死界魔霧都市 ロンドン
まるで、映画でも見ているかのようにそれは再生されていた――。
――暗い。
――ここはなんと暗いのだ。
石畳を路地を走るヒールの渇いた音が響く。それ以外になんの音もない。
いや、いいや。違う。
聞こえてくるのはあたしのヒールの音だけじゃない。
怯えて恐怖から逃げるように走るこのヒールの音だけじゃない。
息遣い。
ハァッ、ハッ……ハッ……という苦し気な私の息がある。
1888年、最高の繁栄を謳歌する大英帝国、首都ロンドン。白い霧に飲み込まれた昼間の大通りを走る女の息だ。あたしの息だ。
ここには誰もいない。
ここには、誰もいないのか。
いや、いいや違う。
あたしのヒールの音と息遣いのふたつだけが響く。静寂の世界の中にあって、あたしはそう、知っていた。
さっきから、何かがずっと、ずうぅうっとあたしのあとを追いかけてくる。
馬車にのった紳士はおらず、巡回する
ここはロンドン市街、タワーハムレッツ特別区。インナーシティ地区。ホワイトチャペル。人通りの多い通り。それなのに。
あたしと、あたしを追う何か以外何もいない。ただ全てが白い霧に飲み込まれている。
――逃げろ。
――逃げろ。
背後のもの。ナイフを手にした誰か。
あれに追いつかれたら殺される。待ち構えたあいつのナイフで殺される。
「――ごめんね」
ふいに背後から声が響く。
いや、いいや違う。
「いつ、の間に、前に……? いや、いや……来ないで」
目の前に。誰かが。影が。誰かに似た。まるで、まるで――。
「あああ、いや、来ないで。あんたなんて知らない、なんなの、なんなのよ!」
「ごめんね、おかあさん。ごめんね。でも、帰りたい帰りたい、帰りたい、帰りたい、から、わたしたち……とっても帰りたいから、ね?」
「いや、来ないで、こないでよぉ」
「うん、ごめんね」
――何かが崩れる音がしている。
それがハジマリだった。誰かの夢。誰かであった夢。
僕らは霧に包まれたロンドンへ。
十九世紀ロンドン。偉大なりしヴィクトリア女王を抱く1888年。
産業革命の最盛期。蒸気科学が全ての時代を切り開いた時代。
そこで僕はまた多くの英雄たちとと出会った。
一人目はロンディウムの騎士、魔霧の都市にて奮戦する者。
反逆の騎士モードレット。頼りになる騎士に。
ゆがんでいるけれど、なんだかんだ言いながらロンドンを守るために奮闘した気高い人。
怖いけど、頼ったら嬉しそうにして、それを言ったら怒って。
こんな僕に力を貸してくれた。
面倒見の良い人。
強い、強い人――。
――何かの崩れる音がしている。
二人目は作家。アンデルセン。ハンス・クリスチャン・アンデルセン。
捻くれ者で厭世家。少年の見た目なのに、その内面は老成した成人男性。世界三大童話作家の一角。
鋭い観察眼と推理力でロンドンに眠る謎を解いた功労者。
色々と毒舌で僕に文句のようなものを言いながら励ましてくれていた彼。
ずいぶんと助けられたのだと今ならばわかる。
最後まで毒舌で。
けれど、普通の英雄とは違ったから接しやすかったように思える。
――何かが崩れる音がしている。
三人目はウィリアム・シェイクスピア。 物語る二人目のキャスター。
アンデルセンと二人して、色々と語ってくれた人。
その知恵で僕らの道を示してくれたこともある。
色々と言われたけれど、やっぱりふつうの英霊よりも過ごしやすかった。
――何かが崩れる音がしている。
ほかにも拠点を貸してくれたジキル博士。
いつも間にか現れていた金時と玉藻。
みんな、みんな、僕らに力を貸してくれた。
けれど、けれど、みんな消えてしまった。
敵と同じように。
敵。敵。
――彼女に襲われた。クリスマスに笑顔を見せてくれた彼女に。
可哀想な子供たち。ジャック。
ほしいといった彼女。
帰りたいといった彼女。
願いながら、全てを解体していく彼女を見過ごすことはできない。
けれど、けれど。
僕は覚えている。彼女の笑顔を。彼女の泣きそうになりながらもサンタに願った願いを僕は知っている。
彼女はただ楽しく過ごしたかっただけなのに。
彼女はそういうものとして嵌められてしまっただけなのに。
それでも彼女はその役割のままに殺して、殺して、殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺した。
だから倒すしかない。彼女はそういうものだから。そういうものと必死に、必死に必死に思って。
僕は、彼女を倒せと命令した――。
――何かが崩れる音がしている。
敵。敵――。
本が人を襲う。彼女だった。ナーサリー・ライム。誰かの為の物語。
ほしいといった彼女。
クリスマスに笑顔を見せてくれた彼女。
願い、探し人を探す彼女。
人を襲うなら倒さなければならない。
けれど。けれど。
僕は覚えている。彼女の笑顔を。彼女の泣きそうになりながらもサンタに願った願いを僕は知っている。
彼女はただ楽しく過ごしたかっただけなのに。
彼女はただ
だから倒すしかない。彼女はそういうものだから。そういうものと必死に、必死に必死に思って。
僕は、彼女を倒せと命令した――。
――何かが崩れる音がしている。
敵。敵。
パラケルスス。P。主導者の1人。
矛盾した人。理想を抱き、矛盾し、全てにおいて諦めた人。
世界を救わんと戦うことも出来たかもしれない。
けれど、けれど。
運命はそれを許さない。
僕らは戦い、彼は倒れた。
それだけ。ただ、それだけ。それだけ――。
――何かが崩れる音がしている。
敵、敵――。
偉大なる人チャールズ・バベッジ。偉大なりし蒸気王。
絢爛たる蒸気世界を夢見た碩学。
かっこいいロボットを作り上げた人。
戦った。それ以外に方法がなかった。
地下に行けと教えてくれた紳士。
――何かが崩れる音がしている。
その地下で出会ったのはマキリ・ゾォルケンという魔術師だった。
魔霧計画を主導する主導者の1人。
彼は、雷電を呼んだ。
雷電ニコラ・テスラ。
遠き空より来るもの。かつて青き空にて輝く雷電を、神々の力をもたらした者。
星を広げた者。
インドラを超えて、ゼウスを超えて。
ペルクナスとなったもの。
狂気なりし雷電の王。
彼が地上に出れば人理の底は破壊され。人類の歴史は途絶える。
僕らは彼を追った。追って追って。
焦燥にかられながら僕は走った。
走って、走って。
なんとか僕らは彼を打倒した。
そして、偉大な王が来た。
全てを刺し穿つ世界の礎たる槍を持つ王、常勝不敗の王が。
――何かが崩れる音がしている。
僕らは戦った。次から次へと現れる敵。
萎えていきそうになる戦意。
強敵との連戦に必死に、必死に。
それでもマシュがいたから、僕は戦えた。
そして、僕は彼に出会った。
「そうだ。私が、ソロモンだ。人理を滅却し、魔神を放っている、貴様らのいう黒幕という奴だ――」
「そ、んな……」
「ありえない、ソロモン王がそんなことするはずが」
信じられない。そんな声が響く。
「先輩、どうすれば――」
ああ、マシュ。可愛いマシュ。僕のデミ・サーヴァント。
そんなこと決まっているじゃないか。
立ち向かうのだ。ソロモン。偉大なりし魔術の王。おまえが人理を焼くというのなら、それを止める。
目の前にいるのなら、倒す。
それが、理想。それがやるべきこと。
だから、君にこう言おう。
「――――」
――あ、れ
けれど。けれど。
声が、出ない。
倒せ。そう一言いうだけで良い。
そうしなければならない。敵だから。倒さないといけない。
わかっているのに。
声が、出ない。身体が動かない。
「――――」
声が出ない。身体が動かず震えて、後ずさっていることに僕は気が付く。
自分の意思ではない。勝手に、体が勝手に動いている。
「ふむでは、遊んでやろう」
「来ます、先輩、指示を――」
ああ、わかっているよ。マシュ。今――。
「――――」
けれど、けれど、声が出ない。どうしても、やつを倒せという簡単な言葉が、出てこないのだ。
逆だった。身体は逃げろと言っている。
無理だ、勝てない。
「四本で、十分であろう」
「先輩!」
「マスター!」
「ああ、この馬鹿、何してる!」
――あ、ああ。
僕は理解する。彼が四本の魔神柱を従えて戦闘を挑んできたとき、確かに感じた。
振り切る直前の恐怖を。
そして、何かが壊れたのを自覚した。
恐怖を感じない。震えもない。
ただ、全てが遠くなった。
全てが遠い。全てが、全てが。
「先輩――!!」
ああ、マシュ。僕の、デミ・サーヴァント。
彼女が焦っている。
それも当然だと僕は思う。全てを破壊する魔神柱。四本のやつの手足が全てに殺到している。ここにいる敵、全てに。
それがどういうことかわからないわけがない。そこのは僕も入っている。
完全に僕らの動きが遅れている。そんなことを冷静に思っていた。
全てが遠い。実感が薄い。何かが切れてしまったかのようだった。
このまま死ぬのだろう。
あまりの恐怖に全てがマヒする。鈍化する。
――ああ、近くで見ると清姫って可愛いな。
目の前に彼女がいた。僕を押して、そして――。
「あ?」
「旦、那、さ、ま、ご無事、です、か」
あたたかい何かが頬にかかる。
手で触って確かめる。それは赤いもの。流れてはいけないもの。人を生かすもの。
サーヴァントにも血が流れているんだな、なんてことは場違いに思う。
状況が理解できない。
いや、いいや違う。理解したくないのだ。
――何かが崩れる音がしていた。
「あ、あああ……清、姫、清姫! そんな!」
どさりと倒れた彼女を支える。べたりと彼女から流れる血が僕の掌を濡らす。それも構わずに。
「ああ、よかった。お怪我が、なくて」
「なんで、なんで――」
夢中で魔術礼装を励起する。応急処置。なのに、彼女の傷はふさがらない。
穿たれた穴はふさがらない血が止まらない。止まらない。止まらない止まらない。
「なんで、
「旦那様を愛しています。旦那様を守るのは、良妻、と、して、とう――」
「――ぁ」
溶けるように彼女は消えていった。
腕から重さが消える。身体にかかっていた彼女の重さがなくなる。消えた。
「マシュ! マスターを!」
「はい、ブーディカさん! 先輩こちらに!」
「あ、ああ」
「しっかりしてください先輩! 今は――」
清姫、清姫。なんで、なんでなんで。
「マシュ!」
「あ――」
「くっ! ――――」
「あ、ブーディカ、さん」
次に僕らを守るために、貫かれたのは彼女だった。
「あ、ちゃ、ぁ、これはだめ、かも。ごめ、ん、お姉さん、全然、駄目、だし、君に、こんな、でも、カルデア、で、ごめんね――」
溶けるように彼女も消える。カルデアに戻る。
けれど、目の前で、彼女は死んだのだ。確かに。
その重さが、僕にのしかかる。
全ては僕の責任。
僕が、失敗した。
肝心な時に、失敗した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
ぼくは、失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した
失敗した失敗した失敗したぼくは、失敗――。
「何をしておるこのうつけがぁ!!」
「がっ――」
「お主は将じゃろうが! ああ、クソ、違うわ。マシュロマロサーヴァント! 逃げろ、マスターとともにな、ここで戦っても勝ち目などないわ!」
「そうよ、早く逃げなさい子イヌ。時間なんて、
「そうだ、行け。マスターがいりゃあ、俺らは何度でも再起できるからな」
「いや、まさか息子があんなことになっているとは僕としても予想外。やっぱり嫁全員に裏切られるとか、もっと女の子の扱いを教えるべきだった。ま、僕何も教えてないんだけど」
「――――」
でも、でも。
僕は最後のマスターだ。希望にならなければいけない。
ここは立ち向かう意思を見せなければいけない。
最後のマスターだから。
「――ごはっ」
袋で殴られる。
「何度言ったらわかるトナカイ! そんなもの貴様には無理だ。いい加減認めるが良い。それでも諦めないというのならいいが、膝を屈した将ほど邪魔なものはない。ここから消えろ邪魔にしかならん」
「え? ち、父上? なんで、しかもなにそのかっこう――」
「何か言ったかモードレット。私のことはサンタオルタとよべ」
「は?」
「行け、マシュ。トナカイを逃がせ!」
「は、はい! 先輩、すみません!」
「――ぁ」
「茶番は、終わったか?」
その瞬間、四本の柱が蹂躙を開始した。
「おいおい、こりゃあ、まずいんじゃねーの?」
「そんなのわかっていますから、はやく金時さん! 前に。ささっとやっつけちゃってくださいな。一尾の私なんてそっこー穢れてしまいます」
「やめろ、押すな、当たってる当たってる!」
金時と玉藻が奮戦する。けれど、けれど。
――無意味だ。
今までの特異点で培ってきた戦術眼が、断定する。不可能。
いかなるサーヴァントにもグランドの名を冠するサーヴァントを打倒することはできないのだと。
「おい早くしろ、こっちだ!」
「さあさあ、おはやく!」
「さて、まずはおまえたちからにしよう」
「――――」
逃げ道を確保していたアンデルセンとシェイクスピアが吹き飛ばされ刺し穿たれる。
さらに僕たちへと向かう。
「こっちじゃ、マスターには手を出させん。いざ―――三界神仏灰燼と帰せ! 我が名は第六天魔王波旬、織田信長なり!」
ノッブが裸マントになると同時に世界が変質する。
世界を書き換える大禁呪。魔法に近いとされる大魔術。
――固有結界。
大焦熱地獄が具現化する。
神性殺し。神に近きものを屠る神仏滅殺地獄がその咢で魔術王へと食らいつく。
けれど、けれど。
「ああ、何かしたか?」
灼熱をものともせず、ただの腕の一振りで魔術が解体される。固有結界が解体され全ての効力を失う。
「な――」
「魔術はこの我が確立した。この程度で何を驚いている。当然のころだろう。それと、固有結界というのはこういうものだ」
――焔が全てを焼き尽くす。
地獄が創形されていた。
「心象風景の具現化。笑止。世界に修正を余儀なくされる世界を投影して何が楽しいというのだ。世界を創形する、修正されないように強固な。それこそが本来の使い道であろう」
それはかつての終わりだった。
本能寺。焔に焼かれた、織田信長の最後。
ただ一瞬のうちに灰燼と化し、全てが灰となった。
「おーい、ソロモン。どうしてこんなことしているのか、聞かせてもらいたいものなんだけど」
「ああ、偉大なる父上。そんなこともわからないのか。あなたが?」
「まあね、僕ってほら、羊飼いだし」
ダビデが前に出てソロモンの気を引いている。
「行きます、今のうちに」
「――」
待ってという言葉は口を出ない。その代わりに、ただ安堵だけが広がっていた。
助かる。助かる。助かる。
そんな安堵が。
抱いてはいけない安堵が。
「
「さて、僕に言われても仕方ないと思うけどね、なにせ、僕は君より前に死んでいるわけだし。君の偉業も何もしらないさ」
「私のことは何一つの間違いだろう」
「そうともいうね。僕は君をまったく見てなかったわけだし。それでも立派になったと思っているし、君がこんなことをするのは、嫁全員に裏切られたくらいだと思っていたんだけどね、僕の見込み違いだったかな」
「見込み? 見込み違い――はは」
哄笑が響く。
「それこそ私のセリフだ。おまえたちは死を克服できなかった知性体だ。にも関わらず、死への恐怖心を持ち続けた。死を克服できないのであれば、死への恐怖は捨てるべきだったというのに。死を恐ろしいと、無残なものだと認識するのなら、その知性は捨てるべきだったのに。無様だ。あまりにも無様だ」
「何が、君をそこまで失望させたんだろうね」
「一生わからないだろう、おまえには」
「うん、わかりたくもないね。――いまだよ」
ダビデの声とともに、全員が飛び出す。
「サンタからの贈り物だ――聖夜に沈め!
「これこそは、我が父を滅ぼし邪剣――
「ハーイ、とっておきのスペシャルコラボよ。ウサギみたいに飛び跳ねてね?
「焼き尽くせ木々の巨人。
「吹き飛べ――必殺!
宝具の解放。英霊としての最強兵装による一撃がソロモンへと向かう。
「これなら、少しは――」
「何かしたか?」
それらを受けてなお、ソロモンを倒すには至らない。傷一つ負わすことができない。
「馬鹿な――」
「ただの英霊が私と同じ地平に立てるわけがなく、必然、このような結果になる」
それどころか、全員を刺し穿ち磔にしていた。
「凡百のサーヴァントよ。所詮、貴様等は生者に喚ばれなければ何もできぬ道具。私のように真の自由性は持ち得ていない。どうあがこうと及ばない壁を理解したか? 理解したならば五体を百に分け、念入りに燃やしてやろう」
目の前で彼らが百に分けられていく。
雨が降る。それは赤い雨。血の雨だった。彼らの。
そして、全て燃やし尽くされ、無残な灰となって目の前に放られた。
――何かが崩れる音がしていた。
「先輩――、逃げてください」
「ま、ましゅ」
「先輩だけは、守ります。モードレットさんにも言われました。私が」
ああ、マシュ。マシュ。
震えているのがわかる。あんなものを見せられて正気でいられるはずがない。
それでも君は、僕の前に立ちふさがってくれる。
だったら、立ち上がらないと。
だって、まだ――
けれど、けれど。
「あ、れ……」
身体が動かない。立ち上がろうとしているのに、体が動かない。
立ち上がろうとしているはずなのに。
身体は動かない。
――立てよ、マシュが、頑張ろうとしているのに。
けれど、僕は立てない。
立てるわけがなかった。
むしろ、ただ這いずって逃げていた。
「矮小な人類最後のマスターよ、おまえ自身がすでに悟っているのだ。全ては無意味だとな。おまえ如きでは何もできない。何一つ、貴様のやってきたことに意味などない。凡百のマスター。最後に残った希望足り得ぬ矮小な者よ」
――やめろ。やめろ。
「おまえの声は届かない。おまえでは救えぬ。世界も、おまえの望む全ても。救えはしない。それに、おまえは愛する者の為に立ち上がることすらできない。おまえは失敗した、それがこの結果だ。弱き身で良く戦ったといってやろう、だが全て無価値だ、おまえに価値などない、マスターである価値などおまえにありはしない。全部無駄だったのだよ――」
――やめろ。やめてくれ。
何かが崩れる音が響く。
「残 念 だ っ た な」
――何かが、崩れる音を聞いた。
「――――」
「もはや答えることもできぬか。まあいい、帰るとしよう。どうせ気まぐれだ。そうだな貴様たちが七つの特異点を消去できたのなら対処案件として遊んでやる。
ああそうだ、最後のマスター、貴様に忠告だ。おまえは、ここで全てを放棄することが、最も楽な生き方だと知るが良い」
ソロモンは消え失せた。全てを台無しにして――。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――――」
人理を修復した。
敵の正体もわかった。
いいことづくめの戦いだった。犠牲はあったが、カルデアのいるサーヴァントたちは倒れてもカルデアに戻る。だから、何も問題などない。
そう問題などないのだ。
――そんなわけない。
気持ちが悪い。
「悪りぃ、マスター。俺がふがいなくてな。槍があればなんて言い訳だな。次はねえ、必ずだ。スカサハ師匠より学んだルーンの神髄をあいつに叩き込んでやる」
キャスタークー・フーリンは、僕にそういった。
だから任せろよ。心配すんな。なんとかしてやる。
頼りになる兄貴のように彼はそういった。
――やめてくれ。
「
清姫は、責めることなくそういった。情けなく無様にかばわれた僕を見限りもせずに、まだ愛を囁く。
ただマスターだからという理由で。
彼女の愛は薄れない。彼女はとてもよくやったのに、それでも足りないといわんばかりにまだ愛しているという。
1日のスケジュール、身長、体重、視力、握力、速力、持久力、肺活量、そんなものまですべてを求めて、今度こそと。
――やめてくれ。
「ごめんね、あんな辛いもの見せちゃって。お姉さんなのに。もっとしっかりしないと。うん、ごめん、気にしないで大丈夫だからね。無理、しないで、何かあったらお姉さんに言っていいからね」
ブーディカさんは、僕にそう言ってくれる。気にしなくていい。ごめんね。あたしが悪い。
違う。違う。
全然悪くない。悪いのは、僕で、あなたじゃない。
なのに、ブーディカさんはずっと僕に謝り続ける。ごめんね、と。
――やめてくれ。
「子イヌー、大丈夫? 大丈夫よね? 大丈夫なら、
エリちゃんはそういった。まるで何も気にしてないようにふるまって。気にしているくせに。
忘れたように、気にしてないように元気にふるまっている。
子イヌが責任を感じる必要などないのだと、彼女はそう言っているかのようだった。
だから、歌を聞かせに来る。
――やめてくれ。
「大丈夫かい、マスター。僕の竪琴を聞いて――ん? いや、僕は大丈夫だよ。だってソロモンのこと何にも知らないし。マスターはよくやったよだって、死ななかったんだから。だからそう気に病むことはないさ」
ダビデ。死ねば僕らは終わる。だから君はよくやっているよと褒める。
失敗はしていない。君が生きていることが大事だと彼は言う。
死ねば全てが終わりだからねと。だから、マスターとしての責務は果たしているさと。
そう彼は言うのだ。
――やめてくれ。
「おおマスター、無事で何よりじゃ。わしか? 無事に決まっておるじゃろう。燃やされるのにも慣れておるわ。ん? 今考えると嫌な慣れじゃな。一度本能寺で燃やされておるしな。ま、何も問題ないよネ! なに生きておればまたいいこともあるって」
ノッブ。チビノッブを押し付けてこれで癒されておれと言った。
とても甘い声で、珍しい声で、大丈夫じゃと言ってくれた。
気にするな、またいいことがある。そう彼女は言った。
――やめてくれ。
サンタオルタさんは、会いには来なかった。みんな来た中で来なかった。
そして、最後にマシュが来た。
「先輩、お疲れさまでした」
「…………」
「……敵は強敵です。とても怖かったです。でも、先輩がいたから戦えました。先輩、私強くなります。強くなって、先輩を守れるように、先輩の信頼に応えられるように――」
マシュ。可愛い後輩。愛しい僕のデミ・サーヴァント。
「やめてくれ!」
「せん、ぱい?」
「頼む、マシュ、もう」
――やめてくれ。
「あ、あ、あの、すみません、先輩、何か、私、何か、先輩を不快にさせるようなことを言いましたか。あの言ったのなら言ってください、直すように努めます。私は、先輩の――」
やめてくれ。やめてくれやめてくれやめてくれやめてくれ。やめろ。
「やめろ、出て行ってくれ」
――ああ、彼の言ったとおりだ。
もう、僕には――。
敵との闘い。
苦しい戦いの果て、少年はそれでも前に進んだ。
愛しい子の為に。
けれど。
ついに、少年はその膝を屈した。
魔術王はやっぱり強敵だったよ
うん、今回はちょっと仕込み回的なことになってしまった。
その関係上、あまり愉悦できなかったな。すまない。この程度の愉悦ですまない。
で、セイバーウォーズとブリュンヒルデクエ、空の境界はあとに回すかぐだ子編に回すことにします。
このまま空の境界に行ける雰囲気じゃなくなった。304号室の悲劇をお望みだった諸君まことに申し訳ない。そのうちやる。
空の境界で巌窟王のアレがあるけどそこは改変します。
ちょっとバレンタインで早々に崩壊させて巌窟王イベにとんだ方が主人公のメンタル的に良いということになったので。
てなわけで次回はバレンタイン。
ロンドンから帰ってから部屋に閉じこもったまま返事のない主人公を元気づけるべくバレンタインを開催する。
あ、バレンタインイベは、マシュ視点でいきます。
次回グロ注意な精神崩壊狂気のぐだ男君登場。
そんな変わり果てたぐだ男を見たら、ねえ、どう思う?
しかも、それが自分たちの好意や愛情や期待がそうしたって知ったら、どうなると思いますか(愉悦)