吹雪が吹き荒れ、氷に覆われた氷海の中心で、流無の身体は首から上を残して完全に凍りついていた。
このまま体が氷に包まれれば流無の心は閉ざされて、二度と元に戻ることはないだろう。
この精神世界に、一人の男が歩いて来た。
氷の海をゆっくりと、ただ流無の元を目指して。
その足取りに迷いは全くない。
やがて、流無のそばにやって来た男はその手に日本刀を取り出す。
それを氷に包まれた流無に向かって振りおろす。
すると、流無の身体を覆っていた氷は砕ける。
「ん・・・?」
流無はゆっくりと目を開ける。
そして、彼女の目の前には男、八神和麻・・・・・・・・の足の裏が。
「ぶげらっ!?」
そして、女の子にあるまじき声をあげて吹き飛ばされる流無。
そんな流無を見ながら、蹴り飛ばした張本人の和麻はやれやれと疲れた感じで首を振る。
「お~い。さっさと帰るぞ、このバカ。この俺がわざわざ助けに来てやったんだから感謝しろ、この根暗」
とても自分の彼女を助けに来た彼氏とは思えないようなセリフである。流無の顔面を蹴り飛ばしたことに対する罪悪感など、かけらも感じられない。
そのことに、流石の流無もガバッと起き上がり、怒りもあらわに詰め寄る。
「いきなり何するのよ!というかなんでここにいるの!?」
そう。ここは流無の精神世界。他人である和麻が入ってこられるわけがないのだ。
「ん~?別にそんな特別なことはしていないぞ」
そう言い和麻は何があったのか語り始めた。
ぶつかり合う二本の巨大な大剣。
蒼穹のごとく澄み渡った蒼の大剣――蒼之羽々斬(あおのはばきり)。
深海のごとく玄く暗い蒼の大剣――サンダルフォン・ハルヴァンへレヴ。
どちらもISでさえも紙のように引き裂いてしまいかねないエネルギーを内包し、周囲に強大なエネルギーをまき散らす。
しかし、その拮抗も一瞬だった。
勝ったのは――蒼穹の大剣。
サンダルフォンは、ぶつかって一秒もしないうちにひびが入り始め、十秒も経てば粉々に砕けた。
それは当然の結果だった。
いくら最強の兵器とはいえ所詮は人間が作った物。
対して、蒼之羽々斬は超越存在である精霊王が生み出した神器・蒼穹覇王を核に、超高密度に風の精霊を圧縮した、超エネルギーの剣。
どちらが勝つなど、比べるまでもなかったのだ。
そして、サンダルフォンが砕け散った瞬間、和麻は蒼之羽々斬を消滅させ、刀奈に突貫。
そのまま、彼女ごとボストーク号に突っ込み、壁を粉砕しながら教会の聖堂の様な部屋でようやく止まり、そこで和麻は刀奈に・・・・・・キスをしたのだ。
以前から
「以上だ。まあ、ご都合主義ってやつだな」
「ええ。本当にご都合主義ね」
俺の話を聞いた流無は俺の言葉に同意する。
なんだその方法は、という気持ちでいっぱいだというのが見ただけでわかる。彼氏彼女の関係抜きで。
「というわけでさっさと行くぞ」
俺は流無の手を掴もうとするが、その手を流無ははねのけて離れる。
しばし、はねのけられた手を眺めていたが、流無の方に視線を戻し、やれやれという疲れた風に話しかける。
「で?これは一体どうゆうことだ?」
「・・・そのままの意味よ。私は・・・戻らない。戻ったところで、私に何ができるの?あの子に責任を押しつけて、何も知らずにいた私に!?」
まあ、なんとなく予測できた答えだな。
流無は・・・優しい。
自分の身を顧みず、他人のために行動するところがある。
そんな流無が、刀奈の記憶を取り戻し、妹にしわ寄せがきてしまったことを知らされれば、罪悪感に苛まれるのは簡単に想像できる。
その結果が、この凍てついた氷海。
罪悪感から逃れるために、自分を閉じ込めようとしたのだろう。
でもな、流無。そうじゃないだろ。お前は、そんなに・・・弱くないだろ!
「ふざけるな」
「え?」
「ふざけるな!!」
「ひゃん!?」
俺の怒声に流無は驚いたような声をあげるが、構うものか。
「何だ?お前のその顔は?何そんな弱々しい顔をしているんだよ!?ふざけるのも大概にしろ!!」
正直、こんなふうに叫んだりするのは俺のキャラじゃないんだけどな。
だけど、今の俺は本気でキレたな。止まりそうもない。
「さっきから聞いていれば、お前は…。確かにお前は自分を許せないだろうさ。でもな、それは刀奈や楯無としてのお前だ。俺の目の前にいるお前は…流無だ!流無としてのお前はどうなんだ!?あの日、俺のために強くなると言ってくれたお前はどこに行ったんだ?」
俺は今でもはっきりと覚えている。
上海でのことを。
こいつが俺に初めて力をくれたときのことを。
当時の俺はどこかやけになっていた部分があった。
実家から勘当されて、自分の存在意義がわからなくなっていたのかもしれない。
ついにはやりすぎて上海最大の秘密結社『蘭幇(ランパン)』に目をつけられた俺は、蘭幇の罠にかかり、廃屋で死にかけていた。
そんな俺のところに、こいつは来てくれたんだ。
その時、初めて俺の風が、蒼く染まった。
そして、お前は言ってくれた。
――私があなたのパートナーになる。あなたと一緒に並び立てるくらい強く。だから、死なないで。立ち上がって――
「そんなお前だから俺もお前を選んだ。本当なら死んでいた俺をお前は助けた。俺と共に戦うためにお前は強くなると言ってくれたから!もし、あの言葉通りなら、そんな弱い顔してんじゃねえ!刀奈と楯無のお前は守れなかった。だったら、流無はどうなんだ!?お前は、一度の失敗で全部諦めて終わるようなやつなのか?違うだろ!!お前は強い奴なんだ。だから立ち上がれよ。そして、立ち向かえよ。そんなお前を俺は相棒に選んだ。
守る対象じゃない。ともに戦う存在として!!」
守る守られる関係じゃない。ともに対等に協力し、戦い続ける関係。
それこそが俺たちだという俺の言葉に、流無は呆然としていたが、やがてその手に三叉槍を取り出す。
精神の世界だから何でもありか。
俺も両手に風斬・水蓮を呼び出す。
蒼穹覇王は流石に無理みたいだ。
「・・・そういう、ことは、私を、倒してから言ってよね。私はね、私より弱い、人の事なんか、・・・聞か、ないのよ」
「はっ、泣きながらしゃべっている奴が偉そうに言ってんじゃねえよ」
吹雪が吹き荒れる氷の海で、互いに武器を構える。
構えはいつもの、自分になじんだ構え。
同じ師に師事し、同じ任務に臨み、同じ戦いを潜り抜けてきたからな。もう、相手がどんな構えを出すのか、解ってしまう。
なあ、流無。
お前はこの二年間の自分を許せないと思っているみたいだけどさ。
俺にとってはお前と出会って過ごした二年間は無茶苦茶楽しかったんだぜ。
これからも、きっと楽しいこと、面白いことがある。
だから、帰ろうぜ。
武偵高に…、みんな一緒にさ。
同時に踏み出す。
流無の三叉槍が横から振り抜かれ、俺は体を回転させながら回転斬を繰り出す。
ぶつかったのは一瞬。
そして、三叉の矛先が宙に舞った。
もう限界だから先に行く。さっさと来いよ。
そう言い残し、和麻は流無の前から姿を消した。
「とりあえず、おめでとうとでも言っておこうかしら。蒼神流無。これでめでたくあなたは主人格として、体を取り戻すことができるわ」
流無の後ろに、いつの間にか現れた刀奈が話しかける。その声には驚愕も何もない。ただ、まるでこうなることを知っていたような響きがあった。
「ねえ?」
「何?無様に負けた私に嫌味の一つでも言ってくれるのかしら?」
自嘲するように言う刀奈に流無は真剣な、そして何かを恐れる様ね表情で話しかける。
「私が目覚めたら…あなたはどうなるの?」
流無の言葉と共に、氷が轟音と共に割れはじめる。
「…」
「…」
流無と刀奈。
ほとんど同じ、姉妹と言ってもおかしくない二人は崩壊を始めた氷海で無言で向かい合う。
刀奈はどういったものかと視線をさまよわせるが、やがて流無の鋭い眼光に観念したのか話始める。
「…消えるわ。もともとあなたの記憶から生まれたと言っても、私はこの身体に本来あるはずのない人格。二重人格者みたいに共存することはありえないわ」
「そんな!?」
その答えに流無は悲しげな声をあげる。
「何を驚いているの?あなたならわかっていたはずでしょ?」
「っ!?そう…だけど!?」
「はあ。別にいいじゃないの。私は所詮あなたの過去から生まれた、いわば幻想。別にいなくなってもいいじゃない」
何の問題も無いと刀奈はいう。
「いいわけ…無いじゃない!あなただってまだやらなきゃいけないことがあるじゃない!あの子は…簪ちゃんはどうするの!」
「戦ってみて確信したわ。あの子はもう私なんか必要ないくらい強くなった。そして、あの子にはあなたがいる。もう私に心残りはないわ」
「っ!」
パアンッという乾いた音が響く。
それは流無が刀奈をはたいた音だった。
「ふざけないでっ!私は昔の記憶を取り戻したから、あなたの思いも分かる!あなたはもっと簪ちゃんと話したいんでしょ?遊びたいんでょ?仲良くしたいんでしょ!だったら、ちゃんとあの子に言わなくちゃダメ!それに、それにあなたが消えたら何のためにあの子は、頑張ってここまで来たの!?」
それは流無の思い。
刀奈は自分でもあるが故にわかってしまうこと。
「…私には無理だよ。確かに、記憶を思い出したけれど、もう私は刀奈でも楯無でもない。流無なんだよ。そんな私に、簪ちゃんをまかせないでよ」
それは先ほどの和麻の言葉で気が付いたこと。
刀奈は刀奈。流無は流無。
だったら、簪に向き合うには、自分だけじゃない。刀奈も必要なのだと。
「…はあ、まったく。どうしてくれるのよ」
そんな流無の言葉に、刀奈は呆れたとばかりに目を抑える。しかし、その顔には笑みが浮かんでいた。
「そうね。確かに私は私だし、あなたはあなた。だから、それを押し付けるのもお門違いかな」
そう言うと、刀奈は流無の手を握り、引き寄せる。
「え?」
「ごめんなさい。あなたの言葉で少し、残りたいって思えた」
「なら!」
刀奈の言葉に流無はうれしそうな声をあげるが、
「でも、やっぱり私の消滅は避けられないわ」
流無の身体が光に包まれる。覚醒の時が近づいているのだ。
そんな流無に刀奈は抱きつく。まるで姉が妹にしてあげる抱擁のように。
「だから、あなたにはこの言葉を託すわ“――――”。あの子に…伝えてね」
「ま、まtt」
流無の言葉は最後まで続かなかった。
氷海が大きく崩壊をはじめ、その轟音の中で流無は光に包まれて消えたのだから。
「…」
刀奈は誰もいなくなった氷海で空を仰ぎ見る。
いつの間にか吹雪はやみ、空には美しい闇夜が広がっている。
次いで目の前を見ると、氷が割れて顔を出すのは深くどこまでも広がる海。
闇夜に輝く月が優しい光で照らすそこは、まるですべてを飲み込まんとする雄大さと、すべてを包み込む優しさに包まれていた。
やがて、刀奈の立っていた氷にもひびが入り始め、そして砕けた。
それと同時に刀奈は海に放り出される。
ゆっくりと刀奈は海に沈みながら、これまでの自分の人生を振り返る。
更識に生まれ、当主としての器量を求められてきたが故に自分を押し殺してきた。すべては自分の大切な人のために、愛しい妹のために。
しかし、その努力が、そのための才能が妹の簪にコンプレックスを与えてしまった。
当主としては万能な自分でも、姉としては未熟な自分。
どう接していいのかわからず、引きずり続けて、ついにはこんなことになってしまった。
でも、戦って分かった。もう彼女は大丈夫だと。
自分と同じ、それ以上に更識を引っ張っていける力をつけた。
それに、もう一人の自分。双子の妹でもいうべき流無もいる。
流無には刀奈にはなかったものが沢山ある。
対等に接してくれる仲間。
気兼ねなく話せる多くの友達。
そして…愛する人。
全ては自分が選んだ道。後悔はない…と言えば嘘になるけれども、心残りはない。
後は、彼女たちしだい。
「…がんばれ。妹たち」
刀奈は、その言葉を最後に海に消えて行った。
後に残ったのは、夜空に浮かんだ月に照らされた、深く蒼い海だけだった。
目が覚める。
最初に目についたのはボロボロのステンドグラスに天井に大穴の開いた教会の大聖堂みたいな場所。
私は、まるで競泳水着みたいなISスーツを着て仰向けになっていた。
周囲は瓦礫だらけだけれど、私の頭は痛くない。
「目。覚めたか?」
私の視界に映り込んだのは和麻の顔。どうやら私の頭が痛くないのは和麻が膝枕をしてくれていたからみたいだ。
「ここは?」
「ボストーク号の中だ。ついでにキンジとアリアもいる」
首を横に動かしてみると、確かにキンジ君とアリアちゃんがいた。
どこか二人の間に良い雰囲気があるけれど、きっといいことがあったのでしょうね。
「刀奈は、どうなった?」
「…消えちゃった、みたい」
「…そうか」
和麻はそう言ったきり、何も言わない。
「和麻」
「何だ?」
「少し、抱きついて、いい?」
「当たり前だ」
そう言うと、和麻は私の頭を引き寄せて抱きしめてくれた。
うん。流石私の彼氏。
これなら、見えないよね。
“あなたは私の誇りよ。もう一人のあなたのお姉ちゃんと、頑張りなさい”
あの…バカお姉ちゃん…
私は…声を殺して、しばらく泣いた。
これにてVS刀奈は終わりです。
次回はついにあの男に挑みます。