その後、空港から技術者達と同じく空輸されてきた必要な機材の数々を奈良橋教諭の指示の元に校内に運搬される中、十蔵と千冬と真耶、ベロニカと彼女の秘書の女性と完全に真っ白になったヴィンセントの、IS学園とデュノア社陣営の話し合いはつつがなく終了する。
「持ち込まさせていただきましたパーツの資料はこれで以上です」
「了解しました。組み立てのほうは、こちらの『地下施設』で」
真耶と秘書との書類同士のやり取りを見ながら、千冬と十蔵、そしてベロニカは今回の視察の『裏』の本命ともいえる事案についての協議を進めていく。
「しかし、本当によろしいのですか? ミセス・デュノア」
「費用の折半までしてくださいますと、流石に心苦しいものがありますな」
「いえ、これも全ては防衛のため。先方の方々も快く了承してくださいました」
「では、要である『熱核タービンエンジン』の調整と組み付けを、早速執り行わさせていただきます」
「………要といえばもう一つ」
「『マグネッサーフライトウイング』の方でしたら、先日、中国経由で海路を使い、今は倉持技研第二研究所の方で調整を行っております」
タブレットに表示された組み立て途中の『とある大型機動兵器』を見ながら、十蔵は険しい表情でベロニカにこう告げる。
「これが完成すれば、対オーガコア部隊の活動範囲は一気に世界中へと広がり、迅速に任務に就くことが可能です。しかし、同時に敵との交戦比率は今までの比ではなく、危険度は跳ね上がるでしょう」
「………はい」
それはつまり、今まで以上の危険がシャルにも待ち受けていると、暗に伝える十蔵に対して、ベロニカは静かに瞳を閉じながら答えた。
「心配はない………といえば嘘になります。親である以上、どこにいても、いつだって子供の心配は尽きません」
それでも自分は、血の繋がらなくても心で結ばれた娘の信じることを信じてやりたい。母親としての気持ちをそう告げるベロニカであったが、僅かに震える彼女の手を見た千冬は、信じ続けることの難しさと、信じ続けようという気持ちの強さを同時に感じ取り、頭を下げて宣言する。
「部隊の全員を五体満足生きて帰してみせます。私の全身全霊に賭けて」
強い意志を宿した瞳は、真っすぐに千冬の気持ちをベロニカに伝えられた様で、彼女の言葉を聞いて安堵したのか、心からの笑みを浮かべるのであった。
「織斑先生もご自身を大事にしてください。この間、手術を終えたばかりなんですから」
「………はい」
「弟さんのことはシャルロットからも聞いています。とてもお姉さん想いの、優しい男の子だと」
「あ、いや、その……」
「彼の気持ちも無視してあげないでくださいね」
何をどのように勝手に伝えているんだ。と若干頬を紅潮させる千冬を見て、十蔵と真耶は声に出さないように必死に肩を震わせて笑いを堪える。
一仕切りの話を終え、残りの案件を明日の打ち合わせに回すことにした一行は、ここにきてようやく真っ白になって、無言の置物と化していたヴィンセントに話を振るのであった。
「アナタ、いい加減、黙っていないで何か話してください」
「ハッ!?」
妻に小突かれ、ようやく我を取り戻したヴィンセントは、再び泣きそうな顔で彼女を問い詰める。
「シャ、シャルに! シャルロットに、こ、こここここ子供がぁっ!」
「ええ。先入観を持たないように、今日まで姿を写真や画像で見ないようにしてましたが、とっても可愛らしい子でよかったわ。それになによりも、シャルや陽太君に似て、とても優しい子で」
「あんな小僧に似てたまるかぁっ!?」
そこにだけは何があろうとも同意しない。鋼鉄の意思を見せつけるヴィンセントにうんざりしたのか、ベロニカは大きくため息を一度つくと、たんぽぽのことを説明する。
「二人の子。と言っても、血の繋がりはありません」
「な、なぬ?」
「どうやって、別れて半年足らずで、五歳ほどの幼子をシャルロットが産めるというのですか?」
時間的にどう考えても無理。と伝えると、指折り確認してようやく確信できたのか、心底安堵したかのようなため息が今度はヴィンセントから漏れた。
「………つまりはシャルはまだ清らかな乙女のままだと」
「それはわかりませんわ。なんせ若い男女が二人。ですから」
「なんだとぉっ!?」
再び沸き上がった怒りを見て、もうこの人は放っておこうかと半ば本気で思い始めているベロニカであったが、ヴィンセントはまたしても陽太に対して在らぬ疑惑を投げつける。
「シャルの産んだ子ではない。しかし、小僧のことを父親だと認識している………つまりは、どこぞの女との間で産んだ子をシャルに養育させているというのか!? 許せ・」
「アナタ」
猛烈にテンションが盛り上がったヴィンセントであったが、瞳に殺気に似た怒気が宿ったベロニカの表情を見た瞬間、一瞬でテンションが地面を突き破ってマイナス方向に突き抜けていく。
「たんぽぽちゃんの前で、父親が誰だ、とか、母親が誰だ。とかは決して口にしないでください………アナタと違って、あの子は繊細なんです。それに幼子の前で、言って良いこと悪いことの区別ぐらいは付きますわよね?」
「い、いや………私は」
「………ねっ?」
会議室に充満したオーラは、デュノア社社長の選択肢を一つに絞らせる。表情が消えうせたヴィンセントはすぐさまテーブルに額を擦り付ける寸前まで頭を下げた。
「ハイ。わかりました」
「よろしい」
完全に決定権を掌握しているベロニカの様子。
板についたお辞儀のポーズを取るヴィンセント。
そしてその様子を特に気にする様子もなく、帰り支度と明日の準備を同時に行う秘書の様子。
千冬の脳裏に、いつもしょうもないことでシャルロットに叱られて土下座している陽太の姿と、その様子を特に気にすることもなく自分たちの書類を書いている一夏達の様子がダブって見え、『ああ、この人はデュノアの母親なんだ』という事実を強く噛み締めるのであった。
☆
会議室から退出した一行は、また別件で出掛ける予定だった十蔵を除き、学生寮にある食堂へと向かう。
途中、学園の施設の説明を兼ねながら、学生達の普段の授業内容などをベロニカは熱心に耳を傾け聞いていたのは、きっと普段は離れて暮らしている義娘の様子が気にかかっていたからだろうと、千冬も理解していた。
「成績、素行、コミュニケーション能力。どれを取ってもデュノアは優等生なのですが、皆に頼られすぎているのが災いしてか、自分から誰かを頼りにする場面があまり見受けられないのが、少々気にかかりますね」
「ええ………あの子、生みの母親に似て、大事なことは一人で背負い込んでしまうみたいで」
自分に掛け替えのない宝物をくれた、今は星になって天で自分達を見てくれているたった一人の親友もそうだった。
当時、一介の学生の身分でしかなかったのに、未婚の母になるなどということがどれほど大変なことだったか? 聞けば彼女の両親は、彼女が幼い時に事故で亡くなっており、残された遺産は一般人が成人するまでの間に使い切れてしまう額でしかなかったそうだ。
そんな中で娘を出産し、さらには一人の行く充てもない少年を受け入れ、立派に育て上げたのだ。頭が下がる想いになる反面、やはり自分に頼ってほしかったという思いも胸にはあるのだ。
「両親や周囲に甘えているだけの私では頼りにならないのは当たり前なのですが………おかげか、彼女が姿を消した後、私は勉強だけの毎日を大学で送って、巡り巡って今はこうやっているのですが」
自分の惨めさ、悔しさ、そして後悔。そこからの逃避行動だったことが、まさか彼女の娘を助ける手立てになるとは、まさに人生とは実に奇妙なものである。
「…………それでも」
「織斑先生?」
「…………それでも、あなたはご立派です。そして、貴女は紛れもなくデュノアのもう一人の母親です」
自分だってそうだ。
血の繋がらない『先生(あの人)』が、自分に沢山の物を与えてくれて、今もこの場所にいる。
出会い、訣別、毎日が大変だった過去を乗り越えて、弟子達と共に彼女の信じたもののために戦おうとしている。10年前に恩師の命を奪い、気が狂いそうになっていたころには想像もできなかったことが、現在となっているのだ。
「わからないことだらけですね。人生とは、本当に」
「…………ハイ」
歳は離れているが、不思議と親近感が沸く二人の背中から、友情に似た縁が結ばれている。
そんな様子を温かく見守る真耶であったが、真っ白になって背後を着いて来ていたはずのヴィンセントがいつの間にかいなくなっていることに気が付き、はぐれてしまったのかと探すのだが、存外直ぐに見つけることができた。
―――食堂の入り口から、見つからないようにこっそりと中を覗き込むヴィンセント―――
「………アナタ」
すぐにベロニカも気が付き、頭を抱えてその姿を嘆く。おそらく堂々と食堂に入るには怒ったシャルロットが怖いのだろう。その場ですぐに謝罪すれば良いものを、こうやって情けない姿を見せるから逆に娘の怒りを買っているのではないのかとベロニカは溜息が漏れる。
一方、ヴィンセントが覗き込む食堂の中では、ベロニカがフランスからお土産として持ってきた大量のお菓子を前に、女生徒達が喜びの声を上げていた。
「きゃああああああっーーー!!」
「このマドレーヌ美味しいっ」
「このマカロン、昔テレビでやってた有名スィーツ店のでしょ!?」
「フィナンシュ美味しすぎ!」
スィーツ大国フランスでも有名なパテシェが作ったスィーツばかりを持ってくるあたり、ベロニカは少なくともヴィンセントとは比較にならないぐらいに年頃の娘に対しての配慮を行う母親であった。
「あ、おかあさんっ!」
大きなホールケーキを切り分け、たんぽぽに出していたシャルロットも彼女に気が付き、その声に仲間達も振り返る。
「皆が気に入ってくれて、持ってきた甲斐があったわ」
「シャルだけではなく、我々の分までの差し入れをいただき、本当にありがとうございます!」
席を立って敬礼するラウラを見て、ベロニカは画面越しに見ていた娘のルームメイトが本当に堅物であるんだなと再認識するが、徐にベロニカは手を伸ばしてラウラの頭を撫でだしてしまう。
「ベ、ベロニカ女史っ!? いったい何をされて………」
「ああ。画面越しにいつもシャルが頭を撫でてた意味が良く分かるわ。ラウラちゃんって、なんとなく癒される気持ちになるもの」
ヒーリング効果がある頭らしい。と褒められているのかどうなんだか分からない評価をもらって、赤面して俯いてしまうラウラは、背後でクスクスと笑っていたシャルに気が付き、思わず友人を睨みつけるのであった。
「お初にお目にかかります、ミセス・デュノア」
次にスカートの裾をもって優雅に一礼したのは、この場で最も上流階級の人間と馴染みのあるセシリアである。
「こちらの方こそ。ミス・オルコット」
「セシリアとお呼びください、ミセス」
事前に話を聞いていたが、イギリスでも名門のオルコット家の令嬢が、本当に実働部隊に配属されていることに内心驚きが隠せなかった。
古くから続く家柄で、イギリス王室とも繋がりが深く、彼女の母に当たる人物はフランスでもその名が知られていた実業家であったが、突然の訃報が数年前に伝えられていただけに、目の前の少女もまた、義娘同様に苦労を重ねてこの場にいるのだろうと想像する。
「では、セシリアさん。娘と仲良くしてもらって、義母(はは)として大変嬉しいわ」
「私の方こそ。シャルロットさんには、いつもお世話になっておりますから」
当たり触りがないように返答するセシリアに、ベロニカは頼もしさを覚えるが、周囲の人間から「いや、本当に世話になってるんじゃない? たまに頓珍漢なこと言いだしてシャルがフォローしてるし」という視線を送られていることにセシリアが気付くことはないのであった。
「凰鈴音です。鈴(リン)って呼ばれてます」
「初めまして。篠ノ之箒です」
「………篠ノ之?」
ベロニカの反応に、ISに関わる以上やはりその名に反応しないことはできないのかと、内心でため息が漏れそうな箒であったが、彼女の次の言葉は予想外のものであった。
「じゃあそのお隣にいる男の子が、箒さんの彼氏の一夏君ね?」
「なぁっ!?」
何故、どうしてそういうことになっているのかと、赤面して硬直する箒と、同じように硬直してしまった一夏に代わって、鈴が高々と言い放つ。
「絶対に違いますッ!! 未だに一夏は完全ドフリーの物件です!」
「あら? なるほど………そういうことなのね」
若干頬っぺたを膨らませながら鈴が言い放ったのを見て、三人の関係を大体察したベロニカは硬直している一夏に手を指し伸ばして挨拶する。
「噂のプレイボーイの織斑一夏君。初めまして」
「プ、プレイボーイ!?」
「(私の経験を言わせてもらうわ。男の子は誠実じゃないといけないわよ?)」
小声で言われた言葉に目を白黒とさせる一夏の様子が面白かったのか、『からかいがいがある』と思ったのか、それ以上は何も言わない。言ったら面白いことにならないのだ。
ベロニカの頭に、ニョキリと猫耳が生えているのを幻視した陽太は、『エルーさんもそういえば似たところあったな。さすが親友同士』とベロニカの一面を改めて垣間見た気がするのであった。
そして年長達が挨拶を交わす中、一人黙々とお菓子を食べ続けるたんぽぽは、口の中に目一杯ケーキを放り込み、瞳を輝かせて両手でほっぺを抱えている。こんなにおいしいお菓子を本日は無制限に食べていいといわれたのが余程嬉しかったのだろう。
「たんぽぽちゃん、美味しい?」
「シェフをよべ! おいしいですっ!!」
「食べてる最中に立ち上がるな。そして食堂で大声出すな」
上機嫌そうに両手を挙げて言い放つたんぽぽに陽太が一応の注意をする。シャルもナプキンでたんぽぽの口の周りを拭いながら、嬉しそうに笑うのであった。
「まだまだ一杯あるから、ゆっくり食べなさい」
「はーい!」
そう言われたたんぽぽは、とりあえず食べるペースを落としながらゆっくりと食べ始める………一回に口に放り込む量を倍にしていたが。
「まだ食うのか? お前、それ多分3ホール目だろ?」
「ケーキは、べつばら」
「どこで覚えたんだ、そのセリフは?」
人間ダイソンと化して、変わらない吸引力で大量のお菓子を食べ続ける娘にげんなりしながら、陽太はブラックコーヒーを飲む。大食漢の彼をもってしても胸やけを起こしそうなぐらいの甘い物を、たんぽぽはペロリと平らげるのであった。
本当に幸せそうにしている義理の孫娘同然の養女の様子が嬉しいベロニカであったが、ふと、表情を引き締めると、隣にいる陽太のほうを見やって、話しかける。
「ヨウタ君?」
「は、ハイッ!」
しかし、話しかけられた陽太にしてみれば、ベロニカとは少しばかり話しづらい心境でもあったのだ。
「(ヤバイ、ずっと見られてる)」
最後に話をしたのはフランスでの一件の時で、あの時自分の心境をありのままに話したのだが、よく考えれば、陽太が心の内を素直に全部話すなどということは大変珍しいことで、しかもそれを恥ずかしげもなく言えた数少ない一人なだけに、あの時のことを思い出して戸惑っていたのだ。
「……………」
何も言わずにジッと見つめられ、背中と額に冷たい汗が流れる中、そっとベロニカが右手を振り上げると………。
―――陽太の頬に、『降り抜かない』平手打ちを喰らわせるのであった―――
「………」
平手打ちを食らった陽太も、その光景を見ていたシャルやたんぽぽや仲間達も、一斉に静止してしまう中、ベロニカが静かに口を開いた。
「………どうして、私に殴られたか、分かる?」
「………」
考えが追い付いていない陽太は勿論分からずじまいなのだが、彼女はそのことを理解した上で話を進めていく。
「わからない。と言いそうだから先に言っておくわ………貴方がフランスから去った後、シャルロットがどれだけ泣いていたか、貴方は理解しているの?」
「ぐっ」
話に聞いてただけなのだが、改めて言われると心に鋭い痛みが走ってしまう。そしてそのことで怒りを覚えての一撃なのかと思うと、ベロニカのこのビンタは当然のものだと陽太は思っていた。
「あら? もしかしてそのことで怒っていると思っているの?」
だが、ベロニカの怒りはそこではなく、もっと別の方向………そう、陽太自身の問題に向けられていたのだ。
「それは半分正解。娘を泣かされて怒らない母親はいません………だけど、私が怒っているのは、貴方が貴方を軽んじていることを未だに問題に思っていないこと」
「???」
「織斑先生から色々聞きました………相変わらず、何か危険が迫ると我が身を二の次にしてるみたいね」
何を言いやがった!? と千冬を睨みつける陽太であったが、涼し気にそっぽを向かれて流されしまう。
「わからない? これからは、貴方はそれではいけないのよ?」
「いや、それは………」
「隊長としての責務や立場やそういうことじゃないの。シャルのことも仲間の子達のこともそうよ? でもね………貴方はたんぽぽちゃんの『お父さん』なの」
ケーキを食べるのを止めて、不安そうに二人のやり取りを見つめるたんぽぽに、ベロニカは笑顔を向けて謝罪する。
「ごめんねたんぽぽちゃん………突然びっくりしちゃったでしょう? でも大丈夫。ベロニカママの言いたいことはすぐだから」
「…………」
未だに不安そうにフォークを咥えているたんぽぽから、陽太に再び視線を戻すと、彼女は諭すように言い放った。
「私はフランスで別れる際に『貴方の幸せを願ってる』と言ったわ。それは今も変わることはありません」
「………あ、ああ」
「貴方は貴方自身の幸せを考えなさい。戦いを止めろとは言いません。未来は誰の手にもないといけないものです。その為には時に武器を握って戦わないといけないこともあるでしょう。だけど、貴方が幸せになる権利を放棄することは、私は認めません。貴方は諦めることなく、自分と、そしてシャルとたんぽぽちゃんとの幸せを模索することをしないといけません………それが、貴方が『親』になるということです」
自分が幸せでないのに、どうやって幼い娘を幸せにするというのか?
自分を放り投げた人間が、どうやってこれから『自分』を獲得していく娘に道を示せるというのか?
諦めて手放しては決していけない手を、これからずっと繋いでいかねばならない者が、まずはその姿を率先して見せなければならないのではないのか?
「私が願うことも、きっとエルーと同じ。幸ある未来こそ、親が子に望むもの唯一のもののはず。それ以外何もありません」
「…………」
彼女の話はそれだけなのだが、陽太にしてみればやはり途方もない物のように思え、表情が曇ってしまう。これまでの人生において将来のことなど気にも留めていなかった。それが当然だと思っていたし、明日のことを気にする暇があるなら、今、目の前の敵(オーガコア)を倒す手段を講じることの方が遥かに重要に思っていた。
だが、ベロニカが話した内容は、これまでのそれとは全く異なるものだ。そしてたんぽぽの面倒を見始めてから、薄々と感じつつあった事柄であり、ひそかに悩んでいたことでもあった。
「…………ヌッ」
頭から湯気が出ている陽太を見て、ベロニカは思わずクスリと笑みが零れてしまう。
「(ああ、不器用なこの子も、こんな表情ができるのか)」
そして、こんなにも一生懸命悩めるのか。
一人の人間のために、一生懸命になれるこの子ならば、きっとこれから迷うことはあっても間違えることはない。いや、仮に間違っていても………。
―――ニヤニヤ顔で陽太を小突き回す、対オーガコア部隊の仲間達―――
彼は一人にならない。一人にさせない人々がいるのだ。ならきっと間違えても正してくれる人々と一緒に、少年は素晴らしい未来を勝ち取れる。そう信じることができる。
「………シャル」
「う、ん?」
ベロニカの言葉を陽太とともに聞き、半ば呆然となっていたシャルの耳元で、義母は悪戯を仕掛けるように怪しい表情で耳打ちする。
「(ヨウタ君も、貴方との将来設計は真剣に悩んでいるみたいよ?)」
「(!?)」
義母の言葉に過剰に反応して、一気に表情が真っ赤に染まるシャルロットであったが、そんな彼女を見て、たんぽぽがベロニカに問いかけた。
「ベロニカママ、『しょうらいせっけい』ってなに?」
「ん? たんぽぽちゃんがお姉ちゃんになる日も近い。ってことかな?」
一瞬、何を言われているのかわからんかったシャルとたんぽぽであったが、やがてシャルの脳内に『たんぽがお姉ちゃん→つまりは自分と陽太の間に子供が生まれる→つまり自分と陽太はそういう関係になる』という図式が浮かび上がり、思わず叫んでしまった。
「おかあさんっ!?」
「たんぽぽ、お姉ちゃんになれるの!?」
対して、椅子を降りてベロニカの足元に駆け寄ると、嬉しそうに両手を持ってその場をピョンピョンと飛び回るたんぽぽは、自分が姉になるということを純粋に喜んでいるといった様子である。
「わーい! たんぽぽ、お姉ちゃんになるー!」
「赤ちゃんが生まれたら、いっぱい可愛がってあげてね?」
「あいっ! たんぽぽ、あかちゃん、いっぱいかわいがる!!」
大人達の悪ふざけにも素直に喜びを覚えてくれる幼女の笑顔が溜まらなく愛おしいベロニカであったが、そこに意図せずに冷や水を差してくるのはやはりこの男であった。
「認めるかぁぁぁぁぁーー!!」
怒鳴りこみながら陽太の胸倉を掴み上げるヴィンセントを見て、完全にウンザリした表情になるベロニカは、どうしてこう学習してくれないのかと内心嘆いていた。
「貴様ぁッ! 状況を利用して、まさか性交渉をシャルに迫るつもりか!?」
「はいぃっ!?」
さすがの陽太も声が裏返る。まったく想像もしていないことを言い出す目の前の人物相手だと、普段は皆を振ります陽太が振り回されがちになるようだ。そんな中、高速で陽太を前後で揺さぶるヴィンセントであったが、ふと、足元からの視線に気が付き、振り返る。
―――大きな瞳を開いて、ヴィンセントを見つめるたんぽぽ―――
「……………」
自分を見つめる無垢な瞳を前に、またしても動揺してしまうヴィンセントであったが、やがて彼女は可憐な唇を開いてこう問いかける。
「たんぽぽ………お姉ちゃんになっちゃ、メッ?」
「えっ………?」
「メッ………なの?」
性交渉とは何なのかとか聞いてこないだけまだましではあるが、ヴィンセントはいきなり問いかけてきた少女に戸惑い、しどろもどろで答えようとする。
「いや、あのね………私はね」
「…………」
―――段々と瞳に溜まりだす涙―――」
「へぇっ!?」
言葉を出さないでしゃっくりを上げ始めるその姿を見て、慌てて慰めようとするヴィンセントであったが、時すでに遅く、二人の『鬼神』の怒りを買うことになる。
「お父さん」
「アナタ」
―――凍れる瞳で夫(父)を見るデュノア母娘―――
「ヒイィッ!」
怒気で食堂を一瞬で絶対零度の空間に変化させた二人に、全員が(心の中で)一歩下がる中、しゃっくりを上げてベソをかいているたんぽぽをシャルロットが抱き上げた。
「ごめんねたんぽぽ。ママはここにいるから」
「シャルロット………ヒグッ…ママ?」
「こんな変なおじさんほっといて、あっちに行きましょうね」
「ベロニカママ」
「変なおじさん!?」
暖かな瞳で義娘(義孫)を見る母娘であったが、ヴィンセントが何かを話しかけようとした瞬間、刃よりも鋭い瞳に一瞬で切り替える。またしてもショックを受けてその場に蹲る父(夫)を置き去りに、とっとと食堂を後にしてしまう三人の背中を見送りながら、陽太と一夏は内心でこう呟く。
「「(女っておっかねぇな)」」
幼子のためならば修羅と化すことができる女性という存在に、畏怖を覚える年若い男二人であったが、とりあえず目の前の中年男性をどうにかするべく、角が立たなない一夏から声をかけるのであった。
☆
そして奈良橋教諭とデュノア社技術陣によって、訓練機のOSのアップデートと、持ち込まれた新型の訓練用火器の搬入が大方終了し、固い握手が交わされる夜半過ぎ―――。
「えっ? 明日帰っちゃうのッ!?」
一晩の宿となっているIS学園の来賓者用宿泊施設において、一晩共に寝ることとなったシャルとたんぽぽが、ベロニカの部屋にパジャマ姿で訪れていた。
「そっ。お父さんもお母さんも、こう見えて結構忙しいのよ~」
スーツをハンガーにかけ、シャツのボタンをはずしてリラックスしていたベロニカは、自分とヴィンセントのみ、明日フランスに帰国することを告げていたのだ。
「フランス政府に今日の会議のことも伝えないといけないし、会社で仕事が山積みだもの。本当はもうちょっとゆっくりしたかったけど」
「じゃあゆっくりしたらいいじゃないか。仕事ならお父さんに任せてさ」
シャルが何気なくそう言い放ちながらほっぺたを膨らませ、幼さが一瞬見え隠れするが、ベロニカは苦笑しながらもやんわりと窘める。
「シャル………お父さんはあんなんでも、仕事に関しては優秀よ。それに今でも忙しいのに、これ以上負担をかけちゃ悪いわ」
「だって………」
「だってじゃありません」
せっかくたんぽぽと三人で色々出かけたかったというのに、それも当分は叶いそうにないと思い、口を尖らせてしまう。
「それに貴女だって、色々しないといけないでしょう? 部隊の訓練に、学校の勉強、それにたんぽぽちゃんのことだって」
「それは………そうだけどさ」
もう少し母親に甘えたいと思ったのだろうか?
そう思うと途端に我が娘が可愛く思え、ベロニカは思わずシャルを抱きしめてしまう。
「きゃぁっ」
「ふふん! こうやると、たんぽぽちゃんと大差ないわね」
幼子と同じ扱いはさすがに困る。とベロニカに文句を言おうとしたシャルであったが、その時、持ち込んだクレヨンで画用紙に何かを描いていたたんぽぽが、喜びの声を上げ、二人のほうに振り変える。
「できたぁ~!!」
「ん?」
「どうしたの、たんぽぽちゃん?」
先ほどから静かにしていたと思っていただけに、何を描き上げたのかとのぞき込む。
「「……………」」
「ちゃんとかけたよ~!」
笑顔でそう告げてくるたんぽぽを見て 二人も自然と笑顔が零れてしまう。
「明日、渡すの?」
「うんっ!」
「そっか………きっと喜んでもらえるよ!」
「うんっ!!」
柔らかい笑みが自然と零れてしまう中、もうそろそろたんぽぽは寝る時間だと、シャルは娘の手と歯を磨かせ、しっかりと拭き取ると彼女をベッドに寝かせようとする。
「今日は絵本はいらないか」
「…………」
いつも寝るときは枕元で絵本を読み聞かせるのが習慣と化しているのだが、今日は枕元で幼いころのヨウタの話でも聞かせようと思い、クスクスと思い出し笑いをしてしまうが、当のたんぽぽは全く違うことに注目していた。
「…………」
それはいつも、シャルが欠かさず自分の寝るベッドのに置いている二つの写真立て。
フランスから日本に旅立つ前に撮影した、シャルとヴィンセントとベロニカが映った写真。そしてもう一つは、幼い頃のシャルとヨウタ、そして実母のエルーを映した写真であった。
「たんぽぽ?」
「………シャルロットママ」
のそりと布団から抜け出たたんぽぽは、幼い頃の母親と父親が映っている写真を手に取り、シャルに問いかけた。
「ベロニカママは、シャルロットママのママ」
「うん?」
「こっちのママも、シャルロットママのママ?」
どうしてママが二人いるのか? 幼い娘の何気ない質問に、シャルは穏やかな気持ちで答える。
「そうだよ。ベロニカお母さんはデュノアのお家のお母さん。エルーお母さんはダリシンのお家のお母さん」
「………」
「エルーお母さんが私を産んでくれて、今はベロニカお母さんが私を育ててくれてるの」
「んんんっ~?」
首をかしげて考え込む仕草が可愛らしく感じ、シャルはそんなたんぽぽを抱きしめながら謝罪する。
「ごめんね~♪ まだたんぽぽには難しかったかな」
生んでくれた母、育ててくれている母。二人の母と同じ立場になって、ようやく分かりかけてきた想いが、今のシャルにはある。
健やかに育ってほしい。幸せの中で包まれていてほしい。言い出せばキリがないほどの想いが自分の中で生まれてきている。どうかこの子の未来に幸があらんことを………、
たんぽぽが眠りついてから、そんな祈りを神様へと捧げることもある。
「どっちのママも、シャルロットママにとっては大好きなママなんだよ。ってことかな?」
「!?」
そのセリフを聞いて珍しくベロニカが赤面してしまう。面と向かって娘から「大好き」と言われ、照れたらいいのか喜んだらいいのか、戸惑いが隠せない義母を見て、思わず吹き出しそうになるシャルロットであったが、そんな彼女の胸に小さな温かさがより密着してくるのを感じた。
「わかった!」
「たんぽぽ?」
「たんぽぽとおんなじッ!」
シャルとベロニカを交互に見比べ、たんぽぽは微笑みながら言う。
「たんぽぽも、シャルロットママだいすきっ!」
自分の想いを、理屈ではなく心で理解してくれる。母親としてこんなに嬉しいことはないと、また一つ親としての喜びを知ったような気になって、シャルがたんぽぽの額にキスの嵐を降らせる中、反対方向からベロニカが腕を回してたんぽぽを抱きしめる。
「今日は私と一緒に寝ましょうね、たんぽぽちゃん♪」
もうすっかり、ベロニカもたんぽぽにメロメロであった。シャルは負けじとたんぽぽを見つめて、自分のベッドで寝るように催促する。
「たんぽぽはいつもシャルロットママと一緒だよね~?」
「あら? お母さんを除け者にしようだなんて………たんぽぽちゃん、ベロニカママを慰めてくれないかな?」
「シャルロットママも、ベロニカママも、いっしょにねるの!」
三人仲良く川の字で………。
星が瞬く夏の空の下、三世代の女子三人が一つの寝床で眠りにつく。
「んにゃ…………まだ、たべる~」
小さな少女の愛らしい寝言を聞いた二人の母親が、お互いを見て微笑みながら眠りについたのは少し後のことになるが………。
「ひっぐ…………お前達に私の…ヒッグ……ぎもぢがわがるのが~」
「ああ、ええっと」
「俺達そろそろ」
部屋中に転がったビール缶と、一夏が作ったお手製のおつまみの山に埋もれたヴィンセントを前に、少年二人はどうしたものかと悩み続けていた。しかも、本来ここには千冬も同席していたはずなのだが、早い段階で「少し用事ができた」とか言って逃げ出していたのだ。こういう時だけ段取りの良いことでと弟子の陽太が内心で愚痴るが時すでに遅し。
「「(逃げる機を失った)」」
「私だって……グスンッ………シャルともっと仲良くしたいし…………本当はあの娘にだって……」
「ひっぐ…………お前達に私の…ヒッグ……ぎもぢがわがるのが~!!」
「「(この下り、もう7回目だよ)」」
結局深夜過ぎ、ヴィンセントがアルコールで酔い潰れるまで、二人の少年は延々と家庭の居場所を流離い求める悲しき中年のオッサンの愚痴を聞かされる羽目になるのであった。
☆
「身体には気を付けるのよ? シャル、たんぽぽちゃん」
「あいっ!」
「うん。お母さんも、仕事のし過ぎには気を付けてね」
あくる日の朝。
未だ作業が残っている技術者達を残し、ヴィンセントと付き添いの秘書と共にフランスへの帰路に就くために、送迎の車に乗り込もうとしていたベロニカを送り出そうと、シャルとたんぽぽ、そして対オーガコア部隊のメンバー達が来賓者用の駐車場へと集まっていた。
「ミセス・デュノア………いえ、ベロニカ氏。今度、日本に訪れるときがあれば、ぜひともゆっくりしてください」
「そうですね。その時は織斑先生と一緒に、どこかのカフェにでも行きましょうね?」
すっかりと仲良くなった千冬との別れの挨拶を済ませ、スーツケースを運転手に渡したベロニカは、細かな打ち合わせのスケジュールの確認をしていた真耶と秘書の女性が話を終えたのを見計らい、隣で蹲るヴィンセントに声をかけた。
「さあ、アナタも。最後くらい、ちゃんとした挨拶をしてください」
「う、うむ」
昨晩飲みすぎて完全に二日酔いになっているヴィンセントは、蒼い表情のままでシャル達の方を見る。
「…………」
「…………」
見れば、ほぼ徹夜状態の陽太と一夏の目の下に隈が出来ていたのだが、愚痴を聞いてもらった手前、邪険にするわけにもいかず、でも素面の状態だと仲良しこよしというわけにもいかず、結果として陽太を睨みつけたまま黙り込んでしまう。
「ハァ~」
最後まで意地っ張りのままなのか、と溜息が漏れたベロニカであったが、その時、両手に画用紙を持ったたんぽぽが、彼女を通り過ぎてヴィンセントの前に笑顔で立つのであった。
「?」
「あい、おじさん」
そして絵が描かれた画用紙をヴィンセントに差し出し、内容の説明をしてくれる。
「これが、まんなかにね、たんぽぽとおじさんだよ」
「!?」
―――たんぽぽとヴィンセントが手を繋いでいる姿がクレヨンによって描かれていた―――
「おじさんの、おみやげ!」
「なっ………なっ!」
震える手で画用紙を受け取り、ついでに全身震えだしたヴィンセントは、笑顔のたんぽぽを見て言葉を何とか紡いだ。
「わ、私の………ために……き、君が?」
「うんっ! おじさんとなかよしさんになるの!」
普段から「色んな人と仲良くなりなさい」とシャルに教えられているたんぽぽらしい考えで、こうやってプレゼントを渡すことを思いついたようなのだが、受け取ったヴィンセントの脳裏には特大の稲妻が迸ってしまうこととなる。
―――私はこの子と出会ってから、怒鳴ったり暴れたりしているだけだというのに―――
―――こともあろうに、そんな私と仲良くなりたいと!?―――
―――いや、思えば私の態度はかつての父と同じだ。エルーを受け入れられなかったあの人のように、私は自分の子供の娘まで否定しようとしていたのか―――
ああ、またしても愚かなことを繰り返していたのだ。と心から反省したヴィンセントは、その瞳から涙を溢れさせ、たんぽぽの前に膝まづく。
「おじさん? どうしたの? なんでないてるの?」
「私は………なんと愚かな」
「どこかいたい? おなかすいた? たんぽぽ、さすってあげるね!」
何かヴィンセントが体調を崩したと思ったのか、シャルに教わったように背伸びして、なんとかヴィンセントの頭を撫でだす。
たんぽぽの小さな手から伝わる、その優しさと温かさは、最近妻子に割とひどい扱いをされているヴィンセントが久しく忘れていたもののように思え、ヴィンセントはたんぽぽを抱き上げ、彼女を己の本当の孫として受け入れるのであった。
「済まないっ! 本当に済まなかった、たんぽぽちゃんっ!!」
「ふあぁ~!」
陽太とは違う、男の人に抱き上げられ、たんぽぽは一瞬呆然とするが、やがて笑顔を取り戻して祖父にこう話しかけた。
「うん。わるいことしたら、あやまる。だから、もういいの」
「許してくれるのか? なんという優しさ………これは天使だ!」
多分なにもわかっていない初孫の許しを得て、ヴィンセントの表情に生気が戻り、彼は非常に上機嫌でたんぽぽを抱えたまま、高々と宣言した。
「さあ、シャルロット! たんぽぽちゃんと一緒にフランスに帰るぞっ!!」
『……………えっ?』
凄く、凄く、輝いた瞳でいつものヴィンセントに………いや、たんぽぽという存在を手に入れ、より激しく暴走しだしたヴィンセントを見て、目が点になる一同。
「安心しろ!? たんぽぽちゃんの部屋ぐらいフランスにつくまでに用意させる! さあ、これからが忙しくなるぞ! まずはフランスで最高と言われている女子幼稚園に入学手続きと、エスカレーター方式で女子大に上がれるように根回しと………いや、たんぽぽちゃんの部屋は私の部屋の隣になるように、屋敷のリフォームが先か!? いや、それよりもまずは改めて家族写真で………ぬっ!? そのためには洋服が……チッ!? 子供服売り場に買いに………ええい、面倒っ! デザイナーを呼べ!! 私がたんぽぽちゃんに合った最高の洋服をデザインしてみせる!!」
何か勝手に脳内で色々段取りをし始めた父親を前に、シャルが問いかけた。
「ええっと………お父さん? 何を突然?」
「突然なものか!? たんぽぽちゃんのために綿密な計画を立てているのだ!」
「私はフランスには帰らないからね!」
「お前は母親なのだぞ! たんぽぽちゃんと離れ離れになってどうするつもりだ!?」
「言ってることはまともだけど、全然まともじゃない! 話を聞いて、お父さん!?」
相も変わらず一度走り出すと止まらないヴィンセントを止められないシャルロットであったが、状況が理解できてないヴィンセントの腕の中のたんぽぽが、首をかしげながら質問する。
「たんぽぽ、おうちかえるの?」
「そうだよ~たんぽぽちゃ~ん! お爺ちゃんと一緒にフランスのお家に帰るんだよ~!」
「??? でも、たんぽぽのおうちはココ」
そういってIS学園を指さすたんぽぽに、ヴィンセントはなおも笑顔で言い放った。
「ここは学校であって、家ではないんだ。だから、たんぽぽちゃんとシャルロットはフランスのお家に帰るんだ」
「たんぽぽと、シャルロットママ? ヨウタパパは?」
何気なく聞いたのだが、その名がたんぽぽの口から出た瞬間、背後から黒いオーラを噴出させ、笑顔だけは崩さないヴィンセントは、やんわりとたんぽぽに告げる。
「あの………か、彼は、このIS学園で大事な……そう! 世界を救うという大事な仕事があるんだ! だからフランスには一緒に行けないのだよ! なあっ!?」
―――心底忌々しいといった表情で陽太に合意を求める大人げない中年―――
「ええっ!?」
突然、そんなこと言われても答えようがないだろう。という陽太であったが、たんぽぽはするりとヴィンセントの腕から自分で降りると、彼を見上げながらテンションが落ちた声でこうつぶやく。
「じゃあ、たんぽぽもママもいい………パパいかないの、パパがかわいそう」
「!?」
ゆっくりと頭を横に振って、フランス行きを断るたんぽぽと、たんぽぽに断られ、ヴィンセントは愕然とした表情の後、血涙を流しながら陽太を睨みつける。
「(キ、サ、マッ!? 私とたんぽぽちゃんの仲を引き裂くために、この優しい天使の情を利用した筆舌に尽くしがたい下劣な罠を仕掛けていたのか!?)」
「(イヤイヤ。私は一切関わっておりません)」
瞳と瞳で通じ合う仲にいつの間にかなっているあたり、仲良しにはなっているのだろう。陽太は微妙な表情になっているが。
そしてようやく、何かを言う気力を取り戻した完全に呆れ顔のベロニカは、夫の肩に手を置くと、帰る催促をしだす。
「さあ、馬鹿話はこれぐらいにして。今日は帰りましょう………これ以上は見苦しいだけですよ、アナタ?}
「何が見苦しいものか!? 私はたんぽぽちゃんと一秒だって離れたくないのだ!?」
「いや、だから、それが見苦しいと」
「たんぽぽちゃん! さあ、お爺ちゃんと『お祖母ちゃん」と一緒にグフッ!」
―――鳩尾に突き刺さるリバーブロー―――
「あらヤダこの人。何を口を滑らせているんでしょう?」
―――続く鉄拳の嵐―――
目の前で鈍い音を立て続けに響かせながら、ひたすらに鉄拳の嵐が吹き荒ぶ中、ベロニカの様子を見たシャルは小声でヨウタに問いかけた。
「(お母さん、怒ると凄い。私、あんなに凄い殴り方見たことないもん)」
「………………」
「ンッ? どうしたのヨウタ?」
ここは同意してくれる場面のはずなのに、なぜかシャルの方を疑惑の眼差しで見つめるヨウタ………見れば、声が聞こえたのか、一夏や箒たちも同じような表情で見つめてくるのだから、急に居心地が悪くなる。
「な、なんだよ? どうして皆、そんな眼で」
どうして自分がそんな眼で見られないといけないのか? 訳のわからないといった表情のシャルを前に、たんぽぽが笑顔で言い放つ。
「あれ、しってる! いつもママがパパにしてるの!」
「!?」
祖父と祖母の様子を見ても動揺しない娘の一言に、シャルは激しく動揺しながらたんぽぽに問いかけた。
「な、なにを言っているのかな~? ママはあんなにひどいことを……」
「いつもママは、あんなかんじでパパにおこるよ? ねっ?」
たんぽぽの問いかけに、ヨウタが筆頭になって頷く。隣にいた千冬も『気が付いていなかったのか?』と内心で驚き、真耶に至っては『デュノアさんの家の一子相伝なんですね』と、何かの暗殺拳のような扱いにしだすものだから、シャルは激しく動揺しながらヨウタを揺さぶるのであった。
「違うよね!? 違うって言ってよ、ヨウタ!?」
「強いて言うなら、シャルはキックも混ぜてくるぐらいかな?」
「そんな違いなんて全然嬉しくないッ!!」
至って冷静に解説する陽太と、必死になって違いを主張するシャル。そんな二人を笑顔で見つめるたんぽぽを見て、ふと陽太はたんぽぽを見返して、こう思うのであった。
「(お願いだから、たんぽぽはこうならないで)」
☆
―――同時刻、深夜のギリシャの街中において
ギリシャの商店というのは、基本的に店仕舞いの時間が早く、日本のように深夜帯まで営業しているものなどほとんどない。
だが、そんな中でも例外として営業している店もある。
「…………」
とあるギリシャでも格式高いホテルのバーにおいて、珍しく黒を強調したパーティードレスに身を包んだメディア・クラーケンが、ギリシャの夜景を見下ろしながら一人白ワインを堪能していた。
亡国機業(ファントム・タスク)本部から、基本的に一歩も出てこないと思われているキャスター・メディアであるのだが、その実は週に数回はこうやって外部の店に一人で訪れることがある。
「…………」
否、見た目は一人だが、彼女専属の護衛が影にいつも潜んでいるのだが………。
「………………デイズ」
「ハイ」
彼女の呼び声に、店の柱の陰から姿を現すシスター姿のアサシン・デイズは、メディアのすぐそばまで静かに近寄ると、いつもとは少し違う彼女の様子が気がかりになり、問いかけた。
「本日は白ワインなのですね?」
「…………ああ」
不機嫌そうに返事を返さない所が、益々様子のおかしさを物語る。
それにメディアは大の赤ワイン好きのはず。それなのに、なぜ今日に限って白ワインを嗜んでいるというのか?
「今日………久しぶりに、夢の中に『英雄(アイツ)』が出てきやがった」
「………『英雄』アレキサンドラ・リキュール」
彼女の親友、組織の創設を行った中心人物。
「夢の中でもアイツは変わらん。相も変わらず甘い戯言をほざいて、理想(ユメ)に酔ってやがった」
人類の理想。現人の神の化身………そしてデイズに言わせれば、未だに世界に染みついている『シミ』
「アイツが任務から帰ってきたとき、よくこの店で二人で飲んでたんだ。アイツは赤ワインが苦手でな………白ワインならなんとか飲めるんでな。よくアイツに付き合って私も白ワインを飲んでいたものだ」
理不尽の限りを尽くすキャスター・メディアすらも、こうやって穏やかにしてしまえるというのは、確かに一定の評価を下すべきなのか、と違った意味での評価を考えるデイズであったが、ふと、メディアの指先が、酒のアテであるフルーツに止まるのを目の当たりにする。
「アイツとは話が噛み合わないんだが、なんでか私はそれが心地よくてな………ついつい、アイツの『我儘』を許してしまうんだ」
「(貴女の理不尽極まる我儘よりかはマシだとは思いますが)」
「夢の中で、アイツは『虫』に集られていた」
虫………つまりは、自分が気に入らない人物たちのことなのだろうが、メディアに言わせれば、この世界とは即ち『メディア・クラーケン、アレキサンドラ・リキュール、そして有象無象の虫』の三つしか存在していないと思っているのだろう。
それはつまりは自分すらもメディアにとっては『虫』でしかない。いや、ひょっとするなら害虫駆除の機械程度の認識にされているのか? どちらにしろ、情で結ばれた関係であるなどと、露ほどもアサシン・デイズも思ってはいないのだ。
「私の生涯の間違いはな………アイツの我儘を許したことだ」
―――手に持った葡萄を一粒取り、メディアは指でそれを弄ぶと―――
「だから生前のアイツにも私は教えてやるべきだった………虫けらにはどのように接してやるべきなのかをな」
―――手に持った葡萄をそのまま手放し、地面に落ちた瞬間、自分で踏みつける―――
「今はもうそれも叶わない。だからさ………あいつの手向けに一つ働いてやろうというんだよ」
メディアはワインのグラスを持って立ち上がり、ワイン越しに夜景を見ながら、妖しい笑みを浮かべるのであった。
「コアからのシグナルは継続して観測できているのか?」
「ハイ、毎秒ごとに記録されています」
「よし、継続させろ………今はまだ、ダメだ」
今はまだ、その時ではない。
ゆっくりと熟成してやらないと、味はしみ込まない。深みがない。風味が出ない。
至上の『絶望』を与えたければ、早急に何事も急いではならないのだ。
「どうして? といったところか?」
「いえ………全てはキャスター・メディアのご指示のままに」
深々と敬礼し頭を下げるデイズであったが、その時、下げたデイズの頭にメディアがグラスを傾けてワインを浴びせてしまう。
「はっきりと覚えておけよ………人形は人形。人間は人間。英雄は英雄……何事も分を弁えないといかん」
「ハッ」
酒を浴びせられる。ぐらいの理不尽などすでに慣れ親しんでいるデイズであったが、今日のメディアはここで止まらなかった。
―――降り下ろし、粉々になるワインのグラス―――
「お前といい、かつての『愚か者(A)』といい、ラボ・アスピナは塵芥(バカ)の量産しかできない場所なのかね?」
―――後頭部でガラスが砕け、少しだけ出血してしまうデイズ―――
「…………」
自分から流れる赤い血の雫を見ながら、尚も頭を下げた状態で固まるデイズに向かって、メディアは冷たく言い放つ。
「覚えておけ。アイツを愚弄していいのはこの世で私だけだ。それ以外の存在は一切許さん。頭の中でもだ………わかったな? 頭の中、でもだ」
それだけ言い残すと、メディアはとっとと店を退出してしまう。
あとに残されたデイズは、彼女が姿を消した後、頭を上げて、ガラスに映った自分の表情を見つめながら、ようやくそこで一言漏らすのであった。
「塵芥(バカ)か………そうやって粋がれるうちが華ですよ、キャスター・メディア?」
刃にも似た鋭い瞳が映っていることに、デイズは果たして気が付いていたのだろうか?
ヴィンセントお爺ちゃん爆誕!(予想の範囲内)
まあ、娘だろうと孫だろうと、基本的に愛してはいるんです。ただちょっと過剰で人の話聞かないぐらいで
そして、注目はやっぱりベロニカママ。敏腕キャリアウーマンとしても、新米シャルロットママの先輩としても、大活躍。
遠く離れた地にいる娘のことを心配しつつも、新しい孫を愛し、そしてちょっと今回は振り回されてるだけの陽太や、仲間たちにも熱いエールと茶々入れていきます。てか、娘のことを信頼してるけど、やっぱり命がけの戦いになるというなら、どこまでも心配しちゃうのが親なんだろうね
さてさて、次回からはいよいよ、個別のエピソードに入っていきます。
基本的に対オーガコア部隊のメンバーを中心に、たんぽぽをヒロインとして据えていく形式です
そんな個別エピソードのトップバッターは、最近影が薄いセシリア嬢!
夏休みのある日、たんぽぽの遊び相手をしていた彼女の元へ訪ねてくる人物が二人・・・果たしてその正体は?
次回、太陽の翼
『たんぽぽとセシリアお姉ちゃんと、『おばあちゃん』」