IS インフィニット・ストラトス 〜太陽の翼〜   作:フゥ太

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多分に漏れず、話が長くなってしまったので前後編に分割!


デュノアさん家の家庭訪問~前編~

 

 

 

 

 

 ―――フランス・パリ―――

 

 

「社長ッ!」

「おめでとうございます!」

「これで、我が社は名実共にフランス………いや、ヨーロッパで最大規模の企業にッ!」

 

 興奮した役員達が鼻息荒くいきり立つ、フランス・パリに本社を置くデュノア社の会議室において、国際IS委員会からもたらされた朗報に、誰もが喜びの声を上げていたのだ。

 

 『御社が開発された「ラファール・ヴィエルジェ」が、「欧州統合防衛計画(イングニッション・プラン)」の正式主力機に選定(セレクト)されました』

 

 世界中でオーガコアの脅威が噂される中、被害地域が拡散されている欧州を防衛するために各国や企業が力を上げて開発・実用化を急いでいた第三世代ISを用いた、欧州全土を守護する『欧州統合防衛計画(イングニッション・プラン)』。

 その中核を成す戦力である正式量産機に、デュノア社が開発し、今シャルがIS学園で運用している『ラファール・ヴィエルジェ』が採用されることとなったのだ。

 全IS中最も『拡張領域(バススロット)』の容量が大きく、機体の基本性能の高さ、今も第二世代で現役で稼働する『ラファール・リヴァイブ』の後継機に相応しい取り扱いやすさ、換装装備(パッケージ)の数が豊富で、あらゆる任務に対応できる柔軟性を考慮されての採用である。

 しかも、これから機能特化専用(オートクチュール)パッケージの更なる開発が見込まれており、BT兵装を主力に置く『ブルーティアーズ』シリーズを開発したイギリスと、AICなどの特殊兵装を多く使うISを保有するドイツとの共同開発も約束されており、すでに技術者同士の派遣と受け入れ、交流が始まっているのだ。

 

 半年前には開発打ち切りによる倒産すらも噂されていたデュノア社の奇跡的な逆転劇に、誰もが色めき立ってドンチャン騒ぎになる中、その立役者である社長、『ヴィンセント・デュノア』は、会議室の中心に座り込みながら、瞳を閉じて深く、テーブルに肘をつきながら何かを考えこむポーズを取って黙り込んでいた。

 

『あっ』

 

 その様子に浮かれていた社員や役員達も気が付き、社長は誰もが浮かれる中で冷静さを欠くことなく、次を見据えているのだと思い、自分たちの上に立つ人物の器に畏敬の念を禁じえなかった。

 

「!!」

 

 やがて何かを決心し、社長は自ら立ち上がり、隣にいた秘書の女性に今後のスケジュールを問う。

 

「私の明日からの予定を変更する」

「ハ、ハイ?」

「明日から、ラファールのtアップデートと新型のヴィエルジェを導入するための協議のためにIS学園に行く技術者達と同行して、私も日本へ行く」

 

『えっ?』

 

 何をまた言い出してんだこの人? と、会議室の全員の目が点になっているのを良いことに、ヴィンセントはさっさと定時に退社するための準備に取り掛かる。

 

「これから忙しくなるからな。しかし大義名分は得た………これで堂々と私は日本へと赴ける」

 

 そう、日本のIS学園に赴き、今度こそ自分は愛おしい実娘をフランス本国へと連れ戻すのだ。

 

 思えば数か月………。

 妻とシャルとは週に数度のやり取りをしておきながら、自分は一度たりとも声を聴いてすらいない。それを妻に問い詰めても、『いつもの問答になってシャルを困らせるだけでしょう? 我慢してください』と突っぱねられ、自分の中の寂しさが広がっていく一方である。

 しかも、明日からのIS学園の出張には、現在デュノア社の臨時で副社長を務めている妻が向かう予定になっており、自分は社長なのにそのことについてつい2日前まで知らされていなかったのだ。なぜだ? 私がこの会社の社長のはずなのに………。

 数か月前の役員会議で私以外の役員の賛成を得て、臨時で副社長になった妻のベロニカには確かに感謝している。彼女がそのポストについてくれたおかげで、ずいぶんと会社の仕事も捗った。『欧州統合防衛計画(イングニッション・プラン)』の件についても、自分がEU諸外国へと根回しを行う一方で、地元フランス政府との協議は主にベロニカが担当してくれており、親戚筋に議員や官僚を多く持つ彼女の尽力がなければ足元から崩されていたかもしれない。大学時代は経営学を専攻していたが、結婚してからは表舞台に上がる素振りすら見せておらず、これほどの手腕があるとは夫である自分も驚いている。きっと今までエルーとシャルのことがあって色々と気持ちが落ち込んでいて、シャルが改めて受け入れてくれたおかげか、気持ちが吹っ切れ、今では活き活きと家事に仕事にと日々を楽しんでいるようで、私も嬉しくはある。

 

 だがしかし、だがしかしだ!

 

「(なぜ、シャルと『あの小僧』に関してだけは、ガンとして私を除け者にして話を進めたがるのだ!)」

 

 大人げないことしか言わないからよ。と、本音で言わない妻の気遣いを理解しないヴィンセントは、力強く拳を握りしめると、日本がある方角を向きながら、高々と言い放つ。

 

「待っていろ、小僧ッ! 貴様の魔の手からシャルを救い出してくれる!!」

 

 『自分の愛娘を付け狙う不埒な小僧』のレッテルを張られる陽太の幻影が、苦笑いで彼を見つめているような気がしないでもないが、とにかく今度こそシャルを連れ戻すことに躍起になっているヴィンセントは、会議室で呆然とする部下達を置き去りにし、今日も元気で定時退社を行うのであった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 という、やり取りをしたのが、時差を含んで1日前。

 

 日本の茹だるような暑さで、汗が噴き出す午前中にあるにも関わらず気温が35度を超えている空港に到着したデュノア社一向は、旅客機からヴィンセントを先頭に降り立つと、休憩も観光もそっちのけでIS学園へと向かおうとする。

 

「なんという劣悪な暑さだ! こんな場所にシャルは置いておけない。午後の便でシャルと一緒に帰るぞ!」

「やめてくださいアナタ。それと今の発言は日本の方々に大変失礼です。謝罪してください」

 

 湿度の高い日本の熱気に当てられ表情を歪ませてしまった白いスーツ姿のヴィンセントを、白を基調としたスーツを着こなすキャリアウーマン風なベロニカが注意する。

 

「パリに帰りたいのならばご自分だけ午後の便で戻られてください。後、その時のチケット代はご自分で払ってくださいね?」

「何故だ!? お前はシャルが心配ではないのか?」

 

 白いつば広ハットとサングラスを掛け、威厳と実力が伴う経営者の一人という面持ちになったベロニカは、部下たちに指示を出しながら、絡んでくる夫にうんざりとした表情で言い放った。

 

「自分の娘を信じるのは母親として当然なのでは? アナタは何かにつけてシャルを心配しているようですが、あの娘も16です。自分の考えで生きられる年齢ですよ」

「まだ早い! 世間はそんなに生易しいものではないはずだ」

「世間知らずなのは、シャルなのか、それともアナタのほうなのか………」

 

 ため息をつきながら手続きを済ませ空港のゲートを潜ると、あらかじめ停められていた送迎車に沢山の荷物を詰め込んでいく。しばしその様子を眺めていたヴィンセントであったが、やがて妙に私物が多いこと、しかもそれは幼児向けの玩具や洋服、絵本などであること。見ればお菓子なども含まれており、シャルへの手土産にしても妙な感じを覚える。

 

「なぜこれほどの荷物が………しかも幼児向けではないか?」

「ええ、そうですよ」

 

 ベロニカが決して勘違いして購入したわけでもないようだ。しかし、なぜこれほどの数の手土産が必要なのか? しかも、それを見つめているベロニカの視線が、大変楽しそうな物であることも妙に気になってしまう。

 

「あ、それと」

「ん?」

 

 妻が振り返り、花の咲いたような笑みを浮かべて自分にこう告げる。

 

「IS学園であまり騒がないように………特に、これから会う『子』の前で、不躾な真似をするなら」

 

 ―――刃のような鋭い表情が一瞬だけ浮かび上がる―――

 

「アナタといえども容赦しませんよ?」

 

 本気と書いてマジと読む。明らかに妻の目に宿った殺気は断じて夫の自分に向けるものではない。それぐらいの凄みがある瞳で自分を見てくるベロニカに恐怖を感じたヴィンセントは、急に胸に不安を抱えることとなる。

 

「ベロニカ………IS学園で誰と会うと?」

 

 シャルロット以外に自分達には目的の人物はいないはず………正確に言えばもう一人だけいるが、会うことがないのなら別に合わなくてもいい。ってか、もしあって彼の口から『娘さんとお付き合いさせていただいております』とか言われたら、理性が持つはずもない。

 

「そうですね………ヒントを上げるのなら、『貴方の予想外』の人ですね」

「何!? それはどういうことなのだ!? 一体、君と私は誰と会うというのだ!?」

 

 火鳥陽太ではないのか? それとも学園長である轡木十蔵氏か? もしくはIS界の第一人者である織斑千冬なのか?

 しかし、それらの人物は知り合い、というわけではないが予想外な人物でもない。

 

「誰だ!? 一体誰なのだ?」

 

 気になったら止まらないヴィンセントを無視し、さっさと車に乗り込むベロニカの後を追うように慌てて彼女の隣の席に乗り込むヴィンセントであった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 一方、来客する側のIS学園ではというと………。

 

「山田先生、来賓用の宿泊施設のほうはどうなっていますか?」

「今朝がた改めてクリーニングに入っていただいて清掃のほうはしていただきました」

 

 デュノア夫妻とデュノア社の技術スタッフを迎え入れる側であるIS学園教員陣も忙しなく準備を行っていた。

 元来、国立機関であると同時に世界中から多数の来賓が訪れるこのIS学園には、国賓級の招待客にも対応するためのマニュアルが用意してあるのだが、今回は少々事情が異なっている。

 本来デュノア社代表取締役ともなれば宿泊先は都内の高級ホテルを指定するものなのだが、今回はIS学園の来賓用の宿泊施設でよいと向こう側が申し出てきたのだ。一応、一流ホテル並みの設備は整えているものの、それでも国内の最高級には及ばないため、本当にいいのかと何度も問いかけたのだが、『無理を言っているのはこちらなのだから、その程度は我慢の内にも入らない』と言い返されては二の句も告げない。

 

「副社長のお言葉を聞く限り、デュノア君とも積もる話というものがあるのでしょう」

「まあご家族もいらっしゃいますから、無理に別の場所に行ってもらうわけにも………」

 

 スーツ姿の十蔵と真耶が学園長室で話し合う中、数回のノックとともに扉を開き、千冬が入室してくる。

 

「失礼します、学園長」

「ご到着されましたか?」

「ハイ…………しかし、本当にデュノアに知らせなくても良いのでしょうか?」

 

 今回の訪日のことを秘密にされているシャルのことを心配する千冬であったが、十蔵としてもサプライズが目的なのもある、というベロニカの意図を理解している彼はおどけた表情でこう答える。

 

「大丈夫です。私のほうからあらかじめ『あの子』のことは伝えておきましたし………それに」

「「それに?」」

「『あの子』をデュノア君と一緒に育ててるということを、いきなりの火鳥君がどう伝えるのか? 少し、私も興味がありますので」

 

 『慌てふためくのが目に見えますが』と意地悪そうな笑顔を浮かべる十蔵を見て、千冬と真耶は目の前の人物は一見真面そうにみえて、その実は禄でもない大人の一人なんじゃないのかな? と認識を改めることとなるのであった、

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 そして10数分後。

 IS学園来賓者用出入口付近において、先頭を走る送迎用の車と、技術スタッフを多数乗せたバス、そして調整に使う機材を乗せたトラックが到着する中、車が止まると同時に勢い良くドアを開いたのは、デュノア社社長のヴィンセントであった。

 

「ようこそいらっしゃいました」

「お待ちしておりました」

 

 柔和な笑顔を浮かべる十蔵と、頭を下げる千冬を前にヴィンセントも礼節を重んじ、挨拶をする。

 

「こちらの方こそ。今回は急な無理を申し出たのに快く引き受けてくれたこと。本当に感謝しています。ミスター轡木、ミス織斑」

 

 と挨拶しているものの、瞳が高速で左右を移動して、明らかに落ち着きなく誰かを探している様子である。

 

「到着早々不躾なのだが………私の娘のこr」

「不躾にも程があります。シャルの様子を見るのはついでのことでしょうに」

 

 到着早々帰り支度を始めるかのように、急いでシャルを連れ戻したいヴィンセントを諫め、『現場責任者』のベロニカはサングラスを外すと、IS学園陣に対してゆっくりと一礼を行う。

 

「改めてご挨拶を………デュノア社取締役の一人、ベロニカ・デュノアです。ミスター轡木、この度はこちらの申し出を快く引き受けていただき、本当にありがとうございます」

「いえいえ………平時からデュノア社の方々には、IS学園は多大なご貢献をいただいておりますもので」

「それを差し引いても………ミス織斑、いえ、織斑先生。娘が大変お世話になっております」

「デュノアは優秀な生徒です。若輩者の私などでは、むしろ世話になることも度々あるほどで」

 

 『まあ、織斑先生ったら』と義娘が褒められていることに嬉しさを覚えたベロニカは、頬を染めながら喜び、それぞれ一通りの握手を交わすと早速本題であるラファールのアップデートと、第三世代機の導入のための協議を行うために会議室へと歩き始めた。

 そのやり取りを呆けながら見ていたヴィンセントは慌てて一行の後を追いかけ始め、ベロニカの耳元に小声で相談し始めた。

 

「(お、おい!? シャルを探さなくても良いのか)」

「(シャルのことはまた後で。今は会社としての責務を果たすのが先決です)」

「(ならば話し合いはお前に任せて、私は)

「(いい加減にしてください! あなたは社長でしょう!? 責務を果たしなさい!)」

 

至極最もな意見に封殺され、しょんぼりと肩を落とすデュノア社社長を見て、千冬と真耶が内心で『本当に娘が可愛いのだな』と呟いていた。自分の周りでこのよう人物がいないだけに、娘のことで頭がいっぱいな人というのは逆に新鮮な気がしたのだ。

 

「(では、陽太の奴はどうなのだろうか?)」

 

 ふと、千冬の脳裏に自分の教え子の姿がよぎる。彼も最近面倒を見始めた娘に色々と振り回され、毎日が一杯一杯な様子でいるのだが、初日に駄々をこねて以来、一度たりとも投げだしたいと言わなくなっていたのは、彼なりにたんぽぽを受け入れている証拠なのだろうか?

 そんなことを考えていた千冬であったが、その時、陽太の姿を見かける。

 

「!?」

 

 彼の姿を見た瞬間、ヴィンセントの表情が猛烈歪み、一瞬で背中から黒いオーラが噴き出てベロニカ以外をドン引きさせる。おそらく陽太のこともあったのだろうが、更にその隣にシャルロットの姿があったことが決定打だったのだろう。早速大声を張り上げながら割って入ろうとするヴィンセントであったが、彼は二人の視線の先を見て………。

 

「えっ?」

 

 真っ白に染まりながら硬直する。

 

「………なあ、シャル?」

 

 何やら困った表情でしゃがみ込んだシャルに問いかける陽太であったが、シャルのほうは一瞬だけ厳しい表情で陽太に言い放つ。

 

「ダメだよ、ヨウタ」

 

 短くそれだけ言い放つと、シャルはすぐさま笑顔になると、目の前の義娘に話しかけるのであった。

 

「さあ、たんぽぽ? パパとママはここにいるから、自分で起き上がってみようか?」

 

 

 ―――ポチとシロクロが心配そうに周りを囲む中、一人地面に俯せになって半泣きになっているたんぽぽ―――

 

 

「あぁ……ああ……シャルロットママァ、陽太パパァ」

 

 どうやら皆で散歩していた最中に躓いてコケてしまった様で、陽太はそれを抱き上げようと思っていたのだが、シャルは丁度良い機会だと考え、自分の力で起き上がらせようとしていたのだ。

 今にも泣きだしてしまいそうなたんぽぽの姿に、いてもたってもいられない表情でそわそわしている義父の陽太に対し、義母のシャルとしては今だからこそ、自分の力で立ち上がってもらいたいと思い、あえて厳しいことをたんぽぽに言っていた。

 

「ママァ………パパァ………」

 

 しかし、そんなことを急に言われても、抱き起してもらいたいというのは子供の心理である。どうして自分を助けに来てくれないのかわからないたんぽぽは、更に涙をためて二人を見つめるのである。

 

「大丈夫だよ。ママもパパもここにちゃんといるから」

「ふぁあっ…………ぁぁっ………あぁっ」

 

 シャルの言葉を聞いて遂に瞳から涙が零れ落ちてしまうの見て、先に限界に来たのは陽太のほうであった。

 

「………ごめん、シャル」

「あっ! ヨウタ!?」

 

 シャルの傍から急いで歩き出すと、たんぽぽの元へ行き、彼女を抱き上げながら身体についた砂を払ってやる。

 

「大丈夫か? どこか痛くないか?」

「………陽太パパ」

「あんまり心配はかけさせるなよ。ああ見えても、この間シャルは血相変えて気絶までしてんだからな」

 

 たんぽぽのよじ登り事件のことを引き合いに出され、恥かしさのあまり頬っぺたを赤く染めながら近づいてくるシャルであったが、微妙に自分よりもシャルの方が心配していると強調ことに気が付く。

 

「ちょっと、ヨウタパパは甘すぎると思います」

「シャルロットママの厳しさを緩めたら、丁度いいくらいなんだよ?」

 

 微妙に違う教育方針を互いに茶化しあう中、申し訳なさそうな表情を浮かべていたたんぽぽが、シャルに上目遣いで謝ってくる。

 

「シャルロットママ、ごめんなさい」

「んっ………次から、また一緒に頑張ろうね?」

 

 陽太からたんぽぽを受け取ると、彼女の前髪を直してあげながら笑顔で彼女のおでこにキスを送る。

 

「……………」

 

 自分のおでこを両手で触りながら、シャルのくれた温かさを受け取り、たんぽぽは何を感じ取ったのか………もうそこに涙はなく、満面の笑顔になった彼女は、シャルの頬っぺたにキスを送ると誓うように言い放つ。

 

「うん! がんばるっ!」

「…………」

 

 その笑顔が嬉しくて、思わず抱きしめるシャルと、たんぽぽの頭を笑顔で撫でる陽太。そこには、誰がどう見ても立派な家族の姿があった。

 

 

「まあっ」

 

 その様子を見て、本当に心から嬉しそうな表情を浮かべているベロニカとは対照的に、真っ白になりながら震えていたヴィンセントは、両手を頬っぺたにつけ天を仰ぎみ、ついには発狂したように叫び声をあげだす。

 

 

「イヤァァァァァァァァァァァァァァッーーーー!!」

 

 

 中年の男が上げるにはあまりに乙女染みた叫び声に、その場にいた全員が注目して一斉に振り返る。

 

「お、お父さん!?」

「ゲッ」

 

 シャルが驚き、陽太は何となく気まずい表情を浮かべるが、当のヴィンセントはそれどころではない。

 

 思っていた。

 ひょっとしたら、可愛い可愛い愛娘が憎き男に言葉巧みに騙されて恋人同士になっているかもしれないと………。

 頭の中でできうる限り考えないようにはしていたが、全く考えていなかったわけでもなかったのだが、これはそんなレベルの話ではない。

 恋人通り越して、誰が結婚5年目ぐらいの空気を作ってもよいと許可したというのか?

 

「かっ…………か、火鳥、陽太ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 隠すことなく全身から殺気を吹き出させたヴィンセントは、おもむろにスーツを脱ぎ捨てるとネクタイを外し、ついでにシャツも脱ぎ捨て、上半身裸になりながら音が鳴るほど拳を握り締め、ゆっくりと近づいてくる。

 

「おのれ…………私からシャルを奪い去り、こんな極東の地まで引き離しておいて………よもや、じゅ、じゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅじゅ純潔を奪い去った上に、こ、ここここここここ子供までだとぉっ!?」

「えっ?」

 

 状況が追い付かない陽太が間抜けな声を上げる中、そんな様子すらも癇に障るといわんばかりに、ヴィンセントは突然(内股で)走り出し、陽太に殴りかかる。

 

「天誅ぅぅぅぅぅっ!!」

「えっ? えええっ???」

 

 素人にしては中々のスピードだったのだが、今の陽太には止まっているに等しいスローモーションだったのか、渾身の拳があっさり受け止められる。

 

「は、離せっ!?」

「い、いや、あ、あの………ちょっと話が」

「貴様がシャルを孕ませた上に子供まで産ませたのだろうが!? 嫌がるシャルロットを無理やり組み伏せ、服を引き裂き、そしてその身体を好き放題嬲りながら………」

 

 顔を真っ赤にしたシャルがすぐさまたんぽぽの耳を塞ぐ中、ヒートアップしたヴィンセントは血涙(イメージ)を流しながら、叫びあげた。

 

「地獄に落ちて詫びろ!! 火鳥陽太ぁっ!!」

 

 自分がシャルと再会したのすらも半年も前になっていないというのに、なぜそんな時間があったのかと、割と冷静に考えてる陽太とは対照的に、怒髪天を突いているヴィンセントにはもう言葉そのものが通じていない。

 

「よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもっ!!」

「お、落ちついて」

 

 受け止められている左腕を残し、右腕で陽太を殴りつけるのだが、その全てをミリ単位で陽太が避けるものだから、余計にエキサイトしたヴィンセントの表情に鬼気が増しだす。

 

「貴様ぁっ!!」

「(ここは素直に殴られている方がいいのかな?)」

 

 もうとりあえず話ができる程度まで落ち着いてもらうために、左手を離した陽太は、ヴィンセントに『一方的』に殴られだすのであった。

 

「くらえっ!」

「ぐは」

 

 殴られたと見せかけて、陽太は首をいなして皮一枚だけを撫でさせる。

 

「どうだっ!?」

「いた」

 

 しかし頭に血が上ったヴィンセントはそのことに全く気が付かず、陽太が自分の思うままに殴られていることに気分が高揚したのか、高笑いしながら余計に殴りだす始末である。

 

「はぁっはっはっ! どうだ、まいったかっ!!」

「(しまった。なんかエキサイトし始めてる)まいりましたぁ」

 

 棒読みのまま、どう見てもダメージではなく困惑のほうが蓄積している表情になっている陽太の様子を見て周囲の人間も彼の気持ちを理解し始めたのか、それとも鬼気迫るヴィンセントにドン引きし始めてきたのか、自分たちで止めに入ろうとしたのだが、その時、大人の小脇を通り抜けて、小さな少女(カゲ)が陽太とヴィンセントの間に両手を一杯に広げて割って入るのであった。 

 

「た、たんぽぽっ!?」

「ぬっ!?」

 

 両目に涙を一杯に溜め、少女は震える身体を我慢しながら陽太を守るようにヴィンセントの前に立ちはだかったのだ。

 

「ヨウタパパをいじめちゃ、メッ!」

「い、いや………私は」

 

 『突然現れた半裸のオッサンが、雄たけびを上げて走って迫り、自分の大好きなパパをタコ殴りにしながら高笑いを始めた』と書けば酷い字面のように見えるが、一切の事情を知らないたんぽぽにしてみればその通りであるから始末に悪い。涙を流しながらも必死になって『メッ!』『メッ!』と叫ぶたんぽぽを前に、ようやく落ち着いてきたヴィンセントは、必死に弁解しようとするが、涙を流す幼いたんぽぽを見てこの『二人』がブチギレる。

 

 

「お父さんッ!?」

「アナタッ!?」

 

 

 ―――冷気を纏った怒気を放つデュノア母娘―――

 

「!!」

「ひぃっ」

 

 完全にブチギレてるシャルとベロニカを見た陽太は冷や汗を流しながら硬直し、ヴィンセントはさっき迄の勢いなんて完全に無くなり、怯えた表情で縮こまってしまう。

 

「たんぽぽの前で、何してるの!? この子怖がらせるだなんて、私、絶対に許さないから!!」

「大人気ないのも大概にしてください!! 小さな子は少しのことでも心に傷を負ってしまうのですよ!?」

 

 涙を流すたんぽぽをシャルが抱き上げ、ベロニカはハンカチを取り出して彼女の涙を拭う。

 

「…………?」

 

 自分の涙を拭ってくれた女性が誰なのかわからないたんぽぽが見上げる中、彼女の視線に気が付いたシャルはベロニカのことをわかりやすく解説する。

 

「この人はベロニカママ………シャルロットママの、ママなんだよ?」

「初めまして、たんぽぽちゃん(リトル・レディ)。貴女の大好きなシャルロットママのおかあさんよ?」

 

 しゃっくりを上げながらあやされるたんぽぽであったが、シャルの説明を理解したのか、首をかしげながらベロニカに問いかけた。

 

「ママの…………ママ?」

「うん。ママのママよ」

「…………ベロニカ………ママ」

 

 しばし彼女を観察するように見つめていたたんぽぽであったが、やがて両手をゆっくりと伸ばし『抱っこ』の姿勢を見せると、ベロニカは大変嬉しそうに彼女を愛娘から受け取ると、壊れ物を扱うかのように繊細に力を込めながら、たんぽぽを精一杯抱きしめる。

 

「…………たんぽぽちゃん」

 

 紆余曲折があって今では実の娘のように愛している血の繋がらない義娘が、自分と同じように血の繋がらない幼子を育てていると十蔵から聞いた時、正直困惑もしたものだが、こうやって実際に出会い言葉を交わしてみると、もうそれだけで愛おしさが沸いて仕方ない。

 

「ベロニカママ………シャルロットママとおんなじで、あったかあったか」

 

 この子は人に愛される子だ。小さな暖かい手から伝わってくる優しい気持ちが、人の心を穏やかにしてくれる。

 腕の中に人生の宝を手に入れたかのように思えたベロニカが、幸福を噛みしめる中でそれを見つめていたヴィンセントは、恐る恐る妻に声をかける。

 

「ベ、ベロニカ?」

 

 ―――刃よりも鋭い瞳で自分を射抜く妻―――

 

「ひぃっ」

「………何か?」

 

 夫を見る妻の目じゃない(本日二回目)。

 完全に怒り心頭のベロニカを相手に、どうしたものかと迷い、ヴィンセントは情けないことは覚悟の上で娘のシャルロットに助けを呼んでみた。

 

「シャ、シャルロット?」

 

 ―――氷より冷たい瞳で父親を射抜く娘―――

 

「(父親を見る娘の目じゃない)」

「ひぃっ」

「………何か?」

 

 激おこなシャルの様子を見て内心ツッコミを入れた陽太であったが、完全に立場を失ったヴィンセントを憐れみながらも、なんて言葉を掛けたらいいのかわからずに困惑してしまう。

 

「とりあえず、私達は先に行きます。くれぐれも、今後はこのようなことのないよう、今はしっかり反省してください」

「行こう、おかあさん」

 

 ヴィンセントをその場に置き去りにし、デュノア母娘はさっさと歩き出す。案内役の千冬と真耶も無言で見合い、とりあえず陽太と十蔵にヴィンセントを任せることにした。

 

 1人取り残され、家族に見向きもされなかったことがよっぽどショックだったのか、真っ白になって蹲るデュノア社の社長をどうしたらいいものやら困惑する陽太と十蔵の二人。

 そして、そんなヴィンセントを、ベロニカの腕に抱かれているたんぽぽはずっと興味深く見つめ続けていたのであった。

 

 

 

 

 




お父ちゃん、受難

陽太君の日常でのツッコミスキルがこのあたりから磨きが掛かりだすのであった


さて、後半に続きます

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