Fate/Last Master   作:三代目盲打ちテイク

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監獄塔に復讐鬼は哭く 後編

 目覚めるとアヴェンジャーがいなかった。

 

「お目覚めですか?」

「アヴェンジャーは?」

「少し外の様子を見てくると。ついてこなくてよいと伝えるように仰せつかっています」

 

 外。ここには何もない。

 シャトー・ディフ。監獄塔。罪ありし者を収監する絶望の島。

 裁きの間と廊下以外に、意味のある場所などありはしない。少なくとも見た限りでは。

 

「そうか」

「大丈夫ですよ。彼はあなたを見捨てない。何よりも尊重しているように思えます。まるで――」

「目が覚めたか。行くぞ。第五の裁きがおまえを待ちわびている」

「ああ」

「――お気をつけて」

 

 廊下に出る。暗がりの廊下に声が響いていた。

 誰にも届かぬ正気の声。

 月に狂った誰かのそれ。

 僕は知っている。かつての特異点で。かつてのローマで。戦った彼の声だ。

 

 しかし、狂っているはずの彼の言葉は届かない。

 だが、今、その声が響く。

 僕にだけ聞こえる。

 声が響く。

 

「迷いしものよ。迷い、惑うことは人の定めである。

 かといってこの(カリギュラ)が人生を正当化するなど些か筋が違おう」

「あなたは」

「ローマでは、迷惑をかけた」

「狂っていないのか」

「余の狂気は、月の女神の恩寵ゆえ、時に失われもするのだ」

 

 ここにはシャトー・ディフ。絶望の監獄。地獄の島。ゆえに神の目すら届きはしない。

 

「だが、狂気ならざる身では愛し子に触れることすら叶わぬ。ままならぬものよ。我が愛しのネロ。アグリッピナの生き写した愛しい子よ」

 

 どうか、どうか。ささやかでも構わぬ、おまえだけは幸福であれ。

 狂気も怒りも余が連れてゆく。お前の行く道が祝福の薔薇で埋め尽くされん事を。

 狂ってなお失われなかった彼女への愛を彼は語る。

 

「すまぬな、おまえへの言葉を語るはずが、余の唇はひとりでに姪への愛を語るのだ」

「いいよ」

 

 それは愛が深い証拠だ。

 狂ってなお失わぬほどに深い愛の。

 

「おまえもまた同じなのだな。壊れてなお失われぬ愛ゆえに、おまえもまた。ゆえに語らねばならぬ」

 

 ――すべてを喰らわんとしたことはあるか。

 ――喰らい続けても満ち足りず飢えが如き貪欲さによって味わい続けた経験は。

 ――消費し、浪費し、あとには何も残さずにひたすらに貪り喰い魂の渇きに身を委ねた経験は。

 

「余は、ある。いや、いいや。それこそが余であったか。それこそは、偉大なりし我がローマの悪性」

 

 全てを喰らい尽くす――暴食の罪。

 

「我が生は悪であったかもしれぬ」

 

 カリギュラの治世については謎が多い。ローマ市民からは人気が高かったとも、狂気じみた独裁者であり、残忍で浪費癖や性的倒錯の持ち主であったとも言われている。

 彼自身が語らぬ限り、真実はわからない。

 

 だが、思うのだ。僕は、思う。

 彼が語る言葉。彼の言葉が紡ぐ一人の少女への言葉。

 わかるのだ。

 

「いや、いいや。違う。カリギュラ」

「いいや。いいや。違わない。我が生は悪であったのかもしれぬ。もはや、余にもわからぬが、良いものではなかろう」

 

 光があれば闇があるように。

 大規模な事業の裏には確かに喜びだけがあったのではない。

 

「余は世界(ローマ)を統べる皇帝であった。(ローマ)を愛していた。尽くそうとしていた。だが、余は殺された。元老院に。おそらくは、余が悪であったのだろう。人の眼には余が狂っているように見えたのだろう」

 

 それは月の女神に弄ばれたのかもしれない。

 悪として生まれ落ちていたゆえなのかもしれない。

 それでもいいと彼は言う。

 

「我が魂は、反英雄としてではなく英雄として人類史に刻まれた。ならば、わが胸に、愛はあったのだと信じている。ゆえにこそ――」

 

 その声は静かに、闇にとけて――。

 

「今回の支配者は暴食の具現だ」

 

「この世のありとあらゆる快楽を貪り、溢れども飽き足らず喰らい続けた悪逆の具現だ。おまえとは真逆だ。おまえは知るだけで良い。暴食。飽くなき欲望のその果てを知れば良い。なにやることは変わらない。

 ――殺せ」

 

 扉が開く。

 狂乱の咆哮が響く。

 全てを貪り喰らう悪逆の皇帝がそこにはいた。

 

「カリギュラ――」

「おまえの言葉では止まらぬ。アレは、おまえの魂を喰らうまで止まらぬ。いや、喰らったとして止まることなどありはしないか。ゆえに暴食。さあ、どうする」

 

 話をするか? ここで死ぬか?

 

「途中で歩みを止めるというのならば構わない。おまえが、諦めるというのなら構わない。

 だが、もしおまえが、諦めていないのなら――」

 

 ――その右手を伸ばしてみせろ。

 

 五度目の試練。慣れることはない恐怖は確かにある。やめたいという思いはある。誰もいない。誰もみていない。

 頑張る必要もない。一度は発狂するまで壊れた。そこまでして何になると思うことはある。

 けれど、けれど。

 

「帰る。僕は必ず――」

 

 マシュ。マシュ・キリエライト。愛しい僕のデミ・サーヴァント。可愛い可愛い後輩。

 必ず君の待つカルデアに僕は帰る。

 何があってもこの心に君の言葉が残っているから。君の思いが確かにこの胸には残っているから。

 

 ――諦めない。

 ――生き延びる。

 

「それでいいんだろ、アヴェンジャー!」

「はは。そうだ。そうだとも。おまえのまま前に進め。諦めずに右手を伸ばすというのならばオレは力を貸そう。

 来るぞ! 死にたくないのならばそのように動け!」

 

 ――そして、生き延びたければ殺せ。

 

 アヴェンジャーがカリギュラを倒す。

 彼の霊核を砕くその刹那に、また声が響いた。

 それはさっきの続き。

 

「――ゆえにこそ。僅かな愛の残滓を信ずるからこそ。反英雄に相応しき身で、英雄として在るからこそ。余は狂気なる叫びの中にせめてもの想いを込める。

 おまえもそうなのだろう。シャトー・ディフ。この呪われし監獄で。全てを失っていたおまえはそれでも前に進もうとした」

 

 ――そうだ。だから僕は今こうして、ここにいる。

 

 死にたくないから。生きたいから。ここから出たいから。

 そんなものが行動の理由じゃない。

 ただマシュへの愛が僕を動かした。

 

 ――彼女に会いたい。

 ――あって伝えたい言葉がある。

 

 だから僕はここから出たいと思った。

 あの時、彼女の名前以外なにもわからなかったのに。

 

 彼女への愛は確かに、この胸に残っていたから。

 

「そうだ。愛を知るおまえが、ヒトが堕ちるはずがない。その愛を重荷に思うこともあるだろう。彼女から与えられる愛を重荷に思うこともあるだろう。それでいい。愛は一人で背負うものではない。相手がいて初めて成立する。二人で背負うものだ。一人で背負わず二人で歩いて行けば良い。信じているぞ歩み続ける子よ。余はいつでもローマ(おまえ)を見守っている」

 

 僕は、その言葉を刻み込む。

 彼が教えてくれたことを忘れないように。

 今まで誰もが教えてくれていたことを今度こそ実行できるように。

 

「さあ、次だ。第六の裁き。もうすぐ此処を出られるだろう。――待て、しかして希望せよ。おまえの未来もまたそこにあるだろう」

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 一夜を超えて。

 第六の裁きがやってくる。

 

「おまえは見るだろう。第六の裁き、第六の支配者。その欲するところに限りなどない強欲を」

「強欲」

「そうだ。オレは彼以上に強欲な生き物を見たことがない。事実、驚嘆に値する」

 

 富、金、私財を腹にため込む為ならば実の娘すら捧げようとした男さえ、彼に遠く及ばない。

 世界にまで及ぶ欲。

 

 ゆえに強欲。

 

 それを語る彼は、アヴェンジャーはとても楽しそうだった。

 

「楽しそうだね」

「……楽しい? だと? フン。そう見えるのか、おまえには。ならばオレはよほど悪趣味な精神の持ち主になるな」

「あ、いやそんなつもりじゃ」

「はじめに嘆きと涙、次にに苦悶と苦悩。やがて彼は強欲と称されるべき大願へとたどり着いた。成し遂げられはしなかったがな。それでも世界で最も高潔な復讐劇ではあったろう。それを指して――楽し気――とはな」

 

 アヴェンジャーは否定しなかった。

 なぜならば彼はアヴェンジャーであるがゆえに、人の善性を捨て去っている。

 ゆえに悪魔の如きものであると彼は言った。ヒトの尊き願いを嗤うそんなものであると。

 

 けれど、けれど。

 なら、アヴェンジャー。僕を導く君は、どうして僕を――。

 

「何を思い詰めている。無駄だ。無駄だ。おまえが考えたところで何にもならん。自らの身を亡ぼすだけだ。やめておけ。それにだ、オレは奴に敬意を抱いている。喝采すらしよう。その無謀、高潔、強欲! 喝采には相応しいものがこれ以上にあるだろうか」

 

 ゆえに――。

 

「故に。この上ない敬意と共に。我が黒炎は悉くを破壊しよう。正しき想い、尊き願いにこと、オレの炎は燃え上がる。覚悟せよ、マスター。おまえは、世界を呑まんとする強欲をも砕かねばならない。殺せなければ、死ぬだけだ」

「――――」

「そう気張るな。有体に言って難敵ではあれど、おまえであれば問題はない。気を抜かずに備えていることだ」

 

 扉が開く。

 第六の扉が今開く。

 盲目の生贄が昇る黄金螺旋階段。

 その第六番目の扉が開くのだ。

 

「来ましたね、アヴェンジャー」

 

 そこにいたのは彼女だった。

 聖女。復讐者を救わんとするジャンヌ・ダルク。

 

「違う、違う違う!! ああ、何たる間の悪さだ旗の聖女よ。おまえは逃がさん、殺すといった。だが、今ではない。その間の悪さ! カドルッスにも匹敵しようか!」

 

 彼は怒る。彼は憤る。

 なぜならば、それこそが彼だから。

 怒り憤りに起因した復讐。

 それこそが彼の源泉。

 

 ゆえに憤怒を否定した聖女の存在は自分自身の否定だ。

 

「ええ、そう。猛り続ける者。アヴェンジャー・憤怒はそう、時にあなたの言う通り、容易く消えはしないでしょう。そのことを私は確かに知っています。その炎は全てを燃やし尽くすまで消えないでしょう。けれど、憤怒を胸に秘めたとしても……赦しと救いを想うことだって叶うはずです」

「オレに赦しと救いを説くか。このオレに」

「ええ、なぜならあなたは一度それを経験したはずでしょう」

「はは……は……! ははははははははははははは!!」

 

 嘲笑が響く。

 

オレは違う(・・・・・)。我が恩讐を語るな、女!」

 

 その黒炎は、請われようと救いを求めず。

 その怨念は、地上の誰にも赦しを与えず。

 

 虎よ、煌々と燃え盛れ。汝が赴くは恩讐の彼方なれば。

 

「そうだ。オレは巌窟王(モンテ・クリスト)! 人類史に刻まれた悪鬼の陰影、永久の復讐者である」

 

 彼の声とともに響いてくるものがある。それは彼女の声。

 

「彼こそがシャトー・ディフの復讐鬼。パリへと舞い戻り、数々の復讐を為した人物。その名を、あなたに教えましょう。エドモン・ダンテス。しかし、彼はこうも名乗っています。モンテ・クリスト。それもまた彼の名。復讐者としての彼の名です。

 けれど、けれど。彼は最後に善性を取り戻したのです。愛を。復讐者(モンテ・クリスト)はただ一人の女性の愛によってエドモン・ダンテスとなったのです」

 

 知っている。わかっている。それこそが彼。それこそがアヴェンジャー。

 

「理解した。承知した。旗の聖女! おまえの性質はどうあってもオレとは相容れぬ! 故に此処で殺してくれる! 望むがままに与えよう、我が怨念の何たるか!」

「言葉だけでは届かぬ思いもある」

 

 そこにもう一つの声が響く。男の声。この第六の裁きの間、その真なる主の声。

 

「それでも諦めないあなただからこそ、主は今もあなたを愛し続けるのでしょうね」

「――おお。おお。待ちかねたぞ、もう一人の裁定者(ルーラー)。強欲の具現たるモノ。天草四郎時貞!」

 

 天草四郎時貞。

 彼が強欲の支配者。

 世界を呑みこまんとする強欲の裁定者。

 

「――はじめまして、アヴェンジャー。そして、その仮初のマスター。斯様な場所でなければ、また違うカタチで出会う可能性もあったでしょうが。復讐のクリストを名乗る貴方にはもはや祈りも言葉も届かないのでしょう」

 

 だが、彼は言った。天草四郎は言う。

 信じているのだと。

 

「この世の地獄を知る者ならば、真に尊きモノが何であるかも同時に知ったはず。あなたもアヴェンジャーも」

 

 地獄。壊れた底に在ってなお残った尊きモノ。

 

「ですが、もはや。ええ、もはや、仕方ありません。力をお借りしますよジャンヌ・ダルク」

「ええ、もちろん」

「まるでこっちが悪者みたいだ」

 

 事実、どうなのかはわからない。

 

「はははははははは! 面白い冗談だ。これ以上の皮肉はないなマスター。さあ、行くぞマスター・おまえとオレは最早、対等。一心同体だ。このシャトー・ディフに於いて、希望し、生還を真に望むモノはかつてのように、導かれねばならない。おまえを! 導けるのはこのオレだけだ!」

「ああ、そうだね」

 

 同じ君。アヴェンジャー。耐え続けた人。僕もまた、同じく。

 ゆえに、対等で、一心同体。

 

「そうだ。そうだ、おまえもまた虎の如く吼えるのだ! 殺し、奪い、己がすべてを取り戻せ! おまえはここで全てを取り戻すだろう!」

 

 二人のルーラーとの闘いが始まる。

 それは熾烈なものだった。

 けれど、けれど。

 

「ここには僕がいる」

 

 ジャンヌ・ダルク。

 君と戦うのは辛い。

 けれど、けれど。僕は――。

 

 ――君の声が聞こえる。

 

「いいのです。私はあなたを導くことができなかった。これもまた当然の結果なのです」

「…………」

「それに、きっと、彼を救えるのはきっとあなただけなのでしょう。だから、何も気にすることなく戦ってください」

「…………」

「この先にあなたが望むモノが待っています。悩み必要もためらう必要もありません。戦いなさい世界最後のマスター!! 弱い人は強くなることができる人なのですから。そして、いつかきっと、あなたは――」

 

 二人のルーラーが倒れる。

 

「ああ、哀れなる復讐者。アヴェンジャー。あなたを救いたいと私たちは願う」

「けれど、けれど。またも私は力及ばず」

「復讐は人の手に余る。ソレは過ぎたる行い。私はあなたにこう言おう。あなたの炎はいつか自分自身を滅ぼすだろう、と」

「それが残す言葉か。永久の復讐者であると知ってなおいうか」

 

 彼女は、彼は言う。

 復讐者の魂に安寧を。

 最後まで聖者として。

 彼らは祈りながら消えていった。

 

「待たせたな、仮初のマスターよ。残る裁きの間は一つだ。ただ一つ。おまえはともすれば生還を果たすかもしれんぞ?」

「僕が、諦めなければだろ」

「フッ、良い顔をするようになった。少しは変わったか」

「アヴェンジャーのおかげだよ」

 

 そう彼の。そして、みんなの。

 今度こそ、僕は間違えない。

 

 羨み妬むばかりの嫉妬ではなく。

 弱いまま何もしない怠惰ではなく。

 色欲を否定した人でなしではなく。

 憤怒の焔を忘れたモノではなく。

 飽くなくなき暴食に堕ちることなく。

 全てを強請る強欲を持って。

 

 ――僕は、僕になる。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 ――男は救われた。最後には

 血塗られた復讐劇の果てに、男は、得た。

 失われたはずの尊き輝きを。

 想いを、愛を。

 ――あまねく人の善性を。

 

 男の名をあなたは知っている。

 モンテ・クリストであることを捨てた彼の名を。

 エドモン・ダンテス。

 愛を取り戻した復讐鬼ならざる人間。

 その隣には異国の姫がいたはずでした。

 

 けれど。けれど、今の彼には――。

 

「……女はどこだ」

「アレ?」

 

 女。メルセデス。甲斐甲斐しく僕の世話をしてくれた女性(ヒト)。彼女がいない。

 

「心当たりはない、か。……まあいい。構うものか。行くぞ。最後の裁きの時間だ。第七の支配者を殺せ。迷うな。惑うな。どうせ、道は一つしかない」

 

 彼について廊下に出る。

 これが最後になる。

 

「おまえは運がいい。オレが傍らを歩いてやっているのもそうだが、イフ城に潜む地獄のほとんどを、おまえは知らずにいる。よほど何かに愛されているだろうよ」

 

 拷問の雨あられによる触覚、痛覚への打撃もない。

 収監された者どもによる無数の呻き、死にかけの大合唱による聴覚への打撃もない。

 途絶えぬ死臭による嗅覚への打撃もここにはない。

 

「なくてよかったよ」

「ハッ、まったく正直な奴だ……まあいい、なんであれだ。おまえを苛むのは裁きの間だけだが、オレとは異なる道を行くな、おまえは」

 

 そして、第七の扉が開く。

 盲目の生贄が昇る黄金螺旋階段。

 その果ての扉が今開く。

 

 誰もいない裁きの間。

 そこでアヴェンジャーは語る。

 とある男の話を。

 シャトー・ディフへと収監され、復讐の鬼となった男の話を。

 

「そして、哀れな男は復讐者として人類史に刻まれてしまった」

 

 復讐者として遍く全てを呪い憎み、恨み続ける者として現界した。

 

「それがあなたですね。アヴェンジャー」

「メルセデス」

「はい。私は結局、自身のことを何も思い出せませんでした。でも。でも、あなたのことだけはわかる。アヴェンジャー。やはりあなたは、この世にいてはいけない」

「メルセデス!」

「申し訳ありません。ですが、私は――」

「ほう、面白い。またしてもそういってのける女がいるか。メルセデス。否。否、己を失って彷徨う女。このイフ城に在りながら、オレを否定するか。おまえが、か弱い女であるものか。聖女にすら匹敵する強き魂だ」

 

 ――故に。

 

「示せ。この世に在ってはならぬというのであれば、おまえの全力を以て、殺してみせろ」

「私は自身が何者か思い出せない。けれど、力を貸してくれるモノがいる」

 

 それは死霊。彼女を慕う者たち。

 英霊足り得ぬ存在が、彼女へと集う。

 

「おまえを慕い想う魂の欠片どもか!」

 

 死霊にすら愛される女。彼女はいったい、何者なんだ。

 いや、いいや。もはやそんなことは関係なく。

 もはやそれが何であっても、彼にとっては意味を持たないのだ。

 全ては無意味だ。

 

 全ては一瞬で終わりを告げた。

 

 声が響く。彼女の声が。

 

「どうか気に病まぬよう。私はただ為すべきと感じたことを為したまで。私は本来の第七の裁きの間の支配者。そのはずでした。しかし、如何なる理由かその役割は記憶とともに消失していたようです。今もまだ、思い出せてはいませんが、どうか、あなたの歩く道が光に照らされますように。

 彼の言葉は欺瞞に満ちてはいますが、この言葉だけは」

 

 ――待て、しかして希望せよ

 

「この言葉だけは、悲しくも願いのこもっている。どうか、彼に――」

 

 彼女の言葉は最後まで僕に届くことはなかった。けれど。けれど、確かに伝わった。メルセデスならざる女。

 いつかきっと本当の彼女と出会えるだろう。

 敵かもしれない。味方かもしれない。

 けれど、その時、僕はあなたに感謝をしたいと思う。

 このシャトー・ディフで出会った、天使のような彼女に救われたのだと――。

 

 彼女は消えた。

 

「さあ、仮初のマスター。七つの裁きは破壊された。ゆえに、このシャトー・ディフもまた役目を終える。後は光指す外界へお歩むのみだ。だが……シャトー・ディフを脱獄した人間はいない。そう、ただ一人を除いては」

「――まさか」

「そうだとも。出られるのはただ一人のみ」

「でも、此処には、二人いる」

「ああ、そうだ。そうだとも。なぜならば、一人は脱獄する諦めない男を導くものだからだ。ファリア神父。かつて復讐者となるべき男が導かれたように。二人いるのならば、片方は朽ちて彼の代わりに外へ出るのだ」

 

 それこそがこのシャトー・ディフに定められた宿命。

 

「絶望を挫き、希望を導くモノとして命を

 終える。それはそれで、嗚呼、意義深きことではあるのだろうよ。おまえか、オレか。どちらが生き残り、どちらが死ぬか。

 ――さあ、仮初のマスター。覚悟するが良い。オレは生きる。おまえを、第二のファリア神父として」

 

 おまえの物語は此処で終わる。

 おまえの魂はここで朽ち果てる。

 

「――ガッ」

 

 僕は彼に殴り飛ばされる。

 

「ガ――」

 

 勝てるはずがない。サーヴァントに普通の人間が。

 それに、今まで助けてくれた彼と戦うことなんてできるはずがない。

 けれど。けれど。

 

「もしも……おまえが歩み続けると叫ぶのならば! おまえが! 未だ、希望を失っていないのならば!」

 

 僕はまだ、諦めていない。

 帰ると誓った。

 彼女に。

 

 全てを思い出した。

 そう全てを。

 僕は全てを取り戻した。

 

 ここで死んだ方がマシかもしれない。

 魔術王に敵うはずなんてない。

 けれど。けれど、帰ると誓った。

 彼女の名前に。彼女の信頼に。彼女の愛に。

 

「僕は――オレは、帰るんだ。彼女のところに!」

「はは――」

 

 その時、彼が笑ったような気がした。

 

「ならば――(オレ)を! 殺せ! さあ、遠慮はいらぬ――!!」

 

 拳を握って、オレ(・・)は踏み込んだ。

 勝てないだとか、そんなものはどうでもいい。ただ帰る。それだけを考えて拳を握る。

 彼がその力を使えばそのままオレは死ぬだろう。

 

「はは――」

 

 だが、彼は笑った。彼もまた、自らの拳を握っていた。

 

「手加減でもしてくれるのか――」

「無論。オレとおまえは対等だ。そうだろう!!」

 

 だからこそ決着は拳でつけるのだと彼は言っている。

 なんとも古典的。古臭い。泥臭い。流行らない。キャラじゃない。

 けれど。けれど。

 

「こういうのも良いだろう。たまには――」

 

 拳を振るう。殴りなれない、握りなれない拳。

 殴ったほうが痛い。

 殴られた方が万倍もいたいけれど、殴るのもまた痛い。

 

「弱い、弱い弱い。そんなものではここから出てもまた負けるだけだ!!」

「煩い、こっちだって全力だ!」

「はは。その程度か。もっと手加減が必要か?」

「手加減して、負けたのを言い訳にしないならな!!」

「するものか。オレとおまえは対等だ。ゆえに、勝ち負けもまた対等だ」

 

 そこに文句が入る余地はない。

 

 シャトー・ディフ。最後の裁き。最後の戦い。

 

「この!」

「っ――」

 

 痛い。痛い。痛い。

 ああ、拳が痛い。殴られた身体が痛い。

 膝から崩れ落ちそうになりそうだ。

 けれど、何よりも心が痛い。

 

「オレは――おまえと出られるんだと思っていたよ! 巌窟王、アヴェンジャー!! おまえだけだ、おまえだったから、オレは、ここまで来れた!!」

 

 一度壊れて、そこから導かれてきた。何が正しかったのか、何が間違っていたのかを、全て教えられた。

 壊れなければわからないような馬鹿をここまで連れてきてくれたのは間違いなく彼だったからだ。

 最後のマスターとしてじゃなく、オレを見てくれた。

 

「シャトー・ディフはそういう場所だ。誰かが導き、ファリア神父として朽ちねばならない。いや、違うな。オレもまた、おまえだったからだ。おまえは耐えてきた。オレの、14年と同じように。――だが、おまえにはファリア神父がいない」

「おまえ――」

 

 振りぬいた拳が彼を捉える。

 構えもなにもない何度も殴られて力の入らなくなってきた膝で殴りつけた弱い一撃。

 だが、彼はその一撃を受けて、倒れたのだ。

 

「…………クッ、ククッ。ああ、見事な一撃だ。及第点ギリギリだが、まあいいだろう」

「アヴェンジャー……なんでだ」

「決まっている。おまえの為だ。いや、違うな。オレの為だ。オレは一度でも味わってみたかった……! かつてのオレを導いたただ一人、敬虔なるファリア神父……あなたのように! オレも……オレに似た、誰かへの愛を忘れずに、絶望に負けずに、誰かを……罠に堕ちた、無辜の者を――我が、せめてもの希望として――」

「エドモン・ダンテス!」

「……その名で呼ぶか、おまえも。オレを」

「ああ、呼ぶよ。おまえは、復讐者巌窟王(モンテ・クリスト)じゃない。おまえは、エドモン・ダンテスだ」

 

 哀れなる復讐者ではなく。

 そう幸せな最後を迎えた人間として。

 

「ああ、認めよう。おまえは、オレを殺してくれた(・・・・・・)! おまえはオレを勝利に導いた――」

「エドモン――」

「オレは、勝利を知らずにいた。復讐者として人理に刻まれたが、おまえの言う通り、最後には救われている。復讐を成し遂げられず、勝利の味をついに知らぬままの巌窟王であった。

 だが、おまえが。おまえは、オレに導かれ、障害を砕き、塔を脱出する。それはなんと、希望に満ちた結末であろうか。この勝利なき復讐者に、おまえは、導き手としての役割と勝利をくれたのだ」

「エドモン――」

「ああ、そうだ。オレたちの勝ちだ。おまえの最後の恐怖を払ってやる」

 

 最後の恐怖。

 それはあの魔術王の恐怖。

 

「魔術王とて全能ではないということだ! 魔術王と目があったおまえは、それによってこの地獄に落ちた。終わるものと思われたから見逃がされた。だが、結果はどうだ!」

「オレは、生きて、ここを――」

「そうだ! そうだ、オレのマスター! おまえは生きて、ここを出る! 残念だったな魔術の王よ! 貴様のただ一度の気まぐれ、ただ一度の罠は、ここにご破算となった! どうだマスターざまあないだろ」

「はは、そうだな」

「ああ、そうだ。残念だったな、魔術の王、おまえの目論見は、全て潰える!!」

 

 彼は言う。

 

「最後のマスター。おまえが侮った者は、成長したぞ!! もはやおまえなどに恐怖しない。残 念 だ っ た な!! さあ、持っていけ!」

 

 帽子とインバネスを彼は差し出す。

 

「シャトー・ディフを出る者は、遺る者に成り変わる。さあ、持っていくが良い、オレはファリア神父と違って財宝などを渡してやれん。だが――おまえに勇気をくれてやる!」

 

 震える手で、彼の帽子とインバネスを受け取る。

 

「さあ、歩め! 足掻き続けろ! 魂の牢獄より解き放たれて――おまえは!」

 

 崩れゆくシャトー・ディフ。

 ()は、彼に背を向けた。

 背を押された。

 もらった。いっぱい。

 

 だから、僕は、いや、オレは――。

 

 彼の帽子とインバネスを羽織る。

 

「――いつの日か世界を救うだろう!!」

「ああ――」

 

 オレは光へと歩む。

 

 光のその先、カルデアへ。

 マシュの下へと――。

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 伯爵(かれ)は思う。

 恩師(かれ)に貰ったものを。

 

 ――第一に、知識を。

 ――第二に、財宝を。

 ――第三に、秘蹟を。

 

 少年(かれ)は思う。

 伯爵(かれ)にもらったものを。

 

 ――第一に、休息を。

 ――第二に、勇気を。

 ――第三に、希望を。

 

 伯爵(かれ)は言った。

 

 ――神父のようにはいかないな。

 

 と。

 

 少年(かれ)は言った。

 

 ――いいや。おまえが、オレにとっての神父だ。比べるまでもなく、おまえはオレにとって、最高の希望だ。

 

 と。

 

 ――クハハハ、ならば行け。オマエの思うところまで、恩讐の彼方まで。

 

 ――オマエは、いつの日か、世界を救うだろう。

 

 ――待て、しかして希望せよ、だ。

 

 二人は、共犯者だった。

 生きる時代は異なるが、ともに苦難の詰まった岩窟の中を耐え抜いた二人は、同じく伯爵(かれ)の最も縁深き場所で出会った共犯者だった。

 

 マルセイユ沖に浮かぶ島に存在する、忌まわしき監獄塔(シャトー・ディフ)

 神の威光すらも曇り、冷たく魂の嘆きと悲しみが横たわる場所。

 現世の地獄であり、正義すらも腐り、あらゆる者は希望を見失う。

 堕ちれば最後、そこから出ることは叶わない。

 

 ただ、二人を除いて。

 

 歴史において、ただ一人。

 語られぬ旅路において、ただ一人。

 怨念渦巻く深淵なりしイフ城は、ただ二人だけの脱獄者を赦した。

 

 それが伯爵(かれ)少年(かれ)

 

 ただ一人の復讐者と、ただ一人の少年。

 一人は神父に導かれ、一人は伯爵に導かれた。

 

 数奇な運命だと思う。

 導かれた者が、時を超えて出会うはずのなかった、新たなる岩窟の虜囚(モンテ・クリスト)を導くのだから。

 

 けれど、その事実は、とても素晴らしいものだと思う。

 それは伯爵(かれ)の生涯がより良きものであったという、確かな証拠なのだから――。

 

 ここは呪われし牢獄要塞(シャトー・ディフ)

 偽りなりしイフ城。

 魔術王と名乗る何者かによって、作り上げられた最後の希望をつぶすための場所。

 

 けれど、それはならなかった。

 伯爵様の手によって。

 

「それは違う、我が従者、懐かしきコンチェッタ」

 

 伯爵様の声が、こちらへと向けられる。

 私は、英霊ならざる身。

 ただ、一つの未練においてここに現界した影法師。誰にも気が付かれず、ただ消えるだけの。

 けれど、伯爵(かれ)は気が付いた。

 

 ――何が違うのだろう。

 

 そう思っても、わたしの声は届かない。わたしは、ただの影法師。英霊ならざる、ただの残響(エコー)なのだから。

 

「私の手ではない。あいつだ。あいつが前に進まなければ、この結果はなかった」

 

 わたしは理解した。

 少年(かれ)は、伯爵(かれ)なのだから。

 

 伯爵様もまた同じく、諦めなかったからこそ、冷酷なりし監獄島(シャトー・ディフ)を脱獄し、復讐したのだから。

 

「わかったのならば、行け、ここは長くは持たん」

 

 崩れゆく真ならざるイフ城。

 偽りの監獄塔は、その役割を終えて消えていく。

 

「なに、心配などは要らぬ。――ああ、そうだ。一つ教えておこう。我が復讐は――いや、我らが復讐は既に終えている。この身は未だ復讐鬼なれど、オマエが残る必要はない。ご苦労だった」

 

 ――ああ。

 

 その言葉を聞いた瞬間、わたしの意識は溶け始めていた。

 一番聞きたかった言葉、いつか感じた、あの安らぎの記憶の中にある、(エドモン・ダンテス)そのものの。

 上等な葉巻に火をつけて、いつかのように、誰かを待つ、あの人の――。

 




少年は、成長する。
恐怖が消えたわけではない。
力が強くなったわけでも、特別を持ったわけでもない。
ただ、自分になった。
弱い自分を認めて、受け入れて、人間らしく、自分らしく。
歩んでいくことを決めた。

誰かの理想ではなく、自分の理想で、自分の覚悟を決めたのだ。


というわけで、長かった監獄塔編も終了です!
無事にぐだ男はカルデアへ帰還です。ちなみに巌窟王の帽子とインバネスは謎パワーでカルデアにあるよ。これ以降のぐだ男の標準装備だよ!
ロイヤルブランドに帽子とインバネスというスタイルです。

あと最後はもうノリとテンションの行きつくままに書いた。
次回はぐだ男が寝ていた間のカルデア七日間。愉悦タイムだよ。
そして、ぐだ男の告白タイムです。

あ、あともうおまえらがメルセデスと何があったとかうるさいので、嘘屋方式、エロくないエロシーンなら書いても良い。
R18の裏シーン集的なので書いても良い。ただし、希望があれば。
希望がなければ書かない。
R18とか私書いたことないしね! それでもいいというのなら、

――待て、しかして希望せよ

あれ、最悪の使い方だこれ。
あ、勘違いがないように言っておくと、本編ではぐだ男はへたれたので何もしてません。

ああと、少し休憩ください。さすがに疲れた。

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