を見るなり、千冬は古い戸口を潜り抜け、玄関の横の小脇を駆け抜け………彼女の前で止まったのだった。
「あら」
美しい碧の長い髪を結い上げた女性が、取り込んだばかり洗濯物を手で広げながら、さも当然のように千冬に声をかける。
「おかえりなさい千冬。今日は暑いから洗濯物が良く乾くわね」
「あ……あ……」
対して千冬は信じられないものを目にしている気分だった。否、実際問題目の前の人物がこうやって平然と洗濯物を取り込んでいること自体が信じられない光景なのだ。
なぜなら………彼女は確かに10年前、自分がこの手で殺めた人なのだから。
「あ………せ…ん………」
この手で自分はこの人を、親友達の一番大事だった人を、世界の在り方を変えることができる人を、塵に変えたのだ。
汚名を着せて、賞賛の声を掻き消し、彼女が成し遂げた功績の総てを粉々に砕いたのだ。
「せ……ん…せ…い」
「ん? あまり日差しの強い場所に立っていたら、熱中症になってしまうわよ? 家の中に入って涼みなさい………今、麦茶を入れてあげるから」
なのに彼女はそんなことをまるで感じさせずに、いつものように自分達のことを想っていてくれる声で話しかけてくれる。
変わらない優しい声で『英雄』アレキサンドラ・リキュールが自分の罪を許してくれるように………。
「先生ッ!!」
「あらあら?」
気がついたとき、千冬は縁側に腰をかけて洗濯物を畳んでいた彼女の膝に飛び込んでいた。
「……う……ぅう……う……わぁ……ぁうああああああぁあぁあぁあぁああッッ!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたままで、止めようもない感情の嵐が、千冬が今まで溜め込んでいたものの全てを吐き出させる。
「……あ……あぁ……あ……あ……ぁ……あ……っっ……!!」
収まることのない嗚咽と泣き声を上げながら、火の着いたように泣き続ける千冬の背中を優しくさすりながら、彼女は嬉しそうな、どこか楽しそうな笑顔を浮かべるのだった。
「どうしたの? 今日はアリアとまた喧嘩しちゃったの? それとも束?」
背中をさすっていた手が畳み掛けていたタオルを取り、千冬の頬を伝う涙をぬぐうと、いまだに目尻を赤く晴らした千冬を笑顔で見つめながら彼女は静かに話しかける。
「本当に………貴女は泣き虫さんね、千冬」
幾人もの少女たちから『ブリュンヒルデ(戦乙女)』と称えれる千冬であったが、師である彼女にとってはいくつになっても変わらずに涙脆くそして情が厚く、誰よりも他者を思える優しい女の子でしかなかった。
そして教え子の両頬に優しく両手を置いた彼女は、この青空と同じどこまでも澄んだ空色の瞳で千冬を見つめ、静かに語る。
「千冬……貴方のお話、私に聞かせて頂戴」
この十年、千冬が何を見て何を聞いて、そして何をしてきたのか………恩師の声色に導かれるまま、千冬は少しづつ語り始めたのだった。
所々に真っ白い雲を含み始めた青い空の中、千冬は恩師に己の10年の歩みを事細かに説明した。
―――ISの軍事運用―――
―――女尊男卑による社会構造の歪み―――
―――オーガコアによる被害―――
―――そして束とアリアによる世界を巻き込む争いと、それらを見ていることしかできないでいた情けない自分―――
こうやって言葉に出すことで、如何に自分が情けない存在なのかを改めて思い知る。僅か十年………師がいなくなっただけでこうも容易く世界は歪な形になり、親友二人は破滅を呼ぶ戦いを起こそうと着々と準備を進めていたというのに、自分は何もできなかったのだ。
「………先生」
「ん? なあに?」
千冬が落ち込んだ様子で話し込んでいたが、対照的に師であるアレキサンドラ・リキュールは穏やかな表情のまま、時々相槌を打ちながら取り込んだ洗濯物を畳み、綺麗に整頓すると襷を外して再び千冬の隣に座り直す。
「貴女は………すでに亡くなっておいでなのですね?」
「そうね………私の時間はもう10年前に終わっているわ」
そしてその仕草があまりに自然であったがために、ひょっとしたらという淡い希望を口にした言葉だったが、恩師の返事は自分がすでになくなっているという自覚を持ったものであった。
「ですが………先生はっ!?」
「一度川に流れてしまった水滴は元には戻らないわ。同じ水滴に見えてもそれは違うものでしかない………起こった問題によって出された結果(答え)は変えられないの」
諭すような師の言葉。だが、今の千冬はこの言葉があまりにも辛い。
「………そうです」
そうだ。結果は変えることはできない。そう………自分は負けたのだ。
束にも、アリアにも………力も言葉も想いも何も届くことはなかったのだ。
「私は………私では駄目なんですっ!」
「……………」
「私は貴女のような偉大な人にはなれないっ!! 誰もが認めて誰もが慕ってやまない、英雄になんてなれませんっ!!」
「……………千冬」
「どうして私を選んだんですか!? 貴女が生きていてさえくれれば、すべては丸く収まったのに………きっと……束もアリアも貴女の言葉なら止まってくれた。世界に馬鹿な風潮なんて流れなかった。ISだってこんな形で発展するはずなかった!」
千冬は胸にたまった不満を、鬱屈とした言葉を恩師に思わずぶつけてしまう。彼女自身が無意識に思っていた『自分以外の誰かでもよかったじゃないか』『どうして自分だけが?』『貴女が全てやってくれたらよかったじゃないか!!』という不満があったからだ。
「…………千冬」
「?」
だが、そんな千冬の不満も彼女の前では………。
「女尊男卑」
「は、はいっ!!」
「まるで10代前半の女の子が男の子意識しちゃう感覚みたいね♪」
>え い ゆ う の こ う げ き !
>よ そ う の な な め う え を い く 宇 宙 カ ウ ン タ ー !
>ち ふ ゆ は ぼ う ぜ ん と し て し ま っ た !
「うんうん………そういう時って、やっぱりあるわよね~!」
「………はぁ?」
「気にするほどのことじゃないわ………いつか大人になれば皆が笑い話にできるはずのものだわ」
そうだ。忘れていた………目の前の恩師の思考のテンポと発想が一般人とはかけ離れているということを。
元からそうなのか必要に応じてそうなったのか定かではないが、己の恩師が世間一般で言うところの『ド天然』であることを思い出した千冬は顔を真っ赤にして激怒する。
「今はそういうことを言っているわけではありませんっ!!」
「あら? じゃあアリアと束とケンカしたこと? もう~……そんなの気にすることないの。ちゃんとまた仲直りできるわよ」
「け、喧嘩とか、そんな生温い争いをしたわけでは!?」
「昔、サンタクロースがいるのかいないのかでアリアと貴女で大喧嘩した時だって、ちゃんと仲直りできたじゃない?」
「あれはサンタなど夢の産物だという私の言葉を信じないアイツが………って、そういう事でもありませんっ!!」
「ん? じゃあ貴女宛のラブレターに束が勝手に返事の手紙の代わりに下着を入れて相手に贈った時のこと事?」
「寸前で気がついてなかったら、私の学生生活があまりに悲惨なものになるところで………ああ、もうっ!? そうでもないんです!!」
華麗に怒りを流された上に、どんどん話があさっての方向に流されそうになるのを頭を掻き毟りながら何とか耐える。この人と一緒にいるといつだって怒りが持続したこと試しがないのだ。
「………はぁ~」
「フフフ………ごめんなさいね。からかうつもりはなかったんだけど」
「『つもり』があったなら本気で怒りますよ?」
「それは怖い怖い」
そして立ち上がった恩師は、居間にある家具の上においてあったアルバムの中から、一冊を取り出しそれを戻って千冬の傍に戻ってくる。
「………ごめんなさいね」
「………先生?」
自分を見る恩師の表情が先ほどまでの陽気なものから一変し、深い後悔を抱いたものに変化していることに気がついた。
「貴女達を争わせたのは私なのよね」
「!?」
「………そうなるかもしれないとわかっていながら……全てを放棄したと思われても仕方ないか。アリアは特に怒ってたんじゃないかな?」
まただ。
またこの表情をしている。
自分達が大好きで、でも絶対に許せなかった表情をしているのだ。
「だったら、やっぱり今の世界の状況は私の責任に・」
「違うッ!!」
その先のセリフだけは言わせない。絶対に。
例え道を分かった束やアリアがこの場所にいても、きっと同じことを言っていたと確信して言える。彼女達だってきっとそんなことを思ったことは一度もないはずなのだから。
なぜ死んだこの人にまだ責任を擦り付けるような考えなどできようか?
「貴女は世界を守ってくれた! 私達を守ってくれた!! それが真実です!!」
千冬のその言葉にも、彼女はその顔を変化させることをしない。
話を理解した上で、『困ったような笑顔』を浮かべて、自分の責任にしようとしているのだ。何もかもを自分一人で背負い込んで、こうやってあいまいな笑顔で私達をごまかして………肝心な時に遠ざける。
「もう私は貴女に守られる子供じゃないっ! 今なら私は貴女の力にだってなれる!!」
そうだ。
もう守ってもらうことを当然とする子供の時代は終わりを告げた。子供はいずれ大人になる………そして自分は大人にならなければならないのに、いつまでも恩師(母親)の手を繋いでいるわけにはいかない。
「……………?」
何か忘れている。
肝心な何かを今の自分は忘れている………とても大切にしていた『何か』を。
「…………千冬」
「?」
「そうね………貴女はもう私の腕の中にいる子供じゃない」
―――その手で開かれたアルバムの中に…―――
「貴女は、『この子』達の先生なんだよね?」
―――確かに彼らは輝いていた―――
「あ………」
「貴方はちゃんと自分の時間の中で、積み重ね続けてきたものね」
―――「………強くなるぞ。俺達はッ」―――
自分の弱さを受け入れ、立ち上がることを選んだ一番弟子が………。
―――「間違ってなんかないッ!! 千冬姉ッ!!」―――
愚直といわれても、それでも純粋に信じてくれる弟が………。
―――「私と………友達になってくれませんか?」―――
師と似た魂の輝きを放つ、優しい心を持った少女が………。
―――「もう何も、失うものかと、決めたから!!」―――
後悔すらも糧として、剣を持つ道を選んだ親友の妹が………。
―――「私達で、必ず亡国機業(ファントム・タスク)の野望を挫いてみせます!!」―――
本物の誇りを取り戻し始めた真の貴族の令嬢が………。
―――「だから、アンタは私『達』が絶対に救ってみせる!!」―――
偽りを脱ぎ捨てて、本心から全てと向き合う弟の友人が………。
―――「我等の隊長は………負けない!」―――
たとえ一番になれなくても何にも代えがたい絆を結べると知ってくれた教え子が………。
彼等の後ろにも、多くの友人達が、教え子たちが………。
どんな真っ暗闇の中でも輝く星々のように、彼女が本当に大切にしている宝箱の中に、ちゃんと彼等は光り続けてくれていたのだ。
千冬がようやく全てを思い出したことを確認したアレキサンドラ・リキュールは、10年振りとなる師としての言葉を紡ぎ出す。
「だから、きっと変われる」
恩師は静かに、力強く千冬に語った。生前と同じように………真っ直ぐにそれを信じて。
「人は………私達は弱くて、時に間違ったり後戻ったりして………でも変われる。間違いも弱さすらも糧として、人は強くなろうと足掻くのだから」
「………私は」
「それでもまだ、貴女の心が迷うなら………その時は思い出しなさない。貴女の思い出を」
それが貴女の支えになるように………恩師のそんな言葉にしない気持ちが自分の中に流れ込んでくるのを感じた千冬は、今度は暖かな涙を流しながら………ゆっくりと立ち上がる。
そんな彼女を心底嬉しそうに微笑みながら、そっと背中を押すような言葉を送ってくれたのだった。
「帰ってあげなきゃね………貴女の大切な人たちの元に」
「………でも」
しかし、全てを思い出しても、一つだけどうしても捨てておけない気持ちが千冬にはあるのだ。
彼女はゆっくりと振り返り、涙を流しながら恩師に問いかける。
「先生………私達が生きることが、変わっていくということなら………私は…貴女の手をもう離さないといけないんですよね?」
「………そうね」
もう自分はこの人に手を繋がれながら歩く子供ではいられない。
いつまでも変わらない過去の中にいる『先生』に甘え続ける教え子ではなく、『英雄』であるこの人がもたらしてくれる『平和』に守られる子供でもなく………。
自らの足で立ち上がって歩く『大人』として生きるために、この人の手を離さないといけないのだ。
「(…………なんだ)」
ようやく理解した。
自分は『不変』を望んでいたのだ。
変化を受け入れずに、いつまでも変わらないものがあるのだと心のどこかで信じ切っていただけだ………この世にある物の中で変わらないものは『過去』だけで、それ以外のものは全てが変化し続けるというのに。
そしてこの期に及んでもまだ………自分は………。
「先生ぃ………私達は……貴方をまた『置き去り』にしないといけないんですか?」
止められない涙で身体を震わせてそう問いかける。
それが本当に世界の真実で、変化するという『優しさ』であるのなら、今の千冬にはそれがあまりに残酷に思えてならなかった。
「………私もかつて間違えてしまった」
どうしても切り捨てることができない『甘さ』という名の暖かな優しさを感じたアレキサンドラ・リキュールは立ち上がると、千冬の瞳を見つめながら語ってくれた。
「星がその質量で重力を生み出すように、私の身に降りかかった出来事はきっと、自身の力がもたらした責任の形でしかないの」
「……………」
「誰もがきっとこの掟からは逃れることはできない………だから私は運命(さだめ)を受け入れた。受け入れた者のみが、運命(さだめ)を乗り越えることができるのだから」
逃げるわけではなく、誤魔化す為でもない。乗り越えるために、ただあるがままを受け入れる………理想である人の生き方を行った者の言葉が静かに教え子の心に響く。
ゆっくりと背後に回り千冬の背中に手を置くと、彼女は言った。
「さあ、お帰りなさい。貴女が生きている『現在(いま)』に」
そっと、背中を押された千冬は二、三歩後ずさりしながらもそれが意味することを噛み締めながら、何とか言葉を紡ぎ出す。
「………先生」
「………なあに?」
「私………大切なものができました」
「………うん」
「私………行きます!」
振り返り、重く重く、一歩、一歩と歩き出す。
どんなに決意を固めても、もう二度とこの場所に戻ってはこれないことを無意識に自覚してしまったのか、今すぐ振り返りたいという気持ちが強く滲み出てしまうのだった。
「千冬!」
恩師がそんな千冬に声をかける。二度と振り向くまい、そう堅く決意した彼女の背中に、恩師は最後の別れの言葉を送ってくれる。
「私は、アリアも束も世界のみんなも………」
十年前と変わらずに、どれほど穢そうとしても決して染められない自由の心と想いで………。
「貴方の事も………大好きよ」
「!?」
あの日と同じ言葉をくれた恩師に、10年前………泣くばかりで告げることができなかった少女の千冬は今度こそはっきりと気持ちを伝えられた。
「私もッ!………先生のこと大好きッ!!」
その言葉を告げると同時に千冬は走り出す。
「………いってらっしゃい。気をつけてね」
そんな風に自分に向かって手を振りながら優しい言葉を言ってくれる人を一人残し、それでも『過去(むかし)』よりも『現在(いま)』を守りたい。そう願いながら溢れて止まらない涙を拭い去ることもせずに千冬は走り続ける。
時に、辛くて厳しいことばかりが待ち受ける現実だけど、それだけじゃない、眩しい輝きを放つ人達が生きる、彼女が守りたい世界に彼女は自分の意志で今度こそ最後まで戦い抜くために帰還するのだった。
☆
「……………イヤだ千冬姉」
箒の腕に抱かれてどれほどの時間がたったのだろうか?
そのことすらももう意識できない一夏はひたすら千冬がこの世から消え去ってしまうかもしれないという恐怖に打ち震えていた。
「一夏………」
そんな一夏になんと言葉をかけたら良いものなのか、まるでわからない箒が抱きしめ続ける中………もろく崩れてしまいそうな二人を無理やり引き裂く者がいた。
「………心配して見に来てみたら案の定かっ!!」
「!?」
脇から伸びた包帯が巻かれた手が一夏の襟首を握り締めると、彼を無理やり立たせ、そのまま壁に叩きつけるかのような勢いで押し付けた。
「ヨウタッ!?」
重傷の身でどこにこれほどの力があるのか? と疑いたくなるような力で一夏を押し付ける陽太を何とか引き剥がそうとするシャルだったが、戦闘時のような鋭く炎が灯ったかのような瞳となっていた彼の横顔を見た瞬間、あまりの迫力に後ずさってしまう。
「陽太ッ!? 貴様ッ!!」
箒も同じく彼を一夏から引き剥がそうとするが、そんな箒にも一瞥もくれない陽太は、目尻を赤く腫らした一夏を睨み付けながら吼えた。
「答えろッ!! 今、お前がやることは何だ!?」
「ぐっ………あ」
「答えろォッ!!!」
激怒した陽太の言葉を受けた一夏であったが、今の彼にはその怒りにすらも反論も恐怖することもできずに、ただうなだれながら呟くのみだった。
「わかんねぇーよ………俺、何にもわかんねぇーよ」
「!?」
諦めにも似たその言葉を聴いた瞬間、陽太はさらに表情を険しくして、包帯が巻かれた自分の額を一夏の額に叩き付けるかのように近づけると、声のトーンを落として小声でささやく。
「教えてやるよ………そのクソみたいな面を今すぐ止めろ便所虫」
「………ほっといてくれよ……俺は………なんにもできなかった。何もできないんだ」
自分は何もできない、何もわからない。だからもう関ってこないでくれ。そう言いかけた一夏の言葉を襟首を強烈につかみ上げることで遮った陽太は、今すぐに殴り飛ばしたいという衝動を抑えながら、一夏に質問し続ける。
「何も出来なかった? なんで過去形になってんだ? 何、終わったことにしてんだ? まだ何も終わってねぇーだろうがッ!!」
「だって………もっと早く俺が千冬姉の身体の事に気がついてれば………こんなことにならなかったんだろうが!!」
「………知ってたら、だからどうした?」
その言葉が一夏の心にナイフよりも鋭く突き刺さる。
「いや、それだけじゃないな。仮にお前が千冬さんよりも強かったとしてもだ………お前には何もできないよ」
「………な……に…?」
「今すぐ織斑の姓を捨てろ。お前は千冬さんの弟じゃない。家族でもない。お前みたいなクソ便所虫、おこがましいにも程がある」
心に突き刺さった刃から、血の代わりに一夏の怒りが流れ出し、それが表側に徐々に現れ始める。
「………お……ま…え」
「この期に及んでそのクソ自惚れ………ここが病院じゃなく墓場なら五秒で墓石の下に埋めてやるのにな」
「何がわかるってんだよぉっ!!」
流石に今の陽太の言葉を許容できる精神状況ではない一夏が今度は逆に陽太の襟首をつかみ上げて押し返してくる。そしてシャルと箒が流石にこれ以上はと、二人の背中から羽交い絞めにして引き剥がした。
「ヨウタ、言い過ぎだよッ!」
「落ち着け一夏ッ!!」
二人の少女に引き剥がされた陽太と一夏だったが、興奮が収まらない一夏に対して、冷静な表情で彼を見つめる陽太が、千冬の背を思い出しながら言い放つ。
「そんでな………仮に俺があの爆乳よりも強かったとしても、千冬さんは結局今日みたいな無茶をしたんだ」
「!?」
「何でかなんて決まってんだろ」
それはすでに確定されていたことなのだろう。自分達がどう言おうが、力付くで取り押さえようが今日という事態は必ず起きていたと今の陽太は感じていた。
「それだけあの人には重大なことだったんだ………自分自身で決着をつけなきゃいけない『宿命』だったんだ」
「………あ」
「10年かけた我とそして命を賭けた意地の張り合いなんだ。自分自身が信じるもの全部ぶつけた戦いだったんだ。そんなところに、俺達がどんなアホ面浮かべて割って入れるってんだ?」
その戦いに何も知らずに割って入れるわけがない。知っていたとしてもおいそれと口出しできるはずもない。
一人の人間に師事を受けた三人が、その後の人生全てをぶつけ合った場所に、簡単な善悪論で立ち入るなど、陽太にはとてもじゃないができそうもないと感じ取っていたのだ。
「どんな姉弟だろうが家族だろうが、あの人の人生はあの人のものだ。だから立ち入れない場所っていうのはあるんじゃないのか?」
「だからって………じゃあお前は千冬姉が自分から死にに行くのを黙ってみてるのが正しいっていうのか!? そんなもんが正しいって言うなら俺は間違いだっていい!」
ボロボロの身体で無茶をしたことに対しては腹が立つが、彼女自身が貫こうとした我侭には理解を示す陽太と、家族として彼女には何よりも生きていてほしかった一夏の視線がぶつかり合う。人間として、家族として、千冬のことを思い合いながらも反発しあう二人の少年だったが、ふと、陽太が視線を外しつつ静かに語った。
「………お前がそう思うならそう思えばいい……どうせ何言ったところで考え変えないんだろうが?」
「ああっ!」
「はっきり言いやがって………とりあえず今はそれはいい。横に置いとく」
手で荷物を横に置くジェスチャーをしつつ、半睨みの状態で一夏を見た陽太が先ほどの醜態を改めて問い質すのだった。
「元気になった所で聞いておくが……何、ピーピー、姉ちゃん姉ちゃんと箒の巨乳に顔埋めながら泣いてやがったんだ?」
「なっ!?」
「………そ、それは」
改めて言われると物凄い気恥ずかしさが湧き上がり、一夏の顔を真っ赤にさせることに成功する。ついでに箒の表情も真っ赤にしてしまうが。
「千冬さんの我侭は結果的にだが俺達は聞いてやった。それだけでも土下座級の感謝のポーズを要求してほしいところだが今はやめたる。そんでこっからは俺達のケンカ(ターン)だ。宣戦布告をしてきた以上は、馬鹿乳もアホ束も両方地面に引き摺り下ろして這い蹲らせて哀願させながら『陽太様サイコーに最強』と言わせんといかん」
「色々と必要ない部分が多いよヨウタ?」
「そのために一秒でも早く俺達は強くならんといかんというのに……………デカパイで慰めてもらうとか、お前は喧嘩売ってんのかっ!? てか代われッ!!」
「黙りなさい」
「ハゥッ!?」
折れたアバラの部分を握り締めながら笑顔でお仕置きするシャルと、顔を真っ青にして悶絶する陽太だったが、途中であることに気がつく。
「(ヨウタ………一夏のこと励ましに来たんだ)」
『あの』陽太が、一夏のことを心配してキツイ言葉になってしまったが激励しに来たということに気がついたシャルは妙に嬉しくなる。まだまだ色々と角が立つ物言いしかできないが、少しづつ周囲のことを気遣えるようになってきた幼馴染の成長と、そのことが彼女に大切なことを思い出させてくれたのだ。
「一夏、箒」
「?」
「シ、シャル?」
「ヨウタの言う通り、私達は強くならなきゃ………織斑先生に守ってもらうためじゃない。今度は私達が守る側なんだ」
守られる子供の側から、自分達は力を手にして誰かを守る側に踏み出している。かつての千冬が辿ったであろう道に自分達も踏み出そうとしている。そしてそれを自らの意思で選んだというなら、もう「力が足りなかった」「弱かった」なんて言い訳は通用しない。
自分達で決めたことなのだ。だったらそれによって引き起こされる事態の全てに自分達の責任があるハズだ。
「ああ………」
「………一夏」
そんなシャルの言葉が、一夏と箒の心の深い部分に染み渡っていく。陽太が怒ったのも無理はない。まるで全てが終わったかのように勝手に決め付けて勝手に投げ出そうとしていたのだから。千冬が最後まで投げ出さずに命を賭けて戦い続けた姿を見ていたにもかかわらず、彼女の背中から何も学ぼうとしていなかった。
「(そうじゃないか………俺は、千冬姉の後を継ぐんじゃないのか?)」
「(疑念も疑惑も沢山ある………だが、自分をブレせてどうする篠ノ之箒ッ!?)」
後悔から下を向き、前を向いて進むことを忘れかけていた自分を戒めながら、その顔には『前進』のための意志を宿す二人に満足そうな笑みを浮かべるシャルと、二人に背を向けながら煙草を加える陽太………正面から今、顔を見られるのがどうやら気恥ずかしいようだ。
「!?」
が、その時、陽太が見つめていた手術中のランプが消え、扉の向こうから何人もの人間の足音が聞こえてくる。
「千冬姉っ!!」
「終わったのか」
「織斑先生!」
一夏達も心配して扉を見つめる中、開かれた手術室から汗だくとなった手術着のカールが帽子を取りながら出てくる。
「……………」
硬い表情のまま見つめてくるカールに言葉が出ない四人。
失敗したのか? 成功したのか? 時間にして数秒の間ながら、一夏にはとてつもない間を感じさせる中、やがてカールは………。
「フッ」
ゆっくりと微笑みながら親指で自分の背後から運ばれてくるベッドを指差す。カールが術後の説明をする中、彼の話がまったく耳に入ってこない生徒達から………安堵と喜びと…嬉しさのあまりに涙が溢れてこぼれ出すのだった。
☆
自分に差し込んでくる日の光で、ようやく朝になったのだと認識したラウラは、一睡もできないままにずっと同じ体勢で毛布に包まれながら、恐怖に打ち震えていた。
「教官………教官!!」
彼女の倒れた姿を見たラウラは、ショックのあまりに過呼吸で倒れこんでしまい、気がついたときには自室でセシリアと鈴に見守られていた有様だった。
学園側を完全に空き家にできないから、という理由で病院に行けなかったセシリアと鈴とは違い、今のラウラは一夏同様に心が折れた状態であるために、皆に気を使われたのだ。
「………私は、私は」
千冬の死など考えるだけでも恐ろしいラウラにとって、今、外に出て彼女の容態を確認することすらも恐怖の所業である。もし今外に出て、千冬の葬式が行われていたとしたら、ラウラはすぐさまに自分も後を追うべきなのだろうか? そんなことすらも考える中、希望は仲間によって彼女にもたらされる。
「ラウラッ!」
「ラウラさんっ!!」
ノックもせずに部屋に入ってきた鈴とセシリアに、彼女は大げさなぐらいに身体をびくつかせて反応してしまう。
「な、なんだ!? い、今は私には構わないでくれ」
そんな突き放すかのような言葉を放ってしまうラウラだったが、息を切らせながら通話中のスマフォを無理やり手渡した鈴は、満面の笑みでこう答えてくれた。
「そういう台詞は電話口の人にも言ってみなさいよ」
「?」
電話相手が誰だというのか? 何も考えられずに虚空を見つめるラウラだったが、そんな彼女の脳裏にありえないはずの彼女の声が響く。
『……か………まわ…ん…わけ……にも……いく…まい」
「!!?」
息が詰まる。心臓が高鳴る。呼吸が激しくなり、目じりに涙がたまってしまう。
『………しん…ぱい…を……かけた…な』
「………いえ゛っ!」
堪え切れなくなった涙が零れ落ち、ついでに鼻水まで流してしまうラウラが、力一杯にスマフォを両手に持ちながら叫ぶ。
「ご無事でな゛に゛よ゛りでず、き゛ょう゛がん(教官)!!」
安堵のあまりにワンワン泣き叫ぶラウラを見かねた鈴とセシリアが、ラウラを笑いながらからかい出すが、彼女達の目元にも涙が溜まっていたことをラウラが指摘するのは、また別の話であった………。
意識を取り戻した千冬に宛がわれた病室でも、彼女の手を持ちながらラウラと同じように泣き続ける一夏と、そんな彼をはにかみながら見つめる箒とシャル………そして陽太だけは病室の壁にもたれながら朝焼けの空を見続けながら、考え続ける。
「(アレキサンドラ・リキュール…………まったく俺が手も足も出せなかった相手。最高の屈辱を与えてくれた相手)」
圧倒的な実力差を見せつけられた陽太だったが、不思議と腹立たしさを今は感じてはいなかった。逆に彼女に対して思い浮かべたのは………。
「(………ありがてぇ)」
感謝の言葉を浮かべながら、彼は心の底から『喜び』を感じていたのだ。
「(よくぞドでかい山であってくれたぜ………超えてやるよ、絶対になっ!!)」
超えるべき相手と巡り合えたことに、ある種の感謝の気持ちすらも覚えた陽太が、誰にも見られないように一人獰猛な笑みを浮かべ、ひたすらに空を見続ける。
そう………この僅か数ヵ月後、火鳥陽太と織斑一夏。両名が、千冬や束やアレキサンドラ・リキュールの想像を凌駕する『進化』を見せつけることになろうとは、当人達も思ってはいなかったであろう。
そしてIS学園に襲撃してきた亡国機業と篠ノ之束、そして両陣営における世界に向けての宣戦布告。
これらの事態に対して、かろうじて亡国側と『痛み分け』をしたIS学園であったが、この数週間後、更に世界が激しく動くことになると、そして今回の事件が動いた世界に思わぬ形で影響してくるとは、まだこの時には誰も知る由もなかった。
そう………入院中の千冬の元に『戦力の八割を消失され、亡国機業に完敗した連合軍』などという凶報が舞い込むなど、まだこの時には誰も知る由もなかったのだ。
今回も詳しいあとがきは活報のほうにかかせてもらいますね