「っ――」
体の痛みとともに目が覚める。
「……こ、こは……」
緩やかな振動。移動中なのだろうことがわかる。
「おう、起きたか大将。今は聖都から離れている最中だ」
「近くに敵はいない。ひとまずは聖都から距離が取れた」
「フォウフォーウ」
「っ――、そうだ、マシュは」
「無事だ、まあ、ちぃっとばかし無理をしたからな。今は眠ってる」
スピンクス号でマシュは眠っている。
「いやー、良かった目覚めたのかい」
「ダ・ヴィンチちゃん。状況は……」
「ああ、見ての通り。今現在、難民を引き連れて逃走中――ただ」
問題があるとダ・ヴィンチちゃんは言う。難民たちはこちらを信用していないのだ。人種も違う、目的も違う。加えて、彼らは満足なお礼ができない。
これでは警護などしてもらえないと思うのは当然だろう。こちらがどんなにやるといっても信用できるはずがない。無償の奉仕ほど恐ろしいものはないのだから。
頼りたいと思っても、見捨てられるのが怖くて、頼れない。見捨てられてしまったら死ぬしかないのだから。だからこそ、聞きたいと難民の代表は言ってきた。
なぜ、助けてくれたのか。その理由を。
「我慢できなかったからです」
「そうか。……誰だって、あんなもの我慢できないよな……」
「すみません。私から提案してよろしいでしょうか」
ベディヴィエールが話を遮り提案する。
「貴方方の護衛は続けてさせてほしい。そして、そのための報酬を私たちは要求します。ぞれぞれの理由はどうあれ、私たちは聖都の騎士を敵に回してしましました。生き延びるためには、より大きな協力者が必要になる。そのために、貴方方の力をお借りしたいのです」
「そりゃあ、手は貸したいよ……だが、オレたちの中で戦えるのは数名だけだ。中には妻と息子がいる奴もいる。アンタらと一緒に戦うってのは――」
「いえ、そうではありません。貴方方には案内を頼みたいのです」
これより北にあるのは山岳地帯。そこは山の民、山の翁の領域である。そこに入るための信頼をくれということ。
こちらはどう見ても聖都側の人種。そのため山の民が支配する山岳地帯には入れない。入った途端に戦闘になってしまう。
それは本意ではない。こちらとしても協力者としての山の民に保護されたいのだ。砂漠はオジマンディアスの領域であり、アレは敵であるがゆえに敵ではない第三勢力に助けを求める。
そのための信頼を難民たちが、その間の護衛をこちらが引き受ける。
「なるほど! 実績か! それならば山の翁たちも無下にはしないだろう! これならみんなを説得できる。このままアンタらを信じようってな! ありがとう、さっきはみんなを助けてくれてありがとう!」
そう言って彼は難民たちに話をしに行った。
「……良かった。ともかくこれで一致団結ですね。余計なお世話だったでしょうか」
「いえ、ありがとうございます」
オレではこう上手くはいかないだろう。
「まったくだよ。私の活躍の機会がなくなっちゃったじゃないかふんだ」
「いじけないでよダ・ヴィンチちゃん」
「なに、ポーズだよ、それよりも少し休憩を取ろう。いろいろと聞きたいこともあるんじゃないかい?」
「…………」
そう聞きたいことがあった。だからこそ――半刻だけ休むことにする。
オレは、痛みと疲労で悲鳴を上げる体に鞭打って、金時とクー・フーリンのところへ行った。彼らが何か言いたそうな顔をしていたからだ。
それに聞きたいことがあった。彼らならば知っていると確信があったのだ。ブーディカと清姫がいない理由を教えてくれると。
「……死んだ。ああ、見事に役割を果たした」
「…………」
答えは予想通りのものだった。わかっていたさ。わかっていたことだ。そう、わかりきっていたことだ。彼女たちとの繋がりを、感じないのだから。
でも、信じたくなかった。だからこそ、聞いたのだ。確認したのだ。そして、予想通りの結果に、打ちのめされている。
「ブーディカのやつは、ガウェインと戦った。あの宝具を止めたのは奴だ」
「蛇の嬢ちゃんは、大将を守って死んだ。最後の言葉は――」
「……いいよ、わかる。愛しています、だろう……?」
だって、清姫はオレのことしか考えていないのだから。最期まで、きっとオレのことを考えていたのだろうことがわかる。
わかって、しまう――。
「ごめん、ちょっとひとりにしてほしい……」
クー・フーリンと金時は何も言わずに去っていった。誰もオレを止めようとしない。オレは少しだけ陣から離れたところに座った。
「辛いかい?」
ベディヴィエールと、この特異点の成り立ちを話し合っていたドクターは、それが終わったのかこちらに通信を繋げて来た。
「…………」
オレは頷いた。いくら、カルデアに戻ったら会えると言っても、仲間が死ぬのは辛い。心がひび割れて、もう帰りたいと諦めて、折れてしましそうだった。
いつもなら隣にいる熱がない。いつもそうだ。いなくなってから、その大きさに気が付く。その重さに気が付く。その温かさに気が付く。
――どうして、オレは、僕は、こんなにも弱いんだ。
彼女たちが死んで、悲しい、悔しいと思う気持ちを持つべきだろうに、それよりもまず安堵が先に来て、良かったと思ってしまう。
なによりもまず自分が生きていることにただただ安堵して、良かったと胸をなでおろすのだ。どこまでいっても自分が大切な、自分の矮小さに嫌気がさす。
どんなに成長したと思っていても、これではまったくの意味がない。このインバネスに、帽子にただただ恥ずかしい。
これでは、なんのために――。
「――泣いていいんだよ。ここなら誰も聞いていないし、見ていない。僕も邪魔なら向こうで話をしているから……」
「……良い、いてほしい」
「…………わかった」
悲しい、辛い、苦しい。何よりもふがいなく、矮小な自分に腹が立って、そして、二人を失ってしまったことに涙が止まらない。静かに、泣いた。声を潜めて、誰にも見せないように、聞かせないように。
「ぁ、ああ、ああ、――うぁあああああぁぁぁぁ――」
ドクターは、それをただ見て見ぬふりをして、聞いていないふりをしてくれていた。何も言わずに、ただ、ただ――。
「……ごめん、ありがとう……」
休憩時間が終わるギリギリまでオレは泣き続けた。泣いたら少しだけ楽になったような気がする。相変わらず、腹の中には、岩でも詰め込まれたみたいに重い。
それでも、なんとか前に進めると思う。気を抜けば、動けなくなるから、無理やりにでも動くのだ。
「……いいとも、これが僕の仕事だからね」
彼はそう言ってくれる。それで多少楽になることもある。何も聞かずこちらを尊重してくれるドクターの存在はありがたい。その大きさを、今は実感する。少し離れているだけで不安で、彼がいてくれるからこそなのだと今は思うのだ。
「…………」
だが、心の中の淀みは消えてなくならない。ああ、どうしてと、今でも思うのだ。自分の判断は間違っていなかったのかどうかを今も試行する。
結果は、どうあがいてもこれが最善であるということ。誰かの犠牲なくしては切り抜けられなかったと脳内の冷静な部分が判断している。
むしろ、二人で良かったとすら思って――。
――ただひたすら自分を殴り殺したくなってくる。
誰かが死ぬのはもうごめんだった。そのために、努力をしてきたはずだった。人として、エドモン・ダンテスに教えられた通りに、自分らしくやってきたつもりだった。
最近は、うまくいっていた。だから、調子に乗っていたのかもしれない。
ぐるぐると、ぐるぐると、思考は暗がりに落ちていく。それでも前に進まなければならない。縋るべき相手も、後ろで見守ってくれていた相手ももう、今は、いないのだから――。
「……先輩……」
「マシュ……目が覚めたんだ……」
「はい、先ほど……あの――」
「良い、その先は言わなくていい」
彼女が何を言いたいのかすぐにわかる。
「君のせいじゃない。これは、オレの責任だから」
あの場に残って戦うことも、難民の為に囲みを突破しようと挑んだのも自分なのだ。それを誰かがヘマをしたからと責任を押し付けていいことにはならない。
この重さを、抱えていくしかないのだ。
――ああ、くそ。
正しいことは痛い。正しいことは辛い。正しいことは苦しい。
そんな責任を投げ捨てて、誰かにおまえのせいだと言えればなんと楽なことだろうか。安易な道は気持ちがいい。悪いことは、楽で、爽快感すら感じるほどに快楽的。
心の底で溜まっていく昏い感情、淀みは、それをしてしまえとオレに促してくる。おまえがわるいと当たり散らせよ、楽だろう。
そうやって責任を押し付けて、押し付けて、押し付けて、自分は楽になってしまえばいいじゃないか。ほの暗く、安易な道がある。
重い重責なんて捨ててしまえ。このままではまた折れると客観的に判断できるのは、観察眼が養われたおかげだろうか。
それは間違いではなく、弱い自分はこれ以上の悲劇になんて耐えられないことがわかってしまう。今でももういっぱいいっぱいだ。
自分一人で精一杯であり、誰かを見る余裕なんてものは微塵もありはしない。それでも――。
帽子とインバネスを見るたびに。手袋を見るたびに。鈴が鳴るたびに、クナイに触れるたびに。羽根飾りに触れるたびに。
オレを信じてくれた、誰かが言うのだ。
――まだ、やれるだろう。どうした、自らに余裕がなくとも、女を助け、ともに走り抜けた七日間を忘れたか。
――オレはおまえを肯定しよう。如何なるおまえであろうともだ。
――だから、やめてもいい。ここで立ち止まってもいい。だが――おまえがおまえらしく在れないのであれば、立ち止まるな、進み続けろ。
――言っただろう、おまえは、いつの日か、世界を救うのだと。
――辛い時は辛いと言いながら、それでもと右手を伸ばし続けた貴方。
――限りなく現実を睨み、数字を理解し、徹底的に戦ってこそ願ったものへ道は拓かれる。嗚咽を踏みにじり、諦めを叩き潰しながら歩くと誓ったのでしょう。
――ならば、立ちなさい。泣き言はあとで言えます。
――休んでいる暇などないのです。貴方の助けを待っている者たちはいくらでもいるのですから。
――さあ、行け、前に進めと。
――おまえはまだあきらめていないのだから
諦めたのならばやめてもいい。だが、自分を偽ってやめるのだけは許さないという、声が聞こえる気がするのだ。
「行こう、行こう、マシュ」
必ず世界を救うんだ。
「っ……はい、先輩!」
彼女がいるなら大丈夫。彼女と一緒ならば大丈夫。
――だってそうだろう。
こんなオレでも、こんなオレを助けようとしてくれた二人がいる。オレにはもったいない、もったいなさすぎる最高の仲間がいる。
こんなオレを愛して、最期まで身を案じて、自分の身を犠牲にするほどに愛してくれる女の気持ちがわからないほど、オレは鈍くないから。
その想いに、帰ったら答えられるように、今を必死に生きて、足掻いて世界を救う。
そうでなければ、二人に申し訳がない。二人が想ってくれた男はこの程度だったなんて、言われたくないし、言わせたくないから。
「――行こう」
軋む心が、悲鳴を上げているのがわかる。
今でも、やめたいと心の底から想っている。なにせ、自分は凡人なのだ。すぐ楽に逃げる凡人。だが、そんな自分をあんなにも愛してくれる女がいるのならば奮い立たなければ嘘だろう。
自分が嫌いだ。成長したと思っていてもなにも変わっていない自分のことはどうやっても好きになれない。どうして、自分は強くないのかと思わずにはいられない。
けれど――それでも――。
と思うことはやめられない。もう二度とだれかを失いたくないから。もう誰も、犠牲になんてしたくないから。
なにより、犠牲になった二人のことは何よりも重たいから。
自分は矮小な人間だ。凡人であるがゆえに、自分がどうしても他よりも軽くなる。だが、だからこそ他人はとても重いのだ。
壊れた時、その中に何があっても残り続けた
だから頑張れるのだ。
「……よーし、それじゃあ出発だ」
それを察してダ・ヴィンチちゃんは、いつも通りの調子で出発の号令を出す。難民たちはゆっくりと山岳地帯に向けて出発する。
逃げて、逃げて、再起するために。今は、逃げる。
生き延びて、何があろうとも生き延びて、必ずや己の目的を果たすのだ。
「……清姫、ブーディカさん、絶対に、無駄には、しないから……」
風に乗って、消える言葉。その言葉が、彼女たちにも届けばいいと思いながら、死の荒野を進む――。
身体も心も傷つきながらも前に進む。
その先に、必ずや望む未来を勝ち取るんだと、必死に思いながら――。
というわけで、まだまだ絶望は深まります。
この絶望感、まだ序盤なんだぜ? 既に終盤の空気なのに、ここからさらに落ちるとか……。
しかし、もう80話か、連載開始からはまったく考え付かないくらい話数が伸びました。それもこれも皆さんの応援のおかげです。
感想とか評価とかもらうと露骨に更新する現金な作者ですが、ここまで来れたのは間違いなく皆さんのおかげです。
これからもどうかよろしくお願いします。
百話になったら何か記念話を書くか、カルデアの日常か、あるいは、巌窟王登場とか。
まあ、その時になったら何か考えます。
では、また。