第一特異点。それは百年戦争時代のフランス・
変わり果てたフランス。聖女が蘇り、竜を従える悪魔となって全てを蹂躙していた。
激しい戦いの中、出会いがあって、別れがあった。
百年戦争は終わった。偽りの歴史は修正される。偽りの歴史は修正されて、真の姿を取り戻した。
気絶するように眠った僕は、自分が死ぬ光景を夢見ていた。それはあの戦いの中にあった死の光景の一つ。こびりついた生と死が精神を蹂躙する。
「うわぁああああぁぁぁ――」
悲鳴を上げて飛び起きた。寝汗が気持ち悪い。寝巻が肌に張り付いて気持ちが悪い。
荒い息を何とか整えて、そこがまだ自分の知っている場所だということに安堵する。襲撃はない。安全だ。そう言い聞かせる。
けれど、早鐘を打つ心臓はちっとも落ち着いてくれない。
だって、覚えている。
人間がたくさん死んだ。
その光景を覚えている。
覚えている。あの断末魔を。
覚えている。あの悲鳴を。
覚えている。あの光景を。
今も夢に見る。あの戦場の光景を。平和な現代を生きている者ならきっと生涯のうちに見ることがないあの生々しい光景を僕はきっと忘れることができない。
特異点F。炎上した冬木という町もまた地獄の様相を呈してはいたものの、あそこは生の気配がないだけ現実味というものが薄かった。
けれど、フランスは違う。そこには生があって当たり前の死があった。
「――――」
吐き気が今も止まらない。震えは、今も収まらない。もしかしたらあそこで死んでいたのは自分かもしれないと思うと恐怖で身動きが取れなくなりそうだった。
それでもそんな自分を支えてくれた英霊たちがいた。
マシュ。僕のデミ・サーヴァント。可愛い可愛いただ一人の後輩。
怖いと言いながら、それでも僕を守るために彼女は最前線で戦い続けてくれた。どんなに強い敵でも、どんなに力が足りないと思っても彼女は僕の前で盾を構えてくれた。
その勇気に何度、救われただろう。彼女の勇気がなかったら、僕はきっと戦場に打ちのめされていただろう。
彼女の期待に応えたい。彼女が慕うに値する。自慢のマスターだと誇れるような存在になりたい。何の力もない僕には高望みなのかもしれない。
だから、諦めずに前に進む。辛くても、苦しくてもただ前に。
ジャンヌ。ジャンヌ・ダルク。僕如きが触れていい存在じゃない本物の麗しの聖女様。
挫けそうになったとき、彼女の旗が希望をくれた。彼女の振るう旗が、僕に力をくれた。彼女の優しい心に応えようと奮起出来た。
彼女こそが聖女だと思った。誰が何といっても、僕らを導いてくれた彼女の輝きを僕は一生忘れない。いつかまた彼女と会った時に、お礼を言おうとそう思った。
マリー。綺麗なフランスの王妃様。麗しのマリー・アントワネット。
彼女の在り様はとても尊かった。フランスに処刑された悲劇の女王。恨んでもおかしくないはずなのに、フランスの危機にやってきたその尊さに、その献身に僕らは救われた。
彼女の最後を、僕は見ることができなかった。それでもきっと彼女は笑っていたに違いない。ヴィヴ・ラ・フランスといつものように言ってフランスを愛しながら彼女は満足げに逝ったのだろう。
いつか、僕にも来るだろうか。誰かのために、その身を犠牲にしても良いと思える日が。
アマデウス。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。非力で、口が達者な音楽家。
旅の間、僕らに彼はずっと言葉を聞かせてくれた。彼の人生とマリーの人生と、もう一人の彼の人生で得た全てのことばを僕らに聞かせてくれた。
マシュは、彼のおかげで何かを得られたのだという。僕もまた彼の言葉にこの先の道しるべを見た気がした。彼の散り際はどんなだっただろうか。
音楽家を酷使しすぎだと彼は言うだろうか。きっという。それでもなんだかんだ言いながら、マリーと一緒に僕らを手伝ってくれるのだ。
いつか彼とふつうの話ができればいいと思う。彼に返す言葉を僕が用意できるのかはわからないけれど。
ジークフリート。竜殺し。謙虚な誰よりも強かった英雄。
その強さを誇らず、むしろ卑下する勢いで謝られた。こんなふがいないサーヴァントですまないと。それはこちらのセリフだというのに。
僕は何もできないマスターだ。カルデアのバックアップがなければまともな魔術一つ使えないただの一般人だ。魔力もろくに供給してあげることはできなかった。
だというのに、彼は自分を卑下してまで、僕を立ててくれたのだ。最後の決戦、ファブニールを倒した彼はまさに英雄だった。
ゲオルギウス。偉大なる竜殺しの聖人。僕らの先生。
ジークフリートを救い、さらに竜殺しの方法を教えてくれた優しい聖人様。旅はひとを成長させる。そう言って、あなたは成長していると言ってくれた。
苦言を言われることもあったけれど、それでも優しく厳しく導いてくれた偉大な先生だ。
僕にも彼のように誰かを導けるマスターになれるだろうか。いいや、ならなければいけない。人類に残された最後のマスターとして並みいる英霊たちとともに戦うために。
アイドル。エリちゃん。可愛い可愛いエリザベート。
彼女の歌はそれはもう凄かった。むしろ敵よりも厳しかったようにも思える。子イヌと呼ばれた。本当、たいへんなアイドルさまだった。
ライブは勘弁してほしいけれど。
そして、清姫。いつの間にかカルデアにまでついてきていたサーヴァント。甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる女の子。
嘘が嫌いな可哀想な女の子。僕を安珍だと信じている。思い込みで竜になって思い人を追いかけ続けた彼女を拒絶することは僕にはできなかった。
けれど、彼女が見ているのは僕じゃない。それでも、慕ってくれる彼女の笑顔を曇らせたくはないから、正直に安珍じゃないといいながら、彼女の手を取り続けた。
だから、何とか戦えた。支えてくれた彼らに格好悪いところは見せたくなかったから。
それが何の力もないマスターの自分ができる唯一のことだから。
あれだけの軍勢、あれだけの竜を前に一歩も引かぬ英雄たちを前にして僕は二つ思った。
憧れと怖れ。その強い力に、憧れて同時に恐れた。
あんな力があればとも思う。だが、同時に怖さも感じる。僕は彼らを従えてもいいのかわからない。
ただ最後のマスターだから。僕しかいないから。それでも世界を救わなければいけないから、彼らは僕に従ってくれる。
情けなく、みじめに思った。
「それでも――それでも、
それでも前に進むしかない。
どんなに辛くても、苦しくても前に進むしか道はないのだから。
「ふぅ――」
時計を見る。まだ早い時間だ。カルデアの外がどうなっているかはわからないけれど、時計が指し示す時間は早い。
一度起きてしまえば、意識は即座に覚醒する。数少ない特技だった。
「どうしようかな」
欠点は、二度寝ができないということ。意識が明瞭な状態から再び眠りに入るには、早い時間ではあるが足りないだろう。
「それに、喉が渇いたな」
「はい、
「ああ、ありがと――って、ええ!?」
渡された水を飲んで、その違和感に気が付いた。ここは
「な、なんでいるの?!」
「旦那様のお世話をするのは妻として当然のこと」
「か、鍵をかけていたよね」
「愛の前には何の障害にもなりません」
そういう問題じゃない。
「でも、水をありがとう、清姫」
だけど、水はありがたかったからお礼はきちんと言う。
朝早く用意してくれたその心は確かに、うれしいものだったから。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――ああ。
朝早く、いつでも旦那様のお世話をできるようにスタンバイしていたのが良かった。良妻として、旦那様がほしいと思う前にほしいものを出すくらいの気概で臨んだ甲斐があった。
だから、いまとても嬉しい。安珍様がわたくしに笑顔を向けてくれたから。その声で、わたくしの名を呼んでくれたから。
とても嬉しい。安珍様のサーヴァントとしてお世話ができる。なんとうれしいことか。
「ああ、旦那様、お礼など良いのです。夫婦なのですから」
「いや、夫婦じゃないから」
「そんなに恥ずかしがらずとも良いのに。安珍様ったら」
「いや、だからね」
「さあ、次はどうしましょう。お水だけでなく、なんでもおっしゃってください。旦那様が望むのなら、この清姫、良妻としてなんでも致す覚悟です」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「――――うん、ありがとう。でも、女の子がなんでもなんて言っちゃだめだよ」
思わず溺れそうになった。そのやさしさに。彼女はきっと僕が言えば全てを受け止めてくれる。どんなことでも、どんなに醜いことでも。
嘘さえつかなければ、彼女は良妻として全てを受け止めてくれるだろう。
それは僕じゃない。彼女が見ているのは、僕じゃなくてその向こう側にある
彼の生まれ変わりだと思っているからこそ、こうやって甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。笑顔を見せてくれる。
それは卑怯なことだと思うから。
溺れてしまうのは楽だと思う。溺れたいと思う。少しの間だけでも全てを忘れることができるかもしれない。彼女ならきっと甘やかしてくれる。
でも、駄目だ。
「安珍様、わたくし本気です」
「うん、わかってる。だからだよ」
その思いに答えることは今は、できない。いつか彼女が僕のことを安珍だと思わなくなったときに、それでもその言葉をかけてくれるのなら、僕は応えようと思う。
だからこそ今は駄目だ。応えるわけにはいかない。溺れるわけにはいかない。
決意が鈍ってしまうから。
「――――」
「清姫?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
――ああ、この人は、なんて。
――なんて愛おしいのだろうか。
この人は、わたくしのことを考えてくれている。
あの人とは違う。逃げた、■■とは違う。やはり安珍様は素晴らしいお方だった。
「ああ、旦那様、お慕いしております」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
彼女はそういった。お慕いしていると。
「うん、ありがとう。その気持ちは嬉しいよ」
その気持ちはきっと本物だから。
「さて、良い時間になったし食堂に行こうか」
「はい、旦那様」
僕の後ろを彼女はついてくる。
「あ、先輩に清姫さん、おはようございます」
食堂の前でマシュと会った。
可愛いマシュ。健気な後輩。可愛い可愛いデミ・サーヴァント。
彼女を見ると、いつも思う。先輩と呼ばないでくれ。慕わないでくれ。そう言いそうになる。
彼女の期待に応えようとするたびに、応えるたびに、その期待の大きさを知ってしまうから。
良いマスターでいられているだろうか。良い先輩でいられているだろうか。
不安になってしまう。
でも、それを前に出すことだけはしない。
「うんおはようマシュ。昨日はよく眠れた?」
吐き出しそうになる弱音を飲み込んで、そう問いかける。
可愛い可愛い僕のデミ・サーヴァント。君の為なら最高にはなれないかもしれないけれど、釣り合うだけのマスターにはなりたいから。
あの時、君を救いたいと思った気持ちは、今も覚えている。同じだった。
彼女も不安だ。デミ・サーヴァントとして戦う彼女を少しでも支えられるように。弱いところは見せない。
「ばっちりです。先輩こそ眠れましたか? レムレムしてませんか?」
「うん、大丈夫だよ。寝起きが良いのは知ってるだろ」
「もちろんです」
彼女と清姫と一緒に他愛のない話をしながら食堂へと行く。
ふとした瞬間に、彼女たちに全てをぶちまけてしまいたいと思ってしまう。
それを飲み込む。
何かのひび割れる音が聞こえる。
それでも、前に進むしかない。
「さあ、朝食だ。そのあとは、また次の特異点のことについて話し合おう」
次の特異点はローマだとドクターロマンが言っていた。
次も厳しい戦いになるかもしれない。
それでも、前に進むしかない。
――何かのひび割れる音が聞こえる。
最後のマスターとして、人類を救うために。
僕は行く。苦しくても、辛くても、諦めなければなんとかなると信じて。
――何かのひび割れる音が、聞こえていた。
ただ聞こえないふりをしていた――。
圧縮解除。
オルレアン、書いてみるとかなりの地獄でした。
ぐだ男視点固定にしているので、結構マリーのところなど描写していませんが、基本的に原作と同じやり取りがありました。
基本的にぐだ男視点でやっていこうかと思います。
原作を全部やると完全に原作と同じになりそうですので。
この後は第二章ですが、その前にカルデア職員の幕間でもやろうかなとか予定してますが未定です。
ではまた。