監獄塔に復讐鬼は哭く 前編
――人を羨んだコトはあるか?
わからない。
――己が持たざる才能、機運、財産を前にしてこれは叶わぬと膝を屈した経験は?
わからない。
――世界には不平等が満ち、ゆえに平等は尊いのだと噛みしめて涙にくれた経験は?
わからない。
――そうか。ならば心をのぞけ。空っぽに見えてもそこにはおまえの意思が確かにある。
僕の意思――。
――そうだ。人を羨むこと。それは誰しもが抱く思いゆえに、誰ひとり逃れられない。
――他者を羨み妬み、無念の涙を導くもの。
――それが嫉妬の罪だ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その男はこう言った。
「絶望の島、監獄の塔へようこそ罪深き者よ。此処は恩讐の彼方なれば、如何なる魂であれとらわれる」
男はそういった。
「たとえ、砕け散りばらばらになった
「……おまえは、誰だ」
「ほう、言葉を介すか。面白い。未だ何一つおまえは
わからない。僕が何者なのか。誰なのか。何一つなにもわからない。
それでも、こうしなければならないと思った。
「まあいい。答えよう。この世にいてはいけない英霊だ。おまえの可愛い可愛い後輩ならばそういうだろう。わからずとも良い。あらゆるすべてを魂に刻み続けるのは復讐鬼だけだ」
復讐鬼。
何者なんだ、目の前の影に包まれた男は。
知らない。だが、似た何かを知っている気がする。
英霊。
そんな存在を。僕は確かに知っている。
「さて、来たぞ」
来た。何が。
亡霊が。
彼は言った。
亡霊。不明の亡霊。イラついている。
「おまえの魂が気に入らないと見える」
「ど、どうすれば」
逃げないと。どこへ? どこに逃げる。
狭い独房。逃げる場所などありはしない。
「はは。落ち着け、慌てるなよ
彼が腕を振るう。ただそれだけで亡霊は霧散し消え失せる。
「おまえは、いったい、だれなんだ。ここはいったい、どこで、僕はどうして――」
頭が割れるように痛む。忘れている。忘れている。
いや、いいや違う。思い出したくないのか。
「はは。落ち着けよマスター。一つずつだ。所詮、おまえはその程度だ。焦ったところで意味などない。まず答えよう。ここは地獄。恩讐の彼方たるシャトー・ディフの名を冠する監獄塔だ」
「シャトー・ディフ?」
知らない名前だった。聞いた覚えがない。いや、いいや。違う。違う。聞いた覚えはあるのだ。
いつかどこかで。あるいは何かで。
僕はこの場所を知らないが知っている。
そして、おそらくは彼のことも。
「そしてこのオレは英霊だ。おまえがよく知っているはずのモノの一端だ。この世に陰を落とす呪いの一つだ。哀しみより生まれ落ち、恨み、怒り、憎しみ続けるが故にその型にはめられ現界せし者。そう――アヴェンジャーと呼ぶが良い」
「アヴェンジャー」
「そうとも、さあ、行くぞ。ここに時間はなくともおまえの時間は有限だ。それとも、ここから動かぬか? 動かずかつてのシャトー・ディフに収監されていた数多の囚人の如く死を待つか? 選べ。おまえには選ぶ権利がある」
「…………」
僕は、僕は立ち上がる。何もわからない。何をしていたのかも。何をしなければいいのかも。僕には何一つわかることはない。
全ては記憶の彼方にある。
けれど、一つだけ。彼の言葉を聞いて、一つだけ思い出したことがある。
僕は、マスター。ただ一人の。世界最後の。カルデアのマスター。
それに、帰らなければならない。
全てを忘れていたというのに、ただ一つの言葉だけが脳裏に焼き付いていたから。
――マシュ。
名前。誰かの。
この名を思う。
思えば、僕は帰らなければと思うのだ。
「本当にそうか」
「――なに?」
「おまえは本当に、ここから出たいのかと聞いている」
「そんなもの――」
「決まっていることなど何もない。人生とは何一つ決まってなどいない。いや、決まっていてたまるものか。ゆえにだ、何一つ決まってなどいない。おまえがやるべきことも、何一つな。全てはおまえが決めることだ。誰でもないおまえが決めねばならぬ。この場を出るのならばな」
…………。
「出るさ。僕は、ここから出る」
「ならば良し。出るが良い。歩きながら話すとしよう」
牢屋を出る。
暗い。暗い。
暗い通路。暗がりの通路。シャトー・ディフの廊下。
そこで彼はこう切り出した。死なない限り――と。
「死なぬ限り。生き残れば、おまえは多くを知るだろう。多少歪んではいても此処はそういう場所だからな。だが、懇切丁寧に教える気はない。伝えてやることもない。オレはおまえのファリア神父になるつもりはない。気の向くまま、おまえの魂を翻弄するだけだ」
「――ファリア神父?」
その名前は、聞いたことがあるような、いやいいや。見たことがある、だったかもしれない。かつてどこかで。平和なその時に。
「フン。――最低限のことは教えておいてやろう。まず、脱出のためには七つの裁きの間を超えねばならん。カルデアなぞに声は届けられぬし、あちらから何かが届くことはない」
「つまり、おまえだけか」
「はは。強気だな、マスター。だが
「――――!」
見抜かれている。彼には僕の全てが。
「失敗できぬのはおまえの日常と変わらぬ。そう何一つな。
裁きの間で敗北し殺されれば、おまえは死ぬ。
何もせずに七日目を迎えても、おまえは死ぬ」
「なんで、こんなことに……」
なぜ、なんで、どうして。
疑問が僕の脳内を駆け巡る。
けれど、何一つ思い出すことはない。
「はは。さあな! だがいえることは一つだ。現在の
「何を、狩るんだ?」
「さあな」
歩いて。歩いて。廊下の端にたどり着く。
大きな扉がそこにはある。
「さあ、第一の裁きの間だ。おまえが七つの夜を生き抜くための第一の劇場だ。七騎の支配者がおまえを待っている。誰も彼もがおまえを殺そうと手ぐすね引いている。見るが良い、味わうが良い! 第一の支配者は、ファントム・オブ・ジ・オペラ!」
それは美しき声を求めた、醜きもの。その全ての憎しみ。嫉妬の罪を以て、僕を殺す化け物。
「クリスティーヌ……クリスティーヌ。微睡むきみへ私は唄う。愛しさを込めて
嗚呼、今宵も新たな歌姫が舞台に立つ。
嗚呼、喝采せよ、喝采せよ。
ああ、違う。おまえは誰だ、きみではない クリスティーヌ
我が魂と声は、ここに ひとつに束ねられるすなわち……」
ファントムが襲ってくる。
それはかつて、どこかで相対した誰か。僕の記憶にはない。けれど、僕は知っている。
「――――」
「呆けるなよマスター。言ったぞ、アレはおまえを殺す化け物だとなァ!」
「ああ、あまねく全てが妬ましい」
叫ぶ嫉妬。妬ましい。妬ましい。世界の全てが妬ましいのだ。
そう狂い叫ぶ嫉妬。
「よく見ておけ、これが人だ。おまえの世界に満ち溢れる人間どものカリカチュアだ。怯えているひまはないぞ。戦え、殺せ。なぜなら――全て関係なく、奴はおまえを殺す」
「唄え 唄え 唄え 我が天使。今宵ばかりは、最期の叫びこそが、歌声にふさわしい」
「ひぃっ――」
身体が凍り付く。呼吸が止まる。
僕は知っている。この感情を。
それは、恐怖。
こんな相手に勝てるはずがない。なぜならば、誰もいないのだ。ここには誰も。
「はは、どうする? 身を守るか! 戦うか!」
選べない。選べない。選べない。
僕には、選べない。
「悩んでいる時間などないぞ。選べ、そして、オレの手を取るが良い!」
「え――」
「選べ、そして、手を取れ仮初のマスター。さすれば――仮面の黒髪鬼に、真なる死の舞踏を見せてやる!」
――無理だ。できない。
選べない。
――ならば死ぬか?
嫌だ。死にたくない。
――怖い。
どうしようもなく怖い。
――では、勝利の為に戦うか?
「無理だ」
――僕には向いてない。
ならば、
――わき目もふらず逃走するか?
「できない」
そんな状況にはない。
――それでは、敗北を受け入れて死ぬか。
「いやだ」
傷つくのは嫌だ。
「だが、おまえしかいない。おまえ以外にいないのだ。おまえもわかっているだろう。さあ、決めたはずだ。選べ――」
選べ。選べ。選べ。
選べ。選べ。選べ。
おまえの意思で。
おまえが決めろ。
それに従う。
やめろ。うるさい。やめろ。
「――うるさい!! 僕は、おまえたちのように強くないんだ!!」
だれもが、
僕は弱い。なんの力もない。特別な何かなんてない。
「
弱く、脆く。それでも上を見上げるしかない。
煌くあまたの輝きに焼かれても眼をそらすことはできないのだ。
それが与えられた使命。
選ばれてしまった宿命。
ただ最後に残ってしまったからという理由で背負わされた責任の結果。
「はは――。そうだ。認めてしまえ」
「ああ、僕は英霊たちが羨ましい」
だから、理想になろうとした。彼らが求めるものに。
例えば、清姫にとって理想の安珍になろうとした。
例えば、エリザベートの為の歌を聞こうとした。
例えば、マシュが求める理想の先輩になろうとした。
羨ましいから。妬ましいから。どうやっても届かないと思ったから、彼女たちの理想になろうとした。
誰かの理想になんてなれやしないのに。
誰かの理想になろうとした。
その輝きが求めるものになって、この嫉妬から目をそらそうとしたのだ。
「けれど、無理だ。僕には――」
無理だった。
何一つ思い出せないが、これだけはわかるのだ。
誰かの理想にはなれない。
思い出せないけれど、僕を導こうとしてくれた誰かに言われた通りに。
「そうだ! おまえは、おまえにしかなれない。誰かになるなどできやしない。言われただろう。影の国の女王に。おまえはおまえだ。他人の理想などおまえではない。
認めろ。おまえは、おまえだ。このオレが肯定してやる。どんなおまえでもな。そうだろう。我が仮初のマスター」
「そうだ。僕は、僕だ」
比べる必要などない。彼らと僕は違う。それを認める。
何度も言われていたことを今更理解するのだ。
目を背けていた事実に目を向けて。
ここはもとよりそういう場所。
だから、認めることができた。
ここだからこそ。
彼だからこそ。
「アヴェンジャー。僕は、その手を取る。弱くて、頼りなくて、何もできないけれど、それでも僕はここから出る」
たった一つ、全てを忘れても残っていた彼女の為に。
それが僕の行動原理だったはずだから。
「はは――」
彼は笑った。それは哄笑ではなく、嘲笑でもなく、純粋な――。
「ははははは――」
アヴェンジャーの笑い声が第一の裁きの間に響き渡る。
「そうだ。そうだとも。それでこそだ。嫉妬を乗り越え、おまえは、真に。真に。おまえとなった。さあ、見ているが良い。このオレの力を。その目に焼き付けておくが良い。
我が恩讐の彼方にあるものを!!」
彼の力が放たれる。
漆黒。それは彼が彼である証。
笑みを浮かべた彼。
そして、ただの一撃でファントムを殺してみせた。
「ははははは――」
それは紛れもない哄笑。
「脆い脆い! 哀れ、醜き殺人者になるしかなかったモノよ! おまえの声は届かない。シャトー・ディフはおまえの魂にはふさわしくない! 残念だったな! おまえは殺人者としてはあまりに哀しすぎる」
「時の果つる先より 光が 見える……この胸に 想いならざる大穴を開けるのか
おお わが心臓よ いずこ
おお わがこころ いずこ
ああ クリスティーヌ きみにこの心臓を捧げよう」
「これは……愛の、歌?」
「そう思うか。おまえにはそう聞こえるか。本当にそうか? よく聞け。あれは、黒髪の殺人鬼が叫ぶもう一つの歌だ」
それは、彼女の輝きが妬ましく思うという歌だった。狂おしいほどに愛している。
けれど、けれど。同時に彼女のその輝きが妬ましいのだ。
愛ゆえに。愛しいがゆえに。
その感情は大きく。
まさしくそれは――嫉妬だった。
「オペラ座の怪人、おまえの嫉妬は見届けた。おまえを殺し、その醜さだけを胸に秘めてオレは征く」
アヴェンジャー、その一撃がオペラ座の怪人の霊核を刺し貫くその直前、声が響いた。
それは僕だけに聞こえる。
彼の声。
「どうか、気を付けてください。歪められたシャトー・ディフにあって、あなたを守る者はたったひとりしかいないでしょう。そして、それは必ずしも善なる者とは限らない」
それは彼の言葉。
彼が今際の際に残す、言葉。
僕への言葉。
「どういう意味」
「申し訳ありません。私は多くを語れないのです。ですが、一つだけ。貴方は貴方で良いのですよ。誰が何を言おうと。私が貴方をクリスティーヌと呼ぼうと。貴方は貴方で良いのです。だって、私はそういう貴方らしいところをクリスティーヌと重ねているのですから。貴方がクリスティーヌになってしまっては本末転倒だ」
「わかった。ありがとう。ファントム。覚えておくよ」
彼の言葉を胸に刻む。きっとそれは必要なことだと思うから。
そして、彼は砕かれた。
「はは、はははははは――」
アヴェンジャー。復讐者の彼。
彼は嗤う。哄笑する。
「これが、マスターを有した状態での戦いという奴か! 見事な采配であったと言ってやろう。仮初の契約ではあるが、確かにおまえはマスターだ」
「ありがとう」
「さあ、第二の裁きの間へ向かうぞ。残る六騎の支配者が待っている。虎のように吠えろ。先ほどのように。おまえの心の中をのぞき、叫ぶが良い。
おまえには、
「本当に、ここから出られるのか」
「フッ……おまえの疑問に一言で答えよう」
彼は言った。
彼は言った。
――待て、しかして希望せよ。
「待て、しかして希望せよ、だ」
僕は思い出した。
一つのことを。一つの特異点を超えたことを。
フランスの大地を救ったことを。
「さあ、行くぞ」
――待て、しかして希望せよ。
その言葉を胸に、このシャトー・ディフ。
彼が収監されていた14年の地獄を脱出するために。
そうだ。
彼こそが、復讐者だ。
――
というわけで前編。
本当に前中後で終わるとは言っていない!
だから、僕はこう言おう。
――待て、しかして希望せよ。
ぐだ子設定
VS格上との戦闘時に戦闘力1.5倍
時間経過でレベルアップ
ダメージ受けるとレベルアップ
下手に追い詰めると覚醒して大幅にパワーアップ
まだだ、というセリフとともに聖剣の一撃を拳で受けきる化け物でございます。
魔術王相手にサーヴァントがやられてから出陣。
無傷で勝利するとかそんな化け物なんじゃないかなー。