空の境界/the Garden of Order 序
――それはおかしな夢だった。
「あら、ここにお客様が来るなんて、どんな間違いかしら」
きれいな女性がそこにいた。長い黒髪に着物を着た美人さん。
きらめく瞳にオレの視線は吸い込まれる。
「夢を見ているのなら、元の場所におかえりなさい。ここは境界のない場所。名前をもつアナタがいてはいけない世界よ?」
そういわれても気が付いたらここにいたのだ。
マシュがいなくなった。それを探して、ひとまず夜になって寝るという段階になって。夢を見た。
「求めて来た訳ではないの? なら――ふふ、ごめんなさい。縁を結んでしまったのはこちらの方みたい。今のうちに謝っておくわ。私は眠っているから外のことはわからないけれど、何が起きたのかは予想できる。あなたの大切な子に何が起きたのかも。それについて話すのもいいけれど、残念。夜が明けてしまいそう」
世界が白んでいく。全てを包み込むように。
待ってくれ。まだ聞きたいことがある。そう言っても、声は届かない。声にはならない。
「もしまた会えることになったら、その時は、どうか私の名前を口にしてね?」
そして、夢は終わり、現実へと回帰する。
「深夜零時だけど、起こして済まない。異常事態、というかもう言ってしまうと特異点が見つかった」
特異点。
すぐに準備を整える。黒いスーツを着て、彼にもらった帽子とインバネスを羽織る。
「行こう」
部屋を出ると
「こんばんは、マスター」
清姫と会う。
「うん、こんばんわ清姫。行こう」
マシュはいない。マシュは消えてしまった。おそらくは、この異常事態と何か関係がある。カルデアのサーヴァントたちが消えている。
管制室にいると全員そろっていた。といってもほとんどのサーヴァントたちはいない。いるのは清姫とダビデの二人。
「やあ、マスター。大丈夫かい?」
「正直マシュがいないから不安だよ」
マシュ。今まで一緒に戦ってきたオレの相棒。
彼女がいない。もしかしたら何か大変な目に合っているのかもしれない。まだ謝れてもいないし、伝えたいことも伝えられていない。
もし、マシュに何かあったら。それを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
「安心してと言えないのがまた悲しいよね。僕と清姫ってどちらかと言えば後方支援型だし」
ダビデ、君は杖で殴ってなかったっけ。まあいいか。
「申し訳ありませんマスター、わたくしたちが不甲斐ないばかりに」
「こればかりは仕方ないよ。ドクター、状況は?」
「ああ、うん。これを見てくれ」
モニターに映し出されているのは日本だった。
日本。特異点冬木か。
「違うよ、もっとこっち」
となりに妙な揺らぎがある。
「シバの角度を変えたら。生命反応があった上に、マシュの反応だ」
「マシュが、そこにいるのか」
「そうかもしれない。ただ、生命反応は少ないのに、動体反応が多い」
「ふーん、つまり生命体じゃない動く何かがいっぱいいるってことか。大変そうだ」
しかも、何があるのかわからない。その特異点の歴史も読み取れない。レイシフトしてみなければ何もわからない状況だということ。
それでも。
「それでも、オレは行きますよドクター」
「本当は行かせたくないんだけどね」
「大丈夫。もう無理はしませんよ」
自分らしく。愚痴も、文句もありったけ言いながら、震えて足を止めても最後まで歩く。
諦めないで右手を伸ばすってエドモンに約束した。歩くための勇気をもらった。
「それにマシュがいるんなら、迎えに行かないと」
伝えたい言葉がある。
「だから、オレに力を貸してほしい」
「マスターの為なら、頑張るのは当然のことですわ」
「任せといてよ、どのみち行かないわけにはいかないからね」
「わかった」
「それにしても謎ですね、生命体じゃない動くものとはなんなのでしょう」
「よーし、じゃあ、それは私から説明しよう!」
ようやく出番キターと言わんばかりにダヴィンチちゃんがここぞとばかりに登場する。
「ふっふっふ、それはだね、ゾンビがたくさんいるってことなのさ! 生きてないから生命反応にならないけど、動いているから動体反応はでるってわけ」
バイオハザードでも起きたとでもいうのか。
でも、正直、今更ゾンビ程度じゃ動じなくなってきた自分がいる。さんざん怖いもの見てきたし、今更動く死体じゃビビらない。怖いけど。
「動く死体が向かってくるとか、もうそれだけでオレ清姫の後ろに隠れる自信がある。だって怖いし」
何より汚いし感染しそうだし。
「まあ、マスター! 是非! ぜひ! あ、肩とか掴んでくださっても大丈夫ですよ!」
「うん、そうさせてもらうね」
情けないけれど、僕は弱いから守ってもらわないと死ぬ。
逃げ回りながら指示を出して突破。これが基本戦術かな。
「変わったね」
「そうかなドクター?」
「ああ、いい方に。でも、今度はちゃんと僕にも言ってくれよ」
「わかってますよ」
「で、良いかい? まあ重要なのはゾンビじゃなくて、この特異点なのさ」
特異点が重要?
「七つの特異点が人類史という巻物にできた染みなら、これは穴なんだよ」
サーヴァントを引き寄せて閉じ込める穴。オレが契約して、カルデアから魔力供給を受けることによって、存在の基点となる霊基カードを作りだしている。
実は最近眺めてニヤニヤしている。かっこよかったり、可愛い子や美人が多いから、色々とお世話になったりすることもある。
最近は充実していると感じる。ああ、もっと早く素直になっておけばよかった。本当に。
そんなサーヴァントたちがいなくなった。揺らぎに自発的に向かってそして戻ってこない。おそらく、マシュも、ほかのサーヴァントたちもきっとここにいる。
なら、行くしかない。
「ドクター、レイシフトを」
「ああ、くれぐれも気を付けてくれ。こちらからはバックアップもできない。本当にすまない」
「大丈夫だよ。ドクター。マスターだけは僕らが何としても生かす」
「よし。じゃあ、レイシフトスタートだ」
レイシフトする。抜けたその先は――。
「ここは、現代日本……」
懐かしい雰囲気だった。
「なんだい、こりゃ、すごいね」
「高い塔ばかりです。首がつかれてしまいそう」
ダビデと清姫が驚いたようにマンションや高層ビルを見上げている。
「あ、テステス。どうつながった? 問題ない?」
「問題ないですよドクター。現代日本だったよ」
「あ、やっぱり? なんとなくそんな気はしてたんだよね。しかし、そこまでまともな都市部だなんて。逆に怪しすぎるよ」
特異点もどきというのなら確かに普通というのは怪しい。
「でも、そうだな」
辺りを見渡す。
「やっぱり目の前のアレだよな」
「アレだね。円形の建物か。あそこにしか反応がない。通常の生命体は君たちのみ。高次の生命体反応は同じく円形の建物に集中している。ほかには何もない」
「つまり、あそこに以外には何もいないのか」
「そうみたいだ。あの建物が何かわかるかい?」
「アレは――」
記憶を探る。どうにも見た覚えがあるのだ。
「アレ、思い出したマンションだ。小川マンション」
「まんしょん?」
「なんだいそれ?」
「なんというか、いっぱい人が住める建物かな、集合住宅というかなんというかで、昔倒壊する事故があったとかで有名だったんだ。珍しい建物だしね――ん?」
ふいに何か音が聞こえたような気がした。
同時に、
「大変だ、あのマンションの入り口でサーヴァントの反応だ。ええと、これはゴーストと戦ってるみたいだ!」
「ダビデ!」
「わかった、先に行くよ。清姫、マスターを頼む」
「わかりましたわ」
ダビデを先行させる。だが、到着する前に、
「な、なんだぁ!?」
ドクターが素っ頓狂な声を上げた。
「なに、どうしたの?」
「え、いや、消えた、消失? あ、えっと、消しゴムでかき消すみたいに、残留思念が消えたんだ。え、なにこれ、どんな異能?!」
「見えたよ、女性がいる」
ダビデの念話が届く。すぐに女性の姿は見える。
着物に革ジャンという奇抜な恰好をした女性。手にはナイフを持っている。
できすぎた容姿だった。
髪は黒絹のように綺麗で、適当に切りそろえたのだろうかそれがちょうど耳を隠すぐらいのショートカットになっていて、これまたヘンに似合っている。
美形で、綺麗というより凜々しい、という相貌で目付きは鋭いのに静謐なその瞳と、細い眉。まるで何か見えない別のものでも見据えているかのような――。
ただ、手にしたナイフが物騒な雰囲気を醸し出している。
ぜひともお近づきになりたいような美形なのにそれが全てを台無しにいや、完成させていると言ってもいい。似合っているのだ。
まるでそうあることが当然のような――。
「……はあ、やっすい夢。いつもの悪夢にしては質が悪いな、これ。シャレコウベの地縛霊とか時代を考えろ。今時は売りの一つもやっていけないぞ」
何やら文句を言っているようである。とりあえず話をしよう。
そう思い声をかける。
「あ、あの――」
「なんだ、おまえ。時代錯誤もここに極まれりだな。インバネスって何時代だよ。ああ、そうか。シャレコウベの地縛霊とか意味わからんのはそういうことか。まあ、そりゃこんなのも出てくるわな」
「あ、いや、だから会話を」
「要らない。おまえたちと話す気はない。だって、長そうだし。悪人にしろ善人にしろ、頭に
少女が臨戦態勢をとる。
「マスター、下がって!」
同時にオレは下がる。というか逃げる。だって、ナイフ持った美人とか怖すぎる。それに、直感する。さんざんな目にあいながらなんとか鍛え上げてきた直感が告げている。
あの人はヤバイ。なにがやばいのかわからないけれど、とにかくヤバイ。
「な――」
ダビデの驚きの声。
それも当然だった。何の変哲もないナイフが、サーヴァントの武装を切断したのだ。
「ドクター!」
「嘘だろ!? 魔眼だ! そんなレベルの魔眼がまだ現代に残っていただなんて!」
魔眼。魔を帯びた瞳。神秘を視る眼。魔術世界においては、総じて魔眼と呼ばれる。魔術式、詠唱。それらを必要としない視るだけで神秘を映すもの。
彼女のはその特例。
「石化を上回る、停止の最上級――」
――名を直死。
死すらも捉え干渉する虹の瞳。
「いやぁ! すごいぞ、あんなのは神霊クラスだ! 相手を視るだけで殺すなんて、破格にもほどがある!」
「……なんだそいつ。胡散臭い。小物くさい。オレは英霊じゃないし、相手を視ただけで殺すなんて、できるわけないだろ」
彼女にできることはただ一つ。死を視ること。
万物には総じて綻びがある。
つまるところそれはモノの結末だ。
いつか死ぬと決まっている要因。
彼女はそう、その死の結果をなぞっているだけだ。つまりそれは――。
「物の寿命を切っているのか」
「へぇ。話が早いな、オマエ。どこぞの
そう言いながら、彼女はどこか嬉しそうだった。いや、凄く嬉しそうだった。
「まあいいや。どうやらおまえたちは敵じゃないらしい。特にそこの時代錯誤な格好している奴。妙にビビってるくせして、諦めないって頑固な奴の面構えだ。おかしな妄想に取りつかれてるにしちゃ、まともだな。斬りかかって悪かったな。じゃ、そういうことで」
「あ、ちょ、ちょっと!? 何処に行くんですか」
「? このマンションを解体しに行くんだけど、放っておけないだろ、これ。サーヴァントどもが堂々と住み着いているおかげで、怨霊やらゾンビやらのオンパレードだ。近隣住民にも迷惑だろ」
「サーヴァント……」
彼女曰く、サーヴァントもまた幽霊の類であるからして、そんなものが実体化していれば、ほかの連中も調子に乗るというものらしい。
「そうなの?」
「さぁ、わたくしにはなんとも」
「僕にもさっぱり」
「ドクター?」
「んー、どうだろうね。現代に現れたサーヴァントというのがどういう風になるのかは、僕らにもわかっていないことが多いから」
つまり見えているものだけを信じろということだろう。うん、慣れている。見えているものを視えているままに。
とりあえずわかっていること。このマンションは悪霊やらゾンビやらの巣窟だということ。
ダビデと清姫だけでいけるかどうかはわからない。少なくとも複数のサーヴァントがここにはいる。
正直こんな場所早々におさらばしたい気になってきた。
「でも、マシュがいる」
だったらいかない選択肢はない。
だから、この女性に協力を――。
「って、ちょっと待って!?」
なんで、この人いきなり一人で行こうとしてるの!?
「なんだ。群れる気はないぞ。今は、なぜかサーヴァントにされているが、マスターであるおまえに従ってみろ。それこそホントにサーヴァントみたいじゃないか」
「でも一人じゃ」
「その時はその時。消えるならそれで清々するしな」
さっぱりしているというかなんというか。
さて、どうしたものか――。
「フォウフォーウ」
「フォウさん!? いったいどこから!?」
インバネスの裏に張り付いていた? まったく気が付かなかった。
と彼女の視線がフォウさんに向いている。
「…………なにその毛玉。ふざけてるの?」
「ごめん、神出鬼没のアニマルというか……」
「…………両儀式」
「へ?」
「だから、オレの名前。おまえたちの名前は?」
言われるままに名乗る。清姫とダビデも紹介する。
「なんだ、どこかで見たことあると思ったら、おまえあの全裸の石像か」
「ちょっ!? 違うからね、全然全裸じゃないからね!?」
「……手伝って、くれるのか?」
「おまえがマスターなら、ここにいる連中と関わりがあるんだろ。なら、おまえの後始末だ。きっかり働いて行け。少しは手伝ってやる」
なんだかわからないけど手伝ってくれるらしい。
これで前衛能力の高い協力者ができたし、どうにかなるだろう。遠距離の清姫に、中距離から近距離のダビデ。近接の式さん。
これなら何とか行けると思う。それになにより彼女は頼りになる。
「――行こう」
オレは必ず、君を取り戻す――。
空の境界編開幕――。
弁慶とかそういった本編で仲間になっていない方々は残念ながら出番はなしの方向で。
そこまでキャラを多くするとアレなので。
ともかくさあ、オガワマンション編開幕。さあ、行くぞ――。