IS インフィニット・ストラトス 〜太陽の翼〜   作:フゥ太

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 お待たせしました!!

 大幅に改良して修正した第三話です!




優しい夢(ウソ)

 

 

 

 

 今朝方、東の空が青紫に滲み始めたころ、陽太は目覚めかけの浅い眠りの中にいた。

 春に入ったとはいえ、朝方のもっとも気温の低い時間帯のため身震いし、無意識に一番近くにあった柔らかくて温かいものを抱き寄せ、顔を埋める。

 良い匂いだ。しかも極上の感触がする。

 だがその時、陽太の悲しいまでに従順な男の生理的反射は即座にその『極上の柔らかさと温かさ』がする何かに反応し、股間に向かって臨戦態勢を発令した。

 疑うことなき実直な股間の部下が命令通りに従った時、ようやく陽太は寝ぼけた眼をゆっくりと開く。

 

 

 ―――目の前に広がるシャルの谷間―――

 

 

 寝ぼけた脳細胞が急速に回転し始め、周囲の状況を確認し始めるが、疲労からか安心できる環境からか、陽太は再び目を閉じてそこに顔を埋めた。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・・・・・・?

 

「はっ!?」

 

 思わず声が漏れる。その声に反応したシャルが目を開き、陽太と視線が絡み合った。

 Tシャツとズボンの陽太といつの間に着崩れたシャル……………そして彼女の視線がゆっくりと陽太の股間に向けられる。

 そして彼女が見たのは生理的欲求に即座に反応した愚直なぐらいに真っすぐに起立した・・・

 

 シャルの声が唸り口がいっぱいに開かれた。

 陽太が『誤解だ。ホント誤解です』と見苦しい言い訳をしながら両耳に指を突っ込む。

 

 

 

「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっ!!!!!」

 

 

 

 安アパートに響き渡るシャルの悲鳴の言い訳は何にしようか?

 その時の陽太はどこか遠い場所でそんな思考にふけっていた。

 

 

「……………」

「プッ!」

「………笑うな」

 

 部屋のドアの前で頬に真っ赤な紅葉を作って正座している陽太を発見したリナは、今まで見たことがない彼の姿に思わず噴き出してしまった。シャルに怒られ部屋から閉め出されて項垂れている陽太の姿がおかしくてたまらないのだ。

 出会って数年ではあるが、自分の知る陽太という子は歳不相応の可愛らしくない、小憎たらしい少年なのだが、今はどうだ?

 

「あの娘はいい子ね!………アンタの様子を見てたらそれがよぉ~くわかるよ」

「どういう意味だよ?」

「お・し・え・て・あ・げ・な・い♪」

「!?」

 

 イラッときた陽太が詰め寄ろうとするが、リナはそれを笑顔でするりと回避してドアをノックすると「は~い」というシャルの声が聞こえてきたのを確認して部屋の中に入っていく。

 

「ちょ!、てめぇ!?」

「男子禁制♪」

 

 その一言に動きを封じられる陽太。部屋の中から何やら女二人で楽しく話し始めるのを尻目に、そしてブスッとしたまま煙草を吸いに外へ出て行ってしまうのであった。

 

 

 一方、中の二人はというと………。

 

「さてと……それじゃあ着替えようか、シャル」

「へっ?」

 

 着の身のままのシャルを気遣ったリナが、自分のお古の洋服をいくつか持ってきて衣装合わせを始めていたのだった。

 いくつかの洋服をテーブルの上において、シャルにあった取り合わせが何なのかをチョイスし始めるリナを見ながら、シャルはふとあることに気がつく。

 自分は彼女に名前を話していたのかと?

 

「あ、あの……リナさん?」

「ん?……シャルが着る服なんだから、シャルの意見を言っとくれよ」

「いえ、それじゃないんですが………どうしてリナさんが私の名前を?」

「あ、それか……」

 

 そう言ってリナが指さしたのは、服と一緒に持ってきたとある新聞の当日号であった。

 恐る恐るそれを手に取り、中身を拝見したシャルの目に映ったのは、表紙の一面に出ている「デュノア社令嬢誘拐事件!!」という見出しと、いつの間にか取られていた自分の顔写真でった。

 

 一瞬で血の気が失せたシャルであったが、リナのほうは全く気にしている様子もなく、ケタケタと何か楽しげに彼女の気分を和らげようする。

 

「安心しなよ。この裏通りの人間はみんな素性に一癖二癖ある人間ばっかりだからね。表の事件になんか興味ないない」

「いや、そういうことじゃなくて!!」

「大丈夫大丈夫、いざとなったら私が守ってあげるさ。まあ、陽太がいるから私の出番なんて限られてるけどね」

「でも! でもでも!!」

 

 これでは陽太が完全に犯罪者である。しかも原因は自分を助けようとしたことなのに………心配そうにするシャルであったが、そんな彼女にリナは妹を諭す姉のような表情で抱きしめる。

 

「女尊男卑なんて言われてる世の中だけど………私は、いい女はいい男に守られるっていうのは当たり前だと思ってる」

「?」

「陽太はへそ曲がりで口も悪いけど、心ん中で熱くて真っ直ぐなものを持ってる男だ………そんな男が何も言わずに守ろうとしてる女の子が悪い子なわけないじゃないか」

「リナさん………」

「私たちのこと心配してくれるってことだけでもう十分………ありがとねシャル」

 

 彼女のぬくもりがシャルに伝わり、知らず知らずのうちに涙がたまっていく。だが、そんなシャルのほっぺたをリナは左右に無理やり引っ張るのであった。

 

「ひぃ、ひぃたひぃでぇふぅ~(い、痛いです~)!!」

「あら、もちもちしてよく伸びるわね」

「ひぃなふぁん~(リナさん~)!!」

「泣いたら幸福が逃げてくわよ!!………さあ、さっさとお着替えして旦那様の朝ご飯を用意してあげないとね、新妻さん?」

「リ、リリリリナさん!!?」

 

 何を突然言い出すのかと真っ赤になって問い質すシャルを置いて、リナはその手に申し訳程度の布切れがついた紐を手渡す。

 恐る恐るそれを広げてみてみるシャル。

 

 そこには俗に言う、新婚さん御用達のエッチな下着を握っていることに気が付き、シャルの紅潮は最高に達する。

 

「それ着けて『今日の朝ご飯はワ・タ・シ(はーと)』とかやってみるのはどう、シャル?」

「リーナーさーんっ!!!」

 

 その時、部屋の外に無理やり追い出された陽太が煙草を吸い終えたのか、マナーとしてノックと中にいる二人に声をかけることをしながら、様子を伺ってきた。

 

「二人とも………そろそろ中に入ってもいいか?」

「あ、いいよ」

「ちょうど今アンタを呼びに行こうかと思ってたところなんだ!」

 

 異口同音の声を聞いて部屋の中に足を踏み入れた陽太は、着替え終わったシャルの姿を見て、つい目を奪われてしまう。

 白い花柄のレースがついた短めのワンピースで身体のラインに柔らかくフィットしたプリーツ地をしており、下は黒いショートパンツという取り合わせというものであった。

 その上からエプロンを掛け、長い金色の髪の毛をピンクのリボンで結ぶという取り合わせだったのだが、何やら気恥ずかしそうにしているシャルの出す空気が、余計に可愛さというものを醸し出している。

 

「……………」

「ホラ、シャル! 私の言った通り魂が昇天しかけてるだろ?」

「!!」

「や、やめてくださいリナさん!!」

 

 リナの言葉を真っ赤になって否定するシャルであったが、同じように赤面して自分を見つめる陽太と視線が絡み合うと、大慌てで視線を外してしまうのだった。

 

「天気もいいし、今日はどっか二人でデートでもしてきな!」

「いや………今、表を出歩くのは…」

「女の子を、こんな男臭い部屋に閉じ込めたら、一日で出来ちゃった婚しなくちゃいけなくなるよ?」

「で、でででで出来ちゃった!?」

「出てけ、アホッ!」

 

 扉の前にいるリナに向かってクッションを投げ付ける陽太だったが、それをタイミングよくドアを閉めることで回避したリナは、笑い声を残して一階へと降りていくのだった。

 

「あんんのバカが……」

「あっ……あ、あ、あ……」

 

 顔を真っ赤にして、頭の中が錯乱フルドライブの極みに陥ったシャルが今朝の陽太徒の一件を思い出してしまい、目の前の陽太の顔を見ると………。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「意味ふブッ!」

 

 鳥達が一斉に飛び立ち、猫は起き上がると尻尾を立たせ、顔を洗っていた老人は何事かと空を見上げる………鈍い音が朝日が眩しいフランスの下町に鳴り響くのだった。

 

 

 

 ★

 

 

 

 澄んだ青空から朝の陽光が地面に降り注ぎ、活気に溢れる朝の市場の中を、赤くなった頬を撫でる陽太と、その後ろを申し訳なさそうに肩を落としながらトボトボついてくる帽子をかぶったシャルという二人が歩いていた。

 朝の一件はまだしも、リナの言葉に動揺したといえ、無実の陽太の頬を左フックで殴り飛ばしてしまったシャルは、心底申し訳なさそうにしょぼくれているのだった。

 

「(ううう………どう考えても、暴力的な女だって誤解されちゃったよ…)」

 

 心底項垂れるシャルに対して、陽太はあまり気にしない様子で、出かけにリナから手渡された買い物のリストと睨めっこしながらブチブチと文句を垂れる。

 

「なんで、俺が買出しまで………てめぇが行けばいいのに」

 

 大家権限なる謎の権力によって、半ば押し付けられる形で二人で出掛けてきたのものの、片やシャルはデュノア社社長令嬢、そして自分は彼女を誘拐した誘拐犯である。当人たちにしてみれば決してそういうことではないのだが、世間的にはどう考えても立派な犯罪者である自分を、こうやって堂々と二人で出歩かせるとは、あの女、絶対に事の重大さに気が付いていないだろう。

 

「………ったくよ」

 

 グチグチ文句を言っていても仕方ないと気分を切り替え、どこかで朝ごはんでも買うか、とシャルに意見を聞こうとした時、ふと、彼女の視線がとある場所に向けられていることに気がついた。

 

「?………シャル?」

「あ、いや、その………」

 

 彼女の視線の先、大小様々な日用品や衣類、また露店が立ち並ぶ一角があった。

 

「………珍しいな、この辺りでフリーマーケットなんて…」

「………お母さんと私とヨウタの三人で、よく行ってたよね、フリーマーケット」

「ああ………」

 

 自分を拾ってくれた恩人であるシャルの母親エルーは、休日の日はよく二人を連れてフリーマーケットに出かけ、自分やシャルの洋服を選んでいたものだ。

 

 陽太には、親といわれる人間が存在しない。

 彼の記憶の一番最初にあるのは、小さな孤児院で自分をいじめるフランス人の子供たちと、そのことをあえて見て見ぬふりをする大人達だけだった。

 

 ISが登場する以前から、その孤児院は財政難に襲われており、戸籍のないよそ者の子供を養える余裕はなく、また一人だけ日本人であるという事実が、日々のひもじさにあえぐ大人と子供のストレスの矛先になってしまう。

 

 毎日、年上の子供からの執拗ないじめは苛烈を極めた。

 殴る蹴るなどは日常茶判事、配給の食事を取り上げられ、二日に一度しか食事ができなかったことも一度や二度ではない。

 冬場の寝ている最中に凍えるような水をぶちまけられ、それを孤児院の大人に「コイツが漏らした」とウソの報告をされたこともある。おかげで、冬場の中、毛布一枚だけで外に放り出されて、反省しろと言われたこともあった。

 

 そうやった陰湿極まるいじめに陽太が耐えかねて、6歳のころ、彼は孤児院を一人飛び出す。だがそんな彼を捜索しようという気配はなく、一年以上も、陽太はフランスの町中を一人彷徨う生活を送ることにあった。

 

 身も心も荒み、命が日々削られていく日々の中………シャルとエルーに出会えたことは、陽太にとってどれほどの救いになったのだろうか?

 

 

「………久しぶりに見て回るか?」

「え?……いいの?」

 

 気がつけば、陽太の口から自然とその言葉が漏れ、シャルに自然と微笑みかけていた。

 

「別にいいさ………リナも急ぎじゃないって言ってたし、寄り道も悪くない」

「………じゃ、行こっか!」

 

 そんな陽太の心の変化を感じ取ったのか、シャルは陽太の手を握ると、自然と早足で歩きだす。

 

 恥しそうに頬を赤くしながらも、何か花が咲いたような笑顔で陽太に微笑むシャル。

 

 触れ合う二人の手と手の暖かさは、かつての幼い二人のころを彷彿とさせ、陽太の中にほのかな暖かい何かを咲かせるのだった。

 

 

 

「う~~ん、ヨウタ的には青がいいかな、あッ、でも以外にこの色もいいかも!」

「……………」

「ズボンと合わせるんだったら………こっちがいいかな!………ちょっと高いな、おまけしてもらおう!」

 

 先ほどから嬉々として男物の服を選ぶシャルの姿に、陽太は微妙な表情でそれを眺めていた。てっきり自分の物を買うのだとばかり考えていた陽太であったが、彼女は女物には目もくれず、陽太が着る物ばかり選んでいるのだ。

 

「おい、俺のいいから自分の買えよ。それぐらいの金なら・」

「何言ってるんだよ! 私はリナさんから沢山貰ったけど、ヨウタは言われなかったら自分から服なんて買わないでしょ!」

「………それは……そうなんだけどもさ」

「それに、私こういうの好きなんだ。今の家は有名なデザイナーさんとかブランドショップの店長さんなんかが来て、直に見に行くことなんてできないから」

 

 何から何まで献上してくれるデュノアの家の中には自由などというものは存在しない。食事は無論のこと、勉強にも専属の家庭教師がつき、ISのテストも完全監視の中で行われ、礼儀やマナーについて四六時中説き伏せてくるのだ。息が詰まることこの上ない。

 その反動か、自分を監視するものがいないこの場において、いつも以上のテンションの高さでこの二人っきりの買い物(デート)を楽しむことにしたのだ。

 

「こう見えても私、お母さんよりも値切りが上手いんだよ! すごいでしょ!?」

「いや、それってすごいと褒めていいのか?」

 

 15の少女が主婦染みていることに、陽太はどう褒めたらいいのか悩んでしまう。そんな中を店員の中年の女性が二人に声をかけてくる。

 

「彼氏さんのコーディネートは終わったかい、お嬢ちゃん!?」

「ブッ!」

 

 自分と陽太がそんな風に見られていたとは考えていなかったシャルは思いっきり噴出してしまう。対して、陽太はアハハハッと軽く笑い声を上げると、シャルと店員を一瞬で凍結させる言葉を言い放つ。

 

「全然俺は彼氏じゃないよ。コイツとは、そうだな………兄貴と妹かな?」

 

 ピシッ!

 

 相変わらずの能天気な笑顔を浮かべる陽太と、完全に凍り付いたシャルと、その間で右左と慌てる店員の女性。すると陽太が隣にいるシャルの様子の変化にようやく気がつくのだった。

 

「どうった?、どっか具合が・」

「………の、バカ」

「はい?」

「ヨウタの………ブァカッ!」

 

 怒りMAXになったシャルが、ズカズカとシャツを2、3着掴むと、店員のおばさんに差し出して勘定を頼み込む。

 

「これ全部ください!!」

「は、はいよ」

 

 手渡された洋服をビニールに入れる中、シャルが自分の財布をポケットから出そうと手を突っ込んでみる。が、今の自分には持ち合わせがないことに気がつくと、更にその場で地面を蹴りながら、陽太の方に振り返り、彼に手を差し出す。

 

「早く!」

「ふぇ?」

「お金ッ!!」

「ん? あ、ああ……」

 

 気圧されながら財布から紙幣を取り出すと、シャルに手渡す陽太。その紙幣をひったくるように奪うと店員に手渡す。店員も二人のそんな様子を見て、陽太の方を軽く睨むと、厳しい口調で話しかけるのだった。

 

「大の男が女の子いじめるだなんて、最低だよ!」

「い、いじめって………いじめ?」

 

 何のこっちゃさっぱりわかりません! と表情で訴えかける陽太の様子に、店員も深い深いため息が漏れる。どうやら、この少年には女心というものがまるで理解出来ていないようだと考えた中年の女性店員は、お釣りをシャルに手渡すと、陽太を手招きして、彼の耳元で小声でしゃべる。

 

「アンタ………あの娘がなんで怒ってるのか本当に解らないのかい?」

「解る訳ないだろう」

「ハァ………」

 

 即答する陽太の様子を見て深い溜息をついた女性店員は、彼に解り易くシャルの機嫌を直させる方法を彼に教えるのだった。

 

「褒めてあげな。あの娘のことを」

「褒める?、なんでまた?」

「いいから、さあっ!」

 

 なんで急にそんなことせんといかんのだ腑に落ちない思いの捕らわれながら、目の前でほっぺたを最大まで膨らませながら視線を逸らし、全力で『怒ってます』のポーズを取るシャルを見つめながら、彼は褒め言葉を思いつくと、彼女の肩を徐に掴み、そして真剣な表情で見つめながら言葉を発する。

 

「シャルロット………」

「な、なに?」

 

 急に真剣な表情で自分を見つめてくるものだから、怒りも一瞬忘れ、陽太の瞳に自由を奪われてしまうシャル。

 幼い頃は自分よりも少し背の低かった少年であった陽太だったが、今では自分よりも頭一つ抜き出るほどに成長し、それは全身の体躯にも現れていた。

 決してマッチョというわけではないのだが、さりとて痩せ細っているというものでもなく、ギリギリまで体を作りこんでいるアスリートのように無駄のない筋肉質な体型になっている。

顔付きも、昔の気弱さなどはもう見る影もなく、精悍な顔付きの大人の男への階段を上る成長期後半の少年のものになっていた。

 そんな幼馴染の思わぬ成長振りに、シャルの中にある「守られる子供」のイメージはなりを潜め、「異性」の男のそれへと変わり始めており、こう至近距離まで近寄られるとそれを嫌でも意識させられてしまう。それに先ほどから自分たちのやり取りをニヤニヤしながら見つめる女性店員の視線もある。

 

 さっきとは別の意味で顔を赤く染めるシャルと、彼女を真剣な瞳で見つめる陽太。

 

 そして彼は、その真剣な表情のまま、不安と期待で胸の膨らむシャルに向かって言葉を紡ぐ。

 

「シャル…………………大きくなったな、胸。このままいけばエルーさんに十代で追いつけるかも知れんぞ!」

「……………」

 

 物凄くいい笑顔で、こんな言葉を吐いてみせる。

 

 ダメダ、コイツ。ハヤクドウニカシナイト………。

 

 凍りついた女性店員の心の声は、誰に聞かれることもなく、陽太の頬を力強くフルスイングでブッ叩くシャルのビンタの音でかき消されてしまうのであった。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「なあ………」

「………話しかけないでください!!」

「(なにを、そんなにお怒りなんですか?)」

 

 左右のほっぺたを真っ赤にした陽太は、目の前で猛烈に不機嫌なオーラを飛ばしながらクロワッサンとコーンスープをガツガツと放り込んでいくシャルの姿を見ながら、年頃の娘さんの扱いに悩み果てていた。

 繊細な乙女心という代物の存在について、陽太はあまりにも無知すぎるのだ。

 だがこのままではいけないということだけはわかっているのか、とりあえず身近にいる女性を基準で考えてみることにする陽太。

 

「(………女の扱い……身近にいる女)」

 

 身近にいる女として真っ先に思いついた『兎耳をつけて、今日はどんな悪戯をしようかな~♪』とのたまう女性の姿を陽太は脳内からかき消す。他人のあり方に疎い陽太を以ってしても、『彼女(アレ)』は基準とするには、ちょっと無理があり過ぎると感じた。

 

「(束は話にならないから………リナ?)」

 

 下宿先の大家である彼女ならばどうだろうか?

 彼女も若干豪快すぎて繊細さとは程遠く感じる時があるが、ふと、昔彼女が言っていたことを思い出す。

 

「(ええっ~~と………確か、こうすれば良かったんだよな……)なぁ、シャル?」

「話しかけないでって、アレほ・・・」

 

 まだお怒り中のシャルであったが、そんな彼女の動きがピタリと停止してしまった。

 

 テーブルの向こうから差し出された陽太の手がシャルの頬に触れると、陽太は僅かに微笑みながら出来る限り優しい声色で囁いたのだ。

 

「シャル………君って可愛いな」

「なっ!!!???」

 

 ボンッ!という炸裂音と共に脳内が噴火したシャルは、顔を真っ赤にしながら小刻みに髪を指でいじくり、額に汗を滲ませながら、しどろもどろに陽太をチラ見する。

 

「えっ……えっ……やだ……あの………その…」

「もう……怒ってないのか?」

「あ………の……うん…」

 

 簡単に許してしまう乙女シャルであるが、陽太のほうというと、本当に目の前のシャルの事を可愛いと思って………いた訳でもなく、リナが昔酔っ払ってたときに言っていた話を思い出して、実践してみたのだ。

 

『ああ~~~!! 誰か私の顎を持って可愛いって言ってくれる男はいないのかーー!! そしたらどんなに怒ってても、簡単に許してやんのにーー!!!』

「………(ほんとに許してもらえたよ。オイ)」

 

 酔っ払いの言うこともたまにはあてになるもんだな、と感心する陽太。どうやら自分が端から見て相当恥ずかしい言葉を言い放った自覚もないらしい。

 

 そして、陽太に可愛いと言ってもらえて物凄く上機嫌になったシャルは、おもむろにメニューを取り出すと、上機嫌で彼に追加の注文をするように催促を始めるのだった。

 

「ほらっ! 男の子なんだから、朝からしっかり食べなきゃねっ!」

「いや、シャル………」

「すみませーん!! 追加で四人前お願いします!!」

「(俺が全部払うんだが………)」

 

 どんどんと持ってこられるメニューと満ち溢れていく満腹感と彼女の笑顔と反比例するように軽くなっていく自分の財布の中身を思い、引き攣った笑顔で陽太はシャルの様子に答え続けるのだった。

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 すっかり軽く成り果てた財布をいつまでも眺めつつ途方にくれる陽太と、上機嫌のあまりスキップまでするシャルは、手荷物とリナに頼まれた品物を一旦持って帰った後、特に当てもないままブラブラと通りを歩き続けていた。

 

「ヨウタ………」

「ん?」

 

 声を掛けられて振り返った陽太が見たシャルの視線が、古びて朽ちた教会に向けられているのを見た陽太は、眉を寄せながらシャルに問いかけた。

 

「よもや無神教無神論者な陽太君と共に、教会でお祈りしたいです。なんてこと言ってくれるわけじゃないよな?」

「うん! 一緒に入ろう!!」

「笑顔で無視するなよっ!?」

 

 顔は嫌がりながら、なんやかんやと言いつつもシャルの後を追う陽太であったが、朽ちた教会の中に入った途端、言葉を詰まらせてしまう。

 そこにあった光景は………。

 

 

 煤だらけの長椅子の群れ―――

 

 壊れかけた柱―――

 

 穴が開いた天井と―――

 

 ヒビだらけのステンドグラスから差し込む光―――

 

 

 そして、二千年以上前に世の苦しみを救うために自ら十字架に磔となった救世主に祈りを込めるために膝まつくシャルの姿があった。

 彼女の祈りを邪魔しないように、極力音を立てないよう静かに彼女のそばに歩み寄った陽太は、光に包まれる救世主を眺めながらシニカルな笑みを浮かべ、まるで小馬鹿にするような口調で話し始める。

 

「相変わらずの痩せっぽっちの栄養失調だな。そんな姿(なり)で誰を救うおつもりなのでしょうか?」

「コ~ラッ!」

 

 ここに宗教に属する者がいれば激怒しそうな物言いだが、シャルは短く咎める程度で済ませてしまう。それは出会った当初から、陽太がこの「痩せっぽちで栄養失調気味の神様」のことを毛嫌いしていたことを知っていたし、何よりも本音では彼女自身もあまり好きではないかもしれなかったからだ。

 

「陽太に初めて話しかけた時も、こうやって古い教会の中だったね」

「………あんまり覚えてない」

 

 嘘だ。あのときのことは陽太は今も鮮明に記憶の中に留めている。だが、気恥ずかしさからかそれを素直に言うつもりもなく、つい素っ気無い言葉で返してしまう。

 そんな彼の態度を察したのか、からかうようにシャルはおどけながら、当時のことを話し出した。

 

「そうだね~~~? あの時確か、誰かさんは今とはぜんぜん違う泣き虫さんだったもんね~~?」

 

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 お母さんがまだ生きていた、大好きなあの声と笑顔で、私に『シャルロット』と呼んでいてくれた頃。

 

 

 夏の日差しが強まり、畑に一面のヒマワリが咲き誇っていた季節……

 

 

 私がその子を見かけたのは、お母さんにお使いを頼まれた時でした。

 

 

 

 いつも行っている商店で夕ご飯のおかずを買ってきた帰り道、お母さんとよく食べに行った顔なじみのおじさんが経営するレストランの路地裏に置いてあったゴミ箱を、『その子』はゴソゴソと漁っていました。

 最初、私は『その子』が何をしているのかわからずに、ボケッと見ていたのですが、どうやらそんな私の様子に気がついた店のおじさんが、大声を出しながら怒って店から出てきました。

 

 おじさんはその子を見るなり、顔を真っ赤にして激怒し、殴り蹴り、怒鳴りながら酷い罵声を浴びせていました。

 警察に突き出そうと、店の中にいる従業員の人に声をかけたのですが、一瞬の隙をついて、『その子』はおじさんの手からスルリと抜け出し、そのまま私の横を通り過ぎて逃げ出していきました。

 

 私が、おじさんに『その子』が何をしていたのかと聞くと、おじさんは、

 

『あのドブネズミはゴミを漁りに来たんだ。金がないからって店のゴミを食べて生きてる蛆虫さ。シャルちゃんは、ああいう奴を見かけたら関わっちゃいけないぜ!!』

 

 いつもは優しいおじさんが、私には少しだけ怖く感じて、返事だけしたら、その場から逃げるように家に帰り、お母さんに『その子』のことを話していました。

 

 お母さんは、私の話を聞くと、少しだけ悲しそうな顔をして私の瞳を見て、

 

『あの人は悪い人じゃないけど、時々、頭に血が上るのが悪い癖ね』

 

 と、ため息をつき、しゃがんで私と同じ目線になって、話をしてくれました。

 

『シャルロット………その子はね、とても悲しい子なのよ』

「どうして、かなしいの?」

『その子は、お母さんもお父さんもいなくて、自分を守ってくれる人が誰もいないの………だから、一人ぼっちで生きているの』

「お母さんもいないの?」

『そうね………きっとそばにはいないわね』

「………お母さんがいないのは………いや」

 

 私の記憶のすべてに、お母さんの笑顔がいっぱいあります。

 お母さんが世界の中心………だから、お母さんがいない世界なんて、考えるだけでも怖くて悲しい。

そう告げると、笑顔になって、お母さんは私に言ってくれました。

 

『今度、もしその子に会ったら、シャルはどうするの?』

「う~~~ん………友達になる!」

『友達になるの?』

「うん♪」

 

 私が元気いっぱいでそのことを告げると、お母さんは、いつもよりも嬉しそうな顔で私を抱きしめながらこう告げてくれたんです。

 

 

『シャル………貴方は私の自慢の娘よ』

 

 

 

 

 さっそく次の日の午後、私は『その男の子』を探すために、街のあちこちを歩き回りました。

 お母さんから手渡されたのは、麦藁帽子と水筒。夏の日差しが厳しいから熱中症にならないようにと、心配してくれてのことです。

 幸い、私の住んでいた街はそれほど大きくない街だったおかげで、『その男の子』を見つけることは、そんなに難しくはありませんでした。

 

 

 『その男の子』は寂れて修繕されぬまま放置された教会の中、ボロボロになった十字架の前で膝を抱えてうずくまっていました。

 昨日よりも増えている傷。泥だらけで所々破れてほつれている服。足の先が破れて親指が見えてしまっている靴。

 

 見れば見るほど、私は不思議で仕方がありません………なぜ誰もこの子のことを助けてあげようと思わないのだろうか?

 

 純粋な疑問とともに、私は気がついた時、彼に声をかけていました。

 

「こんにちは!」

「!!!!?」

 

 飛び上がるという表現がぴったりなぐらいに、びっくりした彼はその場から飛び退くと、急いで柱の陰に隠れてしまう。

 

「……あの~」

「……………」

 

 柱の陰に隠れたまま、ずっとこちらを見てくるその子………しばらくお互いが見つめあう。だが、このままでは埒があかないので、思い切って私がもう一度声をかけて一歩踏み出してみた。

 

「あのーーッ!!」

「!!!?」

 

 出していた僅かな顔を引っ込めて完全に隠れてしまう。

 私は急いで柱の陰にいる彼の元に駆け寄ると、その場に蹲りながら、耳を手で覆い目をきつく閉じていた。

 

「(私に話しかけられるのが、そんなに嫌なのかな?)」

 

 僅かに肩が震えているのを見た私は、なんだか胸の内に罪悪感が湧いてきて、このまま帰ったほうがいいのかな、という考えが一瞬よぎった。

 

「(…………でも…)」

 

 だが簡単には引き下がれない。なんせお母さんと私は約束したのだ。

 友達になってみせる………そのことをもう一度固く胸に誓うと、大きく息を吸って、耳を塞いでいる彼にもよく聞こえるぐらいの大声で呼びかけてみた。

 

「あのーーーッ!!!」

「!!!?」

 

 その声にまたしてもびっくりしたのか、彼はその場から走り出すと………動揺の余り、一蹴して私の後ろに戻ってきてしまう。

 

「!!!?」

 

そのことにまたびっくりしたのか、今度は反対方向に走り出し、柱を一周して、私の前に戻ってくる。

 

「……………フフッ」

 

 その光景が、なんだかおかしくて………気がついたら、私は彼の後ろを追いかけていた。

 

「まってよー♪」

「!!!!?」

 

 二人で柱の周りをぐるぐる、ぐるぐると回る時間無制限追いかけっこ………そして二人は同時に体力が尽きてしまう。

 

「はっ、はっ、はっ……」

「……………」

 

 二人は柱にもたれて、汗だくになりながら一緒に座り込む。どれぐらい息を整えていたのだろうか……汗びっしょりになりながら、私は彼に笑いながら声をかけた。

 

「楽しかったね、鬼ごっこ♪」

「……………」

「足、すっごく早いね!走るの得意なの?」

「……………」

「私もね、走るの得意なんだよ! クラスで一番早いんだ!! 男の子にだって負けないぐらいに!」

「……………」

「あ、そうだ!」

 

母親から貰った水筒の蓋を開けて、コップに注いでいく。中身はどうやらオレンジジュースのようだ。

 

「はい、どうぞ」

「……………」

 

 私はそれを彼に差し出す。だけど、目の前に差し出されたそのコップを、驚いた表情で受け取ると、彼は興味深げに見つめ続けて、一向に飲もうとしない。

 

「どうしたの?」

「……………どうして…」

 

 彼が初めて自分に口をきいてくれた!そのことがうれしくて、私は思わず身を乗り出す。

 

「どうして………くれたの?」

「え?………だって、当たり前でしょ?」

「???」

 

 何が当たり前なのか解らない彼は、首をかしげてこちらを見てきた。私は、そんな彼に笑顔で答えてみせた。

 

「だって、私と貴方、もう友達だもん」

「……友……達………?」

 

まるで初めて聞いたかのように友達という言葉を口にする彼に、私は笑顔で自己紹介を始めてみた。

 

「私はシャルロット! 貴方のお名前は?」

「ヨ………ヨウタ…」

 

 

 

「どこで生まれたのか知らないの?」

「………知らない」

 

 あれから私は色々ヨウタに話を聞きました。

 彼はお父さんとお母さんがどこにいるのか知らず、フランスにある孤児院の前に捨てられていたこと。だけどそこの生活はヨウタには厳しく、同じ子供たちや、職員にまで酷いいじめを受けていたこと。そしてある日たまりかねて孤児院を飛び出してきたこと。その後、各地を転々としていたこと。だけど幼子が一人で生きていくにはあまりに世間は厳しいこと。

 

「気がついたらこの国にいた……だけど、髪も顔もぜんぜん他の子たちとは違うし、赤ん坊のボクが入ってた籠にあった文字が日本語だったから………たぶんボクは日本人だ」

 

膝を抱えて座る陽太のその姿が、私にはとても寂しそうに思えました。

 

「シャルは………お母さんと二人で寂しくないの?」

「全然!! だってお母さんはとっても優しいもん♪」

 

 私は立ち上がり、そう言って陽太に手を差し出します。

 

「ふえっ?」

「ついて来て!」

 

 ヨウタの手を強引に引っ張って立ち上がり、私は走り出します。

 

「お母さんがね! ヨウタに会いたいって言ってたの!」

「!? い、いいよ!」

「大丈夫!」

 

 ヨウタの心配そうな、困惑した言葉も私は一切聞かず、笑顔で彼を家に招きいれようとしました。

 

 家がないのなら、私の家に住めばいい。

 家族がいないのなら、私とお母さんが家族になってしまえばいい。

 

 ただ、ただ………あのときの私はそう、無邪気に思っていたのです……。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「今思うと、私すっごい強引だったよね♪」

「そうだな。ものすっごく強引だったな」

 

 互いに小さな笑顔を作りながら笑い合う二人。あの頃は本当に何もかもが純粋で眩しく思うことができていた。

 

「だから、言っておきたいことがあるんだ」

「ん?」

「ヨウタ…………私を助けてくれて、ありがとう」

 

 シャルの心からの笑顔と感謝の言葉に、陽太はただ目を閉じて微笑み返すだけだった。

 

 だが、これでいい。この二人の間ではこれだけで、たくさん言いたい感謝の気持ちが伝わっているのだから………。

 

 昔は、笑顔と短い言葉で、陽太に想いを伝えることができていた。

 そしてそれは今も変わらない。そんな無邪気な気持ちを信じようとするシャルであったが、時は二人に小さな影を落としてしまう。

 最初にその影の暗い手が伸びたのが陽太であった。

 

 無粋とも取れる絶妙なタイミングで鳴った携帯の着信音に、会話を一時中断してシャルから急ぎ足で距離を取る陽太。若干苦い表情で通話ボタンを押した理由は、彼の今もっている携帯に電話してくる人物など一人しかいないためだった。

 

「………なんだ?」

『なんだじゃないよーーーー!!! ようちゃんっ!!! 一体全体どういうつもりだよぉぉぉっーーー!!!』

 

 鼓膜の心配をしてか、あらかじめ50cmぐらい距離を離していてもなお煩い束の声が電話越しに聞こえてくる。

 

『私に内緒で女を囲うとはどういうことなの!?』

「内緒もくそも偶然と成り行きで…………また人の行動をモニターしてんのか?」

『あう……』

 

 一気に陽太の声色のトーンが下がったのを感じた束のテンションが下がる。二人の中の暗黙の了解である『俺の行動をいちいち見張らない』という約束を破った束に、冷たいオーラを携帯越しにぶつける陽太。

 

「いつも言ってるよな? 俺に干渉しないっていうのは、手を出さないことだけじゃなくてそうやって監視しないってことも含んでるって……」

『だって~~~………ようちゃんが浮気を…』

「アホ言うな。そんな仲じゃねぇーよ」

 

 そう………自分とシャルロットはそういう仲ではない。

 

 ではなぜ自分はあの時彼女を助けたのだろうか?

 

 今になってその疑問が急速に広がり始める。

 

 普通に考えれば、シャルをこんなところにいさせるよりも早く帰してやるのが一番のはずだ。

 少なくとも犯罪者である自分なんかとの生活なんかよりもよっぽど裕福な暮らしが待っているはずなのだ。たとえ少しの偏見や嫌がらせがあろうとも………。

 

 だがあの時、エルーの墓の前から無理やり連れて行かれようとされているシャルの姿を見た瞬間、自分の思考は完全に消し飛んだ。

 気がつけば思うがまま、考えもせずにシャルを助けて、あげくが誘拐犯である。

 

「(………子供染みてる……本当ならシャルにとってどっちが良いかなんて考えるまでもないのに…)」

『うふふふ~ふ~~~、ようちゃん悩んでるね~』

 

 束がこういう物言いをするときは確実に優しさと残酷さを含んだ事を言うものだ。

 思考を荒らされる前に電話を切ろうとするが、彼のその行動よりも早く、束は彼の携帯にある情報を転送してくる。

 

『ようちゃんが欲しい情報だよね、これ?』

「お前………」

『今回は特別に目を瞑ってあげる♪ だけどね、ようちゃん………これだけは忘れてないよね?』

 

 

 ―――ヨウチャンハ、ソノ手で人ヲ殺シテルンダヨ?―――

 

 

「……………」

 

 静かに目を瞑り、深く深呼吸をする陽太。

 だが、その時の彼の手が微妙に震えていたことにも束は気が付いていたのだろうか? 

 いや、彼女はそのことにすら気がつきながらも、あえてこの台詞をこの場面で言ってのけたのだ。

 

「………理解(わかって)いる」

『ぐふふふ~~……さっすが、ようちゃん♪ 愛してるよ!』

 

 最後に上機嫌そうに電話を切る束に対して、苦い思いを隠しきれない陽太はおもむろにポケットの中にあった煙草を取り出すと、火をつけて、心底苦い気持ちと煙をゆっくりと吐き出そうとする。

 だが、どれだけ煙を吐き出しても、その心中に渦巻いたどす黒いモヤモヤが胸中から出て行くことはなく、知らず知らずのうちに煙草を床に放り出し、荒々しく踏み潰すと、二本目に手を伸ばそうとする。

 

「コラッ!!!」

 

 だが、その手をシャルの暖かい手が陽太の手に握られていた煙草を取り上げてしまうのだった。

 

「いつの間にこんな物吸うようになったの!! もしやと思ってたけど、本格的に不良を目指すようになったの!?」

 

 知らないうちに非行に走り出した弟を叱るように、シャルは腰に手を当ててプリプリと怒ったフリをするが、陽太はそんなシャルの姿を一瞬だけ驚いたような怯えたような瞳で見ると、シャルの手に握られていた煙草を荒々しい手で奪い返し、火を着けながら教会を出て行ってしまう。

 その様子を一瞬だけ呆けたように見ると、すぐさま陽太の後を追いかける。

 

「ちょっと待ってヨウター!」

「……………」

「ヨウタッ!」

 

 急ぎ足で歩く陽太を追い抜き、彼の前に立ち塞がったシャルは、突如態度が急変した陽太の様子を伺うように話しかける。

 

「どうしたの? 何か悪い電話だったの?」

「別に………シャルには関係ないことだ」

「じゃあ、私が………何か……気に障るような…悪いことしちゃったのかな?」

「…………関係ない、別に」

 

 短く言い捨てると、突然シャルの手を握り、強引に元来た道を歩き出す。

 

「ヨ、ヨウタッ!」

「帰るぞ……」

「ちょっと!! 痛いッ!」

 

 痛がるシャルを無視するように歩を早める陽太であったが、強引に握られた手の痛みに耐えかねたシャルが無理やりその手を振り払う。

 

「ホント、痛いから………離してよっ!」

 

 赤く染まった手をさすりながら、シャルは怒った表情で陽太を睨み付け、彼を怒鳴った。

 

「女の子に優しくできないなんて最低だよっ! ヨウタッ!!」

「…………関係ない」

「さっきからそればっかり! いったい何があったの? なんで何も言ってくれないの!!」

 

 いつの間にかうっすら涙をためて、陽太を見つめてくるシャルの姿に彼は耐え切れなくなったように視線をはずすと、ただすれ違いざまに、短く言い放つのみだった。

 

「シャルには………関係ない。関係のないことだ」

 

 

 そう、彼女には何一つ関係のないことだ。

 自分が彼女と別れてから、どんな生活を送ってきたのかも、どんな許されない罪を犯したのかも、彼女にはまったく関係のないことなのだ。

 

 

 だからこそ、もう暖かい夢の時間はこれでおしまい。

 

 

 今からはいつもの現実に戻り、いつもの自分としてできることをするだけだ。

 

 

「ヨウタ………」

 

 前を歩く少年と、その後姿を涙を流しながら見つめる少女。

 

 互いを想い合いながら、二人は悲しいぐらいにすれ違うことしかできずにいるのだった。

 

 

 

 




互いに想いあっていても、それがイコール互いの幸せになるとは限らない。

そんな二人の光景ですが……正直、どうなんなだろうか?

感想待っています。

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